第二章

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6、勘当‐1

 大道寺屋敷の位置を正確にいえば、大手門内というよりは三の丸御薗門内の北東にあって鬼門の守りを任されている。晴れた午後、こざっぱりと普段着に着替えた左門は父の居間で父と対座していた。二人から離れて母が静かに控えている。何の花か風にそよいで庭から甘い香りを運んでいた。
  家老であると同時に剣豪でも知られる大道寺家の当主・玄蕃直方は、梅に鶯を描き込んだ狩野派の掛け軸の掛かった床の間を背に微動もせず、左門が柳生兵介と争うに至った経緯を話すのを、おだやかな表情で脇息にもたれた楽な姿勢で一言も発せずに聞いていた。
  父は、すでに母からおおまかな内容について聞いていたらしく、左門の話し終えるのを待って小さく頷いただけでほぼ納得した様子だった。
  全てを話し終えた左門が父の言葉を待ち、しばし沈黙の刻が流れた。
  玄蕃直方は、常と変わらぬ表情で優しく左門に語りかけた。
「左門。そちの話を聞いておおかたの事情は分かった。しかし、兵介と恩田家の娘との婚約は、両家の親同士がとうの昔に決めていたと聞いておる。これは動かし難いことだ」
「それは、承知しております」
「ならば、なぜ諦めぬ?」
「無性に好きになって後先の判別が付かなくなったからです」
「そちが横恋慕などせねば、柳生・恩田両家の縁談は順調に運んでおったろうに」
「成り行きでこうなってしまったのです。それに、早苗どのは兵介との縁組を快く思っておりません。その上、子供の頃の婚約ですから本人の意思ではないと申しております」
「それは致し方ない。わが家は昔から東国の流儀に従って代々婚儀が遅く、二十歳を過ぎてからの縁談が通例になっているが、この尾張藩内では、安定して家を継ぐための子造りを奨励するために縁組の約束も極めて早く、どの家でも十歳を越すと親同士が縁組を話し合って藩に申し出る習わしになっているのじゃ」
「当人同士は関係なくですか?」
「当然じゃ。婚姻は家と家を結ぶもので子孫を残して家を守らねばならん。若いそちにとっては、恩田のご息女が一番と思えるじゃろうが、指南役の禄高五百石を加えた柳生家と祿高二百俵で馬廻組役方を勤める恩田平七郎殿の娘との縁談でも釣り合いが取れぬのに、三千五百石で城持ち家老職の当家と平武士の恩田家とでは、いささか家格が違いすぎるとは思わんか? なにせ尾張藩は、お馬廻組百五十人余の総待遇を合わせても五千石弱にしか過ぎぬ……百五十人以上の武士を集めてもだぞ」
「家格の違いと人柄のよしあしとは、何の関係もありません」
「大道寺家の始祖、玄潘政繁さまは、豊臣秀吉の小田原城攻めの合戦で前田利家の軍に破れたが、その勇猛振りに惚れた徳川家康さまが玄潘政繁の名を惜しんで自陣に招じて以来、玄潘を世襲名として徳川家に仕えた。やがて、関が原の陣、大阪の合戦を経て天下が統一され、分家となった尾張徳川家に重臣として配されて尾州に移ってわしで八代、才次郎、そちが病弱な兄に替わって家を継げば九代目になる定めじゃった。柳生家もまた我が家と同じ経過をたどり江戸から枝別れして尾張柳生となり、兵介で八代目……それが命を落とすようになればどうなるか? また、藩のご指南役をだまし討ちにしたとなるとご主君の当家に対するお咎めがどう出るか……くしくも、いま両家に危機が訪れたのじゃ」
「申し訳ありません」
「この危機を乗り越えてもな、そちが家老職を継ぐことになった折りに、当家とはまるで住む世が異なる下級武士の娘を嫁にするとなると殿が許すかどうか……」
「しかし、尾張藩には士分として最低の三十俵の禄を食む者も多勢いると聞き及びます。それからみれば、庭もない長屋住まいで町民と何ら差がない生活とはいえ、祿高二百俵で馬廻組役を勤める恩田家は立派な武士の家とは認められませぬか?」
「そちは、たかが二百俵で立派な武士と思うのか?」
「ここで働くお咲のお父上も、三百俵と聞きおよびますが?」
「たしかに、咲の父の平塚矢次郎は、御膳所御台所頭で祿高二百表に役高百表で三百俵じゃ。だが同輩の人望も厚く、当家にとっても重きを成す役割を担って貰っておる。その上、当家の内を手伝う平塚の次女の咲もすでに二十一歳、何とか嫁がせねば、父の矢次郎にも申し訳が立たん」
「縁談はあるのですか?」
「咲が子供の頃、親同士の約束で婚約した同藩内御右筆所詰の同輩の長男がおったが、元服前に胸を患って病死するという不運もあってな、いまだに行儀見習い奉公で上がったこの大道寺家に居残って、婚期を逸してしまったのじゃ」
  そう言われて改めて思い直すと、婚期を逸したとはいえ瑞々しさが匂い立つお咲は、左門にとっても、眩し過ぎるほど匂い立つ存在だった。左門は時折、咲の部屋に忍び入って若い欲望を満たしているのだが、若い早苗の蕾から花に開きつつある新鮮さとは違った成熟さを感じて好ましかった。その照れを隠すように左門は言った。
「では、わたしと恩田家の早苗どのとでは、釣り合いがとれぬから諦めろ、ということですね?」
