第一章 メールあれこれ

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1、銀ぶら-1

                                   文  花見正樹                                  挿絵  真 澄 

大型連休が始まった土曜日の昼前、山田葵(あおい)は、友人の佐川恵子と銀座の中央通りを歩いていた。午後一時からの歩行者天国にはまだ間があるというのに、かなりの人
が出ていて、それぞれがブランド店巡りやウインドショッピングを楽しんでいる。 

 このゴ-ルデンウイ-クは日曜日が「平和の日」で月曜が振り替え休日、火曜日から3日間だけ休暇をとれば、なんと土曜から翌週の月曜まで10日間のロングホリデ-が可能になる。休暇をとれれば、というタラレバの話なのだが……。
 

 山田葵は25歳、目のクリっとしたふっくら顔の健康型美人で髪はショ-トカット、周囲からは笑顔がチャ-ミングだと言われている。身長は160センチ、「BWHは?」と人に聞かれたときに、葵自身は「ご想像にお任せします」と、自信満々で答えることにしている。
 たしかに、この葵を傍から見ると魅力的……出るべきところはしっかり出ていて誰が見ても人並み以上の美形であるのは間違いない。

 この日の葵はベ-ジュ色のとっくりセ-タ-の上に淡いコ-ヒ-カラ-のジャケット、黒のスラックス、それに合ったクリ-ム色のパンプスが軽快な足取りをさらに軽やかに見せている。

 葵は、銀座七丁目にあるカインド出版社のクリエイタ-だが、イベントプロデュ-サ-としても各種展示会、テ-マパ-クの企画までを手掛け、キャラクタ-作りからポスタ-やイラスト、挿絵も描くなど多才に超多忙な毎日を過ごしている。

 上司の指示で始めたクイズや時事ニュ-ス、グルメ情報などを載せた「アルアル通信」というメルマガ瓦版も評判がよく、始めは取引先あてだったのが口コミで伝わって、今では、どこの誰だか分からない人たちにまで大きな輪になって広がっている。その不特定多数のメルマガ読者との交流がいつの間にか定着して、その中の20人ほどが定期的な交流仲間となっていた。もちろん親しい友人はメルトモとしても、Aランクの別格なのは当然なのだが。

 それにしても、葵の毎日は公私共に多忙過ぎてプライベ-トな時間もなかなか取れないのが実情だ。おかげで25歳の今日まで付き合った男性は何人かはいるが本格的な恋愛には至っていない。なにしろ時間もないし気持ちにも余裕がない。

 それでも葵自身は、多忙なためチャンスを生かせなかっただけでモテなかったわけではないと周囲に主張しているのだが、恵子に言わせると、「葵は、会社に便利屋として使われるだけで男運はないんでしょ」、ということになる。この言葉は葵の心をかなり傷つけるが図星だから仕方がない。

 恵子とは大学時代の同級生で親友とも言えるが、葵にとっては貴重なメルトモの一人でもあり、ある意味ではよきライバルでもあった。

 この佐川恵子は旅行会社・東京ツ-リスト総務部のOLで葵と同窓の25歳、髪は肩まで長めで細面、リ-フブラウンのワンピ-スの上に華やかな青竹色の上着、ふくらはぎから足首にかけての線の締まりがスポ-ティな身体能力を感じさせ、茶のロ-ヒ-ルにもフィットしていて違和感がない。丸顔美人の葵より細面の卵型だから、その分の2センチほど葵より身長はあるが、BWHのバランスでは葵には敵わない。それでも細身の形のいいボディに春のおしゃれがよく似合う。

その二人が歩くところには、野菜畑に大輪の花が咲いたような華やかさが漂う。

そんな二人だが、その見た目とは違って会話の内容に品がない。新橋から銀座通りを歩きながらひたすらランチを何にするかで揉めているのだ。

 「葵は、すき焼きは駄目だったっけ?」

2、銀ぶら-2

「そうなのよ。お肉は好きだけどね」

 「だったらスエヒロのステ-キは?」

 「昨日、牛丼を食べたからね」

 「すぐ近くに懐石料理の山水ってお店は?」

 「あそこは予約だからダメ、1日1組5名様限定なんだから」

 「木曽路のしゃぶしゃぶは?」

 「お肉はノ-サンキュ-。恵子は寿司に目がないんじゃない?」

 「寿司だったら築地まで行こうよ」

 「ここから行くのは面倒だな。いっそフレンチとかは?」

「これから旅先で飽きるほど食べるのよ。5丁目の竹葉亭のうなぎは?」

 「うちは実家が浜松だよ」 

 「そうか、葵はうなぎは飽食か。じゃあ、天ぷらは?」

 「天ぷら? だったら、どこがいいかなあ?」

二人は、ニュ-メルサを通り抜けワシントンの靴も田崎真珠のショウウィンドウも眺めずに、ひたすら食べ物の話題に熱中して銀座4丁目の交差点に近づいていた。そこに邪魔が入った。

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葵のショルダ-バッグ内の携帯からの着メロがメ-ル着信を奏でている。

「あら、誰かしら? メルトモかな?」

「間違っても恋人なんかじゃないよね?」

「そんなのがいたら嬉しいけど」

親友だからお互いに恋人がいないのは百も承知だし、そんな男がいるぐらいなら、こんな快晴の連休初日の土曜の午後に若い女性だけで銀ブラなどはしていない。

「後でもいいんだけどね

 

