第七章 長崎の涙雨

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1、長崎の悪夢

薩摩藩の軍艦三邦丸は、実戦を想定した艦砲射撃の訓練を実施しつつ九州の沿岸沿いに長崎に向って進んだ。長崎が近付くと船内に華やぐ空気が流れた。長崎の港町を見ると誰もが異国に来たような錯覚に陥るという。太兵衛にとってもここは別天地だった。
太兵衛は薩摩藩の鑑札を持つ呉服小物商・太兵衛として、西郷吉之助の依頼で大浦に豪邸を構える武器商人トーマス・B・グラバーに何回か会っている。この異国の怪人こそが自分の利益のために幕府崩壊を目論んで倒幕勢力に武器を売りまくっている死の商人そのものなのだ。いわば倒幕側の黒幕ともいえる存在で、幕府側からみれば殺しても飽き足らない存在だった。
だが、新任の長崎奉行をはじめ次々に長崎を訪れる幕府の要人の誰もが、巧みに日本語を操るこの怪外人の接待と高価な贈り物に篭絡され骨抜きにされて、主人に尾を振る飼い犬のようになって歯向かうどころではない。太兵衛の目から見れば、日本人同士が殺し合うための武器を売りまくるこの男は、所詮、維新の嵐の中に毒々しく咲く仇花でしかないのだが、その繁栄ぶりはただ事ではない。
太兵衛の思いはあの十三年前のペリー艦隊来航の日々にまで逆戻る。
日本中が沸き返ったあの黒船事件が幕府の歯車を狂わせ、このような死の商人や坂本龍馬のような奇才を生んだのだ。
運命が変わったのは龍馬だけではない。将軍も大名も全国の武士や百姓町民、女も子供も、大なり小なりペリー艦隊来航の影響を受けて浮き足立ち平常心を失っている。あれからの世の中は士農工商の上位にあった武士の立場も揺らぎ、道徳心や人情という大切なものまで地に堕ちて治安も乱れ、辻切り強盗など犯罪も増えている。
あの頃から悪夢は始まっていた。
太兵衛が命じられた仕事は西の雄藩や不逞浪士の不穏な動きを調べるだけではない。幕府に反抗的な長州などに軍艦や銃器など武器を提供する敵方の御用商人を突き止め、その動きを阻害する方法があれば意見を添えて報告すべし、とも命じられていた。
ペリー艦隊に続いて長崎に現れたロシア艦隊のプチャーチンも開国を迫るという緊迫した状態を迎え、幕府はますます窮地に立ち政治の矢面に立つ大老や将軍の苦悩は計り知れないほど重く辛いものだったに違いない。
開国派に担がれた井伊直弼は大老就任早々、攘夷論に惑わされて態度を明らかにしない孝明天皇の勅許を得ないまま、アメリカと日米修好通商条約に調印した。安政五年(一八五八)四月二十三日のことだった。あれから十二年になる。
井伊直弼としては、ペリー艦隊来航以来の騒然とした国内の治安を一気に沈静化させる良策だったのだが、それが裏目に出た。これが尊皇攘夷派の怒りに火を注いで井伊直弼を糾弾し幕閣内も騒然となり「直弼切るべし」の声が燃え上がり、井伊直弼は攘夷派の浪士だけでなく幕府の内部からも命を狙われることになった。だが、これを黙って見過ごす井伊直弼ではなかった。直弼の強引で怜悧な手法は昨日の味方にも容赦はなかった。自分が冒した無勅許調印の責任を、自分を大老に推挙した堀田正睦(まさよし)や松平忠固(ただかた)にかぶせて閣外に追放し、病弱な十三代将軍家定を排して、幼い紀州の徳川慶福(よしとみ)を擁立しての将軍継嗣決行を図ったのだ。