「くどいぞ左門。この件はこれで終わりだ。城持ち家老の息子ともあろう者が若気の至りとはいえ、婚約者のいる他家の娘に億面もなく付け文を手渡したり、逢う瀬を重ねたりでは周囲に示しがつかぬ。ましてや、家老の息子という立場を利用して、相手の娘が迷惑でも強く拒絶できずにいるのも知らずに、己れの一方的な欲望をぶつけて、あたかも相思相愛のような錯覚で自己満足をしているのは、世間知らずの愚かな行状ではないのかな? その挙げ句に娘の婚約者である藩の指南役を卑劣な手段で倒すとは呆れ果てた所業……これこそ武士の風上には置けぬが、どうじゃ、反論はあるか?」
「ありません」
「ならば、これからは柳生から命を狙われるのも覚悟の上じゃな?」
「やむを得ません」
「ならば、どう身の始末をつける気じゃ?」
「自分から言わねばなりませぬか?」
  左門が微笑むと、父も口許に笑みを浮かべた。
「わしが言っても結果は同じじゃ」
「勘当ですな?」
「そうじゃ。それ以外に先祖伝来のこの大道寺家を守る手段はない。明日にも上様名代の成瀬様より何らかの沙汰があるやも知れぬ。尾張藩指南役の柳生兵介どのが一命を落とすことにでもなれば、将軍家御指南番の江戸柳生も一族の威信として黙ってはいられまい。必ずや将軍家を継いだ家斉(いえなり)様に告訴して、大権現家康様のお墨付きでが尾張に送った当家の取り潰しを謀らないとも限らんからな」
「その場合は?」
「代々、ここまで続いた大道寺家じゃが断絶となれば仕方がない。されど、殿に温情があって、そちの弟の直涼(ただすけ)に代を譲り、わしが腹を切って済むことならば、それはそれで家録は残る。目出たいことじゃ」
 左門は、顔色一つ変えずに淡々と、切腹の覚悟を告げる父の顔を直視できなかった。
  父の大道寺玄蕃直方が、おだやかに告げた。
「大道寺左門!」
「はい」
「そちを、今日限り当家から勘当する」
「かしこまりました」
  それまで、黙して成り行きを見守っていた母がいざり寄って間に入った。
「お待ちください! そこまでのご処置が必要なのでしょうか?」
  玄蕃直方が毅然とした口調で諭した。
「これが最善策じゃ。もはや口出しは無用ぞ」
  左門も静かに応じた。
「父上には辛い選択になりますが、わたしの出奔で大道寺家や母上が無事であれば、不幸中の幸いとしてお許し頂けるかと存じます」
「だからといって、ここで親子の永の別れは辛すぎます。で、あれば最初から当家も才次郎も何の関わりもなく、知らぬ存ぜぬで通すことはできませぬのか?」
 左門が母に詫びた。
「申し訳ありません。天下の柳生がそれで許すわけもありません」
「その通りだ。左門、柳生の追撃は激しいが、皆、返り討ちに致せ」
「心得ました」
「お二人とも思いなおしてください。才次郎はこの家に匿います」
「ならん! このまま左門を家に置けば、断罪に処せられる恐れがある。それでもいいのか? 若い身だ。どこぞで生きても、いつか春は来るであろう」
「さりとて……」
「これ以上は問答無用。わしからの餞別がある」
  毅然として言い放って父は立ち上がり次の間に消えた。
「才次朗。あなた本当に家を出てもいいのですか?」
「わたくしのことはご心配なく。それよし母上こそ、お達者で」
 あとは言葉もなく気まずい沈黙が続き、やがて父が戻った。
  再び床の間を背に座りなおした玄蕃直方が、手に持った大小を前に置き、袱紗を開くと、金色の光沢を放つ三両の小判が現れた。
「わずかだが餞別じゃ。あとは母から頂いて行け。この大小は自慢するほどではないが、切れ味鋭き肥前助国の業物……大切に致せ」
「かたじけなく、お受けします」
「それと、立ち寄り先の添え書きじゃ」
 父の出した封書は二通、一通は親類の田島主膳、熱田神社の権宮司を勤めている。
 もう一通は、江川太郎左衛門殿とっ書かれてある。
「まず、主膳を訪ねて暫く厄介になれ。左門とも親しき仲なれば添え書きなど要らぬが、無用な心配をかけぬために添えておく。尾張徳川家守護の熱田神社内では刃傷沙汰禁止、柳生と手を出せばお家断絶じゃ。ほとぼりが冷めたら旅に出るがよい」
「こちらは?」
「徳川家の総代官の江川家とは表向きは何の縁もないが、当家とは遠い先祖の昔から気脈を通じて情報交換を続けている間柄なのじゃ」
「知りませんでした」
「当主だけの口伝だからな。大道寺家と江川家は共に、北条氏政公に仕える重臣だったが、五万の小田原勢を二十万の大軍で攻めた太閤軍には成すすべもなく破れ、大道寺の祖も切腹を命じられた折、先に太閤の軍門に下って領地の伊豆を安堵されていた江川の祖が除名嘆願を願い、徳川家康公が身を引き受けてくれて家名が繋がったのじゃ。それ以来、共に徳川家に仕える両家は、密かに助け合って今日まで続いている。いざという時は、伊豆韮山の代官屋敷でも、江戸芝愛宕下屋敷、本所南割下水の代官屋敷でもいい、困った時はどこでも飛び込むんだ。太郎左衛門は世襲だから、この添え書きは代が変わっても有効で、手代、用人の誰もが一騎当千じゃから必ず力を貸してくれようぞ」
 その封書を、母が油紙に包んでくれた。
「さ、もう一刻も猶予はならぬ。今にも目付からの詮索があるやも知れぬ。ただちに旅立ちの支度をして当屋敷から立ち去りなさい。わしも門前まで見送ろう。そこで柳生に勝つ必殺の剣を授けてつかわす。では準備をせよ。わしも旅立ちを祝おう」