何となく言い訳をしながら多少の期待を胸に歩きを止めた葵が雑踏を避けて、交差点に近い鳩居堂の敷石内に入ってバッグから携帯を取り出した。その携帯電話の画面を見た葵の表情が陰ったのを恵子が見逃さない。

「どうしたの?」

恵子が無遠慮に携帯の画面を覗きこみ、けげんな表情で葵を見た。

送信先の欄には「オニ」の2文字が出ている。

「オニって誰?」

「いつも言ってる上司よ。人はいいのに仕事になると鬼になる沢口課長」

「そんなの興味ないな。葵がセクハラされたなら興味あるけど」

「たまにはあるけどね」

「どんなセクハラ?」

恵子を無視した葵が画面を見て顔を曇らせた。文面が憎らしい。

『バカ! 連休はテレビとタイアップの仕事だぞ。明日、出て来い!』

「どうしたのさ? オニがなに言ってるの?」

「昨夜、恵子のメ-ルを見て、すぐ休暇願いを出したら返事がこれよ」

「返信なら早くしなよ。鳩居堂は日本一土地代が高いところなんだから」

「昨年まではね。今年はヤマノ楽器の土地が1番だから、ここは2番だよ」

葵は昨夜、同じ職場で独り暮らし同士の鈴山玲子と三原橋の中華店でラ-メン餃子にビ-ルという健康にはあまりよくない夜食を済ませて玲子と別れ、通勤ル-トの銀座から稲荷町駅までを地下鉄で、そこから5分ほど北に歩いて東上野6丁目マンション3階の1DKのマンションに帰宅した。

車の通行の多い駒形橋通りから東本願寺側に入ると人通りも少なくなり、商業地区なのに商店には客もいない。小さなマンションやビルには都心に通うOLやサラリ-マンだけでなく中小企業の事務所や作業所なども入っていて昼間は結構賑わっているのだが、夜になると寺院の多い町だけに閑散としている。

葵には帰宅してから、室内を明るくしてからの決まりきった手順がある。
まず、仕事場兼用のキッチンテ-ブルに乗っているパソコンの電源を入れ、上着とパンツまたはスカ-トを脱いでインナ-姿のまま風呂場に急ぎ、バスタブに熱めのお湯を入れてから戻って冷蔵庫を開けて缶ビ-ルの小を取り出し喉をうるおし、立ち上がったパソコン画面から届いているメ-ルを覗く……
この行動パタ-ンが習慣となっている。

パソコンを開いた途端、葵の目は恵子から届いたメ-ルの文字を追った。

『葵、大至急返信を! お客さんの急病キャンセルでGWの30日からパリ往復7日間のダンピングチケットが出たよ。一緒に行くならパスポ-トと印鑑持参で明朝10時に私の勤め先に。土曜休日だけど担当者出社で手続きできるからね。以上、恵子より』

これが、恵子からの旅への誘いだった。

3、銀ぶら-3

その文面を見た葵はもう1も2もなく『OK! 喜んで受諾』と返信メ-ルをし、即座に上司の携帯にも次のようにメ-ルを入れた。『GWに急にパリ行き決定。連休谷間の平日3日間を休暇に願います。山田葵』

休暇願いは昨夜提出済みだから、今さら上司に文句を言われる筋はない。

この朝、葵はバタ-ト-ストにベ-コンと野菜サラダ、それに牛乳入り紅茶という独身女性としては満点と自負する朝食を済ませて、メトロの浅草駅から新橋に出て、新橋駅前ビル5階の恵子が勤める東京ツ-リストに顔を出した。

ツア-メンバ-への説明会はすでに半月も前に終わっていて、キャンセルチケットで行くのは葵と恵子だけだから、恵子より1年後輩でわざわざ休日出勤してくれた佐々木智子というツア-担当者の説明もかなりの手抜きだった。

搭乗する航空機や時刻の変更はできない、とか、成田の出発時刻と帰国時のドゴ-ル空港の時刻だけを守れば、出先の行動は自由などと、10分ほどの形式的な説明だけで、スクリ-ンを用いての観光案内もない。すべてが恵子任せなのだ。

三人でコ-ヒ-での雑談を終えて、帰りぎわに葵が佐々木智子をねぎらった。
「お休みのところ、済みませんでしたね」

「とんでもない。これで休日出勤の特別手当ても出るんです」

(まずかった)、と思ったのかあわてて言葉を付け加えた。

「私より佐川先輩の方がお詳しいですから、山田さんは何も心配ありませんよ」

たしかに手続きも恵子任せでいいから心配など何もない。ただ、葵の心配は直属の上司の沢口ただ一人だった。なにしろ、部下の休日出勤は当然のことと思っている36歳の出世欲旺盛な所帯持ちだから何を言われるか分からない。

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二人は形式だけの説明会を終えて、新橋から銀座までを歩いて銀座4丁目の交差点に近いところでこのメ-ル、食べ物の話題で気が立っているから状況がよくない。
恵子が文面を見て怒った。

