二本松少年隊の悲劇


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 二本松少年隊の悲劇

 半年ぶりに会津に所用があり、帰路、二本松に立ち寄りました。 二本松の霞城(かすみじょう)内では、10月中旬からの日本一と称する{菊祭り」会場の設営に市を挙げての工事が急ピッチで進んでいました。
いま、私は、この霞城と二本松藩を舞台にした小説を書き始めたところです。 戊辰戦争では、将兵約千人、農兵や老人子供などを併せても2千人、これで優秀な武器を持つ圧倒的多数の侵略軍と戦って2日で全滅します。 家老以下12歳もいる少年隊の壊滅を含めて勇猛果敢、実に見事な戦いぶりで玉砕しますが、ここでも藩主だけは逃げ延びています。藩主が切腹して、家来の命乞いをする、そんな気概のある藩主であってほしいものですが、この時藩主は病床にありましたから仕方ありません。小説では、城と共に運命を共にするという藩主を、家老が無理やり逃します。これも武士の情けです。
それにしても、肩に背負った長刀を自分では抜けず、仲間同士で抜きあった幼い少年たちの戦いぶりは見事なものでした。 戦い慣れた多勢の横暴な敵と白兵戦で斬り合って一歩も引かずに死んでいった幼い少年たち・・・ 二本松市に立ち寄った目的の一つは少年たちと、城内で自刃した家老一族の眠る大隣寺です。その墓前に線香を手向け冥福を祈りました。
私は東京府世田谷若林町生まれですが、両親は会津喜多方市出身、父方は祖先は神官の出、母方は郷士で穴沢流薙刀術関連の穴沢家野で出で鳥羽伏見でも一族に戦死がいますから、当然ながら会津白虎隊びきのはずですが、今は二本松少年隊びいきです。
綾部市を舞台の小説が未完なのに、二本松を舞台の小説までとは思いますが今がチャンス、幾つかの仕事を併せ持って書き続けます。そのうち、ご要望があれば、このHPでも連載を始めるかも知れません。楽しみにお待ちください。

(注)写真館もご覧ください。