お盆の供養


 お盆の供養

 今年のお盆は墓参も兄弟家族の集まりもやめて、私は静かに自宅で亡き父母と兄を偲びました。
 あなたは、連日のうだるような猛暑に耐えていかがお過ごしですか?
 例年ならお盆休みでの列島大移動で高速道路は大渋滞、新幹線も空の便も大混雑ですが、今年は少し様子が違うようですね。
 今年は新型コロナウイルスの影響で何もかも歯車が噛み合わず、どんな企業努力も空回りするばかり、底力のない企業はあと半年もこのような状態が続けば、耐えきれずに脱落してゆくのは誰の目にも明らかです。
 熱中症もバカには出来ません。猛暑といわれた2018年夏の死亡者は全国で1500人を超えました。今年はまだまだ猛暑日が続くと予測されますから死者の数も増えそうです。とくに熱中症の死者は圧倒的に高齢者が多いことから私も予備軍、気をつけます。
 それ以上に脅威なはずの新型コロナウイルスは? こちらは医療関係者や行政を含む官民の努力で国内での死者は、今のところ1100人ほど、世界のコロナ死者が76万人を超えたことを勘案すると特筆すべきことです。
 もちろん、周囲のため人や自分のためにも感染しない努力が大切なのは当然です。
 折しも昨8月15日は終戦記念日でした。
 私はその時小学3年11歳、千葉県市川市に居住し、1945年3月10日夜の米軍による東京の下町大空襲を目撃しています。
 それまでにも何度かB29の編隊による東京空襲はありましたが、山の手空襲の時は米国空軍の編隊はかなりの上空を飛んでいて、爆撃時の音も聞こえませんから、あまり気にもとめませんでした。
 ところがこの夜の爆撃機の編隊は下町殺しが狙いですから、B29重爆撃機10機ほどの編隊が、上空に護衛の戦闘機を引き連れて、市川市上空ではすでに高度を下げて爆撃の態勢に入っていたことになります。
 その夜の凄まじい爆音は地を割くかのように響き、非常サイレンで、裏山に掘った防空壕に潜っていた私たち悪ガキは制止する大人の手を振り切って暗い裏山に駆け上り、ことの成り行きを見守ることになりました。
 その私たちの頭上の夜空を千葉方面から飛来するB29の編隊が轟音たてて通り過ぎるさ中、先発隊の爆撃が始まりました。
 すでに火が燃え広がっていて、東京の空は真昼のような明るさでした。
 爆撃機の下から真っ黒な爆弾が雨あられのように降り注ぎ、それらが地上で爆裂して周囲が火の海になるのを息を呑んで見ていたのです。そのうち、自分たちは安全なこと知った大人たちも集まって裏山はまるで展望台でした。
 日本の戦闘機も果敢に攻撃しますが数でも性能でも劣るのか次々に撃墜され黒煙を噴いて落ちてゆき私たちを落胆させます。
 米軍は一日も早く勝利を得るために、戦争のモラルを捨てて軍隊ではない一般市民殺戮に方針を変えたのです。
 この日は住宅が密集し人口密度が高い、当時の深川区の北部と本所区・浅草区・日本橋区などの市街地を、焼夷地区第1号に指定して絨毯爆撃したそうですが、その日は西北からの強風で江戸川区まで燃えつくしたのです。
 米軍がこの日に用いたのは、日本向けに開発した油脂焼夷弾1665トン、その他の爆弾も多く、出撃したB29重爆撃機は150機以上、罹災家屋は約27万戸、罹災者は約100万人、焼死者約10万人(20万人説もあり)の大惨事でした。
 翌日、年長者の引率で悪ガキ一同10人ほどで江戸川の国鉄鉄橋を渡って江戸川区の荒川放水路近辺までくすぶる火事跡から焼死体が運び出されて荷車に積まれるのを見ながら戦争の悲惨さを子供心に感じたものでした。
 その後、父母の実家がある福島県喜多方市に疎開させられ、4月からさらに激しさを増した米軍の空襲を目にすることはありませんでしたが、東京空襲だけでも60回を越え、負傷者死者罹災者は激増しています。
 しかし、悲劇はさらに続きます。
 8月に入って広島・長崎と続けて落とされたプルトニュム型原子爆弾での死者は12月までに広島13万人、長崎が7万人の大量殺人、まさに悪意ある虐殺です・
 この第二次世界大戦での死者の総計は世界中で5000万〜8500万人(病気・餓死・虐殺含む)とされていて未だに判然しません。
 日本政府が正式にみとめている日本の戦没者は230万人ですが.、その内の半数以上は戦地での病気・餓死ですから悲しいです。
 これもこのお盆には心からご供養させて頂きました。
 このお盆は私にとって、格別の思いがあります。
 つい先日の球磨川氾濫で家屋ごと流されて海で発見された鮎宿の主の葬儀の日程がまだ決まらないのです。
 私個人としてはお盆に先立ち築地本願寺に詣で、合掌・黙祷でご冥福を祈ってご供養をさせて頂きました。
 これで私の三大生き甲斐の一つだった「下手な大鮎釣り」は卒業です。