白虎隊を悼む

白虎隊の墓1DSCN3772
白虎隊の墓3
 
今更ながらと思いつつも、戊辰戦争を書いている以上は、その報告を兼ねてあちこち墓参をしなければならない心境になります。
雨の土曜日、いつもは観光客の多いこの飯盛山には人影も少なく、ボランティアの高齢者が詠う詩吟が朗々と流れていました。
白虎隊は、会津藩が組織した16~17歳(年齢を偽った15歳も)の男子による少年隊で、このうちの二番隊の20名が、戸ノ口の戦いで敗れ、負傷者を抱えながら会津城東方の飯盛山へと落ち延びました。ここで会津城下の火災を目にして、城が墜ちたとみて疲労と空腹と刀傷や銃砲傷で絶望的だった20名は哀れにも互いに刺し合って自刃を決行します。その時、唯一人、喉を突いた飯沼貞吉のみが一命を取り留め、虫の息で倒れているところを農婦に助けられて匿われ生き延びます。
私はこの墓参は数年ぶりでしたが、何とこの墓参の翌日8月29日(日)、白河市の戊辰戦争白河の戦い記念碑除幕式でばったり、旧知の飯沼定吉翁のご子孫と会い、旧交を温めました。なお、蛇足として加えますと、記念式典後の祝賀会の円卓の私との同席者は、幕末に使節としてアメリカに渡った咸臨丸艦長・木村摂津守のご子孫、南北朝時代に創建され全国に7000社をもつ宗像神社・宗像家のご子孫、 薩摩藩主・島津家のご子孫のご内儀などこちらも旧知の仲、奇縁の多い二日間でした。

白虎隊の墓2
 
 
 
今更ながらと思いつつも、戊辰戦争を書いている以上は、その報告を兼ねて墓参をしなければならない心境になります。
雨の土曜日、いつもは観光客の多いこの飯盛山には人影も少なく、ボランティアの高齢者が詠う詩吟が朗々と流れていました。
白虎隊は、会津藩が組織した16~17歳(年齢を偽った15歳も)の男子による少年隊で、このうちの二番隊の20名が、戸ノ口の戦いで敗れ、負傷者を抱えながら会津城東方の飯盛山へと落ち延びました。ここで会津城下の火災を目にして、城が墜ちたとみて疲労と空腹と刀傷や銃砲傷で絶望的だった20名は哀れにも互いに刺し合って自刃を決行します。その時、唯一人、喉を突いた飯沼貞吉のみが一命を取り留め、虫の息で倒れているところを農婦に助けられて匿われ生き延びます。
私はこの墓参は数年ぶりでしたが、何とこの墓参の翌日8月29日(日)、白河市の戊辰戦争白河の戦い記念碑除幕式でばったり、旧知の飯沼定吉翁のご子孫と会い、旧交を温めました。なお、蛇足として加えますと、記念式典後の祝賀会の円卓の私との同席者は、幕末に使節としてアメリカに渡った咸臨丸艦長・木村摂津守のご子孫、南北朝時代に創建され全国に7000社をもつ宗像神社・宗像家のご子孫、
薩摩の藩主・島津家のご子孫のご内儀など多士済々、楽しく過ごして参りました。

