第三章 絶体絶命

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第48回三軌展(1996)迷ヶ平幻想 松岡隆一画伯(秋田県鹿角市)

15、凌辱への恐怖

夜、美香を乗せた車が停まったのは人里離れた山中だった。
「ここが、急に指示変更になった祠らしいぞ」
「うすっ気味の悪いところだな」
山の悪路で耳栓が外れたのか、木々を揺する風の音に混じって、男たちの会話が美香の脇から聞こえた。その口調に東北なまりがないのは、関東から流れ着いた暴力団なのか?
美香を荷台に積み込んで、そのまま乗り込んでいたらしい。
「ここえ太鼓ごと置いとけばいいんだな」
(そうか……あの大太鼓に詰められたのか?)
縛られたまま美香は納得したが、危険が去った訳じゃない。
「ヤツらはわざわざ、麓から引き取りに来るのか? バカだな」
「このまま渡す手はねえだろ?」
「駄目だ。こいつは大金が絡んでるんだ」
(やはり、身代金目当ての誘拐だったのか)
美香は少し安堵したが、これは甘かった。
運転席と助手席のドア-が開いた音がして、荷台の下から凄味の効いたダミ声の男が怒鳴った。
「てめえら、何をガタガタ言ってやがる。早く女を下ろせ!」
「兄貴。やっぱり約束通りに太鼓ごと置いてくのか?」
「バカやろ。一時間の余裕をつくるために飛ばしたんだぞ」
「じゃ、やっぱり」
「当たりめえだ。ヤツらには大金が掛かった大物だろうが、安日当のオレらにゃ関係ねえ。このぐれえでバチは当たるめえ」
「それもそうだな」
「それにな、この女だって見栄があるからな。四人に姦られたなんて口が裂けたって言いやしねえさ」
「じゃあ、順番は公平に決めようや」
「うるせえ、一番はオレだ。てめえ、逆らうのか!」
「仕方ねえ。太鼓は終わってから下ろせばいいのか?」
「女を出してから太鼓も下ろせ。用が済んだらまた縛りあげて詰め込み、この祠に放り込んどけばお役ご免だ」
男の一人が大太鼓の胴体に細工した金具を外したらしい。
タオルで口かせをはめられた美香は、鼻の穴を大きく広げて、新鮮な山の冷気を肺の中いっぱいにに吸い込んだ。原生林の木々のざわめきに混じってフクロウの重い鳴き声が聞こえている。
「女、出ろ!」
男が二人掛かりで、大太鼓の胴側を開いて美香を引き出して、目隠しと口を塞いでいたタオルを外した。荷台の布幌の後部がめくれて、夜の闇からかすかな月明かりが差し込んでいる。
見ると、目の前に長髪の男がいた。あの時、縄文衣装を着たサングラスの女性に女子トイレで待ち伏せされ、「花束のメッセ-ジを見ましたか?」と、声をかけられて頷いたときに、背後から美香の口に薬剤をしみ込ませたタオルを押し当てたのがこの長髪の男だった。必死で振り向いてこの男を見たが、その瞬間にタオルで口を塞がれて気を失ったのだ。その後は記憶にないが、多分、タオルで猿ぐつわを噛まされ、酔った仲間を抱き抱えているように見せかけて表に連れ出してトラックの荷台に運び、意識のない美香を縛り上げて、その大太鼓の中に押し込んで蓋を閉め、山に運んだのだ。ここには、あの女はいないようだ。恐怖よりも怒りが先に立つ。
「あんたなのね? 薬をかがしたのは?」
「だから何だ!」
その長髪の男と他の一人が、荷台後部から美香を担いで下から手を伸ばした男達二人に手渡した。
「やめてよ!」
叫んではみたが、まだ手足を縛ったロ-プがそのままだから抵抗しようとして足掻いてもどうにもならない。
目隠しの闇に慣れた目で周囲を見ると、弦月の夜明かりだけでも充分に明るく、そこが人里離れた山奥だることも分かった。これでは大声で叫んでも誰にも聞こえない。
美香の目の前に数人がやっと入れる程度の古びた祠が見えた。男達は全部で四人、大太鼓祭りの練習で見た打ち手の法被が一人、三人が担ぎ手の服装だから大会に出場するチ-ムが一組、そっくり此処にいることになる。これで美香は、自分があの大太鼓大会を利用して計画的に拉致されたことを知った。
男達に担がれて祠の中に運び込まれた美香の鼻孔に、カビと埃の臭いが鼻をついた。法被を着た額に大きな疵のある兄貴分らしいボスがライタ-を取り出して灯明に火を入れて部屋を明るくすると、古ぼけた狭い祠の奥にクモの巣に包まれた黒ずんだ木彫りの菩薩がいて、慈悲の眼で美香を見つめていた。
