第三章 旅への期待がふくらむ  

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1、一宿四飯

小田原インターへ 

かおりが立ち上って、敦子からマイクをとり上げた。

「お車は、御殿場線を越え、間もなく小田原東インターを通過いたします。
 それでは、ラストグループの都一金融のみなさまをご紹介いただきます。幹事の山本次長さん。よろしくお願いします」
 突然、聞きなれない本名で呼ばれたヤマカン次長、立ち上がると通路で中腰になって開いた右手を下にして挨拶を始めた。
「都一金融は、東京は荒川に産ぶ声を上げ、苦節約一年弱、縁あって皆さまとこうして一宿一飯の旅をすることに・・・」
「ちょっと、おかしいわね」
 宮崎先生が手を上げてたしなめた。
「一宿は一泊だから正しいとして、一飯はダメです。今日の昼、夜、明日の朝、昼と四食しますので一宿四飯になります」
「ヘイ。一宿四飯の旅を、なんか調子が出ねえな。えーと面倒くせえ、おれは山本勘吉、通称ヤマカンと申しやす。以後お見知りおきを。まず兄貴。いや、非常勤社長の社長代行・カメ部長こと亀田吉五郎を・・・あれっ? 部長、カメ部長!」
 どうも大人しいと思ったら、ぐっすりと眠り込んでいる。隣りのタケ課長補佐がゆり起こすと、タケを突き飛ばしてパッと立ち上がり、素早く身構えた。車内全員の視線を浴びて、さすがにバツが悪かったのか頭に手をまわし、失敗したという表情でテレ笑いする。
「今、競馬で大穴を当てて、払い戻し窓口で札束を見たところで横から邪魔が入りやがった。名前? 亀田だ」
 腰を下ろして、また眠りに落ちたらしい。
「つぎは、進藤武夫課長、課長より上の役職が課長補佐だと信じてるらしく、勝手に補佐を名乗ってやす」
「いいじゃねえか補佐がすきなんだから、進藤っす。通称はタケ課長補佐。一応、組では幹部、若え者の教育も」
 加藤教頭が聞いた。
「どんな教育だね?」
「神農の神への帰依、礼儀作法、仁義の切り方、ケンカ作法、金の取り立て、脅し、しのぎ(稼ぎ)のイロハ・・・」
「どうも義務教育要項にはない項目ばかりですな?」
「なんなら、学校に教えに行こうか?」
「いや結構、非公式で勝手にしてなさい」
 ヤマカン次長が續けた。
「つぎは、私の隣りのサダこと、定岡係長です」
「どうも、定岡です。どうも、この全日観光てえのが気になってたんすが、ガイドさん。この車、下田へ行くこともあるかね?」
「ええ、日本中の観光地ならどこでも行きますし、全日観光だけでも同じスタイルのバスは百台ほどございます」
「そうかね。やはり、運転手違いかな」
「何か、下田に想い出がおありですか?」
「いや、ほんのちょっと・・・」
「通路を隔てて、こちら側がマサ係長こと清川政治、名前だけは親が立派なのをくれたらしいすが、本人はこの通りの・・・」
「立派な男です。清川政治です。よろしく」
「なにが立派なもんか、横幅ばかり太くて。その隣りが安田主任です。ヤスといいます」 
「安田です。せんべい屋にも二人ほど主任がいたが、主任てえのはどんな余禄があるか。教えてくれねえですか?」
 内藤と黒川が顔を見合わせ、内藤が立ち上がった。
「ヨロクって? 役得のことですか?」
「まあ、そんなとこだな」
「役得は、なにもありません。上司にこき使われ、部下から突き上げられるだけです」
「なんだ。それじゃ、オレと同じだ」 
 ヤスがガッカリした様子で座ったが、もう一度立ち上がって、内藤主任に質問した。
「ヒラよりは、収入(みいり)は多いんだろうね?」
「オレの場合は、飲み食いにたかられるんで前よりマイナスです」
「ふ-ん」
 ヤス主任が不満そうに座った。
「つぎは、そちらの最後部に座っているカズとゴン。勝田一夫と横川権介の二人です」
 二人が立ち上がって頭を下げ、ゴンが一言だけ言った。
「ヒラは上たかれるから、主任よりは居心地がいいのが分かったです」
 ヤマカン次長が締めた。
「この二人は仕事熱心で将来有望だが、人を脅すのが下手で・・・それと、当社は今のところ全員独身なんで、そこの処をよろしく」
 女性陣からは「将来性が」「収入が不安定だから」などマイナスのイメージが多いらしく評判はよくない。