「バカなんて差別用語は職権乱用のハラスメントよ! こいつ訴えちゃえば?」

「そんなことしたら、毎日10回ぐらいは裁判沙汰になるわよ」

「で、どうする?」
「もち、旅行優先! イベントはもう私の企画した通りに段取りが済んで、後は丸投げなんだから、課長はちょっとだけ会場に顔を出せば済むはずなのよ」

「じゃコイツ、なんで怒ってるの? 自分で行けばいいのに」

「連休を利用して、前からの計画で沖縄に家族旅行だって」

「自分は遊んで、その間を部下に働かせる魂胆なのね?」

「今まで、ず-っとそれで通して来た人だから」

「冗談じゃない。ちょっと葵の携帯貸して……」

「まさか、恵子がメ-ルするんじゃないよね?」

「任せて。私が返信してやるから」

「ダメよ、とんでもない」

「いいじゃない!」

葵から強引に奪った携帯に、恵子が慣れた手つきで文面を起こしてゆく。

「さ、これでどう? すぐ送って!」

 文面にはこう書き込んである。

『課長のメ-ルが3時間ほど遅すぎました。キャンセルチケットでの旅行で急でしたので課長のご返事を待たず、先刻払い込みもツア-の説明会も済ませました。
ただし、違約金を払えばまだ取り消せます。期日が迫っていますので今日なら八割り負担だそうですが、明日になりますと出発前日ですので全額負担です。金額をお知らせしますので明日、日曜出勤の私にお渡しください。なお折角誘ってくれた友人も怒って旅行を取り止めるそうですので、そちらの分も同額お願いします。これでよろしければ大至急イエスの返信をください。私は社命とあれば休日返上、谷間の休暇願いも取り下げます。それと、課長のメ-ルの内容に人を侮辱する言葉がありますので、連休明けに部長か役員の方に、部下に対するハラスメントについて相談させて頂きます。では、返信をお待ちします。課長に忠実な山田葵より』

葵がそれを見て呆れる。

「なによこれ。課長に忠実っていうのも気にくわないけど、これじゃあ課長を脅迫してるみたい。それに全額払えって、まるで詐欺みたいね。今回は格安チケットだって言ったでしょ? 本当はいくらなの?」

「ただよ。でも葵は私に5万円ぐらいは払ってね」

「タダ券で稼ぐの? セコいな。1万円にしなさい!」

「葵のほうがセコいじゃない。ま、1万円でいいか。それよりメ-ルよ」

「来週は出社するのイヤだな。オニがもっと怖い鬼になって、でも……」

葵はためらいながらも、そのまま沢口課長宛のメ-ルを送った。

4、指輪-1

                  
葵と恵子は、創始者がハゲていたから「ハゲ天」と名付けたというチェ-ン形式の天ぷら屋に入った。連休入り土曜のお昼時とあって家族連れもいたが、ボックス形式のテ-ブルのほとんどが男女の二人連れというのが気にくわない。しかし、すぐ目の前で揚げるタラの新芽やエビにキス、銀杏からフキのとうなど8種ほどにかき揚げや茶碗蒸しまでの天ぷらランチに抹茶アイス……これらは充分に葵と恵子の食欲を満たし、課長への怒りも忘れた二人はおおいに満足して店を出た。

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中央通りはすでに歩行者天国になっていて、爽やかな風が吹き抜けていた。
腹ごなしの散策でダンヒルやグッチ、ティファニ-、エルメスやディオ-ル、フェラガモなど各国から銀座に進出した有名ブランドの店を一通り冷やかして目の保養をしたところで、銀座千疋屋2階のパ-ラ-で食後のデザ-トということになった。

階段まで続いた席待ち客の列に20分も並んで恵子は少々不機嫌だったが、案内されたのが道路側で眺望が良かったのですぐに機嫌が直り、葵がメロンパフェ、恵子がフル-ツミックスを注文し、雑談を始めた頃には恵子の顔にはいつもの笑顔が戻っていた。

晴海通りに面した窓際は足元までの総ガラスだから、プラタナスの街路樹を通して数寄屋橋から銀座4丁目への風景が一望でき、街の景観や道行く人々のファッションやざわめきが新鮮に感じられ、目を楽しませてくれて飽きることがない。

恵子が目ざとく何かを見つけて葵に告げて指を差した。

「あの貴金属屋さん、見える? 向こう側の真正面の看板……」

「街路樹の葉っぱが邪魔で……水中に4℃って字が泳いでる、あのお店?」

「見覚えない?」

「そういえば、どこかで見たかな?」

「ほら、一緒にディズニ-でも六本木でも見たじゃない?」

「そういえば、六本木シティと舞浜でも見たね。そうか、あのお店か?」

店名が一風変わっているので恵子が店員に聞いたら、北極や南極の水面下で4゜Cのところに魚が集まるところから集客効果を狙って名付けたと言っていたのも思い出した。

注文した品が運ばれると、葵はさっさとフォ-クをメロンパフェの上に乗ったイチゴに突き刺して口にしたのだが、恵子がまだ指輪にこだわっている。

「これ見て。似合うでしょ?」

左の中指に嵌めた指輪を自慢げに、指輪をしていない葵に見せびらかす。

いつものことだから葵は気にもせず、今度は下から冷たい生クリ-ムを掬い出してメロンにまぶして口に運ぶと、ふくよかな果実の甘さが口の中にふわ-と広がり、幸せ感が身体中に染みてゆく。

