魔の四万十川

Pocket

魔 の 四 万 十 川
                  花見 正樹

一 四万十川の危機

 

・・・四万十川の鮎が消える!?・・・
「なんだこの大げさなタイトルは?」
 友人の声に釣られて祐三も新聞をのぞき込む。
「面白い記事でもあるのか?」
「これ高知じゃ一番の地方紙だろ?」
 日帰りで、新たに開通した宿毛線の取材に、高知から宿毛まで行っての帰途四万十川を眺めて来たという雑誌社勤めの大学時代の友人が、新聞を見てあきれたように祐三を見た。
 播磨屋橋近くで食事をして空港まで送って羽田行き最終便の時間待ち、喫茶店でコ−ヒ−を前に雑談中のことである。
 その友人も祐三と同じ落ちこぼれ組で、暇さえあれば渓流魚などを追っている。むしろ、そのために取材と称して温泉めぐりの仕事などをつくっているらしい。当然、竿を持ってだが。
「こいつは、天然鮎がって意味だろ? 関東近辺なんざあ、遡上鮎も天然イワナもとっくに消えてて記事にもならんぞ」
「中の記事を読んでみい」
「なんだ、この白抜きは。時期まで予測してやがる」
 サブタイトルが小さく「二〇五〇年に!」と、なっている。
「いいなあ、四万十川は、あと五十一年も天然鮎か?」
「違う。川が干上がって鮎どころじゃないちゅう記事やろ?」
 友人が記事に真剣に目を通し始めた。
 この記事は、環境問題で共同研究をしていた科学技術庁とオ−ストラリア科学研究所の研究グル−プがコンピュ−タ−シュミレ−ションでまとめた結果だという。
 大気中の二酸化炭素濃度が約二倍に増加し地球の表層温度が変わり、日本の平均気温も三度上昇、今まで数百年に一度もなかったような暑い夏がおとずれ、極端な大雨や干ばつが日本列島をおおい、東北から北海道にかけては多雨で洪水、西の九州・四国は日照りが続き、清流四万十川の水も干上がり、鮎の住めない川になる、と書かれている。
 友人がまた笑った。
「それまでにな。地球温暖化のおかげで南極、北極、アルプス、ヒマラヤの万年氷や万年雪が溶けだして、海面の水位の上昇でな、満潮時には川が逆流し、四万十川上流でアジやサバが入れ食いで釣れるようになるぞ」
「アホいうな、塩害で農作物までダメになる」
「塩害がイヤなら河口堰しかないな」
「長良川で懲りとるから、あかん」
「四万十川はどうなってるんだ?」
「なんがね?」
「川の管理状況だよ」
「四万十川は、流れをスム−ズにするためにしょっちゅう川底を掘り下げとるんだが、採石工事に便乗して四万十の川石が売られとる、それがまた、いい値になるけん河原が掘られて下の砂が出てきよる」
「行政で制御できんのか。禁止させるとか」
「必要外は掘らせんようにはなっとるが、四万十の川石で味をしめた業者は山に目えつけて持ち主と交渉して、山を掘って採石するようになり木もずいぶんと倒されちょる」
「山とどう関係があるんだ?」
「山石を掘る工事が、赤土や土砂を雨水に乗せて運び込むためにな、川に自浄作用がきかなくて、川は濁ってくるし、投網の底金に泥が付くようになったと漁師までボヤいとる。石がドロをかぶるけん、いいアカもつかん。遡上鮎など減るだけや」
「いよいよ四万十川も放流か?」
「それが、あかんのや。苦肉の策で試みた湖産鮎の放流もな、天然と比べて産卵が一カ月も早いけん、漁協でも禁漁時期でもめて大きな騒ぎだったと。それも、川漁師の考えもおよばんような流れのゆるい川底で産むとかで、生態系に狂いが出てマイナス要因の方が多い。で、失敗に終わってしもうた」
「四万十川流域に住む川漁師は、昔から鮎専業で食えたって話を聞くぞ」
「ほんまに昔は、鮎で生計を立てよったと。農家の副業でも川漁を許されると米の二倍、養蚕の盛んなころは、おかいこさんと鮎は収入が同じだったそうや」
「あとは?」
「四万十川でとれるウナギもよう知られるちょるが、鮎の収益からみると一割りにもならん。イダ……関東でいうウグイのことだが、これも鯉と同じでなんぼにもならんと」
「いかに、鮎への依存度が高いかってことだな?」
「まあ、生活がかかってるだけ地元の人の鮎への思いは、ワシら鮎掛けだけを楽しんでるヨソ者にはわからん世界よ。利権をめぐる身内同士の争いなども、つい最近までぎょうさんあったらしい」
「今は?」
「最近、どこでも漁業組合や漁師の間がおだやかなのは、漁獲高が少のうて鮎の専業では生活が成り立たんからやろな」
「でもな、まだ、四万十川は鮎の宝庫というイメ−ジになってるし、日本一の清流には間違いないんだろ?」
「今はまだ、鮎は遡上してるでな」
「ま、これから将来は四万十川で生き残るのは、砂利とり業者か、川鵜か、護岸工事業者かカヌ−業者だろうな、川魚はナマズなんか増えてちゃお終いだ。天然鮎はもう十年ってとこか?」
「お、時間だ。ワシも今日の話がきっかけで、川浮気やめて四万十川の鮎に凝ってみることにするわ」
「川で溺れるなんてなしだぞ」
「アホらしい」
 ここで、祐三は立ち上がり、握手をして友人を見送った。
「香りのいい四万十の天然鮎をク−ルで送るからな」
 と、一言添えて。

二 祐三の思い出
 

中学を卒業する直前の春たけなわの頃だったか。家の用で高知からJR土讃線で窪川まで,窪川から中村に向かって乗り継いだ二輌編成の土佐くろしお鉄道はガラ空きで、少し開けた窓から流れ込むさわやかな海風に座席に座って身を任せていると、ついウトウトと眠りに誘われる平和でおだやかな午後だった。
 風に吹かれてか丸い綿ボコリ様のゴミが車内のあちこちに、まるで生きている喜びを全身で表現し踊っているかのようにウロウロと揺れ動いていた。
 井ノ岬が記憶にあるから有井川の駅だったか、ドア−が開いて何人かの出入りがあり、風が吹き込むと、その大きなゴミが祐三の足元に転がって来た。
 なに気なく踏むと、グシャッと思いもよらぬ妙な感触があり、驚いて足を上げてみると灰色に縞のある大型のクモが緑がかった体液を流して無惨に潰れていた。
 見ると、靴の底にもベッタリとうす気味わるい頭の残骸の一部がへばり付いていて恨みをこめた片側の目が祐三を睨んだ。
 靴の底を床にこすりつけてみたが除去できない。
 ティッシュペ−パ−を探したがあいにく、持ち合わせがない。
 ハンカチで拭き取ったらヌルッとしたワタがはみ出して指先に付着し、拭ったが異様な臭気が手に残った。中村の駅に着いてすぐ洗面所でハンカチを捨て手を洗い、よれよれの制服で拭いてみたが臭いは消えない。
 家に帰って靴を洗ったがその靴を履くたびにあの忌まわしい感触がよみがえる。靴を廃棄して、いくらかは気が楽になったが、そいつは恐ろしいほど執念深く祐三にまとわりつき、あの目が折りに触れてあの日を思い出させて殺戮者を呪う。
 滝川祐三は、その日から生き物の生死について、異常なほど関心をもつようになり、殺生を避けるようになった。
 それが、いつその呪縛から解かれたのか、大阪の大学を出て高知市役所に勤めてから、渓流釣りの魅力にとりつかれて山歩きをするようになった。
 ある初夏、長だるの滝で知られる不入(いらず)渓谷にアメゴ(アマゴ)釣りに入り、大淵を通過するのにヤブコギの労を惜しみ水際の岩場をヘズろうとした時、対岸の崖上から熊が覗いているのに気づき仰天して足川の冷たい流れに転落、足を捻挫、あばら骨にひびを入れたことがきっかけで山釣りを断念した。
 その後、転職して長期の夏休みがとれるようになった今は、鮎に狂って四万十川通いなどにうつつを抜かしている。

