月別アーカイブ: 2018年8月

油断大敵


 

油断大敵

花見 正樹

今年の夏の甲子園は猛暑の真っただ中でしたが、第100回記念ということもあり、大いに盛り上がりました。
結果的には常勝チーム大阪桐蔭の打撃が秋田・金足農の吉田投手を打ち崩して頂点に立ちましたが充実した戦いぶりでした。
決勝戦で敗れはしましたが金足農業の準優勝は立派、全国の高校球児だけでなく、私ごとき隠居にまで大いなる刺激と希望を与えてくれました。努力すれば頂点に近づけることも証明しました。さらに、大阪桐蔭の春夏連覇という強さの持続もまた素晴らしいものでした。勝つ、というモチベーションを持続するのは容易ではありません。
期待されて、それ以上の活躍をする選手もいます。

清宮幸太郎・・・ご存知ですね?
2012年のリトルリーグ世界選手権では投打に活躍し優勝、その後、所属した「調布シニア」でも全国優勝、早稲田実業高等部に進むと1年生から主軸として大活躍、高校公式戦通算70試合出場で247打数100安打、打率.405、29本塁打、95打点の素晴らしい記録を残しています。
練習試合など非公式戦を入れますと高校通算111本塁打の史上最多記録を保持しています。私が少年野球に興味を抱くのは、以前、中日の4番打者で太平洋クラブライオンズの監督もした江藤慎一氏と、名球会の協力も得てボランティアで「少年野球」の育成ボランティアをしていたからです。
清宮幸太郎は、高校卒業後、高校生最多タイ7球団競合指名の結果、ドラフト1位で日本ハムに入団しています。
入団直後にのオープン戦期間中に腹膜炎で入院、回復して一軍へ昇格、いきなりデビューからの7連続試合安打記録の、1996年のドラフト制後の単独トップの新記録を達成しています。
その清宮幸太郎が、昨日の25日、札幌ドームでまた記録を塗り替えました。
なんとプロ初の1試合3安打で、しかも本拠地の札幌ドームでは初の4号ホームランのオマケつきです。
高卒新人の本塁打を含む1試合3安打は、1993年の松井選手(巨人)以来25年ぶり、高卒新人の猛打賞は、日本ハムでは東映時代の張本選手以来59年ぶりというとんでもない記録で、これからがますます楽しみです。

期待以上の活躍は、なにも野球だけではありません。

一昨日の24日(金)に飛び込んで来たニュースも驚きました。
ジャカルタで開催中の第18回アジア競技大会で、競泳女子の池江璃花子選手(18)が、女子50メートル自由形で24秒53の大会新記録で優勝して、日本選手で最多となる6冠を達成したのです。24日の50メートル自由形を含む個人出場4種目全てで金、さらに女子400メートルリレー、400メートルメドレーリレーで金メダルと6種目が金、800メートルリレーと混合400メートルメドレーリレーが銀ですから出場8種目で金8、銀2、これも新記録です。
それにしても、スポーツにも油断は禁物、予期しない出来事もあるものです。

昨日25日(土)のアジア大会の100メートル予選で、日本の女子短距離界の女王で日本記録保持者の福島千里(30)選手がまさかの4位敗退で決勝進出ならずです。記録はごく平凡な11秒99、ベストタイムお11秒321と比較すると、速い自分が100メートルゴール時に、遅い自分はまだゴールまで8メートル・・・これでは勝負になりません。
これは、選手団主将でもある本人が、軽く走っても予選は突破、こう考えた結果での大ポカとしか思えません。
この心の失速が思わぬ失敗を生んだとしたら、今後の出場種目には全力で取り組むはずです。なにしろ、日本の短距離界のエースですから、この屈辱を勝利で晴らすことしか考えないはず、その意識がプラスに作用すればいいのですが・・・。
この「油断大敵」で一生後悔し続けたのが世界新記録を8回も出し「世界の山中」と言われながら、檜舞台のオリンピック3大会に出場で銀4金0の故山中毅選手です。
メルボルン五輪では、圧倒的に記録では有利だった400メートル自由形でオーストラリアの故マレー・ローズ選手にタッチの差で敗れましたが、山中選手は前日から体調不良の下痢気味で絶不調、マスコミにも言えず体調管理の油断を終生後悔していました。 勝たねばならないプレッシャーが重いストレスとなって、つい酒に手を出して体調を狂わすということは、勝負の世界に生きるアスリートだけではありません。仕事のストレスをギャンブルや酒に逃げて失敗した会社人間なども沢山知っています。

