おさな馴染みの恋・・・


 今日(月曜日)発売の某週刊誌から、永田町で流行っているというジョークを借りました。
「日本には謎の鳥がいる。中国から見るとカモ、アメリカから見るとチンキ、日本の有権者から見るとサギだが、自分はハトだと思っている」。さらに執筆筆の「約束はウソ、腹の中はカラスのように黒い」と、オチがついている。これが誰を指しているかは別として、ジョークらしいユーモアもウイットもなく、悪意に満ちた面白くもないブラックジョークだと思うから少しも笑えません。それに、ほとんど当たっていますからジョークにもなっていません。
 それからみると、毎週日曜日の大河ドラマ「龍馬伝」の龍馬は、思うがまま真っ正直に生きますので安です。なにしろ、龍馬のゆくところ、いい女は片っ端から龍馬になびくという展開になっていますが、あれは違います。龍馬が夢中で口説くのです。
 史伝によれば龍馬の女好きは程度を超えていて、泊った宿では女中部屋にでも押し入るというから尋常ではありません。ドラマでは、高知の「平井加尾」と江戸の「千葉佐那」・・・どちらも婚約状態にまで進みます。
 来年の大河ドラマの坂本龍馬では、いきなり龍馬の初流恋の相手として登場したのが平井加尾ですが、この加尾は、龍馬の友人の土佐勤王党の平井収二郎の妹です。加尾は、高知城下ではかなり知られた才女ですが、龍馬は、兄の収二郎と親しいのを利用して、美人の加尾に周囲に隠れて親しくしていたらしいのです。
 いわば、加尾と龍馬は「おさな馴染み」です。現代でも共通することですが、「おさな馴染み」での恋愛や結婚は、なかなか盛り上がりません。「幼なじみ」の恋愛や結婚は安定した夫婦生活を築きますが、一般的に燃えるような恋心は育たず、静かな思いやりによって首尾一貫して安定した仲を保つ例が多いものです。
 この仲で、別れがあるとすれば自分たちが燃え上がる炎がないだけに、外に好きな人があらわれたときにそれを本物と錯覚しやすいことと、平凡な中に安定感をもっていただけに、突然の第三者のちん入に防御態勢がまったくないことです。そのために思わぬ嫉妬心からはげしく取り乱してしまうことがありますが、実際には知らぬふりが一番で、すぐに自分の立ち場に気づいて反省し、さり気なく戻ってくるものです。この場合、龍馬が戻らなかったのです。
 加尾は、京都の三条家に嫁いだ土佐藩藩主の山内容堂の妹友姫の侍女として三条家に仕えて、この恋はやぶれますが、龍馬はしぶとく諦めず、京都にいる加尾に土佐にいる龍馬は、次のような手紙を送っています。
 文久元年(1861)のことです。
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「先づ、こ御無事とぞんじ上げます。天下の事勢、切迫致していますので、
 1・高マチ袴、1・ブツサキ羽織、1・宗十郎頭巾、外に、細き大小一腰各々一ツ、以上ご用意ください。
   9月13日 平井かほどの  坂本龍馬。
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 龍馬の研究者は、この手紙について「男装して京都御所か所司代、または街頭に出て時勢の動きを探索することを要求したもの」、あるいは、「君よ、男装してわれとともに大義のために戦わん」などと解釈していますが、私はそうは思いません。
 単純に、近く京都に行くから、安心してデートできるように「変装用の衣装と道具を用意しておきなさい」という恋文の一種とみています。龍馬は加尾に、余分なことは一切言わずに、わざと簡潔な文章で呼びかけていますが、これで、加尾には充分通じていて、すぐに加尾は、龍馬の言う通りに、袴、羽織、頭巾などを呉服屋に注文して用意し、大小も苦労して調達して龍馬の上京を待ったそうです。
 これは、龍馬の手紙、加尾の回顧録が残っていますので間違いありません。
 ところが、兄の平井収二郎はとっくに龍馬の魂胆を見抜いていて、その後、龍馬が土佐を脱藩して京都に向かおうとした頃、京都の加尾に次のような手紙を出しています。
「龍馬はきっと、お前のところに行くから、どんな話をでも絶対に乗ってはいけない。龍馬はなかなかの人物だが書物を読まないし学問がないから間違いが多いから」と、注意しています。
 平井収二郎は、龍馬が女に手が早いのを知っていますから、兄としての警戒心からの忠告であるのは間違いありません。しかも、この通りですから、妹思いの兄としてはもっともなことです。結局、脱藩した龍馬は、加尾の気持ちをもて遊んだだけでした。せっかく衣装や小道具を揃えた加尾は、龍馬との京都デートを実現せずに終わり、傷心のまま兄に引き取られて高知に戻ります。しかも、兄の収二郎が、文久三年(1863)に、藩主山内容堂の厳しい弾圧で切腹させられてしまい、平井家の再興という家庭の事情で、加尾は泣く泣く西山直次郎という土佐藩士を婿に迎えて平井家を継ぐことになります。これで、龍馬とのロマンスは完全に消滅しました。
 加尾がいつまでも龍馬を愛していたというエピソードは、加尾の名を志澄と改めて政治結社の役員として自由民権運動で活躍しました。龍馬の死後、その志澄(加尾)の回顧録に次の言葉が残っています。
「再び龍馬に対面する期なく止みし、女の一生涯遺憾に思ふ所なるべし」・・・ここに龍馬を失って、望まぬ人妻となって不幸な家庭生活を送りながらも、一筋の願いをこめて龍馬を待った加尾の万感の思いがこめられています。          次回は千葉佐那で・・・