月別アーカイブ: 2020年3月

マリちゃん雲に乗る  (1)旅立ちー1

 マリちゃん雲に乗る

   宗像 善樹

(1)旅立ちー1

 今から4年まえ、東日本大震災があった年の、夏の初めのある晴れた朝のことでした。
 犬のマリちゃんは、真っ青に澄みきった空に浮いている雲の上から、地上のパパとママに向かって、一生懸命に声をかけました。
「ワンワン、ワンワン。パパとママ、わたしは雲の上でがんばっていますよ」
 マリちゃんは、空に浮かぶ天の川のほとりで、3月11日の大震災のために崩れた家の下敷きになって命を落としたり、津波に流されて溺れ死んだ東北地方の動物の仲間の救援活動を必死にやっています。
マリちゃんは、そのことを地上のパパとママに知らせようとしたのです。

 マリちゃんが雲の上にきたのは、その年の春の日の夜、パパとママと一緒に住んでいたマンションの部屋で急に心臓発作を起こして、パパとママ、長女の利絵ちゃん、次女の華ちゃんが涙を流して見守るなか、家族四人と「さようなら」をして、空の上に昇ってきたのです。
空の上にやってきたとき、マリちゃんは、そのまま天の川に浮いている雲の船に乗って、天の川の向こう岸にある天国へ行くつもりでした。
そこは、人間と動物が一緒に暮らせる楽しい、幸せな楽園なのです。
 でも、マリちゃんが天の川の岸辺に着いて、雲の船に乗り込んだとき、マリちゃんのまわりには、車に跳ねられたり、人間に虐められて怪我をしたりして体を自由に動かせない、気の毒な犬や猫やそのほかのペットたちがたくさんいました。
長い間盲導犬の仕事をして、いろいろと気を遣い、疲れ果てて動けなくなった老犬もいました。
みんな、誰かに肩を貸してもらわないと、自分の力だけでは雲の船に乗り込むことが
できないのです。みんな、悲しそうな目をして、岸辺にうずくまっていました。
 彼らの目を見たマリちゃんは、とっさに思いました。
「もし、パパやママがあの仲間たちの目を見たらどう思うだろう。必ず、『助けてあげなさい』と云うに違いない」
 マリちゃんはすぐに、自分を犠牲にしてでも気の毒な動物たちを助けて雲の船に乗せて、幸せな天国へ行けることができるようにしてあげようと決心しました。
そして、いったん乗った雲の船から下りて、天の川の河原に戻りました。
 でも、マリちゃんは小さな犬の女の子です。自分より体の大きい秋田犬や柴犬や馬や牛に肩をかすことはできません。
 そこでマリちゃんは、河原にいた二人のお星さまに声をかけました。
「お星さま、お願いです。わたしと一緒にあの子たちを助けて、天の川の向こうの天国へ行けるようにしてくれませんか」
 二人の星は声を合わせて、すぐに答えてくれました。
「いいわよ、マリちゃん。ぜひ、私たちにも協力させて」
 二人の星は、河原を散歩していた織姫さんと彦星さんでした。


熊谷桜をご存じですか?

 熊谷桜をご存じですか?

  宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

熊谷桜という可愛い桜の品種があることをほとんどの方は知らないと思います。

大辞林には「サクラの一種。コヒガンザクラの八重咲き品種で、全体に小さく、花は淡紅色でかわいらしい。」と書かれています。
何年も絶滅品種だったそうですが、ここ数年、熊谷の有志が苗を育ていろんなところに植林して、現在は熊谷市内のお寺や施設などのお庭に咲いています。
この品種は早咲きでソメイヨシノよりも一か月ほど早く咲きます。この写真も2月の中旬に撮影しました。この木は6年前くらいに植えた熊谷桜で、見るたびにあまりに可憐で癒されてしまいます。

また3月20日のお彼岸に娘が新宿御苑に行き、満開の桜を楽しんできたそうです.

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現在、新宿御苑は無料で入園できるそうです。広い公園なので新型肺炎コロナは心配ないと思いますので、ぜひ皆様もいらしてお花見を楽しんでくださいませ。
(注)新宿御苑の桜の提供写真は宗像絵利子さんの提供です(スタッフ)

 


懐かしいトルコ旅行の想い出-2

懐かしいトルコ旅行の想い出-2

  ( 宗像善樹(むなかたよしき)
(元家庭裁判所調停委員、 古代史研究者、作家)

