第六章 天城七滝めぐりと撮影風景

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1、中川部長が部屋替え希望

天城大滝荘に到着

石の台座の上に角(かく)行灯(あんどん)風看板が洒落ている。その横手は潅木が生い茂っていた。
 広い庭の右手奥に乗用車用駐車場の建物があるが横着なお客は広い庭の片隅に車を停めたまま、玄関に入って行く。
 観光バス所定のパーキングスペースにバスが入ろうとすると、横から男女二人乗りの赤いポルシェが猛スピードで入りこみ、急ブレーキをかけて停車した。助手席には化粧も服装も派手な女が乗っている。
 そのためにバスも急停車したため、浮かれ気分で下車の仕度をしていたご一行、立ち上がっていた者はよろけて座席に腰を打ちつけたりした。ヤマカン次長が思わず飲みかけのビール缶を横にしたため、泡ごとカズの後頭部にビールがかけられ、怒ったカズが振り向いたが、相手が上司では文句も言えない。その怒りの矛先が、バスに急ブレーキをかけさせた赤い乗用車の若者に向って炸裂した。そのカズより先に、かおりががバスを降りて、車から降り立った若者に抗議をしている。
「そこはバスの駐車場です。車を移動してください!」
「こんな広い庭なんだ。どこへ停めたっていいじゃないか」
「バスも乗用車も駐車位置は決められています」
 そこへ、頭に来ているカズが近寄って肩をぶつけた。
「てめえ、女と一緒だからってカッコつけるなよ」
「なんだ、きみは?」
「なんだじゃねえ、頭にビールを掛けやがって!」
「ビールなんか持ってないよ」
「うるせえ!」
 カズが手を出そうとするのを、追って来たマサ係長が手首をつかんで止めた。
「素人に手を出しちゃいけねえ」
 その瞬間、カズの足が男の向こう脛をかなりのスピードで蹴りとばした。
 マサ係長がよろめいて呻いた若者を見て怒鳴った。 
「こいつを抑えてるから、命のあるうちに車をどかせろ!」
 車から降りた女が若者を支えて言った。
「こんなガラの悪い人たち相手にするの止めましょう」
 若者も恐怖を感じたらしい。駐車争いで殺されるのは嫌だから、足を引きずって運転席に乗り込んだ。
 カズが車も蹴ろうとするのをマサ係長が止めた。
「凹ますと修理代が高いぞ」
 これでカズの暴力が止まった。根はチンピラでも経済観念だけは一人前なのだ。
 ホテルの玄関から、佐々木と名札を付けた和服の女性があわてて出て来た時、騒ぎは終っていた。
 玄関右側には上部に歓迎の朱文字が大きく浮かび、下三分の二に縦長の黒板が十枚ほど並び、左端の「歓迎ご来客御一行様」の他は、団体名が書かれている。
 その中に「全日観光伊豆箱根ツアー御一行様」とあり、その他は「不二(ぶじ)テレビロケ隊御一行様」、「大政(たいせい)製薬」、「土木建設・栄(さかえ)組」、「日豊(にっぽう)自動車ツアー御一行様」など白文字で書かれている。
 玄関前の庭の中央にこんもりした藪があり、歴史ものの古色蒼然とした水車があって藪の中の小川に冷たげな水が流れていた。蝉の声がその藪から賑やかに聞こえてくる。屋根と玄関上の平瓦の間の白壁に丸に梅鉢の紋などが飾られているところなども、格式の高い温泉旅館らしい雰囲気が漂っていた。
 ミキに荷物運びを任せて、敦子とかおりがフロントに行くと、顔なじみの接客主任の佐々木邦子が戻って来た。
「守口かおりさん。お久しぶりね。お友達の谷内陽子さん、ロケに出てますよ」
 佐々木主任が表に、守口様、浜田様とある封筒を二枚、かおりに渡しながら言った。
「一通は女優さんからかおりさんへの伝言、一通は運転手さんへのファックスです」
 かおりは、自分のは後回しにすぐ車内を整備中の浜田のところにメモ入りの封筒を届けた。仕事に出る時の浜田は携帯も持たない。仕事などで急用の時は必ず、かおりが中継して会社とやりとりをする。浜田宛てに出先までファックスが届くなど初めてのことだった。
「ご苦労さん」
 封筒を不愛想に受け取った浜田が、すぐ中のメモに目を通した。当然、緊急なことだが浜田は表情も変えずメモを封筒に戻した。
「なにか急用ですか?」
「いや。個人的なことだから気にするな」
 かおりもそれ以上は効けないから、フロントに戻った。敦子と部屋割りを急がねばならない。
 その部屋割が問題だった。
 せんべい本舗の中川部長からの緊急要望で徹夜で麻雀が出来る部屋が一つ必要になっていた。
 それ以上に心配なのが、浜田の個人的な問題だ。
 敦子が心配そうにかおりを見た。
「ご家族に何かあったのかしら?」
「あの人、小学低学年の男の子がいるだけだから」
「ファックスは誰から?」
「さあ? プライベートのことは何も知らないのよ」
 かおりが自分の封筒をを見ると、学友で女優の谷内よう子からの伝言でメモにはこうあった。
「カオリ、元気? 昨日からここでのロケ絶好調。あとで宴会に顔出すからね。敦子とミカにもよろしく伝えてね。 陽子」
 一緒にメモを覗いた敦子が、「ロケって近くかしら?」と呟くと、佐々木主任が応じた。
「午後から徒歩で出かけて、今ごろは多分、エビ滝かヘビ滝あたりで犯人を追うシーンを撮るらしいですよ」
「もう帰って来るかしら?」
「ロケ隊は夕食前まで戻らないそうです。夕飯時に宿の宴会風景を撮り、それから下の河原に降りて大滝をバックに活劇シーンをロケするそうですよ」
「敦子。部屋割りを終えたらミキも誘って行ってみようよ」
 そこで、佐々木主任と部下の従業員も含めて部屋割りが始まった。
「一応、お聞きしたグループさまごとに分けてはありますが・・・
「急ですが、徹夜麻雀用の部屋が一つ、増やせませんか?」
「それは困りました。今日は満員で・・・」
「分かりました。一部屋、空けるように考えます」
 当てられた客室は八室。五人部屋だから余裕がある。
 かおりは、急いで中川部長とヤマカン次長を部屋割りの責任者に加えて誰からも文句が出ないようにした。女性は呼ばない。呼んだら最後、収拾がつかなくなる。それに、部屋不足のしわ寄せは男だけにしたかったからだ。
 案の定、ヤマカン次長を呼んだのは正解だった。
「徹夜で麻雀やるヤツを一部屋に押し込めればいい。残った部屋はガラガラじゃねえのかね?」
 佐々木主任が頷きながらも困惑している。
「宿としては、一応、お客様全員にお部屋とお布団を提供してお泊り頂きませんと問題になります」
「だったら、もっと簡単だ。男は荷物置き場だけ部屋を決めて、空いた布団で寝ればいいじゃねえか?」
 たちまち、部屋割りは決まった。
 客室総数五十八、収容人員二百二十一名、三階に玄関があり、川側の傾斜に二階一階と下がっていて三階の左曲がりに別棟がある。
 すでに別棟に荷物の多い不二テレビのロケ隊がいる。土木栄組のツアーと大政製薬の団体が一階、大量退職の噂のある日豊自動車の旅行会が二階。そして全日観光ツアーが川の見える部屋の多い三階の八室を占拠した。
 三一二号室は、紅、多田の両女史に細田久美江、片岡美佐の四人でかなりうるさそうだ。
 三一三号室は、宮崎、坂本、福原、赤木の女性教師陣の四人で一応淑女風にも見える。
 三〇一号室は、ジュン、エミ、裕子、ヒロ子のギャル組にミカが加わり賑やかになる。
 ミカは、かおりと敦子のガイドルームに押しかけるつもりだったが、乗務員用は洋間のツインで三人は無理。裕子達に招かれていた。
 三〇二号室は、一リュークラブの全員、春代ママ、セイ子チイママ、エミリー、ユキちゃん、ミッちゃんの五人だから騒々しい。
 三〇三号室は、加藤教頭、佐山会長、中川部長、相田課長、名取所長の五人のオジン組。
 三〇五号室は、都一金融組でカメ部長、ヤマカン次長、タケ課長補佐、マサ、サダ両係長の五人。
 三一五号室は、内藤、黒川両主任、三宅先生、ヤス主任、カズ、ゴン、それに石毛青年が加わって七人。布団を使えるのは五人だけ。多分、奪い合いになるか不眠者が出る。
