第七章 縄文村探訪

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第58回三軌展(2006) 錯綜譜 松岡隆一画伯(秋田県鹿角市)

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41 手掛かり

 紫門屋敷で乱闘のあった翌朝、石脇と達也は十時からの予定を変更して六時出発で、勝川に案内させて山に入ることにした。
 これは賀代子から深夜、石脇に電話があって早まったのだ。
 昨夜、紫門千蔵が東京から帰宅してすぐ青森県警の取り調べを受けたが、千蔵自身が悪事を働いた状況証拠もないことから、今後は千蔵が青森県警に全面的に協力することで話がついていた。
 そこで千蔵は、自分が先導して青森県警山岳救出隊と機動隊を動員して山に入り、秋田県警や鹿角署に先駆けて野蛮な山賊の鎮圧と河田美香救出を同時に図るという案を出し、緊急会議で賛同を得て一両日中に山狩りをすることが決定したという。
 千蔵としては今、何としても三億円が必要だったのだ。
 元暴力団組員の事業参加で行われたニセ砂金造りは、結果的に明るく楽しい砂金堀りツア-にしたかった千蔵の意図から外れ、陰湿で隠微な飯場売春に変質させられて紫門興業の業績を悪化させ、銀行融資の道を絶たれ、DAT社からの金融援助に頼らざるを得なくなっていた。その結果、担保に入れた不動産物件の金額は三億円。
 しかも、DAT社もまたこの物件を手放さないと倒産するというところまで追い詰められている。
 だからこそ、河田美香を奪還して身代金を手に入れたい……この三億円さえあれば紫門興業は守れるのだ。しかし、山狩りとなるとかなりの戦力が要る。
 すでに、紫門屋敷にいた元創世界構成員の大半が、鹿角署の留置所に収監されただけに、鉱山と砂金堀りに携わっている飯場組の全員が逮捕されるとなると、いよいよ河田美香奪還が難しくなる。
 しかも、一宿一飯の恩義をたてに頼りにしていたマタギ衆にも、一度宿を出るという妙な形で裏切られ、あてにはできない。
 で、あれば、縄場争い根性の強い警察の点数稼ぎに乗じて恩を売り、身代金は自分が頂く、これが千蔵の考えだった。
 しかし、これだと石脇も達也も今までの努力が水の泡になる。
 青森県警が動く前に美香を救出しなければメンツが立たない、これが達也と石脇の共通の結論だった。ここまではこれでいい。
 しかし、無報酬で案内役を頼まれた勝川にとっては不愉快で迷惑な話だった。
「商工会議所と観光協会を代表して手伝ってくれ。名が残るぞ」
 この石脇の一言が従兄弟の勝川を動かした。鹿角十和田の観光に役立った上に、歴史に名を残すなら悪くない、と思わせたのだ。
 しかも、縄文村に関しての知識は自分が一番と自負するから、この話は満更でもない様子で、文句を言いながらも装備品集めから車の提供、運転手役まで買って出て従兄弟の石脇を喜ばせている。
 だが、この話を小耳にはさんだ友美としても黙って見逃すわけにはいかない。紫門屋敷での乱闘事件を取材し損ねて悔しい思いをしたばかりだからだ。友美は、どうしても同行すると息巻き、結局は石脇と達也に参加を認めさせていた。
 勝川の運転する四駆のジ-プは、早朝の大湯を出発した。
 十和田湖畔の宇樽部のT字路から国道四五四号線を東に走り、見返り峠から迷ケ平を抜けて旧ヘライの新郷村に入った。
助手席には石脇、後部座席では仮眠中の達也の頭を肩に受けて友美が顔をしかめている。早い紅葉でまだらな黄金色に染まった山々に、早朝の陽光がまぶしく注いでいた。
「宇宙に有人ロケットが飛ぶ今どきに、縄文人なんて本当にいるんですかね?」
 友美の素朴な何百回目かの疑問に、勝川が応じる。
「それは、私だって会うまでは信じなかったんだ。でも、アフリカやペル-の山中にも原住民はいるんだから、この日本にも原始人がいていいんです。現に私は見ているんですからな」
 国道を、川代部落方向に左折し、さらに、村内の十字路をまた左折すると、まばらな人家が防風林に囲まれて見え隠れしている。五戸川渓谷上流沿いに走ると、左折が二回あったために、正面に見えてまぶしかった太陽が背後からそそぐ形になった。
 右に見える小高い丘陵を見て、運転しながら勝川が説明する。
「あの丘が大黒森、その麓に創造村という教育施設があります」
「それが縄文と関係あるんですか?」
「その施設に住み込んでいる管理人から、山菜採りに入って下山中に妙な男を見たという届け出が駐在所にあったのです。それが、あの正面に見えるヘライ岳の山道でな。こっちからは山の裏側で崖もあって道もなく難所も多いだけに、一般の人はめったに行がねえです。ま、車で行げるとこまで行くですが、後はかなり歩くんで覚悟は出来てますな?」
 勝川が三人に告げると、石脇が応えた。
「覚悟なんかできるもんか」
 友美は、いつでも出たとこ勝負だから淡々としている。
 左に又木戸ダムが現れると、目の前に標高千百メ-トルの戸来岳の樹木が大きく迫って来た。さらに上り坂の狭い林道を上下左右に激しく揺れながら走ると、やがて林道も狭まり三畳ほどの空き地があり道が消えた。そこが車止めだった。
 車を降りた四人はそれぞれ支度を始めた。
 昨日の乱闘で身体中に打撲の疵やあざがある達也は、コンディションは最悪だが、気分転換と眠気防止にガムを噛んで気力は充分に盛り上がっている。
 全員が、石脇が用意した警察の山岳パトロ-ル隊の制服に着替えて、自分に合わせて借りたビムラムシュ-ズの編み上げの靴紐を締め、食料や救急用具などの入ったリュックを背負うとそれぞれがサマになった。
 一度、縄文村を訪ねたことのある勝川が得意になって語る。
「これから山に入りますが、今回行く場所は、以前に私が縄文人と出会った場所とは山一つ違います。ですから、必ずしもそこに縄文人が棲んでるとは限りません」
「じゃ、会えないことも?」
「あります……でも、今回は、創造村の管理人と、かなり以前に熊狩りで山に入った新郷村の猟師が、この山の奥で鹿皮をまとった縄文人に遭遇したという……この二点だけの目撃談を頼りに来たわけですが、それも、ほんの一瞬で見間違いだったかも知れない、という注釈付きですが、運がよければ彼らに会えるでしょう」