それに反対した水戸の徳川斉昭(なりあきら)や福井の松平慶永(よしばが)は、知勇ともに優れていると評判の一橋慶喜(よしのぶ)を将軍に推して対立した。すると井伊直弼は大老の特権を駆使して強引にこの二人を蟄居させ、さらに一橋慶喜派で有能な幕僚である川路聖謨、永井尚志らまでも幕閣から追放し、それでも飽き足らず、直弼の乱暴なやり方に抗議した老中の久世広周や寺社奉行の板倉勝静までも排除したのだった。
これで、井伊直弼に対する幕府内からの憎しみは決定的になり、直弼暗殺に「刺客を放つ」と、ある大名が言ったという噂も出た。
あのとき、尊王の志ある者を排除する直弼の対応に憤慨した多くの声を聞いた孝明天皇は、「井伊直弼の排斥すべし」という密勅を水戸藩の徳川斉昭にに下した。この朝廷の政治関与に怒った井伊直弼は、徳川斉昭に密勅を天皇に返済するように命じ、公儀隠密や大目付をあちこち派遣して、密勅に関係のある人物だけでなく将軍継嗣問題をも含めて、直弼の方針に反対する者は賢者も愚者もなく逮捕して入獄させ責め殺して抹殺した。この安政五年から六年にかけて行われた戊午(ぼご)の大獄で粛清されたのは尊王攘夷の志士だけではない。一橋派の大名や公卿も含んでいて、この大獄に連座した者は百人を下らない。世の非難は井伊直弼の一身に集まった。
この弾圧は、安政七年(一八六〇)三月三日、雪の舞う江戸城桜田門外において水戸藩の脱藩浪士を中心とした刺客によって、井伊直弼は殺害されて首を切り落され、四十四歳の劇的な人生に終止符を打った。
太兵衛がなぜ、安政の大獄を思い出したかというと、その遠因は長崎にある。この地に住むトーマス・B・グラバーが巧みな日本語で太兵衛に告げた言葉が今でも耳に残っている。
「あの安政のタイゴクは、幕府の力を大きくヨワめました。サツマが攻めるなら今がチャンスね」
赤ら顔で目つきの鋭いこのグラバーという大男は、太兵衛を薩摩藩出入りの御用商人とみて気軽に何でも話してくれる。長崎に来たら情報収集には丸山遊郭とグラバー邸、これが各藩密偵の必然の行動だった。
三邦丸が長崎の港に入ったのは三月七日の夕暮れだった。
長崎の港はさすがに国際港らしく停泊する外国船も何隻かあり、各地各藩の蒸気船など大小の船舶が行き交っていて海上からして賑わっていた。
雨が止んだばかりなのか波止場の石垣や家々の屋根はまだ濡れていて、坂の上の高台や遠い山々は霧にもやっている。
縄梯子で横柱に登り帆を降ろす作業をしながら太兵衛は、久し振りに訪れた長崎の町を懐かしく眺めていた。
海上を見回すと、オランダの国旗を掲げたひときわ大きい鉄製の輸送船が停泊していた。
日本にはまだ鉄製の船を造る技術がない。海防に力を注ぐべき長州は、唯一の鉄艦だったイギリス製の壬戌丸が文久三年(一八六三)の攘夷を旨とした戦いでアメリカ艦からの砲撃であえなく沈没し今は木製艦しかない。だが、長州は来るべき倒幕戦に備えて遅れていた海防に力を注ぐべく急遽外国製の鉄製軍艦を発注していた。
この情報は太兵衛が昨年、蛤御門の変以来隠遁生活を強いられている公家の黒幕東久世通禧(みちとみ)卿に将軍からの密書を託されて大宰府を訪れ、長崎まで足を運んだ際に、公用とは別に勝海舟から託された和服を、以前からの呉服小物の顧客として交流のある英国商人トーマス・グラバーに届けるために長崎まで足を延ばした折に本人から直接聞いているだけに間違いない。
グラバーは、薩摩藩の御用商人としての太兵衛に気を許して何でも話すが、この折も得意気に、長州から鉄製軍艦の注文を受けているが、本国から船が届くのはかなり遅れるとか言っていた。その口調からみて、長州に新型軍艦が届くのはこの慶応二年の秋か翌年になる。そこから訓練を重ねてから薩摩と歩調を合わせるとなると翌慶応三年には戦いの火ぶたが切られることになる、と言った。その読みは幕府の参政役老中以上に鋭く的確だった。