 

三 源ジイと健次

 四万十川中流の十和村(とおわそん)の山辺に棲み、齢(よわい)九十を超え歩行もままならぬ源ジイは、ボロをまとい長い白カシの杖を頼りに川辺に来ては広瀬部落対岸の川原の石に腰をおろして一日中飽くことなく流れる水を眺めている。
 哀れんだ村人が食べ物を与えたりするのを目にして、子供たちまでがオコモジジイなどとからかったりする。
 どの家でも、以前は親子で同じような会話をした。それが躾けの一つだからだ。
「あの源ジイには、近寄ったらいかん」
「なせ?」
「本当は、このムラの人じゃないけ。人殺しかも知れんし」
「ほんなら、なんせ人殺しが村におるが?」
「例えばの話じゃけん、人にいうたらいかん。ええな」
「仕方のうて、人殺しのヨソモンおいとくがか?」
「知らん。とにかく近寄ったらいかん」
 だが、親の説教など聞く子供などいない。
 なにしろ源ジイは、雨の日でも蓑(みの)を身にまとって四万十川の川辺をぶらついて日がな一日流れを眺めて暮らしているだけに、子供にとっても、元気なころの源ジイは恰好の遊び相手だった。
 親たちも子供のころは川辺で飽きるほど源ジイと遊んでいるから強くは言えない。
 源ジイは、子供たちに身ぶり手ぶりで鮎掛けのコツを教えていたりしていた。
 この好々爺の源ジイが人殺しなどとは……、ヨソものだから中傷されるのか。
 十和村に二つあるJR予土線の駅の一つである、西側の十川(とおかわ)駅から国道を横切って、歩いて二分ほどの川側にロマンスという昼間はレストラン、夜はスナックという店がある。
 店主の中岡繁夫が、十年ほど前に同じ県内の高岡郡窪川町から移住して新築開店して三年ほどの間は、いつ店を畳んで夜逃げするかという地元の賭けがあったと聞く。
 ところが、夏になると、四万十川中流域の十和村の川辺には鮎釣り、キャンプ、バ−ベキュ−、カヌ−下りと県外からも大勢の観光客が訪れ、ロマンスは大繁盛、倒産側に賭けた村人は不機嫌な顔つきで勝ち組を連れて来店し、このあたりでは珍しいステ−キなどをタカられたりしている。
 その話を聞いて気の毒に思った中岡がビ−ルをオゴるから、それが評判になって双方が常連になり、オフ・シ−ズンは地元客が利用することになる。
 今では、この周辺に珍しく味のよい洋食の店ということもあって、すぐ近くの役場やJAの職員が接客に使ったり、村人の家族連れや若者たちの溜まり場になっていて業績も安定、すっかり地元にとけ込んでいた。
 ただし、店員といっても地元の若奥さんが一人パ−トで通うだけの店だけに、売り上げもたかが知れてる。自立して自前の店を持つまでに飽きるほど遊びに明け暮れたことがある中岡だけに、今は、駐車場を隔てて隣接する十川唯一のパチンコ屋にたまに行って暇つぶしをする程度で、お客と接して美味しい料理をつくることに生き
甲斐を見いだしているかのようでもあった。
 店に寄る客で、たまたま広瀬の川原で源ジイを見かけた釣り人が、不思議なものでも見たかのように必ずといっていいほど中岡に問いかけてくる。
 さりとて、十年ではまだヨソ者扱いという土地柄だけに知ったかぶりをするのも得策ではないから、吉岡は、村人が店に居合わせたりすると、さり気なく話題をそちらに振ることにしていた。
 その日は、四万十川常連で吉岡の店にもちょくちょく顔を出す祐三が帰路、友人と立ち寄り、ビ−ルでカキフライをつまみながら、その源ジイを話題にした。
「マスタ−、広瀬の保喜の瀬で友を引いとったらな、例のジイさん、今年も川原の石に座っとる。で、話しかけたんや。したらな、ジ−ッと川を見とるだけでなんも返事せん。口も耳ももうろくしてダメんなっとるんかのう?」
 居合わせた広瀬地区の、三十五を過ぎてもまだ嫁に恵まれないことを幸いに鮎に凝っていると自称する野上健次という男が、吉岡と祐三を交互に見てビ−ルを一口飲んでから言葉を引き取った。
「源ジイは昔は鮎掛けの名人じゃった……。ワシらもよう教えてもろたもんじゃ」
「何回も話しかけたがあかんかった」
「源ジイは耳が遠い上に、昔の事も覚えちょらんらしい」
「前には、たしか広瀬遺跡の前の掘っ建て小屋におったね?」
「ヨソ者がうるさいけ、山に入ってしもうた」
「なんで、源ジイって呼ぶんかの?」
「一人でさまよいよった源ジイを村の開拓団が拾って終戦後満州から連れて帰国した。ワシのオヤジの話だと、背負ってたハイノウのカバ−に源という字が書かれちょったがと。ほんで源ジイながよ」
「結局、ここに居すわった?」
「改めて住民登録するのもしんきなし、死んだ人の名前を借りちょうままにしちょるらしいけんど。うちのオヤジも、源ジイが話さなくてもかまんけ、一ぺんだけでも寄り合いに出てくれりゃ、ウチラ−(村人の資格)にして、みんなに面倒みてもらえるにと、よういいようけんど、夕方になると川原に出てって源ジイに食べ物を渡しよう、しょうもないことじゃ。ま、源ジイのことは気にするな」
 本業が鮎漁師だという健次は、鮎のシ−ズンが終わると地元の建設会社で働き、シ−ズン中でも天候その他の条件で川に出ない日は作業現場に出るという。
祐三は、軽い食事をし終わると、友人と車で夕闇の国道に出た。
 源ジイについては誰もあまり話したくない、ということだけが分かった。

 

四 四万十川の鮎漁

川漁師や釣り人の姿が消える夕闇の頃、鵜の大群が幾組となく四万十川の下流から現れリ−ダ−の合図に従って、川面に群れ一斉に瀬にもぐり、つぎつぎに餌をのみ込み、水面からほんの少し飛び立ちつぎの漁場に降り立ち、右から左、また右へとジグザグに同じ作業をいくたびとなく繰り返し、瀬音に勝るその羽音は遠くまで響き、いまや四万十川の風物詩ともなっている。
 その群れ鵜の川魚狩りは、見事なほど統率のとれた漁法で、暴風雨や濁流時などよほどの事がないかぎり毎夕、四季に関係なく彼らの胃袋が満たされるまで続けられ、鮎の季節にはオイカワやハエなどには見向きもせずひたすら鮎を追う。
 夕空を黒くおおうほどの数で来襲するその川鵜が、数千であるのか数万羽なのか誰も数えることはできない。
 以前は、この鵜を用いた鵜飼漁が十和村でも行われたこともあったが、月のない夜だけしか漁果のない鵜飼漁は、火ぶり漁に駆逐され、衰退して消え去った。
 そして今、川漁師の仕事は個人から集団へと様変わりしつつあり、従来の網を大きくし共同で作業する火ぶり漁が盛んになって、四万十川の名物ともなっている。
 と、なれば川に遊ぶ鮎には昼も夜も逃げ場がない。
 昼間は、八月十五日からの二カ月間の夜明けから日暮れまで、十人から三十人におよぶ漁師の共同作業で行われる瀬張り漁は、しめ縄漁ともいわれ川の横一列にL字型に杭を打ち込み、それぞれが自分の舟に仁王立ちになり網を構え、杭に沿ってL字内に溜まった鮎を目掛けて袋網を投げるという漁法で十月十五日まで一網打尽、一尾も逃さじとばかりに一人一日五百から六百尾を獲る。
 夜は松明をランプに替えた数隻が集団で、皓々と川底を照らす光で眠りにつこうとする鮎をたたき起こして脅し、張り網に追い込む火ぶり漁が逃げまどう鮎の群れをを追う。
 集団作業による成果は上がり、逃げ延びた鮎もまた明日には追われる。
 生き延びた鮎は、禁漁期を迎えてようやく産卵のための作業に移り目指す川底に子孫を残すと、思い残すことなく川を下るが十一月十六日の再解禁からは投網、四つ手、刺し網、張り網、コロガシ(引っかけ)、モリ突きなどで、ここまで生き永らえた鮎もついに命運が尽きてゆく。
 その上、落ちて行く鮎にとって逃れようのない梁(やな)があちこちで待ち構えている。こうして清流四万十川の恵みは無限に人々をうるおして来た。
 しかし、村の長老は絶望的な口調で清流の行く末をなげく。
 友釣り専門の川漁師も何人かはいるが、もはや竿釣りでの鮎掛けだけでは生計が成り立たないという。