2、名取所長は提灯に詳しい

真鶴道路をのどかに走る

「全長三十一・七キロにおよぶ小田原厚木道路も、みなさまのご紹介をしている間に終点でございます。ただ今潜りましたトンネルは風祭(かざまつり)トンネルと申しまして全長は八百十メートル。小田原西インター到着でございます。
 お車は、ここから左に出まして小田原の町を抜け、真鶴道路に入ります。
 小田原の町は、今を去ること五百年、室町時代の北条早雲が小田原城を築いて城下町を整備したことに始まります。
 小田原は、復元された小田原城をはじめ、二宮尊徳の生家のほか城前寺(じょうぜんじ)、総世寺(そうせいじ)、量(りょう)覚院(がくいん)などのお寺の多い町として知られています。 
 ここで、みなさまにお伺いします。  
 小田原というと、名物もございます。
 ご存じのモノをいくつか挙げていただけますか。さあ、いかがでしょうか?」
 かおりのリクエストに応えて手が上がる。
「その名物について、くわしく説明できた方には全日観光のテレカをさし上げます」
「カマボコ!」と、いっせいに声が上がる。
「そうですね。カマボコといえば小田原か仙台。小田原のカマボコは二百年半以上もの昔から伝えられているそうですが、昔は、今のように板付きのカマボコではありませんでした。では、どんなカマボコだったでしょうか?」
 さっと、多田女史が手を上げ、発言する。
「カマボコというのは、本来が、お魚の身を長持ちさせる工夫から生まれていますので、初期の頃は多分、塩をまぶすか、火を通していたんでしょうね。板付きがなかったとしたら、棒に身の部分を撒きつけ、五兵衛餅でも焼くようにしたんでしょうね」
「さすがに、海産物問屋の専務さん。お詳しいのに驚きました。その通りのようでございます。お魚の種類もお分かりになりますか?」
「小田原は東南を相模湾に面していまして、アジ、キスなどの小魚が沢山とれるでしょ。それにアマダイなどもカマボコになるわね。そうそう、それと、今みたいにカマボコが板付きになったのは江戸時代の後期、それも黒船が日本にやって来た頃らしいですよ」
「ご明解でした。現在の小田原のカマボコは、ご当地だけの水揚げでは足りませんで全国各地から原料を集めてフル生産だそうでございます。多田さまにはテレカをさし上げます。
 芦ノ湖から流れ出る早川の河口近くに、小田原漁港がございます。カマボコ以外にも沢山の海産物が道路際に並ぶお店で売られております。
 これより、お車は左手に広がる相模湾の海岸沿いに、雄大な海原を眺めながら南下してまいります。
 それでは、小田原で有名なものを続けて挙げてみてください。ハイ、都一金融のカズさん、ご免なさい、えーと、カズタさん」
「カズタじゃなく勝田ですよ。まあいいや、小田原はサクラがきれいです」
「はあ?サクラの名所といえば上野とか隅田川とか奈良の吉野とか。それとも曽我の梅林の間違いではございません?」
「梅林?梅のこと?そりゃあ、小田原市のマークが梅の花で、梅の木が多くて梅干しの産地だぐらいのこたあ、誰だって知ってらあ。なあ、ゴン」
「いや、オレは知らねえよ」と、横川権介。
「バカ。相槌ぐらいは打てねえのか。ガイドさん、好きな人いる?」
 突然の逆質問に、かおりは返事に詰まった。
 ほんの一瞬、かおりの視線が運転手席に走ったが、相変らず無愛想な浜田の横顔があるだけだった。
「まあ、いいや。恋人がいるとかいねえとかは人前では言いづらいだろうから。もしもだよ、好きな人がいたら、そいつと桜の季節に小田原城に行ってみな。あたり一面、花に包まれてそりゃあ見事なものだから」
「じゃあ、兄貴は、いや、先輩は、スケと、いや、恋人と一緒だったのか?」と、ゴン。
 当たり前(めい)よ、大の男が一人でお花見ってえこたあねえだろうよ。ムードだよムード」
「大の男って、いつの話?」
「十八だったかな・・・」
「そいで、その彼女とはどうなったの?」
「そのままシケ込んで・・・バカ、そんなのどうでもいいだろ」
「よかあないさ。結果はどうだったか大切なんだから」と、ゴンがかなりしつこく迫る。
「そりゃ結局は、フラれちゃったさ」
「ほら、だから結果が大切なんだ。ガイドさん。この話、真に受けて小田原城でデートしたってダメだからね」
「どうもありがとう。いいお話を。きっと、青い空いっぱいをおおい隠すような満開の桜の下で、若いお二人が楽しくデートしたんでしょうね。夢があっていいわね。私もいつか桜の季節に行ってみます」
 カズがゴン相手に小声で愚痴っている。
「鬼怒川からバイクであちこち行ったっけ。
 あの頃になあ。も少し、カネ持ってりゃあ、もっといい思いしてたのになあ」
「小田原の名物にサクラが入りましたが、今のお話にありましたように梅も小田原の名物ですね。北条氏の時代に保存食として奨励されたそうで、民家でも梅の木を植えておりました。カズさんにも全日観光のテレカをさし上げます。あとはいかがですか?」
「こんなのはダメですかねえ」と、一リュウクラブの石沢春代ママ。
「お店を開くときに、はじめ小さくてもやがて大きく育つようにって、お店の名前をオタマジャクシって考えたんです。ちょうど男性が発射して走って来る五億分の一の生命体にも似てますし、それで、その漢字を調べようと辞書を引いたら、すぐ横に、小田原提灯(ちょうちん)と小田原評定(ひょうじょう)というのが並んでいたのを
見たことがあるのを思い出したんです。あれ、この小田原と関係あるんでしょうかねえ」
「ございます。小田原評定というのは、豊臣秀吉の小田原攻めのとき、北条一族の重臣が集まって軍議を開いた折、結論が出ず堂々めぐりをしている間に城を囲まれてしまったという古事により、長時間のムダな会議や相談を小田原評定というようになったそうです。
 小田原提灯の方は・・・」
「あ、それなら・・・」と、多田女史、
「名取さんがお詳しいはずです」
 自分の名がとび出して驚いたのは名取氏。
「なんで私が?まあ、提灯といえば小田原が有名なのは常識ですから、しゃべれといえばしゃべりますが、昔の照明器具の代表といえば、紙を貼った箱形の枠の中に油を入れた皿に芯を入れて明りを灯すのを行灯(あんどん)。それを携帯用に持ちやすくしたのを提灯という訳ですね。提灯にもいろいろ種類がありまして、柄の長いのが
“ぶら提灯”、上下に取っ手がジョイントされているのが“弓張り提灯”、その二つは上と下がつぼまっていますが、上下も胴も同じ大きさでがっちりと作られたのが箱提灯で、そして細身で折りたたむと腰に差して持ち運べる携帯用の提灯が小田原提灯と言います。これが出来てからは旅には欠かせないものになったそうです。
 たしか、室町時代の末頃に、小田原に住む甚兵衛さんという職人さんが発明したとか」
「ありがとうございました。詳しくお話いただいている間にお車は、今からおよそ八百年余の昔、伊豆で旗上げをした源頼朝の軍勢三百騎が、平家側三千の大軍と闘って破れた石橋山の古戦場跡のミカン畑を右に見て、相州ミカンの本場根(ね)府川(ぶかわ)も過ぎ、つぎの休憩地ドライブイン新島に到着いたします。
 ただ今、渡りました小さな川は白糸川と申します。お車が停車するまでお席を立たないでください。こちらでの休憩は三十分を予定しておりますが、みなさまがお揃いになりましたら、時間前に発車させていただきます。
 多田さまは、名取さまが提灯についてあれだけお詳しいことを以前から知ってらしたんですか?」
「いいえ。でもネ。ゴマすりと提灯持ちっていうのは同じような意味でしょ。だから、ゴマ屋さんならきっと知ってるはずなのよ」
 それを聞いた名取氏が烈火の如く怒って多田女史に喰ってかかったのは当然の成り行きだった。
 それでも、かおりから袋田の滝の写真入りテレカを渡されると、怒りは静まったようだった。