 そして、三一一号室が空き部屋になって徹夜麻雀が可能になった。
 女性は、すでに部屋割りがきまっていたから荷物を持ったり、手伝って貰ったりでエレベータホールに向かっている。
「ちょっと待ってよ。この部屋じゃあ……」
 部屋割りの表を見たヤス主任が、大きい声で全員の足を止めた。
「ヤス。てめえ、なにか文句あるのか?」
 ヤマカン次長が、自分の発言できめた良案にケチをつけられたから怒った。
「文句はないけど、オレたちが七人部屋で女性だけ四人部屋があるのは不公平だから、オレだけでいいから三一三に入れてくれよ」
 三一三号室は、女性教育者のたまり場だから、何か教育して貰おうという魂胆がミエミエ。それに気付かぬ多田女史ではない。
「エッチ! いい加減にしなさい!」
 女性教師陣が呆れ顔で去って、ヤス主任が笑い者になっていると、多田女史が助け舟を出した。
「私かカズさんを引き受けるけど、紅さんと片岡さん、どちらかヤスさんを引き受けませんか?」
「私は、石毛さんがいいな」
 即座に紅女史が応じた。
「私は三宅先生で我慢するわ」
 片岡美佐も妥協する。
 比較的控え目に見えていた細田久美江が、ゴンに走り寄って、嬉しそうに伝えた。
「よかったわね、一緒になれて……」
 納まらないのはヤス主任だ。これでは立ち場がない。これでは、自分が言い出したのに利得が何もないのだ。
「じゃあ、おれは三〇一でもいいや」
「あたし達は、男なんか間に合ってます。バカバカしい」
 ヒロ子がニベもなくつっぱねて仲間をうながし、エレベータホールに消えた。
 敦子があきれて、多田女史をたしなめる。
「そんなの無理でしょ。布団だって敷けないし」
「大丈夫よ。重なって寝るから」
 カズがあわてた。多田女史の下で窒息死するぐらいなら徹夜麻雀で倒れた方がまだマシだ。ましてや腹下死なんて男の恥になる。
「オレは、今のままで不満ないよ」
 紅女史に指名された石毛青年も困惑顔だった。
「ボクも辞退します。エミリーに悪いから」
 エミリーが振り返ったが、ニッコリ笑っただけでノーコメント。手を振ってユキちゃんの後を追った。
 こうして一夜の夢も名案も、温泉の泡と消えてけし飛んだ。
「あら、ステキ! 部屋から滝が見えるわ」
 部屋に入ったヒロ子が叫ぶと、裕子とエミも窓辺に走る。
「ほら、滝の右側を見て露天風呂が並んでいるわよ」 ヒロ子の声にジュンも近寄る。
「プールもある。ステキ!」
「滝の右奥にあるの、あれ、穴倉温泉?」
「穴倉温泉じゃなくて穴風呂でしょ」
「あら、ペアで手をつないで出て来たわ」
「いいじゃない。二人連れだって」
「お風呂なのに水着着用なのかしら?」
「プールもあるんだから当然でしょ」
「早く泳ごう」
 さっさと着替えを始めたジュンが呼びかけた。
「それより、みんなと一緒に七滝めぐりに行こう。三十分後に玄関でガイドさんが待ってるわよ」
「お風呂は?」
「散歩から帰って夕飯前に入りましょ」
「ユッコ。帰って来たら、また占いやってくれる? 相性見て欲しいんだ」
「なによヒロ子。相手はまた別の男? これで五人目よ」
「まだまだ少ないでしょ?」
「いい加減にしなさい」
 お茶やビールとお菓子でお喋り三昧、時間を見てジュンが言った。
「さあ、出かけうわよ」
 少し涼しいからと、カーディガンなどを羽織りながらガヤガヤとギャル一同部屋を出た。
 三〇二号室からも川が見えるが誰も見ない。
 春代ママは、かなりピッチを上げて缶チュウーハイを飲んだから畳の上で座布団枕に横たわるとちっとやそっとでは動けない。チイママも同様だ。
「ママ、お茶が入ったわよ」
 ユキちゃん、ミッちゃん、エミリーはお、茶受けのお菓子をパクつき食い気が優先中だった。
「ほら、石毛さんって人、エミリーに本気みたいよ。あとで、この部屋に呼ぼうか?」
「ダメよ。石毛、ヤス、カズさんは一応、私がキープしたんだから、手を出さないでよ」
 エミリーの挑戦に、チママも黙っていない。
「中川さんと、サダさん、マサさんは私ですからね」
 ユキちゃん・ミッちゃんはニコニコ笑っていて気にもしていない。お互いに男はみんな自分のモノと信じているからだ。
「さあ、七滝めぐりの時間だよ」
 年長の二人を置いて三人が部屋を出た。
 空き部屋になった三一一号室には、早くも堅焼せんべい本舗の若手によって雀卓が持ち込まれていた。
 雀卓といっても今流行の全自動椅子式ではない。昔なつかしい手動掻き混ぜ座卓上乗せ式麻雀台で点棒の箱もそれぞれ別々になっている。それを三組用意しておくのだ。
「こっちは百点棒が三本足りないぞ」
 内藤主任が石毛青年の手に持つ喫茶店の名入りのマッチ箱から棒を三本受け取って点棒の代わりにして二万六千点に揃えている。
「さあ、始めようか」
 相田、名取、中川というメンバーに加藤教頭が加わり、早くもダイスが振られた。
「さあ親だ。幸先いいぞ!」
 加藤教頭、教育的慰安旅行であることなどもはや念頭にない。下田以来の雪辱に燃えている。
「オレたちは、かおりさんのガイドで七滝めぐりに行って来ます」
 麻雀台の設置を終えた内藤主任が、黒川、石毛両人を誘って、部屋を出た。
 三〇五号室は都一金融組の五人だが、ヤス主任らも呼び寄せられ、全員を前にヤマカン次長からつぎの言葉が発せられた。
「羽目を外すのはいいが、今回はつぎの三つは絶対にご法度だぞ。一、犯すなかれ、二、騙すなかれ、三、殺すなかれ、だ」
「その、犯すってえのは?」
 ヤス主任が怪訝な顔をする。
「合意なくやっつけることよ」
「盗むのも殺すのも、こんな遊びのツアーに関係ねえでしょうが、犯すのは男の甲斐性だと思いやすが?」
「それもそうだな。オレもよく分からねえがカメ兄貴、いや、部長からの指示で読んだだけだ。いいか、わかったか!」
「ヘイ」
 カメ部長以外が、全員頭を下げる。
「分かったら、さっとと散歩に行って来い。てめえらには高嶺の花のガイドが待ってるぞ」
 都一金融組はここで解散した。
 三一三号室は、女性教師四人組。世間一般で常識的にいうなれば、次代を担う子弟を教育し、正しく導く聖職ともいうべき位置に立脚しているだけに、品位ある淑女的言動がごく自然に身に付いているのは至極当然の理であり、そうあるべきだ。
「あのさ。あのタケって男。超能力者かな」
 赤城ひとみ先生がパッとシャツを脱ぎ捨て、ブラジャーも外して、Dカップあたりを濡れたタオルで拭いている。
「なんで?」
 宮崎あすか先生もあられもない姿で座布団に斜めに座り、お茶を飲み菓子をほおばる。
「溺れそうになった私たちを片っぱしに救けて浮き輪につかまらせてさ、それで、海の中でヒモを探して来たんだよ。ビニール袋に入って浮かんでたんだってさ。変だよねえ」
「もっと変なのはあの運転手よ」
 坂本なつえ先生が着替えながら顔をしかめた。
「どうして?」
 福原みずえ先生も下着姿だ。
「ミッちゃんの話だと、私たちが海から戻って来たんで一安心と思って先にバスに独りで乗ったんだって。そうしたらあの男、バスの奥の方でズボンを穿いていたそうよ」
「ヤーね、相手は誰かしら?」
「ガイドのカオリさんとアツコさんは岩場にいたし……」
「その話、誰がミッちゃんから聞いたの?」
「エミリーとチイママが一緒に戻ったら、ミッちゃんがバスの方から急ぎ足で歩いて来て、その二人も、運転席でシャツを着ている運転手の姿を見ちゃったんだって」
「じゃあ、エミリーに聞いたの?」
「ううん、ユキちゃんがエミリーに聞いて教えてくれたの。ナイスバディだったそうよ」
「それ、もしかして?」 四人が顔見合わせた。
「相手はミッちゃん本人じゃない?」
「カモフラージュしたのね。ちく生!」
「いい男探しに七滝めぐりでもするか?」
 見た目には勤勉な女性教育者達も、かなり荒れている。