「このまま進めば?」
「この戸来岳の東側に原生林を経て、もう一つ小戸来岳と呼ばれる山頂があり、そのすぐ下に原生林に覆われた平地があります。
 そこに縄文人が住んだという古記録がありますのが、ここにヘブライ村の分村か前線基地があるのはほぼ間違いないと思います」
「その縄文人は危険じゃないんですか?」
「争いが嫌いで鉄製品を持たない平和派の縄文人でも、敵対する者には牙を剥きます。彼らが襲ってきたら逃げてください」
「では、危険なのですね?」
「彼らは、こちらが敵意を示さなければ絶対に襲って来ませんが、敵意を見せると防衛本能が刺激されるのか、的確な狙いで石をぶつけてきます。それと、この縄文人は、服装こそ古代風ですが文化度は高く、こちらの言葉は全て通じます」
「まさか?」
「ですから、遠くからやさしく話しかけて相手を安心させてください……今日の目的はテレビ出演の依頼ということにします」
「拉致された女子アナを救出した縄文人って感じですな?」
「いいですね。それでいきましょう」
「でも、なんで、そんな山奥に隔離されてる人達に現代語が通じるんですかね? だれが教育するんですか?」
「そんなの知りません、会ってから戸田さんが聞いてください」
「そうします」
「それと、山は広いし、彼らが棲むのはこの山だけじゃない場合もありますから、ムダ骨で終わる可能性もあります。その時は、楽しくハイキングをした、山で食べた食事は旨かったなどとプラス思考で気持ちを切り換えてください」
「そんな簡単に切り替わるか……」
 石脇が従兄弟を睨むが、勝川はそれを無視して続ける。
「お互いの距離が離れないように行動して頂きますが、万が一、はぐれた場合は笛を吹きます。普通の笛ですと縄文人に聞こえた場合に警戒されますので、これにしました」
 勝川ががポケットから紐付きの竹笛を出して三人に配った。
「お互いの位置を知るためにこの笛を二回続けて吹いてください。
それを何度か続ければ誰か気づくはずです」
 石脇が首から下げた笛を吹くと、山鳩の声がする。
 友美が「のどかですね」と感心して真似をすると、達也も吹いたから「ボ-、ボ-」と、間の抜けた山鳩の声が森の中に響いた。
「これからは、足音にも気をつけて静かに注意深く周囲を見ながら進み、少しでも縄文人が歩いた痕跡や気配を感じたら、すぐ笛を吹いて知らせてください。その場合の笛は続けて三回です。
 もう一つ、これは何か危険が迫った場合、余裕があればですが、これは誰かが気づくまで連続して何回でも吹いてください」
 友美は、いざという時に備えて真剣に鳩笛を吹いている。
「山の天候は荒れやすいですから、雨が降ったらすぐ雨具を出してください。身体を濡らすと後で体温を奪われて疲労を早めます。
 にわか雨は大木の下で避けますが、雷の光と音がピカドンと近づいたら大木から離れてください。木に落ちますから」
「その場合はどこに避けたらいいですか?」
「ピカとドンの間隔で距離が分かりますので焦らずに、崖の窪みがあればそこに急ぎますが、歩いていてピカッと来たら手を下にしてしゃがんでいれば、まず安全です」
「山刀とかベルトのバックルには落ちないませんか?」
「雨に濡れた大木が沢山ありますので、そちらに落ちます」
 勝川と友美の会話を、昨日の戦いで満身創痍の石脇と達也はまだ身体のあちこちが痛むはずなのに平然と歩いている。
 友美も、元来が体育系だから野山も平地も関係ないとばかりに軽やかに山道を歩き、まだ汗もかいていない。
 だが、肥満体質の勝川のペ-スが徐々に怪しくなる。その上、日頃の生活が、ほとんど車での移動だから、勝川のペ-スが徐々に遅れ、疲れで息が乱れて不機嫌にもなってくる。
 石脇が、腰に下げた大型のサバイバルナイフの鞘を払った。
「縄文人も我々を敵とみれば襲ってくるかも知れんが、余裕があれば逃げの一手。万が一にも余裕が無い場合は、これで戦い、自分の身は自分で守ってください」
「こうか!」
 石脇が傍らの雑木をスパッと切り倒した。勝川が真似して同じような太さの木に切り付けたが幹に刃が食い込んだ途端に手を放し、顔を歪めて痺れた手をさすった。手練の差は如何ともしがたいようだ。勝川が顔をしかめて痺れた手を振りながら愚痴った。
「晋一は剣道五段だからいいが……やっぱり、真似はできん」
「これでも佐賀さんには叶わん。大会で三回顔を合わせて全敗だったがらな」
「いや、あれはたまたま運がよかっただけだよ」
 一応は謙遜をするが、達也が何回戦っても同じだと思っているのは表情で分かる。
 クヌギやナラの大木が密生する森に入り、雑草や灌木に覆われた杣道を探しながらの登山が始まった。出た汗が爽やかな山の風に快く冷えてゆく。
 達也ほどではないが、石脇は太めの割りには足が丈夫なのか一定のリズムで達也に付き、友美が、遅れ気味の勝川を気にして二人と勝川の中間辺りを軽やかに歩いている。
 しかし、その友美も、始めのうちこそ勝川を励ましていたが、汗がしたたり足取りが重くなってくると会話は途絶えた。
 そこからが苦闘の連続だった。

42、縄文住居

 四人の足並みが徐々に乱れ、勝川などは、徐々に日常の車頼りの生活の影響が出たのかすでに息が上がっている。藪木を払う音、雑草を踏む足音、梢を揺する風の音、小鳥の声、それらを圧して勝川の荒い呼吸が聞こえていた。
 麓から一時間ほど登ると、木樵りや山菜採りの踏み跡も消え道が失せた。雑草や雑木を山刀で切り開き藪漕ぎをしながら登ることになったが、かなり辛い行程になっていた。
 やがて、小戸来岳の奥山に続く十数メ-トルほどの崖下に辿り着いた。勝川が説明する。
「この直角に切り立った崖をよじ登れば二十分の近道で、左に巻いた先の山道だと二時間です。皆さんはどうしますか? ワシはここは無理だから、遠回りするが?」
 勝川の泣き言を聞いた達也がポツリと言った。
「オレが先に登って足場を確保したら、上から引っ張るから、勝川さんが二番目に登ってくれ。ただ、ロ-プは十メ-トルだから、下の二メ-トルぐらいは自力で登ってもらうことになるが」