  玄蕃直方が再び立ち上がって次の間に去った。
  残された母と子は、いずれからともなく近寄ってしっかりと抱き合い、しばし涙にくれたが、左門から身を離して、「母上、永らくお世話になりました」と、深く腰を折って辞儀をしてから支度をすべく自分の部屋に戻った。
 部屋に入ると、すでにこの事態を予測していたのか侍女のお咲が、編笠や羽織袴や道中足袋にわらじなどの他に油紙で包んだ旅道具一式を揃え、自分も旅支度で正座して待っていた。その艶やかな表情には憂いがあり、思い詰めた様子がただよっている。
「咲、いかがいたした?」
「ふつつかながら、蔭ながらお供つかまつります」
  咲は三つ指をついて腰を折り、呆然と立つ左門に向かって深々と頭を下げた。

7、勘当-2

左門は困惑していた。
  咲に手伝わせて身支度を整えながら思いを巡らせたが、考えはまとまらない。
  自分が家を出ることになったのは、身から出た錆でやむを得ぬことだ。しかし、何の罪科もない咲までは道連れに出来ない。ましてや、自分は明日のねぐらもままならぬ風任せの旅で、行く宛もない身なのだ。尾張に生まれて他の地を知らず、自らが新天地を開くのも覚束ないのにか弱い女連れでの旅など思いもよらぬことだった。
  左門は暗い表情で咲を見た。
「それはならぬ。これからは咲には咲の進むべき道があろう。ましてや、これからの行く先などは自分自身でもまったく知らんのだ」
  咲がきっぱりと応じた。
「心配は無用に願います。わたしはすでにお屋敷からお暇をいただいておりますので、今さら戻ることは出来ません。左門さまがお邪魔だとおっしゃるのでしたら結構です。わたしのことはお忘れください。わたしは自由きままに旅をしとうございます」
「仕方ない。今は咲の面倒までみる余裕などないのだ」
「承知しています。この話はこれで……」
「納得してくれたか? で、咲はいずこに行くつもりなのじゃ?」
「ハイ。鑑札は女音曲の旅芸人ということで関所通行御免でお願いしてございます」
「そうか。わたしはまだ何処にとも決めていないぞ」
「才次郎さまもわたしも風任せの旅ということにしましょう」
「済まぬ」
「いいえ。これでいいのです」
「だが、わたしが勘当されたからといって、咲までが屋敷を去ることはなかろう?」
「それは、わたしの自由です」
「わたしとて、出たくて家を去るのではない」
「分かっております。お父上さまは、ここでお屋敷に残せば、いずれは左門さまがお咎めを受けなければならないことをお考えの上で、左門さまのお命を救うために今回のご処置をお考えになられたのです」
「それは、分かっておる」
「これからの左門さまのご苦労は、さぞやと思われます」
「覚悟は出来ている」
  縁に出て草鞋のひもを結び、咲に手渡された荷を背負い編笠を小脇に抱え込むと、いっぱしの旅姿になり気持ちも引き締まるが、悲しみもまた胸の内に広がっていた。
「ご立派です」
「なにが立派なものか。家を捨てるのだぞ」
「お部屋住みの身であれば、どなたでもいつかは家を離れて暮らすものです」
「そうだな。嫡子に生まれなければ養子縁組を待つだけだからな」
  咲の慰めに頷いてはみたが、自分は追われる身であることを悟らずにはいられない。
  左門は庭を眺めた。自分が育ったのは、自然の山河を模して体裁よく整えられたこの大道寺屋敷の造られた景色の中でだったが、これからは大自然の中で野性児として生きてゆかねばならない。それは不安ではあったが、新たな新天地に生きる未知への期待感と自由を得た喜びもかすかではあるが胸中に芽生えていた。
  庭の片隅にそびえるケヤキの大木を仰ぎ見ると、風に揺れる新緑の枝葉のはるか上空に白い真綿のような雲が浮かびゆっくりと動くのが樹木との対比で目に見えた。青く澄み渡った空が暗い小部屋から出たばかりの左門にはまぶしかった。
  これからは流浪の旅がある。それは、いずこにか流れ行く左門の人生を象徴しているかのようでもあり、春たけなわの景色にしてはもの悲しかった。
  大小を腰に差し、旅支度の心得に従って柄袋を被せようとすると咲がそれを制した。
「それはいけません」
「なぜじゃ?」
「どこで不意打ちがあるか知れないからです」
「まさか、いくら柳生とて白昼から襲うことはあるまい」
「でも、油断はなりませぬ。お刀はいつでも抜けるように願います」
「そうか……」
  身支度を整えて表門に向かうと、大道寺家を去る左門の見送りにか門内に家来や従者がすでに集まっていて酒肴の用意もあり、その中央に父母がいた。左門の姿を見て父の玄蕃直方が進み出た。