舎弟分らしい男が手際よく車からとり出してきたビニ-ルシ-トを埃だらけの床に敷き、美香をその上に転がした。
「あんたたち、何するつもり!」
後ろ手のままの美香が怒鳴ったが男たちに反応はない。ボスが無言で足を縛ったロ-プだけを解き、美香の腰に触れてパンツのベルトを緩めている。
「嫌よ。やめて!」
男達の目的も、結果も最初から分かっているが、それでも一応はセレモニ-としての抵抗がある。しかし、暴れて叫ぶ美香の頬を、兄貴分の男が平手で力を込めて殴った。
恐怖と痛さで歪んだ美香を見据えて、男が脅す。
「往生際の悪い女だな。どうせ散々に遊んだ身体だろうが」
(あんたらに関係ないだろ!)、そう思うがどうにもならない。
パンツが脱がされて肌色のショ-ツだけになった美香の白い肌が、灯火のゆらぐ堂の中に晒される、ボスが仕事にかかろうとすると、残りの三人が順番で揉めた結果、真剣な表情で「はじめはグ-」
などと喚いて二番目からの順番決めを始めた。ボスがゆっくりと、泣き叫ぶ美香の肌を執拗に撫で、髭面の頬で肌を擦った。
「いいか、抵抗してもいいが殺しはしねえからな……いいか、おとなしくしてればすぐ終わる……オレ達は秘密は守るからな」
(こんなのは嫌だ!)、暴れながら美香は悔しくて泣いた。十六の初体験から、美香を通りすぎた男の数はかなりになる。だが、そのどれにもなにがしかの愛があり合意があった。こんな見知らぬ男たちに犯されるのは耐えられないし、これでは人間としての尊厳もズタズタにされてしまう。こうなれば、舌を噛んで死んでやる。
死ぬ覚悟ができたのに、なぜか涙が止まらない。
こんな理不尽なことが許されてはならないし、こんなことで死ぬのも悔しい。目をつぶって災難だ、交通事故だと思い込む手もあるが、いつかこの事実が暴露されて生き恥をさらすのも辛い。
どうせ、死ぬなら抵抗して死ぬだけだ。それでも今の美香には、死んでも泣いてくれる人がいないのが淋しかった。でも、これも仕方がない。命がけの恋を恐れて本気になる自分を避けてきたのだから……死に際して、美香は本物の恋を知らない自分を嘆いた。
ましてや、そんな奇跡が有り得るはずがないのに、あの女が届けた花束に添えられたカ-ドを見て、どこかに天国が……と、少しだけ心がときめいた自分が浅ましい。 ふと、こんな時に悔しいが、留学中のニュ-ヨ-クで出会って一夜を過ごした男を想った。あのソフトで甘い愛撫がなぜか恋しい。黒い瞳でジ-ッと美香を見つめ「いつかまた会おう」と去った男に騙された。その男がメモに残したホテルの電話番号が違っていたのだ。それはもういい……とにかく、今は思考を現実から背けるのだ。
毎日が戦場のようなテレビの裏側で、ライバルとの熾烈なバトルに飽いてた自分が、縄文の取材、この一言に反応して自分から買って出た仕事でのこの結末、平和で争いのなかったと言われる縄文時代こそ、美香にとって理想の世界だったのに、その世界を極めることもなく虚しく死ぬのも無念なことだった。
死ぬ前の人の脳裏には、フラッシュバックになって次々に過去が瞬間的に映し出されてゆくという。
美香は、太古の縄文人のようにもっと自由に生きたかった。だからこそ、縄文研究会になどに入ったのだし、縄文時代を回顧する特番のメインキャスタ-に選ばれた自分が嬉しかったのだ。しかし、それが裏目に出ている。師の森元翁が言った通り、縄文には魔が棲みついていて獲物を待っていたのだ。
目を閉じると何時ものように自分が望んだ世界がイメ-ジのスクリ-ンに現れる。原始人の美香が大自然の原野に住み、野性の動物を追い、川魚を石で仕留め、草の芽を摘み木の実を食し、気に入った男がいれば木陰で愛し合い抱き合って睦み至福の時を過ごす。そこには、時間の制約も仕事のノルマもない。ただ、生存本能と子孫を残すためだけの営みがある。実際には原始人の狩猟は男の役割なのに美香のイメ-ジでは、美香がその全てをやり遂げるのだ。
突然、目を閉じて唇を噛みしめた美香の口から熱い息が洩れた。