 

五 イノコの瀬

 四万十川流域で底石がもっとも黒光りしていいコケが付きそうなのは河口から六十キロ以遠、下流域では玉石だったこの川も他の河川同様、上流にに上るにつれて石は大きくなり、六十から九十キロまでの中流域をもつ十和村あたりになると、大石がゴロゴロしていて一つの石の四方八方に縄張り鮎が共存して、ギラギラとヒラを打ってコケを食むのを見かけることも珍しくない。
 平地を流れる濁り川で、自己満足の鮎掛けをしていた都会の釣り人を四万十川や仁淀川などの清流に連れて来て竿を出させ友鮎を泳がせると、まるで勝手が違うので面食らってしまう。
 よほど人間の出来た人以外は、例え釣果は上がっても鮎掛けを堪能する前にショックでイライラし、精神的にも肉体的にもストレスがたまるのは間違いない。
 理由は簡単、水の透明度が高すぎるのだ。
 鋭い下歯で岩ゴケを削る鮎独特の食み跡が、幾重にも笹の葉を重ねたようにくっきりと波間から見え、岩回りを占有する一番鮎、すぐ近くを遊泳し時々縄張りを侵してアカを掠め取り追われて逃げる二番鮎、その周囲をコソコソ遊泳する三番鮎、うろうろ餌場を求めてさまよう群れ鮎とすべてが一望の下、丸見えだからよほど位置を考えないと、鮎から見ても釣り人が目の前にのいることになる。
 休ませる間もなく沖に出てゆくオトリ鮎を、縄張り鮎に自然に接近するように水中糸に負荷をかけて下流から上らせ、釣り人は出来るだけ離れて竿を立て目印を睨んで当たりを待つ。だが、すぐ焦りが出てイライラする。なにしろ相手が見えすぎるるのだ。
 ここの鮎は湖産の放流じゃないから追いは遅い、と、自分に何度も言い聞かせるが、我慢出来なくなる。せっかく離れた位置から竿を立て、泳がせていた鮎に自分から近づき糸を張って鼻先を引きずり操作したい誘惑にかられる。
 ここで、精神的に負けてしまうと立ち直れない。
 祐三も、同じ間違いを繰り返した時期がある。
 岩つき鮎は、自分の縄張り一メ−トル内に入り込んだ侵入者を歯を剥き出し体当たりして追い出し餌場を死守する。
 この日は、早朝から広瀬にある十和村清掃センタ−下、茶園のビニ−ルハウスが畑に並ぶのを目の前にするイノコの早瀬に入って友釣りを始めた。
 教員という職業にある祐三としては、理路整然と理屈通りに竿も仕掛けもまずまず、服装までもきめて、養殖とはいえ黒っぽいメスで活性のいいオトリを縄張り内に泳がせたはずなのに、と、気になって覗きに行くと、数尾の仲間と仲良く遊んでいたりする。
 それでも、水温が上昇した十時頃にはいくつかカタを見て、オトリが二回ほど天然鮎に替わっていた。
 そんなとき、祐三に背後から挨拶をして下流の荒瀬の落ち込みに入った男が、オトリを泳がせて二分もしない内にいきなり竿を立て、ゆっくりと浮かせて低い空中輸送で手網に受けた。
 掛かり鮎が大きいとみると無理せず自分も下がり引き寄せる。
 気負った風もないし、とくにかっこいい訳でもない。
 その後も、一定の間隔でロ−テ−ションを繰り返すから、オトリが泳ぎ、追いもよく、たちまち十かそこらの鮎を掛け、オトリを傷めたくないのか引き舟から生け簀缶に移し換えるために竿を肩に腰を落とした。
 祐三もオトリを手元に戻し、弱らないように水をいれた竹筒に鼻環を付けたまま逆さに入れ、九・五メ−トルの竿をかついで男に近寄り声をかけた。
「あんた、よう掛けなさるなあ?」
「そっちは、どうや?」
「二つしか掛けとらん」
「あんたが竿を出しちょったあたりの石に付いちょうヤツは、警戒心が強いけ、よう掛からんと思うがね。
 無理に泳がせんとナマリかまして、ガンガン荒瀬の新アカが付いちょう石の裏狙うたらどうじゃお。一つところで三つ四つは間違いのう掛かるじゃろ」
 これが、祐三と健次の出会いだった。
 祐三は、この辺りの底石を熟知している健次を見よう見まねで真似て、それからボチボチと鮎を掛けた。
 その二人を、対岸の河原の石に腰掛けて源ジイが見ていた。
 さすがの源ジイも、寄る年波には勝てないのか川原には現れるが竿を出すことがなくなった。それでも、川魚を食する習慣は変わらない。自分の食べる分だけは確保する。
 夕闇が迫り、川から祐三と健次が消えるのを見計らって源ジイは、懐中から出した仕掛け巻きの手元を、手にした杖替わりの白カシの長い棒の先端の溝に輪にして締め、糸を出す。
 棒の先よりかなり長い糸の先にくびれた石重りをくくり付け、十センチ上あたりに十号ほどの矢島型の掛けバリを巻いてある。
 夕闇が迫ると、鮎たちは休むためにヘチに寄ってくる。これを目掛けて重り石を沈め棒をあおると、いい型の鮎がハリ掛かりして手元に寄って来る。鮮度を保つために首を噛み即死させ、用意した手編みの縄を口からエラに通して腰ひもにぶら下げると、キツネよけのつぶて用に小石をいくつか持ち山路をとぼとぼと帰ってゆく。
 雪の間からニワトコの花などが姿を現す初春から紅葉までの一年の大半を広瀬地区の川で過ごす源ジイは、川石の一つでもあるかのように四万十川の景色に溶け込んでいた。さりとて、竿を出すでもなく川を眺め、釣り人の姿を見つめている。
 以前、山に入る前のことだが、町役場で人口動態調査があって遺跡近くの源ジイの住む広瀬の小屋を訪れた課長が、ボロボロの書物と赤い布を見たという話に尾ひれがついて、平家一門の戦史に触れた古文書と平家の赤い旗印ということに変化して、何の変哲もない口と耳の不自由なただの年寄りの源ジイが、源の名には不似合いな平家の落人の子孫と噂されたこともある。
 寿永四年、壇の浦に破れた平家一門の落人が安徳帝を奉じて山越えをしたが、安徳帝が崩御されてからは川沿いに逃げ、山深い四万十の奥に身を潜め再興の時を待ったとか。
 源ジイの姿を四手城跡裏の平家住居跡で見かけた人の話だと、口がきけないはずの源ジイが一心不乱に経を唱えていたとか。その真偽のほども誰も知らない。
 大きく蛇行する川沿いの道路を大幅にカットすべく十和村地区には東から浦越、津賀、三島、十和トンネルと次々に国道三八一号線の直線化が進められ今成地区のトンネルが完成してからは、鮎の季節を除いて広瀬の部落は陸の孤島になる。
 秋が深まり、鮎が落ちると清流に静寂が戻る。
 源ジイは一日中、なんの変哲もなく流れる川を眺めて日が暮れると姿を消す。
 八千年の歴史を秘めて流れる四万十川が、もっとも美しい景観を見せるのは、くねくねと曲がりくねって蛇行する中流域の山峡にある、河口から六十キロほど逆上ったあたりから続く十和村(とうわそん)周辺ともいわれている。
 地球科学からみると南方からのプレ−トの圧力によって地質構造や岩質が変化し、四万十帯と呼ばれるこの流域は絶えず下刻作用で若返り変化しつつ流れを変えるという。
 この辺りの段丘には、縄文時代の遺跡があちこちで発見され話題を呼んでいる。古代からそれだけ住みやすかったのか。
 源ジイが、広瀬の遺跡近くの小屋に住んでいたとき県内の考古学者が生徒を引率して付近を散策して源ジイに出会い、思わず冗談で「縄文人が!」と叫んだ、という。
 このエピソ−ドも話題になって、源ジイの小屋も遺跡めぐりのコ−スになっていた。
 これも、源ジイが山に去った遠因の一つに違いない。