「左門! 晴れの門出に餞別として無骨ながら大道寺家の舞いを見せてやる」
  その一言で、大道寺家の家来や従者の数人が素早く動いていきなり抜刀し、左門目掛けて襲いかって来た。左門は本能的に刀を抜いて不意打ちの刀を振り払った。
  左門は、今は亡き先代の剣術師範柳生又右衛門仕込みの新陰流の腕の見せ所とばかりに父から譲り受けたばかりの助国を振るって防御から反撃にと思ったが、目先に迫る白刃から身を守るのがせいいっぱいで反撃などままならない。
  やはり、河原での柳生兵介との決闘で体感した通り、道場での柳生の袋竹刀での叩き合いなど何の役にもたたないのだ。
  大道家の誰もが、左門を傷つける気がないのは見えたが、それでも下手をすれば致命的な怪我をしかねない。左門に対する一人一人が本気で切り込んで来るのは耳元をかすめる剣風の鋭さでもよく分かった。
(冗談じゃない、こんなところで身内に殺されてたまるか!)
 左門は襲い来る白刃を打ち払い身をのけ反らして避けながら、今までの剣の修行が形だけのもので人を切るどころか、身を守ることすら難しいことをつくづくと感じて挫折感を味わった。従者達は左門に二太刀三太刀と剣風鋭く切り込んできてはすぐ下がり、刀を鞘に収めて他の者と左門の真剣勝負を見つめていた。
  小ぶりの刀を自由自在に用いて左門を攻める鋭い太刀捌きの男がいた。攻めるも引くもで一切無駄がなく左門を切る気なら一刀の元に切り殺せるのが明白な腕前で、柳生兵介より格段に強いのが左門でも分かった。荒い息を吐いて数歩下がり、何者かと相手の顔を見ると、男がおだやかな表情に戻って刀を引き、鞘に収め姿勢を正して深々と辞儀をした。
  なんと左門の愛馬「ゆうかげ」の厩係で馬丁の忠吉という中間で日頃から腰に太い木刀を差していたが、その木刀が鞘だったのだ。
「咲、立ち会うてみるか?」
  父の玄蕃直方が招くと、人陰にいた咲が「ハイ」と応じ、その声の語尾が消えもせぬうちに音もなく速歩で前に進み、そのまま歩みを止めずに左門に近づいて来る。しかも、いつ抜いたのか咲の右手に握られた短刀が陽光にきらめいて左門を襲ってきた。
  とっさに振るった左門の刀が、逆胴で咲の腹を切り裂いたはずだったがそこに咲はいなかった。左門の横に払った刀は虚しく空を切り、風のように左門の背後にまわった咲が左手で素早く左門の首を抱え、右手で短刀の切っ先を喉に当てて笑顔で囁いた。
「お命、頂戴つかまつりました」
  そこで咲は一礼をして身を引き、何事もなかったようにまた元の人陰に控えた。
  左門はとっさの状態で刀を振るった瞬間、咲を惨殺したと感じ「しまった!」と思ったのだが、咲はその鋭い一撃をどう避けたのか、飛んだのか潜ったのか、まったく左門には見えなかった。なぜ、咲の短刀の刃先が喉に食い込むまで何も気づかずにいたのか? 喉元からかすかに血が流れて汗ばんだ胸元を染めるのが汗とは違った生ぬるい感触で分かった瞬間、左門は恐怖で足が震えているのを感じた。自分もまた何人かに手傷を負わせていたのを覚えている。この場では仕方のないことだった。
  しかし、今まで無敵と思えた自分の剣の力は無に等しく、若い女一人にさえ敵わないとなると、柳生の追撃を受けたら一溜まりもなく倒されてしまうだろう。(これからどうすればいいのか?)、左門は肩を落としてただ呆然と立ち尽くした。

  その姿をしばし見つめていた父が呼びかけた。
「そのまま、そのままでいいから肩を下げたまま力を抜いて正眼に。左手だけで柄をしっかり握って刀を支え、右手はいつでも自由に動かせるように添えるだけ……」
  この声に従って左門が構えると、すかさず馬丁の忠吉が木刀に見せかけた仕込み刀を抜くやいなや一瞬の間も置かずに切りかかって来た。不思議な光景だった。あれほど剣風が鋭く感じた忠吉の袈裟斬りの一撃が子供の遊びのように遅く力なく感じられ、軽く斜め横に避けただけで空を切らせ、撃つ気であれば明らかに隙だらけになった忠吉の胸を突いていた。左門は忠吉が手加減をしたと思い、同情される自分が辛かった。しかし、次々に打ち込んで来る一族の者の真剣な表情を見たとき、無我の境地で生死を越えて剣を振るう自分に気づきハッとした。恐怖感も怒りもなく高ぶる心さえなく刀を振るっている自分がいた。庭の梅に囀るうぐいすの鳴き声が聞こえた。これだとどんな敵でも倒せる。
  この一瞬の油断を父が見逃さなかった。
「左門、行くぞ!」
  父の声にあわてて刀に添えた右手を握りなおして正眼から上段にと剣先を上に向けた瞬間、父の刀の切っ先が鋭く走って右の親指に触れんばかりの至近距離で止まった。
「左門、指が落ちたぞ! 柳生は道場と違って実戦では小業を使ってくる。左門も又右衛門殿から指南されて存じおろうが、柳生の新陰流では、目遣い、大曲、小調子という極意がある。相手の目の動きに合わせて相手の心を読み、敵がどう出るかが分かったら先手を撃つ。しかも、鋭く小さく動きを封じるだけでいいから指でも肘でも傷つけて、ひるんだところを一気に仕留める……しかも、こちらが小業をと思うと一気に頭上から打ち込んだりと大業に移行する。これが柳生の大調子、小調子、小調子、大調子の連続業だ」
「防ぎようは?」
「柳生の戦法は柔硬織りまぜて群れで攻めてくる。いくら防いだとて疲れたら負けじゃ。先手必勝とはいえ柳生は手強い、緒戦で相手を倒すのは無理じゃから防ぐだけ防ぎ、疲れ切った振りをして余力を残し、敵の油断を見て一気に攻めるしか勝つ手はない」
「わたしに出来ますか?」
「出来るとも。先刻の肩を下げた自然体……あれで防ぎ切れれば充分に勝機はある」
「では、いま一度!」
  一族郎党が見守る中、意気込みもなく自然体で正眼に構えただけの左門は、柳生に模した父の打ち込む太刀をことごとく退けた後に隙を見て一気に反撃に出て、父の腹部から三寸のところで刃先を止めた。
「でかしたぞ左門!」
  思わず全員が拍手をし左門の勝利を祝った。
  刀を収めた左門は、庭の土に片膝をついて父に礼を言い別れを告げた。
  柳生に対する備えの稽古とはいえ、つい勢い余って軽い傷を追わせた中間に詫びを入れ、別れの杯を交わして大道寺家を後にした。懐にある父からの添え状先、熱田神宮のの田島主善の元に向かうのだ。
 振り向くと咲の姿はない。左門の後を追うというのは口先だけだったのか。
 左門は首を振って迷いを振り切り、孤独な一人旅への覚悟を決めた。

