第二章 縄文の秘密

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        第55回三軌展(2003)北の挽歌(盆)松岡隆一画伯(秋田県鹿角市)

9、土器の呪い

この時、美香はまだ場内にいて夢うつつの世界にいた。
ここがどこで何が起こったのか、なぜか思考が定まらない。
何も見えず何も聞こえず、頭の中を恐怖だけが這いまわる。
生きているのか死んだのか、現世か来世かそれも分からない。
ただ、なにか暗い世界に落ちたのだけは間違いないらしい。
睡魔の誘いが呼んだのか、美香がまた闇の中に沈んでゆく……。

縄文住居の中では、座談会が終盤に近づいていた。
「あんたらは心配せんでええ、目撃者さえ出れば必ず警察で探し出す……したら、すぐ、知らせに来るがらな」
胸を張って啖呵を切った石脇警部からの連絡はまだない。
友美の心配とは裏腹に、縄文酒を酌み交わしての座談会は大いに盛り上がっていた。こうなれば友美としても、このチャンスを利用しない手はない。縄文文化の魅力と謎を解明し、この地方に多発する失踪事件の核心に迫りたいとの思惑があるから熱が入る。
それに、ここから美香の安否が占えるかも知れないのだ。
友美の誘導によって、松山画伯が話を続ける。
「人間の持つ卑しい独占的な所有欲は、限りがありませんな。珍しい土器が発見されたりするとすぐ自宅に持ち帰って個人の鑑賞用として所有したがる……こんなヤカラが最近は増えているから困るのです。われわれの先祖が残した、人類に共通の文化財は個人の所有にすべきではない、とこう考えると、それを咎めるためにもクロマンタだけでなく、神聖なる山や墓を荒らせば報いとして何らかの罰を受けるのは、当然じゃないですかね」
友美が画伯を煽る。
「すると、美香と加納さんは出土品を持ち去ったことで何らかの報いを受けたのではないか、との説ですね……もしかしたら、松山先生は二人の行方をご存じなんですか?」
「そこまでは知らんよ。だが、縄文の宝庫の上に家々が立ち並ぶこの鹿角では、どこを掘っても縄文土器は出てくるから、どうしても盗掘した土器や土偶などを個人の所有にしがちなのです。これは、縄文の番人を自認する地元の人ならいざ知らず、他県から来た縄文マニアの悪質な窃盗罪を戒めるためにも、縄文の呪いなどという実際には存在しないかも知れない脅しも有効なのじゃ」
「そうなると、クロマンタにもやたらに登れませんね」
「当然です。聖地ですからな」
「こちらのスト-ンサ-クルとクロマンタが縄文で結ばれているとしたら、山の上でも、この祭りの成功を祈る行事などもあるのでしょうか?」
渡部が話を奪った。
「ありますよ。昨日もね、ワシらと一緒にテレビ・スタッフもクロマンタ山に登って、祝い酒を捧げてこの縄文祭りが平穏無事に終わるように祈ってきたんです。あのとき、河田さんは、なにか願い事をしてたようだが聞いてませんかな?」
「わたしは、美香さんと今日ここで久しぶりに会いましたので、何も聞いてませんが気になりますね。昨日、美香さんとクロマンタに同行した方がいましたら、どんな些細なことでも結構です。なにかご存じでしたら発言してください」
ゲスト内が揉め、花井があわてて応じた。
「私たちも雑草刈りなど参道の整備にに動員され、頂上の本宮神社では祭事に参加しました。拝殿に向かって順にお参りしてたとき、河田さんは、柏手を打って願い事を口にしましたが、近くにいた人がそれを耳にして少したしなめたようです」
「美香さんは、どんな願い事を祈ってましたか?」
「今年は結婚できますように、と言ったんで、私もつい笑っちゃいました」
「その時、近くにいて注意した人って、どなたですか?」
困惑した表情で花井が答えた。
「でも、注意した人も河田さんを叱るというよりは、何か軽く冷やかすというような感じでした。まったく問題はないと思います」
「問題ないなら、河田さんに声をかけた人の名前を明らかにしてください」
花井が遠慮するように小声で応じた。
「それは、市長です……」
斉東が渋々と不快そうに補足する。
「結婚できますように……そう言ったから、場違いだぞ、って言っただけだ」
「クロマンタで結婚を祈るのはいけませんか?」
「先祖の霊を慰める、五穀豊穣を祈る、この土地に災害が訪れないように、一家安泰、これが原則じゃないのかね?」
「でも結婚して子供が出来れば、家族も豊かになってご先祖さまも喜びますから、結局は一家安泰、市長さんのおっしゃることと同じです。でも、市長さんの一言が原因で、美香さんが神隠しにあったとしたら酷すぎませんか?」
「わしのせいにするな、失礼じゃないか!」
立石加奈から「本題に戻って」とマジックのカンペが出た。
自由な発言の座談会なのに、と思って振り向くと、島野は横を向いて欠伸をしている。と、なると、これはADの立場で立石加奈が自分の考えで出した指示らしい。
「失礼しました。本題に戻ります。どなたかご発言ください」
しかし、本題どころか台本も筋書きもありはしない。
館長の渡部が花井に矛先を向けた。
「花井主任。河田美香さんは、確かに縄文土器のかけらを持ち帰ったのかね?」
「同行した加納という人と二人で何点か持ち帰ったようでした」
友美が渡部館長に聞く。
「その縄文土器には紋様だけでなく、文字も書かれた物があるのでしょうか?」
「あります。象形文字で蛇の絵や鳥、丸の中央に点がある太陽らしき図柄、三日月の形で月、山は山頂が三っつに別れたもの、川は三本の流れを表した絵文字とか、現代の日本語に通じるものです。ただし、それらはどこにでもありますが、クロマンタからはまったく別の物が出るんです」
「それは何ですか?」
「ヘブライ文字の土器板です」
「ヘブライ文字?」
中田が割り込む。
「ギリシャ文字に似ていますが明らかにヘブライ文字で、この地方独特の現象でしたな、河田さんに贈られた花束に付いてきたカ-ドの文字がそれに近いのです」
「すると、失踪のヒントがそのヘブライ文字に?」
「いや、そこまでは分からんです。しかし、さきほど話題に出た呪いとは関係があるかも知れませんからな」
「でも、たかがヘブライ文字入りの土器片を拾って持ち帰っただけで、呪われるんですか?」
「たかが……とは何です? あのクロマンタは、古代の神々や祖先の霊が集まったとされる神聖な場所なのです。それを信じて集った縄文の人達が祈り、その信仰によって平和が保たれてきたのです。
その祭祀(さいし)に用いられた神器のかけらは、例え一片たりとも粗末に扱われてはならんのです」
「ほんの出来心でもですか?」
「そんな興味本位の不心得者を野放しにしたら、これから百年も千年も守らなければならないこの土地の文化遺産が、わずか数年で跡形もなく消えてしまいますよ」
「じつは私も以前、取材に来たときにクロマンタに登りました。あの山はたしかに自然が生んだ造形美の傑作ですが、そこから東西南北の方角数キロ先それぞれに、古代に築かれた神社があると聞いて奇異な感じをもちました」
「まさか、戸田さんは、土器など持ち帰ってないでしょうな?」
「あちこちで土器片は見ましたが、持ち帰ってはいません」
「本当でしょうな?」
「本当です。だから、こうして無事なんでしょ?」
「分かりました。それで……登ってみて何かわかりましたか?」
「入り口の鳥居から頂上まで、標高わずか八十メ-トルと聞いていましたから、一人で気軽に登りましたが、草ぼうぼうの参道を歩く間、髪の毛を逆なでるような霊気を感じてなにか不気味でした。それと、頂上にある本宮神社で参拝してから、灌木や雑草の中を藪漕ぎをして周囲を少しだけ歩いてみましたが、あちこちに自然石を運んで敷石にした跡や人工的に階段様に形を整えた形跡があって、やはり人為的に人の手を加えた古代人にとっての特別な山であることは分かりました」
それまで黙っていた猪又幹夫が、疑うような口調で聞いた。
「そのほか、何か変わったものを見かけませんでしたか?」
「なにも……」
「では、戸田さんは、あの山がピラミッドだと思いましたか?」
「ピラミッド? わたしには分かりませんでしたが」
猪又は、何らかの意図をもって発言しているらしい。
「ピラミッドとしての条件ですが、秋田大学の丸山教授が発表した溶岩の隆起によるクロマンタ山誕生説を元にして、あの二等辺三角形の美しい形状、信仰の対象で祭祀にも用いられた事実、これで天体観測にも活用されたことが証明されれば、すべての条件を満たしているわけですから、これが自然の山であっても人口であっても、ピラミッドと表現しても間違いではないのです」
「でも、そこまでしてピラミッドにこだわる理由が何かあるのでしょうか?」
カズノ商工会会長の猪又が声を張り上げた。
「大ありです。これがピラミッドと認められれば、広島のアシタケ山などを含めてかなりの小山がピラミッドとしてして認められることになり、日本もピラミッド王国として、ハワイ・インドネシア、中南米と並んで環太平洋型ピラミッド文化圏に入ります。そうなると、このクロマンタ山が、文明の起源にまで逆上って関連づけられることになり、鹿角市は世界中から注目されるのです」
「それだと、ピラミッドのイメ-ジが一変しますね」
「では、戸田さんもクロマンタのピラミッド説に賛成ですね?」
「いえ、わたしは今のところ、どちらでもありません」
「世界中に、鹿角市十和田のスト-ンサ-クルとピラミッドが大々的に紹介されれば、ここは十和田湖とセットになる一大観光地となって、再び、東北文化が脚光を浴びることになるのです」
斉東市長も同調する。
「そうなると、ここ鹿角市は世界中から注目されますからな。だからこそ、この鹿角市のためにわしが市長の椅子と縄文遺跡を守らねばならんのじゃ」
「では、市長の椅子を守るための観光企画ですか?」
「そうは言っとらんよ」
友美は、この雰囲気ではクロマンタ山から妙な文字入りの土器片を持ち帰ったことも、灌木に覆われた東斜面で不気味な洞窟の入り口らしいものを見たことも絶対に口にできないと思った。
遠くでパトカ-のサイレンが聞こえる。まだ美香は発見されてないのだろうか。
立石加奈が友美に、ボ-ドに書いた「END」の字を見せた。
友美が頷いた。どうせ、番組の仕上げには豊富なイラストや古代を描いたCDなどを駆使し、この座談会の内容などはほんの一部しか使わないはずだし、正式なエンディングはスタジオのメインキャスタ-が締めるはずだから緊張もしない。
「ゲストの皆さま、長時間にわたって貴重なご意見を頂きまして、まことに有り難うございました。これで、テレビをご覧の皆さまにも、人類の文化遺産ともいうべき縄文人の姿が、おぼろげにお分かりになったと思います。それでは、ここ秋田県鹿角市十和田大湯からの縄文座談会会場からお別れします」
カメラがゲストを一舐めし、友美に戻ってからフェ-ドアウトして止まった。撮影機上部の赤ランプが消えるのを確認して、友美は大きく手を広げ、「あああ-」と大きく声を出して伸びをした。