 

六 ゴヨウの岩

 滝川祐三が、高知市市民環境部の課長という役職を捨て、数年前に中途採用で、資格をもっていた中学の教員に転職したのは、「長期の夏休みがある」 それだけだった。
 夏休み前になると、彼は受け持ちの男子生徒を前に、大自然の豊かさ、川の魅力を熱っぽく語るのを日課の一つにしている。
 やがて、話が佳境に入ると教室内にクスクスと忍び笑いが広がってゆく。
 熱心な話がそろそろ鮎に到達するぞ、と互いに目配せしながらも彼らの目も輝く。飽きるほど聞かされていても教科書による授業よりは魅力があるのか。
 それでも、祐三の話が誘いになって、かなりの生徒が父や兄にせがんで家族連れで川遊びをするようになり、鮎釣りを覚えた生徒もいる。
 だからといって、同行をせがまれても祐三が生徒を川に連れて行くことはない。自分が竿を出す時間が一分でも惜しいのが一番の理由だが、他人さまの子供を川や海に連れて行って万が一の事故を考えると、その責任の重さが恐ろしくてとても連れて行く気になどなれない。
 鮎の解禁日近くなると気持ちがたかぶり、授業にも熱が入らない。自分の受け持ちのクラスの国語の時間になると自習にして、自分は「つり人」などという釣り雑誌を見ていたりする。
 各地の河川が鮎解禁で賑わう頃は、もう授業どころではない。
 風邪で欠勤した翌日、額から下と手を真っ黒に日焼けさせて登校することになる。
 待ちに待った夏休みには、川めぐりの過密スケジュ−ルが待っている。
 吉野川その他どの川へでも出掛けるが、入漁証の年券は四万十川だけにする。これで、かなりの川浮気が防げる。
 夏休みには、漁協の知人からの情報で底石へのアカの付き具合や水量など川の状況を知った上で、連日弁当持参でまじめに川通いする。だからといって特筆すべき釣果があるわけでもない。
 夏休みが終わると土佐の子供たちは、例外なく真っ黒に潮焼けして登校し、それぞれ体験した真夏の出来事や冒険を語り合う。
 中には恋愛の体験談が出てドキッとさせらりたりもする。
 祐三もあちこちの川めぐりの楽しかったこと、夏の渓流の美しさ素晴らしさを語るが、これは、あくまで伏線であって結局は鮎の話にすり変わる。
 で、話はいつも尺鮎を、弓なりの竿でためて自分から川を下って見事に手網(たも)に納めたところで終わるのだが、小学低学年ならいざ知らず中学も二年生の目はシビアだからごまかせない。毎回、同じような質問が出て同じように回答する。
「先生、その鮎が三十センチあったいう証拠はあるがね?」
 全員がニヤニヤして祐三を見つめる。
「いつでも釣れると思うちょるから、つい魚拓もとらんでな、塩焼きにして食うちまった。今度の休みの日あたりに釣ったら実物を持って来て見せたるから待つとれや」
 その当人も、二十年余の鮎釣り生活で最高が二十七センチ。前年、十和村広瀬地区の広井大橋下の藤の瀬で友を泳がせていた時、つい二十メ−トルほど下流で地元の野上が友掛けで、水中を走って苦闘の末仕留めた三十二センチの大鮎を実際に祐三がメジャ−で計って確認しているだけに、悔しまぎれの願望が言葉のはしはしに滲み出ているのは当の本人が一番よく知っている。二十七と三十二、この差は体積にするととてつもなく大きい。
「先生は、みんなに殺生を勧めとるんでも、自慢しとうて話すのと違うぞ。身も心も自然の中に入り、私たちの生命を育んでくれた地球、日本、そしてこの豊かな郷土の恵みに感謝の心をもち、子孫のためにも自然を守ることが大切だと言うとるんだ。ええな」
 ここで大義名分をいい自然保護を訴える。
 常日頃ウソはいかんと生徒たちに言いながら、かなり心にもないきれいごとを言っている。
 所詮、祐三は教職向きではない。
 彼の本音は、ただ四万十川の尺鮎を掛けたいだけで、高まいな理念など考えてもいない。
 あいにくの雨で肌寒い九月に入って新学期が始まって最初の日曜日、祐三はいつもの釣友から「岩国の錦川の鮎に」との誘いを蹴って、朝一番で通い慣れた国道三八一号を西に走っていた。
 雨足はかなり強くなりつつあったが、ここ数日の好天でアカ付きもよく、水温が上昇する十時頃から濁りさえ出なければ確実に釣果は上がる。あとは、雨が止むことを祈るばかりだ。
 右に浦越小学校開校記念碑、吉良用水路開設記念碑を、左に里川大橋、里川の沈下橋(水量多い時は水没)を見て十和村に入る。
 見慣れている四万十川の風景も、車の窓枠に納めて眺めると墨絵にも似たモノト−ンのおだやかで流麗な芸術品に化け、荒瀬に腰まで浸かった時に身震いするほどの恐怖感を生む、牙を剥いて迫るあの荒々しい激流の本性をひた隠しにして人をあざむく。
 都賀トンネルを抜け、この川に不似合いな三島の中州に立つログハウスなどを眺め、右に十和郵便局、JR土佐昭和駅、左に川原にせり出している旅荘イズミ館、昭和大橋。十和トンネルをくぐると小野大橋、国道沿い左に鯉のぼりが大きく描かれた煙突が見え、杉本建設の工事現場が道路脇に続く。
 昭和四十九年に地元の商工会の協力で、四万十川の両岸の上空を鯉のぼりの川渡しをしたことがきっかけで、十和村名物として恒例行事となっていたのを、国際交流員として十和村をおとずれていた
アメリカの青年の発案をニュ−ヨ−ク市が取り上げた。
 この七月下旬、ナイアガラ瀑布の下流六キロの地点でアメリカ領とカナダ領の両岸に二百尾の鯉のぼりを川渡しして両国の空にはためかすということで、この煙突のある会社の社長が代表となって意気揚々と乗り込んで行ったことを聞いた。
 船でロ−プを渡して対岸で引き上げれば簡単、という思惑通りにはいかなかった。
 大型の観光船がひっきりなしに通過し、レジャ−ボ−トが作業の邪魔をする。作業は難航し夜まで続いたが見通しが立たず。
 一日に始まった作業が三日目もついえた。
 見かねた地元の警察が巡視艇を、電力会社がウインチとワイヤ−を提供し、四日目にして十和村から渡った二百尾の鯉が両国領土の上空の風に乗ってへんぽんとひるがえったとか。
 この民間親善隊の世紀のイベントは大成功で、三国の国際親善に大きく貢献した、と、レストラン兼スナック「ロマンス」の中岡が、我がことのように自慢気に話したことがある。
 その店に立ち寄ってモ−ニング・コ−ヒ−でも、という願いは店主の中岡が夜強く朝に弱いタイプだけに、とても叶えられるものではない。
 駅前、十川役場前先の国道左手にある十川大橋際の真新しい建物は、最近できた三階建ての温泉会館、掘り当てた時は大ギャンブルで勝ったような騒ぎが続いていた。
 川は公民館近くから半円を描くように左に折れ、国道は川平トンネルへと直進し、川口部落の八坂神社近くから縁結びで知られる地吉の夫婦杉を右に見て川沿いに中村方面に続く。
 強い雨は止む気配もない。
 祐三は、トンネルにもぐらずに左折し、広瀬への道に入った。
 広瀬はつい最近までの長い間、戸数四十四の小さな部落だったが、今は四十九戸、一四四人を擁する勢力になり村議を出せるまでに活気を取り戻している。
 それでもまだ、鮎の川漁で栄えた戦前の活気のある広瀬とはほど遠いと聞く。
 十和村全体の人口が三千九百人余、村の中枢の十川が約五百人ということを考えると、遺跡と茶畑と焼却炉しか頭に浮かばない小さな半島のような広瀬だけが、わずかながらでも人口増加傾向にあるというのは不思議な気もする。
 だが、四万十川八景のうち、藤の瀬と長トロという二つの名所をもつことでも分かるように、その曲がりくねった地形や岸辺の樹木、キャンプに適した広い川原、岩盤・大石小石の織りなす変化に富んだ景観が人の心を引きつけるのに違いない。
 四万十川沿いの山々は、かつて、松、檜、ブナの原生林などにおおわれた豊富な木材供給地であった。それが今では伐採が進むのと比例して、植林の容易な針葉樹の林が五割を越えているという。
 他の樹木との共生をこばむ杉などの針葉樹は、落葉による堆積もなく根は水を溜めず大雨が来ると土流を支えきれない。
 以前は、山に降った雨が五、六日かけて川に落ちたのが、今ではストレ−トに流れ込む。この雨も降雨量そのままに四万十川の水量を増していた。
 雨が強くなっていた。広井小学校脇から川辺に車を進めてエンジンを停め、いつも、オトリを分けてもらう川漁師の家に寄るのをためらいつつ、ワイパ−の動きの隙間から雨にかすむ川面を見て息をのみ、目をこらした。
 水かさは目に見えて増えている。
 祐三の目は一点を見つめていた。
 広井大橋の上流、増水で川幅七十メ−トルほどに広がった流心に、土地の人がゴヨウと呼ぶ径五メ−トルほどの上部が平べったい岩盤がある。
 激流がしぶくその岩の上に、小柄な黒い人影が顔を川面に浸けた形で雨に叩かれて倒れている。