8、勘当-3

大道寺屋敷を出た左門は、御薗門を出る前に立ち止まって振り向き、屋敷前で見送ってくれている父母をはじめ、中間の知らせであわてて槍の稽古から引き返してきた兄や咲など一族郎党に正対して腰を折って頭を下げて一礼し、きびすを返して門をくぐり堀を渡った。
  すでに、ここからは帰る家はない。
  これからは誰の助けもなく一人で生きるのだ。この思いが左門の歩みを重くした。
  屋敷から熱田神宮までは南に向かって凡そ一里半、さほどの距離ではない。
  風が凪いで汗ばむほど初夏めいた日差しの中を左門はひたすら南に、歩き慣れた熱田の森に向かって歩を進めた。熱田神宮には初詣や季節毎の行事で連れられて来てはいるが、権宮司の田島主膳と会うのは稀だったから、左門を覚えてくれているかも心配だった。
 父がどのような書状を主膳にしたためたかは知る由もないが、大道寺家と熱田神社の権宮司とが縁者であるだけでも、旅に出る第一歩の足跡を神社に残してゆくのは何やら縁起がいいようにも思えてきた。
 熱田神宮の本宮は深い緑の樹林に囲まれた熱田の杜の北にある。したがって、尾張城から南下して来た左門が鬼門の東北方位にある裏の龍神社側から入れば、労せずして本宮に訪れることが可能なのだが、左門は行く末を考えて裏からの訪問をためらい、樹林の下に佇んで緑濃い樹林を見上げた。
 梢の上では小鳥たちが生きている喜びを謳歌するかのように雄と雌が愛のさえずりを口ずさみながら枝から枝へと羽ばたきながら戯れている。
(自分には生きている。だが、そんな価値があるのだろうか?)
  柳生兵介が吐いた「忍びの子」という一言が、左門の頭の片隅にこびり付いて離れない。左門は、父母の「実の子」という言葉を信じた。
 左門の生い立ちを巡る謎は、大道寺家を破滅に追い込もうとする藩内の急進派を煽る柳生の謀略なのか? だとすると、柳生に一矢を報いた左門の行為は許されてもいい。
  そう思うと、柳生に対する憎しみこそあれ、卑怯な手を用いはしたが兵介を倒したことへの罪の意識は薄くなり、当然の報いであるとの思いが徐々に強まっている。
  ただ、頭の中ではまだ「実の子」が「忍びの子」を駆逐するまでには至っていない。むしろ、追い払おうとすればするほど汚れが広がって染みついてゆく。左門は、梢に遊ぶ小鳥たちから目を逸らし、草鞋で踏みしめている草深い大地を見た。
  今後のことを考えると、やはり堂々と正門から入るべきだ。今までは近道になる北から入っていた神宮だが、この日は森には入らずに神宮東側の草深い小道を南に向かった。
  どこまでも続く熱田の森を大きく迂回して南の正門に向かうと、大鳥居の手前左に、代々続けて植樹するというツバキがある。その左手の上知我麻神社には人影はない。参道から玉石を踏んで大鳥居をくぐると、すぐ左手に熱田神宮の別宮があり、白い作務衣にたっつけ袴の社男が竹箒(ほうき)で庭先を掃いていた。
  左門が近づいて一礼すると、社男があわてて竹箒を下に置き、腰を屈めて「これは、失礼しました」と頭を下げた。左門の見知らぬ顔だった。
「拙者、大道寺左門と申すもの、田島主膳殿はおられますか?」
「主膳さま? 田島東太夫仲厚さまのことですな?」
「そこまでは知り申さぬ」
「ところで、そなたは大道寺と言われましたな?」
「いかにも」
「まさか、ご家老の?」
「次男の左門です。田島さまは我が家とも縁続きと聞き及んでおります」
「その大道寺さまが、権宮司にどのようなご用向きですかな?」
「それは、父からの書状にしたためてあるはずです」
「左様ですか」
「で、主膳殿はご在宮ですか?」
「おりますが、今夜半に行う神事の準備に祈祷殿においでです」
「それは、どちらですか?」
「本宮の左手脇にある建屋ですが、お分かりになりますか?」
「本宮にはよく行きますので、多分、分かると思います」
「わたしも用がありますので、よろしければご一緒しましょう」
「それは、かたじけない」
  竹ぼうきを片づけた三十代とおぼしき社男が、汗を拭きながら歩きだした。
「わたしは、田畑平三郎と申します」
「ご神官ですか?」
「いいえ、勘定方に勤める田畑平助の三男で、馬回りの下役をしていましたが、それでは嫁ももらえませんので、今は神官見習いとしてここに住み込んでいます」
「士分なのに何故神社に? 武士が嫌なのですか?」
「嫌ではありません.家で足手まといになるよりは、と思いまして」
「家で文武に励むのが武士ではないのですか?」
「わが家は祿高三十俵二人扶持、わたしがいては米も満足に食べられません」
「米は支給されてるではないですか?」
  田畑平三郎が驚いた顔で左門を見た。
「わたしら下級武士の家では、俸給米は換金されて渡されますが、かなり目減りします」~「では、飢饉が続いて米相場が上がったら増収ですか?」
「とんでもない。貰う金銀は定額で、商人からは高い米を買うから大変なのです」
  それから暫くは歩きながらの会話が続き、左門は下級武士の暮らしが、いかに貧しく辛いものかを知ると同時に、三千五百石の城持ち家老屋敷の暮らしが下々の生活と違って、いかに裕福であるかをも改めて知らされた。
  左門は、今後の日々の暮らしがおぼろげながら見えて来て不安は増すばかりだった。
  広い敷地内を南北に延びる参道のすぐ右に楠之前神社がある。立ち止まって手を合わせた田畑平三郎に倣って左門も柏手を打って礼をした。
  その先が熱田神宮に来たら天朝様も将軍も誰もが渡るという二十五丁橋があり、それを渡ると右に宝物殿がある。二の鳥居をくぐると左には菅原神社をはじめ多くの社屋や伽藍が連なっていた。
  やがて、本宮を守る意味にと織田信長が寄進した長土塀があり、そこが本宮の入り口ともいうべき三の鳥居の位置にもなっていた。左門は一分銀を賽銭箱に投じ、平三郎と並んで神殿前で威儀を正して二礼三拍一礼の作法通りに拝礼をして、何処に行くのかどこまで続くかも知れぬ旅路の無事を祈願した。この時ばかりは身も心も熱田の森の森閑とした静けさの中に同化して、生きていることすら忘れて無心に神前にいた。
「さあ、参りましょう」
  祈祷殿は、本宮に隣接する形で建てられていて左門も、父に連れられて来た覚えがあったが、すっかり忘れていたのだ。
  田畑平三郎が、弟子たちに祈祷の手順を指導していた権宮司の田島主膳に大道寺左門の来訪を告げると、田島主膳は笑顔で現われた。よく知っているよ、という顔だった。
「ご無沙汰でした。大道寺左門です」
「よう来なさった。才次郎から左門に成長されたのじゃな?」
「少しも変わってはいませんが」
「あの才次郎が大きうなって……旅支度で何事かな?」
  田畑平三郎には、「ご苦労じゃった」と、案内の労をねぎらい、左門には「ついてきなされ」、と言い、あとは振り向きもせずに本宮の裏口から土間に入った。
  左門は、下男の用意した盥(たらい)の水で足をすすぎ布で拭くと、主膳に招かれて奥座敷に進んだ。