10、疑問

撮影が終わると、取材に来ていたマスコミや職員なども消え、ゲストと撮影班だけが残った。
「美香を探しに行きます」
友美が立ち上がると、島野がそれを制した。
「戸田さんは、しばらく休んでいてください」
「まだ用があるのですか?」
「大太鼓大会のリポートをお願いしますが、その前にお祭り広場を撮って、客寄せの太鼓が敲かれたらすぐ迎えにきますから」
そこで、島野ら撮影スタッフの全員が縄文住居から退去した。
縄文広場での古代焼き教室や屋台などに群がる人達を撮り、大太鼓大会が始まる前に、友美を呼びに来るという。それまでの間は自由になったのだ。
パトカ-のサイレンが遠くで聞こえるところをみると、捜索の網はあちこちに広がっているらしい。
友美にとっては、加納はどうでもいいが、美香が気になって落ちつかない。表に出ようとすると数人のゲストが呼び止めた。
「さあ、戸田さんも一杯やろうじゃないですか?」
猪又が今までにも散々飲んだのに、一升瓶を抱えて腰を据えた。
誰一人として立ち上がろうとする者はいない。
「テレビの連中は消えたな?」
安心したように、祭りの実行委員である猪又幹夫が友美に酒を勧めながら語りかける。
「ここからはオフレコの話だがね、まず、この奥地の青森県側にある新郷村は以前、ヘライという名の村がありましてな……」
「存じてます。そこにはたしかキリストの墓がありますね?」
「そうです、そのキリストの墓が問題なんですよ。昔、そのヘライ村よりさらに奥地に、数組のユダヤの一族が住みついたのは事実なんですが……その一組で栗栖という一族がいて、彼らの遠い祖先の中にイエス・キリストという人がいたなどと言う連中がいるからややこしいのです」
「イエス・キリストですか?」
「ユダヤ語でイエッシュと呼ばれたイエス姓はどこにでもある平凡な名前で、日本でいえば田中、鈴木の類なのです。ですから、イエスだからといって聖人のイエス・キリストとは限らないのです」
「でも、キリストというのは救い主という意味ですよね?」
斉東市長が横から口を挟む。
「あれは間違いなく聖人イエス・キリストの墓ですぞ」
「市長! 戸田さんは雑誌記者です。ウソはいけません」
「なにがウソだね。私はそう認めてるんですぞ」
「お好きなように……戸田さん。ここからは本当の話です。その墓の下にはイエス・キリストではなく、その弟のイスキリの骨が埋まっているんです」
「それは、真実ですか?」
「そうです。弟のイスキリは、キリストの弟子のシモンという漁師ら数人と、兄を殺した古代ロ-マの圧政から逃れ、遠いガラリアの地から物乞いのような生活をしながら、動乱の中国大陸を放浪した末に、丸木材と蔦蔓で作った筏船を操って半死半生の思いでこの東北の八戸港あたりにたどり着き、そこからも苦労を重ねた結果、現地人との争いを避けて十和田の奥地に住み着いたのです」
「その辺りで……」
勝川が話を遮ろうとしたが、友美が続けた。
「でも、日本書紀などの正式な古書には載ってませんね?」
「日本書紀や古事記に載らないから真実ではない、と考えるのは間違いですよ。南方系のヤマト族に征服された東北の古代人についての故事は、ほとんど歴史から抹殺されています。その中にユダヤの民がいたとしても驚くにはあたりません。ただ、後世の人がイエスだからキリストだと短絡的に結びつけて、歴史を歪めてしまったところにヘライ村の悲劇があるのです」
「どのような悲劇ですか?」
「漁師のシモンの子孫と言われる新郷村の紫門家と、クリストを名乗ったイスキリの子孫の栗栖家の双方に、鹿皮にヘブライ語で書かれた文書が保存されていて、門外不出という家訓で伝えられているのは事実ですが、どちらも自分達のが本物で、相手のは偽造だと主張して譲らなかったのですが、それに金鉱の利権が絡んで血で血を洗う争いになったことがあるのです」
「戦争ですか?」
「ストップ! そこまででいいだろ?」
勝川が今度は本気で止めた。他のゲストは酒の肴に聞いていたらしく、止めようとする勝川を咎めた。
「好きなだけ喋らせなさい」
松山の一言が歳の功で効いて、勝川が引き下がった。
友美の質問に応じて猪又が続ける。
「その争いは今からを数百年前の江戸時代初期の頃、この山奥の金鉱の支配権を巡る政争に巻き込まれて、ヘライ村の紫門一族と栗栖一族の祖先が対立しましてね。その両家は、一緒に渡来した別の種族をも巻き込んで争ったそうです。その結果、争いに勝った紫門一族は金鉱の権利を独占してヘライ村に拠点をおいて優雅に暮らして豪族となり、破れた栗栖一族は山に入ってへブライ村と称して貧しい縄文生活に戻ったのです」
「縄文生活って、まさか縄文人がいるわけじゃないですよね?」
「それから数百年続いた栗栖一族の縄文人もつい数年前に、なぜか消滅したのですが、一節によると数十人の集団に過ぎなかった栗栖一族は、アライグマの生肉を食べて疫病にかかって死に絶えたとも言われます。その真偽のほどは定かではないですが、一族が全滅したのは明らかです。でも、話はこれだけではないのです……」
「その幻の縄文人には、続編があるのですか?」
猪又に続いて、また勝川が割り込む。
「それが、まだ生き残っているのです」
「勝川さん。冗談でしょ?」
「いや、まじめです。そのヘブライ村の栗栖本家でたった一人だけ生き残った青い目の男が、縄文村を再興したのです」
