女の視線、男の視線


  冬季オリンピックが終わって、プロ野球のキャンプ情報やオープン戦がテレビ画面にチラホラ登場しています。
 大相撲も、一人横綱の大阪場所が14日(日)から始まります。
 本場所の初日がいつからか? これは、誰でもカレンダーを見れば分かるようになっています。
 相撲協会には頭のいい人がいるらしく、近年になって本場所は年に6回行われますが、東京では、1、5、9月と4ケ月毎の3回を両国国技館で行い、大阪の府立体育会館で3月、名古屋の愛知県体育館で7月、福岡の福岡国際センターで11月と各1回づつ行われて計6回・・・なにしろ、15日間の興行が月をまたがないように第二日曜日がスタート日と決まっていて、初日(しょにち)、8日目の中日(なかび)」、15日目の千秋楽(せんしゅうらく)が全て日曜日ですから、第二から始まって第三日曜が中日で全勝力士が勝ち越しになる日、第四日曜が優勝杯を授与する日ですから単純です。大相撲は奇数月、春は大阪、秋は博多、暑い盛りは名古屋で、1,5,9は東京・・・これで日程は丸暗記できます。ちなみに俳句では大相撲が秋の季句になっています。あれれ? ですね。
 ところで、大相撲は女性がいる限り絶対になくなりません。理由は、女性が男の裸をおおっぴらに見ることが出来るのは大相撲ぐらいですから、相撲をなくすとか、関取にパンツを穿かせる法律をなどと議員が言ったら暗殺されかねません。
 それに、強い男に憧れるのは女性の本能ですから、相撲取り強く逞しくある間は相撲協会は安泰で儲け放題です。女性の種族保存の本能は、他の動物のメス同様に強いオスに関心が向くのが自然ですから、強い男の象徴である力士に熱い視線が向くのは当然のことです。 それだけではありません。女性は強い種の保存に必要なオスの逞しい精力は当然として食料を絶やさず供給できる生活力、自分だけを守ってくれる愛情をも求め続け、男を束縛しようとあの手この手を考えます。したがって、男の強さの中には経済的基盤の強さも、腕力と同様の逞しさが秘められていることになります。ですから、女性の種の保存本能は経済力すなわち金の力にもなびきます。
 今、私は新撰組3部作を書こうと思い立って、近藤勇の影になって暗躍する土方歳三の少年時代を追っています。
 歳三は、15歳の丁稚奉公時代から女性問題で勤め先を放逐されていますが、その女性との関わり方が、どうしても坂本龍馬の女性関係とダブって見えてくるのです。いずれ、この続きでそれに触れます。
 前記では、女性は強い男に惹かれるのが種族保存の本能で当然と書いたのに、今度は女の母性本能に触れなければなりません。
 歳三も龍馬も剣の道に入っていない弱い男だった頃からモテモテですが、それは、どうも強い男になってからも変わらないような気がします。土方歳三も坂本龍馬も京都でモテモテだったのは、残された手紙や記録などから歴然ですが、そのもて方が母性本能からの愛され方だったような気がします。
 近藤勇も妾宅を構えて派手でしたが、これは力づくのモテ方でしたから、土方とは違います。
 そんな観点から見つめると、新撰組が今まで諸先輩作家によって描かれた殺伐とした殺戮集団とは違った観点から見ることが出来るような気がします。
 私は、坂本龍馬を書いたときに、調べれば調べるほど女から離れられない龍馬の未熟さや甘さが見えてきて、どうしても強い龍馬が書けなかったのを感じます。いや、やはり、実際の龍馬は弱い男だった・・・と、思わずにはいられません。だからこそ、生涯を女に囲まれ女に愛されて生きることが出来たのです。坂本龍馬を書上げたとき、私は、その弱い龍馬が大好きになっていました。その生き方が羨ましくてたまらなかったのです。きっと今度も、土方歳三が大好きになるような気がします。そんな歳三を書くつもりです。
 さて、女性の種族保存の本能が「抱かれたい願望」となって強い男に向かい、弱い男をかばいたくなる女性の母性本能が甘え上手な男に向かうのは複雑ですが仕方ないのかも知れません。
 それに引き換え、男は単純、美しいものには弱いのです。氷上の舞姫と呼ばれるフィギアスケートをさり気なく、しかも食い入るようなまなざしで見ているオジさん族の種族保存の本能は一途で単純・・・いくら純粋のスポーツだからと思っても、個人の嗜好の問題ですから仕方ないのかも知れませんが、誰もスケート靴など見ていませんよ。 私? いえ、私は目をつぶっています。