「お父上、お母上はご健在でいらっしゃるかな?」
「はい。つつがなく暮らしております」
「それは結構、ともあれ粗酒でも」
  気を利かせた下男がいつ用意したのか酒肴を揃えた膳を運び込んで来る。
「その前に、父からの添え状をご覧ください」
「ま、その前に一献……」
  お互いに杯を満たして献杯をした後で、左門が手渡した巻き紙に目を通した主膳の顔がほころんだ。しかし、その眼は笑ってはいなかった。

9、勘当-4

郷土の名家・尾張氏の直系である田島家は、熱田神宮では大宮司千秋家に次ぐ権宮司の格式で、大宮司を補佐する役割ではあったが、代々、大宮司を表に立て裏では熱田神宮の実質的な支配者として君臨していた。
  田島東太夫仲厚こと田島主膳は、左門の話を聞き終えるとその剛直な性格を隠そうともせずに心地よさそうに笑顔を見せて再び酒を注いで杯を干し、左門にも勧めた。
「でかしたぞ才次郎。おぬしが天下の柳生兵介を倒したか」
「恥ずかしながら、砂で目潰しをっかけた姑息な手を用いました」
「かまわん。どんな手を使おうと戦場では勝って生き抜くことが肝要なのじゃ」
「しかし、わたしは今、卑怯な手で勝った自分を恥じて惨めな気持ちなのです」
「それは心配ない。いずれ追手に狙われ、その分苦しむんじゃからな」
「逃げても無駄なら、迎え撃って死ぬしかありません」
「まあ、死ぬのはいつでも出来るからな。人は命の瀬戸際には何でもする、いざとなれば汚い手でも何でも使って生き抜こうとする。これが生き物の本能だからな。しかし、名誉を重んじて正義を全うして泰然と死ぬの者もいる。どちらを選ぶかは自由だが、お父君や母上だけでなく、わしも才次郎が生きぬくことを望んでることを忘れなさるな」
「これから、わたしはどうすべきでしょう?」
「お父上が、添え文にどう書かれたか知りたいかな?」
「はい」
  田島主膳が巻紙に目を走らせ、ゆっくりと文面を口にした。
「我が子才次郎改め左門が儀、若気の至りにて柳生兵介と私闘になり倒せしことお知らせ申し候。以後、柳生の讒訴(ざんそ)により大道寺家に災いが及ぶは必定。よって、左門を本日限り勘当する次第にて候。以後、大道寺姓の名乗りと大道寺家への出入りはならぬ、と伝えるも、このままでは不憫ゆえ主膳殿にお任せする次第にて候。どこぞ安らかに過ごせる地あらば旅立たせるなり配慮されたし。と、わし宛に書き記してある」
「では、どうすれば?」
「どこに行こうと、柳生の追手は才次郎を仕留めるまでは追ってくる」
「逃げるのはムダだということですか?」
「その通り。ここで一戦を交えて華々しく散るもよし。来たる刺殺者を片っ端から返り討ちにして、柳生に痛い思いをさせて諦めさせればさらによし。元禄の太平の世に赤穂浪士の討ち入りが人気を博したように、この平穏な時節だからこそ兵法で天下を取ったつもりの柳生一族と、ことを構えて戦うのも一興じゃな」
「ご迷惑では?」
「なにを言う。才次郎は柳生一族が恐ろしいか?」
「恐れてはおりませぬ」
「それでこそ豪勇でなる大道寺一門の血筋というもの。勘当された以上は人別からも外されての無宿者。わしがどう手伝おうと誰に気兼ねがあるものか」
「柳生家には、尾張徳川の藩主さまがついておりまするが」
「藩主もわが田島家の縁戚で熱田神宮の社家、いわば門徒じゃ。それに加えて熱田神宮には天朝さまがついていなさるぞ」
「しかし、柳生には剣に優れた者の他に、忍びの者も大勢いると聞き及びますが」
「忍びなど虚をつくだけの者、備えあれば恐れるには足らぬ」
「と、なると、この始末はどうなりますか?」
「柳生兵介と才次郎の私闘とし、藩は知らぬ存ぜぬで仲立ちもすまい」
「どちらも見殺しで、自滅待ちですか?」
「私闘は禁じられているから、両家に何らかの沙汰はあろうが、大道寺家はすでに勘当した以上は無縁、暗闘が表沙汰になると柳生だけが責めを負うことになる」
「こちらが戦場になった場合は?」
「まずは高見の見物だが、神宮内は抜刀禁止ゆえ黙ってはいられまいな」
「柳生が刀を抜いたら?」
「藩に訴えて究明し、お家断絶を迫るまでよ」
「ならば、わたしも刀を用いることは叶わぬのですか?」
「柳生の刺客もここで刀を抜けば主家の盛衰に係わるのを承知じゃろうから、刀を用いずに、十字手裏剣や棒を使って襲って来ることも考えられる」
「棒ですか?」
「柳生の裏芸には、手裏剣、忍法などに混じって棒術があるから油断はならぬぞ」
