第八章 龍馬の秘密

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1、裏切り

卓上に置いた拳銃を龍馬が懐中にしまうと、笑顔を見せてグラバーが言った。
「サカモトさんはワタシのブラザー、お互いに裏切りはなしです」
龍馬が詰問した。
「では、何ゆえに宗次郎一人だけをイギリス留学に誘ったんじゃ」
「ウエスギさんから、どうしてもイギリスに行きたい、と言って来たからです」
「ユニオン号を長州に運んだとき、宗次郎は長州の伊藤にイギリスの話を散々聞かされて、社中に戻って夢中でイギリスの話をしておった。最近はさっぱりイギリスの話題に触れんじゃき、隊員の間で最近の饅頭やは変じゃ、という噂が出ておったそうじゃ」
「ワタシとは関係ありません。ウエスギさんのイギリス行きは、サツマから頼まれました」
「薩摩じゃと? 西郷、小松、吉井、その中の誰じゃ?」
「それは言えませんな」
「薩摩は、わしに仕事を任せたんじゃ」
「サカモトさんがいなければ、わたしはもっと大儲けできました」
「わしらが仲介するから武器は売れるちゅうことを忘れたか?」
グラバーが茶色がかった口ひげをゆがめてせせら笑った。
「サカモトさん。ワタシはどこにでもジブンで売れますよ」
「あちこちに賄賂をばら撒いてか?」
「商売にリベート、ワイロ、バックマージンはつきものです。ワタシはサカモトさんに五十両のプレゼントを贈っています」
「わしの給金の一年分じゃ。わしは、そんな姑息なことはしておらん」
「その懐中にあるのは、ワタシからのプレゼントです」
思わず龍馬が懐中に手を入れて拳銃に触れた。
「これは西郷さんから貰ったんじゃ」
「ワタシにもう一つ、預かってくるように言われませんでしたか?」
「そう言えば、短筒を一丁貰って来るように、連れの男に言われちょる」
「こうして、サイゴウさんの手元にはいつもピストルがあるのです」
「なるほど、吉之助さんはグラバー社のエージェントってわけじゃな?」
「あのヒトは、そんなケチなこと考えません。別の人です」
「誰じゃ?」
「それは言えません。ただ、サカモトさんの身近にいるヒトと言っておきましょう」
「バカな。そいつもわしを裏切ってると言うのか?」
「ミナさん、サカモトさんを利用しています」
「でも、なぜこんな高価な品をくれるんじゃ?」
「日ごろのお礼をしながら、気づかれずに武器の普及がはかれます」
「宣伝ってやつだな」
「そうです。高名なヒトがこのピストルを持てば、皆さんマネしてほしがります」
「なるほど、我々を客寄せに使うのか?」
「おかげでピストルは、とぶようにウれます」
グラバーが立ち上がって、戸棚から黒い箱と弾丸の入った小箱を持って来る。
黒い箱の蓋を開くと、龍馬が持っているのと同じタイプの拳銃が出てきた。
「スミス&ウエッソンのリボルバー、ニホンでは回転式連発銃の六連発と言います」
「これが五十両か?」
「何万両にもなって帰ってくれば、安いものです」
「なるほど?」
グラバーが短銃の腰を折り、輪胴式の回転弾倉の六つの穴の一つだけに弾を入れて銃身を戻し、弾倉を指で回転させて弾の位置を確かめてから、ゆっくりと龍馬の額に狙いを付けた。
「ワタシはサカモトさんと違います。実弾を打ちます」
右の人差し指が引き金に触れたとき、グラバーの表情が険しくなった。
次の瞬間、グラバーの顔と銃が天井を向き轟音と同時に頭を反らせた太兵衛の鼻先を熱いものが通過した。弾丸は屋根の裏側を壊してはじけ飛んだ。室内だけでなく天井裏にも硝煙がこもり思わず咳き込みそうになって太兵衛は手で口を押さえた。瞬間的に避けたがあの時と同じ状況になっている。
弾丸は一発だからと安心して小穴から下を覗くと、偶然かどうかグラバーがチラと視線を上に上げ、天井裏から覗く太兵衛の目を見てニヤリと笑った・・・この時、太兵衛は部屋の明かりが漏れる小穴がそこしかないことに気づいた。なんと、グラバーは以前、拳銃で開けた穴から覗いている太兵衛を狙って寸分違わず同じ穴を撃ち抜いたことになる。顔は見えないはずなのに。やはり、グラバーは恐ろしい男だった。数人の私兵が銃を構えて駆け込んで来る。
「What?(なにか?)」
「it is a mousu、 Marder him!(ねずみだ、殺せ!)」
「Yes」
「Prise money is 10dollars(賞金は10ドルだ)」
グラバー邸の内外に人の動きが激しくなり「10ダラー」という叫びがあちこちから聞こえてきた。
太兵衛は背筋に冷や汗を感じながらも冷静に脱出を考えた。新たな退路を探す時間はない。逃げる速さが生死の岐路になるからだ。太兵衛はとっさの判断で入出路を逆行する道を選び、直ちに背を屈めて天井裏の梁を走った。草履は布にくるんで懐に入れてある。
太兵衛の動きに合わせるようにグラバーが動く気配が背後から伝わって来た。
「少しお待ちください。ジャマモノを消してきます」
龍馬に言い残してグラバーが部屋を出た気配がある。ここには百人とも二百人とも言われる不法滞在の外人兵が養われているという噂もある。しかし、外出したり休憩したりで緊急に間に合って臨戦態勢に入れる兵はさほど多いとは思えない。
太兵衛は、屋敷裏に獰猛な大型の猟犬を飢えた状態で何頭も飼っているのを知っている。放し飼いにしないのは過去に何度も初対面の新入りの私兵を襲って噛み殺しているからだ。
ただ、一度顔合わせをさせて慣れさせた兵には二度と襲わないように訓練してある。その犬どもに太兵衛は以前来訪した折、庭に散歩する時間をもらって裏の犬小屋に寄り、用意した鶏肉団子を与えて手なずけてある。ただ、太兵衛の体臭を忘れている場合は始末が悪い。逃げる太兵衛を獲物と察知すれば凶暴に襲って来る。その上、軍隊同様に訓練された精鋭部隊の銃弾に狙われたら逃げようがない。その前に、この広大なグラバー邸の敷地内から森を抜けて脱出しなければならない。
この騒ぎの中で龍馬は冷静だった。
自分の拳銃の弾倉に弾を込めながら、どうすべきかを考えた。
まさか、天井裏に人がいるとは考えてもいなかった。
寺田屋でも、天井裏から卵榴弾が投げ込まれるまで人の気配に気づかなかった。あとで太兵衛の存在を知ったのだが、見えない人間は察知しづらいものだ。その見えない人の気配に気づいて銃を撃ったグラバーに、龍馬は恐怖と警戒の念を強く感じていた。ただ、その瞬発的な必殺の早撃ちを一瞬の間にどう避けたのか? わざと外したとも思えない。それは、弾道に手応えがなく天井から屋根に抜けた弾が撥ねた瞬間、グラバーの表情に「おや?」という戸惑いが見えたことでもよく分かる。
それにしても、天井に潜んでいたのが太兵衛だとしたら、これもまた恐ろしい男だ。自分の後をつけて来たのにも気づかなかったし、この厳しい警戒態勢の中でどこから屋根裏に潜り込んだのか? 逃げ道は考えているのか?