 

七 深淵の鮎

 わるい予感がした。
 土地の川漁師が無謀な川渡りをするはずがない。
 祐三は、雨具も着けずに全身ズブ濡れで川原に走った。
 窪川警察署の十川駐在所は、さほど遠くない国道沿いにあり、高畑消防組合の分遣所もその裏にある。
 車で知らせに走れば救助に時間はかからないが、もっと詳しい状況をこの目で確かめ、それから駐在所に知らせるのだ。
 水際まで出た祐三は足がすくんだ。
 はげしい雨すだれで定かではなかったが、確かに黒い人影が動いた。手に湾曲した棒を持っている。
 岩の下流で鯉かナマズかかなりの大物が跳ねた。
 雨のカ−テンとメガネが曇るという二つの要素が邪魔をして、川が視界から消えた。
 あわててメガネを拭き、目をこらすと、岩上の人影は失せていて、流れを早めた四万十川の激流がしぶくゴヨウの岩には、山の霊気を運ぶ九月の雨が冷たく降り注いでいる。
(溺れ死んだのか?)
 祐三の頭の中で、川原に打ち上げられた遊漁者の水膨れの溺死体が鮮明なイメ−ジとなって浮かんだ。
 だが、確かめねばならない。
 車に走りながら地元に住む野上健次に声を掛けよう、と気づいたのは上出来だった。
 健次の家は、八坂神社脇にあり一度、お茶に誘われて立ち寄り、尺鮎の魚拓を見せられたことがある。
 大正生まれだという健次の父親の功吉が玄関に招き入れ、あきれ顔で、以前、家で見かけたことのある祐三を見た。
「この大雨に鮎かの? 健次は、漁は無理じゃけんいうて仕事場に行った……」
「ゴヨウの岩に人が倒れとったです?」
「人が? カラスか川鵜の間違いじゃないか?」
「人です。でも、消えてしもうて」
「消えた?」
 それまで余裕があった功吉が真剣に聞く。
「お茶でもどうかね。あら、ビショ濡れで……」
 お茶をすすめた健次の母が、あわててタオルをとりに行く。
「落ちたか、泳いだか、流れに浚われたがか?」
「それが、ほんの一瞬、雨で見えん間に……」
「なんぞ見えんかったか、手には?」
「棒みたいなもんを……」
「長い棒か? 杖のような?」
「ええ、そういえば……」
「なんだ?」
「どでかい鯉かナマズが跳ねたのが見えて……」
「しんきなことじゃ」
 功吉が顔をしかめた。
 十和村の方言で面倒くさいことになるという。
 雨衣を着て長靴を履いた功吉が、タオルを持って出てきた妻に言い添えた。
「健次に電話して、駐在さんと井崎側の下の川べりへすぐ来るよう
に言うちょってな」
 車に乗ると、腕組みをした功吉が指示した。
「大橋を渡って下津材の瀬まで急いでや!」
「なせ?」
「その先のジロウブチの深ンドまで流されるとると助からん」
「だれが?」
「多分、源ジイがカッタクリで二年ものの鮎を掛けたがじゃろ」
「二年もの? 越冬鮎を?」
「オオラの上のケンロクの淵を知っちょうか?」
「大岩だらけの底は七メ−トルの深さだと聞いとりますが」
「そのケンロクの上流の川底にあったかい湧き水が出る」
「その先で温泉が出たによってあり得るですが、餌のコケは?」
「あんた、セイランを知っちょうかね?」
「食べたことはないですが、ゆす原などで採れる川海苔とか?」
「セイランは苔のある暗い山蔭の急流の岩しか付かんが、あれに似たノロがケンロクの底石に付き、そいつも食むが、そのノロのまわりに集まるハエやオイカワを食うて二年もの鮎は生きのびる。
 夏から秋にかけてはそいつらはケンロクとゴロウの岩の下の大石の蔭に隠れて漁師の手から身を守る」
「舟からの友釣りも、岩の下では難しいですな?」
「源ジイは、顔を水ん中に入れて底をのぞきいつもの三メ−トル棒の先に長い糸を張って、増水で出て来たのを待ち伏せて引っかけたがじゃろ」
「でも、越冬ものじゃあ黒くサビてガリガリで?」
「ところがな、ここの淵の二年ものになるようなヤツは、ずる賢いから産卵や授精行為をさぼって老化を防いじょる、図体のわりに動きが早いけ、なかなか捕まらん」
「それを?」
「老衰死の近いのを知った源ジイは、年々汚れが進みいつか滅びるこの四万十の鮎も今年がピ−クなのを知って、漁師仲間の間でヌシといわれるケンロクの大鮎を自分の手で上げるためじいっとこの時期を狙いよったがじゃろ」
「実際、そんなのおるですか?」
「おるとも。みんな一度や二度はメガネで見ちょう。けんど、掛けようとしても岩陰に潜られるとどうにもならん。素もぐりでは深すぎるしな」
「当年鮎でも最高は三十三とか、二年となると? まさか三年なんていないはず……」
 功吉が指をさした。
「ほら、あそこじゃ。源ジイが浮き石にしがみついて!」
 堤防道に車を停める。
「ロ−プあるか?」
「牽引用のロ−プなら」
 功吉が土手下近くまで、ヒタヒタと寄せて流れる川原の石を伝わり七十半ばとは思えない身軽さで水際に走り、祐三を待った。
 祐三は、雨着を脱ぎ捨て六メ−トルほどのロ−プの端を二メ−トルほど残して腰に巻き、功吉に長い方のロ−プを手渡した。
「わしが行く……」
「ダメです。オレが行きますから、届くところまで来て下さい」
 深さは腰までだが水流を強めた荒瀬は、祐三の進入を阻んで足元を崩す。
 二度ほど転んだが体勢を立て直し、ようやく源ジイのしがみついている岩まで辿りつくと、源ジイが祐三を見て、必死に身体でだき抱えていた棒を目で示した。
 源ジイが日頃持ち歩いてる長い白カシの棒の先端が、異様に上流に弓なりに曲がって流れに逆らって揺れ、鯉釣り用の四号クラスのテグスがピ−ンと張っている。
 祐三が、ロ−プで源ジイの身体を確保しようとすると、首を振って拒絶した源ジイが訴えるような目で祐三を見て、直径二・五センチぐらいの白カシの棒を手渡そうとする。祐三があわてて棒を手にすると、思いもしなかった衝撃が祐三を襲った。
 祐三の足がぐらつき前のめりに流れに倒れ込んだ。
 一瞬、「頼むぞ!」と、でもいうように源ジイが祐三に片手を振り、流れに呑まれるのが見え、その後をロ−プを放した功吉が追って泳いだ。このままでは二人とも溺れ死ぬ。
 だが、それを見た祐三にも余裕がない。
 源ジイが岩にしがみついていたのは、流されまいとしていたのではなく、水中に没して姿を現さない、このすさまじい獲物と力くらべで抵抗していたのだ。
 祐三は、源ジイのためにも、この獲物を釣り上げねば、と思った。水を呑みながらも冷静に流れと平行に立ち、水の抵抗を少なくしてから、しっかりと岩と岩の間に足を入れ足場を固め、自信をもって湾曲する棒を立てた。
 恐怖心はない。最近、水質の低下のためか急激に増えた大ナマズでも、鯉でも、たかが川魚、恐れる理由などさらさらない。
 祐三は、上半身を反らせて思いっ切り棒をあおった。
 これが敗因になる。
 力負けした相手が戦略を変えて下流に反転したのだ。
 ふっと力が抜け、反動で祐三の身体は下流に仰向けに叩きつけられ勢いよく流れに乗った。
 顔の上にゆらゆらと同じ速度の流れがある。体勢を立て直そうとして立ってはみたが足は虚しく水をかいた。深瀬に落ちたのだ。思わず手を放すと、源ジイの杖代わりの棒は自由を得て流れに乗り獲物と共に流れた。
 いずれは下流のどこかで棒をつかまれ捕獲される。
 その祐三の判断は甘かった。
 腹部にボクサ−の強烈なフックを浴びたか、流木に激突したかのような強い衝撃があり、一瞬、息がつまって口を開きしたたかに水を飲んだ。
 獲物は、二度三度と間をおかずに襲ってくる。
 祐三は、手足をバタつかせながら水中を見つめ、上流に黒い影を見て驚がくのあまりまた水を飲んだ。
 そいつは三白眼の目で下から祐三を睨み、掴みかかった手を逃れるでもなく自分からすり寄り祐三の手が触れた瞬間、くすんではいたが胸ビレ近くに金色の二重追い星を誇らかにきらめかせて鮎であることを証明し、反転して上流に去った。
 触れたときの感触から推測して、絶対に四十以下ということはない。祐三の身体中に、始めて恐怖が走った。それに痛い。
 左の手の平を大鮎の残した鋭い掛けバリが貫き、激流を流れる棒が強い力で祐三を引く。
 手のひらから、身体中に伝わる激痛に耐えかねて悲鳴を上げる祐三の、開いた口に容赦なく四万十川の水が流れ込む。
 祐三は遠のく意識の中で、遠い日のクモの目と巨大な鮎の目が重なって、恨みと哀れみの目で睨み続けるのを感じていた……。