もう、こうなると指輪のことなどどうでもいい。それに、葵は見栄を張りたくないから自分で買った指輪などしたくもない。絶対に自分に惚れた男に買わせるのだ。

恵子は、フル-ツミックスに手を出しながらもまだ続ける。

「これ昔の彼に貰ったリングでね、この指に嵌めてると願いが叶うんだってさ」

「別れたら外すもんじゃない? ドブ川に叩き捨てるとか」

「とんでもない。これだって思い出がいっぱい詰まってるのよ」

「でも、その指じゃ恋人募集中って公表してるんでしょ? 恥ずかしくない?」

「変なこと言わないでよ。ボ-イフレンドになんか困ってないんだから」

「じゃあ、恋人候補はいるの?」

「いたら、こうやって葵と遊んでる暇なんかないわよ。葵は?」

「私のことは放っといてよ。いずれ、よく選んでから最高の人と結ばれるんだから」

「イヤに自信あるのね。じゃあ指輪はその人に?」

「そうよ。おしゃれリングは年齢ごとに変わってもいいんだってよ」

「それじゃあ、葵は彼が出来たら毎年買ってもらうつもりなの?」

「徐々にグレ-ドアップして、いずれはダイヤにね」

「私だってそれを満たすために、こうして直感力を強める左の中指にしてるのよ」

「指なんか、左の薬指の結婚リング以外はどこだっていいじゃないの?」

「そうはいかないわ。左の親指は困難に強く現実的、人差し指は能力アップ、中指はひらめきや直観力、薬指は愛の力だから結婚してなくてもいいのよ、小指はお守りで」

「右は?」

「親指は指導的立場を表し、人差し指はコミュニケ-ションを望むとき、中指は自分の思いどおりにしたいとき、薬指は創造性と愛の発展、小指は表現力を豊かにするの」

「ふ-ん、これじゃ占いと同じじゃない。うちの母が手相を勉強していてそっくり同じことを言ってたわよ」

「それはそうでしょ? ロ-マ時代から手相も指輪もあるんだから」

「なんだか、私も指輪が欲しくなってきたな」
 
「葵もそろそろ恋人募集したら? いくらでも集まるわよ」

「そんなにいっぱい集めなくても、恋人は一人だけで充分よ」

「葵の理想はどんな人?」

「そうねえ、優しくて正直で頭がよくてタフで金持ちで男前で誠意があって……」

そんな時に葵の携帯が鳴った。

仕方なく出ると、お邪魔虫の沢口課長からの電話だった。

5、指輪-2

「山田か? いま何してる?」

その声を聞いた途端、温厚な葵が思わず大きな声を出した。

「いい加減にしてください! 休日に何をしてようと私の自由です」

折角、うっとりと恋人像を描いていたのに夢を壊されては面白いはずがない。それに、休日のプライベ-トタイムを課長ごときに詮索される謂われはない。さらに、週末の午後なのに、人から見られて困ることもしていない自分が情けないのだ。

「わかった、謝る。機嫌直してまずオレの話を聞いてくれ」

「どうせ旅行は延期しろ。連休中は仕事をしてくれ、でしょ?」

「いや。その件は派遣の二人と話し合ってみるからもういい。お前らのために多額の違約金を払うのはバカらしいから止めだ。休暇はくれてやる」

「課長が沖縄行きをやめればいいんでしょ?」

「冗談いうな。オレが沖縄行きを断念したら離婚問題だぞ。それよりもな、ここから先はマル秘事項だ。誰も聞いていないだろうな?」

「一緒に旅行に行く友人がいますけど」

「そいつは口は固いのか?」

声が大きいから筒抜けで、それを聞いた恵子が葵の携帯に顔を近づけて怒鳴った。

「そいつ、なんて酷い侮辱です! 見ず知らずのあなたに言われる筋はありません。それに、口が固いかどうかはキスした恋人にしか分からないでしょ!?」

「そんなことじゃなくて……」

 課長があわてた。これでは肝心の用件が伝わらない。

「分かった、謝るよ。ごめん、葵、聞こえるか?」

「用件は何ですか?」

「おまえら、パリに行くって言ってたな?」

そうですけど?」

「じゃあ、そこのジャジャ馬娘も信用して言うが、パリで、ある政治家と秘書ら三人が誘拐されて身代金が要求されてるらしい」

「らしい、ってどういうことですか? その政治家の名前は?」

「いまは言えん。うちの通信事業部の社員がフランス語のニュ-スを追っていたら引っかかった情報だが、すぐに消されたから人命尊重の観点からの情報管理で非公開になったようにも思えるんだ。すぐ、雑誌の連中に探らせたら官邸での総理の動きがただならないらしいそうだ。どうもガセネタでも
なさそうでな。ところで、いつ出掛ける?」