「戦場で槍の穂先を切られたら、槍の柄で戦うのは存じております」
「昔、山本権之助なる者が樫の棒一本で名を成したのを知らぬのか?」
「知りませぬ」
「権之助は、新免武蔵なる武芸者と闘って一度は負けたが、宝満山に籠もって研鑽を究めて、再戦して武蔵に勝った。それが後に棒術で一派をなした夢想権之助勝吉じゃ」
「そういえば、聞いたことがあるような気もします」
「才次郎も、柳生を相手に樫の棒で闘ってみてはどうじゃ?」
「でも、習ったこともありません」
「それでは見るがよい。その夢想流の使い手と手合わせをして見るがいい」
  酒肴の座をお開きにして、左門は権宮司に続いて縁に出ると、左門の汚れた草鞋(わらじ)は泥をはたいてきれいに拭かれていた。
  権宮司の主膳が手を叩くと、左門の汚れた足を濯いだ下働きの若い男が棒を二本と木刀を持って現れ、一本の棒を田島主膳に手渡し、音もなく縁側に控えた。
「この者は棚原弥吉と申して各務原(かかみがはら)の郷士の伜じゃ。こちらは、大道寺……いや、もはや大道寺とは無縁じゃった。よき名はないか?」
  権宮司が左門を見た。左門は、思わず気にしていた姓を口に出した。
「大原では?」
「よかろう、大原。大原左門か? よき名じゃ。これからはそれでいい」
「今から大原左門、この名で参ります」
「では、さっそくだが大原左門、この弥吉の棒と立ち会うてみよ」
「どうぞ、こちらを……」
  下働きの弥吉が木刀を左門に手渡し、棒を小脇に抱えて、真新しい草履を揃えて左門の足元に出した。
「汚れた草鞋は洗って干してあります」
「かたじけのうござる」
  新しい草履を履いて庭に出ると、弥吉が立ち上がり、6尺(1・8メ-トル)の樫の棒を構えて相対し「いざ」と鋭く左門をうながした。この瞬間、弥吉は下働きの小者ではなく全く隙のない堂々たる武芸者となって左門の前に立ちはだかっている。
 縁側に腰掛けてそれを見守る田島主膳の目は、おだやかで慈愛に満ちていた。
「大原左門。遠慮なく弥吉を打ってみよ」
 左門が木刀をすばやく振りかぶって弥吉の肩口を狙って振り下ろすと、その場から動かずに一瞬早く弥吉が樫棒を振るった。乾いた音を響かせて刀が左門の手から飛ばされ、すかさず弥吉の棒が左門の左胴を軽く叩いて止まった。
  まったく左門では相手にならない速さだった。
「もう一番!」
  木刀を拾った左門がムキになって立ち向かったが、弥吉が操る6尺の樫の棒の動きが全く読めなかった。まるで生き物のように自由自在に動き回って左門の自由を奪い、隙を狙って襲い来る。これは手ごわい……左門は驚嘆した。
 やはり、道場だけの剣の修行では外の世界は見えなかった。世の中にはどれだけ強い兵法者がいるのか? 左門の動揺を読んだ弥吉の棒は、容赦なく隙を見ては体を打った。その一撃は寸止め状態で軽く体に触れるだけだが、その痛みは蓄積されて苦痛になり左門の意地を砕き潰した。左門は一矢も報いることなく棒術に屈したのだ。
「参りました」
  左門は心底負けを認め、木刀を左手に収めて腰を折った。
  田島主膳が、手にした棒を左門に投げた。
「これで、弥吉に対してみよ」
  左門が見よう見まねで棒を構えて弥吉に立ち向かってみると、始めは一方的に打たれるだけだったが徐々に攻めも守りも的確になって、身体中が汗にまみれになった終盤には攻防が一進一退になり、見守る権宮司・田島主膳を喜ばせた。
「そこまで!」
  立ち上がった主膳の一声で稽古が終わった。
  弥吉が、手拭いで汗を拭いながら左門に頭を下げた。
「ご無礼をつかまつりました」
  縁側の隅に立てかけてあった竹ぼうきを手にした主膳が弥吉をねぎらった。
「弥吉、ご苦労。手応えはいかがじゃ? 柳生の忍びに勝てるか?」 
「はっ」と応じてから弥吉が続けた。
「さすがに大道寺の若様、呑み込みが早いのに驚きました。これなら少し鍛えれば何とか抵抗できると思います」

「よかったな……」
  主膳が左門に竹ぼうきを手渡して言った。
「人が来て、この庭土の荒れ方を見たら怪しむ。きれいに均しておきなさい」
  弥吉が去り、主膳が祈祷の指導に別院に戻った。
  左門は、静けさを取り戻した庭に立ち無心になって、立ち会いで荒れた庭の土に竹ぼうきの筋を残していたが、ふと手を休めて森閑とした深い木立の彼方に視線を投げ、己の行く末を想った。一人で生きてゆくこの先に,いったい何があるのだろうか?