 

八 キズの痛み

 十和村は朝から大変な騒ぎになっていた。
 母親から、父と祐三がゴロウの岩から落ちた源ジイらしい人を救出に行ったとの連絡を受け、製材所の作業場から駐在所に直行した健次は、加賀という巡査を車に乗せて川に向かい、大橋を渡って土手道を下流に急いだ。
 ゴロウの岩からだと橋をくぐりハコダイを抜け下津材の瀬に流れ着く。
 問題は、父と滝川がそこで源ジイを引き上げているかどうかだ。
万が一、そこで助け損ねると川幅が狭まり段々瀬が流れを早め、かなりの泳ぎ手でも水流に呑まれて危険な状態になる。
 しかも、その先には深いジロウブチが罠を仕掛けて待っていて、増水時にここで沈むと川底の流れの渦に死体が巻き込まれて浮いてこない。
 その健次の心配は、父親に関しては杞憂に終わった。
 健次と巡査が探した井崎側の下流ではなく、なぜか広瀬側の、大橋からさほど遠くない太子堂下ハコダイの瀬脇の水際に息も絶え絶えに横たわっていた。
 まるで、わざわざ発見されやすい場所を探して倒れているかのようだが、川を横切り遡行する体力があったのが謎めいている。 他人の祐三のことなど頭になく、夫だけが心配で広瀬側の土手道を下流に向かって駆けた健次の母が、瀕死で倒れている夫を死の寸前で発見できたのは、正しく天の恵みだった。
 土手上の炭小屋にいた、夫と同じ漁仲間に手伝ってもらい、水を吐かせ、すぐ車で役場に近い北幡十和病院に担ぎ込んだことで一命をとりとめた。この病院の下の瀬を心ない人はヤブシタという。
 夫の功吉は、口をきく段階にはない。その妻は、もはや他の人のことなど眼中になく、ひたすら夫と息子のことだけを案じた。
「健次はどうなったでしょうか?」
 事情を聞いた医師から、消防関係、青年団に連絡がとぶ。
 駐在の奥さんは、夫が「ちょっと川へ行ってくる」と、言い残しただけだから気にもしなかった件が、問い合わせの電話が殺到し対応に追われるなど大げさになって、いても立ってもいられない。ついに焦燥に駆られてか自転車に乗って川に走る。
 その背を鳴り響く電話のベルが追う。
 平和な十和村内全域に、水難事故の噂は密集した家々の風下に火が燃えるような勢いで広まり、暇人は川原に走った。
 流れに呑まれた祐三は、健次が心配して巡査に告げた通り荒瀬を落ちジロウブチに沈んで、ゆっくりと川底の岩間を流れ落ちる。
 その姿は、すぐ川沿いに目をこらした健次の目に止まった。
 この辺りは、かなりの増水があっても濁りが少なく、祐三のクリ−ム色がかった服装が黒い底石とすぐ判別できたことも発見を早める要因となっていた。
 棒の手元が水面に浮き沈みしているのは、深みに沈んでいる祐三の手から伸びている釣り糸がかなり長いということにもなる。
 職務上の見栄を張って制服を脱ぎはじめた駐在の巡査を押し止めて、健次は靴だけ脱いで、一瞬のためらいもなく川に身を入れ抜き手を切って棒をつかみ、力まかせに引きながら下流の岸に寄ろうとする。だが、流勢に押されてままならない。
 しかも、底から浮上した祐三の身体は、ゆっくりと流れに乗り健次を引きずって下流にと加速して流れ、ゲンゴ、ネジの瀬を抜け通称カネオトシまで落ちた。
 それに合わせて駐在さんも、必死で水際の石の上を走る。
「人が溺れとるぞう!」
 河畔に立つ二階建て白壁づくりの柳瀬温泉ホテルの二階から白衣を着た女性が大声で叫んだ。
 ようやく、健次の足が早瀬の底石にガッチリと噛んだ。
 そこで、大鯉でも上げるように力をこめて棒を立てると、祐三の手のひらの肉が切れたのか、ハリが祐三から離れて飛び、糸の先に固定してあった重りの石が勢いづいて健次の眉間に激突し、ハリが鼻に刺さった。祐三は流れ去る。
 痛さに耐えかねて、健次は仰向けに無様な姿で水中に倒れたが、その衝撃で鼻が切れ肉がとびハリが外れて棒も流れた。
 健次は鼻からしたたり落ちる雨と血を、手で拭いながら岸辺に向かってよろめき歩き、オトリを追ってハリ掛かりしたときの鮎の痛さを思い、岸に上がって石の上に腰から崩れ落ちた。
 流された白カシの棒は、まるで吸い寄せられるように辺地に寄る祐三の身体にまとわりつき、腰のロ−プと釣り糸がからみつく。
 祐三は、目の前のゆるい流れに少しだけ入った駐在の加賀巡査によって、腰に巻いたロ−プの端をつかまれ、水をかぶって揺れながら、さほどの力も使わずに水際に引き寄せられた。
 このシ−ンだけが、駆け寄りつつある人達の目に止まった。
 温泉ホテルの方角から白衣を着た女性をまじえて五、六人の男女が走って来る。
広瀬側からは、消防の救急車や役所の公用車、野次馬の車、自転車、バイクなどが連なって広井大橋を渡るのが見える。
 川岸では、大石に腰を落として荒い息を吐く駐在の巡査が称賛され、全身ずぶ濡れで鼻から血を流して河原にへたりこんだ健次は無視されている。
「駐在さんが、溺れた男を引き上げたぞ」
 その駐在の巡査に、自転車で駆けつけた妻が抱きつき周囲の拍手を浴びた。
 河原に寝かせた祐三の手首を、白衣を着たポッチャリ顔色白の美形の三十女性が握り、胸に耳をあてて、周囲の目にうなずく。
「生きちょうか?」
「まだ脈がある」
 祐三の胃のあたりに、腰を落とした白衣の女性が折った片膝に乗せ、膝を折って上から背を押すと、音を立てて水が流れ出た。
 周囲の男に手伝わせて地面に仰向けに寝かせ、すかさず口と口を合わせ息を送り、力をこめて胸を押し続ける。
 人垣がふくれ上がる。
 ようやく現場に到着してこの情景を見守る救急隊員から不謹慎なささやきも出る。
「あの野郎、いい思いして」
「溺れたのが女ならワシが代わっちゃるに」
「見かけない医者じゃね?」
「あの病院に入った新顔のナ−スか?」
「違う。柳瀬温泉ホテルの専属健康指導員のねえちゃんよ」
「なんじゃそれ?」
「健康マッサ−ジじゃ」
「いかん。病院に運ぼう」
 救急隊がタンカに祐三を乗せて持ち上げ、車に運んだ。
 多勢の人の輪から外れて座り込んでいた健次は、咳き込んで水を吐き、よろよろと数歩前に出てばったりと力尽きて倒れた。
 ようやく、気づいて駆けつけた温泉ホテルの主人らが健次を助け起こす。
「健次か? オヤジは向こう岸で救けられて病院に行っちょうけ安堵せえ」
 それでも健次は、自分のことより源ジイを気にして、下流を指さして叫ぶ。
「源ジイが……!」
 周囲がざわめき、一人の男が大声で人垣に向かって叫んだ。
「あの源ジイも流れよると!」
 健次が震えているのを見た温泉ホテルの主人が気を利かした。
「身体が冷えちょうね。湯に浸けちゃるか」
 数人の男に担がれて、柳瀬温泉の露天風呂に運ばれ,着衣もそのままに湯に浸けられたが、大きく裂けたキズから血が流れる。健次は、激痛が走るのか借りたタオルで鼻を押さえてうめいた。
 それからの十和村は数日間村中総出で、下流沿いの村々を巻き込んで源ジイ探しに明け暮れたが、いずこの深淵に沈み死んだのか、行方知れずのまま捜査は打ち切られた。
 窪川警察署の刑事が祐三の病室をおとずれ、源ジイを見たと言い張る祐三を疑い、事情聴取が行われた。
 祐三が、源ジイを殺害してどこかに埋めたと考えたらしい。
 その祐三の元には、高知から続々と同僚の教員や生徒たちの見舞いが続き、付添いに出てきている細君は夫のことより来客の対応に追われて休む間もない。
 村で信頼の厚い健次の父親の功吉も、実際に源ジイを見ていると証言した。
 だが、功吉の言葉をだれも信じようとしない。
 むしろ医師でさえ、神経に異常をきたしたとみて高知市内の病院へ転院をすすめる。
 話の内容をきくと無理もない。誰もが医師の説を支持し、妻の豊子でさえ夫の頭を心配した。
 刑事が聞いた功吉の証言を説明すると、つぎの通りである。
 力尽きて流れるかに見えた源ジイに追いつき、やっとの思いで背後から肩をつかんだが、衣類を身につけた上に何年も川泳ぎをしたことがない七十余歳の功吉の身体は、空いている片手と両足をバタつかせても水面を上下し、水を飲んでは水を吐く。
 このままでは、源ジイを助けるどころか共倒れになる。
 疲労で意識が薄れかけている功吉は、(これで終わりか……)と、覚悟をきめ、見納めにと思って目を開き「おや?」と思った。
 下流に流されていたはずの身体が雨水で速さを増した激流を逆上って広瀬側の岸に近づいて遺跡前を通過している。
 しかも、泳いでないのに身体が軽い。
 右手がなににつかまっているのか、目を見開こうとするが水しぶきで見えない、いや、目が開かない。
 野上功吉は、そこで意識が絶えていて、広瀬の岸に倒れていたという。たしか、背びれをつかんでいたとも言う。
 夢のようなこの功吉の話は、論理的にも矛盾だらけで祐三も教師の端くれ、どうしても信じられないし、つくり話にしても出来がよくない。