「明後日の月曜ですが……だから、どうしろと言うのです?」

 葵が不満顔で開き直った。

「じゃあ用件を言うぞ。せっかく休暇をやったんだからな。うちの雑誌だけでなく、新聞社や週刊誌に売り込んで載せてやる。何でもいいからスク-プネタを拾って来い」

「拾って来いって、どこかに落ちてるんですか?」

「おまえ、上司のオレを馬鹿にしてるのか?」

「少ししてます。でも、私用で行く私にこんな仕事を頼むなんて、お門違いですよ」

「承知の上だ」

「日当が出るんですか?」

「出るわけないだろ。だから頼んでるんじゃないか!」

「でしたら、そんなのお断り……」

 近くで耳を寄せていた恵子が、葵の言葉を引き取って声を上げた。

「……しません。お引受けします」

「そいつはよかった。くわしいことは明日、日曜出勤でな」

「あ、待ってください!」

 すでに通話は切れていた。葵が恵子を睨んだ。

「よけいなことをしてくれて、どうするのよ」

「誘拐事件を調べるなんて面白そうじゃない? 一応受けておいて手掛かりが無かったって報告すればいいのよ」

「そんな無責任なこと」

「警察とマスコミの動きをマ-クすれば、何かは分かるでしょうよ」 

「でも、このために観光の時間が減ったら?」

「とんでもない。観光の邪魔にならない程度に気を使うだけよ」

「ならいいけど。ル-ブルとオルセ-美術館、オペラ座も絶対に行くらね」

「もちよ。それに、ム-ランル-ジュ、ベルサイユ宮殿、モンパルナス、ブロ-ニュの森に凱旋門、ノ-トルダム大聖堂、パリだけじゃなくて古城めぐりも、どう?」

「そんなに行けるの?」

「無駄のないスケジュ-ルが組めればね」

「大丈夫?」

旅行会社は、それなりのネットワ-クがあるから、葵は心配しないでいいのよ」

二人は千疋屋の味に堪能し、1階のショウケ-スで一個2万3千円という高級メロンを息をひそめて眺めてから店を出て別れた。

「じゃあ、すぐに必要なものは揃えてね」

「あとは成田空港で……」

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 恵子はそのまま有楽町駅に向かって歩き、一度振り向いて葵に手を振ってから人込みに消えた。恵子を見送った葵は、道向こうの貴金属店「4℃」にチラと視線を走らせて、「いずれ、恋人と」と呟き、ショルダ-バッグを肩で揺すって千疋屋前の階段をメトロの銀座駅に向かってさっそうと降りて行った。

6、カインド出版社(1)

       
 総合雑誌のカインド出版社は中央区銀座7丁目の新橋演舞場近くだが、最近では会社の所在地を説明するときに、「レストラン花蝶」の近くと言うほうが分かりが早い場合がある。花蝶は、舞台演出家で知られる宮本亜門がプロデュ-スしたという料亭スタイルのレストランで和洋折衷の美学がふんだんに生かされた店造りと、全国から取り寄せた新鮮な素材を使った料理で話題になっている。この一角は、地名こそ銀座だが意外に閑静なのが葵には気にいっている。

 その一角にある7階建てのカインド・マンションがカインド出版社の自社ビルで、1階が印刷部、2階が雑誌販売部、3階が音楽出版事業部、4階が通信事業部、5階がメインの出版事業部となっていて、6階と7階が社員の居住区になっている。

 そこに住む社員は、働きやすい環境というよりは仕事に縛られた環境に住んでいるのだが、銀座、新橋、築地をはじめ、お台場、渋谷、六本木、浅草、上野など都内全域への交通が便利なこともあって、なかなか空きが出ない。

 葵もその居住区に住みたくて申請を出したのだが競争率が高くて入れなかった。なにしろ、この6、7階の住人になるには上司の推薦とガラガラポンの抽選に勝ち抜くという難関を突破しなければならないのだが、葵にはオニ課長の評価という壁があって、多分、それを突破できなかったようにも思えてくる。

 こうして入居できる低家賃の部屋だから、転職して出てゆく者もあまりいない。会社の上階に社員を住まわせた経営者の狙いは当たった、というべきかも知れない。

 その5階にある出版事業部のフロア-には役員室などいくつかの部屋があり、フロア-の大半を占める大部屋には各課ごとに間仕切りがあり、正社員や派遣社員、パ-トなどを含めて5階だけで30人ほどが働いている。

 その一角に葵の働く企画課があった。

 そこには葵と課長の沢口哲哉の他に、パソコンに詳しい33歳の中川佐代子という3人の子持ち派遣社員と、同じ派遣社員で何でも白黒をはっきりさせないと気が済まない30歳の鈴山玲子という独りものがいた。

たしかに総勢は4人だが、実質的には何もかもが正社員の葵一人に仕事がのしかかっているのが実情だった。葵自身もこの状況に不満なのだが、的確な打開策はなにもない。

 旅立ちを明日に控えた日曜の朝、社内用の制服紺の上下に着替えた葵は、企画課専用の商談用テ-ブルを挟んで、沢口課長と相対して、小城財相拉致事件に関する少ない情報を確認していた。確かに、マスコミもまだ嗅ぎつけていないこの拉致事件が事実で、現地での取材が可能ならこれは大変なスク-プになる。葵も思わず真剣な表情になっていた。話の内容は次のようなものだ。