2、七滝めぐりとドラマの撮影

飛び入りエキストラあり?

かおりも敦子の待つ乗務員ルームに向かう。
 敦子とミカはベッドの上に紙を広げて、宴会場の団体別座席位置を決めかねていた。
「カオリ、いいところに来てくれた。ヨーコのメモ見た?」
 二人にそれぞれ伝言のあったことを伝え、敦子のメモをかおりに手渡した。
〝アッコ、初仕事オメデトウ。カオリに教わった伊豆の観光ガイド、役立っている?あとで宴会に参加するけど、アッコ、だれがイイ男見つけてデュエットで歌ってくれると絵になるけどな。プロデューサーがそんな生の画面が欲しいんだって。予算がないから、使えるものはドシドシ使うって方針らしいわよ。
 ミカにもカオリにも参加してもらうつもりだから協力してね。ジャアーネ!……陽子〟
 七滝観光センターの奥が町営の無料駐車場になっていて、その先で道が二つにわかれ、右への道は車輌は通行止め、七(なな)滝(だる)の内五(ご)滝(だる)めぐりの遊歩道になっている。
 その分岐点の橋際に七滝めぐりの大きな案内図があり、ツアーの若手が終結していた。
「ほら、ここに学生と踊子像が描いてあるでしょ!これが初景滝で、ここのロケ終わって上の方に行ったって聞いたわよ」
 ミッちゃんが明るく積極的に振る舞っているようにも見えるから教師組がひがむ。
「なによ、一人だけイイ思いをしたくせに」
 カニ滝が横に広がった低い滝で、目の前にあるが誰も見向きもしない。滝はやはり深山幽谷にないと気分が出ない。道路脇で売店前、看板があって人だかりでは写真を撮る人も少ない。それでは気の毒だから福原先生が押せば写るだけのカメラで滝を撮る。滝がザーザーと涙を流して喜んだ。
 道がかなり登りになり、山が深くなる。
「初景(しょけい)滝(だる)、高さ十メートル、幅七メートルか。踊子とこれが二十歳の学生さん?」と、エミリー。
「こっちだって十四歳だよ」と、内藤主任。
「老けてるわね」と、宮崎あすか先生。
「そりゃあ、昔の人だもの・・・・・・」と、エミ。
「写真とってぇ」と、誰かが叫んだ。
“踊子と私”のブロンズ像の左側にツアー組が集合した。福原みずえ先生からカメラを渡されたヤス主任が不服そうにファインダーを覗く。
 すると、今までひそかに好意を持ち続けて来た間中ジュンの肩に、カメラからみて右端の石毛青年の手がさり気なくからみついている。ヤス主任の頭に血が上ったがやせ我慢で素知らぬ振りをする。
「ハーイ」
 大きく合図をし、カメラを左に向け、石毛青年を外してシャッターを切る。
 これで、女性の肩に手がかぶさった霊感写真が滝をバックに出来上がったはずだ。
「そのまま、そのまま」
 ヤス主任が走って、石毛青年にカメラを渡し、自分がその位置に入る。
 ところが、生憎なことに先客があった。
 ジュンの向こう隣りにいたカズが図々しくジュンの肩に手をまわしている。思わず睨みつけたときシャッターが切られた。
「初恋の人と来たらいいわねぇ」
 エミリーは滝を見ながら感動する。
「あなたの初恋って、いくつのとき?」
「五才だったかしら……」
「水飴でもしゃぶってればいいのよ」
 宮崎先生が鼻で笑うが本人は初恋もない。
 樹林を分けて流れ落ちる河津川の清流をと”踊子と私”像をバックに思い思いの写真を撮り、一行は山道を分け入り、ロケ隊が入っているという上流の滝を目ざして狭い急坂を進んだ。森の中に涼しい風が吹きぬけていて汗ばんだ肌に快い。
 蛇(へび)滝(だる)三分、エビ滝九分、釜滝九分と書かれた細い打ち付け案内の左に、湯ヶ野へ五十七分(三・九キロ)と矢印看板がある。
「これ、変ねぇ」
 ユキちゃんが声を出す。
「だって、一時間って書けばいいじゃない。どうせ人によって歩く速さは違うんだから」
「心理学よ。品物を買うのだって千円よりは九百八十円の方がずしっと買いやすいのよ」
 蛇滝は滝の上部に細い潅木が生い茂って、スダレのように落ちている。高さ三メートルの滝は迫力はないが何となく憂うつで不安を誘う。流れは蛇行して下流にくねって行く。滝つぼの左側のえぐられたような深淵は暗く沈んで木漏れ陽も通さない。
「あそこには必ずなにか潜(ひそ)んでいるな」
 黒川主任が低い声で脅かすからギャルが一応驚いた振りをするが、誰も彼には抱きつかない。まあ、これは予期した通りで仕方ない。
「さあ、早く行こう」
 エミが先に立って歩き出したが、すぐ迷って立ち止まった。
「さあ、どっちだと思う?」
 左折するとエビ滝への道、直進して山道を登ると釜滝へ行く。
「あ、こっちだ」
 カズがさっさと左の道を行く。
「人声がするからな」
 カンは当った。高さ五メートル、幅三メートルの二段に折れているエビ滝の下に青い吊り橋があって、そこを不二テレビのロケ隊が占拠して撮影中、手前に人垣が重なっている。
 橋の上からだと河津七滝上流の長さ二十二メートルの釜滝をとり巻く緑濃い山肌と黒い岩肌も画面に入って景観が生きてくる。
「お、いい橋だな。橋の上から景色を見ようや」
  