グラバーによると土佐藩からも坂本龍馬の口利きで、七万五千ドルで排水量140トンの鉄製砲艦の商談が成立しているという。
太兵衛には換算してそれが何十万両になるかは知らないが、前年に薩摩が購入した英国製開聞丸(源名フィラオ)が六百八十四トンの大型鉄艦で九万五千ドルと聞いているだけに、坂本龍馬が土佐藩として求めたのは小まわりの利く実践的な戦艦であることと、平時には商船として気軽に使えるように考えて発注したことが理解できた。戦艦の発注にも龍馬らしい思惑が働いているのだ。
土佐藩にはさらに輸送船の夕顔があり、排水量六百五十九トン、百五十馬力、全長三十六間(六十四・8m)、蒸気スクリューの鉄船でいつでも戦艦に転用できるとされている。
それに比べて幕府も軍艦の数四十を越すだけに装備では引けを取らない。
主力軍艦の回天は、千百五十トン、千二百馬力、長さ四十三間弱(約七十六m)、乗員二百二十名で五十ポンド砲一門、四〇ポンドライフル砲十門、銅製の十五口径滑空榴弾砲を備えている。
ただ、戦いは装備だけでは決まらない。作戦参謀の策に加えて司令官の的確な判断と指示、将兵の闘志と死を恐れぬ敢闘精神、さらには戦うための大義名分などが士気にも影響し、それらの総合力が勝敗の帰趨を決することになる。
こう考えると、民意も世相もすでにペリー艦隊がもたらした外国の文明の優れた面にも気づき、徐々に徳川幕府から離れつつある。それを正直に将軍に知らせなければならない、太兵衛はそう思っていた。

2、坂の多い町

三邦丸が長崎の港に碇を下ろすと、すぐ出島から通船が漕ぎ出して来るのが見えた。
全員に一晩だけの休暇が許されたから、甲板に出て小船を待つ藩士や船員の士気は大いに盛り上がっている。
上陸する部下に短い訓示を終えた西郷が太兵衛に近づき、後部甲板でお龍と言い争いをしている龍馬を横目で見て囁いた。
「坂本どんの護衛に付いてやってくれんですか」
「護衛ですか?」
「あん人は狙われとります」
「分かりました」
「それと、もしも龍馬どんがグラバー邸にも行きよったら、おいどんに拳銃一丁と言うてください」
「グラバーにですか?」
「そうです」
龍馬がお龍と折り合いがついたらしく、仲睦まじく腕を組んで近寄って来たので西郷と太兵衛との会話はそこで終わった。
「わしは長次郎の墓参りが目的じゃきに、お龍が一緒に陸に上がると言って聞かんのや」
龍馬が言い訳を言ってから、西郷に頭を下げた。
「西郷さんは船に残るそうじゃが、お龍の面倒を見てくれんかのう?」
「よかたい、おいどんも酒の相手が欲しかったところじゃ。ただ、酒の上の間違いちゅうもんもあるでごわすぞ」
お龍が嬉しそうに龍馬から離れて西郷の腕をとった。
「あら嬉しい。酒の勢いを借りなくても、龍馬さんが夜中までに帰らなかったらそうしましょう」
龍馬が苦笑いして言い切った。
「女の少ない江戸では、男が親しい独り者に女房を貸すのは当たり前じゃき、好きにせえや」
西郷が真顔で言った。
「坂本どん、夜の長崎は物騒でごわす。太兵衛どんを護衛に頼みもした」
「そいつは心強い。まだ刀の柄がよう握れんで助かります」
龍馬が太兵衛に頭を下げ、お龍が真顔で言った。
「太兵衛さん。うちの人と丸山などに行かんどいてよ」
「どこにも寄りゃせん。わしは亀山社中に顔を出したらすぐ帰るじゃき心配せんでええ」
「心配などしません。あたしは西郷さんと美味しいお酒を頂いてます」