 
九 その後の十和村

 この事件は、当事者それぞれにプラスマイナスなにがしかのモノを残した。
 どう見てもプラスの多いのは、川漁師でもないのに漁夫の利を得た駐在所の加賀巡査だった。
 偶然、目の前にただよったロ−プをチョコッと引いただけなのに溺死寸前の滝川祐三救出の立役者として写真入りで地方紙に掲載され、人命救助により県警本部の内部表彰を受けるという名誉を得ている。その上、近い内に階級も巡査部長に上がるとか。
「本当は、私より野上健次君が……」
 これがまた、謙虚で奥ゆかしい態度となり評価を高めた。
 祐三も、きっかけが源ジイの救助にあるとの健次の母の証言で嫌疑は晴れたが、手のひらの裂傷で八針縫った後の包帯姿が痛ましい。それでも、糸が抜ければ性懲りもなく、夏休み後は他の川に行かず四万十川通いに明け暮れ、教職をおろそかにするだろう。
 あの事件で得た物といえば、源ジイ愛用の白カシの棒だが、車がワゴンタイプだから仕掛けを巻いたまま縦に納めて持ち歩いている。祐三にとっては悪夢の出来事を思い出させる棒だが、尺以上の大鮎を掛けた唯一の証(あかし)だけに手放せない。
 祐三にとって、この棒はかけがいのない宝物のように思えた。
 健次の父の功吉は死の寸前、雨の中を必死で探し出して救ってくれた妻の豊子に、これからの残された人生を通じて頭が上がらないことになる。
 この挿話が、いのちを賭けた美しい夫婦愛として十和村の歴史に刻まれるかどうかは、今のところ噂にもない。
 源ジイの過去も、功吉らの証言で少しは明らかになった。
 戦時中、満州開拓民として移住した功吉ら広瀬部落の二十一家族百九人は、満山の河内に入植、極寒と貧困の中で終戦を迎え、ソ連軍による殺戮、略奪、暴行により地獄の苦しみを味わい収容所生活の末、帰国の途についた。昼夜を分かたず襲ってくる略奪者に殺された者を含めた死亡者数は七十五、生存して帰国した者はわずか三
十五人という悲惨な結末を迎えている。
 この悲劇は、日本全国の満州開拓団すべてに共通したことで、十和村全体でも八部落五百四十一人が入植地を分け合って、互いに連絡をとりながら苦楽を共にしたが、敗戦と同時に匪賊の夜襲を受けたのを始めとして、毎日が戦いと逃亡の生活となり、殺され、自害し、病死し、十和村全体での帰郷者は、百八十一人、哀れにも三百六十人の村人が異境の土と化している。
 口も耳も不自由な身にはなっていたが、血気の多い当時の源ジイは、武装した満人の襲撃で全滅した他村の一員だったらしく、極度の緊張が続いたためか記憶も喪失し、満身創痍の状態で功吉達のところに転がりこんで来て、そのまま一緒に暮らすようになり、死亡した広瀬の村人の名を借りて帰国している。
 ただ、何度も身体を張って多くの襲撃者を倒し、老人や女性子供の命を危機から救っているという。
 しかし、村人にとっては恩人であるべき源ジイも、帰国して同じ村で暮らすとなると命の恩人と殺人者の両面をもつ源ジイは、なにか不気味な存在として疎まれるようになり、功吉だけが何かにつけて面倒を見てきた。
 源ジイの故郷は、結局、四万十川だったのか。
 その死体は岩の下なのか、夜陰にまぎれて海に落ちたのか。どこからも出なかった。
 健次は、実際に源ジイ救出に向かった父親が、周囲から大ボラ吹き扱いされたことに抵抗してか、一言も真実を語らない。
 むしろ、別件の方が有名になって、これは近郊津々浦々知らぬ者のないほどのエピソ−ドになっている。
 あの事件の日、服を着たまま柳瀬温泉の露天風呂に浸けられた健次は、なぜか警察にも相手にされないまま、温泉ホテルの好意で二階の部屋で休息させてもらっていた。
 その部屋に、祐三の命を人口呼吸で救った井坂まつ子という健康指導員の名刺をもち住み込みで健康マッサ−ジを仕事にしている女が、ホテルで緊急用に用意してある下着やホテルの社長から預かったシャツとズボン持参で入って来て、笑顔で話しかけた。
 お互いに、顔と名前ぐらいは知っている仲だ。
「あんた、広瀬の健次さんよね? あたし、あんたが川流れの死に損なった人を助けるの、見とったのよ。でも、巡査の手柄になったのに、あんた、口を出さんかった。エライ!って感心して一目惚れしちゃった。男は気っぷよ、顔じゃないわ。その鼻のキズは医者へいかなあかんが、足腰の疲れはあたしに任せてえな」
 こうして、浴衣で休んでいた健次の素肌に、まつ子の柔らかくやさしい手がのびた。
「さっき、口、吸って人助けしよったね」
「あら、あれは空気を送っただけよ」
「吹くだけいうのはバランス悪いで、ワシが吸うちゃおか?」
 ここからはオフレコで、なにがあったかは想像するしかない。
 ともあれ、唐突のように結婚話が出て三十五歳を越えて鮎一筋の独身男が、なかなかのハチキン(やり手)な女を得た。
 源ジイが川に消えたミステリアスな事件が、あだ花のような恋を生んだ。これが村長選で燃えたばかりの十和村を再び沸かせた。
 まつ子は十和村地吉の出で、地吉の旧家の新村長とは遠縁にあたる。