 達也は、ザックのロ-プを確認してから、崖を見上げた。
 登攀ル-トを頭の中に描いた達也が、両手でがっちりと上部の岩をホ-ルドすると、イボ付きゴム底のビムラムシュ-ズの靴先を片側だけ岩に掛け、素早く身体を引き上げ、あとは巧みな動作でリズミカルに岩場を這うように登ってゆく。三人が下から見上げていると、金具もロ-プも使わずにまるで平地を歩くかのような見事さで軽々と難所を征服し、やがて崖上いっぱいまでたどり着いた。
 しかし、そこからが奇妙だった。そのまま一気に登り切らずに、崖上に手を添えたまま、まるで戦場の斥候が敵の動向を観察しているかのように顔だけ出して動かない。
「お-い。どうしたんだあ!」
 石脇の声がこだました。崖上にしがみついた達也が、「シイッ」と、あわてて手を振って、またしばらく、同じ姿勢でなにやらブツブツ呟き、しばしの間をおいて崖上によじ登って姿を消した。
 それから暫くの間、どこまで行ったのか達也の姿は現れない。
「どうしただあ! ロ-プはまだかあ」
 崖の上で何が起こっているのか、風にざわめきの彼方で人声が聞こえたような気がしたが、達也は一向に姿を現さない。
 待ちくたびれた石脇が達也に向かって悪口雑言の限りを叫ぶが、風に揺れる木々の音以外には何も聞こえなかった。
 やがて、かなりの時間を経て達也が顔を出して叫んだ。
「ロ-プを木に縛ったから、勝川さんから登っていいぞ!」
 そこでまた達也の姿が消えた。多分、周囲が安全かどうかを確かめてでもいるのだろうか……。
 崖から降りて来たロ-プの末端は、勝川が伸ばした手の二メ-トル先ほどにある。そこまでを自力で上がるのが大変なのだ。
 勝川が必死で岩場を登ろうとするが、もう少しでロ-プに手が届くというところで二度も滑落するという有り様で、ようやくロ-プに手が届いたところでも足が岩から外れたり、体重を支えきれなくて悲鳴を上げ、悪戦苦闘の連続で、一向に上昇する気配がない。
 崖上で何か鋭い衝撃音がしたが、誰も気にしない。
「勝川さん、頑張って! 生命保険は入ってますね?」
「遺言があったら聞いとくぞ!」
 友美と石脇の声援を受けた勝川は、必死の思いで、なんとか四十分で八分通りは登ったが、まだ最上部の難所が残っている。二人の励ましの声に応じようと下を覗いた勝川に死の恐怖が襲った。
 そうなると手も足も動かなくなる。そんな時に幻聴があった。
 たしかに崖上から風に揺らぐ枝葉のざわめきに混じって人声の声がたしかに聞こえたのだ。それは空耳だったにしろ、勝川の絶望を打ち消し登はん意欲を高めたのは事実だった。
 勝川はそこから夢中で足場を探ってロ-プをたぐり、ようやく崖の上に手が届いたところに達也が現れた。地獄に仏と思ったとたんに足が岩から離れたが、達也が勝川の手をガッチリ掴んで上に引き上げ、ことなきを得た。
「ああ、助かった……」
「いや、見事なクライマ-姿でした」
 勝川の苦戦を見ていないはずの達也が褒めた。
 友美と石脇も無事に崖を登り切り、全員が崖上に立った。
 石脇が、達也のヘルメットの凹みに気づいて問いただすと「そこの枝にぶつけた」と達也が答えた。それを疑いの目で見た石脇が、ふと、視線の先に妙なものを見た。
「あれは何だ?」
 四人が登った崖からほんの十メ-トルほど離れた位置のケヤキの大木の根元に、何やら蛇がトグロを巻いているようなものが見えたので近寄って見ると、約三十センチ毎に大きな瘤の付いた蔓バシゴだった。その端はしっかりと大木の幹にくくり付けられていて、片方を崖下に下ろすだけで簡単に昇り下りできる。これに達也が気付かないはずはない。ならば、ざぜ、これを使わなかったのか?
「気が付かなかったな」と、達也が言った。
 そこから群生林を抜けた四人の視界が広がった途端、目の前に樹林に囲まれた広場があり縄文の住居が点在するのが見えた。
「すてき! わたしたち、縄文時代に来たのよ」
「時代じゃない、縄文村に来ただけだ」
「気をつけろ。どこからか矢が飛んで来るかも知れんからな」
 広場を囲むように茅葺きの竪穴住居が並び、集会場なのか酋長の住居なのか一棟だけが高床式になっている。
「お早うございます。どなたかいませんか?!」
 石脇が何度か怒鳴ったが、村は静まりかえっていて何の反響もない。ここは無人の村なのか? 今度は勝川が怒鳴った。
「テレビの出演依頼に参りました。ギャラも相談に応じます」
「ちょっと見てくる」
 石脇にたしなめられた勝川が一棟の竪穴住居に潜り込み、手にいっぱい何かを持って出て来て、三人に配った。
「これ食ってみてくれ」
「大きな栗だな。まだ熱いんじゃないか? お、旨い!」
 石脇の声で、全員がいっせいに栗の皮を剥いで食べ始めた。
「旨い! これが縄文人の主食か?」
 それぞれが縄文食らしい甘栗を味わって満足だった。
 ふと、石脇が不安げな表情で達也を見た。
「佐賀さん。これを持ち出した史郎は、刑法百三十条の住居不法侵入で三年以下の懲役で、二百三十五条は他人の財産を搾取したる窃盗犯は一年以下の懲役ですな?」
「盗品と知って食したる者は二百五十六条で懲役三年だぞ」
「ここは治外法権地域だから何をしてもいいはずだ」
「三人とも止めてください! それより勝川さん、室内には誰もいなかったんですか?」
「誰もいないですが、まだ囲炉裏の灰から煙が出てたから、彼らはひと足違いで立ち去ったばかりってことですな」
「すぐ戻ってくるのかしら?」
 石脇が首を振った。
「縄文人は囲炉裏の火を絶やさないものです。火を消して立ち去ったとすれば、もう当分はこの村は使わないだろう。あちこちに拠点を移して放浪生活をしているようですからな」
「人の気配がないな……でも、この村をシラミ潰しに調べれば、必ず何かが分かるぞ」
「指紋もとれるかな?」
「一応テ-プは用意してきたが」
 達也と石脇が、高床式住居から指紋を採り始めた。どの住居も、まだ人の住んでいたぬくもりが感じられただけに、誰もが狐に化かされたような顔で、一軒一軒を見て回ったが、見事なまでに住民の姿はなかい。美香の拉致につながる手掛かりは何も出なかった。