なんと……いつの間にか美香の身体が自分の意思に反して揺れ、醜いボス男の巧みな舌触りと髭で撫でるゆったりとした律動にまやかされて、身体が心を裏切って徐々に反応を見せている。こんなはずじゃない。こんな自分が許されていいはずがない。美香はそんな感じやすい自分が怖かった。もう嫌だ……美香の閉じた瞼から涙が筋を引いて流れた。美香は舌を噛んで命を断つ決意をした。
迷いはない。
上下の歯の間に舌を出し思いっきり噛もうとした瞬間、何を勘違いしたのかボスの舌が入り込んで来た。咄嗟に美香は自分の舌ではなく、侵入してきたボスの舌を思いっきり噛み切った。血が生ぬるく口の中に溢れた。あわてて横を向いて吐き捨てる。
「ギャ-、イラララッ……」
口から血を滴らせた間抜けなボスが怒った。平手で殴ってから美香の首を締め上げたから息が詰まる。
(お母さん、さよなら……)
呼吸が苦しく意識が遠のいてゆく。そこからは夢かうつつか判然としない。美香は失神したらしい。

16 捜査会議

深夜、鹿角警察署の玄関脇に、「縄文フェスティバル失踪事件捜査本部」と達筆で書かれた本格的な板看板が出た。
三階の会議室では、理論派で知られる署長の菅野喜一警視が、捜査一課の石脇警部、佐田らを含む署内の刑事・警官二十人ほどを集めて、コ-ヒ-を前に檄を飛ばしていた。
「いいかね諸君、明朝からは本部一課機動隊が参加することになったが、これは、わが鹿角署にとっては非常に不名誉なことだぞ。
当地方では、過去三年間に五人の失踪事件があり、この度の河田美香および加納二郎を加えると全部で七人になる。うち一人は米代川への投身自殺としたが、死体はまだ出てない。したがって、今回を含めて六人は未だに何の手掛かりもなく終わっているということになる。これじゃ、怠慢と言われても仕方ない」
「署長、ご意見に逆らうようっすが、神隠しじゃ仕方ねえす」
「石脇。指揮をとる警部がそれじゃあ、犯人逮捕は無理だな」
「冗談っすよ。なんせ、この全員に共通するのは、縄文遺跡盗掘、すなわち文化財窃盗の疑いですからな」
佐田刑事が挙手して立ち、異論を呈した。
「その中で一件だけ例外があります。二年以上も前に、大湯の環状列石発掘のドキュメントの取材を終えて、十和田のスキ-場近くで忽然と姿を消した日東テレビの津矢木というキャスタ-は、縄文遺跡を取材はしても興味はないようでしたので土器の盗掘など考えられません。調査の結果では、仕事の行き詰まりと家庭不和によるノイロ-ゼからの家出か、遺体こそ発見されませんが自殺とも思えます。これは縄文関係での不明者とは切り離して考えてもいいのではないでしょうか?」
「家庭不和か。それも気になるな」
石脇を無視して佐田刑事が続ける。
「われわれ地元の人間にとっては、鹿角十和田のこの地が先祖伝来の大切な生活の場であり、大湯のスト-ンサ-クルとクロマンタ山こそ聖地の象徴なのです。この聖地にずたずたと土足で踏み込んできて、何の尊厳も感じないよそ者が、祖先が祭事に用いた大切な土器などを盗掘して持ち帰るなどとんでもないことです。その不心得を戒めるには、魔の山クロマンタの呪いとか、神隠しとか、非科学的な現象があっても不思議はないのです。私は、そのような呪詛や怪奇現象などは信じませんが、何かこの事件には、目に見えない祖先の意思が働いているような気がしてなりません」
署長の菅野警視が注意する。
「佐田君のオカルトめいた話はもういい。警部はどうかね?」
「まず、日東テレビ内部の人間関係を調べたところ、ディレクタ-の島野泰造が妻帯者のくせに河田美香に惚れ込んでて、なにかにつけて言い寄ってたんですな。で、祭りの前の晩も、宿舎のホテル大湯本館で酔って河田美香に絡み、美香を庇ったADの加納と険悪な状態だったと聞いとります。ま、酔いが覚めてから島野が詫びたそうですが、島野に対抗意識を持った加納が、河田美香をそそのかして駆け落ちしたちゅうことも考えられます」
佐田刑事がまた異論を呈した。
「この事件が主任の言うような駆け落ちだとすれば、相手はADの加納ではなく、バラの花束を女に運ばせてプレゼントした影の男という仮説はできませんか? その花に添えられたカ-ドにヘブライ語で、花に囲まれた我が家に……みたいな歯の浮くような誘いの言葉があったそうですが、これは男からのプロポ-ズでしょう?」