これからみると自民党の総裁選、安倍対石破の対決は、盛り上がりに欠けるだけでなく新鮮さや清潔感がありません。理由は、現職総裁の「勝つに決まっている」という相手を舐め切った態度が国民にも伝わってくるからです。しかし、この油断が命取り、いずれ足元をすくわれて不本意のまま総理のイスから去ることになりかねません。
油断大敵・・・これはどの世界にも生きる言葉、私も心します。

 

 

ボランティア活動家に感動しました。


ボランティア活動家に感動しました。

花見 正樹

2歳の幼児、まさに奇跡的な生還です。
山口県の周防大島町では、帰省中に行方不明になった2歳の男児・藤本理稀(よしき)ちゃん(2)が行方不明になってから三日目、延べ380人を投入した警察や消防をはじめ地元の人たちが総動員で探しましたが、その行方は全く分からず、2歳児が飲まず食わずで生き延びるのは無理という医師もいて、捜索隊の中にも諦めの空気が出始めていたそうです。
そこに突然現れた大分県日出町のボランティア活動家・尾畠春夫さん(78)が、理稀ちゃんの家族と会って、「必ず見つけ出し
て連れ帰ります」と約束をして、そのまま山に入って谷沿いに捜索を開始し、出かけてからわずか30分ほどで沢の水際の岩場に座っていた理稀ちゃんを発見、声を掛けて確認した上で、持参した布にくるんで背負って帰還しました。それを見た警察側は、理稀ちゃんを渡すように尾畠⒮さんに迫りますが、それを断って無事に理稀ちゃんは母親の手に戻されました。両親、親族、関係者の喜びは当然として、当の理稀ちゃんが長じてこの事実を知った時、救われた感謝を他の人への奉仕で恩返ししてゆく可能性があるだけに、一人の命が救われたお蔭で、人助けが大きな輪になって社会に還元されるかも知れないのです。
尾畠さんは2年前の冬、同じ山口県佐伯市で行方不明になった2歳の女児の捜索にボランティアで参加し、その女児が最後に目撃された地点から約2キロ離れた山中で見失われて約21時間後に無事に発見された経験から、幼児は迷ったら上に登ることを体験的に知っていたからこそ、今回の理稀ちゃん発見につながったと語っています。
それにしても、12年前に魚屋を廃業して以来、ボランティア活動を続け、東日本大震災や熊本地震などの被災地では、ボランティア仲間から「師匠」と呼ばれ、尾畠さんを知らない人はいないほどの活動家だそうです。
それにしても恐るべき78歳、この活力の源泉は「人を援ける歓び」なのか、ただただ頭が下がるばかりです。
勿論、私の周囲の人たちも私自身にも、何らかの形で社会への恩返しとしてボランティア活動をしている人はいます。しかし、生活の全てをボランティア活動のために打ち込む尾畠さんの生き様とは全く別の生き方をした上での余裕のボランティア活動です。
私はつねづね、ボランティア活動には心の余裕が必要と言い続けてきましたが、尾畠さんには、心だけでなく体力と胆力にもかなりの余裕を感じます。
私はいま82歳、ここまで生かして頂いた社会への恩返しはまだまだ足りません。身命を賭しても何かやらねばならない使命感に燃えてはいますが、その成果はまだ微々たるもの、前回も書きましたが、私の行動はまるで亀の歩みのようで我ながら歯がゆいのですが、全てはこれから焦りはありません。
さて、仲間をと私の周囲を見渡すと、尾畠さん世代の78歳前後の男達は、糖尿病、前立腺、喘息などとボランティアどころか息も絶え絶え、女性軍団が元気なだけに哀れとしか見えません。
そんな仲間には尾畠さんの爪の垢を分けて頂き煎じて飲ませたら、少しは元気を取り戻せるかも知れませんが、無理をせず自分一人で我が道を往くのが正道と考えを新たに気持ちを引き締めています。
その尾畠さんは、幼児救助は過去として、もう今は西日本豪雨で大きな被害を受けた広島県呉市に戻って、泥にまみれて体力ボランティアで率先して陣頭指揮・・・頭が下がるばかりです。