3、カズ・ゴン・コンビは買いもの上手

江ノ浦港のドライブイン

「あーあ、海はいいなあー」
 バスを降りるとみな一様に大きく手を伸ばし深呼吸して散り、また集まって来る。
「ユッコ。今日はどうだった?」
「なにが?」裕子が仲間に囲まれている。
「占いよ。この旅行で私たちにロマンスありとか、失恋させるだけとかさ」
「事件は起こるかしらね」
「ほら、ドックう売ってるわよ」
「私は、ソフトクリームがいいな」
 若い娘はまず食べることから始まる。
 ドライブイン新島は、本店が小田原市の酒匂(さかわ)橋(ばし)際にあり、そちらは収容人員千名。観光バス五十台、乗用車百台のスペースがある。
 こちらの江ノ浦支店は、観光バス二十台、乗用車二十台、収容人員二百四十名と約四分の一の規模にはなっているが、九月に入って最初の土曜日ということもあり、観光バスがかなり入っている。
 横長の建物の一階が売店、二階がレストランになっている。一階は左端から外に向けてソフトクリーム、コーヒー、ホットドック、生そば、ラーメンと、カウンターが並び、屋内の売店では、焼ちくわの実演販売なども行っていて結構繁盛している。
「おっ。ビールのつまみにイケるな。ゴン、三十本ばかり、あれ買って来い」
 タケ課長補佐が一万円札を渡した。会計は、タケの役割なのだ。
「でも、だいぶ並んでますよ」
「要領だよ要領。カズ。一緒に行って教えてやれ」
「ヘイ。ゴン、オレに付いて来い」
 魚肉に味付けをし、蒸して焼いた出来たての焼ちくわは食欲をそそるらしく、短い休憩時間にあせり気味の客が長い列をつくっている。
「ごめんなさいよ」
 カズが平気で列の最前列に進んで行く。 
 列の中ほどで苛立ちながら順番待ちをしていた浜南中学の宮崎先生らを見て、ゴンが、
「何本買う?」と、注文をとりカズを追う。
「あら、あの人よ!」先生達がカズを見た。
 前から二番目に割り込んだから収まらないのは今まで二番目だった見知らぬ男。他の観光バスで飲みながらここまで待っていたらしく、少しアルコールが入っているから怒らせると始末が悪い。
「ナ、ナンダ、テメエは?」
「どうかした?」カズはニコやかだ。
「なにイ?どうかしただとう?」
「なんか都合わりいすか?」
「わるいにきまってるだろ。こやってずーっと前から並んでるんだぞ。ちゃんと並べっ」
「どうやって?」
「どうやってだと?でめえ、からかうのか」
 頃合いを見て、ゴンに目で合図してカズが男の背後に回ると、男も振り向き半回転した。
 ゴンは苦もなく前に立つ。
「よう、この人、ちゃんと並んでた?」
 カズが、男のつぎの女性に質問をする。
「ええ、並んでたわよ」
「きまりきったことを聞くな。この若ぞう!」
「じゃあ、オレもちゃんと並ぼうかな」
「ナメンなこのヤロー。当りメーじゃねえか」
 まっ赤になって怒った男は、カズが列を離れたのを見て一安心、前を向き直して次ぎの順番を待っている。
 焼ちくわをビニール袋に詰め込み、お金を払い終ったゴンが振り向いて、その男に、「オジさん、お待たせ!」と、笑顔でご挨拶。
「ドウモ、ご苦労さん」男も機嫌が直った。
 一瞬、チラとその男の脳裏に、自分の前は女性だったが、と過(よぎ)ったが、後の祭りだ。
 ゴンが、注文通りの数量(かず)を先生方に配っている。長い列を並ばないで済んだから気分がいい。赤木先生が、
「お釣りはいいわよ」と。わずか二十円ぐらいでも四人の先生からだと八十円になる。
 ナショナル商標で世界的に有名な故松下幸之助先生でも、若い頃は自転車屋に勤めていて、買い物の駄賃に釣り銭を貰ったりして今日の木曾の元になる資金のそのまた種(たね)銭(せん)を作ったとか。
 と、いうことは、ゴンこと横川権介にもそのチャンスは間違いなくある。
 ただし、ギャンブルをせずに貯めればの話だ。会社に悪い先輩がいて、ゴンを誘うのではない。ゴンが先輩を誘いまくるのだ。
 しかもゴンはまだ十九歳だ。
「おう、ご苦労さん」と、サダ係長が招く。
 二階のレストランはテーブル席が少ないため、座敷にとぐろを巻いているのが都一金融のご一行。まだ他のグループとは馴染まない。
 少し離れた座卓を囲んで堅焼組と教員組、それに銀座のママさん達が合流している。
 名取氏が調子よくビールを注いでいる。資金源は堅焼せんべい本舗の交際接待費だから痛くも痒くもない。渋いのは中川部長だ。
「さあさ、ジャンジャン楽しういきまひょ」
 いかのわさび漬けなどが出る。
「伝票は、いかがいたします」
「ここまでは一緒でいいけど、追加は別々にしてよ」中川部長が渋い顔でどなった。
「まあまあ、堅焼せんべいのPR費だと思うてここだけはオゴリにしまひょ」
 名取氏が勝手にきめて中川部長を納得させる。
「すみませんねえ・・・」
 名取氏に社交辞令をいいながらも、誰も遠慮の気配はない。
 ショッピングには早過ぎる往路だから、二階に来た仲間は、たちまち一ヶ所に集まり、名取氏の奢りで飲み食いが賑わった。
「ビール、追加!」
 そこへ、ドヤドヤと女性教員とカズ達が上がって来た。
「おお、ご苦労さん」と、ヤマカン次長。
 焼き立てのチクワがカメ部長達のテーブル上のビールやつまみの小皿などの谷間にドサッと広げられた。
「おっ、こいつはイケるぞ!」
 カメ部長は、部下達が旨そうにビールや冷や酒を飲むのを横目に、ぬるい静岡茶でチクワを丸噛じり、かなり、気に入った様子だ。
「ゴン。半分ばかり、あっちの連中にくれてやれ!」
 部長の業務命令で、ゴンが「ヒーフーミー」と十五本のチクワをビニール袋に入れ直し、和気あいあいと飲食中の堅焼と教員とクラブの連合グループのテーブルに差し入れした。
「こりゃあ、ナイスだ。あんまり並んでるんで買えなかったけど・・・」と、若い三宅先生がサッと手を出すと、一同の手が続いた。
「私たちのこれも、この人に買っていただいたのよ・・・」
 と、坂本先生が自分のチクワを食べながら言うと、なにやらお金までゴンが出したように聞こえたから、一瞬にして都一金融は差年少の横川権介でさえ、気っぷのいい金持ちに思えたのかのようだ。言葉の魔力は恐ろしい。
「まあ、ビールでも・・・」
 名取氏がゴンにビールを注いだ。
 未成年だからと止める手合いは誰もいない。
「みなさんもご一緒にしませんか?」
 紅女史が、都一金融側に声をかけた。
「ご厚意、ありがとございます」
 サダ係長が芝居がかって応じ、旨そうにビールの喉越しを楽しみながら、
「そっちから来るのが筋だろうが・・・」
 と、どっちでもいいことに拘(こだわ)っている。
「みなさん、どうしたのかしら?」
 バスの中では心配そうに片岡美佐が時計を覗き、かおりとミカの顔を見た。
「きっと二階よ、私が行って来るわ」
 小岩井エミが勢いよく駆け出した。
 休憩時間の三十分はこうして瞬く間に過ぎ、全員が集まったところでバスは出発した。