 それでも、本物の縄文村を訪れ、縄文人の住んでいた形跡を確認できた感激は格別なもので、友美の気持ちは高揚していた。
「飲み物があったから飲んでみたら果実酒で美味しかったわよ」
 そう言いながら友美は、棚にあった人形の小さな埴輪をジャンバ-のポケットに隠したことは誰にも言わなかった。
 やがて帰路、崖まで戻ると、達也が張ったロ-プはそのままだったが、少し離れた位置のケヤキの根元にくくりつけられてトグロを巻いていた原始人の蔓バシゴが消えていた。こうなると、縄文人はどこかで四人を見張っていたことになる。石脇が呻いた。
「彼らは別のル-トで逃げたのか……」
「でも、この村の規模からみて五十人はいたと思いますよ?」
 友美が首を傾げ、達也が曖昧に頷いた。
「達也さんが逃がしたんでしょ?」
「いや、オレが上がった時は誰もいなかったんだ」
 石脇が叫んだ。
「まだ遠くに行ってないはずだ。手分けをして四方の森の中を探してみるか。なにか手掛かりが見つかるはずだ」
 勝川の表情が蒼い。
「森の奥に入るのはやめてくれ。樹上から悪魔が襲うそうだ」
 達也が笑った。
「奥までは入らん。オレは南を見てくる。三十分で集合だぞ!」
 達也が走ると、勝川が北、石脇が西の原生林に分け入り、友美がいま下りようとする東側の崖の左右の森を隈なく探し始めた。
 だが、どこに消えたのかヘブライ村の住民は誰一人として姿を見せず、まるで神隠しにでも遇ったかのように見事に消えていた。
 三十分後、それぞれが疲れ切った表情で集まった。
「洞穴も見えなかったわ」
「どこにもいなかったな」
 達也が先にロ-プを伝わって崖を降りると、昇った順序で下降したが重力があるだけに勝川が意外に早かった。たちまち四人は下に降り、幹にくくったロ-プはそのままにして、縄文人に会えなかった不満を口にしながらも、誰もが縄文村を確認したこだけでも納得した様子で帰路についた。
 樹木に覆われた山道をかなり下ってから、達也が足を止めた。
「ヘリが飛んで、粉を撒いてるぞ!」
 全員が空を見上げ、勝川が呟いた。
「あの縄文村の辺りだが、何か起こったのかな?」
 たしかにヘリは、縄文村辺りの原生林の上空に舞っている。
 不審には思ったが山裾の車止めの場所に辿り着き、山岳救助隊の作業服を脱いでいると、消防署のバンが一台到着し、作業着姿の消防隊員三人が車から降りて、顔なじみの石脇と勝川、見慣れない達也と友美にも挙手をしてから挨拶を交わした。
「何があったんだね?」
「小戸来岳の頂上付近から炎が上がってるって大畑部落からの山火事通報があったんで、直ちにヘリで消化剤を散布させ、われわれは情報収集に消火器持参で山に登るところです」
 疲れ切った表情の勝川が善意の忠告をする。
「あんなところ行くの止めろ。ワシみたいになるぞ」
「お言葉ですが、勝川さんが毛馬内のクラブで鼻の下を長くして遊んでいる間も、われわれ消防隊員は、安い給料でも日々訓練し鍛えておりますのでご安心ください」
「うるさい。見たような出鱈目をいうな!」
「実際にみたんですよ。では、行ってきます」
 三人の消防隊員は足取りも軽く、たちまち樹海に姿を消した。
 ここからでは密生した原生林が邪魔して火は見えない。
 ただ、心なしか雲状の黒っぽい煙らしきものが空にたなびいているのが見えた。四人が下山した直後に、あの小戸来岳の縄文村は何者かに焼かれたのだ。
「そうか、隠れていたヤツらが出てきて村を燃したな?」
 三人それぞれが、疑わしそうな目で達也を見た。

43 毛馬内会議

 あれから車で山を降りた四人は、まっすぐ鹿角署に向かった。
 四人が署長室に入ると菅野喜一署長が、見慣れた勝川を無視し、数日前に会ったばかりの友美に笑顔を振りまき、久しぶりに会う達也には、自分から歩み寄って両手で握手をした。
 友美が日本全国どこの署に行ってもモテるのは、事件記者として数多くの迷宮事件にメスを入れた鋭い記事で、警察の再調査を喚起して難事件の解決に寄与していることも影響してはいるが、一番の理由は美人だからだ。
 石脇が署長に、ムダ骨に終わった河田美香救出作戦の顛末を報告すると、署長が渋い顔をした。
「あんたらが下山してから、消防が消化剤を散布したそうだ。火を点けたなら始末書を出しといてくれ」
「冗談でしょ。あれは、縄文のやつらが村を焼いたです」
 石脇が指紋の照合を依頼しに鑑識の部屋に出て行くと、署長がコ-ヒ-を取り寄せて達也らにすすめた。
「田島君は元気ですかな?」
「社長は元気過ぎて、毎朝、お子さん二人とジョギングです」
 菅野署長は、達也とも上司の田島とは旧知の仲であった。
 八年ほど以前、菅野が警部だった時代の頃だが、当時、東北一帯を巻き込んだ詐欺事件が広域捜査となり、警視庁の刑事部二課の田島源一警部と組んで新宿歌舞伎町の中国人マフィアを追った折りに協力したのが新宿署刑事部一課刑事の達也だった。
 その後、中途退職した田島が警備会社メガロガを設立し、誘われて入社した達也が民間人として活躍するようになっても、お互いに認めて協力しあう仲だったのだ。
 菅野署長は、鹿角署を上げて拉致事件に取り組む姿勢について、友美と達也相手に熱弁を振るっているうちに石脇が戻った。
「何らかの結果が出たらば、すぐ知らせるように携帯の番号を書いてきたす。署長、官費で慰労会するで、いいですな」
 返事は求めずに、石脇がさっさと署長室を出た。
 友美らもそれに続く。
 その夜、勝川、石脇、達也、友美の四人は、勝川の親しい毛馬内にある日本そば「先人亭」の和室に集まり、山狩りの疲労回復を兼ねての飲み会が始まった。
 勝川がまず、日本酒の熱燗と天ぷらソバ、モツの煮込みや山芋の煮物などを頼み、まずビ-ルで乾杯する。
 酒の肴に山の話題が出て、石脇がボヤく。
縄文村が燃えたとなっと、河田美香はどこさ行ったべな」
 友美が考えながら応じた。
「はじめから、あそこには居なかったんじゃないかしら」
 達也への疑問が石脇から出た。
「佐賀さんは、村の人と会ったんじゃないすかな?」
「いや……」
 石脇の携帯に佐田刑事から緊急連絡が入り、石脇が怒鳴った。