「ほう、佐田君はヘブライ語が読めるのかね?」
「署長。冷やかさないでください。わたしは日本語だって読み書きは苦手なんですから」
「そんなの威張らんでいい。花屋はどうした?」
「いま、あのバラの出所のキュ-ピットというチェ-ン店を、片っ端から調べてますが、まだそれらしい客が来たという情報はありません」
「早く何とかしろ。それと、そのカ-ドの謎は誰が解いた?」
「カ-ドの文字を解いたのは絵描きの松山先生と教育委員会の中里顧問ですが、失踪する前の河田美香がそのカ-ドを見た瞬間にかすかに顔が曇った、と、座談会に出ていた雑誌記者の戸田友美が証言してまして」
「ちょっと待て。何で戸田友美がそこで出てくるんだ? 昨日、ここに挨拶で寄ったが、座談会に出るなんて言ってなかったぞ」
菅野署長の顔が険しくなっている。
「何でかは知りませんが、戸田さんはゲストで参加していまして、河田美香が失踪したために座談会の司会の代役をしていました」
「まずいな。ヒモはいなかったか?」
「署長、何です? そのヒモっていうのは?」
佐田の質問に、石脇警部が応じた。
「佐賀達也だよ。例の警視庁一課刑事だった……」
「はあ? 佐賀さんなら知ってますがそれが何か?」
石脇が補足した。
「お前も鈍いな。佐賀まで出て来ると、過去の例からみても事件はあの二人に解決される確率が高くなって、鹿角署の面子は丸潰れになる。そうですな、署長?」
「その通りだ。全員、もっと真剣に捜査を続けてくれ」
佐田が続ける。
「カ-ドを見た河田美香はトイレに寄ったあと、姿を消していますので、その花束を持って来た女に誘われて失踪した場合も考えられますが。これは、間違いなく縄文の呪いが絡んだ事件です」
「またか? いい加減にしろ。河田美香は縄文と関係ないだろ?」
「いえ。調べたところ、東京の縄文研究会に所属していました」
石脇が説明する。
「ご存じの通り先年、老舗のホテル大湯ホテル本館の専務・須賀太一が行方不明になり大騒ぎになったことがあります。それまでも、縄文だの古代遺跡だのと、あっちこっち出掛けてて、社長の父からは仕事不熱心を責められ、いつも口争いになっていましたが、結婚
問題がこじれて、結局は、米代川に身を投げて自殺しちゃいましたが、あの太一も縄文狂いでした」
「そういえば、ホテルの玄関先に立派なスト-ンサ-クルの模型があったな。あの石は本物か?」
「本物です。大湯のスト-ンサ-クルにある石と同じです」
「そんなの勝手に持ち出していいのかね?」
「須賀家だけは別格です。大湯スト-ンサ-クルの産みの親ですから……太一の祖父が市長だった頃、熱心にスト-ンサ-クルを始め地元の古代史研究を発表したりして啓蒙につとめました。鹿角市十和田をここまで有名にしたのはあの親子三代があればこそなのは、
署長もご存じですね? それに、あの須賀家は、キリスト一族の末裔の栗栖家からの分家です。署長も世話になってますね?」
「念を押すな。署は世話になったがわしは世話になっとらん」
「とにかく、鹿角の遺跡に対して果たした須賀家の功績には頭が下がります」
「それは認めるが、その太一も縄文狂いだったのか?」
「須賀太一は、縄文後期の土器については在野の第一人者です。祖父がクロマンタの頂上付近で発掘したという完璧な縄文土器も大切に保存していました」
「あれは、指定文化財だったな。ワシも、何回か自慢タラタラ見せられたものだ」
「太一はさらに、ヘブライ語が刻まれた石片も何点か持っていて、宝物のように大切にしていました」
「それも同じ発掘現場から出たのかね?」
「あれは太一がクロマンタ山の傾斜地から発掘したもので、市にも届け出て保管していた様子です。失踪した太一のことで、会長で実権を握っているオヤジに会って事情を聞きましたが、社長にした息子に死なれて失望したのか、急に老けて見えました」
「分かった……太一もだが、オヤジも気の毒だったな」
菅野署長が石脇に聞く。
「今回の縄文フェスティバルのテレビ化は、鹿角市側から持ちかけたのか?」
「いや、そうではないです。商工会議所専務理事の勝川史郎は私の従兄弟ですが、勝川の話だと、以前から青森側の十和田周辺の観光化に協力していた東京の企画会社DAT社の重役で岡島という切れ者の局長が持ち込んだ話らしいです」