トルコには、他にも一見の価値がある建物、遺産がたくさんあります。アンカラのアナトリア文明博物館、サフランボルの世界遺産、カッパドキアの大規模な洞窟民家、イスラム教徒の迫害から逃れるために約一万五千人のキリスト教徒が隠れ住んだという、カイマルクにある地下八階の地下都市、世界遺産のギョレメ野外博物館、古都コンヤ、メブラール博物館、バムッカレのヒエラポリス遺跡と石灰棚、エフェソスの考古学博物館、トロイの遺跡、ここはホメロスの叙事詩イーリアスに書かれた「トロイ戦争」の舞台として有名で、大きな木馬が伝説さながらに私たち観光客を見おろしていました。
以上、私は、トルコ周遊旅行を通じて、見たまま、感じたままの感想を書きましたが、一番書き記しておきたいことは、イスタンブールの街で行き会った子供や学生さんとの交流についてのことです。
それは、私たちにとってまったく予想外のことであり、また、非常に感動的で、心温まる出来事でした。
まず、私たちがとても新鮮に感じたことは、観光地で観光バスから下りたとき、観光客にまとわりつく地元の子供たちの姿がまったくなく、非常に清々しい気持ちになれたことです。他の国で、バスを下りた観光客が往々にして味わう、子供たちにまとわりつかれ、物乞いや土産品の押し売りめいたことが全然なかったのです。
現地ガイドさんの説明によると、「トルコの初等教育は、六歳から十四歳の児童生徒に対して八年間行われており、学校は基本的に国立で、授業料や教科書などの教育費は無償で行われている」ということでした。私たちは、「なるほど。このような手厚い教育システムであれば、観光客に物乞いをするようなことはしないだろう」と思いました。
 日本を出発する前、トルコの人びとは親日家が多いと聞きました。
そうなった契機は、今から131年前の1889年(明治22年)に、トルコから607名の使節団が来日し、明治天皇に拝謁して帰国するときに起きた海難事故にあるということでした。
帰国する使節団が乗った軍艦エルトゥルル号(2400トン)が、和歌山県串本町大島沖で大型の台風に遭遇して沈没、多くの乗組員が亡くなりました。そのとき、串本町民が激しい暴風雨の中わが身の危険をかえりみず懸命の救助活動を行い、奇跡的に69名の乗組員の命を救い、親身に世話をし、明治政府が速やかに二隻の軍艦に乗せてイスタンブールへ送りとどけたのです。
 トルコ国民は、日本人がトルコ人のために命を懸けて尽くしてくれた行いに国を挙げて感謝、感激したということです。この歴史的出来事がトルコ人の心情に強い影響を与え、人びとの間で語り継がれ、今でも義理堅く日本人へ感謝し、親日的な思いが強いのです。
実際、私たちは旅行中に小学生のグループに何度も囲まれて写真を撮られたり、手をつないで歩いたりしました。
あるときは、イスタンブール中央のゲジ公園で、高校生数人のグループから、「一緒に肩を組んで写真を撮らせて欲しい」と声をかけられました。即座にOKすると、彼らは一人ずつ交替で、私たち夫婦の間に立ち、私たちの肩を両手で力強く抱いて、嬉しそうな顔で、交互に写真に収まっていました。私は、彼らが手に込める強い力から、トルコの人たちが日本人に抱いている信頼と友情を肌で感じました。彼らは皆で、私たちの重い荷物を持ってくれました。彼らに荷物を託すとき、私たちに全く不安な気持ちは生じませんでした。
現地に長く住む友人にこの話をしたところ、「トルコの人たちにとって、日本人と一緒に写っている写真は大切なものであり、友だちの間で自慢できる一級品なのだ。荷物を託されることは、日本人に信頼されている証で、嬉しいことなのだ」という説明でした。

以前、そのゲジ公園の存続をめぐって、転用を計画する政府側と公園の存続を願う市民との間で激しい対立が生じました。
一時は沈静化したようですが、多くの心優しい人たちが住んでいるトルコの国が政情不安になり、国民の心が病むことになるのではないか、とても心配でした。
私は、出来ることなら、2020年の五輪開催がイスタンブールに実現し、五輪の成功に向かって、トルコの人たちの気持ちがひとつにまとまることを願っておりました。
それは、私たち日本人が、1963年の第18回東京オリンピック大会の成功や、1970年の大阪万国博覧会の成功に向けて、国民が一致団結し、心をひとつにしたときのように。

残念ながら、イスタンブールは五輪を招致できませんでした。
私たち日本人は、今後も、トルコとの未来志向の友好関係をめざして、トルコの人たちに深く敬意を払い、親しい交流が続けられるよう最大限の努力を重ねるべきだと思います。
                    以上
 著作
 咸臨丸の絆、三菱重工爆破事件、
マリちゃん雲にのる、など多数あり。
                             


懐かしいトルコ旅行の想い出-1

懐かしいトルコ旅行の想い出-1

 宗像 善樹(むなかたよしき)
(元家庭裁判所調停委員、 古代史研究者、作家)

来年2020年の第32回夏季オリンピック大会とパラリンピック大会が東京で開催されることは、非常に嬉しいことです。
しかし、その半面、8年前に私たちが訪問した際に、トルコの人たちが示してくれた親日的で、優しい心遣いと親切心を想うと、トルコの人たちの失望感が胸に迫ってきて、とても悲しく、胸が締めつけられる思いがします。なぜなら、第32回オリンピックとパラリンピックの開催地にトルコも立候補していたからです。