 

2、犬嫌い

太兵衛とグラバーを天秤にかけると、金塊と紙切れを比べるようなものだ。太兵衛には命を救われた、グラバーには世話にはなったが騙される場合もあり信頼関係は薄い。
龍馬は、太兵衛をどう逃がすかをを考えた。
太兵衛が敵ならば龍馬の命などとうに奪われていたであろう。これからの展開は全く読めないが、ここで太兵衛を救けねば男がすたる。
太兵衛なら闇の中でも目が見えるから灯火のない裏山に抜けるのが最善だが、まず裏の小屋にいる猟犬に騒がれる。何とか山に逃げ込むことは可能だが、十頭近い獰猛な猟犬を森に山に放たれて、銃砲で狙われたら逃げ場がない。
森を囲んで完全武装の私兵が守りを固めて不審者の不法侵入を防いでいる。しかも森には紐に吊るした二枚合わせの板片が張り巡らされていて、それに引っかかるとカラカラと激しい音がして闇夜でも集中攻撃を受けることになるだろう。
こう考えると、いくら大胆な太兵衛でも森の中で猛犬に囲まれて集中砲火を浴びるよりは、衛兵が二名だけで油断が多い正面の表門を突破する方が楽な気がする。そこから西に逃げれば海岸だが追われると隠れる場所がない。東に逃げれば山側を大きく迂回してオランダ坂上から唐人屋敷と逃げ切れる可能性が高い。何はともあれ、門から少し離れた場所で騒ぎを起こして兵を集めて正面を空にすれば太兵衛を逃がすことが出来る。ここは太兵衛を助けて借りを返すのだ。
何か理由を付けて、庭で暴れて追手の注意を自分に集めて太兵衛を逃げやすくする手だ。その手段は臨機応変の出たとこ勝負でいい。
これが龍馬の考えた太兵衛救出作戦だった。そう思うと居は無用、弾丸入りの小箱を懐中にし西郷用の拳銃の箱を小脇に抱えて龍馬が立ち上がった。龍馬は部屋を出て「帰るじゃき刀を!」と大声で怒鳴った。
あわててグラバーの従者が龍馬が預けた刀を持って来た。それを腰に手挟むと厚手の赤い絨毯を敷き詰めたロビーを抜けて表に出た。建物内に居た私兵が、「Weit!」となどと銃剣を構えて止めようとする。それに構わず玄関に出て、スリッパとかいう部屋草履から高下駄に履き替えて表に出た。
玄関を出ると、靴を履いて拳銃を手にして指揮をとるグラバーが振向いた。
「サカモトさん。ジャマが入って迷惑かけました」
「心当たりは?」
「商売カタキならオランダの密偵ですが、多分、サカモトさんを狙った刺客でしょう」
「刺客か? ならば、わしも正体を見届けたいものじゃ。どこにいますかな?」
「屋根裏、屋根の上、裏庭、庭の内外を徹底的に調べています。ここからは逃げ切れません」
龍馬が耳を澄ませた。なにやら犬の吠え声を聞いたような気がしたからだ。
「犬かね?」
「八頭のイヌを放しました。すぐネズミを噛み殺します」
犬と聞いただけで龍馬の体に震えが来た。子供のときに急所を噛まれた時の恐怖を思い出すからだ。医者に「この子は将来、子供が出来んかも知れん」と、言われたと父から聞いた。その苦手な犬が八頭も? 龍馬は戦意を失って立ち尽くした。それでも西郷への土産の荷物を左脇に抱え、不自由な右手で懐中の短筒を握り締めたのは太兵衛を助けたいという気持ちより、犬からこの身を守りたいという防衛本能からだった。