 橋の上で、溝谷裕(ゆたか)という俳優が例の少し鼻にかかった声で、推理力を働かせて、相方役の谷内ゆう子を前に、得意気に片手を上げて得意の解説をする。
「あの滝の上から被害者が突き落とされたとすると、何のためにあんなところまで二人が……」
「カット、カット!」
 崖上の安全な場所でディレクターチェアーに深々と腰を下ろした監督がメガフォンを振ってダメを出した。
「吊橋の上だ。手をつないで体をもっと寄せ合って!」
 ヤクルトマークの野球帽をかぶり、茶の半袖シャツに吊紐ベルトにジーンズ、半長靴、腰にポシェット、尻ポケには台本、ベルトにトランシーバーを挟んでいるから誰が見ても競馬競輪の予想屋と見間違えてしまう。
 カメラは二台、監督は安全な場所にいたがカメラマンは二人共危険に晒されていた。一人は、対岸の下流の崖際の松の根本から渓流に出っ張って横に伸びた太い幹に巻いた命綱で体を支え、川面に身を乗り出す形で吊り橋上の二人を撮り、一人は崖上から俯瞰する形で撮影を続けていた。
っている。づられたカメラマンと橋際のカメラとの二台が活躍している。
 プロデューサーは、悠然と腕組みをし橋の手前の安全な位置に置いた床几(しょうき)に腰かけ、カウボーイハットを目深に舟を漕いでいる。
 多分、激流をカヌーで漕ぎ下るシーンでも夢見ているのか、時折、左右に身体をゆする。
「チョイ、ご免よ」
 静まり返っている観衆を分けて、いかにも屈強そうな、シャツをはだけて胴巻きが丸見えの三人連れが前にシャシャリ出て来た。
「出ないでください!」
 数人の整理係が必死で押し止めようとするが腕力の差は歴然、たちまちはね飛ばされ、男達は橋の上に出た。
「カット! ちょっと待って……」
 ディレクターがあわてて台本を尻ポケからとり出し、本を目で追うが、吊り橋が揺れるからなかなか思うに任せない。
 犯罪組織の手先のゴロツキが出るのは、まだ先のことで、夜に入ってからそのシーンを撮ることになっている。しかし、つい最近、編成部という自由気ままなとこから移って来たプロデューサーが監督だけに突然思いついて筋を変えたことも考えられる。
「すいませんな。あんた達はどんな役でしたかな?」
 生真面目な顔で台本を覗くので、
 三人が顔を見合せた。「ここは天下の観光地だ。自由に滝見てなに悪い」と、台詞まで考えて小遣い稼ぎの強請(ゆすり)に出たのに、下手に出られて彼等は完全に調子が狂った。
「役? 夕べは青タン赤タンが二回づつと五光(ごこう)が一回かな」
「オレは、ピンのゾロ目で二回勝ったぞ」
「役は勤めて来た。網走の別荘で三年だ」
「そうじゃなくて、せりふは?」
「せりふ? いいのか、口に出しても?」
「当たり前ですよ。しゃべらなきゃ画面ができませんよ」
「ようし。じゃあいくぞ!」
「みなさん! お静かに、カメリハいきます」
 周囲が静まった。男が斜に構えた。
「こ、ここは、て天下の観光地だあ」
「カット、カット」ディレクターが怒鳴った。
「下手くそ。なんだそのせりふは、まるで素人みたいじゃないか!」
 男が怒った。素人呼ばわりは許せない。
「シロウトになめられてたまるか!」
 と、ディレクターに殴りかかった。スタッフが走る。
 ここで初めてスタッフも観衆もこの三人が仕出し(エキストラ)でないことに気付いた。
 橋の上は大混乱になった。いくら腕力に秀でた三人組とはいえ揺れる橋の上では実力を発揮できない。それでも圧倒的に強かった。
「ヨーコさんを守ろう」
 裕子、ヒロ子、ジュン、エミの四人組が、とっくに自分だけ逃げた溝谷に取り残されて橋桁に掴って成り行きを見守っている女優谷内ゆう子こと森川陽子の周囲に集まった。
「あら、ユッコさんたち。嬉しい!」
 陽子が四人と抱き合って嬉しそうだ。
 陽子自身、多少は空手の心得があるからあまり恐ろしいとも思わないらしい。

3、楽なアルバイトで不労所得

誰でもときには勘違いもある

黒川主任が手を振ると、陽子がそれに気付いて橋の上から手を振った。内藤・石毛の両人も手を振った。
「いいな、あんなきれいな女優と知り合いになってて」と、カズが羨ましそう。
「カズ。ゴン。付いて来い!」
ヤス主任が見物人から当事者にまわった。
「みんな。ヤバイからどいててくれ」
 これがヤス主任の宣戦布告だった。
 陽子達も橋際に戻ったから、揺れる橋の上は三対三になり、直ちに格闘がスタートした。
「監督! 中林監督!」
 プロデューサーが大きくあくびをし、橋の上を見て目を剥いた。ラブシーンが乱闘に変わっている。乱闘よりは乱交がいい。
 それでも、絵になりそうなのは何でも貪欲(どんよく)に採り入れるのが中林流らしく、すぐカメラを見た。
 殴り合いを止める気配はない。
 対岸の松の木に身をくくり付けたカメラ屋が必至でファインダーを覗いている。橋の際のカメラマンなど背を低くしてパンチが入って汗がとび散るところまでアップで撮る。二人共、死人でも出たらライバル局に売ろうと思うから必死になる。しかも、仕事熱心に見える。勝負はゆすり組が不利になった。
 プロデューサーの中林監督が部下を呼び寄せ、小声で指示を出した。こんな迫真のシーンを使わない手はない。ラブシーンなど、どこでも撮れる。
早口に台本に手を入れさせ、立ち上がった。
 彼は大きく手を広げて橋の上に進んだ。
「ストップ。このシーンはここまで!」
 ゆすり組の一人が監督に殴りかかったが、若い頃、少林寺拳法に通っていて練習が辛いから二段で退会した経験を持つ中林、本能的に足が出て、それが思いっきり急所を蹴り上げたからたまらない。男は身を震わしてのた打ちまわり、橋のロープの間から落ちそうになる。
 城ヶ崎での三宅先生吊り橋救出事件を経験しているヤス主任らがす早く対応し、男のズボンや足を押さえたから、男の下半身はだらしなく剥き出しになったが落下寸前に救われた。橋の下は大石がゴロゴロ、絶対に助からない。死ねば……人口が一人減る。
「なんじ、殺すなかれって命令だからな」
 この都一金融三人組、社名に従ったのだ。
「いやあ、ご苦労さん。この続きは、ぜひ今夜も頼みます。あとで、夜に寄ってください。私たちは天城大滝荘に泊まっていますから。ぜひ、あなた方には、臨時の出演をお願いしましょう」
「えっ! オレ達も出られるの?」
 と、下腹部を押さえながらゆすり組が血だらけの顔をほころばさせて起き上がり、またよろけた。
「まあ、筋書きのアウトラインは大至急書いておきますので、とりあえず出演だけは約束してください。出演責任者は、勝ち組みの……」
「カズ。おまえがやれ」と、ヤス主任。
「負け組は、こちらです」
 と、監督がゆすり組を見たから納まらない。
「まあまあ、テレビドラマですから……」
「そうだ。出演できるだけ大満足だ」
 兄貴分らしい一番強そうな男が納得したことで一同、笑顔が戻り、氏名などを書いた。
「さあ、全員、引き上げだ」
 中林監督の一声で材料の撤収が始まった。
 に福原みずえ先生ら教員組は密着して帰る。
 女優谷内ゆう子には、ユッ子達ギャル組やエミリー他ツアー組が取り巻いて山道を行く。
 小池というマネージャーが必死で男だけは離そうとするが、黒川・内藤・石毛のせんべい組に加えて三宅先生も女性軍団に混じって陽子の傍を離れない。カズ達は置き去りだ。
「ギャラは一人一万円ですから」と、中林。
「一万か、ちょっと高いな……」
 ゆすり組三人が、小声で相談してお金を出し合い、三万円をAD(アシスタントディレクター)に渡す。
「これ、何です?」
「出演料だよ。それにこいつの生命も救けられたしな。あの出演責任者に渡してよ」
「あ、お礼ですか? 確かに渡しときます」
 そのお金は、殴られた頬などを、水で冷やしたハンカチで見知らぬ若い女性に手当てして貰っているカズ達にもたらされた。
「あの変な三人組からお礼だそうです。それからギャラは撮影終了後にお支払いします」
 番長、暴走族、チンピラあがりの三人も、ついにタレントで稼ぐ身になったんだ。これも偏(ひとえ)に日陰の身から堅気の金融会社に変身したおかげだ。会社と上司には頭が上がらない。
「あんたたち、どこに泊ってるの?」
 一応元ナンパ少年のカズが、彼らをヒーロー扱いにして手当てをしてくれている三人の女性にやんわりと聞いた。
「私たち、天城大滝荘に泊っています」
「へえ、オレたちと一緒だ。団体で?」
「ええ、私たち日豊自動車の秘書課に勤めていて、退職される方の送別会で来てますの」
「そうか。じゃあ、あとで三一五号室へおいで」
「あ、うれしい。みんなでお邪魔します」
「オイチョ、いや花札でもやろう」
「それ、トランプのこと?」
 こうして三人を確保し、三万円を稼いだ。