「どんな切っ掛けからだ?」
「大湯温泉が最近めっきり客が減ったという情報を嗅ぎつけて、全国的な話題にして観光客を誘致するというアイディアで、斉東市長にテレビ局を紹介したんだそうです」
「そのDAT社は、この祭りのイベントのテレビ化で何が利益を生むのかね?」
「企画料、テレビ放映権、撮影した映像の独占販売、観光収入増加分の配分、大湯温泉やホテルの紹介でのピンハネなどです」
「それで一千万ぐらいは儲かるのか?」
「DAT社はそんな金額、若い社員一人の年収です」
「じゃ、二千万か?」
「数億円にはなるらしいです」
「この祭りは十何年も続いてるんだ。そんなヤツらに数億円も儲けさせて世話になる必要があるのか?」
「今までのようにロ-カルニュ-ス程度では観光客は増えません。
しかし、一時間の特番で全国放映になれば、もう先客万来で大繁盛間違いなしですよ。それが証拠に、番組は来週放映だというのに、昨夜、日東テレビの早い夜のニュ-スで河田美香失踪事件と重ねて今日撮影したフェスティバルと温泉街の一部を特番の予告として前
宣伝で流しただけで、予約や問い合わせが殺到して、大湯の各温泉のホテルや旅館では電話が鳴る度に嬉しい悲鳴だそうです」
「本当か?」
「とにかく、今夜の反応がすごいのは間違いありません」
「何が人気を生んでるんだ?」
「縄文というミステリアスな響きが魅力なんでしょう」
「河田美香の失踪事件も、視聴者の興味を引いたんだろうな?」
「それも、大きな要因になっていると思います」
「だとしたら、テレビで事件を扱う度にここは潤うのか?」
「それでしたら、捜索の手を抜きますか?」
「まてよ……ひょっとすると女子アナの失踪も、この企画に入ってたのかね?」
「そこまでは知りませんが……」
「もし、そうだとすると、エゲツない企画屋だな。ここが話題になればなるほど観光収入の分け前は入るし、ここで撮った映像のバラ売りでも稼げるだろ?」
「可能性はありますね」
「そうなると失踪事件そのものがヤラセってことも考えられるな。
県警まで動員した挙げ句に、その女子アナがひょっこりと現れたら茶番劇だぞ」
「そう言えば……従兄弟が言ってました。そのDAT社の岡島という重役は、鹿角十和田と同時進行で、岩手の滝沢村にも縄文祭りの企画を持ち込んでるそうです」
「滝沢村? あそこは『チャグチャグ馬コ』で全国的にも超有名だから、いまさら縄文祭りで村おこしでもないだろ?」
「それでも観光客が来る時期が偏っていて、普段は観光客なんかないそうです」
「だからって、縄文祭りにするほどの売り物もないだろう?」
「それが、この数年前にスト-ンサ-クルが出たんですよ。小規模ですがね」
「それだけで縄文祭りか?」
「つい数年前には三階建ての立派な埋蔵文化財センタ-もオ-プンしましたし、土器など約一万点、石器など六千点、写真類や資料などものすごい量を収蔵してますから、ここが本気でPRしたら秋田の鹿角市十和田、岩手の滝沢村とコンビになって相乗効果が出ますし、温泉はこっちの方がいいに決まってますから大湯の繁盛も間違いなしです」
「滝沢村なら、岩手高原の網張温泉の方が近いんじゃないか?」
「あそこも岩手山の麓でいいところですからね。そこが繁盛するということは東北、しいては鹿角にも好影響がでるはずです」
「ワシは何も観光の心配なんかしとらん。ここは警察で、いまは捜査会議前の下打合せだぞ」
「ともかく、河田美香の件は、鋭意、捜索を続行します」
あまり鋭意とは思えないが背景はおぼろ気に見えてきた。

17、謎の二組

友美は朝八時三十分前に、スト-ンサ-クル館の来客用駐車場に愛車を乗り入れて驚いた。まだ朝も早いというのに、もう関係者の車がいっぱいなのだ。
「戸田さ-ん。がんばってね-」
「お早うございま-す」
広場を横切ると、縄文広場のあちこちから挨拶がとんで来る。昨日の現場レポ-トで友美の顔を覚えた地元の人が結構いるらしい。
この日は、大湯の縄文広場は朝早くから異様な雰囲気に包まれていた。女子アナ失踪事件が昨夜のニュ-スで紹介されたこともあり、興味本位で来る人もあるらしく、昨日に倍する人出で賑わっていた。ただ異様なのは群衆だけではない。制服私服を交えた警察官の数の多さ、物々しさも異様だった。