太兵衛は屋根から大樹の枝に飛び、張り巡らせた紐より高い位置で枝から枝を伝わって森を抜け、樹木の切れ目で地上に降りた。太いケヤキの大木に隠れて背後から周囲の様子を眺めた。幸いに灯のない方角に逃げたので追っ手はいない。ただ、森の切れ目の要所に銃を持った私兵が隠れているのを知っているから迂闊には走れない。その時、広大な敷地のあちこちに仕掛けられたエレキとかいう揺れない灯火が輝いて闇を明るみに変えた。これでは、森から出たら丸見えだ。近くで、「I see it in this!(これで見えるぞ!)」との声がして太兵衛の脱出を阻んだ。ここを走れば、狙撃兵の銃弾に撃ちまくられて殺される。その上、小屋から放たれたらしい猟犬の走り回る足音と唸り声があちこちから聞こえて来た。ここから逃げるのは大変なことに気づいた太兵衛は、万が一を考えて懐中から出した忍び用万能黒布で目以外の顔を隠した。グラバーには、薩摩の御用商人として会っているので顔を見られたくない。
その太兵衛めがけて数頭の人食い猟犬が猛烈な勢いで襲ってきた。太兵衛がクナイを握って身構えていると足元まで走り込んだボスらしい猟犬が懐かしげに唸り声を上げて尾を振った。彼らはかなり以前に格別に旨い肉団子を与えてくれた太兵衛を覚えていたのだ。
猟犬の群れは獲物を求めて方角を変え、疾風のごとく走り去った。一時的に緊張から開放された太兵衛は、太い木の幹の陰に潜んで深呼吸をして息を整え、周囲の状況を見届けてから策を練ることにした。そのとき突然、乾いた銃声が起こった。
思わず太兵衛は本能的に地に伏せたが弾丸が飛んで来た様子がない。続いて二発目の銃声が響き猟犬の悲鳴や激しい吠え声が聞こえた。警備の私兵が太兵衛を発見したにしては距離があり過ぎる。銃声の響きから小銃ではなく短筒と分かる。その位置から判断すると銃声は玄関から門への中間の庭道で生じている。
「さあ、掛かって来い!」
龍馬の半ばヤケ気味の悲壮な声が枝葉を揺する樹林の闇の彼方から聞こえて来る。猛犬の群れは新たな獲物を見つけて飛び掛り、逆に龍馬の拳銃で撃たれたのか? 太兵衛はクナイを手に樹林を縫って走った。やはり、龍馬が必死の形相で拳銃をの龍馬が猟犬に囲まれて苦戦していた。二頭の大型犬が倒れていて一頭はまだもがき苦しみ哀れな悲鳴をあげている。
グラバーの私兵が、飢えた猟犬に襲われた龍馬を救おうと銃を構えたが、「手だしするな!」とグラバーに怒鳴られて銃を下ろし、騒ぎを知って駆けつけた五十名ほどの私兵が猟犬と龍馬の死闘を遠巻きにして眺めた。誰も龍馬を救おうとしない。
「坂本龍馬が野犬に殺された」、この筋書きなら誰にも文句は言われない、邪魔者が排除されたと喜ぶ者もいるはずだ。どこかに隠れたネズミを退治するのはそれからでも遅くはない。グラバーの考えそうなことだ。
龍馬の剣の腕がさしたることがないのは調べ済みだが、二発で二頭を倒したのはなかなかだ。だが残った弾は最大で四発、四頭を倒しても残った二頭に喉を噛まれ内臓を食い千切られて息絶える。これがベストのシナリオだ。
グラバーが拳銃を腰に下げた皮袋に収めたのを見た部下達が、構えていた銃を下ろして傍観者になった。彼らは龍馬と猛犬との決闘に気をとられて、一時的にしろ屋根裏のネズミのことを忘れていた。そこに覆面をしたネズミが風のように現れて猛犬の群れに飛び込み、手にした短い刃物を振り回して暴れまわるから驚いた。あわてて銃を構えても乱入した曲者の動きが早くて狙いも定まらない。
太兵衛の参戦で勢いづいた龍馬がすかさず一頭の腹部を射抜き、さらに襲ってきた一頭の口の中に至近距離で一発と二頭をし止めた。太兵衛はというと、わざと急所を避けて猛犬を滅茶苦茶に切るから傷ついた猟犬は敵味方の見境なく噛み付き、逃げ惑う私兵に次々と重傷を負わせて暴れまわった。
こうなると混乱の度が深まるだけで怒号と悲鳴と争う物音で全く収拾がつかない。私兵も銃で反撃したいのだが、猛犬の飼い主が雇い主のグラバーだけに射殺も出来ない。太腿の肉を食い千切られた男が思わず手にした銃を持ち替えて台尻の堅い部分で襲った犬の頭部を叩き殺したところ、グラバーの拳銃から発射された弾丸で額を撃ち抜かれて即死した。
グラバーが「Do not miss it!(逃がすな!)」と拳銃を構えて叫んだときは、すでに、高下駄を脱ぎ捨てて素足になった龍馬は土産の箱を抱えて黒覆面の男に続き、門外はるかに走り去っていた。龍馬の逃げ足は意外に早かった。