4、失恋しても自殺はしない

江の浦から湯河原へ

「お車は、間もなく真鶴道路料金所手前の分岐点にさしかかります。
 これから先、海上にかかる岩(いわ)大橋(おおはし)を渡り、真鶴半島の下をトンネルで抜け、湯河原から熱海、そして伊東方面へと相模湾の美しい海を眺めながらのバスの旅を楽しんでまいります。
 真鶴は定置網を用いた沿岸漁業の基地として知られ、相模湾ではブリやアジなど、近海魚の一、二を争う水揚げを誇っています。 
 真鶴の名は、アイヌ語のマツツイルという崩れやすい崖の意味と、鶴の頭のような半島であることから付けられたと言われています。
 真鶴半島の山の中腹に貴船(きふね)神社がございます。毎年七月に行われる『貴船船祭り』は、日本三大船祭りの一つとして有名です。
 東京からみて平均気温が一、二度高い温暖な真鶴は、ミカンの生産も盛んですが、熱帯植物やサボテンなど世界各地から集められた数万種が生い繁るサボテンドリームランドもございます。
 真鶴半島は箱根のお山が噴火して海上に流れ出た溶岩によって出来た長さ約三キロ、幅六百から七百メートルの地形で、岬の先には三つの巨岩が海上に突き出ております。
 その三つ石と呼ばれる岩を望む眺めは、神奈川景勝五十選の一つとして知られています」
「スキューバダイビングに来たことあるわ」と、ミッちゃんが自慢気にユキちゃんに話している。真鶴には潜水指導のセンターもある。
「あら、私なんか錦ヶ浦(にしきがうら)からダイビングしようと思ったこともあるのよ」と、チイママ。
「えっ、どうして?」
「失恋したのよ」
「だれに?」
「だれって。男の人にきまってるじゃない」
 失恋する度に自殺を図っていたら内藤・黒川主任など生命(いのち)が百あっても足りはしない。
「お車は、全長六百メートル近い海の上の岩大橋を渡ります。
 右手をごらんください。快晴の土曜日ですのでチラホラと海辺に人が出ていますね。こちらが岩海水浴場でして、源頼朝船出の浜ともいい、石橋山(いしばしやま)の戦いに敗れた頼朝が、わずかな手勢と共に房総に逃れていった場所でもあります。
 左手には相模湾の波おだやかな海景色がひろがり、抜けるような空の色。みなさまの行いのよさが証明されているようです」
「おっ。やっぱりオレは行いがよかったんだ」
 カズがゴンに語りかけた。
「冗談じゃない。カズ兄イは夕べも御徒町(おかちまち)のパチンコ屋で、短気起こして台のガラスを叩いたことから店員と大ゲンカで相手を・・・」
「シッ、でかい声出すな。相手もたいしたケガじゃないから示談になってるんだ。事務所にゃ内緒なんだから」
 ヤス主任が前の席でそれを聞きつけて振り向いた。
「カズ、ゴン!いいかげんにしろ。ケンカはタブーだぞ。六月からは刃物も持っちゃいけねえことになったんだろが!」
 県下用の刃物などとんでもない話しだ。
 日本国民はとっくの昔から禁じられている。
「海を渡りますと真鶴半島に入ってまいります。
 ただし、残念ではございますが、日本のリビエラと呼ばれ、フランスの地中海沿岸によく似た真鶴岬はトンネルで通過いたします。
 今、入りましたこのトンネルは全長千六百五十六メートル。この頭上に常泉寺や、釈迦堂遺跡などがあり、JR真鶴駅から岬に往来するバス道路なども横断しております」
「おっ、痛え、誰かオレの頭踏みやがった」
「それよか、オレなんぞ車に轢かれた!」
 ゴンとカズが相変らずバカやってるのを見たマサ係長が、さすがにあきれて、
「トンネルくぐったぐらいで大騒ぎしやがって。高いマンションの下のフロアの住民なんざあ、毎日、踏み潰されてるじゃねえか」
 トンネルを抜けると、青い海が広がり、真鶴半島が背後に横たわっている。
「お車は、湯河原の町に入りました。
 湯河原・奥湯河原・浜湯河原と三つの温泉郷を持つ湯河原は、東京からも近く、遠浅でおだやかな湯河原海水浴場もありますので、温泉は夏でも賑わうのでございます。
 お車の右手をごらんください。
 ホテル・旅館・お土産店などがたくさん並んでいます。こちらが比較的新しく出来た浜湯河原温泉の街でございます。 
 湯河原はその昔、土肥(とい)実(さね)平(ひら)という豪族が支配していた町でして、一族の菩提寺である城(じょう)願寺(がんじ)というお寺が、湯河原駅の北側にあり、境内には、実平が助けて再起させた源頼朝も含めて七人の武将の木像を祀った七騎堂もございます。
 土肥の実平といえば、さきほど通り過ぎた真鶴トンネルの小田原側入口、山側には、頼朝の再起を祝い、実平が踊りながらうたった場所として、海の見える高台に謡坂(うたいざか)の碑(ひ)というものもございます」
「私たちも、歌謡大会でも始めましょうか!」
 紅なお子女史が叫んだ。
「そりゃ、いいや」ウクレレが鳴った。
「カラオケ坂の碑が立つぞ!」
「だれだ!トップバッターは?」
「グループ別に交替で・・・」
「よし。それできまった!」
「前から行こう。じゃあ、レディグループからどうぞ!」
「カオリさーん」と、内藤が叫んだ。こんな機会にしか、なかなか声がかけられない。
 拍手が沸いた。
「それでは、リクエストにお応えしてヤングレディスグループからスタートします」
 と、敦子がいいかけると、多田麻紀子が、
「ヤングじゃない人もいるでしょ」
 と、手厳しい。
「グループ名ですから」と、川口ヒロ子。
 片岡美佐はニコニコしている。
「リクエストなしで歌える人からどうぞ!」
 かおりが歌詞集を配ってからカラオケをセットした。BGMになかしに礼と林啓司コンビの「愛とどきますか」のイントロが流れ出した。
「おっ、これは、多田さんにピッタリや!」
「なにィ!」
 名取氏の発言に、多田女史が怒った。
「どういう訳や。私がそんなゴット姐ちゃんに見えますか?」
 誰が見てもそう見える。
 しかし、名取氏は、そんな失礼なこと、いいかけても口には出さない。そこが海千山千のいいところ。
「ほら、惜しみなく与えて、限りなくつくして、それでもなお海のように、なんてあんたにピッタリやんか。胸いたむ喜びの歌。じーんときますやないでっか・・・」
 多田女史が歌おうとしたら音が消えていた。
 ごたごたしてる間にかおりは、その歌のボリュームを低く絞ってガイドを続けた。
「お歌の方はこれから二日間、みなさまのご満足いただけるだけお歌い下さい。ご注文がございましたら、浅田までお申し込みください。
 湯河原温泉街は、山側にございます。
 藤木川沿いに東西約一・二キロの間に細長くのびた閑静な川で湯は、古くから保養地として利用され、文化人にも愛されて来ました。
 なかでも国木田独歩、谷崎潤一郎などの作家が、湯河原を舞台に書いた本も沢山あり、その初版本など100点近くが展示されている湯河原町郷土資料館は落合橋バス停に近い観光協会会館の三階にあります。
 なお、この資料館には女優三田佳子さんをモデルにした浮世絵もあるそうです」
「えっ。浮世絵?三田佳子が蛸に吸われるのか?」と、サダ係長。
「樋口可奈子じゃあるまいし」と、マサ係長。
「じゃあ 北斎じゃなきゃ、歌麿の歌まくら?あの二匹の河童が海に引きづりこんで」
「いい加減にしろ。河童が海女を襲うのとどう関係があるんだ?」
「だって、湯河原は海に近いから、そうじゃなきゃ、国貞の吾妻(あづま)源氏調(げんじちょう)でからむやつ?」
「三田佳子さんは、美しい純日本調のお着物姿が、見る人の溜め息を誘うほど優雅に美しい立ち姿で・・・」と、かおりが続ける。
「ほら、やっぱり立つんだ・・・」と、サダ係長。
「バカ。いい加減にしろ!」 カメ部長が怒った。サダ係長の頭の中では、浮世絵イコール枕絵なのだ。三田佳子は江戸時代の人じゃない。
「万葉集にある刀比(とい)という地名は、湯河原の古い名で豊かな土地という意味の土肥(とい)ともいい、万葉公園に万葉歌碑などもあり、湯河原は万葉集ゆかりの地でもあるのでございます」
 もう、誰もかおりの説明など聞いていない。
 三田佳子の浮世絵から飛び火して、国際女優のヘアヌード問題から借金問題、十億豪邸が三億に値下げしても売れないお笑い離婚芸人の話やら三面記事がらみの三流ネタで車内は賑わっている。そしてまたヘアーに戻る。
「私たちもそれで稼ごうか?」
 小岩井エミまで物騒な発言をしている。
 かおりがマイクを置いてカラオケのボリュームを上げると、曲が流れた。
 この場にふさわしくない曲だ。ボリュームを下げようとしたが間に合わなかった。
 後部座席からマサ係長の渋いのどが唸る。
「腹が立つ時や拳を振って、天を殴れば気も晴れる・・・」
 北島三郎はこのツアーにはまずい。

5、タケ課長補佐もかおりに求愛 

熱海の海は今でも熱い?

