疑似・臨死体験

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河原の土手に咲く真っ赤な曼珠沙華。 またの名を彼岸花、葬式花とも言われます。
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3月24日、ドイツの格安会社の旅客機が墜落事故を起こしました。 フランス南東部セーヌ近くのフランス・アルプスの急峻な山肌に墜落したもので、乗客乗員150名、生存者はいません。 しかも、この事故は副操縦士が機長をコックピットから締め出しての自殺行為だというのですから、死亡した乗員乗客には残酷すぎます。 この事故はフランス国内で過去数十年で最大の航空事故で、乗客名簿に日本人二人の名がありました。 報道された写真を見ると、樹木や残雪の間に散らばった機体の破片はバラバラる墜落時の衝撃の強さを物語っています。 墜落した旅客機のジャーマンウイングス社は、世界大手のドイツ・ルフトハンザ航空傘下の格安航空会社です。 日本でもJALやANAの傘下に格安航空会社が存在します。 その整備は完全なのか機長の運航技術や就航環境は万全で乗客は絶対安全なのか? その保証は? 多分、期待や設備、機長や乗務員の質も待遇も大手一流航空会社よりは1ランクも2ランクも落ちるはずです。 そう考えると格安航空会社にはつねに不安が付きまとい、絶体安全とは考えられず、乗客も多少のリスクは背負うことになります。 さて、このような記事に接して私がすること、今日はそれを話しておきたいのです。 お亡くなりになった方のご冥福を祈る? いえ、そんな恰好いいことではありません。 被害者を冒涜しないいうに気遣いながら疑似臨死体験です。 今回は、旅客機9525便が滑走路から飛び立って上昇し水平飛行に転じた直後、何らかの事故に遭遇したと考えられます。 高度1万メートル以上の上空から、通常は30分近くかけて高度を下げるのに、たった8分で山腹に叩きつけられたのです。 その8分の間、管制塔には緊急連絡もSOSまなし、これが謎を生んでいます。 通常は機長が心臓麻痺を起しても、隣席の副機長が操縦を引き継ぎますし、そこで緊急連絡がはいります。 操縦席での会話を収録したブラックボックスはすでに回収されていますので、いずれ原因や事情も明らかになると思います。 問題は、事情も説明もないまま突然急降下を始めた瞬間からの乗客の心理状態です。 乱気流によるエアーポケットに入った場合、激しい上下動で天井に叩きつけられてケガをする乗客もいますが、今回はジェットコースターの滑降時のように重力が下に傾いて頭を下げた状態での8分間です。多分、水平飛行の段階で多くの乗客はベルトを外していますから、機体が急に頭を下げた瞬間、前のめりになって前の座席やテーブルに顔や胸をぶつけてケガをした可能性もあり、この時点で血を見てパニック状態が始まり、すぐベルトを締める余裕がある人がどれほどいたかは疑問です。 ともあれ、私もあなたも何とかベルトは締めました。そこまでは乗客と同一行動です。 なんとか機体は立ち直って再び上昇する・・・そう信じて祈りましたが機体は急降下を續け、約1分を経過しました。 ”約”と書いたのは、時計を見る余裕などないからです。この時の1分は、秒単位で機体の立ち直りを期待しての1分ですからとてつもなく長い時間に感じられるかも知れません。心は千々に乱れてはいても期待があるうちは何とか平静を保とうとします。しかし、約1分を過ぎても状況が好転しないのが分かると、冷静さを保とうとした自制の反動でパニックが狂気になって襲い掛かってきます。これからどうなるか? 奇蹟は起こるのか? 奇跡がないとすると・・・死があるだけです。その結論だけは数分を待たずに理解できます。 そんなバカな、自分が何をしたというのだ。ここで死ぬなんて嫌だ。 さあ、ここからあなたの臨死体験です。 