「青い目の縄文人ですか?」
「キリスト一族の末裔を名乗るその男は、散り散りになった分家やその一族を呼び集めた上に、隠れ縄文の信奉者を集めて、放浪型の縄文生活を再開したのです」
「お待ちなさい!」
雑談の成り行きを見守っていた斉東市長が、身を乗り出して勝川を制した。
「勝川君、こんなタブ-の話をこの席でなぜ出すんだね? 猪又君だって同罪だぞ」
友美が市長を見た。
「このお話が、なぜタブ-なのですか?」
一瞬、座が静まった。
しばらくして松山画伯が、友美に説明する口調で応じた。
「ヘライ村は青森県側ですが、市長にとってはキリストの遺跡は鹿角にあるべきで、危険な野蛮人は邪魔なんでしょうな」
市長があわてて手を振った。
「いや、ワシはなにも邪魔だとは……」
「その縄文人が危険ですか? 例えば失踪事件にも絡むとか?」
友美の疑問に猪又が応じた。
「その可能性も捨て切れんから、恐れるんですよ」
松山画伯が怒った。
「そんな根も葉もない噂が、彼らの人権を侵害してるんです」
「石斧で獣を殺して食ってる連中に、人権なんかあるのかね?」
驚いた友美が猪又を見た。
「縄文人でも、人間としては同格のはずですよ」
「しかし、この広大な東北の山河を我が物顔に走駆する彼らを一般市民と同格には扱えんですよ」
「でも、誰にも迷惑はかけていないんでしょ?」
「だから、それが分からんから危険だと言っとるのです」
猪又が続けた。
「いずれ、白黒を決めねばならない問題ですからな。だいたい、あんな山奥の野蛮人に人権もなにもないでしょう?」
「まあいいじゃないか。このあたりで打ち切ろうか?」
斉東市長が困惑したように軽く諭すが、この話題に興味をもった友美がこれでは収まらず、今度は勝川に質問する。
「勝川さんはお詳しいようですが、その山奥に、ヘブライ語で書かれたキリストと関係のある文書や、先祖がユダヤやアラブである証拠などはあるのですか?」
「もちろん、根拠があるから話をしてるのです」
「それは何ですか?」
「生体科学でみると隔世遺伝になるのか、ユダヤ系祖先の血を引いて何代かに一人という率で、紫門、栗栖の両系統のどちらにも青い目の子供が生まれますが、青い目の多い方が主導権をもつという決まりがあって、昔の争いはおさまっていたのです」
「そんなのは遠い過去のこと、縄文人など税金も払っとらんぞ」
猪俣が不満げに発言すると、松山画伯がたしなめる。
「しかし、縄文人の土地を不法に占拠したのはわれわれですぞ」
中里顧問が頷いた、これで、勝川、中里、松山が栗栖派で、猪又が紫門派、市長と花井はまだどちらとも分からない。
「勝川さん。そのヘブライ語の記録を実際に見たのですか?」
友美の問いに勝川が渋々と応じた。
「見せてもらったが、わしには解読できなかっただ」
「その山奥のヘブライ村というのは、地名ですか?」
「彼らは山奥をあちこち移動するから、実際にいる場所は特定できないんですよ。ですから、ヘブライは移動村で、この前はヘライよりさらに二つほど山を越えたブナの原生林にいただが……」
「いた? 縄文人に会ったのですか?」
「会ったのです。昨年の秋口にそのキリスト一族の末裔という男に会いたい一心で、五日分の寝袋食料を背負って、必死の思いで熊を避けながら登ってね。なにしろ、車も行けない山奥だから大変な難行でしたよ。もう二度とヘブライ村探しなんてご免だがね」
「その縄文人が、キリストの末裔だったのですか?」
「キリストの末裔ではなくて、キリスト一族の末裔ですよ」
「で、会えたのですか?」
「ええ、汚れて灰色になった衣装を纏った青い目の縄文人で、あごひげの長さや長い杖を持った姿とか、今でも目に浮かびますが、まさしく姿形は祖先の聖イエス・キリストそのものでした」
それに頷いた中里顧問が小声で「エ-メン」と呟くと、松岡画伯までが胸の前で十字を切った。
頭がおかしくなりそうなので、友美が話題に切り換える。
「ヘブライとは、どのように書きますか?」
「ヘライは戸来と書きますが、戸は独立して富を有し、来は来るですから、ヘライ村は富や福が来る村という意味です。ヘブライは戸無来と書き、貧しくて富や福が来ない村という意味です」
「その人達のご先祖が、本当にシモンやイスキリなのですか?」
「そうです。それが間違いでも、ユダヤ系なのは明らかですよ」
「なにか証明できるものがありますか?」
「紫門も栗栖一族も家紋が、ユダヤの王ダビデの星です。
当然、紫門の分家である元ヘライの新郷村村長の谷川家や、栗栖の分家の大湯ホテル本館の須賀家も同じ家紋です。さらに、紫門・栗栖両家には先祖代々大切に保管されているヘブライ語で刻まれた十戒の石版があるのです」
「その、山奥の縄文村はこれからどうなりますか?」
「青い目の男が一族を統括して、これからも生き続けますよ」
「言葉は通じたのですか?」
「縄文語は日本語ですから、外来語以外は単語を伝えるだけで何とか通じます。目はメ、髪はカミ、暑いはアツ、寒いはサブです」
「勝川さんがお会いした、その縄文人の名前は分かりますか?」
勝川が一瞬、言葉に詰まってから誰にともなく言う。
「縄文名はクリス、我々がつけた日本名は栗栖ヨウジ……」
「バカな。ヨウジは死んだはずだ」
全員が声の主を見ると、猪俣があわてて手を振った。
「いや、生きててよかった」
猪俣の顔が青ざめているのを友美は見逃さなかった。