「勝手にせえ」
龍馬は出島からの通船が三邦丸の下に横づけになると、草履を高下駄に履き替えた龍馬がさっさと綱梯子を下りて小船に乗り移って太兵衛を待った。
風呂敷包みと提灯持参の太兵衛が小舟に乗ると龍馬が小声で言った。
「陸に上がったら別行動じゃ。適当に遊んで先に船に戻ったら、わしは丸山に行った、と正直に言っちょくれ。朝帰りや」
「お龍さんと揉めませんか?」
「土下座して謝るじゃき心配はいらん」
「それと、もしもグラバー亭に行ったら拳銃一丁を、と西郷さんが言っていました」
「グラバー? そんなところ行かんよ」
桟橋に着いた小舟から降りるとすぐ、太兵衛が火を入れた提灯を龍馬に手渡した。
「済まんな。おぬしは」
「私は暗い道は歩きませんので」
「そうか、おまはんは闇でも見えるのは材木小屋で承知しとったわ」
軽く手を振った龍馬はもう振り向きもせず、海軍伝習所から丸山遊郭への雨上がりの道を下駄音を鈍く響かせながら歩み去った。
太兵衛は一度立ち止まって見送ってから、遠のいてゆく提灯の灯を追ってゆっくりと龍馬の後を追った。太兵衛はいつものように厚手の足袋に草履だから足音はしない。太兵衛としては、龍馬に万が一のことがあってからでは遅いという思いもあるが、それ以上にかねてから評判を聞いている龍馬の愛妾といわれるお元という丸山芸者を見てみたいと思ったからだ。
龍馬がかざす提灯の灯は、中島川にかかる橋の手前を揺らぎながら左に曲がった。
太兵衛は内心「おや?」と思った。
このまま真っすぐ行けば思案橋の右手にある龍馬行きつけの料亭花月だが、左に行くとなると龍馬が丸山芸者のお元との逢い引きに使う料亭となると清風亭が頭に浮かぶ。案の定、龍馬の持つ提灯の灯は賑わい橋を渡って清月亭に・・・と思ったところ、そのまま清風亭の座敷から流れ出る三味線の音やざわめきに立ち止まることなく通り過ぎて寺町通りを歩いて行く。
さらに歩くと前方に料亭一力の大提灯が見えて来た。ここは龍馬の率いる亀山社中の隊員達が贔屓ににする店で龍馬もなじみだが、丸山遊郭の中心部からはかなり離れているし、隊士に見つかる可能性のある丸山の看板芸者であるお元を呼ぶなどは考えられない。
太兵衛の勝手な思惑を振り切るように提灯の灯は、料亭一力の灯りを尻目に迷うことなく黒々と闇の広がる鬱蒼とした森の中に入って行く。

3、饅頭やの墓

その広大な森は長崎の名刹で知られる皓台寺の敷地だった。
太兵衛は何度か長崎には来ているが、皓台寺の森に足を踏み入れるのは初めてだった。長い盗賊生活の中で太兵衛は、神社や寺など神仏を祀る敷地内での殺生や物盗り強盗だけは経験がない。やはり、心のどこかで神仏の祟りが怖かったのかも知れない。
それでも太兵衛は、長崎だけで幾つもの末寺を待つほど著名な皓台寺については、多少の予備知識があった。
この皓台寺は二百年以上も昔の慶長年間に備前の国松浦の亀翁良鶴が創建したという曹洞宗の古寺で、長崎のキリシタン全盛時代には閑古鳥が鳴くほどの寂れた貧乏寺だった。それが、キリシタン禁教例の発令によって息を吹き返して庫裡や方丈を修築し、今では禅寺としては珍しく檀家も多く財政も潤っているらしい。
提灯の光に浮かぶ壮大な山門をくぐった龍馬は、正面の本殿に向かって足を揃えて腰を折って一礼をし、本殿には向かわずに丸抜きの障子窓から灯火の見える方丈の戸口に近寄り、「夜分にお頼み申したきことあり推参いたした」と、声を掛けた。
内部から引き戸が開かれ留守居の若い僧が迷惑そうに顔を出した。