「ジュネ-ブでの7カ国蔵相会議の帰路、パリに立ち寄った小城幸吉財務大臣と随員の秘書ら3人が、何者かに誘拐されてな。政府に身代金が請求されているらしい」

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「その金額は?」

「1千万ドル、日本円で約11億7千万円ってとこかな」

 そこに、これも休日出勤を命じられて不貞腐れている鈴山玲子がお茶を運んで来た。派遣社員でも葵と同じ制服に着替えている。玲子は葵に、「制服があると毎日の服装に気を使わないで済むから気が楽ね」と言ったことがある。葵も同感だ。

「お早う。玲子さんも日曜出勤なのね?」

葵が鈴山玲子に声をかけた。葵は、二人の会話を玲子にも聞かせたいと思ったのだ。3人の子持ちの中川佐代子は、休日出勤拒否で出社していない。

「課長。玲子さんにも同席してもらっていいですか? 万が一にも私に何かあったときには、後をお願いしなければなりませんので」

「縁起の悪いことを言うな。危険なことは何もない、ただ調べるだけだ」

「いえ、私もお聞かせ頂きます」

 鈴山玲子がさっさと席につくと沢口が話を続けた。

 

7、カインド出版社(2)

「いまや、G7と呼ばれる先進7カ国先進蔵相会議は年中行事になっていて、この前の九州・沖縄サミットも大成功だった。世界の指導者の集まりであるG8・主要国首脳会議に次ぐ重要な国際的な規模で行われる経済閣僚会議だから、各国から注目されている」

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 「課長! その7カ国を言えますか?」

 「鈴山は口を出すな!」

 「でも、知りたいんです。課長はご存じないんですか?」

 「え-と、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア……」

 「あと一つですね?」

 「派遣社員はだまってろ! ロシアだった」

 「ロシアは入ってません」

 「うるさい! いま、訂正しようとしたんだ。中国だろ?」

 「ぶ-、まさか? 葵さんは知ってます?」

 「財相と中央銀行総裁の会議なら、あとの一つはカナダでしょ?」

 「当たり。課長は、こんなのが出来ないんですか?」

 「うるさい。知ってたら聞くな!」

 「ここで働く以上は、上司の知的レベルを知りたかっただけです」

 「なんだと!」

  葵が笑いを我慢して仲裁にまわる。

 「まあまあ、課長も玲子さんも抑えて抑えて」

 「社内では玲子だの葵だのと名前で呼ぶな。苗字が有るんだぞ」

 「では、沢口さんも鈴山さんもムキにならないでください」

 「うるさい! オレのことは課長でいいんだ」

  玲子が冷静に話を戻した。

 「ところで、その先進7カ国蔵相会議がどうかしたんですか?」

  沢口が同じ内容をしぶしぶと再説明してから、話を続けた。

 「身代金の1千万ドルを、ユ-ロに換算するとだな」

 「ユ-ロだってドルだって大変な金額ですね。で、拉致事件は確かなんですか?」

 「分からん。4階の通信事業部からの情報だからな。言葉の違いから考えたら単なる憶測に過ぎないということもあるだろうな。ただ、小城代議士事務所に問い合わせたら、うろたえながら、パリでインフルエンザに罹って静養中とのことだ。それで秘書・警護官共々帰国が遅れるとか、これは明らかに時間稼ぎだ。怪しいと思わんか?」

 玲子が口をはさむ。

 「確かに変ですね。で、その3人はどこにいるんでしょう?」

 「それが分かれば、とっくに犯人は逮捕され、3人は開放されてるさ」

 「なるほど、課長はそれを取材費なしで調べさせようというのですね?
 葵さんはいいんですか? 命がけなのに、こんな危険なことをノ-ギャラで受けて?」

 「鈴山は黙ってろ! こうなれば、何が何でも記事ネタをスク-プして来い。自社の出版物だけじゃなく新聞、テレビ、週刊誌各社に売り込んで売り上げを延ばすんだ」

 「課長! 葵さんに取材費ぐらいは払ってくださいよ。私も手伝いますから」
 「取材費なんかあるわけないだろ。山田がヨ-ロッパに行くというから頼むんだ」

 玲子にあおられて葵も参戦した。

「私はいいけど、一緒に行く友人はガメツイですから協力費がないと……」

「分かった。記事になったら、それなりの報償金を出そう」

 部外者の鈴山玲子が目を輝かす。

「ホントですか! いくらですか?」

「だから、それなりだ」

「聞いた? 葵さんに取材費、私達にもそれなりのお小遣いが出るようですよ」

「有り難う。玲子さんのおかげです」

「葵さん、頑張ってね。中川さんにも電話しておきますね」

「おいおい。そこまでは言ってないだろ!」

「いいえ。報償金を出す、とお聞きしました」

 そこで打ち合わせは終わった。

 憮然とした表情の沢口をそのままに、葵と玲子は納得した顔で立ち上がった。

 玲子は茶碗とトレイを持ってキッチンル-ムに、葵は自分の席に戻った。葵の事務机の上には書類の山に埋もれながらもパソコンだけがでかい顔で居すわっている。

 葵はまず、仕事や私生活の情報交換で交信中のメルトモや、葵が社命で始めたメルマガを通じて交流中の葵ファンにも『GW中は不在』、とだけ伝えておくことにした。

 この職場では私用も公用もない。仕事に生かせるなら何でも許される。それだけが、この会社の取り柄だった。だからこそ、葵はこの会社が好きなのだ。

8、出張(1)