 十和村は、有名な明治三年の十川一揆以来の反骨精神旺盛な土地柄らしく、全国でも珍しい二度の不信任案が可決されて前村長は解任された。人柄がわるい訳ではない、土地柄なのだ。
 その前村長を、大差で破って新村長に就いた井坂富士雄が勢いよく媒酌人を買って出て、挙式は神社で挙げたが、披露宴は当然、柳瀬温泉ホテルとなる。
 村長から披露宴の司会を頼まれた、教育委員会の本山みち子女史が、健次の友人から渡された手元の資料を読んだ。
「新郎は、今回の事件で棚ボタ式に長い間夢見ていた花嫁を得ました。鮎狂いで結婚を避けてきたという噂は、真っ赤なウソです」
 健次を救って露天風呂に入れたホテルの社長が、特別料金の大盤振る舞いで貸し切りにしたため、朝から終日、祝い客が入れ代わり立ち代わり参加して飲めや歌えやのドンチャン騒ぎが続く。
 健次とまつ子の新郎新婦は、とうに安いチケットを手に入れたニュ−ジランド行きハネム−ンに高知から成田に向かっている。
 この二人の縁に深い係わり合いをもつ祐三も招待を受け、したたかに酔いつぶれ、柳瀬温泉の大部屋で予想通りのザコ寝になる。
 そして、月曜の朝を迎えた。
 二日酔いで気分は最悪、深夜から降り始めた雨が気温を下げていて、肌寒い朝だった。
 しかし、新学期でもあり、授業をサボるわけにもいかない。
 死んだマグロのように熟睡している村人の間を抜け出て、朝食もとらずに温泉ホテルを出た。
 土手道を広井大橋に向かって車を進め、雨にけぶる四万十の流れを左に見ると、あの日の出来事がほうふつとして脳裏に浮かぶ。
 源ジイがしがみついていた下津材の瀬の浮き石が、あの日同様にしぶきを浴びている。季節が秋めいて山々の木々はやや色づいてはいるが、まだ鮎は落ちきっていない。
 月曜日の早朝の河原には人影もなく、地形は変わっても縄文時代からとうとうと流れる四万十川の大河は、地元の人が恐れる暴風雨後の暴れ川の面影など知らぬ気に、ゆるやかでおだやかに、優雅で美しい沿岸の山々と村を映して流れている。
 広井大橋を渡る前に、健次の父から聞いた井崎側の橋の上流にあるケンロクの淵を見て帰ろうと思った。
 見るだけなら、さして時間もとられない。
 橋を渡らずに、そのまま直進すると川の真ん中にゴヨウの岩が雨に震え流れにしぶかれている。車を止めて傘をさし水際を覗く。
 このあたりから上流に、イシキリ、オオラ、ゴスケ、ケンロク、ウノハエ、ホキの瀬と淵や瀬が続く。
 水に触れてみると、思ったより水温が高い。
 それとも、健次の父がいうように湧き水が温かいのか。
 あるいは酔いの残った手の感覚がにぶいのか。
 包帯を巻いた左手も入れてみる。もう痛みはない。
 その時、水面の揺れでおぼろげに見える底石のあたりで幾つかの黒い石が動いた。
 目をこらす。石が川を斜行するはずがない。
 やはり、それは石ではない。大きな川魚にも見える。
 黒い影は、並んでゆっくりと下流を斜めに横切り流心の方角に向かって動いている。
 ハッとして顔を上げ、方角を確かめると、雨の中にゴヨウの岩がある。
 源ジイは、これを待ったのだ。
 とっさに祐三は、車の中に源ジイの棒仕掛けがあることに思いをめぐらせていた。いつもの鮎支度は積んでいない。
 祐三は、傘をたたみながら車に走った。
 上流から流れ泳げばさほどの苦労もなく、岸から三十メ−トルほどのゴヨウの岩にたどり着く。雨が強くなった。
 略式礼服の上着だけ脱ぎ、シャツとズボンのまま、仕掛けを巻いた源ジイの棒をかついで上流に身を入れ、平泳ぎで川を横切る。
 酔いが醒めつつあり、かなり理性が戻っている。
 うまくいけば、とんでもない獲物を仕留めることができる。
 胸が踊った。
 あれが現ジイの狙った大鮎であるならば、まさしく記録物に違いない。こうなれば源ジイがやり残した仕事、この四万十川の棒鮎にも、九州球磨川を超える大鮎が実在したという記録を未来に伝えるのだ。
 やがて、豪雨に打たれて岩にうつ伏せになり、水中に顔を入れ、川底の大鮎を見つめた姿勢で微動だにしない祐三の姿があった。
 川底でゆらゆらと遊泳する源ジイと、目と目が合っている。
 それは、睨み合いではなく、認め合う者のみに通い合う心と心の交流だったかも知れない。
 その大鮎の姿の源ジイが、胸ビレをゆっくりと振って祐三を招いている。
 共に、この清流の行く末を見守ろうというのか。あるいは、水に呑まれる人達を魔の手から救おうというのか。
 さらには、教職に飽き、鮎狂いで家庭を省みず妻子に愛想を尽かされている祐三の、行き詰まった立場を見抜いての招きなのか。
 驚愕の目で見つめる祐三は、かなり前から、自分が顔を水に浸けて不自由なく呼吸していることに気づいていない。
 遠くから村人の叫び声が、雨と川の音の合い間をついて川面を渡ってくる。
「ゴヨウの岩の上に、誰か倒れとちょうぞ!」
 そのとき、雨足が激しくなり岸に立つ村人たちの視界を奪った。
 祐三の姿がくねり、滑るように岩から落ち水中に没した。
 はげしい音を立てて叩きつける豪雨と水しぶきだけが、四万十川の清流を包む……。

 その後、祐三の姿を見たものは誰もいない。

                          終