目を閉じて、やや体を前傾にして、落ちてゆく機体の座席にいる自分を体感してください。ご家族は家にいてくつろいでいる時間です。どういうわけか、あなたは友人らと団体で旅をしていてこの災難に遭っています。機体は刻一刻地上に急接近しています。もう時間はいくばくもありません。今、あなたは何を悔い何を祈り何を想っていますか? 残り時間はあまりありません。絶望の淵に落ちた時、自分はどうなるか? この機会を借りてシュミレーションしてみるのも無駄ではありません。 では、私はどうなのか? あれこれ考えてみましたが結局、思いは乱れるばかりで良案も出ません。死の恐怖も克復できず生への執着が強い自分がいるのも再確認しました。ならば、運を天に任せて奇跡を信じる。これが絶望の中での私の結論です。私は瞑目して「なむあみだぶつ」を唱え続けている自分をはっきり感じました。これで神道から浄土真宗に宗旨替えする覚悟も出来ました。これは、家の前の父の日のプレゼントに、家の宗旨など気にもしない末娘から都内台東区浅草の東本願寺に創った花見家の墓を贈られたからです。先祖代々の神道から親鸞さんへの鞍替えには全く抵抗はありません。いま、この文を書いている目の前が西本願寺の大伽藍、とうに洗脳されています。 今月の月刊「文芸春秋」に臨死体験の特集が組まれていました。 医師から死を宣告され、心臓が止まってから蘇生した奇蹟を体験した人達を取材した特集です。 ここでは一様に、すーっといい気持になり穏やかで温かい花園のような感覚のところに迎えられたような感想を語ります。 私が、何人かの人に聞いたのは違います。 脳梗塞で倒れた親しい仲の故・小林永尚講師(開運道顧問)が脳の手術で知った臨死体験です。医師は手術しても十中八九はダメだがと家族の同意を得て手術に踏み切りました。その手術の最中、狭い斜め下に落ちるトンネルがあって、そこに強風と共に吸い込まれる感覚で、必死に耐えて穴の周辺にある立ち木などにしがみついて頑張っていると、やがて風が止んでトンネルが消え、穏やかな風景の中にぼやっとして横たわっていて、気が付くとそこは手術室ではなく病院のベットだったという生々しい体験談です。その後15年、何度も重病から蘇生してついに脊髄ガンで85歳で倒れましたが、その脳手術での臨死体験は貴重です。 それに近い話は数限りなくあります。 私の母も似たような体験をしています。母は3度も医師から最期を宣告されて病室に家族を集め、その都度蘇えって今は100歳7ケ月、死神も寄り付きません。母に言わせると私が邪魔をするから、行きたくてもあの世に行けないそうです。母の場合は、トンネルに体半分引き込まれて諦めたところに私が現れて手を握って引き上げるそうで、これが二回続いていると真顔で言うのです。 さて、機内に戻ります。 「頭を下げて!」の乗務員の声で 座席にうずくまったあなたと私の残り時間は、多くてもあと数分、もはや絶望です。 人は、いまはの際になると走馬灯のように目まぐるし
く幼児期から現在までの自分史を脳に浮かべるそうです。その上で遺された家族への想いと別れを一瞬で告げ、強い衝撃で意識は失せ、未知なる世界、無の世界に転じてゆくのです。だが、私の今回の疑似体験では中途半端で子供時代までは遡ることはありませんでした。 死後の世界・・・神道では神の世界に、仏教では極楽浄土か地獄かは日頃の行い次第、これだけは、どっちなのか私には分かりません。 激しい衝撃音と瞬間的な痛みと同時に意識が飛び、ふっとトンネルを潜って野草の中に自分がいて、ここからは未知の世界です。 ならば、ここから全く別の世界での日々が始まると考えてもいいはず、この発想で大きな壁を乗り越えることも可能と気づきました。 これだと私が”無”だと信じていた死後にあるのは別世界で極楽浄土・・・そこで、酒池肉林まで期待すると大逆転で地獄落ちです。 この航空機事故での日本のお二方を含む全犠牲者にご冥福を、ご遺族ご家族には心からの哀悼を申し上げます。