「この一月半ばに出来た近藤長次郎の墓に案内してくれんですか?」
「はて? 調べてみますで少しお待ちを」
暫くして、僧が灯の点った提灯を手に引き戸を開けて出て来た。
「少し歩きますが、よろしいですかな」
龍馬と若い僧は、暗い空を覆う樹木の仲の細い坂道を上がり、山際の寂しい墓地にたどり着いた。
提灯の灯で粗末な木片に書いた墨字で長次郎の墓と確かめた龍馬が納得したように頷き、若い僧になにがしかの銭を渡して礼を言い、一人にして欲しい、と告げると若い僧は手のひらの中の銭の額を確かめてから大仰に頭を下げ嬉しそうに帰って行った。
そこには、亀山社中の規約にある抜け駆け禁止の約定を破って、詰め腹を切らされて死んだ近藤長次郎が眠っている。
僧の持つ提灯の灯が遠ざかって見えなくなるのを確かめてから、自分の提灯を傍らに置いた龍馬が正座して腰を折り、土下座して額を土に付けた様子だった。
暫くして声が漏れた。殆ど顔が土に触れる距離にあるだけに声はくぐもるが、幹や枝葉の重なりあった樹林に騒ぐ風の中でも呟くように墓板に語りかける龍馬のくぐもった涙声が夜のしじまを縫って太兵衛の地獄耳に届いてくる。
「宗次郎、悪かった。わしが留守にしたために死なせてしもうた。わしがおったら切腹などさせんじゃった。
おぬしとわしは幼馴染、歳はわしより三つ下だったが小さい時から家業の饅頭を抱えて売り歩いて貧しい家族を助け学問もよくした。その結果,土佐城下の噂が城内に知れ渡り、容堂公自らが名字帯刀を許された。わしとは神戸海軍操練所でも勝先生の弟子として働き、共に亀山社中を立ち上げた。
おぬしはまことに有難い存在じゃった。じゃが饅頭や! おぬしは自分の才に溺れて驕慢になり、グラバーから亀山社中の名で買ったユニオン号や洋式小銃を長州に売っただけじゃに、何もかも自分だけの手柄にして毛利の殿様から謝礼金や刀などを貰って独り占めにしたり、社中の金を横流しして利ざやを稼いで懐に入れたりしていたという報告が社中仲間から届いちょる。その真偽などはどうでもいい。おぬしの人望のなさが辛いのじゃ。仲間から信頼されんではでかい仕事はできん。その上、大儲けさせたグラバーからお礼にイギリス留学の甘い罠を仕掛けられ、つい乗ってしまったのがこのざまじゃ。
嵐で出航が日延べになったと言うて亀山におぬしの密航を知らせに来た水夫はグラバーから金を貰っての仕事じゃったそうだ。グラバーは武器の売買を独占して高利をむさぼるつもりじゃけん、社中が間に入って商売やるのは好かんのじゃ。それにしても見事にはめられたもんじゃ。饅頭や長次郎、おぬしはグラバーに殺されたようなもんじゃ。陸奥や千屋に責められても、おぬしは武士じゃないじゃきに腹など切らんでもよかった。平謝りに謝って許しを乞い、土佐に戻って饅頭屋をやってりゃよかったんじゃ。そしたら、わしが必ず迎えに行き海外飛翔の夢を一緒に味わえただに」
龍馬が立ち上がって夜目にも汚れた手ぬぐいを出して涙を拭き、その布で墓板を拭いた。
「宗次郎、おぬしにこの山の中は似合わん。近いうちに必ず梅の花の香る小曾根邸の墓地に移してやる。それまで待っちょれや」
龍馬は提灯を手に坂を下って樹木が風に騒ぐ浩台寺の森を出て、来た道を戻って行く。太兵衛の予想はまた外れた。
ここから北に寺町通りを少し行くと禅林寺と深崇寺があり、その近くに亀山社中の拠点があるはずだった。ならば、久しぶりの長崎で亀山に寄るのは頭領として当然のことなのに、それに背を向けて龍馬は来た道を下って行く。
やはり、お元に逢うほうが亀山社中の仲間よりは先なのか?