 

 

3、夢の中へ

あの日、龍馬と太兵衛は丸山にも泊まらずに夜のうちに三邦丸に戻って来た。しかも酔ってもいない。履いていた高下駄は船着き場の船頭のチビた草鞋に化け、手足は傷だらけ羽織袴もズタズタに破れた惨めな姿で帰って来た。ただ、グラバーから西郷への頼まれ物を後生大事に抱えてきたから、グラバー邸に寄ったのは確からしい。太兵衛はというと、汚れた足袋を脱ぎ、懐中から出した草履を素足で履いているから出かけた時とさほど変わらない。
二人は誰に聞かれても黙して語らず、西郷にもお龍にも何も言わないから誰もが勝手に想像するしかない。お龍が言った。
「グラバー邸から丸山遊郭に行くと思ったけど、あたしを想って我慢して、遊びに誘った太兵衛さんと喧嘩になったのね?」
これなら筋が通る。これで一同納得して龍馬のお龍に対する誠意が美談になって伝わった。だが、真相は長崎出航寸前にグラバーから届いた贈り物と添え書きで明るみに出た。
贈り物は大量のカステラとワインで、代筆らしき日本語での添え書きがあった。
「坂本龍馬様。この度は拙宅にお越し頂き有難うございました。その折に放し飼いの当家の愛犬と戯れ、度が過ぎて不快な思いをされましたらご勘弁ください。この件を含めて後日の遺恨にならぬよう、全てを天井にいたネズミ様共々水に流して従来通りのご交流をお願い申し上げると共に、お詫びの印に心ばかりの品(創業百年松翁軒カステラ三十本、天朝様御用達の長崎ワイン三ダース三十六本)をお届けします。また次回、長崎にお立ち寄りの節は是非お立ち寄りください。心からお持ちします。トーマス・B、グラバー拝」
これで、犬嫌いの龍馬がグラバー邸の飼い犬と遊んで衣服が汚れたことも判明した。それと、グラバー邸があれだけの豪邸でもやはりネズミには悩まされていることも分かり、ネズミに様という敬称を付けたユーモアにも感心し、今までは不気味に思えたグラバーという人物に何となく親しみを感じる、という者もいた。太兵衛のことは話題にも出ない。
ともあれ、藩士も水夫も思わぬ差し入れを歓迎し、白砂糖をたっぷり使った日本での元祖カステラは大人気で均等に分けてたちまち全員の胃袋に行き渡って消えた。だが、ワインだけは禁断のキリスト教と共に伝来した粛清の血の色の南蛮人の飲み物として忌み嫌われている、という思い込みからさっぱりと人気がない。ただ、ワイン好きの西郷などは「おいどんが皆さんの分も飲んで進ぜますたい」と恩着せましく箱ごと抱えて自室に運び込んでいる。
太兵衛は本来は無類の酒好きだったのだが、仕事柄、失態を避けるために酒断ちをしていた。従ってワインも飲まない。龍馬も本来は伏見の酒一辺倒なのに、今回に限って好きでもないワインを自室に運んでいる。これはどうやら、お龍がワインを好むらしい。
三邦丸は、龍馬が犬に苛められたらしい、という笑い話を土産に長崎の港を出航した。
太兵衛は、龍馬がご禁制の隠れキリシタンであることはとうに知っていた。時折、手のひらに乗せた銃弾を潰して造ったらしい小さな鉛のクルスを眺めている表情からも窺える。それは、太兵衛と面識のない龍馬の姉乙女、死別した次姉の栄、それら身内の影響かとも思えるのだが本人の内面は覗けない。