1、熱演

身体を縛られ、暗く狭い場所に押し籠められた美香は夢うつつの状態で身体の揺れを感じていた。車が動き出したのだ。気のせいか周囲の車も同じように動きだしたらしい。

同時刻、縄文住居内の集いもほぼ一段落していた。
「戸田さん、つぎの出番です!」
ちょうど、縄文酒「万座の舞」が切れたところに島野が現れ、座がお開きになった。
「戸田さんも、いよいよ大太鼓の舞台に出演だな」
斉東市長に肩を叩かれて友美は出口に向かった。
広場の雑踏を縫って歩きながら、友美が島野に詫びた。
「先程は、まとまりのない結末で済みませんでしたね」
「とんでもない大満足です。編集でつなげば白熱した議論で面白い場面になりますよ」
「でも、あの後のオフレコ雑談会の方が面白かったですよ」
「どんな話が出たんですか?」
「新郷村にあるキリストの墓のことなどです」
「ああ、あれですか?」
「ご存じで?」
「キリストだけじゃなくイスキリの墓もあるんですよ。それも放送しますので、昨日取材してきました」
「お墓はキリストとイスキリ、二人分あるんですか?」
「ええ。伝承館のすぐ近くにね」
「伝承館って?」
「キリスト渡来伝説を伝承する記念館ですよ」
「無料ですか?」
「とんでもない、村の貴重な観光資源で、大人二百円です」
「え! 新郷村はキリストで稼いでるんですか?」
「ええ、立派な観光事業ですからな。それより、大太鼓大会の準備が始まりましたので、打ち合わせをお願いします」
「美香と加納さんの捜索は?」
「それは、いま県警本部から近隣の警察署にも緊急連絡がとんで、幹線道路での不審尋問をはじめ、警察が総動員で探してます」
「どうしたんでしょうね?」
「とにかく、万が一に美香が戻らなかった場合は、明日の日曜日に組み込まれている古代焼き大会、火起こし実験、勾玉つくり教室、子供達のイワナ掴み大会、それらの表彰と閉村式などの撮影にも戸田さんにお付き合い願いたいんです。とにかく助けてください」
縄文住居の外は、身体が触れ合うほどの混雑で、かがり火で明るい数千坪という会場には、ソバ・ウドン、焼きそば、ズンダ餅、郷土玩具や衣料などの売店や飲み物の屋台や出店が立ち並んでいる。
広場のあちこちに参加者が作った縄文土器を焼くために、浅く掘られた溝に焚かれた薪や藁による真っ赤な炎が夜空を染めていた。
立石加奈と撮影スタッフは、すでに舞台下で議論しながらカメラアングルなどの試し撮りをしていた。
友美が舞台に近づきながら見ると、スト-ンサ-クル館横の来客専用駐車場から動きだした大型小型のトラックやワゴン車が次々に舞台裏の道路脇に横付けになり、ホロや扉を開けて中からそれぞれ直径一メ-トルもあろうかという大太鼓を数人掛かりで次々に下ろして、入れ代わりに車をまた駐車場に戻しに行く。
それも数十台がいっせいに動き出していたから、それを整理する係員の声にも時折怒声が混じっていて慌ただしい。

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広場の東面にあたる県道花輪線道路側に設営された大舞台上部の横木には、「ふるさと大太鼓大会」と書かれた大横断幕が張り出されている。
車から下ろされて舞台に運ばれた大太鼓を、ほぼ半裸身に近い紺の袖無し法被に背負い帯をたすき掛けにした力自慢三人の担ぎ手が軽々と持ち上げ、与えられた番号順に位置決めをしてハッピ姿の打ち手を迎え、それぞれが打ち合わせか雑談かで、試し打ち開始の合図を待っている。
島野と友美の姿を見て、大太鼓保存会会長の村田富雄が大柄な身体を揺すりながら近づいて来た。
友美らとも本部で名刺交換済みだから話も早い。
「戸田さんも、舞台に上がってください」
「ずいぶん大きい太鼓ですね?」
「五十キロ以上もあるんで、三人で抱えるんですよ」
撮影スタッフを集めて、島野や立石加奈と共に村田と友美も参加して、照明やカメラアングルなどの打ち合わせを始めた。
打ち合わせの途中で、舞台を振り向いた村田が手を上げてから笛を吹くと、それを待っていたように、各地区から集まった大太鼓保存会の若者たちの掛け声と共に乱れ打ちの呼び太鼓が始まった。
撮影班の移動と共に友美も広場の人込みの中に入って行く。
舞台の上に駆け上がった村田会長が再び笛を吹くと、客寄せの呼び太鼓の音が一瞬で止まった。
舞台下のカメラの前でマイクを握った友美が照明を浴びて、与えられた台本で知ったにわか知識を喋る。
「この縄文広場に設置されたメインの舞台上とその左右に設置された特設舞台には、合わせて五十台の大太鼓がところ狭しと並び、一台に打ち手と担ぎ手合わせて四人、合計二百人の出演者で溢れ、いよいよ縄文フェスティバルの夜はクライマックスを迎えようとしています」
その声が、広場に設置されたスピ-カ-に乗って夜空に響くと、広場を埋めた数千人の群衆から拍手が沸き、挨拶の太鼓がドド-ンと響いた。会場の人の群れが次々に舞台を囲んで集まって来る。
友美が舞台への階段をギシギシと軋ませて昇りながら続ける。
「そしていま舞台では┌ふるさと大太鼓保存会┌と染め抜かれた、揃いの黒い法被に白鉢巻きの若者達が大太鼓を抱えて緊張の面持ちで本番を待っています」
壇上で待っていた村田会長が舞台際まで進み出て、友美の手を引いて舞台中央にと導くと、その二人をカメラが追う。
カメラと照明が中央に戻り、まず改めて友美が自己紹介する。
「わたしは戸田友美と申します。日東テレビアナウンサ-・河田美香さんのピンチヒッタ-として、この大太鼓の競演をテレビでご紹介したいと思います……」
会場から盛大な拍手が起こった。友美が村田を紹介する。
「ふるさと大太鼓保存会の会長、村田富雄さまです!」
法被を羽織った鹿角十和田大太鼓保存会の大柄な会長がサビの効いた太い声で挨拶をする。
「村田富雄です、みなさま今晩は!」
「こんばんは!」
「いいぞ!」
「待ってました!」
観客が叫び、友美のときの何倍もの拍手と歓声が沸いた。かなり知られた顔らしくなかなかの人気者なのだ。
「村田会長、この大太鼓について少しお話しいただけますか?」
「そうですね。全国でも珍しいこの大太鼓は、県の無形民俗文化財に指定されていまして、わたしは子供の時から四十年もの間、この大太鼓に付き合っているんです。