「そこでガタガタ言ってねえで、こっちさ来て話したらいいべ」
 電話を切った石脇が三人に言った。
「なんか問題が起きてるらしいだ」
 暫くして佐田刑事が来て、駆けつけ三杯のビ-ルを片づけて本題に入った。
「とにかく消防と揉めてて大変なんです。火消し屋の言い分は、まず大畑部落からの通報で、炎と煙が小戸来岳から上がったことで、すぐヘリをチャ-タ-して上空から消化剤を散布し、同時に消化ボンベを担いだ隊員三名を情報収集に行かせたところ、下山中の石脇警部ら四人と出会った……火消し屋三人が崖を登って火元を調べたところ人影はなく、燃え落ちた縄文住居の残骸がくすぶっているのが確認されたそうです。
 さらに消火を完全にして、延焼の危険がないと判断して下山したそうですが、火を点けたのは警部らに違いないと証言し、うちの署長に真相究明と調書の提出を迫っていて、主任が始末書を出さないと収拾がつきません」
「だが、ワシらは何もせんぞ」
「警部が転写して持ち帰った指紋、どこから採取しました?」
「ワシと佐賀さんで、高床住居の柱や床板から採取した……」
「その中から、あの女子アナの指紋が出たんです」
「河田美香のか?」
 全員の顔が緊張で強張った。達也も一応は驚いた振りをする。
「鑑識課が指紋やその他を分析した結果、河田美香さんの所持品多数から採取した指紋と合致し、本人と確認しました」
「ちゅうことは、美人の河田美香があの野蛮人らと!」
「そんなことで揉めてるんじゃないです。署長は私に、警部から事情聴取してこいと言ってるんです」
「なにを聞きたいんだ? いま、答えてやるぞ」
「警部が山の衆と河田美香を逃がして、縄文村の存在を隠すために火をつけた……これは、署内でもオフレコにするから、と署長からの伝言です。放火は警部の仕業ですか?」
 達也が口をはさむ。
「オフレコってことは、署長もあの村のシンパだったのか?」
「署長は、村というよりあの山の衆を束ねているクリスという男に心酔してるんです」
「そのクリスが噂通りの人物なら、美香は安心だろ?」
 達也の疑問に石脇が応じる。
「知り合いの猟師に言わせると、山道ですれ違っただけで青い目に射すくまれて、金縛りに会ったように暫く身動きできなくなるそうだ。きっと、オ-ラのようなものが出てるんでしょうな」
 勝川が頷いた。
「あの男なら信頼できる」
 佐田が食い下がる。
「小戸来岳にその男がいたのを見て、逃がしたんですか?」
「見てもないし、逃がしてもおらん。だが、疑問点はあるな。あの連中が河田美香誘拐犯から救けたのなら、逃げずにワシらに引き渡せばいいのに、捜索の手が伸びたのを知って逃げたとしたら、彼らも拉致の片棒を担いだということになるからな」
 達也が口をはさむ。
「しかし、縄文人を共犯と断定するのも早計だ。それに、明日あたりはひょっとしたら戻るような気がするが……」
 友美が気にする。
「どうしたんですか? 明日、なにか起こるんですか?」
「いや、なんでもない。気のせいだ……」
「でも、あの縄文村から美香がいた証拠が出たんですよ」
「この地方では昔からキリスト隠遁説が根強いから、その子孫が拉致事件の共犯だのと公表してみろ。世界中に日本の恥を広めるだけだ。それに、河田美香だって明日あたりは戻るかも知れんぞ」
 佐田刑事が頷いて自説を述べた。
「私は佐賀さんの楽観説とは少し違いますが、最悪のケ-スを予測したんです。もしかして、クリスという縄文の男が河田美香を散々もてあそんでから殺害する……と、仮定します」
「そんなバカな」
「ですから仮にの話ですが、キリストまたは弟のイスキリの血を引くクリスが殺人罪で死刑、または無期懲役……こうなればシモン派とクリス派の勢力争いは決着がつき、シモン派に春がきます」
「あんたは、そんなことを望んでるのか?」
「望んではいませんが、どこかでケリをつけないと……」
 部下の暴言に石脇も黙っているわけにはいかない。
「そんなことが表沙汰になってみろ。世界中のキリスト教徒、キリスト教国家のアメリカも黙ってはいまい。沖縄の基地から爆撃機を飛ばして、新郷村に報復のミサイルを撃ち込むだろうし、それに、イスラエルやイギリスも加わった同盟国相手に鹿角署と十和田署だけで戦わねばならない。そのために尊い人命を失うことになる」
 達也が、青汁を飲んだような表情で突き放す。
「バカバカしい……」
「バカバカしいって、河田美香はどうなる? こうなれば警察や消防、自警団を総動員して山狩りして助け出すしかないだろ」
 佐田が思い出したように言う。
「あの縄文祭りの特別番組を推進して、河田美香を司会に起用したDAT社の岡島が、日東テレビから預かった身代金の三億円を懸賞金に変えるとか公表して、先刻、警護員を何人か引き連れて河田美香救出の陣頭指揮という名目で紫門屋敷に入ったそうです」
 達也が淡々とあきらめた口調で言う。
「うちの社長が女子アナ救出は一日で充分とみて、岡島の警護を請け負わせ、同時に女子アナ救出も引き受けた……だが、それが裏目に出て、オレはいまだに救出できんからな」
 友美が突き放す。
「達也さんらしいグチですね」
「うるさい! それにしても、オレに警護を断られた岡島は、いい加減な連中を雇って河田美香を救けに来たっていうわけだな。て、ことは自分が懸賞金の三億円をネコババするつもりだな」
「でも、美香はまだ、山の中ですよ」
 佐田も心配する。
「縄文人が、庭のように動きまわる広大な原生林から美香を探すのは、海岸の砂の中からダイヤを探すより難しいですからな」
 石脇がが膝を打った。
「そうか。ヤツが美香を連れて来て三億円……か?」
「ヤツって、どういうことだね?」
「佐賀さん。考えてみたらクリスだって金は欲しいだろ?」
 友美が呆れる。
「いい加減にしてください。でも、生きているなら安心です。それより心配なのは、一緒に連れ去られた加納と島野さんです。いま何の手掛かりもないとしたら、それこそ、海の彼方まで拉致されているとしたら、また総理の出番になりますからね」
 佐田が続けた。
「例の麓で主任と会った消防士ですが……彼らの一人が建築設計の専門家で、意外なことが分かったのです」
