人口減と町興し。


人口減と町輿し

花見 正樹

7月14日(金)、米沢新聞社が事務局を務める米沢・置賜経済人クラブの東京例会に出席して参りました。
財務省国際局次長O氏などの講演があり、その合間に米沢の中川勝市長、吉野徹商工会議所会頭ともお会いしました。
中川市長の話で人口8万4千余の米沢市が、ついに出生率500人を割ってしまい、 いまや米沢市も、人口減に歯止めが掛からなくなってしまったとのことです。
なにしろ、ピーク時には94,790人だった人口が平成29年の3月の調査で、84、563人・・・なんと1万人減ですから市長の嘆きもよく理解できます。
しかも前述のように出産数も激減ですから人口は減って税収も減るばかり、それでも行政は支出増、公共設備や福利厚生、教育などにどう対応すべきか悩みに悩むばかりとお見受けしました。
その結論は、どの市町村でも同じこと、町輿しで観光収入を増やし、Uターンで若者を呼び戻す、それには魅力的な町づくりが必要不可欠・・・それにはペンの力も借りたいとのことなのです。
現在の私は米沢新聞社顧問ですから、米沢にも協力を惜しむものではありません。

ところで、先週のこのコーナーでは、茨城県古河市の市長、教育長との町興し談義を話しましたが、古河市は文化度も高く有史以来の歴史のある城下町ですから、町興しへの切り口はいかようにもなります。
古河市と私の住む埼玉県久喜市とは、利根川を挟んだだけの隣接市ですから、共に首都圏への通勤圏内で、東京のベッドタウン的傾向が強いことから人口減は殆どありません。
茨城県古河市は平成22年度末に約144、948人で、6年を経た平成28年の年度末が144、394人、ほぼ変わりません。
埼玉県久喜市は、平成22年3月末で157,007人、平成28年年度末は、154、033人、こちらも町村合併で新たな市が出来て以来、ほぼ同じ人口で推移しています。

国全体の人口減と出生率減少中での人口維持ですから、所帯数はは大幅に増えています。それでもすでに頭打ち、これからは全国他の市町村同様、人口減に転じるのは自然の理、このまま手をこまねいているわけにはいきません。
そこで、お節介ながら、旧知の仲の久喜市長の意見も拝聴することとし、近日中に会うことになりました。

いま私は、友人の元ANA取締役・西川嘉伸氏の故郷・綾部市の小説の詰めをほぼ書き上げて推敲中です。京都府綾部市は、風光明媚で人情に富み、文化度の高い歴史の町でもあります。綾部の 山﨑善也市長自身が、世界銀行役員を目指す出世街道を捨て、「いざ帰りなば」と故郷の苦境を救いにイバラ道を選んだ侠気に富んだ人物ですから、その人柄や行政手腕のズバ抜けた凄さは、外部の私から見ても魅力的です。それは、取材を重ね執筆を進めるうちに、その行政手腕の斬新さと勇気ある積極性にほとほと感じ入るばかり。小説の中でもいつの間にか準主役でご登場頂いています。
それでもなお、綾部市も人口減には頭を悩ますのですから地方都市の人口減は、もはや行政手腕だけではどうにもならない状態なのは間違いありません。
なにしろ、日本の人口そのものが今後50年もしない間に9千万人を切ると予測されているのですから、今のままでは日本そのものが滅びてゆくのです。
若者が、穏やかで平和な故郷を捨て、刺激と成功を求めて都会に憧れるのは仕方ありません。それを家族ごと故郷にUターンさせれば人口は倍増する理屈なのですが、故郷には家族を養う収入源になる就職先がありません。そこで工業団地を整備しての企業誘致となります。
これがまた自然破壊につながりかねませんから、行政側にとっては痛し痒しなのです。
地元の久喜市、お隣の古河市、縁のある米沢市をはじめ、全国各地の行政の長たる人は、それぞれが魅力的な個性や才覚をお持ちなのは当然ですが、これからが大変です。
私は、それにどう協力すべきか? それを考えるとき、これも執筆業の幸せのひとつであることに気付いて、心躍ります。
さて、もう夜が更けて16日(日)・・・今日はお盆恒例の母を囲んでの兄弟身内での食事会、元気で生きているのにお盆での集まりとはいささか不謹慎ですが母は大喜びです。
もうすぐ103歳、とうにあの世だったはずの母は元気いっぱい、これも温かい周囲の人情のおかげ、私も母と同様、周囲に助けられて元気に生きています。
この15日(土)も35度を超す炎天下でのアウトドアーでシャキシャキ、全ての人にも天地にも感謝感謝の一言です。