冨成2冊

お元気ですか?
この暑いのに、もう「残暑見舞い」です。
 今日8月8日(土)、山口放送ラジオの特番で幕末に活躍した下関の豪商・白石 正一郎の生涯を話しました。
 というより、白石正一郎の史実を書籍にまとめた下関出身の歴史研究家で92歳の「冨成博」先生とその著書を紹介したのです。
 白石正一郎を描いた著作のタイトルは、瀬戸内の荒い潮の流れと幕末の大きなうねりを絡ませた「渦潮の底」です。もう一冊は、時間不
足で詳しく触れられませんでしたが、大河ドラマで放映中の吉田松陰の妹フミ(文)を描いた「至誠に生きて」です。
 冨成博先生は、豪商・白石正一郎の縁につながるご子孫で、この伝記は約60年、心に暖めて構想を練っていたものです。
 白石正一郎は、旧暦の文化9年3月7日日生まれで明治13年8月31日に亡くなりました。
 白石正一郎は反物、酒、茶、塩、木材等を扱い、ほかに質屋を営んで酒造業もしていました。
 下関は、西国各藩の交通の要衝であったため、薩摩、長州など多くの藩と交流し、資金が豊富だったことから重宝されました。
 とくに、文久3年(1863年)の長州藩・高杉晋作の奇兵隊結成に援助したことから長州藩に肩入れし、自分自身も次弟の白石廉作とともに
入隊して、自分は奇兵隊の会計方を務め、士分に取り立てられていました。
 さらに、国学の師を通じて薩摩藩の西郷隆盛と親しくなり、文久元年(1861年)には薩摩藩の御用商人になります。
 その上、月照上人、平野国臣、真木保臣らとも親しかったことから尊皇攘夷の志に強い高杉晋作、久坂玄瑞らを資金面で援助し、土佐藩
を脱藩した坂本龍馬も白石邸におき、世話をし志士600人とも言われます。
 明治維新後は、赤間神宮の第2代宮司となってもいます。
 この白石正一郎の人物像、冨成博先生のお話などを、本の内容を紹介しながらも、つい戊辰戦争に話が脱線して時間切れでした。
 この白石家は、明治維新のために全財産をつぎ込んだ結果、莫大な借金を抱えて没落します。
 他の豪商が、維新をきっかけに政商として大躍進するのに、白石正一郎はそれを潔しとせず下関から離れずに生涯を終えました。
 なんだか身につまされます。