龍馬は帰路もまた丸山遊郭には寄らなかった。ひたすら外人の住む南の山手町に向かって急いで行く。唐人の住む屋敷町を抜けて大浦の高台を見上げると、そこには港を見下ろす城郭のように森に囲まれた巨大なグラバー亭が見えて来た。

 

 4、トーマス・B・グラバー

丘の上のあちこちに銃剣を抱えた警備の私兵が立って歩哨を務めていて、土佐や薩摩でも見られないような大砲が何門も据え付けられている。ここはまさしく役人の手の届かぬ外人部隊の要塞なのだ。長崎にはイギリス、アメリカ、オランダ合わせて百人近い外人が正式に居住して何らかの仕事に従事していたが、実際には密入国や不法滞在も併せると二千人を下らないという噂もある。その大半がグラバー邸に関係しているらしい。
神戸にあった幕府の海軍操練所で龍馬と行動をともにしていた長岡謙吉や陸奥陽之助など十人以上が集まって築いた亀山社中が、薩摩藩の援助を受けたりしてここまで何とかやりくりをして来たのは太兵衛も知っていたが、近藤長次郎の死がグラバーの策略によっての内部分裂狙いとは思ってもみなかった。しかし、グラバーならやりかねない。
太兵衛は薩摩藩の鑑札と通行手形を持つ呉服商として、亀山社中の何人かとは面識があり、秀才振りを認められながらも饅頭屋と呼ばれて蔑視されていた近藤長次郎にも会っている。背が低いために刀だけが異様に長く見えたが、近藤という男だけが太兵衛の反物を厳しく値切ってきたのを覚えている。その挙句に買わなかった。もっとも太兵衛としても売れ過ぎて荷が減ると困るので、値切られても値引きはしなかった。
グラバー邸の門番が銃剣を前に突き出して、「ダレだ? ナンノ用か」と叫んだが、それを無視するかのように龍馬が大きく手を振って普通の声で話しかけ、全く歩調も変えずに悠々と肩を揺すって門内に入って行った。
「よく見い。わしは坂本龍馬じゃ見忘れたかや? ミスターグラバーに会うので通るぜよ」
言葉が通じるのか、守衛兵は笑顔で挨拶して龍馬を見送った。やはり、ここに数多く通っているのは間違いない。
太兵衛は闇にまぎれて邸内に潜入し、家屋に近く伸びる楓の幹を伝って屋根のひさしに移り、懐中から出した忍び道具のクナイを使って窓の内カギを外し、苦もなく室内から素早く屋根裏に忍び込んだ。耳を澄ましすと話し声が階段を上って来る。太兵衛は身を低くして天井裏を這い、応接間の真上に移動して身を潜めた。お誂え向きに丁度手ごろの小穴が開いていて、そこから下が覗ける。
太兵衛は、将軍家茂の遠国御用に採用される以前の仕事でも長崎の地を何度も訪れていた。
ここは振興地だけに外国から来た珍しい品物も多く、盗品は仲間の骨董屋に運べば右から左に高価な値がついて好事家に売れた。
グラバーは、その頃からの顧客だったから邸宅の間取りも来歴も頭に入っている。太兵衛が天井裏に忍び込んだのは初めてではない。遠国御用を務めるようになって、グラバーと知り合ってからも天井裏に潜ったこともある。そのとき異様な儀式を見たこともあり、つい呼吸の乱れを生じて、そのまま応接室の上まで移動し、後から部屋に入ったグラバーに気づかれて拳銃で狙われたことがある。あのときは命からがら逃げ出してことなきを得たが、この魔物の巣窟のようなグラバー邸だけは好きになれない。
忍びの修行には実技だけでなく天変地異から政治経済、各地の方言や風習、金銀から小銭までの流通価値や米相場、男女の秘技までも学習しなければならず、記憶力や決断力も並みの人間と同じでは勤まらない。その点、太兵衛とグラバーには共通点があった。
トーマス・ブレーク・グラバーは一八三八年(天保九年)、スコットランドの沿岸警備隊一等航海士の五男として生まれた。