耐えがたきに耐えて


耐えがたきに耐えて

花見 正樹

今日は終戦記念日、小3のとき疎開先の会津喜多方の父の実家で、伯父に座敷で正座させられて玉音放送を聞きました。 あの時の昭和天皇の「耐えがたきに耐え」は今も私の座右の銘になっていて、何かにつけてつい呟いてしまいます。
真夏の甲子園で高校球児の熱戦が続いています。
15日(火)お盆休みの真っ只中、孫ら家がうるさい中、テレビで野球観戦です。
試合は地元の埼玉ではなく、山口の下関国際と岡山の創志学園です。
まさか、ニュー意外は滅多にテレビを見ない私としては珍しいことです。

これには理由があります。甲子園で用いるアルミ製金属バットの表面処理金属着色料の殆どは花見化学発売染料(ドイツ製)だからです。それと、先週の山口放送ラジオで、私が下関国際の勝利をと鶴田選手の好打を予告したからです。
当然、この話題は今週末の番組でも取り上げますので、多少は予備知識をと思っての軽い気持ちでの観戦でもありました。ところがこの試合、凄い結末になったのです。
試合は9回表の下関国際高校の攻撃までで2対4、創志の西投手の変化球に手も足も出ずヒットはわずか1本、よく2点がとれたものです。それに引き換え創志学園はヒット8本で4点、一方的な試合で、あと3人押さえれば創志学園の勝ちです。
ところが魔物が棲むという甲子園は、そう簡単に楽勝というドラマは作らせてくれないのです。好投手・鶴田が打ち崩され、鶴田の強打も快音を響かすkとはありませんでした。
結論からいえば下関国債の5対4での大逆転、監督の徹底した待球作戦が功を奏したのです。しかし、これは危ない戦略でした。逆転できたからいいようなものの、見逃しが多かっただけに、このまま負けていたら、好球必打でもっと積極的に打たせるべきだったと袋叩きに叩かれるところでした。後で考えると、創志の西投手の低めの変化球は打っても飛ばず、見逃せばボールになる率も高かったために「低めの変化球は一切振るな」と監督の指示が出ていたのかも知れません。9回の逆転劇も、そお指示通りの四球、死球での出塁からは始まり、ポテンヒット、犠牲フライなどを交えての泥臭い勝ち方ですが、監督の笑顔は「してやったり」でしたから、徹底した待球作戦は好投手攻略の秘策だったとみて間違いなさそうです。
この試合、下関国際の一枚看板である投手が打ち崩された上に得意の豪打が封じられていあたのですから、どう贔屓目にみても下関国際に勝ち目はありません。それでも、待球作戦で球数が多い西投手の疲れと勝ち急ぎ心理を見抜いて、9回の最後の攻撃でも待球作戦を貫いて四死球から勝利をもぎとった・・・この我慢強さは何だ?
かつて下関国際高校といえば悪ガキ集団で鼻つまみ、野球部員全員の集団万引きをしてマスコミに叩かれ有名になりました。おかげで野球部は全滅、部員一人だけという場違いなところに、火中の栗を拾いに就任したのが坂原監督です。
「野球部に入ったらすぐ携帯は解約」「文武両道は二流、野球一筋で一流に」「自主性は尊重しない」「かき氷はダメ、水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクだけOK」「買い食いはダメ」、厳しいようですが、これで信頼を集めて部員を増やし、対外試合を重ねて、強力な坂原方耐久野球のチームを作り上げたのです。
下関国際高校が宿舎としている周辺の住民は、部員に声を掛けると、必ず帽子を脱いで返礼する野球部員のマナーのよさに驚いています。これは監督の指示にはありません。
