聖夜に祈る 


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お元気ですか?
年の瀬も迫った12月22日、新潟県糸魚川市で大火事がありました。
出火は午前10時頃だというのに、私が親しい人からの情報でそれを知ったのは夕刻近い午後5時過ぎ、慌ててテレビを見たところ、現場からの実況放送ではまだ紅蓮の炎が南からの強風に煽られて海辺に向って流れ、まだ燃え盛っていてまるで地獄絵でした。この瞬間、私の脳裏に甦ったのは1995年(平成7年)の神戸・淡路大地震の悪夢でした。咄嗟に頭に浮かんだのは焼死者と悲嘆にくれる家族の姿でした。
あの阪神大地震とも呼ばれた災害での死者は6,000人を超えたと記憶しています。しかも、その大半は地震ではなく、地震後に発生した火災に巻き込まれての死亡者なのです。ところが今回の糸魚川の大火災では、翌日になって知ったことですが、死者がゼロ、150棟が焼け落ちて、出火から30時間後にやっと鎮火したこの大火で、一人の死者も出さなかったのは、地域の緊密な人間社会の勝利です。
罹災者へのお見舞いの言葉に添えて、この地域社会の素晴らしい連携プレイです。
高齢者も多いのは日本全国の分布とさほど変わらないと思います。その中には、ベッドで寝たきりの老人もいたと思います。それを背負って退避した人もいるはずです。
町一つが壊滅状態になったこの大火事で、一人の死者も出さなかった町ぐるみの協力体制には惜しみない拍手を送ります。
それにしても、今回の糸魚川大火の原因は、中華料理「上海軒」の店主が朝の仕込みに店に出て、鍋を火に掛けたまま自宅に戻って朝食を食べていたのかどうか明らかに人災で、まるで放火と同じです。いくら大鍋に水でも、一時間煮沸したら空炊きになって出火する可能性大なのは子供でも分かる理屈です。これでは、この冬空に焼け出されて年を越す人の憤懣やるかたない思いが報われません。江戸時代は放火は死罪でした。この店主は罹災した地域の人に、どのような誠意で謝罪して許しを乞うのか、それもこれからの課題です。
不幸中の幸いに支援金も続々と集まり、罹災者もそれぞれ行く先が決まって、当面の生活環境はは最低限定まった用です。これも地域社会の絆の強さです。
折しも今宵はクリスマスイブ、天から地から救いの手が差し伸べられることを信じます。
とはいえ異教徒の私は、聖夜とは無縁のまま二階の仕事場で一人でこのような雑文書き仕事に余念がありません。だからといって孤独ではないのは、私のこの雑文に目を通して頂ける幸せを感じているからです。これこそ心と心が通い合っている方ばかり、そう信じています。
異教徒ではありますが、私も願い事だけは用意しました。
「天にあります主なるイエス様、この一文を目にした人に平和で豊かで愛に溢れた幸多き人生をお与えください」
それに、私からも個人的な一言を加えます。
「くれぐれもお体を大切に、良いお年をお迎えください」