この太鼓の音にも季節感がありましてね。この大太鼓は、空気の澄むいまの季節が最高の音色で心にしみ入るように響くのです」
「それでこの大会なのですね。今日はどのような演出ですか?」
「これから私の笛に合わせて、準備の太鼓から入り、第一の大太鼓が関上大拍子といい、次が第二の大湯大拍子、次からは五拍子、中通り大拍子、大の坂、本打ちと続きます」
「皆さんがと抱えている大太鼓について、少し教えてください」
「他では牛皮も使われますが、ここ大湯の大太鼓は、馬皮張りが標準でして、大きさはそれぞれ多少は異なりますが、胴材は秋田杉、長さ約一・五メ-トル、直径は約一メ-トル、重さは約五十キロ、打ち手一人に抱え手三人の四人が一組となって技を競います。
今回参加したのは五十組二百人ですが、ごらんの通り全部は舞台に登れません。何組かは増設されて特別ステ-ジに並ぶことになります」
「すごい人数ですね?」
「なにしろ各町村ごとにそれぞれ沢山の同好会があり、それが年に一回、ここで一堂に集まって競演するわけですから、楽しみで前の晩は眠れないほど興奮しますよ」
「そうですか、わたしもかなり興奮しています。それでは会場の皆さま、またテレビでご覧の皆さま、これからのひととき、夏の終わりの夜空に鳴り響く壮大な鹿角市十和田大湯のふるさと大太鼓の競演をお楽しみください」
友美が拍手の中を先に舞台から降りると、壇上の村田が合図の笛を吹いた。すると、それを待っていたように準備の太鼓が響き、続いて、大太鼓の壮大な響きがいっせいにみちのくの夜空にこだまする。村田が誇らしげに壇上で笛を吹き身体を揺すった。
友美の声は、周囲の騒音と太鼓の音に消されて冴えない。
「これはすごい迫力です。揃いの黒い法被の肩肌を脱いでバチを振るって大太鼓を叩く若者の鍛えられた褐色の肌から顔から汗が飛び気合が唸ります。これぞ青春、その気合が充分に伝わります。
この汗をほとぼらせる若者の躍動するエネルギ-が、いま東北の夜空を焦がすばかりに燃え盛り、魂を揺さぶる勇壮で豪快な大太鼓の響きが、身体中を揺るがします。この大太鼓の迫力ある熱演に感動した観客からは、いま、惜しみない拍手と声援が沸き上がっています。
去り行く夏を惜しむ、この東北の地、秋田県鹿角市大湯で開かれた縄文フェスティバル・イン・ストンサ-クルの賑わいはいま最高潮に達しました、素晴らしい光景です」
島野の指示でカメラが舞台正面から舐めて大太鼓を撮るが、あまりにも数が多いのでカメラの視野には半分も収まらない。カメラ班は移動しながらの撮影になる。
笛を吹く村田の高揚した満足気な表情に続いて、カメラが大太鼓を打つ若者の額からしたたり落ちる汗を撮った。一組約十秒づつで五十組となると移動のロスを考えて二、三十分ほどはかかる。
「指定文化財でもあるこの大太鼓は五十組、二百人の奏でる大太鼓のシンホニ-が、鹿角市十和田大湯の夜空にこだまします……」
舞台の左右を撮り終えたカメラが島野の指示で、再び舞台の中央にに戻る。
そこで友美は、自分が舞台で喋っていた時は、ライトが自分に強くあたっていたので、背後に待機していた大太鼓軍団には気づかなかったが、いま、観客の注目を一身に浴びている女性の打ち手がいることに初めて気づいた。背の高い青い目の女性で、白鉢巻きで長い髪を後ろでまとめ濃紺の法被に白タスキ、力強くバチを振るその容姿の雅びやかさ、太股にフィットした紺の短パンに白い足袋、その間で躍動して伸縮する脚部の白い肌、それらが舞台に集中するライトを浴びて輝いていた。
「今、舞台の中央では、美貌の若い女性が汗をしたたらせてバチを振るい、大勢の観客の視線を奪い、その一挙一動に拍手を浴びています。容姿の雅びやかさとは裏腹に力強くバチを振る、その隙のない身のこなしには、日舞の華やかさ、武道の厳しさ、そして優雅な女性の美しさが渾然一体となって、東北の夜祭を飾るに相応しい一幅の絵になっています。このシ-ンこそ、古代縄文フェスティバルのハイライトを飾る豪華なメインイベントです……」
こうなると舞台中央で体を揺する村田が邪魔になる。案の定、観客から野次が飛ぶ。
「そこのオヤジ、どいてくれ!」
スタ-の人気など儚いものだ。まさか、さきほどの盛大な拍手を浴びた自分のこととは思わない村田が、背後を見る。
「この大太鼓五十組の競演には、女性の打ち手が四人、いずれも大評判で観客から大きなで声援を受けています……」
友美は取ってつけたように、あまり気にならなかった他の女性にも気配りして心にもない台詞を口にしながら、その目は、青い目の女が叩く大太鼓を肩からの太紐で支えている長身のカッコのいい男の姿に釘付けになっていた。
大太鼓の豪快な響きに消されて、もはや友美のレポ-トも周囲には聞こえない。舞台下に島野が近づいて来て友美を手招きした。
マイクのスイッチを切ってから階段を降りて、渡されたメモを見るとこう書かれている。
「四十八組の大太鼓が、と訂正を。念のため……島野」
友美が島野の耳元に口をつけて聞いた。
「大太鼓は五十組じゃないの?」
島野も友美の耳元で怒鳴った。
「カメラで撮った大太鼓は四十八組です。画面を見た視聴者からクレ-ムがあると困りますから、四十八組に訂正してください」
「あとの二組は?」
「退場しましたが、理由までは知りません」
島野の背後に近づいたAD役の立石加奈が口をはさんだ。
「いま調べて来ました。三十八番が張り皮破損、四十五番が打ち手の腹痛で、すでに帰ったようです」
「リタイヤですか? 訂正なしでこのまま続けましょう」
友美の独断で結局、修正はしないまま熱演も終盤に入った。
村田が終了の笛を吹くと、締め太鼓がテンポよく鳴り響きいっせいに音が止まった。一瞬、広場に静寂が戻り、その反動のように拍手と歓声、口笛・指笛も鳴った。
再び壇上に上った友美が声を張り上げる。
「ただいまの熱演は鹿角・大湯近郊、隣村の青森県新郷村からもお集まり頂いた┌ふるさと大太鼓保存会┌の皆さまでした。この大太鼓の競演を演出された村田会長と、素晴らしい熱演を見せてくれた今日ご出演の皆さまにもう一度盛大な拍手をお寄せください!」
地鳴りのような声援と拍手の中で大太鼓大会は終わった。