 七滝めぐりで一汗かき、さっと一風呂浴びて宴席に着いた若手組はのどが渇いている。
 トレーニングだといいながらムキになって麻雀に打ちこんだ中年組も当然のどがカラカラ。負けがこんだ名取所長など目もまっ赤だ。
 宿の下の河原脇の温泉ですっかりくつろいだ細田、紅、多田、春代ママ、チイママなども汗を出した分水分を要求する。
 カメ部長、ヤマカン次長、タケ課長補佐、サダ・マサ両係長などの金融会社組は、片岡美佐に誘われて慣れないテニスを小一時間。足腰の立たないほど疲れ切ってのどもカラカラ。全員、大きな角盆に密集して汗をかいている茶色の大ビンを横目で見ながら広間に入って来た。
 四十人用の小宴会場の舞台に上がったり腰かけたり、それぞれ好きな人の横に立ったりと苦労しての団体写真のきまり文句すら、
「ハイ、ビール!」と、聞こえたらしい。
 シャッターを切った瞬間、全員の目線が座敷の中央のビールの集団に集中した。
 宴会係の山村チーフに参加して貰って苦心の末に編み出した座席の配置は舞台を上に見て、つぎのように向かい合わせになる。

 宮崎 三宅 佐山 加藤  ミチ子
 橋本 福原 赤木  エミリー ユキ子

 ヒロ子 ジュン カズ サダ マサ ヤマカン
 裕子 エミ ゴン ヤス タケ カメ

 片岡 石毛 細田 多田 紅 中川
 ミカ 黒川 相田 内藤 名取

 これだと、それぞれのグループの慰安旅行という雰囲気も保つことが出来る。ミカを入口と舞台に近い配置にしたのは、敦子とかおりがそのさらに端に座ったときの援軍にと考えたからだ。
 先に食事を終えた敦子とかおりが、全員を計画通りに着席させている。
 どうしても、苦情は出るものだ。まず、名取所長がぼやき出す。
「なんで、ここまで来てこのメンバーで食事せなならんのや」  
 目の前が紅女史、斜め前が多田女史だから無理もない。しかし、誰かが犠牲になるのだ。
「お二人の美しいお嬢さんを目の前にしてお食事できるのですから、お幸せのことと思いますが……」
 敦子がニコやかに切り返したので拍手が沸いた。その拍手の音のきわ立って大きいのはやはり紅・多田両女史のようだ。
「添乗員さん、いいこというすなあ」
 紅女史が大満足の声を出し、席に着いた。
「本日は、お疲れさまでした。
 これからJTP・全日観光共催の東伊豆・箱根ツアーの大宴会を開催いたします。
 宴に先立ちまして乾杯の労をお願いしたいと思いますが、お晝は加藤先生にお願いしましたので……」
 佐山会長が、ビールを注いだグラスを持ち腰を浮かして挨拶の準備をするが、肩すかし。
「夜の部は草加せんべいの中川さま。よろしくお願いします」
 中川部長があわてて立ち上がった。
「みなさん。今日は大いに楽しみましょう。こんなに楽しいツアーに参加できて私は喜びでいっぱいです。今日はツイてます」
 実は、半チャン二回の麻雀で二万点近く浮いているから気分は上々。このままウイニングラン間違いなしと信じ切っている。
「勝つことを信じるとツキも転がりこんで来るものです。
 これから、隠し芸大会でも景品を狙います。みなさまを『アッ』といわせる芸をお見せしたいと思います。みなさま、がんばりましょう。それでは旅の前途を祝福して、乾杯!」
「カンパーイ!」の大合唱でビールの一気飲み。のどに染みる冷たくほろ苦い味が効く。
「旨い!」
 カメ部長が口のまわりに泡を付けて着席し、すぐ空になったコップにビールを注いだ。
「あ、いけねぇ。兄貴は飲んじゃダメだ」
 あわてて隣りのタケ課長補佐が手を出したが遅かった。二杯目もググーッと空になる。
「それでは、みなさま海の幸、山の幸に恵まれた当天城大滝荘自慢の天城料理をご賞味なさりながら、しばらくの間ごゆるりとご歓談ください。頃合いを見てカラオケおよび演芸大会に入りたいと思います。
 なお、どなたか司会をお手伝いいただけませんでしょうか?」
「浅田さんとかおりさんにお任せしまーす」
 多田女史がすっかりご機嫌になっている。