ここに私は、農民の次男三男を集めて奇兵隊という強力な戦闘集団を作り上げた高杉晋作と共通点を見出しています。
宿敵会津を倒すために我慢に我慢を重ね、幕府の度重なる長州征伐には、三家老の切腹という屈辱に耐えて和睦し、犬猿の仲の薩摩を巻き込んで討幕と会津殲滅を成し遂げて関ケ原以来の徳川幕府への昔年の恨みを、会津にへの私怨で晴らした長州人、その粘り強い執念を坂原監督にも感じます。これに、岡山・創志学園の正攻法が敗れたのです。
敗れた創志学園・長沢宏行監督は、短期間で結果を出す勝ち監督として知られますが、敗けた瞬間の、口惜しさを噛み殺した真っ黒で精悍な表情に、勝った試合を失った喪失感が滲み出ていて、思わず私まで目頭が熱くなりました。もっよも感動したのは負け投手となった西投手が泣くまいとして必死で涙を堪える姿でした。私は思わず「泣け、泣け!」と意味もなく心中で叫んでいました。口惜しさ切なさ不甲斐なさが交錯して、白昼夢を見ているかのような複雑さで泣けなかったのかも知れません。きっと、夜は眠れず泣きぬれると分かっているだけに哀れですが、これも青春、敗北は人間を大きく育ててぅれます。これこそ「讃え難きに耐える」のです。これからの西投手に幸多かれと祈るのみです。それは各校各選手にも贈る言葉ではあいますが。
前述の坂原監督の深慮遠謀と一転して、何の策もな愚鈍な経営者も世の中にはいるものです。
ひと昔前までは高級家具として知られた大塚家具の、頑固一で古風な父親と、世間知らずで親不孝な我まま娘の親子喧嘩の末路の話題です。娘・久美子が社内クーデターで父親・勝久さんを追い出して社長に君臨してからの大塚家具の凋落ぶりは目を覆うばかりです。父親が若い時から血の滲むような努力で築いた数百億円の資産を、親不孝娘がわずか数年で消滅させるのです。
2018年6月の中間決算では、売上高が前年同期比約12%減で20億円の大赤字、前年、前々年の決算も大赤字ですから三期連続の大赤字でついにギブアップ、必死で身売り先を探していますが誰も相手にしてくれません。
優秀な技術系社員は殆ど父親が始めた「匠大塚(たくみおおつか)」に雇われましたが、こちらも経営不振で閑古鳥、共倒れの気配濃厚、柵なき経営者の一例として、学ばせて頂きました。

さて、今日は旧盆の中日、私も12日(日)に、まだ亡兄宅の迎え火が来ない間に、弟3人の家族共々連れ立って、両親と兄の眠る千葉県市川市稲越の霊園に行き手を合わせて参りました。
その後、三男宅で「母を偲ぶ会」をして、陰ながら母親の「叱咤激励」を感じ、心を新たにした次第です。
私には坂原監督のような辛抱強さや秘策策はありませんが、大塚親子のような醜い私欲もありません。ひたすら愚の一念で、己の信ずる道を「亀の歩み」で進むだけ・・・バカボンの父の決めぜりふ「ソウダ、コレデイイノダ!」でいい、耐えがたきに耐えて、結果的には楽しい人生に持ち込んでいるのです。

 

日本整体師認定協会の整体師範に・・・


日本整体師認定協会の整体師範に・・・

瓢箪(ひょうたんから)から駒が出る、とい俗諺があります。
自分の意図しない思いがけない出来事が起こった時に使われる言葉ですが、人生には時々妙なことが起こります。
私が82歳になって、まさか整体師育成業に首を突っ込むなど考えてもいないことが起こっています。
国家資格ではありませんが、ととにかく有難いことですので、整体師免状共々快くお受けしました.

