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「男と女」、大山椒魚


 今日は、オリンピックの話題から外れて、世にも奇妙な水棲生物の話です。
 私が自然の川に棲む大山椒魚を目にしたのは後にも先にも一度きり、およそ50センチほどの大きさですが、それが、小魚釣りに竿を出していた19歳の私の目の下2メートルほど下の岩陰から上目遣いに私を睨んでいるのを知った瞬間の恐怖と衝撃は今でも忘れることができません。
 山椒魚(サンショウウオ)は、半裂(はんさき)などとも呼ばれ、かたちはトカゲやワニに似たグロテスクな醜い姿形で気味悪がられ、何か特殊な力を持つように思われ、その粉末は心臓や精力増強の特効薬としても知られ、昔は「男と女」の仲を深めるには貴重な散薬だったそうです。
 この山椒魚を半裂と呼ぶのは、これを捕らえて(今は天然記念物で捕獲禁止)縦に裂き。片半分を食用にし、あとの片半分を川に放しておくと、数年で元の山椒魚に戻るということから名付けられたものと聞いており、その真偽のほどは分かりませんが、生命力の強さだけは間違いなさそうです。
 これに似たトカゲやイモリなどの尾を切っても、すぐに新たな身が生えて来て元の姿になるのは子供時代のいたずらで知っていますから、まんざら嘘とも思えません。それに、山椒魚の英語名は、saramander(サラマンダー)」で、これの語源は、火の中に住むという精霊の火トカゲ・サンダラーとのことですから、何か不思議な力が宿っていても不思議ではありません。この、火トカゲは、火の中に投げ込まれても平気で這い出てくることから名付けられたとの説もあります。
 この水棲生物の名は、 井伏鱒二氏の短編小説の題材などにも使われていますが、その日本名の由来は、体から山椒の香りがするところから名づけられたと言われます。と、すると、私の趣味の鮎釣りの対象の天然鮎は、西瓜の匂いがすることから別名を香魚と呼ばれることから見れば同類とも思えてきて何となく親しみを感じるから奇妙です。
 今から50年以上も前に、清流のヤマベ(おいかわ)釣りをしていたのは多摩丘陵に流れる浅川と川幅もさほど広くない清流(当時は)でした。
 場所は、新宿から高尾山方面に向かう京王線の高幡不動駅の新宿寄りの踏み切りを越えてバス通りを北へ向かって行くと、やがて辿り着く川が浅川です。その川にかかる橋(新井橋)を渡ってすぐ右に折れたあたりの北側の岸の土手下の草むらから竿を出してヤマベ釣りをしていて山椒魚を見たのですが、今になって思うと、あの時、私が山椒魚を見たのは偶然ではなかったのです。あの山椒魚は、もしかすると、私に会いに来ていたのかも知れません。身をひるがえして姿はすぐ隠しましたが、その強烈な印象は、今でも渓流に竿を出すたびに思い出しますし夢にも現れます。
 ここで少々、話題を変えます。
 この度、私は坂本龍馬を上梓した勢いを駆って、新撰組3部作を書くべく心の準備を始め、その中心人物となる近藤勇、土方歳三の墓前に線香を手向けてきました。
 近藤勇が斬首された板橋の墓前には、以前、招かれて墓前祭にも参加し近藤局長のご子孫の話も聞いていましたが、土方歳三の墓に立ち寄るのは初めてです。本来はご子孫が記念館を守っていますので、そちらに挨拶をと思ったのですが、まだ小説の骨子が出来ていませんので、私の見た土方歳三の人間像が出来ていませんので墓参りを先に済ませようと思ったのです。
 ところが、首都高から甲州街道に抜けてのカーナビ頼りの道が、浅川の新井橋を渡って右折したときは、背筋がゾッとしました。あの少年時代に電車に乗って釣りに来た同じ道を車が走り、しかも、あの忘れもしない山椒魚との出会いの場所から道はつづら折りに狭く北に向かい、ほどなく広大な石田寺の敷地に辿り着いたのです。そこで、「土方歳三義豊之碑」と文のある比較的新しい記念碑と並ぶ墓前に手を合わせて参りましたが、記念碑の傍らの樹木の枝に千羽鶴が沢山吊るされていたことでも新撰組・副局長土方歳三を偲ぶ者の多いことがよく分かりました。
 帰路、新井橋を渡らずにまっすご車を走らせ、農家風のままの土方歳三の生家に立ち寄って来ましたが、正式には、しかるべき人の紹介状持参で行くことにして挨拶なしで帰って来ました。
 坂本龍馬も、書店のパソコンで検索すると250冊ほどの出版物がありますし、新撰組となると、おそらく千におよぶ書物が考えられます。
 龍馬では、過去の誰もが考えなかったストーリーで挑みましたが、新撰組となると、隊士の一人一人までが、あらゆる資料であぶり出されていて、今から新規に参入するにはなかなか間口が狭い感じです。
 しかし、今年は妙な年です。
 1月5日の私の誕生日に、本業の会社はまだ休日なのに、銀行役員が年始の挨拶に来るというので止むなく一人だけ出社して、玄関の鍵を開けるときに肩掛けカバンを玄関脇の花壇の積み石の上に置いたときに、ふと見た先に、今までの長い年月の間、探し求めても得られなかっ四葉のクローバを見つけたのです。生まれて初めての四葉のクローバですよ。
 こんな年ですから、奇跡の一つぐらいは起っても不思議はありません。
 土方歳三の墓が、まさか山椒魚との出会いの場の背後だったとは・・・絶句です。
 そこで、当然のように土方歳三=大山椒魚=火トカゲ=神話=不死身=怪物・・・となって、私の頭の中での土方歳三が端正な美男子のマスクを被ったグロテスクで不死身な妖怪として描くことが出来るのであれば、短期間の歴史の狭間に志半ばで線香花火のようにはかなく散った新撰組の隊士たちを、泥沼から這いあがって来た爬虫類もどきの農民武士が、新撰組という晴れやかな公儀の組織に武士として取り立てられ、それまで夢に見ても叶えられなかった「食事と女」に恵まれ。華麗でしたたかな青春群像として歴史に名を残すのであれば、たとえ、その死が切腹であろうと戦死であろうと、飢えを考えずに暮せた最期を喜びと名誉として感じた一面もあったのではないか? こう考えると新したな新撰組像が生れ出てまさしく「描ける」のです。
 土方歳三の生家の家業の「秘薬・石田散薬」は、土方家の伝承によると、「夢枕に立った河童から教えてもらった」そうで、「男と女」の道の他にいろいろな効き目があるのですが、欠点は「酒と一緒に飲まないと効かない」そうで、女子供には難があるそうです。
 一方、私の描こうとする「新撰組・土方歳三編」は、「大山椒魚に教えを受け」、ショック療法やストレス解消の他にいろいろ効き目があるまでは「石田散薬」に似ているのですが、なにしろ土方歳三は15歳の丁稚奉公の失敗から女絡みの一生ですから、その方を抜きには物語は進みません。従って、こちらは女性は良くても子供にはいけません。18歳未満の方には隠れて読んで頂きます。