本部テント前に着くと、すでに石脇警部が表に立っていた。
「やあ、戸田さん。早いですな」
「そちらこそ」
「昨夜遅く、佐賀さんから電話があって、午後に来るそうです」
「あら、そうですか?」
「佐賀さんには、以前、ワシが警部補の頃、新宿に逃げた本ボシを追って上京した時に協力頂いて犯人を検挙し、お蔭で一階級特進が早まったです。いわば、佐賀さんは恩人ですからな」
「そんなこと佐賀はなにも言ってませんでしたが、飲み仲間だったことは聞いてます」
「それにしても、あの不精な佐賀さんが、この美しい戸田さんと、夫婦同様の仲とは驚き桃の木サンショの木ですな」
「そんな歯が浮く世辞はやめてください。それに、佐賀は不精でもいいところあるんです」
「そんなの聞いとらんよ。それと、佐賀さんが河田美香救出のチ-ムに加わるのも聞きました」
「佐賀など、お役には立たないと思いますが……」
「一緒に協力させてくださいって、お願いしたんです」
「どうした風の吹きまわしで?」
「救出は佐賀さん、手柄は我々にって頼んだんです」
「勝手にしてください。ところで、昨日の出場者のことで気になるんですが」
「なんです?」
「昨夜、五十組の大太鼓の競演が舞台とその左右に並んで披露された時、スタッフがカメラを回したら撮影に入ったのは四十八組だけで、トラブルで撮影に間に合わなかった二組は競演終了寸前に参加したそうです」
「その二組がどうしたんですか? 警察でも出演者全員のリストを調べたが、そのうちの三十八番組は、太鼓の皮に小さなひび割れが入ったといい、もう一つの四十五番組は、主役のバチ打ちが緊張からか急の腹痛で車から運ぶのが遅れたんで、撮影には間に合わなかった。それで帰ったと聞いとりますよ」
「そうですか?」
「戸田さんが気になるなら、本部に保管してある、ふるさと大太鼓参加申込書に、各組毎の参加者氏名と住所・電話番号が記載されてるはずですから、行ってみますか?」
「そうさせてください。どうも気になるんです」
本部のテント内に入ると、そこにいた全員が友美を見て挨拶をした。中でも声が一際大きいのが大太鼓保存会の村田だった。
「昨日の戸田さんの司会振りは、なかなかの評判でしたぞ」
笑顔で応じる友美を横目に、石脇が横柄に指示する。
「村田君、昨日の大太鼓の遅刻の二組の件、申し込み書を見せてくれんかね?」
「三十八と四十五番の組でしたな?」
村田がゴソゴソと、机上に山積みした書類から探し始めた。
「変だな? 三十八と四十五のリストだけが抜かれてる……」
綴じ込み口一センチを残して、その二組だけが破かれていた。
「こいつらは、どこの連中だった?」
「三十八番は新郷村の新人で、四十五番は毛馬内だったかな?」
「新郷はともかく、毛馬内ならあんたもワシも同じ町内だぞ」
「祭りの法被を着てたんですか?」
と、友美が聞く。
「それが、法被は当日でも参加費を払うと手に入るし、売店でも買えますからな。今回は自由参加だから、わしらの知らんメンバ-が十組みぐらいいたんだ。けしからんことに、会長のところにも挨拶に来ないのがいたんだ」
「会長が知らないモグリが、あの大舞台に出てたのか?」
「なにしろ大所帯だから仕方ないんだよ。すぐ調べてみるから待っててくれますか」
村田が新郷村の谷川村長に電話を入れたが、首を捻るだけで反応はなかった。
「新郷村は紫門組の一組だけで、あとは誰も出てないそうだ」
村長は知らないというが、矢口という村会議員に心当たりを聞くと、村から出たのは確かに紫門家だけで、とくに、大太鼓で祭りに出るような連中なら見逃すはずがないと言い張るし、「三十八番組なんて全然記憶にない」と、いう。
ただ、受け付けで参加費を貰って領収書を発行した大太鼓保存会の役員が三十八番と四十五番の申込みをした男を記憶していた。
それによると、その二組の申し込み者はそれぞれ別人だったが、明らかによそ者と分かる見たこともない連中で、その二人とも頑強そうで目つきも鋭く小指がない男が一人いたとか、ただ、その連中は申込みだけして、大会役員ともほとんど言葉も交わさずにさっさと帰ったという。