平成23年(2011年)1月、私たち夫婦はトルコ周遊旅行へ出かけました。
私たちは海外旅行が趣味で今まで多くの国を訪問しましたが、その中でも、トルコは一番印象のよい、すばらしい国でした。
特に、トルコ最大の都市、イスタンブールに魅入られました。
イスタンブールは、アジアとヨーロッパにまたがって東西文明の接点に位置し、様々な人種と文明がみごとに融合した独特の雰囲気がある大都会でした。
イスタンブールには見るところがたくさんありましたが、それにもまして魅力的なことは、トルコの人びとの人間的な素晴らしさでした。私たちが会った人びとは温かさに溢れ、極めて親日的でした。
彼らは、街中で日本人を見かけると非常に親切な態度で接してくれました。タクシーもメーター制で、非常に安く、ぼられることもありません。チップも取られませんでした。
私たちがイスタンブール市内を見て回った主なところは次のような所です。
いささか観光案内書のような紹介になりますが、まだトルコを訪れたことのない日本の人たちにも、是非見学して欲しいところです。
まず、トプカプ宮殿。
この宮殿は、十五世紀に建設され、オスマン・トルコの歴代の君主(スルタン)が居城とした宮殿です。現在は、オスマン時代の遺物の宝物館となっており、宝物館には柄に三つの大きなエメラルドをはめ込んだ黄金の短剣や八十六カラットのダイヤモンドなどの宝石が陳列されており、その豪華さには目を見張るものがありました。
次に、考古学博物館です。
トプカプ宮殿に隣接しており、小アジア各地からの出土品やギリシャ、ローマなどのビザンチン芸術の遺品が収集されていました。私は、「アレキサンダー大王の石棺」と「嘆く女たちの石棺」を見て、その迫力に圧倒されました。エフェソスやフェニキアの遺品や彫刻もたくさんありました。
そして、トルコを代表するイスラム教寺院の「ブルーモスク」です。高さ四十三メートル、直径二十三.・五メートルの巨大ドームの周囲に六本の尖塔(ミナレット)がある寺院です。十七世紀初頭にスルタン・アフメットによって建てられた寺院で、オスマン・トルコ建築の極みだと思いました。
この建物の正式名称は「スルタン・アフメット・ジャミイ」ですが、建物内部の装飾に使われているブルーのタイルがあまりにも美しく、誰もが目を見張るような色彩であることから、いつしかヨーロッパ人が「ブルーモスク」と呼ぶようになったということです。
最期に、ローマ帝国時代にキリスト教の教会として建てられた「アヤ・ソフィア」です。高さ五十四メートル、直径三十メートルの巨大ドームを中央に有するビザンチン建築の大聖堂です。
この大聖堂は、第四次十字軍やオスマン・トルコ軍によって略奪された歴史を持ち、ビザンチン美術の傑作である多くのモザイク画が五百年もの間、漆喰で塗りつぶされていたという歴史も持っています。現在は、モザイク画も修復され「キリストを抱いた聖母マリア」など世界的な傑作を収納する博物館になっています。
以上書き記したように、私は、トルコという国が持つ文明的、美術史的な迫力の根源は、イスラム教文明とキリスト教文明が共存し、ものの見事に融和しているところにあると考えます。

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著作
咸臨丸の絆、三菱重工爆破事件、
マリちゃん雲にのる、など多数あり。


総理官邸を下に見ての総会でした。

 総理官邸を下に見ての総会でした。

  宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 2月の最後の日に私の所属している咸臨丸子孫の会総会が霞が関ビルの34階霞会館でありました。
この総会を実施するにあたり、このウイルス騒ぎで中止するべきか、決行するべきか幹事一同悩みました。
しかしすでに準備も完了しているし、霞会館自体は高級な会議場(旧貴族会館)なので安心ではないかと判断して、世の中の風潮に逆らっての実施でした。
例年の参加者より10名ほど欠席者が多かったですが、その分広々と会場を使えて、またブッフェ式のお料理も並ぶことなく、何回も食べることができました。
またこの霞会館のお料理担当は東京会館なのでとても美味しかったです。大満足でした。
お天気にはとても恵まれ、娘と「やっぱり晴女が二人そろうと晴れるのね」とにんまりでした。
窓からの景色もとても素晴らしく、眼下に首相官邸が見えました。
いつもテレビで見る正面を上から眺めるなんてと、出席者全員写真に収めました。
無事総会と懇親会を終了して、後は皆様がコロナ感染をしないことを祈りながら終了いたしました。
肩の荷がおりました。最も総会欠席者への総会資料を郵送しなくてはならないのでまだまだ忙しいですが、後は家の中の作業なのでのんびりすることにいたします。
やれやれ!

(注)筆者の宗像信子さんは、1860年(万延元年)、日米修好通商条約批准書交換に派遣された遣米使節団の随伴艦として渡米した咸臨丸(幕府海軍保有の洋式軍艦)提督で軍艦奉行・木村摂津守のご子孫です(村長)