若くしてイギリスから上海に渡り、世界最大の貿易商社でイギリスの国策会社でもあるジャーディン・マセソン商会に入社している。
そのジャーディン・マセソン社の遠い昔は、世界をまたにかけて船や港や豪族を襲って金銀財宝などを奪って財を成したイギリスが誇る海賊だった。イギリス本国にはジャーディン・マセソン社の前身である東インド会社が世界中から集めた貴重な品々を一堂に集めた博物館とやらがあるらしい。
その中には著名な戦国武将の甲冑や刀剣をはじめ、つい近くまで活躍していた歌麿らの浮世絵までがたくさん飾られている、とグラバーが得意げに太兵衛に語っている。しかも、グラバーもまたジャーディン・マセソン社で右に出るもののない国際的な遠国御用で、その与えられた使命の中には、幕府を倒して自由な貿易で利益を増大させることも入っているのが読み取れる。お互いに体質が同じだから、しばし睨み合っただけで素性を読み取っているのだが、そのことには一切触れずに腹の読み合いで均衡を保つことができるのも同質の原理が働くからだ。
グラバー商会の設立当初は、おとなしく日本名産の生糸や緑茶を輸出することだけだったが、日本の政治が変革期を迎えたとみて、直ちに武器の売買を計画し、アメリカ合衆国の独立戦争終結で不要になった小銃や大砲、爆薬や弾丸などを買い漁り、取りあえずは倒幕という同じ目的を持つ薩摩や長州、土佐までを視野に入れて武器・弾薬を売りまくった。そこで坂本龍馬率いる亀山社中とも取引が始まったのだ。
グラバーは、日本の近代化に必要とみて、薩摩藩や長州藩の優秀な若者をイギリス留学に斡旋し渡航させている。それからみれば、亀山社中の近藤長次郎をイギリスに渡らせることなど、さしたることではない。
昨年の慶応元年(一八六五)には、この長崎の大浦海岸にレールとか呼ばれる無限に続く角ばった細長い鉄の上を、日本で初めてという蒸気機関車のアイアン・デューク号を走らせたのもグラバーだった。グラバーが日本の近代化に貢献しているのは間違いない。グラバーが残したその功績は太兵衛も認めている。

 

5、ある儀式

洗濯で日本を洗い落とすと豪語する龍馬と、日本の近代化に貢献しながら儲けるグラバー、この二人は何を語り、何を企むのか? 太兵衛にとっても気になることだった。
やがて、部下に案内された龍馬と会ったグラバーが、なにやら一階で時間を過ごしている雰囲気が伝わって来てはいたが、太兵衛は焦らなかった。二人の声がどの部屋から洩れているかを明確に知っているからだ。
「わしもこの部屋での入会の儀式は、今でも鮮明に覚えてるぜよ」
「もう何年になりますかな? 本当に心のユルせる人イガイは、あのギシキはゼッタイにしません」
「亀山社中でわしのほかに、フリーメイソンは誰かいるかね?」
「とんでもない、ブラザーはサカモトさんだけ。あとの人はカンケイありません」
二人が部屋を出て、話しながら移動してくる。
さすがに泥まみれの高下駄は脱がせられたらしく、スリッパとかいう鼻緒のない草履を履かされているらしく絨毯を引き摺るあしおとがする。こうして耳を澄ませていると、いつも右肩を極端に下げている龍馬の歩き方が足音にも出ていることがよく分かる。
それにしても、以前垣間見たあの儀式は厳粛で異様だった。
部屋中を黒く塗りつぶした壁には、三角形と逆三角形がクロスした絵柄の真ん中にヘブライ文字がある飾りとか、定規とコンパスとかいう海洋の測量具の重なった絵、後光のさした星の中心にGの字がある絵などが飾られて、ランプの光に揺らいでいる。部屋には黒いマントを身にまとったグラバーと仲間らしい五人の外人が並び、背の低い総髪の浪士風の男が一人いた。その部屋の洋風机の上には、水差しだとかパンの切れ端などの他に何か入った陶器などが置いてある。