12、引き上げ

友美が壇上から呼びかける。
「皆さまにお願いがございます。さきほど、警察からも発表された通り、日東テレビ・キャスタ-の河田美香がこの広場中央の縄文住居から出たまま行方不明になっています。
あることで河田美香はわたしの後輩にあたりますので、どんなことがあっても救い出したいのです。失踪時の服装は水色のサマ-セ-タ-にジ-ンズのパンツです。もしかすると、同じ年齢ぐらいの一五八センチ前後、縄文衣装にサングラスの女性が一緒かも知れません。その女性はすでに縄文衣装を脱ぎ捨てたと思いますが、みなさん、河田美香の顔はご存じだと思います。周囲をよく見回してください。どのような小さなことでも結構です、お心当たりのある方は、お近くにいる警備の方か警察官にお知らせください。まだ、どこかこの広場内にいるはずです。以上、よろしくお願いします」
「私も手伝おう」
この友美のメッセ-ジは、警察の発表では動じなかった群衆の気持ちに通じたのか、騒然とした広場の人々の間をさざ波のように広がり、たちまち二人連れの女性は周囲の人にジロジロ見られ、「河田美香はこんなブスじゃねえ」などと失礼なことを言われて憤慨している女性もいた。
会場の周囲を警備する消防署員や自警団にも聞いたが、誰一人として美香の姿を見た者はいないし、これといった情報もない。
地元の顔役でもある村田は友美を伴って、汗だくになりながらくまなく会場内を探しまわった。テント内を覗き屋台に声をかけ会場内で出会う知り合いの一人一人に河田美香の消息を尋ねたが、誰もが首を横に振るだけだった。
友美がふと、村田に尋ねた。
「あの舞台でバチを振るって、会長の次に人気があった青い目の外人の女性……」
「青い目なら賀代子かな? あの娘には人気では敵わんですよ」
「賀代子? 日本人ですか?」
「純粋の日本人ですよ。新郷村の紫門賀代子といって、元準ミス日本に選ばれたときは、審査員が目が青いからミス日本に出来なかったと残念がっていたそうです。
あの賀代子は性格もよく五か国語ペラペラという才女だが、控えめで恥ずかしがり屋だから人前に出るのが苦手らしく恋人もいないらしい。縁談は山ほどくるのに、一切相手にしないんですよ。今回の大太鼓でも新郷村が人材難で出るのがいないんで、ワシから兄の千蔵の嫁の志穂に頼んでようやく出てもらったんです」
「そうですか。その大太鼓を抱えていた長身の男性は?」
「抱え手は三人ですが、どの組もメインは背の高い男ですから。あの組のメインは賀代子の二歳上の兄で紫門千蔵です。もしかして戸田さんも一目惚れですかな? あいつはモテモテですからな」
「ええ、一目惚れです」
「嬉しそうな声を出さんでください。千蔵には婚約者もいるんだ。
戸田さんには、ワシみたいな男もいるじゃないですか」
「そうでした。すっかり忘れてました」
「冗談じゃない。こんなでっかい図体ですよ。でも……」
「でも、何ですか?」
「戸田さんには、警視庁出の怖いヒモがいるって聞いてます」
「誰に?」
「名前は言えませんよ、警部ですが」
「警部じゃ石脇さんてことね? 人の恋路の邪魔をして」
広場のあちこちで縄文焼きの炎が燃え盛り、夜祭りは最高潮に達していて、まだ帰路につく車はない。周囲の人の言葉を信じるならば美香は会場から一歩も外には出ていないことになる。
友美と村田は、暗い表情で悄然と本部内テントに戻った。
フェスティバル会場の警備責任者でもある鹿角警察署の石脇晋一警部は、鹿角署だけでなく本署から機動隊や運営本部関係者の応援も得て、会場内外の隅から隅までを調べたが結局、目撃者の証言から判断すると、美香は、仮設の縄文住居からスト-ンサ-クル館までを直線で歩いていて、足取りはそこで消えている。もちろん、トイレにもいない。
石脇警部は、美香がスト-ンサ-クル館周辺で、花束を贈った女性と会ってから、何らかのかたちで拉致された、と推察し、捜査員に聞き込みをさせたが結果は芳しくない。
行きがかり上、この事件の責任者となった石脇警部は、会場の混乱を防ぐために、渡部館長の協力で大湯スト-ンサ-クル館内に、「河田美香失踪事件仮本部」を設置し、警察官、関係者などを集めて捜索への協力を頼み、捜査に全力を上げることになった。ここには、関係者ということで友美や島野らテレビ局関係も招かれた。
しゃべりの苦手な石脇に替わって、佐田が説明を続ける。
「石脇主任の説明で、河田美香の服装や特徴、失踪の経緯などについては充分に理解されたことと思いますが、つぎに、河田美香を探しに出て行方不明になった日東テレビの男性社員について説明します。加納二郎は二十四歳、身長百七十センチで茶染めの長髪。眼鏡はなし。服装はクリ-ム色のハ-フジャケットにジ-ンズで足回りはスポ-ツシュ-ズ、失踪時は縄文衣装を羽織っていましたが、これは脱ぎ捨てらてています。この加納二郎の場合を推測しますと、河田美香の拉致現場を見たために同じ犯人グル-プに拉致されたとも考えられます。また、この二人の失踪については、ここ数年間に何度となく発生している拉致事件との関連も疑えます」
質問が飛ぶ。
「もう、とっくに犯人は車で逃げたねえすか?」
「その可能性もありますが、数カ所ある駐車場は出口が限定されている上に警備員やバイトの学生が大勢いて、不審な人や車両を見逃すことは十のうち八、九は考えられません。しかも、河田美香らしい姿を見たという報告がまったくないことからも、河田美香がまだ犯人に脅されて広場内のどこかにいる可能性も捨てきれません」
「となれば、十のうち一、二は脱出済みとも考えられますか?」
「それもあり得ますが、われわれは、全力を上げて二人を探し出します」
「どのようにして?」
「この史料館内部や、臨時に設置した簡易トイレを含む全施設、駐車場にある車のトランクやワゴンの荷台、屋台の裏や下、材料置き場倉庫、あとは縄文広場からの出入口の全てに目を光らせて不審な挙動の人物を探します」
「それだけすか?」
「さらに、東と北側に走る県道大湯花輪線の道路をはさんで設置された二箇所の臨時駐車場の出入り口を固めて、出入りする車両一台一台をチェックし、人間は当然としてトランク、荷台、荷物の中身などを隅々まで徹底的に調べます。その上に人海戦術で探す手もあります。南と西に続く林の中や裏側の森や林を探して、絶対に犯人を逮捕し、被害者を救出するのです」
「本当にみつかりますか?」
「そのために、こうやって説明してるじゃないですか!」
佐田の説明が終わって、それぞれが持ち場に散った。
テレビ局スタッフにも疲労と絶望感が漂い始めている。
それでも、さすがにプロ意識の強い島野は撮影班に指示して、河田美香探索のドキュメントを頭に描いているらしく、あらゆる角度から関係者の表情や広場の群衆、屋台の風景、警察の動きなどを撮らせていた。
河田美香誘拐説も出たが、ディレクタ-の島野泰造に言わせると彼女には誘拐されるような理由など何もなく、職場や実家への脅迫電話などもない。
警察では美香の留守宅に電話をと島野に指示するが、テレビ局近くの新宿区麹町のマンションに一人暮らしの美香だけに、留守宅となれば両親の住む千葉県船橋市の実家しかない。しかし、心臓に疾患をもつ母親のことを思いやると電話をするにも遠慮がある。
あと一日だけでも様子をみてから連絡することにして、警察でも全力を上げて捜査することになった。
それにしても、応援に駆けつけた鹿角警察署の刑事達も加えて、大湯スト-ンサ-クル館の新しい建物内や架設テントの隅々まで調べて行方を追ったが、河田美香と加納二郎の姿は神隠しにでもあったかのように見事に消えていた。その夜は深夜まで、夜店や縁日、縄文焼き、太鼓チ-ムや村ごとに割り当てられたテントにも、イベント会場に集まった四千人を越す来場者でごった返す会場の隅から隅までを探したが、美香の姿は忽然と消えたままついに発見されなかった。
東北の夜空を明るく染めた縄文焼きの炎に包まれて、天高く舞い上がったのか、祭りの夜に忽然と消えた美人キャスタ-とADの謎は夜のテレビニュ-スで取り上げられるにおよんで、応援の県警機動隊と鹿角警察署上げての捜索も難航の度を深め、ますます深刻な事態に発展していた。
「明日は朝九時に、本部テント前に集合です」
島野がスタッフに伝えた言葉を最後に、この日のスケジュ-ルは終わった。