その龍馬は、お龍がワインに快く酔って深い眠りについてから、鉛のクルスを手にしてひそかに祈りを捧げていた。この鉛のクルスはいつも龍馬の魂を揺さぶって怠惰に流れやすい龍馬を叱咤して眠りから覚ます。貧しい百姓が撃たれ、その体内を貫通した銃弾から造られたクルス・・・ここには人の命の歴史がある。この弾に射抜かれて絶命したのが貧しい百姓だとしたら、その生きた意味は何だったのか?
人は愛し愛され争いのない世界を望むのに、平和のために戦わねばならない時があり革命には血が流れるのは仕方ないと言い、争いはなくならない。これは矛盾ではないか? 今、日本は海外からの圧力という国難に瀕している。国内の小さな争いに明け暮れても意味がない。ましてや、勤王倒幕だの佐幕だのと国を二分しての殺し合いなど何の益があろう。グラバーのような武器商人を儲けさせているだけではないか? その武器を仲介して荒稼ぎしている自分もまた共犯者なのだが・・・。
戦いの勝者は常に正義を標榜するが、百年二百年後の歴史は勝者と敗者の立場を逆転させるかも知れないのだ。しかし勝者は勝ち残り敗者は抹殺される。その法則は永遠に変わらない。かつて姉の乙女に「お国のような所で、何の志もなくだらだらとただ日を送っているのは実に大ばか者である」などと大きな口を叩いた手紙を送ったことがあるが、これも恥じ入るばかりだ。毎日が平和で食べるものに困らなければだらだら暮らしてもいい。ムキになって殺しあうよりはいい。ただ本音と現実は大きく、人前に出ると龍馬は胸を張って改革を語り海外交易の重要性を熱弁した。
グラバーに指摘された赤岡村の元作とは安政三年、二十二歳の時に知り合った。
沿岸警備と砲台建築の臨時御用で江戸の大井村にある土佐藩邸に召喚されて、百日間の任務期間を共に同じ部屋で暮らした仲だった。
その折に、元作の住む赤岡村には天草の原城で皆殺しから逃れて隠れ住んだヤソ教の子孫が、未だに身を寄せ合って深い信仰に結ばれて隠れ住むことを知った。その時は興味がなかったが、いつか寄らせて貰う約束をしたのを覚えている。
龍馬が赤岡村を思い出したのは、脱藩して放浪の旅で立ち寄った荒涼とした原城の戦場跡で拾った、この血を吸ったかも知れない鉛のクルスとの出会い、二十八歳の初夏からだった。
日本の平和、世界との交易、この夢が坂本龍馬のこの身で叶わぬなら、迷うことなく我を捨て、この身に潜む見知らぬ者の願いを再度、いや再々度でも聞き届けてくれるものだろうか? この、二十八歳の初夏から抱き続けている疑問は、いま死に瀕して確かめることが出来るかも知れない。
龍馬には、どうしても確かめておかなければ死んでも死に切れない事情がある。
「本当の自分は一体全体何者で、何を目論んでいたのか?」と、いう大きな疑問で、これだけは絶対に確かめたかった。
これは、最近の自分の思わぬ変貌に驚いている龍馬自身が疑問に思っていることだった。
龍馬の本音は世直しなどにはない。むしろ、自分自身が望まぬ方向に引き込まれてゆくことに抵抗の日々を過ごしているのが真実なのだが、これも誰にも理解されそうもない。今の自分は、本来の自分の望む生き方とはまるで違っている。
この坂本龍馬の名を持つ自分の実体は、完全なる自分自身ではない。ある時期のある瞬間から何かにとり憑かれたように自分が変貌を遂げている。まるで、勝手に移り住んで来た望まぬ魔物に自分が乗っ取られたのか合体したのか?
もしも、この世に輪廻転生が存在するなら・・・それは必ずしも肉体である必要はない。思想とか教えとか愛情、勇気や優しさ、感謝など心の輪廻転生でもいいはずだ。それであれば子孫ではなく魂で愛を共有した者と同じ体質の者の肉体に乗り移ることも出来るのだ。そう思うと死は恐れるものでもない。ならば今、こうして生あるしばしの間だけでも天草の益田四郎、別の名をフランシスコに自分の肉体を貸してもよい・・・こうして龍馬はいつも見る夢、大海に向かって大きく手を広げて「友よ、パライソに集え!」と叫んでいる自分を感じながら眠りに入ってゆく。所詮、夢でしかないのだが・・・

 