神奈川県と静岡県の県境を流れる千歳(ちとせ)川にかかる千歳橋を渡りますと、ここからが私たちのツアーテーマでもある伊豆半島の入り口熱海市に入ります。
 これから、海岸線に沿って走る六・一キロのビーチラインの旅を楽しんでまいります。
 山側を走る国道135号線から見下ろす海の景色もなかなかよろしいのですが、この海辺を走り磯に寄せる波しぶきを真近に眺めながらの快適なドライブは価千金、熱海の夜景と並んで昼と夜の顔をあらわしています。
 このビーチラインの山側に、今から千三百年もの昔、役(えん)の行者(ぎょうじゃ)の法力によって地中から沸き起されたという伊豆山(いずさん)温泉の横穴式源泉で、走り湯と呼ばれている元湯がございます。
 熱海の奥座敷と呼ばれる伊豆山温泉は、熱海温泉街の賑わいと違う静かなたたずまいを特長とし、約三十軒の旅館・ホテルが緑に包まれ海を見下ろしているのでございます。
 伊豆山は、源頼朝と北条政子との再会の地というロマンチックな場所でもあります」
「おっ。そういえば私もここで、若いころ」
 と、相田課長が口をはさんだ。
「好きな人と再会したの?」
 と、隣り席の多田女史が驚く。
「いや、借金取りと再会しちゃったんだ」
「やっぱり」多田女史の表情が和(なご)んだ。
「頼朝と政子のロマンスに縁の深い伊豆山神社は、平安時代に創建され、秀吉の小田原攻めで焼かれ、家康によって再建されまして、縁結びの神社として知られております。
 その境内にあるナギの木の葉は、丈夫で切れにくく、葉の裏に二人の名を書きこんで身に付けておくか、ナギの木の枝に結んでおくと片思いが両思いになるといわれております」
「ガイドさん!」と、ウクレレの三宅先生、
「そのナギの木の葉をそのままにして、片っぱしから書きこんだらもっと効果ある?」
「そこまでは知りません。でも、そんなに同じ人の名前ばっかり書くんですか?」
「いや、全部、別の人の名前です」
「まあ・・・」
 さすがのかおりさんも絶句して顔を見つめた。
「あきれた。この浮気者めっ」
 と、春代ママが笑いながら叱る。
 しかし、同僚の先生方は好意的だった。
「そうよねえ。お見合い三十回もダメジャねえ。願かけた方がいいわよ」と、福原みずえ先生。
「私たちの名前は書かないでね」と、赤木ひとみ先生が念を押す。三宅先生がかおりを見た。
 かおりがあわてた。結婚してウクレレで起こされるなどまっぴらだ。バイオリンなら許せる。
「お相手は、お一人さま以上は無効だそうでございます」本当かどうかは知らない。
「お車は、伊豆山から熱海に入りました。
 熱海の夜景は、神戸・香港と並び称されますが、七月と八月の週末には、さらにそのエキゾチックで美しい夜景に加えて、海上で打ち上げる豪華な花火が夜空を彩り、海にも映えて一大ページェントを繰り広げます。
 今や、この夏の花火は名物にもなりました。
 山の急斜面を利用して建つ熱海温泉街のホテル・旅館の窓やテラスから相模灘の空いっぱいに広がる華やかな五色の尺玉を眺める鈴なりの観光客の喚声は、海上の打ち上げ船にまで聞こえ、熱海の海を熱くするのでございます。
 熱海の温泉旅館組合に参加している旅館・ホテルの数は意外に少なく平成五年現在で八十六軒、温泉と旅館組合に入っていない大小の旅館・ホテルの方が圧倒的に多いそうでございます。
 それでは、みなさまにお聞きします。
 熱海といえば、何を連想しますか?」
「金色(こんじき)夜叉(やしゃ)!」と、異口同音、答えが返る。
「錦ヶ浦(にしきがうら)!」「自殺の名所!」「温泉まんじゅう」「芸者」「梅林」などと続く。
 紅女史は「ダイヤモンド」などといきなり連想ゲームを楽しんでいる。
「やはり、みなさま。尾崎紅葉の金色夜叉はよくご存知ですね。
 熱海を有名にしたのは金色夜叉、湯ヶ島を有名にしたのは伊豆の踊り子、越後湯沢を有名にしたのは雪国・・・」
「えっ。湯沢は吉幾三が有名にしたのよう?」
 と、紅女史が突拍子もない声を上げた。
「じゃあ、横浜は五木ひろしだ」
「小樽は、都はるみか?」
「奥飛騨は竜鉄也」
「奥入瀬(おいらせ)は山本譲二だな」
 この辺りから都一金融の独壇場になる。
「網走は健さんだ」
「木曽路とくりやあ原田悠里(ゆり)」
「北上はマヒナで、函館は三ちゃん』
「大阪は?」ここで揉めた。
「生まれた女でショーケン」と、サダ係長。
「しぐれて都はるみ」と、タケ課長補佐。
「情がからんで中村美津子」とマサ係長。