グラバーが机の上の紙片になないか質問らしい内容を書いて渡すと、短躯の男がそれに回答をするらしい。太兵衛が天井裏の小穴から目を凝らして読み取ると、ガラス筆に墨を付けて書かれた文章は禅問答を易しくしたような内容だった。
「生きて神にタイして、そのシメイを負うのはナニか?」
「神の示す慈愛と正義で世に尽くすことです」
あとの二つも似たような質問だったが内容は忘れた。
「人間としてどう生きるか?」
「他人に対して何をするか?」
などと、神、自分、他人に対する心構えなどがテストされていたような気がする。
その後でグラバーが背の低い浪士に目隠しをして半間ほどの距離に対峙して、何やら儀式を行ったが内容は忘れた。
目隠しを外された男にまた「セイヤクショです」と小声で紙片が手渡され、それを机に置いた浪士風の小男が何やら書き込んで、それをグラバーに手渡すと、グラバーはすぐランプに近寄り火をつけて紙片を陶器に入れてる灰にした。この儀式は全て証拠を残さないらしい。
突然、背の低い浪士を囲んでいっせいにマントの下から出した西洋の剣を突き出し、身体に触れる寸前で止めた。
奇妙な儀式は終わった。
五人の外人が剣をマントの下の鞘に収め、二人に軽く頭を下げ無言で部屋を出て行った。
「ウエスギソウジロウさん。あなたは今日からワレラのブラザーです」
長身のグラバーが、ソウジロウという男の肩を抱くようにして部屋を出た。
「アナタをショウカイしてくれたサイスケさんにも、このギシキのことはナイミツに」
その時は、風采の上がらぬ短躯の名の知れぬ男を気にもしなかったが今は違う。
近藤長次郎の墓前で、龍馬が宗次郎と呼んだ。上杉宗次郎は饅頭や長次郎の亀山社中での通称だったのだ。その宗次郎こと饅頭や長次郎はもうこの世にはいない。
グラバーは明らかに龍馬にウソをついている。太兵衛は、グラバーの言った「サイスケ」という名にも聞き覚えがあった。サイスケとは薩摩藩士・五代友厚の通称の才助に違いない。亀山社中はすでに個人個人が己の利益のために動いている。と、なると龍馬はいつの間にか狂言まわしの役割に利用されて暮らしていることになる。太兵衛は今の龍馬が、なぜか哀れに思えてきた。
応接に入ると間もなく、中国系らしい女中がお茶を運んで来て丁寧にお辞儀をして去った。
「これで二人きりになれました」
厚塗りの漆に貝ガラをはめ込んだ重厚なテーブルの上に置かれたお茶には口をつけず龍馬が懐に手を入れた。
「サカモトさんは、おチャよりワインでしたな」
グラバーが棚から瓶をとって振向いたとき、椅子に座った龍馬の手の短筒が胸を狙っていた。
「ナニをするです!」
ワインの瓶とグラスを持ったグラバーが驚いた表情ですぐ両手を挙げた。
「おぬし、わしを甘くみたな?」
グラバーの胸を狙った龍馬の表情が険しくなり、目が据わっている。
「Mr・グラバー。あんたが宋次郎を殺したんじゃ!」
「ウエスギさんは、ナカマわれでハラキリしたと聞きました。チガいますか?」
「イギリス行きを餌に汚い手を使いおって」
まだ怪我で不自由なのか、龍馬は両手で銃を握っている。
「許さん!」
龍馬が引き金を引いた。
カチっと劇鉄の金属音はしたが銃声はない。龍馬が銃を置いた。
「タマは抜いてある。腹は立つが殺しはできん」
「オドロきました」
蒼白な顔のグラバーがホッとしたような表情で螺旋状の栓抜きでコルクを抜き、二つのグラスにワインを注ぎ、「カタキヤクでもスコールです」とグラスを突き出し、龍馬のグラスに当てると鈴のような澄んだ音が響き、それで張りつめた空気和み、何事もなかったように二人はワインを口にしたが、どちらの表情にも笑みはなかった。