年の瀬


 いよいよ年の瀬もあと数日で除夜の鐘、今年も数多くの煩悩を抱えたまま新年を迎えることになりそうです。
 1年があとわずかで終わるときには、昔から年末、歳末、年の暮れなどさまざまな言葉を使いますが、私は葉書などでの年末の挨拶には年の瀬という言葉をよく使います。では、なぜ年の瀬という言葉が好きなのか? それは、いかにも押し迫った慌ただしい年末の様子が、激流の早瀬のように感じられるからかも知れません。
 本来が、瀬というが出ている言葉には、流れが速い急流や激流の意味で、船でも通るのが困難な場所という意味も含まれています。鮎釣り師には瀬を釣るという言葉があります。瀬というのは大石小石が水底にあり水流の起伏で波が立つ荒場のことで、その底石に付着する苔を食べるために鮎は縄張りを持ちます。その縄張り鮎に尻から垂らした糸に⒈~4本イカリの鋭いハリを仕掛けたオトリ鮎を泳がせて争わせ、イカリに掛かった野鮎を獲り、つぎはその野鮎をオトリ鮎に使う漁法・・・これが鮎の友釣りです。瀬には浅瀬、中瀬、深場とあり、大鮎は流心の深い荒瀬の大石を縄張りにしていて私ごとき老鮎師などはそこまで立ち込めません。無理すればたちまち流されて名前も変わり、花見土左衛門となってしまいます。
 朝は瀬頭(せがしら)といって鮎は朝早くから瀬の波立つ上流の浅瀬に集まる傾向がありますが、私は浅場は好みませんので朝からでも深場に入ります。深いといってもヘソが基準で、その深さまでなら荒瀬も少しはこなせます。
 いずれにしても瀬の下流は瀬落ちといって深場が多いことから、年の瀬とは、それ以上はないという意味にもとれます。
 年の瀬とは、その川の瀬から転嫁して、年末に溜まった借金を払う辛さや困難さを、川の瀬に例えて表したようです。集金する側からみればお金を集めなければ年が越せないし、払う側からすれば正月のモチ代がなくなる・・・この攻防もまた切羽詰まったものになります。
 私がまだ独立する半世紀以上も前のこと、集金は盆暮れの2回、大福帳を手にという顧客が何軒もありました。暮れの集金は大晦日でしたから昼食もとらずにあちこち駆け回っ

てあと一件、忘れもしません千代田区神田多町の田子商店、接着剤など和物の問屋

さんでした。大晦日の夜ですから、こちらも番頭さんが集金してきたお金の集計の報告を白髪頭の大旦那が聞いているところでした。私の顔を見るなりニッコリして、
「集金だね? よく来ました。すぐ払いますからね。そこでお茶とお菓子でちょっと待ってくださいよ」
 熱いお茶と和菓子を有り難く頂いて、そろそろ集金かと大旦那の様子を見ると、阿吽の呼吸で奥から老婦人が現れます。
「あらあら、大晦日のご集金は寒いでしょ? いまお雑煮を作ってますからね」
 外の厳しい寒さから解放された安堵感と空腹に、その老婦人の魔法の言葉は限りなく嬉しく、つい報告を終えて気楽な顔の番頭さんと世間話をして雑煮を待つことになります。
 やがて熱い雑煮が盆の上に三つ運ばれ、大旦那の田子老人と番頭さん共々湯気を顔に感じながら一日早い雑煮を目を細めて頂いていると、やがて浅草寺の除夜の鐘が腹に響くような思い音で聞こえてきます。
 大旦那が嬉しそうな顔で私の顔をまじまじと見て言ったものです。
「この鐘が鳴り始めたら1年は終わりだな。まさか新年早々集金なんて野暮なことは言わんだろうね。つぎの集金はお盆だよ。帰ったら社長に宜しく言っとくれ」
 これで追い払われた経験があります。
 年の瀬には、良くも悪くも人間の喜怒哀楽さまざまなドラマが集約されていて、私は好きです。