 ウクレレが鳴って三宅先生が叫ぶ。
「うるさいスズメで永井みゆきは?」
「いや、大阪暮色でんな、桂銀淑(けいうんすく)できまりや」
 名取所長の発言できまった。大阪を有名にしたのは何を隠そう、桂銀淑だったのだ。
「リゾート開発が進み、東洋のナポリとも呼ばれるこの熱海も、元はといえば文豪のペン一本から生まれたものでございます。それに原稿用紙もですが。
 ところで、みなさまにお聞きします。
 貧乏学生間(はざま)貫(かん)一(いち)の恋人お宮さんが大金持ちの息子がプレゼントしたダイヤモンドに惑わされて、未練を残しながらも貫一の許を離れて行ったのはご存知のことと思います」
「いや、オレは知らねえ。間寛平なら知ってるけど・・・」と、カズが首を傾げる。ゴンはキョトンとしている。
 「ところで、お宮さんのとった行動はこの時点では正しかったのでしょうか。それとも」
「間違ってるに決まってるよ」と黒川主任。
「どうして?」と、前の席の小岩井エミ。
「だってそうだろ。学生なんて本当はみんな貧乏なんだ。親の脛を多少は噛ったとしても、競馬で損して麻雀で行ったり来たり、学費を滞納してソープへ・・・」と、いいかけ、
「オレは行かないけど、なんだかんだ出費は多いもんなんだ。貧乏だからって振られてたら永久に彼女なんか出来ないじゃないか」
「だからって、宮を責めるの?」と、エミ。
「将来の出世を待つのさ」と、黒川主任。
「でも、おせんべい屋さんで社長になれる?」
「今は主任だけど、来年かさ来年は課長になって、部長が停年になる頃は俺は部長になって役員になる。待ってみるか?」
「ライバルがいるでしょ。そこの内藤さん」
「目じゃないよ、内藤なんて!」
 内藤主任が黒川主任の頭を背後から叩いて忠告する。
「黒川!やめろよ、おまえの手に負えるギャルじゃないだろ。それに社長は無理だ」
「なんで?」
「オレが先になるからだ。社長夫人も心できめているし・・・」
「誰だ、それは?」と、黒川主任が知らぬ振り。
「カオリさんだ!」
 とばっちりが来たから驚いたのがかおり。
「内藤さん。まさか、私のことじゃないでしょうね?」
「カオリさんの他にはいないですよ。オレ、本気ですよ」
 中川部長が笑いながら、隣りの細田久美江に語りかけている。
「内藤のやつ、この前の旅行ですっかり惚れ込んじゃったらしく、ムキになって貯金も始めたらしいよ。今夜の麻雀手強いと思うよ」
「そう、それで少しは可能性あるのですか」
「ないよ。そんなもの。逆立ちしたって無理だよ。男ならみんな惚れるんだ。すぐ後の佐山会長だって・・・」
 丁度、熱海市内の渋滞で徐行になり、エンジン音が静まったから会話が筒抜け、佐山会長が怒った。今回こそ何人かにアタックして一人ぐらいはと思っていたところだった。
「中川君。失礼じゃないかね、君。惚れて何が悪い!人を好きになってはいかんという法律でも出来たのかね!」
 PTAの凄いオバゴン相手に鍛えるから声は大きい。車内の目と耳が釘付けになる。
「好きは好き。内藤君、がんばりなさい。わしとあんたは二十一世紀になればカオリさんとデートできる約束をしたんだから」
 最後部席のタケ課長補佐が、立ち上がる。
「オレも立候補するぞ!」
「もう一人で打ち切ります」と、敦子が叫んだ。ミカが笑っている。敦子が続けた。
「毎回、ツアー毎に二名さまづつ、ガイドのカオリはデートの申しこみを受け付けています。ただし、十年据え置きでございますので、十年後にカオリが人妻だった場合はご容赦ください。お相手も独身の方に限ります」
 佐山課長ががっくりした。すると考えられない出来事が起こった。
 同乗者一部からガンバレコールが出たのだ。
「大丈夫よ。離婚すればいいのよ」
「どうせ奥さんから別れ話が出ますわ」
「本気だったら、毎週このバスに乗るのよ」
「しつこくまとわり付くといいわ」
「せんべい屋の若い人なんかに負けないで」
 そこで、決定的な言葉が出た。福原みずえ先生がおもむろに口を開いた。
「佐山会長。ダイヤですよ。三カラット以上あれば勝ちますね」
「イエス。宮さんだって二カラットでOKなんだ」 三宅先生がウクレレを鳴らす。
「誰だってイエスよ」と、宮崎あすか先生。
 三カラットだと数千万円はする。
 タケ課長補佐が佐山会長に歩み寄った。
「五千万用立てますぜ、金利は相談にのるから、帰ったらすぐ実行しましょうや。それで、担保は、あの女(ひと)でいいからね会長!」
 公私混同も甚だしい。カメ部長が睨んだ。