 4、二十八歳、脱藩の思い出

龍馬が死は怖くないと思ったのは二十八歳のときだった。
その前年の歳末に十八歳年長の長姉千鶴が逝去した。次姉の栄はすでに死しており、実母も十二歳で亡くしている龍馬としては、経済的に頼りになるのは兄の権平と兄嫁だったが、兄は物事にこだわらず出世欲などさらさらない龍馬に厳しく兄嫁もそれに倣った。その結果、図体が大きい割りに寂しがり屋の龍馬の甘えどころは、出戻りで三歳上の乙女姉とお手伝いとして住み込んでいる縁続きのおやべしかいなかった。おやべは乳母のようにいつも龍馬を抱きしめてはくれたが乳母ではない。
日根野道場から臨時御用を兼ねた江戸での修行期を経て、各藩の自由な気風を知るに連れ、商人郷士と呼ばれて蔑まれるこの身が疎ましく思えていた。そんな時に親族の武市半平太が土佐勤王党を結成、龍馬は一も二もなく加盟して半平太の手足となって働くことになったが、それが生き甲斐になるわけではなかった。
二十八歳の文久二(一八六二)年は、龍馬にとって一生忘れられない波乱万丈の年になった。
まず正月早々、今思い出しても妙なことばかりが続いていた。
萩の明倫館で行われた剣術試合では、さほど強くもない相手に完敗して自信喪失、以後剣術では誰にも勝ったことがない。
次は、親戚で六歳年長の武市半平太の紹介で、松陰塾一の俊才と謳われた久坂玄瑞に会ったときのことだ。
この龍馬より五歳年下の長州藩の若き指導者は、新たな国家像を論じて天皇擁立による政治を是とし、幕府の権力独占的な政治のあり方を非として語った。その上、龍馬が知らなかった土佐藩の混沌とした内部事情と独断的で主義主張のはっきりしない藩主、さらには封建的な身分制度などを痛烈に批判した。これが龍馬の心を動かした。
その結果、迷いに迷った末に脱藩の道を考えるようになったのだ。
このまま出世に縁のないまま土佐に居ても、無禄の上に町人郷士と蔑まれるだけで自分の才能を生かす道もない。日根野道場でいつも稽古をつけている士分で年下の後輩に道ですれ違ったことがある。雨の日だった。つい気軽に声をかけたところ、「無礼者!」と番傘で顔を殴られ、ぬかるみに土下座させられて高下駄で蹴り倒されたことがある。土佐では郷士では下駄も履けず傘も差せず、上士に会えば道を譲って座して通す。これが当たり前で絶対に逆らえない。こんな土地では天下国家を語ることなどいくら口から泡を飛ばして語っても世の中は動かせない。それを龍馬は過激な倒幕論者の久坂玄瑞から学び、脱藩して日本の渦の中心に入る気になったのだ。
だが、なかなか決断には至らない。脱藩は重罪だから一族全体が脱藩幇助とみなされて罪人扱いにされることもある。罪が家族に及ぶことを考えると意思も弱まり、ますます卑屈で弱い人間に落ち込んでゆく。その上、家で悶々としている姿から脱藩の意思を長兄の権平に見抜かれ、安物とはいえ龍馬にとっては命より大切な大小の差し料を取り上げられてしまい、脱藩どころか表も歩けなくなっていた。
この身動きがとれない龍馬の状態を見かねた姉の乙女が龍馬を抱きしめ「人生は一回きり、男なら初心貫徹でしょ!」と励まし、長兄が秘蔵していた家伝の宝刀・武蔵大壌藤原忠廣と、そこそこに名のある短刀を蔵から探し出して来て龍馬に与えたのだ。
「この頃は誰も倉干ししないから大丈夫、もしも紛失が露見しても、あたしも龍馬も何も知らなかったことにしようね」
母代わりの乙女は旅の支度万端を整え、握り飯を作ってくれた上に当座の路銀も工面してくれた。
「これは見つかると困るからな。それに雨だし」
乙女が油紙に包んでくれた家宝の刀と、短刀と小銭以外の持ち物全部を入れた旅行李を背に春三月の小雨降る朝、悲壮な覚悟で龍馬は家を出た。
結果的には、あの時の選択は正しかった。あの日から龍馬は今もまだ旅の途中にいるような気がする。あとで姉の乙女から聞いた話では、龍馬の脱藩による家出の後で、兄が大金を使って必死で運動し、龍馬が各地の情報を集めて、それを報告する隠密の役割をするという密約を目付として参政の許しを得、一族にその罪が波及しないようにいたと聞いた。周囲には藩主が許可をしたかのように噂を流したのも兄らしいやり方だった。
龍馬自身は、はっきりした目的のないまま、新天地を求めて遍歴の旅に出て五か月後の八月、蝉の鳴く音も騒がしい天草の原城跡に立ち寄った。
原城は島原半島の南部にあり、有明海に張り出した丘の上にあった。
島原の乱の悲劇は、長くこの地を統治した有馬氏が日向国延岡城に移り、元和二年(一六一六)に松倉氏が転封されて来てから始まっている。一国一城令を理由に既存の城を廃城とし、島原城の拡大増築を図った新城主は、貧しい農民の内情も考慮しないままに無茶な年貢の取立てをしたのと、長く黙認されてきたキリスト教の弾圧を厳しくしたために起こった百姓一揆だった。その結果が一揆を起こして原城址に立て篭もった三万七千人にも及ぶ農民の皆殺しという残虐な結果になり、その責任で藩主の松倉勝家が大名としては前例のない斬首という刑を執行されたのだ。
龍馬はここに立って人と人が殺しあう悲惨な戦争の愚と無情と無意味さを考えずにはいられなかった。
そこで偶然、銃弾で作った鉛のクルスを拾った。その小さな鉛のクルスが龍馬の人生を大きく変えたのだ。そのクルスを握った瞬間、思い出すだけでも身の毛の逆立つほどの恐怖と興奮、天草四郎が自分に乗り移ったような輪廻体験を龍馬は体感している。だが、こればかりは人に説明しても信じて貰えないし、その事実も軽々しく口に出来ない。それに、その体験を語ることは、御禁制の異教に帰依したとみなされ、自分自身のみならず一族が断罪に処せられる可能性がある。そうなれば、脱藩して家族や親族に迷惑をかけた以上に、一族壊滅という最悪の結果を招くことになる。この時知った超常現象は絶対に口には出せないが、天上のイエスなる人神が、世の中にこの身が必要と認めてくれるならば、今、ここに死すとも百年後、二百年後の世に蘇らせてくれるだろう。
多分、この輪廻転生を信じたからこそ、原城で何万人もの人が惜しげもなく命を捨てることができたのだ。
自分が密かに信仰する異国のヤソなる禁断の宗教によると、人の霊魂は不滅であり、死して後いつか蘇るという。龍馬はそれを信じると死が恐ろしくなくなると聞き、そんな都合のいい宗旨なら尚更信仰を深めたい、と思った。
元冶元年(1864)十月下旬、江戸表まで同行した沢村惣之丞と別れ、赤岡村の元作を訪ねるべく龍馬は密かに土佐に逆戻りした。龍馬が赤岡村の元作に拘るのは、ヤソに帰依したい思いと同時に常に笑顔を絶やさないあの元作の精神的な強さの源泉を突き止めたかったのだ。土佐から江戸までの行程は約一ヶ月余、それをまた折り返すなどは頭のいい者からみれば奇妙かも知れないが、これで龍馬の秘密が未来永劫に誰にも知られずに済むのであれば、宿や草鞋代、足の痛みなどはさほどの負担でもない。