4、浜田の隣人より伝言あり

団体旅行にもそれぞれ事情が

かおりは困惑していた。
 こっそり抜け出して陽子と合流する予定が、何となく出来ない雰囲気になっている。
「それでは、友人の菅原ミカにも手伝ってもらい、三人で司会進行係を務めさせて頂きます」
 やはり、かおりがやる羽目になっていた。
 誰も希望者が出ないならやるしかない。参加者にとっては、これが最良のケースだから全員大拍手だ。
「それでは、ひとまずお食事とご歓談のひとときをお楽しみください」
 かおりと敦子は、しばらくの間、乗務員の溜まり場になっている娯楽室兼用のダイニングルームに戻った。
 浜田は、他社の運転手に挑戦されて将棋盤に向かっていた。それを数人の野次馬が眺めている。浜田は、かおり達の相手をする余裕はなさそうだ。
「この対局終ったら、つぎはオレに任せてくれないかな。なっ、いいだろ。必ずハマさんをやっつけるからよ。打倒全日観光だ」
「とんでもない。駿馬(しゅんま)観光さんはハマさんに一回も勝ったことないだろ。オレにやらせろ」
「でも、オレはまだ五連敗だぞ、あんたなんか二年越しに勝てなくて香(きょう)落ちどころか桂馬落ちだそうじゃないか。日豊観光の恥をさらしてるくせに」
「なにお! じゃあ、一丁やるか!」
「よし。予選をやろうぜ」
 こんな調子で野次馬も勝負に参加する。
 この日は偶然観光バスが五台集まった。
 添乗員、ツアーディレクター、バスガイド、ツアーガイド、ツアーコンダクターと各社さまざまな呼称はあるが、華やかな女性たちが、それぞれ持ち寄った茶菓子と飲みもので、食後の一刻(ひととき)を雑談と情報交換で楽しんでいる。
 情報交換といっても、円のレートが幾らとか、国際状勢と治安の問題とかではない。一番多いのは、それぞれの晝食をどこで何を食べてどうだったか。いい男はいるか、とか。
「あら、カオリさーん」 大歓迎のようだ。
 到着が遅れたのか、離れた位置のテーブルで運転手と差し向かいで二人だけの食事をしているガイドさんもいて、その娘もかおりを見て手を振った。
「宴会の司会やることになっちゃった」
「なーんだ。カオリさん抜きは淋しいな」
「そうそう、さっき食事のときに一緒じゃなかったカヨちゃん。紹介しとくわね。こちら私の学生時代の親友で浅田敦子。JTPのツアコンなんだけど、ついこの間までJTAのスッチーだったの。国際線客室部だった経験を生かして海外担当なんだけど、観光バスが気に入っちゃって自分から志望して二年間、バスの添乗やるんだっ
て……。物好きよね。
 アッコ、こちら駿馬観光の内田カヨさん」
「アッコさんでいいの? よろしく……」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「カヨちゃん。新米だからいろいろ教えてネ」
「私んとこは、寄せ集め団体さんだけど、カヨちゃんとこのお客さんは?」
「それがね。工事関係会社の旅行だって。土木関係の。ほら、電動ドリルで道路を壊したりする……」
「えっ。道路を修理するんじゃないの?」
「すごいのよ。バスの中で一升ビンがどんどん空になって。サイコロでゲームやって勝った負けたで大ゲンカ。そのあとケロッとしてるの……」
「すごい旅行ね。大変なんでしょ」
「とんでもない。すごくラク。何にもガイドしないでテレビでカラオケを流しておくだけでいいの。ガイドしたって誰も聞いてないんだから。それに私には皆さんやさしいの。ドライブインで休む度に、いっぱい買いものしてくれるんで困っちゃったわ」
「なんで?」
「なにかよく分かんないけど、サイコロ遊びで勝った人が、お金じゃわるいからって買うらしいの。なんだかショバ代とか……」
「そんなに沢山?」
「そうなの。もうパッケージボックスもぎゅうぎゅうだし困ってるの。よかったらカオリさんとこの宴会で景品に出しちゃってよ」
「カヨちゃんとこで出せば……」
「荷物が減らないし、怒られちゃうわよ」
「じゃあ、うちのテレカ十枚と交換しよう」
「わるいわね。じゃあ、バスのキーを持って行くから、そっちの人で三人ぐらい力のありそうな人連れて来て……」
「えっ。私たちで持てないの?」
「持てないわよ。そんなんじゃないんだから」
「じゃあ、玄関で待ってるわよ」
 この時点では、まだ、敦子もかおりも自分達のバスも手荷物の収容能力が同じであることに気付いていない。
「じゃあ、私が人集めして来る」
 敦子が宴会場に急いだ。
「いいわね、楽しそうで……」
 日豊観光の添乗員の持田鈴代が、ポツリとかおりに洩らした。
「どうしたのよ? スズちゃんらしくもない」
「うちのバスなんかね。お通夜なのよ」
「どうして?」
「だって、退職者が半分いて、送る側が半分でしょ。バスん中だってね、ヤケ酒とぐちばっかり。カラオケだってね、『別れの一本杉』とか『別れの予感』とか……」
「こっちも大変なの……」
 と、大政製薬に添乗の東開観光のガイド。結婚して一度引退し、人手不足と新人教育に呼び出されて再就職のベテラン女性である。
「会社が臨床実験を手抜きして審査を通した医療用新薬でトラブルが起り、世間を騒がせたお詫びにと、お医者さんを招待したらしいのね」
「お医者さんなんて、すてきじゃない」
「とんでもない。もう、威張りくさって、営業部長なんて呼び捨てされてるのよ。
 オイ、酒井っ。ヘネシーのVSOP持って来い! キャビアはあるか。なんてね」
「へえ、銘柄別に用意してあるの?」
「とんでもない。安物のウィスキーよ。それでグラスに注いで、「ハイ、ヘネシーです」って、カラスミと一緒にね」
「それでいいの?」
「どうせ、酔ってるんだから」
「でも、キャビアとカラスミじゃ、まるで」
「いいのよ、みんな見栄でいってるだけだから。今晩は大変だわ。ここは芸者さんが少ないから三島から呼ぶんだって」
「三島で泊まればいいのにねえ。あっ、そうだ。行かなきゃ。じゃ、また、あとでね」
 急ぎ足の敦子がかおりと鉢合わせしそうになった。
「敦子、どうしたの?」
「いま、フロントに電話が入って、浜田さんに伝言だったの」
「誰から? 何て?」
「隣りの甲田さん。啓太君は輸血するから心配ないって」
「輸血? そういえば、ホテルに着いた時、浜田さんがメモを見て困った顔をしてたのはこれね?」
「あなたにも何も言わないの?」

にさっき」
「それだけ、
ですっていからさっき、さき
運転手の浜田さんに伝言らしいの……」
 敦子の目線の方角を見ると、タケ課長補佐が何か話して、ミミズののたくり字でメモをとっていた。
「どうしたの?」
「お子さんが事故でケガしたらしいのよ」
「誰の?」
「浜田さんのです」
 横にいた平山さんという宿の女性マネージャーが続けた。
「ご到着のときに、浜田さんにはファックスをお渡ししました」
「そう、あの人は私情をはさまないから」
「電話が来たときちょうど、あの進藤さんがいたらしいの。私もびっくりしちゃった」
「……じゃあ、そう伝えておくから……」
 カメ課長補佐が電話を切ろうとする。
 あわてて、かおりが受話器を奪いとった。
「あ、もしもし、私、守口と申します」
「あ、守口カオリさん。ガイドさんの?」
「ハア、どちらさんですか?」
「浜田さんのお隣りの甲田(こうだ)良美(よしみ)といいます。敬太君があなたの写真を持ち出して来て、お父さんが『これパパのアイボーだぞ、美人だろ』っていったって自慢してたの」
「美人だなんて、あなたこそ美人なのに」
 電話の向こうでプッと小さな笑いが入った。声がきれいだからつい連られて世辞が出る。
「私のことなんか、あの人、絶対に言わないわ。あなたのことも敬太君に聞いただけよ」
「その敬太君という子のご容態は?」
「輸血するから大丈夫との伝言を、いま、新藤さんにお願いしたのです」
 電話が切れても明るい声が耳に残った。
 そこへ、ヤス主任とカズと内田カヨが、よろけながら玄関口から荷物を抱えて入って来た。
「あら、本当にいっぱいなのね」
「まだあるのよ、もう一回運ぶから、あなた方も手伝って」
「ヤス、ちょっと……」
 タケ課長補佐がヤス主任を呼び、小声で、
「ヤス。お前、車いじれるか?」
「そりゃあ、元暴走族だからね」
「血液はオレと同じB型だったな」
「だから計画性がないのがそっくりなんだ」
 こんなところで相性占いをやっている。