駐車場掛かりの役場職員や青年団のボランティアにも聞いたが、大太鼓を運んだのは自家用のワゴン車や、それぞれがチャ-タ-した運送屋のトラックだったりで、どの組がどんな車だったか、ナンバ-も控えていないし記憶も記録もなく手掛かりは何もない。
結局、この二組のことは何も分からずじまいだった。

18、縄文人

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激しい物音で美香は目覚めた。
息苦しい重圧から開放され、揺らぐ灯火の下で見上げると、どこからか現れたボロ布をまとった髭の長い長身の男の素足が踊って、美香の身体にのしかっていたボス男の醜い顔を蹴り上げるのが見えた。その長身の男は杖を振るってボス男を祠から叩き出し、さらにそれを追って衣をひるがえして宙を飛んで外に出た。
(助かった……)
恐怖から開放された美香は、安堵して泣いた。
締められた首はまだ痛むが、生きている実感が喜びとなって熱く胸を突く。それでも本能的にまだ犯されていないのを確かめ、脱がされた着衣を身につけてから立ち上がろうとして軽い捻挫なのか、足首が痛むのを感じた。多分、大太鼓の中で縛られたまま無理に動いた時に痛めたのでもあろうか。そのまま腰を落として片膝立ちで表を見ると、木の間越しの淡い三日月の光が、祠前の狭い空き地での激しい乱闘をほのかに浮かび出していた。
顔を蹴られた上に、頭や肩を杖でしたたかに打たれて怒った醜い顔のボス男の怒声が原生林にこだまして響き、凶暴な本性を剥き出しにして隠し持ったナイフを振るうと、鋭い風音が夜の闇を裂いて鳴いた。
よく見ると、美香を襲ったボス男を含む暴力団組員らしい四人連れが短刀を振るい、長身の男とその連れらしいもう一人の半裸体の山男が木の杖で渡り合っている。
四対二、数の上では圧倒的に悪党四人組が有利だった。
最初こそ事態を飲み込めずに呆然とした舎弟分三人だが、またとない美しい獲物を前にその気になっていた劣情を、獣じみた山男と妙な仙人モドキの男に邪魔されたのだから面白いはずはない。
(それだけでも充分に殺すに価する)、彼らはこう勝手に解釈したのか、砂漠のハイエナが獲物を狙って群れで狩りをする如くに体勢を整えて二人を囲む攻撃の輪をじりじりと縮め、交互に刃物を光らせて襲っった。一見、いかにも戦い慣れた戦闘集団の戦術のようではあったが、あまり効果はない。
仙人風の男の杖が唸りを生じて四人の暴力団組員らの頭に飛び、ボコッボコッと鈍い衝撃音がした。出端を挫かれた四人組は一度、引き下がって体勢を組み換えてから反撃を試みた時には、すでに仙人は、さっさと身を翻して美香の目の前の祠の軒下に立ち、後は半裸体の山男に任せて高見の見物としゃれている。
四対一と侮った暴力団組員がいっせいに襲いかかり、ボス男の刃物が山男の腕を浅く割いたのがかえって悪かったらしい。血を見て怒った山男が「ウオ-!」と吠えて、短い棒を振り回して四人の男達の手にした短刀を打ち落とすと、容赦なく叩きまくったから堪らない。四人それぞれがただ殴られるだけになって戦闘意欲を失い、血だらけで広場の脇に停めてあったトラックに逃げ込んだ。
彼らは前の座席に二人、後部の荷台に二人と定位置に素早くもぐり込むと、すぐエンジン音が樹林の闇を裂いて響いた。
山男は夜目が利くのか、暗い地面から男たちが落とした四本の短刀を拾い上げると、わざわざ返すこともないのに律儀にも、走り始めたトラックの後部のまくり上げたホロの中に投げ入れた。
「ギャ-」と悲鳴が上がったところをみると、投げ入れた短刀の刃先が運悪く荷台に隠れた組員の身体にでも触れたのだろうか。これでは山男の律儀さもあだになる。
「覚えてろよ」、との虚しい喚き声が尾を引いて闇に残った。
トラックのエンジン音が遠のくと、山に静寂が戻る。
仙人風の男が、祠の内で戸惑っている美香を見て手招きした。
恐る恐る外に出て改めて眺めると、ボロを纏った仙人風の男の目が淡い月明かりの中で、動物の目のように青い光を放っているのに気づいた。美香は、もしかしたら、この男がこの地方で伝説になっているヘブライ族の子孫かとも思った。そのような目で眺めると、なにかイエス・キリストそっくりの風貌に見えないこともない。
すると、もう一人の男は?