 

5、三十歳、赤岡村の思い出

龍馬が半農半漁で業暮らしている赤岡村郷士の青木元作を訪ねたのは、元冶元年(1864)年の暮れも押し迫った十二月中旬の夕刻だった。漁から帰って土間で網の修理をしていた元作は、何の連絡もなく突然現われた龍馬を、女房共々大喜びで迎えてくれた。元作夫婦に子供はいない。赤岡村は、龍馬の実家から東へ五里(二十k)の海沿いの小さな港村で、鳥居峠から流れ出る香宗川の清流が村を通って土佐湾に注でいた。この赤岡村は甲斐源氏の流れをくむ中原秋家という地頭が関東から移り住んで切り開いたという。
「よう来た。おっかあ、こん人が江戸で砲台造りを一緒にしたと、いつも噂する坂本さんぜよ」
「よういらっしゃいました。亭主がお世話になりまして、ま、お上がりください」
台所仕事の手を休めて、すぐ足洗いの盥に桶で運んで来た水を入れ、龍馬の汚れた草鞋と足袋を脱がせた。龍馬はでかい図体を小さく丸めて恐縮した。
「ここでは才谷梅太郎ちゅう名前で通すき、よろしう頼んます」
「丁度、女房が夕餉の支度をしとったところじゃ。酒を買ってくるから待っちょれ」
と、駆け出そうとする元作を龍馬が押しとどめた。
「おぬしがヤソで飲まんのは知っちょる。わしも今回は飲まん。聞きたいことがあって来たんじゃ」
「酒を飲まん坂本さんなんて見たことないぜよ。ここで遠慮は無用じゃ。大いに飲んでくれ。聞きたいことって何じゃ?」
「元作さんはクリスチャンじゃが、わしも密かにヤソを信じていたんじゃ」
龍馬が手のひらの鉛のクルスを見せると、お幸があわてて半開きの引き戸を閉めた。
「そげなこと、大きな声で言わんといてください。役人が聞いたら大変ですよ」
「相変わらず坂本はんの声はでかいからな。ま、ここの役人は殆どヤソじゃがな」
結局、元作が買って来た計り酒を「絶対に今日だけ」と、宣言して龍馬は快く酔った。
それからの食事時が賑やかだった。野菜や山菜と獲りたての魚をふんだんに入れた味噌ナベと麦飯で大いに話が弾んで旧交を温め、お幸も楽しげに赤岡村の自慢話をした。龍馬は空腹だったこともあってか食欲が進みいつもより饒舌になっていた。
それによって、赤岡村には島原一揆から逃れて隠れ住んで所帯を持って子孫を残した隠れキリシタンの家が、数十軒もあり、その子孫がこの村の大半を占めていることも知った。元作もお幸も祖先は島原一揆の生き残りだという。
「島原の乱で生きて捕らえられ、死を免れて各地の部落に流されたて許された三千余名のうち無事に生き延びたのは半数というが、生き残っても、非人に落とされたり女衒に売られたりした者もいる過酷な状況の中で、赤岡の部落に流されてきて収容牢に入れられた流人だけは一人も死なずに釈放されたんじゃ。そん時に生きててよかったって言うた人は一人もいなかった。じゃが、ここの村人は温かく迎えてくれて、みな貧しくとも平和な暮らしが出来るようになったと伝えられとるんじゃ」
台所仕事をしながら、お幸が頷いている。
「村の人達は、飢えた百姓町民が鋤や鍬を武器に、鉄砲や大砲で攻める圧倒的な幕府の大軍と戦ったんじゃから英雄の帰還として村中で歓迎するのは当然じゃき遠慮はいらん、と言うて水や食料を与えてくらたたとか」
「その気質が、今でも受け継がれているんじゃな?」
「ここで解放された人々の辛抱強く真面目な生き方に感化されてな。他の村で釈放された流人が、厳しい幕府の弾圧で殆ど殲滅されたちゅうに赤岡村だけは違ったんじゃ。ここの村人の殆どが隠れキリシタンに転向したと伝えられちょる」
「なにか特別な事情でもあるんかのう?」
「この赤岡には昔から、遊行芸能者や陰陽師、巫女、画家や書家、白拍子などが集まっとった」
「それは知っちょる」
「坂本さんは、さんしょ太夫ちゅう言葉を知っちょるかな?」
「おぬしが言ったような連中が集まる散所を統率して、あちこちに斡旋する博士頭じゃろ?」
「ここには土佐から讃岐までを傘下に収めていた、芦田主馬という散所太夫がおった」
「ほう?」