5、女優谷内ゆう子が宴席に参加

天城の宴は山海の幸でいっぱい

いよいよ宴会が始まった。
 持参したスポンサー寄贈の景品の他に、貰ったばかりの小田原や伊豆の名産土産物が舞台の袖に山と積まれ、弥(いや)が上にもムードは盛り上がり、全員がハッスルする。
 宴会係の山村チーフが宿寄贈の宴会用景品を持ち込んで挨拶したからさらに盛り上がる。
 歌は各チーム共、いや都一金融以外の四チームにはプロ顔負けの歌い手がいる。
 浜南中学は坂本なつえ先生、抜群の歌唱力で「祝い酒」を歌う。
「七つ転んで八つで起きる
 明日の苦労のふたり坂……」
「ウッ」と、カメ部長が目頭を押えた。
 一リュウクラブは、歌が好きで仕事場に遊びに行っているような女性ばかりだから全員手強い。とくに、歌手志望のユキちゃんがいい。お客さんにリクエストを求める余裕もある。
 折角、天城に来たんだからと「天城越え」を所望されて、
「声は、物真似がいいですか、それとも地声がよろしいですか?」
などと、アルコールが入っているから調子もいい。
 物真似でといわれると、要望に応えて科までそっくりさゆり調。当然、小節も効いている。
「戻れなくても もういいの
くらくら燃える 地を這って
あなたと越えたい 天城越え……」
 カメ部長がすすり泣く。泣き上戸だからだ。
 全員がカメ部長に注目する。
 実は、カメ部長が審査委員長なのだ。
 堅焼せんべい組は、相田課長が審査員。
 浜南中学は、佐山会長。
 銀座のクラブは、セイ子チイママ。
 ヤングレディ組は、片岡美佐だった。
 以上五人の審査員が選ばれているが、どうせライバルになりそうもない都一金融を審査委員長にして一票もぎ取ろうと、それぞれ四人が考えて推選したカメ部長。けっして人望があるからではない。
 だから、カメ部長の一挙一動が気になる。
 春代ママとチイママが目を見合せ頷く。
 堅焼せんべい組は歌い手が多い。
 声の大きさでは多田女史だが、歌の味では紅女史。下手だが魅力的なのは細田久美江。本当に下手なのは石毛青年だった。さすがにカメ部長もあきれた様子だった。
 ヤングレディ組は、間中ジュン。モデルだけでなく歌もバイトで学資を稼いでいたから群を抜いているが、ジャズとポップス系だからカラオケだと限定される。
 ジュンが「夢の中へ」を歌う。
 本人も楽しそうだし明るい歌だ。
「夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと 思いませんか
ウフフフー ウフフフー」
 カメ部長が両手で顔を押さえ嗚咽の声を出す。横目でそれを見た一同怪訝な顔をした。
 隣りのタケ課長補佐と、そのまた隣りのヤス主任の姿が見えない。
「そちらのお二人は、どうしたんですか?」
 敦子が気にして尋ねた。
「遊びに出かけたらしい」
 サダ係長も行方を知らないようだ。
「さっき、バスの工具を借りに来たのよ」
 かおりのところにヤス主任が工具を借りに来たので浜田にも断わって工具を貸したのを思い出したのだ。
 そのとき、賑やかに不二テレビのスタッフがハンディカメラ、レフ(反射板)係などお揃いで入って来た。中林プロデューサーも一緒だ。
「あら、谷内ゆう子よ!」
 春代ママが立ち上がって拍手をすると、全員が拍手で迎えた。
 腰を下ろした春代ママに加藤教頭が自慢そうに囁いた。
「わしなんか、いっぱい彼女と話させて貰ったよ」
「えー、私、不二テレビのディレクター松崎といいます。お楽しみのところをお邪魔しましてすみません。ご覧の方もいるかと思いますが、今、連続サスペンスドラマの十一月放映分を撮影中です。
うちの監督、そちらにいる中林プロデューサーですが」
 中林が、カウボーイハットを脱いで挨拶し、また頭に載せた。チョビひげと帽子がトレードマークらしい。
「監督が口ぐせで、つねに真実を映像に、と、いいますので生の宴会風景をそのまま撮影し、ドラマに挿入することにしたもので、申し訳ありませんが、ありのままの宴会風景をそのまま撮らせていただきます」
「でも、私たちのプライバシーが……」
 と、宮崎あすか先生がいいかけたが、松崎ディレクターの、
「なお、みなさまに不二テレビの名入りの電子住所録と、宴会の景品に時差付き時計を持参しました」この一言で彼女の語尾が消えた。
「改めて谷内ゆう子さんを紹介します」
「梅竹映画の谷内ゆう子でございます。只今、ご紹介いただいた司会のカオリと、こちらにいる浅田敦子、そちらに座っている菅原ミカは短大時代の友人で四人でいつも騒いでいます。
 三ヶ月前の西伊豆の旅では、草加せんべいさん、浜南中学さんともご一緒しましたのでみなさん顔なじみになっています。あの折はお世話になりました」
「ゆう子さん、ステキだよ」
 内藤主任が調子いい。
「あら、内藤さんはカオリ一辺倒だったんじゃなかったんですか?」
 内藤主任が困った顔をする。
 松崎ディレクターが台本を見た。
「それでは、男性で歌が下手でもテレビ写りのいい方、浅田敦子さんとデュエットをお願いします。浅田さんは谷内の推薦です。」
 歌は下手でも、では、誰も手を上げない。
「私たちは、ただ座っているだけ?」
「話が違うわよねえ」
 女性が騒がしくなった。
「宴席も充分映ります」 これで静かになる。
「では、声もよくて、男前の方、どうぞ!」
 とたんに元気よく手が上がった。図々しく佐山会長まで大きく手を振りかざしている。
「その中で、デュエット曲のできる人を選ばせていただきます。居酒屋は?」
 五人ほどに減った。敦子のリクエストだ。
「今夜は離さない、はどうですか?」
 三人になる。
「恋をちょうだい、は?」これも三人。
 たまらず佐山会長が口をはさんだ。
「銀座の恋のものがたりはダメかね」
「ダメです」ディレクターは無視する。
「では、別れて…そして、はどうですか?」
 カズが手を上げた。
「どんな歌かね」
 佐山会長が隣りの三宅先生に聞いた。
「北大路欣也と小林幸子のデュエットで、まだ新しい歌です」
「君は知ってるのかね」
「とんでもない、歌えませんよ。難かしくて」
 カズが舞台に出た。
 中林プロデューサーが「おや?」という顔をした。
「キミは、さっきの乱闘現場の?」
 カズが頷ずくと、中林が顔をしかめた。
「キミの出番は今夜。このあと大滝であの続きをやるんだから。ここでカメラに写っちゃまずい。あとの二人と部屋から出てください。あとの二人は? えっ、一人いないって? こりゃ大変だ。すぐ帰って来なけりゃ、構成を変えるしかない。松崎っ。大滝下の乱闘シーンは何時からだ?」
「十時からです」
「九時までに、さっきの三人が揃わなかったら逆にメンバーを増やして大乱闘にしろ」
「ハイ。相手方から先ほど電話がありましてどうしても出演したいというのが全部で五人いるそうですから、五人までは」
「じゃ、こちらの五人も今写っちゃまずいな」
 仕事反対のカメ部長はいい案配に泣き疲れて座ったまま眠っている。丁度、五人だ。
 タケ、ヤス二枚落ちの都一金融、公然と人を殴れるとなれば引き退る筈がない。カメ部長を除いて全員がゾロゾロと広間を出た。
「あのウクレレを傍に置いている人は?」
 監督はさすがに目が早い。三宅先生が舞台に引き上げられ、ウクレレも使うことになった。まだ乾いていないから音色は冴えない。
 敦子とのデュエットで宴は盛り上がり、不二テレビ側も演出の手の入らない生の宴会風景を撮影できた。絶対ヤラセじゃない。
 プロ並みの敦子の歌と、モニターの字幕を読みながら節を付けるだけの三宅先生。その妙な味に主演のゆう子が笑い転げるシーンも一般大衆の宴もとれた。中林監督も大満足で引き上げ、都一金融組が広間に戻って来た。
 宴は再開し、一応顔などが写ってテレビに出演したことで一同満足。大いに燃えた。

6、優勝は紅なお子?