M氏の早い死を悼む

郵便物
暑い日が続きますが、お元気ですか?
いま残暑見舞いを書き始めたところです。
先月末に、旧事務所を引き揚げ、応接用の築地本願寺前の花見サロンに統合したのもお知らせしたいからです。
ただ、最近は年賀状、暑中見舞いを書くのが消極的になって我ながら歯がゆくてなりません。 筆不精もありますが、そのために躊躇しているのではありません。
もっと違う原因からです。
それは、ここ数年、しばらく会っていない知人の死亡が相次いでいるからです。
先日、残暑見舞いに先立って、ご無沙汰続きの友人知人に事務所移転通知を兼ねて暑中見舞いを約200枚だけ出しました。
すると危惧した通り、知人2名の御家内から「去るx月x日に・・・」と知人ご逝去を知らされています。 一人は、私と同年で元郵政警察本部室長(警部)のM氏、私が警備会社の顧問をしていた頃からの交流ですが、仕事上の付き合いが守秘義務を有する水面下であったために奥方様は、私との交流を全く知らなかったようで、すでに隠居中の元部下に聞いて私への返信を書いたとありました。勿論、我が家でもM氏を話題にしたことがありません。そのぐらい守秘義務は徹底しているのです。この契約期間も過ぎ、私の義務も終わっていますが、私がここにその内容を書くことで誰かに迷惑がかかってはいけません。したがって重要なポイントは書きませんがM室長チームと私のチームとの連携で全国津々浦々の郵便局から悪を一掃したことがあり、その殊勲者がM氏であるのは当然で、これこそM氏一生の栄誉だったはずです。M氏の作戦は過去の誰もが考えない大きな投網でした。そのM氏の部下の一人が鮎の投網をやることから,われわれは投網作戦と言いましたが、これで引っ掛からない雑魚はいません。面白いように掛かるのです。
さて、世の中の平和な人は、ごく気楽に手紙をやりとりし、その中に入学・出産・就職祝い、病気見舞いなど冠婚葬祭などのお金が毎日のようにポストに投函されています。本来なら現金書留か為替にして送らねばならないお金が、誰にも分かるまいと熨斗袋を便箋に挟んで 気軽に送ったりしています。
さて、これが北海道の果てから沖縄に送られた手紙だとします。
村の郵便局の集配人が集めて村から支局、支局から道本部を経て東京駅丸の内側の中央郵便局に集荷され地方に送られてゆきます。普通郵便ですから誰も何も調べません。ですね? ところが、ベテランの集荷&配達人、いわゆる郵便屋さんは現金の入った郵便物は百発百中見抜いているのです。これは公務のM氏と民間の私が、この作戦遂行に際して実際に試していますので全く間違いありません。
本来は現金をそのまま送ると罰せられますが、それが目的ではありませんので話を先に進めます。
局内勤務、配達業務を含めて郵便配達員も人の子、ギャンブル、お酒、女、その他もろもろでお金に窮する場合もあります。
その場合、つい魔がさして封書から現金を少しだけ抜くこともあります。しかも、一般封書で現金を送るのは犯罪ですから、少々のことでクレームはつきません。不祝儀などは相手に届かなかくても問題にされるケースは殆どありません。ところが、結婚祝いに「5万円と書いてあるけど2万円しか入ってないぞ」、あるいは送った祝儀が届いていない、など軽犯罪で罰せられるより道義と面子が掛かって大げさな争いになります。実はこんな話はゴロゴロあるのですが、たいがいは最初から2万円で、5万と「書き間違えたんだろう」となります。
こんな場合は簡単です。その郵便物の投函時間と配達推定時間が分かれば、その郵便物に関係した人物は、支局本局を含めて全て分かります。しかも日常の素行や趣味道楽・交友関係、サラ金取引の有無などつぶさに調べてありますから怪しい人物はすぐ洗い出せます。さらに発送者の使った糊を調べ、届いた封書の糊との違いも調べます。最終的には遊動尋問で自白に追い込み一件落着、そんな感じです。
しかし、M氏が考えたのはそんなケチなことではありません。私も悪乗りか意気に感じてか銀座サロンに公金を預かるための金庫を用意しました。私がここで明かせるのはここまでです。もしかすると、この手はまだM氏の後継者が続けているかも知れませんので明かせません。それでも賢明な開運村ホームページの読者なら「こうかな?」と思いついたかも知れません。そうです、それが正解です。
この一網打尽作戦を考えた頭脳明晰で行動力のあった郵政警察室長M氏のご冥福を心からご祈念申し上げます。