「どんな?」
「高床式を入れた数棟を除くと、殆どが蔓の使い方も素人づくりで縄文式どころか何の価値もないバラックだそうです」
「バラック? 彼らは、山々をば移動する放浪の民だから、それほど頑丈なものはいらんのだな」
「それと、注射器が出たそうです」
「それは妙だな。縄文人がヤクでもやってたのか? いや、感染症予防用に誰かが差し入れしたんだな。ところで、河田美香がいたことはマスコミに公表したのか?」
縄文村から彼女の指紋が出たのは、署内で箝口令が出ました」
「そうか。それにしても気になってただが……」
 石脇が達也を見た。
「佐賀さんは、崖を登ってから暫く姿を見せなかった。だが、あの短い時間の間に佐賀さんが、証拠隠滅の知恵を付けて彼らを逃がした……それ以外に考えられん」
「オレが、そんなヤツらにどんな義理がある?」
「佐賀さんが彼女に惚れ込んだ……」
「よしてくれ。オレには友美っていう……ま、どうでもいいが」
 友美が気にする。
「よくないです。どうでもいい女って言おうとしたんでしょ!」
「だから、何だ?」
 その瞬間、友美の手からコップのビ-ルが飛んで、達也の顔を直撃した。女性心理からいえば刃物を投げてもおかしくない。

44、疑いの目

 友美と達也の争いで脳が刺激を受けたのか佐田刑事が、なにか思い出したらしい。
「忘れてました……スト-ンサ-クル館の渡部館長から警部に伝言がありまして、例の件で、至急、連絡が欲しいそうです」
「そんなの早く言ってくれ。まだ館にいるのかね?」
「自宅で待ってるそうです。電話番号は……」
「携帯に記憶されてるだ」
 館長の自宅に電話を入れた石脇が、隠しカメラがどうのと、なにやら怪しげな内容を続けて、話し終えた。
 電話を切ってから、石脇が一同に説明する。
「例の展示台の上の縄文人のミニュチア-が移動した件だが、館長からの提案があって、犯人探しをすることになった。で、昨夜遅く館長が業者を呼んで、監視カメラを設置しただ」
 友美がすぐに反応した。
「なにを調べるんですか?」
「館長の案では隠しカメラは、信頼できる大山理恵という事務員一人だけに管理を任せて、中里顧問や花井主任、他の職員にも内密にし、閉館後の展示室を監視するということだった。それだと、台の上のミニュチアをいじるのが誰かが分かると思っただべな」
「すると、それに賛成した石脇さんにも、あのお二人にも内緒だったなんて」
「あの二人って?」
「いま名前が出た、中里さんと花井さんですよ」
「例の縄文ミニュチアだが、あんなふうな細工は美術教員の資格も持ってる中里顧問以外にはできないし、顧問と花井主任は親しいですからな」
「でも、その大山理恵と中里顧問が親しかったら?」
「いや、松沢千加子という事務員は中里派だが、大山理恵は渡部館長側に付いてるそうだ」
「でも、中里さんだけは疑うのはお気の毒です。あの紙粘土製フィギアの変化は縄文の呪いに違いない、などと言ってノイロ-ゼ気味でしたから」
「戸田さんがそんなのに騙されるなんて意外ですな。あの顧問が誰よりも縄文びいきなのは鹿角では知らない者もないし、あの縄文ミニュチェアを見て驚いたのが芝居ってこともあるべし」
「でも、中里顧問にまで内緒にするなんて……館長も警部もそこまで疑ってるんですか?」
「今の館長からの電話で、また、疑いは深まってるだ」
「どんな? そのミニュチアがまた入れ代わったんですか?」
「ところが今日、配置に変化が出た前後だけ映像が真っ白でな」
「どういうことですか?」
「カメラが十秒ほど曇ってしまって……人影どころか白い霧だけしか撮れなかったそうだ。この犯人はなかなかの知能犯で、ドライアイスを使ったと思われるが、これも理科の先生もしてた顧問の仕業だと思えば納得できるべし」
「ドライアイスの出所は分かりませんか?」
「鹿角市内だけでも、この季節にドライアイスを使う店は数十軒はあるし、どうせ捨てるか消えるかだけの物だから、店員が持ち出したって誰も気にせん。こんなの調べても無理だべな」
 達也が先をうながした。
「それで、どう変わってた?」
「何十人もいた台の上の縄文人がそっくり消えて、青い目を入れて男五人だけが棒を持って……」
「そいつは武装してるんだ!」
 達也が酒を飲み干して茶碗を伏せると、石脇が頷いた。
「そうか……いよいよ、決着をつける気だな」
 意味が不明の佐田と勝山が二人を眺め、友美が考えを纏めた。
「達也さん。あなた、やっぱり美香さんを逃がしたのね?」
「なんだ急に……」
「美香さんを囮にして、縄文人が紫門をおびき出すんでしょ?」
「ほう……」
「あら、達也さん。見逃す時に考えなかったんですか?」
「考えなかった……いや、オレは何も知らんぞ」
 石脇と勝川が冷たい視線を達也に浴びせた。だが、それも一瞬、石脇が眉を寄せた。
「戸田さん。その考えは間違いですぞ。展示場の予告から見れば、クリスが逆に紫門に戦いを挑むということです。しかし、鉱山にいる紫門の残存戦力は侮れませんからな。多分、新手の助っ人も集めるでしょうし、クリスが部下を連れて紫門邸に現れたら、小人数の縄文は皆殺しになるでしょうな」
 達也が笑った。
「山で石を武器に熊を殺して生きてる連中だぞ。病院に運び込まれるのは紫門側にきまってるさ」
「分からん、なに一つ分からん。第一、戦場はどこだ?」
「多分、知ってるのは中里顧問だな。自宅の電話は?」
 勝川が気を利かして携帯の記録で呼び出すと、数年前に愛妻を亡くして男ヤモメの中里がすぐ出た。勝川も中里の教え子なのだ。
「なんだ勝川君か、また不倫がこじれての別れ話で相談か?」
「いい加減にしてください人聞きの悪い、今度は違いますよ。わたしじゃなく、東京の佐賀さんが……」
「ワシは、ボディガ-ドなど頼まんぞ」
「分かってますよ。いま、代わります」
 達也が代わると、中里が警戒している気配がよく分かる。
「佐賀さんが、ワシに何の用かね?」
「中里先生は、クリスと親しいそうですな?」
「クリス? なんのことだか……」
「中里さん! 元刑事をなめないでくださいよ」
「ほう。あんたはワシを脅すのかね?」