「その子孫がまだいるんじゃ。易も出来るらしいが行ってみるかね?」
「わしは占いは好かん。もっと、ましなのはおらんのか?」
お幸が口をはさんだ。
「じゃ、明日でも金蔵さんのところに行って、肖像画を描いてもらったら」
龍馬が驚いた。
「金蔵って、土佐藩家老桐野家の御用絵師だった廣瀬金蔵か? まだ生きとったんか?」
「ええ、うちの人とは碁敵でして」
「違うよ、将棋じゃ。今はもう金蔵さんも年だから将棋もあまり指さなくなったがな」
「毎日、お酒ばかり飲んでるそうよ。もういつ死んでもいいって」
龍馬が知っている廣瀬金蔵は江戸で腕を磨いた狩野派の屏風絵の大家で、芝居絵でも有名だった。
「贋作事件に巻き込まれて土佐藩から追放されたのは知っちょるが、ここにおったんか?」
「金蔵さんは、あちこち渡り歩いてここが一番住みいいと落ち着き、今じゃ酒三昧の生活じゃ」
「それは面白い、金蔵さんには是非会ってみたいもんじゃ」
翌日は、酒持参で金蔵と会ったが、老いた金蔵は飲み過ぎでか呂律が回らず手も震えていて、とても似顔絵を描ける状態ではない。それでも、壁に立て掛けてある金蔵の絵の素晴らしさに龍馬は息を呑み、それから毎日、酒を買っては金蔵の元に通った。自分は絶対に飲まない、と誓って赤岡村に来たのだが、毎日、金蔵翁と楽しく語らっては飲み続けた。
龍馬は、元冶二年の正月を赤岡村で迎えた。
正月早々、龍馬が金蔵の元に酒持参で出向くから、正月だからと村中も次々に集まって祝い酒で賑わい、隠れキリシタンも何のその煮物や漬物、珍しい和菓子など持参で話し好きな男女が集まり大いに語り過ごすことになる。
その昔、十二万の幕軍を相手にわずか三万余で二年間も飢えとも戦いながら破れてまた悲惨な生活に耐えて生き抜いた先祖以来、二百三十年近くも守り続けてきたヤソの戒律は一気に音を立てて崩れ去った。こうして赤岡村の人々の質素で節度のある生活が、一時的にもせよ世間と変わらぬ怠惰で快楽に満ちた生活に戻れたのも龍馬のお陰と言えよう。それが良かったなどとはお世辞にも言えないが。
ある日「禁酒もやめたんだから」と、元作の出漁中にお幸に抱きつかれ、龍馬は許されぬ戒律を犯した。漁から帰った元作に「済まん、お幸さんを借りた」と詫びたら、「坂本さんじゃ仕方ねえ」と笑い飛ばされて終わったが、本来は重ねて試し斬りか十両出して謝罪すべき重罪なのだ。
しかし、どこに行っても男女に好かれる龍馬の大らかさには誰もが呆れるしかない。金蔵と酒を飲んでいても次々に人が集まり、「梅太郎さん、おらが家にも来てくれや」と招かれて龍馬はあちこちの家に泊まり歩くようになり、若者に剣術を教えたり、子供たちと鬼ごっこをして遊んだり、寡婦や行かず後家からの誘いもあって息抜きもした。力仕事なら田でも畑でも山でも海でも、何でも手伝うから龍馬はますます人気者になり、さらに忙しくなる。
龍馬は、さんしょ太夫の家と仕事を継いでいる芦田権兵衛とも会った。そこでまた、様々な職種の人を紹介されて交際が広がり、龍馬の毎日は、ますます多忙だが充実していて平和で幸せな日々だった。それでも別れはやってくる。
「そろそろ帰らんとな」
「いつでも来てくれ。ここには争いがねえだから」
元作もお幸も涙を浮かべて別れを惜しみ、村人総出で龍馬を送ってくれた。
長いようで短い赤岡村での生活だったが結論は出た。命は大事だが死は怖くない。
龍馬は、死を乗り越えた人達の子孫もまた死を恐れないことを知った。
三十歳の十一月から三十一歳の三月末まで、江戸行きを含めて誰にも語らない龍馬の空白の五ケ月の真実だった。この五ケ月だけは龍馬の一生の思い出として秘密にしたかった。この五ケ月があったからこそ生きてきて良かったと思えるのだ。
こうして思い出を辿っている時の龍馬の頭には何の欲もなく、ただ透明な涼風が通り過ぎて行く。
だが、思い出から醒めてお龍の隠微で知性のない寝顔を眺めていると、やはりムラムラと男の血が騒ぐ。哀れなものだ。
そんな龍馬の煩悩を乗せた三邦丸は、かなり激しく揺れながら鹿児島に向って疾走していた。