6、ユッコに分かる今夜の月

干物銀座の網代港

「熱いお湯が海に注いだことから名付けられた熱海の湯の街ともお別れしまして、お車は初川、和田川を越え熱海港、熱海後楽園を左に見て、間もなく錦ヶ浦トンネルに入ります。
 トンネルの真上のお山には、昭和の新名所熱海城があり、白亜の三層の天守閣から錦ヶ浦越しに相模灘を一望に納め、初島も真近に眺めることができる絶景のロケーションを誇っております。
 錦ヶ浦に立ち寄りますと、岸壁からせり出た太い赤松の木の横になった幹には、これまでその幹に足をかけて海に落ちた数百人の足跡で皮が剥け(むけ)幹が抉(えぐ)れて、自殺の名所の凄まじさをまじまじと見せつけています。
 厳冬の深夜、人気もない錦ヶ浦に皓々と輝く月の光に照らされて、ただ一人、断崖絶壁の底を噛む凶暴な荒波目がけて、松の幹から身をひるがえす人と、同じような心境の男性が間貫一でした。
 お宮の松は、初代の松が枯れ、昭和四十一年に現在の松に植え替えられておりますが、旧暦一月十七日の厳冬、満月の光に照らされて、吹き荒ぶ風の中に別れを告げる女。告げられる男・・・。この月を涙で曇らせる・・・。
 その月は、今もこの世を照らしているのでございます。そこでクイズです。
 この今月今夜のこの月といわれた一月十七日の月は、今でも見ることが出来るのでしょうか。正解の方には、全日観光よりテレカをさし上げます」
「無理です」と、赤木ひとみ先生が断言した。
「今は、太陽暦で、昔は陰暦すなわち月齢暦でしたから、昔の一月十七日を簡単に特定することは出来ません」同僚が頷いた。
「それは少し違います」と、裕子が発言した。
「ほんの少しだけ私は占いを教わってるんですけど、その先生は旧暦で占いをします」

それで?」
「本格的に占いをやる人は暦の研究もしてるんですが、新暦は太陽の運行でカレンダーが出来ているのに対して、旧暦は月の運行を中心に暦が出来ているのはご存知ですね。
 旧暦の一日(ついたち)の夜に、日本からみて地球の裏側一直線に太陽と月が並んでいる状態が新月といい、その逆に、太陽と正反対に月がめぐって真正面から太陽の光を浴びた場合を満月といいます。これが旧暦の十五日ごろです」
「地球の正反対に来たら、月が地球の影に隠れて月蝕になっちゃうんじゃないのかね?」