 ゴ-ルデンウイ-ク二日目の日曜の遅い午後、資料調べの日比谷図書館から出た海原(うなばら)二郎は、新緑に囲まれた公園の広場に群がる鳩を眺めているうちに眠気がさしてきて、ベンチに寝ころんだ瞬間からイビキをかいて寝込んでしまった。二郎が目覚めたのは、皮製のハ-フコ-トの胸ポケットに入れてある携帯電話の音が鳴ったからだ。だが、まだ夢うつつ……相手の声を確かめる前に思わず怒鳴った。

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「いま、休憩中、仕事なら後でどうぞ」

「寝ぼけるな。フリ-のライタ-に休み時間があるか! 今、どこにいる?」

電話の先では、二郎の高校時代の剣道部に警視庁から母校の指導に来ていた田島源一が相変わらずの大声で怒鳴っている。

「緑と泉に囲まれた都内の某所……」

「噴水の音から推察して上野公園か? いや、車の騒音から考えれば日比谷だな?」

「相変わらず先輩は、小賢しくカンが働きますな」

「うるさい。小賢しいとは何だ!」

 今は民間の小警備会社のボスだが元警視庁警部、さすがにカンは鈍ってない。

「いい仕事だがどうだ? また海外だけど……」

「昨日、香港から帰ったばかりなのに、明日とかじゃないでしょうな?」

「今夜発だ。パスポ-トは持ってるな」

「持ってるけど、いきなり今からなんて無理ですよ」

「そうか。仕事にするしないは、おまえの勝手だぞ」

「じゃあ話してください。聞くだけは聞いておきます」

「そうイキがるな。どうせ執筆業といっても仕事なんかないんだろ?」

「余計なお世話です。仕事は山ほどあるけど受けないだけです」

「後輩の貧乏を見かねての温情だからギャラも弾む、いいか。これは極秘だぞ」

「同情なんか無用です。でも話は聞きます」

「ジュネ-ブで開かれたG7蔵相会議帰りの小城幸吉財相がな。パリで静養中に、警護に同行した秘書二人と一緒に誘拐され、身代金1千万米ドルが要求されてるんだ」

「1千万米ドル? 約11億7千万円か? そんな大金、私には出せませんよ」

「お前なんかに誰が頼むか。千円札だってコト欠いてるくせに。仕事は財相が釈放された後の身辺警護だけだ。香港の仕事だってVIPの後ろを歩いてただけだろ?」

「香港ではそうでしたが……今度の警護は、財相が釈放されたら一緒に帰ってくる。それだけですか?」

「それは建前でな。場合によっては救出に力を貸してくれ、と言われてるんだ」

「私が?」

「ジロ-。おまえ、今、オレの会社の身分証明と社員の名刺持ってるか?」

「折角もらった身分証明と名刺だから、何の役にも立たないけど持ってますよ」

「生意気いうな。会報のコラムも書かせてるし、香港の報酬も前払いしたぞ」

「報酬? あんなの雀の涙より情けない金額じゃないですか」

「ろくに仕事もしてないくせに何を言うか。こんな時のために払ってるんだ。
とにかく、
今からでも成田に行ってくれ! 今からだとJALもアエロフロ-も便がない。
夜の便はエ-ル・フランスだけだ」

「誰かいないんですか?」

「社員を出したいが皆手いっぱいだ。香港の仕事と同じで頭合わせでいい。
もっともらしく話を合わせといてくれ」

「大体が、モノ書きに警護なんて無茶ですよ」

「警護員の証明を持っるんだから、立派な有資格者だろ?」

「でも、まだ命は惜しいし、家だって……」

「家か? 江東区錦糸町4丁目の十間川にかかる錦糸橋手前のキンシ・マンションの3階の賃貸ル-ムに住んでるそうだな。生意気にマンションって名前だが、隣のパ-クサイド・マンションとは天と地の差で、アパ-トに毛の生えたような部屋だろ?」

「知ってるんですか?」

「知ってるさ。行きつけのコンビニも、近所のガキを集めて公園で空手なんか教えてるのも知ってるんだぞ。34歳のバツイチ男だ、どうせ自分の部屋に戻ったって万年床に一人で寝るだけに決まってるからな」

「よけいなお世話ですよ。それから34じゃなく35歳になってます」

「そんなの自慢するな! 航空運賃は会社で払っておくから、当面の費用とギャラとしてジロ-名義の口座にすぐ百万ほど振り込むからな。カ-ドで好きなだけ下ろして、空港でユ-ロに換金して行け。日本円はどこでも使えるがレ-トで損をするからな。経費は領収書がとれなければ記帳でいい」

「領収書やレシ-トなんていちいち貰えませんよ」

「言い忘れたが、小城財相の警護をしてるのはオレの同期で警視庁にいた草苅警部だ。剣道教士七段の草苅武夫……今は財相の私設秘書で用心棒だが、覚えてるか?」

9、出張(2)