10、勘当‐5

熱田神宮は、古くから伊勢神宮と並び称され社格の高さを誇り、朝廷からの手厚い保護の元に多くの人々から敬われてきた。左門は今、その由緒ある神社の境内にいる。
  東に遠く明石の山々、南には少し離れて伊勢湾、北には濃尾平野から伊吹山などが連なっている。熱田神宮の歴史は、ヤマトタケル(日本武尊)から始まる。
  古代史の英雄、ヤマトタケルが帝の勅令を奉じ、スサノオノミコトがヤマタの大蛇を切ったという神剣・草なぎの剣(つるぎ)をもって東国に遠征するときに,この地の豪族であった尾張氏一族のタケイナダテのミコト(命)が呼応して軍に加わり、東国の地で暴れまわって板東の武人を振るい上がらせたという古文書が伝わっていることも左門は母から聞いたことがある。
  左門は幼少の頃から、ヤマトタケルの話が好きだった。
  ヤマトタケルは、景行天皇のお子で16歳の初陣で西の熊襲(くまそ)と戦って勝利したのをきっかけに一生を戦いに明け暮れて30歳の短い生涯を終えている。その戦いの足跡は、西から東、未開の地と言われる北の果てまで続いていると聞いていた。
  左門が、棒術の稽古で踏み荒らされた庭の玉砂利に竹ぼうきで掃きならしていると、先刻、左門を案内してくれた田畑平三郎が竹ぼうき持参で近づいてきて、無言で本宮の前庭を掃くのを手伝いはじめた。左門は、あわてて頭を下げた。
「かたじけのうございます」
「お互いさまじゃ。どうやら、おぬしも長期滞在になりそうな風向きなのでな」
「田畑さまも、なにかご事情があってここに?」
「ご明察どおりだが、言うても仕方ないことゆえ、二度とお聞きめさるな」
「これは失礼をつかつりました」
「かまいませぬ。先程、そなたに棒術の稽古をつけていた弥吉さんにしても、皆さん同じく、それぞれが田島様に救われてここにおります」
「先程の弥吉さんは棒の名人のようでしたが、なにものですか?」
「見ての通り、それ以上でもそれ以下でもござらぬ。ただ言えるのは、この熱田神宮は昔から武芸と縁が深く、源の頼朝公のお母上が大宮司の娘であったことで源家の庇護もあったり、平の清盛が境内にお堂を建てて寄贈したり、南北朝の頃には大宮司そのものが新田義貞の軍に参加して足利尊氏の軍を蹴散らしたりしているでな。ともあれ、ここは戦勝祈願の神社として知られているゆえ、ごく自然に武芸者が集まって来るのだな」
「でも、私は武芸者ではありませぬが?」
「しかし。ここに食客として寄寓する以上は、否応なしにそうなってゆく」
「そうでしょうか?」
「なにはともあれ、ここで自分を磨いて、それから世間の風に当たればよし」
  田畑平三郎が去った後、左門は一人で思いにふけっていた。
  左門は、ここで人間づくりの修行をして自信をつけ、それから見知らぬ土地を巡って見聞を広めたいと思った。そしていつの日か、自分を育ててくれたこの尾張の地や大道寺家へ恩返しをしたい、とも思った。
  左門は、さまざまな思いをめぐらせながら、田畑平三郎と棚原弥吉が、ただの武芸者ではないと思った。とりわけ、弥吉と名乗った下働きの男の鋭い眼光と、類まれな棒術の妙技を思い出していた。
  あの変幻自在の棒使いはただ者ではない。さぞかし、名のある武芸者ではないのだろうか? 棒術は古来から、戦場で槍の前後を自由自在に操るために必要不可欠な武術として習得の要があったとされるが、抜刀さえ禁じられているこの太平の世においては何の役にも立たぬ。そう信じていた左門の思い込みは今はない。
  この熱田神宮に身を置く以上は、大小の刀は身につけることが叶わぬもの……ならば、不意の襲撃にあるいざという緊急の場合は、身近にあるものを武器にして戦わねばならない。左門は周囲を見回し、自分が手にしている竹ぼうきに気づいた。
  左門は、竹ぼうきを樫の棒に見たてて振ってみた。ささらが風を切る音が、風に揺れる木々の梢のざわめきや小鳥の囀りをも一瞬だ止めたようにも感じられた。
  左門はしばらくの間、身体中から汗が吹き出るのも構わずに竹ぼうきを振り回して玉砂利を蹴散らし、見えない敵との争いに夢中になって時のたつのを忘れていた。
  ふと、人の気配と境内の玉砂利を踏む足音に気づいて振り向くと、いずれの女中かは知らぬが伏目がちではあるが形のいい顔だちの妙齢のご婦人が、荷を抱えた下男を供に連れて、何事かの祈願にか本宮の拝殿に向かっておだやかに歩いて来る。左門はあわてて動きを止め、竹ぼうきを地につけて折角きれいにした足元の砂利に掃き目を入れながら、その二人連れがすれ違って去るのを待つことにした。

 その二人が、左門に対して何の害意がないことは歩みや呼吸など気配で分かるが、むしろ、左門に対して人の温もりを感じさせることに左門は動揺した。勘当された自分が早くも人恋しさのあまり、見知らぬ人との交情や女性(にょしょう)への思いを感じてしまうのか? 左門はおのれを恥じて顔を伏せ、感情を押し殺すように庭を掃いた。
  左門が顔を伏せたのを見て、女が顔を上げて囁いた。口は動いていない。
「才次郎さま……」
「咲か?」
  驚いた左門が顔を上げようとしたところ、咲の背後の男が低く告げた。
「顔はそのまま……口もきいてはなりませぬ」
  左門の愛馬を任せていた馬丁の忠吉だった。その口調は格のある武士に間違いない。
  忠吉が続けた。忠吉もまた腹の中から声を出している。
「本宮の横手と神楽殿裏に柳生の忍びと思われるのが一人づつ、だが襲っては来ぬ」
「なぜ?」
  左門が口読みをされぬよう、手で口を抑えて問うた。
「師範が傷を癒してから自分で参る。それまではそなたの動きを監視しているのだ」
「こちらから襲ったら?」
「相手は猿と同じで木から木へ、とても勝ち目はありませぬ」
  すれ違いながら咲が言葉をかけた。左門の鼻孔をくすぐるように甘い香が匂う。
「権宮司の田島さまからお屋敷にお使いが来まして、才次郎さまを暫くお預かり頂くとのこと……そこで、ここに逗留するために必要な衣類、硯や筆、日用の品をお届けにきました。神楽殿の新符授与所に置き忘れしますから後で……」
「かたじけない。で、咲も忠吉もいったい何者なのだ?」
「それは、いずれ……」
  二人の声が遠のいた。
  顔を上げると、お供を連れた良家のご婦人の神社参りとしか思えない二人の後ろ姿がそこにあった。