と、中川部長。裕子が真面目に答えた。
「そうですね。日本で一番古い月蝕の記録は、今から千三百五十年ほど前の五月十六日のものですが、実は太陽と月の経度が等しいときを朔(さく)といいまして、緯度はまちまちなのです。したがって経度と緯度が一致するのは稀(まれ)ですので完全月蝕はいつも起るのではないのです」
「理屈はもういいから。その今月今夜のこの月を見ることが出来るのか早く知りたいな。オレも貫一みたいなセリフを言いたいから」
 内藤主任があせり気味に催促した。
「結論からいいますと、簡単なんです。旧暦の一日が新暦の何日にあたるかを記憶すればいいだけですから・・・。例えば、平成五年の旧暦一月一日は、新暦の一月二十三日ですから、旧の一月十七日は、今の二月八日の月曜日で当然満月になり、この月が間貫一が涙で曇らせてみせるという月だったのです」
「今年は曇った?」と、石毛青年。
「ハイ。曇りました」
「本当?」
「ウソです。お天気までは計算で出ません」
「そうか。それじゃ、も一つ聞くけど、今晩の月はどんな月?」と、中川部長。
「九月の第一土曜日ですから・・・今日は旧暦でいうと七月十八日です。十五日が十五夜で満月ですから十八夜の月はほんの少し欠けた下弦(かげん)の月になりますが、いい月が出ます」
「この前、六月に下田に来たときは、真っ暗闇だったね。曇ってたかな」と、佐山会長。
 それを聞いて思い出したヤス主任が、前の席の赤木ひとみ先生に自慢気に、
「うちのタケ課長兄貴も、下田で闇夜に大こうもりを退治したことがあるんだ」
「暗闇でもこうもりは見えるんですか?」
「ウッ・・・」
 と、詰まったヤス主任をマサ係長が救った。
「下腹部が白かったらしいんだ」
「それ、聞いたことあるな?」と、佐山会長。
「このバスの中のラジオで!」と、中川部長。
「刃物も持ってたとか・・・」と、加藤教頭。
 旗色が悪くなったマサ係長とヤス主任、返事に窮した。タケ課長補佐は目を伏せた。
「お車は、錦ヶ浦に続く曽我(そが)浦(うら)の静かな浜辺の風景を眺めながら、多賀(たが)港から松の美しい長浜に向かっております。
 熱海温泉は、弱食塩泉で平均温度が源泉で七十度。リューマチ・神経痛・皮ふ病・胃腸病に効果があります。
 恋の病には、温泉よりダイヤモンドに軍配が上がるようでございます。 
 長浜の海水浴場を左に見て、お洒落なレストランや民宿の並ぶ国道を、ただ今、下多賀の宮川にかかる老松(おいまつ)橋(はし)を渡りまして、網代(あじろ)温泉へとお車を進めてまいります」
「ガイドさん。さっきのバス停の前にあった茅ぶき屋根の家は何ですか?」
 と、福原みずえ先生がワンテンポ遅れた質問をした。そこからすでに三つも停留所を過ぎている。女性軍もかなり酔いがまわっている。
「さきほど、多賀港入口のバス停前にありました古い建物は、丹那盆地にありました江戸時代の豪商の家を購入し、こちらに移築して日本そばやスッポン鍋などのお店を出しているのでございます」
「お店の名は?」と、福原先生。
「まことに申し訳ありませんが、国道沿いのお店の中には、土地の名物となっているグルメのお店も沢山ございまして、そちらを一部ご紹介しますと、不公平になりますので、出来るだけ公平を期しまして店名までは・・・」
「さっき通った地中海料理のお店なんかも?」
「そうですね。小高い丘の上のお洒落なお店で、海に面したテーブルからは前面総ガラスですばらしい景観ですし、スペインのチリドロンソースを使った伊勢エビ、帆立貝、鶏肉料理などは抜群ですが、そこだけを紹介する訳にはまいりません。とに角、この東伊豆には新鮮な海の幸を材料とした味くらべの店は沢山ありすぎるぐらいですから、選んで紹介するのが難しすぎます」
「でも、食べもののお店を紹介するのに、遠慮は要りませんでしょ」
「そうですね。それでは私が知っている程度で紹介させていただきます。
 ここ網代は漁師町として古い歴史をもち、海の幸が豊富なだけに、干物銀座と呼ばれるほどの店が軒を連ねています。
 網代温泉から和田木のバス停に続く約三百メートルの内にひもの専門店がずらりと並び、旅館もホテルも店先にひものを並べて観光客を呼んでいます。
 とくに、アジ・カマス・カワハギやイワシなどが豊富に獲れる網代の海辺は、海岸線一帯が干物の干し場になっております」
「網代はフランス料理もおいしいんでしょ?」
 いきなりどこで聞き噛って来たのか、赤木ひとみ先生が発言した。
「網代ですか?」
 カオリがチョット怪訝な顔をすると、名取氏が、
「そない言うたら日本中、どこにでも外国料理があるさかい、世界中の料理を説明せなあかんとちゃいまっか?」
 すると、赤木先生がムキになる。
「日本料理のおいしい町には、その反動で外国料理もおいしい店が出来るそうです。この網代でもスペイン料理だけでなく中華もあるはず、フランス料理だって・・・」
 温泉街を過ぎ、車が和田木のバス停に近付いたところにリゾートマンションがあり、その二階に「デ・マーロ」と看板が出ているのを見た赤木先生、あわてて修正した。
「あ!イタリア料理の間違いでした」
 そこでかおりが言葉を足した。
「赤木さまのおっしゃる通り、東伊豆の海辺の町には意外にフランス料理のお店などが多いのでございます。先ほど通過した多賀にもアンティーク風のインテリヤで落ちついたムードのフランスの片田舎で見かけるような小さなレストランがございます。
 肉と魚を上手にアレンジして、白身の魚のボアレなどで評判をとっているお店です」
「インド料理もあるかね?」と、加藤教頭。
「ポリネシアン料理は?」と、サダ係長。
 世界中の料理が網代にあると思っている。