3、助言

河田美香捜索を警察に任せた島野らテレビスタッフと友美は、縄文広場を離れて毛馬内の和食の店に行き、今後の対策を打ち合わせながら食事をして別れた。明日の朝は九時集合だから夜更かしは出来ない。テレビスタッフは大湯のホテル大湯本館に、友美は愛用のアウディGH8を駆って上の湯の竜門館千羽ホテルに戻った。
過去の失踪事件に関係があるのかないのか、この河田美香失踪事件にも謎は多い。疑えば誰もが怪しく見えてくる。友美は身心共に疲労し、集中力も途切れている。
それでも、八百年の昔から自然湧出して絶えることなく溢れ出ているという良質のアルカリ質温泉に浸かると多少は心が和み、肉体的な面の疲れも癒された。
湯上がりの浴衣姿でク-ラ-の効いた一人だけの部屋に戻り、冷蔵庫から缶ビ-ルを出して一気に飲むと、のど越しに冷たい風が吹き抜ける心地がして生き返った。
床の間に置かれている部屋の電話をテ-ブルの上に置き、元カレの佐賀達也の携帯電話にプッシュするが、相変わらずバッテリ-切れらしく留守電になっている。メッセ-ジを残しても無駄なのは分かっているが、とりあえず「充電ぐらいしてください」とだけ入れたが、返事は期待できない。
それから自分の携帯を取り出して、保留分のメッセ-ジを聞きメ-ルを見る。
鬼の加川デスクから「成果がなければ早く戻れ!」、助手の長野智子からの留守電は、「お土産忘れないでね」で面白くもない。
そこでまた室内の冷蔵庫に常備してある有料三百円のバタピ-を肴に缶ビ-ルを煽り、テレビのスイッチを入れてどうでもいい映画を眺めていると、酔いが出て妙に人恋しくなってきた。
島野らテレビクル-が泊まっているホテル大湯本館に、と思って電話に手を伸ばした時、卓上に置いた音消しの携帯が震えた。画面の表示を見ると、警備会社メガロガの代表番号になっている。
「あら達也さん? どうも……」
「なにがどうもだ。今日は充電切れじゃないぞ。これから会議だから止めといたんだ」
「分かりました。それで用件は?」
「バカ。そっちから電話してきたんだ。あと五分で会議だぞ」
「何でしたっけ? そうそう、今日、事件があったんです」
「女子アナが消えた件だな。何て名前だっけ?」
「河田美香です。なんで失踪事件のこと知ってるの?」
「秋田県警から警察庁に広域捜査の届けが出て、警視庁にも通達があったんだ」
「ずいぶん早いのね。それって、赤城さんから?」
「今日は違う。元副総監の倉橋丈吉先生からうちの田島先輩に内々での相談だったらしい。調べたら、ここ数年の間に発生した鹿角十和田地区での拉致失踪事件は五件、うち二件が男、過去一件だけは自殺とされている。だが、死体もなく何の手掛かりもない。
で、今回の事件は、オレは知らんが、一応は名の知られた女子アナらしい」
「あなたが知らないだけで、美香はけっこう有名なのよ」
「なんだ、友美の知り合いか?」
「あるマスコミ研究会の後輩で、親しいのよ」
「ふ-ん、友美がそんな有名な女子アナと……」
「なによ。わたしだって地方局で、少しは有名だったのよ」
「分かったよ……で、日東テレビの会長と社長がガン首を揃えて警視庁に来たそうだ。河田美香捜索依頼の直談判だな。男の方はどうでもいいが、今のうちに女子アナだけは救助してほしいってことで、そこで、メガロガが引き受けることになった」
「あなたが担当するの?」
「まさか? 会社が引き受けただけだ」
「引き受けたといっても、これは警察の仕事でしょ?」
「秋田県警から要請がない限り、本庁では出張までは出来ないし、まず予算が通らないだからな。だからといって、鹿角署任せでも埒はあかんだろう?」
「美香さんの捜索を、警視庁の機密費でってこと?」
「金の出所はまだ分からん。その件でこれから会議だ。死んでたら仕方ないが、身代金目当てならまず生きてるからな」
「そうかしら?」
「この女のだけは、相手は金になるとみて船には乗せてない」
「船って?」
「今までは身代金が目当てじゃなかったってことだ」
「そうなると今までの拉致は、何らかの目的に利用するためだったのね? 神隠しって説も出てるのよ」
「神隠し? バカバカしい。とにかく、河田美香だけには高額な身代金の請求が出てるんだぞ」
「身代金? 初耳ですけど、いくらぐらい?」
「守秘義務で金額は言えんが、億の三倍ぐらいだ」
「じゃ、三億? なにが守秘義務よ」
「日東テレビとしては何としても看板キャスタ-の彼女だけは無事に救出したい。だが、それだけの金額を払うなら、その数十分の一の金額でプロに救出させようというのが日東テレビ側の皮算用だ。
それに田島先輩が飛びついたってわけだ」
「加納という男の人にも身代金の請求が?」
「一円もない。あの女なら大金が出ると見込んだんだろうな」
「鹿角署の刑事は、必ず犯人を逮捕すると言ってますよ」
「冗談いうな。自転車の無灯火、コソ泥を追う程度の鹿角署に、充分に訓練された拉致グル-プの組織から女子アナだけを取り戻せるか? 第一、そこの捜査主任は石脇ダンナだろ?」
「そうです」
「腹は出てなかったか? 身長百六十五センチで体重がほぼ八十キロ……これで鍛えぬいた北の戦士と戦えると思うか?」
「あなた。カン違いしていません? これは縄文絡みですよ」
「縄文祭りの会場は分かったが、犯人は北朝鮮だろ?」
「北朝鮮? これは違いますよ」
「じゃあ、相手は誰だ?」
「そんなの分かりません。だから調べてるんです」
「いかん、先輩が喚いてる、会議が始まるんだ。あとでな……」
電話が切れてもメガロガ社長の田島の怒鳴り声が耳に残った。社長以下警視庁中退の全員が短気で怒りっぽい。これでボディガ-ド専門の警備会社が成り立つから不思議だ。それでも、達也との短い会話だけで友美の気は安らいでいる。
今回は、後輩の身に起こった事件だけに、友美としても他に先んじて解決しなければならない意地がある。こうなれば冷たいが、同時に失踪したADの加納のことなどはどうでもいい。それに、石脇などは公式な発言とは裏腹に、友美には責任逃れの悲観論を打ち明けていた。
「生きとったらどっかで発見されるべ。もしかすると、もう彼女は乱暴された上に殺され、山に埋められてる可能性もあるべし」
これでは、達也が指摘する通り、鹿角署が事件を解決する気などないと思われても仕方ない。
鹿角の鹿からの連想で、栃木県鹿沼の布川奈津子という学友に電話する。退屈凌ぎだ。
「なによ友美、こんな真夜中に……」
「ごめん。ちょっと奈津子の知恵を借りたくて……ダンナはもう帰宅してるの?」
「まだよ。相変わらず飲んだくれて午前さま……まだ新婚三年目だっていうのにさ」
「もう飽きられたのよ。浮気三年・離婚が七年て言うでしょ?」
「そうかな……」
「冗談よ冗談、からかっただけだから」
「それより今ごろ何なのさ? またヤクザに追われてる? それとも友美もいよいよサラ金?」
「そうじゃないの。今度は見えない誘拐犯を追ってるところ」
「誘拐犯なんて、大体は見えないものでしょ?」
「だけど、女には高額の身代金、男にはゼロ、変だと思わない?」
「て、ことは男はカラダが目的かな?」
「カラダ? 男の?」
「アレだって、男女、どちらかとは限らないでしょ?」
「女が浚ったって言うの?」
「あたしだって夫に内緒で、たまには若い男を漁るのよ」
「え、あの純情だった奈津子が?」
「今でも純情だけど息抜きよ。近所の主婦なんかもっと凄いわ」
「じゃ、奈津子はカラダ目当ての誘拐だって言うのね?」
「カラダって言ってもアレだけじゃないからね。労働力ってこともあるでしょ?」
「そうか、労働力か!」
「さっき、テレビのニュ-スでやってたわよ。秋田での河田美香の失踪事件……」
「知ってたの? その美香の代わりに座談会の司会もしたのよ」
「女子アナなんて一番狙われやすいんじゃない?」
「なるほど……」
「その女子アナに色目を使った男、それが犯人だと思ったら?」
「そうなると、あの男ども全員が怪しく見えて来るな……」
「それを一人づつ潰してみるのよ。それと、男はさっき言った労働力ね」
「男はどうでもいいのよ。有り難う。おかげで目からウロコ、やってみるわ」
「がんばって、結果オ-ライで原稿料が入ったら……」
「もち、おごるわよ。奈津子もね。離婚なんかダメよ」
「安心して、亭主丈夫で留守がいい……で、稼いで来る分だけは愛してるから」
電話を切ってまたビ-ルを煽り、ようやく眠る態勢に入る。
そんな時に達也からの電話が入った。