まさか? とは思うが、筋肉隆々の上半身裸で腰蓑に裸足という山男をさり気なく観察すると、腰紐に差した武器は石斧らしい。さらに目をこらすと腰蓑の下はどうやら動物の皮をなめした下履きを付けているらしい。その下までは想像できないが、これはまさしく縄文人! 美香の胸が躍った。
その美香の心を読んだのか、小柄だが褐色の逞しい山男が白い歯を見せて自分を指さし「トシ」と言い、長身の男を指さして「クリス」と短く言うと、クリスが軽く手を上げ青い瞳で美香を見た。
これが彼らの紹介法なのか?
美香も思わず自分を指さして「ミカ」と言って微笑んだ。
クリスは木の杖をトシに預けると、腰の皮袋から気付け薬なのか草の葉を出して噛んで揉み、葉の汁で柔らかくなったところで髭むじゃらの顔を接近させ、美香に口移しで飲ませた。
青汁に似た苦い味で美香が顔をしかめてむせると、クリスが優しく手を伸ばして美香の背をさすってから立ち上がった。
美香も立ってはみたがまだ痛む足首をかばって顔をしかめた。それを見たクリスが、無言で腰を落として背中を美香に向けた。
美香がためらっていると、トシが手を添えて美香をクリスの背に誘った。ここで美香は覚悟を決めた。
犯される寸前だった自分の危機を、青い目のクリスと縄文人らしいトシという山男が救ってくれた。この先は天に任せるしかない。
長身のクリスが軽々と美香を背負って立ち上がった。
祠の床下から探し出した松明に灯明の火を移したトシが、灯明の火を消して祠の戸を閉めるている間に、美香を背負ったクリスが腰から下げた袋の中から取り出した物に何か細工をしていたが、「ホオ-」と、掛け声を上げてそれを空に投げ上げた。
その物はブナの原生林の枝葉のざわきの中に飛び、まるで羽でも生えているかのように消えた。
松明の明かりで山道を照らしたトシの先導で、右手に杖、左手で背中に被いかぶさった美香のヒップをしっかりと抱えたクリスが、ただ黙々と山道を歩く。クリスとトシの間には会話もない。
美香はクリスの背に揺られて荒い呼吸で泣きじゃくっていた。
汗くさい体臭にむせながらも生きている喜びが涙となって男の背を濡らす。命の恩人に背負われている安心感からか、美香は意識が薄れて夢うつつの状態に入っていくのを感じていたが、それ以上に、なぜか身体中が火照りを感じて熱くなっているのに気づいて身体を固くしたが、意識すればするほど、山道を歩くクリスのピッチがリズミカルな快感を伴い、太股に食い込むクリスの手のひらのぬくもりが官能を誘う。
美香は夢うつつの中で、絶え間なく襲う快感と陶酔のうねりの中で、思わず声を洩らして男の背にしがみつき爪を立てた。もしかすると美香は、自分が流している涙は喜悦の涙ではないかと気づいてうろたえた。縄文研究会でも学んだことがあるが、元気を取り戻すための薬草は、同時に媚薬としても作用する……と。
しばらく心地よい眠りに誘われた美香が目覚めた時は、東の空が黎明の時を迎えて星のきらめきを薄め、流れる雲にかすかな白さが混じって、夜明けが近いことを知らせている。
一行が山の峰伝いにブナの原生林に入ると、高い崖が見えた。
(これからどうなるのだろう?)
美香の胸は、かすかな恐怖と大いなる期待に震えた。