「中里さんとクリスが特に親しいのは調べがついてるんです」
「どこで調べた?」
「それは言えんが、これは緊急だから電話してるんです。クリスが何か始めようとしているのは、分かってますね?」
「何を聞きたいのだ?」
「中里さんの一言で、私らも阻止か強力か、二つに一つです」
「だったら頼む。放っておいてやってくれ」
「放っておく? 彼らはどこで何をしようとしてるんです?」
「ちょっと待ってくれ……」
 顧問が携帯電話で誰かと話す気配があって受話器に戻った。
「電話じゃまずい。これから会おう。どこにいる?」
 勝川に聞いて日本そば「先人亭」だと言うと、と、松山画伯も呼ぶという。そこから自宅の近い中里はすぐ現れた。
 中里は酔いが覚め気味で機嫌はよくないが、ビ-ルを一気に飲み干したところで落ちついたのか、話の輪に加わった。
 勝川が熱燗五合に、なべ物を追加注文する。
 やがて、松山画伯が現れ、皆に挨拶をする。
「食事は済ませた。酒は少しは飲めるがな……」
 勝川が熱燗入りの徳利を持つと、早くも茶碗で受けている。
「先日の、クロマンタ山ピラミッド説には感心しました」
 友美がの一言で松山画伯が勢いづいた。
「クロマンタは、魔の山では。大湯の遺跡が原始社会解明の重大な鍵をもっているように、あのクロマンタこそ古代文明の象徴なので、原始宗教の対象であると同時に、天体観測の基地でもあり、このクロマンタこそ選ばれた神が宿る神聖な場所なのです」
 友美が相槌を打つ。
「キリスト降誕説ですか? あの古代祭りの夜に、斉東市長が話したキリスト降誕説は冗談かと思ったのですが、本当にそれに近い事実があるのですね?」
「キリストの子孫と称する谷川家はシモンとクリス両方の血が半々だそうで、前々村長の紫門家がシモン一族の本家です。両家は、この二千年を和睦したり争ったりして今日に至っています。そのユダヤからの渡来人から後世の人がこの地方を戸来または十来(とらい)と称し、渡来人の子孫が亡くなると十来塚に埋めて手厚く葬ったと考えられます。その先祖の霊と、クロマンタ同様の霊山である戸来岳が村を守り、繁栄に導いたと考えられています」
「クロマンタを侵すと、死の報いを受けるのですね?」
 松山画伯が少しためらってから応えた。
「当然です。クロマンタ山は、神聖な祈りの場です。その大切な縄文文化の結晶を踏みにじってハイキング気分で登り、貴重な文化財の一部を奪ってゴミや汚物を残してくる。これは許せません、天罰が下って当然じゃないですか」
 石脇がイライラして喚いた。
「お二人を呼んだのは、クロマンタ山論議じゃないですよ。クリスという男が、何を企んでいるのかを教えて欲しいんです」
 中里の態度が改まり、きっぱりと断言した。
「神の子が、弱者救済のために復活した……これでどうだ?」
「まさか。そんなことを本気で信じてませんよね?」
 冷めた目で友美が中里を見つめた。

45、両家の報復説

 松山画伯が声をひそめた。
「以前、あの古代祭りの夜に、斉東市長が話したキリスト降誕説は本当にそれに近い事実があるのです。キリストの子孫と言われる新郷村の谷川家は、シモンとクリス両方の血が半々だそうで、前々村長が紫門の本家家です」
 友美が確かめる。
「そのシモン系の紫門家とクリスの栗栖家は、この二千年の間、和睦したり争ったりしてるわけですか?」
「いや、以前はシモン系はクリス系に従属してたから問題はなかったですが、シモン系が豊かになってクリス系を見下ろすようになった二百年ほど前からおかしくなったのです」
「そのユダヤから渡来した両家の子孫が、この地方を戸来または十来(とらい)と称し、渡来人の子孫が亡くなると十来塚に埋めて手厚く葬ったと考えられるわけですね?」
「そうです。その先祖の霊と、クロマンタ同様の霊山である戸来岳(へらいだけ)が村を守り、繁栄に導いたと考えられるのです」
「その戸来岳を侵しても、死の報いを受けるのですね?」
 友美の問いに松山画伯が少しためらってから応えた。
「当然です。クロマンタ山も戸来岳も神聖な祈りの場です。その大切な縄文文化の結晶を踏みにじってハイキング気分で登り、貴重な文化財の一部を奪ってゴミや汚物を残してくるなんて、これは絶対に許せません。天罰が下って当然じゃないですか」
 石脇が注意する。
「画伯、戸田さんにそんな脅迫めいた発言をすると、そのまま記事にされて、河田美香誘拐に先生が絡んでいると思われますよ」
「彼女は東京の森元翁の縄文研究会の他に、うちの通信会員でもあったですからな」
「一緒に誘拐された加納とか、テレビ屋の島野は?」
「加納君は時々顔を見せておったが、島野君は通信会員だった」
「となると、三人は松山先生の会にも所属してたんですね?」
「これではまるで容疑者じゃないか? じゃ尋問に答えるが、この三人だけじゃないですぞ。河田美香の前に失踪した者も、日東テレビの津矢木という男以外は、一人残らずうちの会員なのだ。これがどういうことか、誰か解明してくれんかね?」
 一気に喋った画伯が茶碗の酒を煽ると、中里顧問が呟いた。
「すると、松山先生のその会が恨みを買っていることも考えられますな」
 すでに石脇が、成り行きによっては佐田と署に戻らねばならないから酒には手をつけず、料理だけにせっせと箸をつける。
 突然、中里が一同の前で、滅多に下げない頭を下げた。
「クリスは可哀相なヤツです。ぜひ、助けてやってください」
 石脇が立場の違いを強調した。
「クリスなんかどうでもいい。河田美香の救出が先だ」
「クリスを一般社会に戻したい。それで協力を頼んだのじゃ」
「その前にクリスが今、何を考えてるか教えてください」
「知って、どうするんですか?」
「救助するか、戦うのか……その参考にしたいのです」
 中里が勿体ぶってから言った。
「クリスがどこに現れるかは、私は知ってる。だが、なにを考えるのかは、松山先生に聞かんと分からん」
 松山が言った。
「クリスは、この東北の地から十戒をダブルやトリプルで犯しながら、悔い改めることのない犯罪者や、心の汚れた人間でを排除する気でこの二十一世紀に現れたのじゃ。そのクリスは多分、明日には紫門屋敷に乗り込むでしょうな」