14 身代金

「今日の出来事を頭から話してみてくれ。整理してみるから」
「もう眠くて」
「何だその態度は? これから取材ネタをやろうっていうのに」
「どんなネタ?」
急に眠気が消えるから便利なものだ。
「オレが河田美香を救出する仕事を担当したんだ」
「わたしがいるから、自分から望んだの?」
「バカいうな。こいつは相当に裏がある事件だぞ。だが、儲かる話となると先輩はダボハゼのごとくに飛びついて、危険な役はオレに来る……」
「当然、危険手当てと特別ボ-ナスは出るんでしょ?」
「まあ、ファミレスで豪遊するぐらいはな」
「そんなの豪遊じゃないわよ。で、いつ来るの?」
「明日の朝一番の新幹線だ。今までの経緯を聞かせてくれ」
「あら、取材は経費がかかってるのよ」
「これからは、オレが取材ネタを生む金の玉子だぞ」
「分かったわよ。じゃあ話すからね」
友美はつぶさに、今までの経緯を達也に話した。
「あきれたな。縄文土器を盗んだからって、神隠しみたいなのは理由にもならんじゃないか?」
「でも、過去を調べると、全員が縄文土器や土偶を私物化した人ばかりなのね。それで、地元では神隠しって言ってるのよ」
「なるほど、見えて来たな」
「なにが?」
「拉致は縄文絡みだな?」
「だから、さっきから言ってるじゃない、北じゃないって」
「いや、意味が違うんだ。土器の窃盗とは関係ないんだ」
「どういうこと?」
「縄文狂いの喜びそうな所はないのか?」
「縄文土器出土品埋蔵センタ-とか縄文工房、縄文式ペンダント教室とか?」
「そんなの模擬体験じゃないか、もっと本物だ」
「本物って……本当の縄文人がいるへブライ村とか?」
「バカだな、そこまでは行き過ぎだ。縄文人なんか千五百年以上も前に滅んだんだぞ」
「でも、十和田の山奥にはそんな暮らしをしている種族が、本当にいるらしいのよ」
「物好きなマニアだな。停年後のお遊びか?」
「それが、本物らしいの。一度は絶滅したんだけど、生き残った人がヘブライ村を再開したんですって」
「なんで、絶滅したんだ?」
「なんだか、獣の肉の中毒でとか……」
「それは怪しいな。過去の未開人消滅は全て侵略によってだぞ」
「でも、山で縄文人に出会った人が言うんだから」
「おいおい。縄文人? 縄文人モドキの話だろ?」
それから延々と縄文祭りの質疑応答が続き、達也が断定した。
「とにかく、縄文祭りを観光の目玉にと考えた鹿角市の企画に便乗して、全国ネットでのテレビ放映をDAT社が考えた。さらに、その相乗効果を狙った一部の縄文マニアが、とって付けたように縄文村神話をつくった……さらに、丁度いい機会だから、UFOだのキリストだのを次々にくっつけて神秘めいた話にした。どうだ、そんなとこだろ? それに失踪事件だ。どう考えても、そのインチキ村の人材補給としか考えられんな」
「では、身代金は?」
「村づくりの軍資金集めさ。失踪事件も話題づくりには、大きなインパクトがあるからな」
「デモ、美香を連れ出したのは誰? 誰が怪しい?」
「美香と一緒に雲隠れしたと考えれば、ADの加納だな」
「加納さんが? でも彼も拉致されていたとしたら?」
「そいつは労働力になるだろ?」
「あら。奈津子もおなじこと言ってた!」
「奈津子? あの栃木の探偵マニア、まだ離婚してないのか?」
「わたしの友人に、なんて失礼なことを。してないわよ」
「加納の出身地を調べてみたらどうだ? 縄文との関連だ」
「出身地? なんで?」
「インチキでも縄文村の真似をするなら、縄文人に近い人間を集めるのが筋ってえもんだろうが」
「バカバカしい。もっと真面目に考えてよ」
「考えてるさ。その女子アナの失踪だって黒幕がいるだろ?」
「いたとしたら、誰? 誰が怪しい?」
「誰も彼もだが、まず、島野ってヤツかな?」
「そのようには見えなかったけど……」
「石脇ダンナだって、何か知ってるかも知れんぞ」
「まさか? あの警部はあなたの知り合いでしょ?」
「知り合いだって、善人ばかりじゃないぞ。ま、冗談だ」
「当たり前でしょ。だったら市長だって……」
「警部は冗談だが、市長は権力の座が死守するためなら、観光の目玉づくりなど何を企んでもおかしくないさ。それに観光協会の猪又って会長が組めば完璧だぞ」
「じゃあ、センタ-の渡部館長と中里顧問は?」
「怪しいに決まってるじゃないか」
「勝川さんは?」
「最近になって鹿角十和田商工会議所が、十和田、小坂など近隣と合併して、カズノ商工会議所となり十和田は支部になった。ホテルのオ-ナ-で観光協会の会長のオッサンとつるんで倒産寸前の大湯温泉建て直しに一発逆転を狙ってもおかしくないだろ?」
「画伯は?」
「絵描きさんは何のメリットもないが頼まれれば分からんぞ。お人好しそうだしな」
「あなたの説だと、どの人も疑えるのね?」
「そこから一人づつ、消去法で消してゆくのさ」
「それにしても、数千人の大群衆の中から、あの二人は忽然と消えたんですよ。その間に道路を挟んで東西にある駐車場から出た車にも怪しいのはいなかったし……」
「ならば、その後、会場から出たことになるな」
「でも、それ以後に広場から出た人や車や荷物も全部チェック済みだし、関係者や署員が総出で捜索したんですよ……その後で、関係者が随時退出したんです」
「すると誘拐された二人は、その最後に出た組にいたんだ」
「そうなると、二人を誘拐した犯人は?」
「大会役員か関係者の誰かが絡んでるな。あとは出演者だ」
達也がきっぱりと言い切った。友美が検証する。
「あとのヒントは、バラの花を届けた女性とメモですが、メモから出た指紋は県警でいま照合中だそうです」
「前科がなければどうにもならん。そのメモの内容は?」
「ヘブライ語で、甘い誘惑めいた文句らしいのね。あなたは鈍いから無理だけど」
「オレはヘブライ語なんか知らん」
「いいのよ……そのメモを気にしなければいいんだから」
「その美香って女が、そのメモを見た時の表情は?」
「なにか困惑したようにも見えたのね」
「と、いうことは、メモの内容は理解したんだな?」
「誘惑に乗ったのかしら?」
「これは、なにか謎が有りそうに見せる犯人側の幻惑戦術だな」
「だったら、気にしなくていいのね?」
「その女と座談会会場にいた誰かがグルで休憩時間を狙う。アルコ-ル攻めと緊張で尿意を催した女子アナが必ずトイレに行くのを知って、そこから出るところを……エ-テル系の麻酔薬なら揮発が早いから一発だぞ」
「クロロホルムね?」
「その通りだ。犯行現場が女子トイレなら、怪しまれないためにも犯人の一味に女性の協力者がいてもおかしくないだろ?」
「その女性が気を失った美香を抱えて寄り添うようにして歩き、近くのどこかで男たちにバトンタッチし、男たちが美香を隠す?」
「と、なると同じ手でADの男も運び出せるな? トイレの近くに車は停まってなかったか?」
「スト-ンサークル館の来客専用駐車場で、関係者の車だけ」
「それだ。どんな車があった?」
「わたしのと、パトカー、大太鼓を積んだトラック……」
「その太鼓はでかいのか?」
「直径一メートル、長さは一・五メートルぐらい」
「それだぞ! 充分に人が入れる大きさじゃないか」
「そういえば……」
「なんだ?」
「大太鼓大会に参加しなかった組が二組ありました」
「その連中が、二人を太鼓に詰めてずらかったんだ」
「なるほど?」
「その車はいつ動いた?」
「太鼓は大会が始まる前に、いっせいに舞台まで運んでたわ」
「その二台は?」
「その時、体調不良や太鼓の故障とかの理由で帰ったみたい」
「よし。そいつらを調べてくれ。オレは一番の新幹線だが、電話で花屋を探して立ち寄って、午後から会場に行くぞ」
「わかった……」
ふと、友美は、狭い場所で揺られている美香の苦痛を思った。