では、どうしてこうなったのか?

そもそも私の本業は、化学系零細企業なのですが、趣味の占いを業として半世紀余、何をやっても中途半端で人生を終えようとしています。
考えてみると、人生相談所、ストレス解消サロン、結婚相談所、音楽制作、脳波の研究、長寿の研究、警備会社顧問、地方新聞支社長、少年野球教室、弓引き(和弓)、もの書き(小説)、ヘボの大鮎釣り、と精一杯好きなことをしてきましたが、何ひとつ成功したとは言えず、ただ年輪だけを重ねたこの身を恥じ入るばかりです。

なにしろ、大鮎釣りなどは激流日本一の九州球磨川で、最近は大きいのを一尾釣れば満足という心境の欲のない道楽ですし体力も衰えていて、昨年は鹿児島のK君、一昨年は熊本のO君と若手の名手に面倒見てもらいながらの鮎釣りですから、もう引退も時間の問題です。それでも未練たらしく球磨川に通うのは、地元の気のいい仲間もいますし、この二年間病床にあって同行できなかった20年来の、私が師匠と呼ぶ大分の相棒も、今年は一緒に川遊びが出来るかも知れないとの期待感で、一ケ月先のことながら気持ちだけは九州球磨川の流れの中にどっぷりと浸かっているのです。
さて、話を整体師に戻します。
8年前のある時、兄嫁(兄は病死)がギブアップして病院にいた要介護度5の病死寸前の95歳の母親を、畳の上で最期をと願って私が引き取った時から、どうやら母と私の運命の歯車が少々狂い始めたのです。
介護の日々を8年間、地元の施設にお世話になりながら、献身的な妻の協力もあって、母は103歳まで生きて老衰での大往生、なんと要介護度1での老衰死という世にも珍しい死にざまで最期を看取った医師ですら驚いています。
では、95歳で死を宣告されて病院で書いた「死んでも異議ありません」の私のサインから8年、寝たきりから回復して杖なしで歩けるまでになった母の心身に何が起こっていたのか・・・最近、これを考える余裕もできました。
そこには当然、一番にはストレスからの解放があります。
献身的に尽してくれたとはいえ兄嫁は他人です。お互いに遠慮の壁は崩せません。
その点、実の息子が相手なら遠慮は無用「足が痛い!」と言えばすぐ摩って痛みを和らげることが出来ます。遠慮というストレスが消滅したのも母親が奇跡的に生き返った大きな要因の一つであるのは間違いありません。
私は、中国の文化革命で日本に帰化した蔡一藩氏に教えて頂いた中国式整体法を母親に応用したのが良かった、と今でも思っています。肝臓ガン、狭心症など幾つかの病魔を抱えながらも103歳の長寿を全うした母親の生命力には感心するばかりですが、私の中国式整体法もかなり役立っていたのは間違いありません。
そんなさ中、目の前の景色が白っぽく霞んで視野が狭くなっていることに気づき、医者嫌いの信念を曲げて眼科医院を訊ねたところ白内障、緑内障、視野狭窄症と診断されました。ここで一念発起、昔から目が悪くなったらアンマが相場ですから、すぐさま整体師に・・・この単純な発想がいつもの失敗の元なのですが、日本式整体とタイアップでで開業をと、日本式も学んだ上での結果が実技と理論を総合して上記の通りの結果、なんと整体師育成という教える立場になってしまったのです。
これからは、中国式整体と日本式整体の長所を加えた長寿を目指す「開運道式・癒し整体法」を編み出して世に問う所存です。
と、ここでまた道楽が増えて暴走しそうな気配濃厚な昨日今日・・・どなたか止めてください!