「無茶だ。アリ地獄と同じで待ち伏せされて殺される」
「覚悟の上でしょう。多分、宣戦布告した上で乗り込みます。ただし、主戦場は別ですぞ」
「宣戦布告か?」
 石脇が腰を浮かして頼りになる達也を見たが、達也は飲み食いに夢中で話も聞いていない。中里がきっぱりと言った。
「そうなると、本当の戦場は縄文広場でしょうな?」
「なぜ、そう思われたのですか?」
「やはり、環状列石は縄文人の心の故郷ですし、美香の拉致された場所でもありますからな」
「相手は?」
「佐々木熊五郎の兄貴分で、鹿角全体の乗っ取りを企む木場という男です」
 今度は達也が驚いて、茶碗酒をこぼしながら振り向いた。
「木場が?」
「木場は、この周辺のヤクザ者を動員して、紫門も縄文村も乗っ取ろうとしてるんですよ。彼らが勝てば、紫門も栗栖も木場の思うままになります。木場は、鹿角市に住み着いてから着々と布石を打ってきましたから、今では市長にもなれる財力をもってるんです」
 中里の言葉に達也が頷いた。
「なるほど。先日もニセ金塊の件では被害者ぶってたが、あれを東京や大阪で換金して、億単位で儲けようって腹だな」
 友美が渋い顔で達也を見た。
「あなたが情けをかける人って、ろくな人がいませんね」
「うるさい。友美にも情をかけてるぞ!」
 中里が二人を無視して石垣に告げた。
「やはり、戦いは夜明けですぞ」
「なるほど」
 石脇が佐田に指示する。
「こうなれば、県警に連絡して全員逮捕だな」
 達也が横やりを入れた。
「それもいいが、手出しをせずに高見の見物はどうだね?」
「死者が出る前に、全員逮捕が理想だが……」
 石脇が言うと、温厚な松山画伯が静かな口調で語り出した。
「この争いは前世からの怨念だと思えばいい。木場は大阪の生まれで生粋の弥生人のはずじゃ。創世会もまた本家は兵庫……これは、ヤマトが蝦夷征伐に来たときの代理戦争と思えばいいのじゃ」
 ビ-ルを煽って続けた。
「ここから東に山を越えて、八戸に入ると是川の石器時代遺跡があって、その付近から発掘される白骨遺体からは争いの後は見えないのに、そこから少し山に入った遺跡からは首のない人骨や首だけの白骨など、百戸以上もあった竪穴住居の住民が女子供まで一人残らず殺戮され殲滅した跡があるんですな。
 中には、後ろ手に縛られた上で首を切られた体もあるんです。そこからは、石の矢尻に混じって錆びついて原型を止めない鉄製の剣や矢尻も発掘されているのです。これは明らかに鉄器人種による石器人種抹殺の歴史的事実とみて間違いないのです」
「松山先生、なにを言いたいんだね?」
「この山奥の青森県側の原生林で、ヘブライ村の五十人余といわれる縄文村の住民が倒れていたのを、村を訪ねた阿仁マタギ衆が発見して、山の斜面に穴を堀り懇ろに葬って来たという話は聞いたことがあると思うが……あれは、洗い熊での中毒死ではありません」
 石脇が頷き、座が静まった。
「阿仁マタギ衆は死者を葬りながら、その死因には一切触れず黙して語らない。だが、種族こそ違えど山で暮らす仲間の死について、何も語らないというのも異常としか思えない。これには、なにか深い理由があるに違いない」
 石脇が頷き、松山画伯が続けた。
「そのマタギ衆が何も言わないのに、誰かが動物の食中毒説を流して、それが定着したが……大量殺人事件だったということも考えられないことではないと思います」
「だとしたら当然、残された一族の者が報復をするはずだ。でも、今のところはその動きがない。真相が食中毒だから報復はない……または?」
「なんです?」
「その元凶を突き詰めて止めを刺す。これが、今回の騒動の伏線になっているような気がするんだがね」
「どんな?」
「紫門千蔵と賀代子の両親が不慮の死を遂げた時も、交通事故だという身内からの発表だけで、その死因を確かめた者はいない。しかも、その前の栗栖洋二らの両親らの死因も定かではない。その前も……この連鎖反応が報復による殺人だったら?」
 石脇が手を上げて制した。
「バカバカしい。その仮説からすると、これじゃあ報復の繰り返しで際限がないってことになるだべ」
「そうか、秋田県警きっての名警部が言うだから、ワシらが心配すっこともないな。じゃ、ワシは帰る」
「ちょっと待ってけれ。先生の説だと決戦は縄文広場、時間は夜明け、争いの原因は報復ってことですな」
「そこまでは言い切っておらんぞ」
「と、すると、松山先生の説だと、木場が佐々木ら暴力団員を使って、何らかのかたちで栗栖一族を滅ぼしたと?」
「誰がそんなこと言った。だから、最後まで聞くもんだ。いいか。
紫門がやったと見せかけて栗栖を殺し、栗栖が報復したように見せかけて紫門を殺す……これが政治家のやり方だ。これで両家が牽制して争うから両家が動けない」
「なるほど」
「よく考えてみろ。この両家が力を合わせたら日本全国がたちまち紫門と栗栖の軍門に下ることになる」
 ここで達也がうなずくのを見て、友美が呆れる。
「達也さん。今の松山先生の言葉を信じたの?」
 達也が腕組みをして唸った。
「謎解きがようやく見えて来た……いや、恐ろしいことだ」
「あら、達也さんでも恐ろしいことがあるの?」
「友美も恐いが、この筋書きを考えたヤツはもっと恐ろしいぞ」
 これで、画伯の機嫌も戻って腰が据わり、本格的に飲み始めたが石脇警部と佐田は忙しい。電話を掛けまくるのだが、誰にも相手にされないのだ。
 石脇が必死で「紫門と栗栖の決戦」だの「木場と暴力団」だのと説得するのだが、酔っぱらいの戯言としかとらえられないらしく、本気にするものは誰もいない。県警本部どころか鹿角署の仲間にすら笑われ、署長には一括される始末……さすがの石脇も酔いが回った赤い顔をさらに赤くして怒鳴りまくっている。
 しかし、援軍はせいぜい自分の部下の八人がせいいっぱい、機動隊も間に合いそうもない。結局はまた、青森県警十和田署に応援を頼んで早朝、彼らが根城ににしている飯場を動く前に急襲するという手筈にまでは追いついた。
「こうなりゃ、わしらだけでも……」
 チラチラと感じる石脇の視線を無視して、達也は酒を煽った。