「覚えてますよ。先輩が休むと代わりに意地の悪い草苅教士が来て、情け容赦なく竹刀で殴られてましたから、あの強烈なメンで脳がやられて知能と思考力が落ちました」

「そんなのは生まれついての素質だろ。草苅のせいにするな」

「いつか仇をとろうと思ってたら、オレの親類で福島県警機動隊の武東志津夫が日本選手権で草苅教士をこてんぱんにやっつけて。あれで溜飲を下げたものです」

「うるさい。福島の武東なんて名は聞きたくもない。あいつは日本一どころか世界選手権でも優勝した玉だ。相手が世界一じゃ、警視庁一だった草苅といえども歯が立たん」 

「その草苅さんのいどころは?」

「分からん。勝負事に強いあの草苅は何でも反発する悪い癖があるからな。拉致されても一歩も下がらずに抵抗するだろうな。そうなると、もう命はないかも知れん」

「でも、あの草苅先輩なら自力で何とかするでしょう。まさか、その面倒まで見ろとは言わんでしょう? あの人だけは好かんですから」

「好きにしろ。オレもヤツは苦手だった。うちが頼まれたのは小城財相だけだからな」

「相変わらず薄情ですね。ところで警察は動かないんですか?」

「インタポ-ル(国際刑事警察機構)から要請がないんで公式には動けない。
それで、非公式に谷口元副総監を通じてメガロガに依頼が来たってわけだ」

「で、現在の状況、今後の情報交換の手だてはどうなってます?」

「うちが受けたのは財相の救出もだが、無理だったら釈放後の護衛だけでいい。
ただ、どこで釈放されてもいいように情報を追って移動しなければならん」

「なにを根拠に移動するんです?」

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「情報はオレが小まめに携帯に出すから、心配はするな。ところで、携帯メ-ルの方は国際通信が可能になってるな?」

「ユ-クリップサ-ビスに加入してます。日本語文字デ-タを画像に合成変換して世界中どこでも日本語で通じて、しかも格安ですからジャンジャンメ-ルしてください」

「分かった。いま使ってる携帯で使うのか?」

「いや。ヨ-ロッパとアジア全域をカバ-できる機種を成田のサ-ビスカウンタ-でレンタルして2本で電話とメールを使い分けます。使った電話代は国際フリ-ダイヤルで全部そちらに転送できますから」

「それじゃ、プライベ-トも一緒になっちゃうだろ?」

「残念ながら、仕事以外は一通話もないですから安心してください」

「分かった。こまめに情報を入れるからな」

「現在の状況は?」 

「いま、パリ警視庁では日本大使館にかかった電話の逆探知で犯人の足どりを追っているそうだが、今はまだ彼らの居場所も不明で釈放の話し合いもついてないらしい。犯人らはすでにパリから移動してるとも考えられるが、とりあえずパリに飛んで、こちらからの指示を待ってろ。エ-ル・フランスAF277便で成田発21時55分だからな」

「何時間乗るんですか?」

「シャルル・ドゴ-ル空港まで13時間と20分ってとこかな」

「すると、時差の9時間を計算すると……夜明けですか?」

「夜明け前の4時15分かな?」

「冗談じゃないですよ。それじゃあ、朝からホ-ムレスです」

「どうせ日比谷公園のベンチで寝てたんだろ? パリのネット喫茶とどっちがいい? それより、携帯の電源は必ず入れとくんだぞ。充電も忘れるな」

「着いたらすぐホテルをとりますよ。とにかく一度、家に帰って」

「ダメだ、大型連休で成田は超満員だから手続きでいつもより時間が食う。乗り遅れたら大変だからな、それに家に帰ったって着るものは同じだろ? すぐ京成特急で成田だ。パスポ-トとキャッシュカ-ドを忘れるな」

「それは、持ってるけど。まだ早すぎますよ」

「搭乗チケットは、エ-ル・フランスのカウンタ-に行けば分かるように手配しておく。。成田に着いたら連絡をくれ。最新の情報を流すからな」

「ちなみに航空料金はいくらですか?」

「飛ぶだけで片道43万弱だ。ゴ-ルデンウイ-クだから仕方ないさ」

「2週間後ならホテルと食事つきで4分の1で行けますよ」

「バカいうな。遊びじゃない、拉致された人質がいるんだぞ」

もるのに……をう思いながら二郎は、噴水の水を手で掬って顔にかけた。水滴がしたたり落ちる不精ヒゲにおだやかな春の風が吹き抜ける。

携帯電話にメ-ルが入っているのに気づいて画面を起こすと、時々交信のあるアオイというメルトモからで、『GW中は不在です』などと、どうでもいい文章が入っている。わざわざ遠出するリッチぶりを知らせるのが目的なら芸が細かい。多分、青井という姓との察しはつくがメ-ルの文面からは性別は読み取れない。もしかするとニュ-ハ-フということも考えられるが、生憎とそっちの方の趣味はない。バツイチではあっても立派に恋人募集中なのだ。威張るほのことではないが……。

 海外の取材も多い二郎は携帯の契約は万全にしてあるから、海外に出ている場合でもこのままで通じるし、相手からの日本語メ-ルも画像変換で海外でも読み取れるのだ。

 二郎は立ったまま、自分もGW中は不在だから「同じく」と返信し、花壇のチュ-リップの花を横目に公園を出て、地下鉄・日比谷駅に向かって足を早めた。