インチキルールに皆アゼン!

それにしても、世の中にこんなにもセコくて情ない宴会芸があったかと、全員に笑われたのが中川部長だった。
 アッといわせる芸だと思うから堅焼せんべい本舗の社員以外は、かなり真剣に見つめる。
 舞台の上に上がった中川部長。
「デワッ! やります」
 エイッとばかりに倒立をした。浴衣がはだけてパンツ丸見え。そのシマシマパンツにマジックで「アッ!」と書いてあった。
 せんべい本舗の部下が恥ずかし気に目を伏せた。それでも笑われただけでもいい。
 加藤教頭のは時間が長い分困った。音吐朗朗、詩吟で川中島合戦記を始めた。こちらは途中で止めたとたん、盛大な拍手があったため、中

断をとり止め再演しようとしてかおりに降壇をすすめられ、また拍手を浴びた。
 こうして、八時半までの二時間は賑わいの中で幕を閉じた。歌は二番までで回転が早かったから出演希望者は全員参加で気分もいい。
「お二人は、どこへ行かれたのでしょう?」
 都一金融の面々は、タケ課長補佐とヤス主任がいなくなっても全然気にも止めていない。
 二の膳付きのご馳走は、すでに仲間の腹の中に納まっている。今帰って来ても何もない。
 先付けは、海老、もろこしなど七品出た。
 前菜は、サーモンの蓮根博多押しに鮎寿し、西瓜のコーヒー漬、沢蟹の南蛮漬など六品。
 造里(ちくり)は、牡丹海老、さざえの館(やかた)盛り、鯵などが続く。新鮮な魚の刺身で量も充分ある。
 焼物は、猪の味噌漬という天城ならではの珍味にセロリのカレー漬、椎茸など五品。

 小菜(こさい)は四品。炊合(たきあわせ)は小茄子や木の芽など。
 油物は小海老、孔雀揚など六品入り。
 酢の物は、青貝、いくらなど六品入り。
 食事が出て、茗荷(みょうが)入り蟹汁、香の物が出てデザートは、ビワとブドウ。しかも巨峰だ。
 これで、不服をいう者はいない。
「どうだ。グーの音も出まい!」
 天城大滝荘の料理を仕切る日比尾板長さんの高笑いが聞こえそうだ。
 都一金融組は、この豪快な料理二人分をさらに五人で食べたから大満足、大満腹だ。

「これで、殴り合いやれば、いい運動になるな」 ヤマカン次長が張り切っている。
 撮影では殴らないのを知らないらしい。
「審査委員長、起きてください」
 中途半端で泣かれるより飲み潰すのが得策とみてサダ、マサ両係長が茶碗酒を飲ませすぎたのが祟ってカメ部長はすでに泥酔状態。
「悲しくなんざねえ」と、泣いて喚く。
「審査は、みなさんにお任せしますよ」
 と、都一金融組は、カメ部長を担いで部屋に帰った。乱闘の打ち合せもある。
 どうせ、演芸大賞には縁がない立場だ。
 中立グループが消えたから四者譲らない。
 それでも、公共工事の入札の如く談合という手がある。多数決よりはるかに民主的だ。

 相田課長が腰を低くして提案する。
「うちは、多田・紅両女史のどちらが特賞でも面子が潰れて片方が納まりません。二人共落選でいいですから、景品だけいっぱいください。

私らで分けます」
 これで、一人脱落した。
 セイ子チイママも方針を変更する。
「ユキちゃんが賞を取ると、ほかの娘がなんとなく……で、相田さん、佐山さん、今度ぜひ、私に指名ということでお店に来てください。ネ

ッ、いいでしょ」
 これで二人が脱落した。
 セイ子チイママは当然、佐山会長に応援する。相田課長は片岡美佐のウインクにくらくらと幻惑された。なにか囁かれたようだ。
「あとで、ネッ」と、いうように聞こえた。
 それで、二対二に分かれ、また揉める。
「こうしましょう」 美佐が決然という。
「全部白紙にして、特賞は、浅田さんと三宅先生のデュエットにしましょう」
 全員不服だったがこれなら誰も傷つかない。
「じゃ、そうしよう」 佐山会長が決断した。
 特賞は、スポンサー寄贈の手の甲サイズの8ミリビデオ。メーカー希望価格十二万円の超豪華商品。カメラのチムラヤでは三万九千八百円

だった。敦子が辞退したから三宅先生に渡った。三宅先生が小踊りして喜ぶ。
「生産限定品ですので部品も保障もありません。大切にお使いください」
 生産限定と生産中止の区別までは知らない。
 準優勝の四人も似たような景品を貰った。
 特別演芸賞数人には時差付の時計が渡った。
 舞台脇に名産の土産物が山と積まれている。
 なかには、小田原梅の樽などもある。生菓子で「本日中にお召し上がり下さい」もある。
 誰かが手を出したとたん?み取りになった。
 たちまち、干物一枚も残らずに消えた。
「それではみなさん。お手許の景品の数をお知らせください」と、かおりが呼びかけた。

「一つも、お手許にない方は?」
 ギャル組の四人と石毛青年が手を上げた。
 デパート開店時のバーゲン売り場と同じだと思うと、見栄もあって参加しずらかった。

「それでは、三品以上お持ちの方は?」
 ほとんどの人が手を上げた。
「五品以上お持ちの方、挙手お願いします」
 少し減ったがそれでもまだ多い。
「八品以上の方は?」
 しぶしぶと多田・紅両女史と名取所長。
「数えていただけますでしょうか……」
 名取所長が八、多田女史が九、紅女史が十ヶの土産物を確保していた。
「ハイ。チャンピオンは紅なお子さんです。みなさん。盛大な拍手をお送りください」

 あきれ果てたのか拍手はまばらだった。
 誰も、こんな競技があると知らされていない。多田女史が口惜しがった。
「優勝の紅さんには、テレカをさし上げます」
 テレカ一枚では不服げだ。
「それでは、みなさん。お気に入りの二品だけをお手許において全部こちらにお戻しください。お部屋に戻られてここにいらっしゃらない方

もいますので、公平に参加賞として」
 群集心理とお酒の上のことでつい醜い争いに参加したことを悔いているのは、一部の人を除いてほぼ全員だったから土産物は戻った。
 この場にいないメンバーにも均等に渡る。
 締めの言葉を加藤教頭が一席語って宴会は幕を閉じた。
「さあ、麻雀だぞ!」
 相田課長がまっ先に広間を出ると、一斉に堅焼せんべい組が続いた。みな千鳥足で荷物を抱えている。どの顔も楽しそうだ。
 とくに、初秋なのにわが世の春を謳歌した三宅先生の足取りは右に左にふらふらと揺れ、まさしく足が宙に浮いている。まるで夢遊病だ。

そして、夢でも見ているように、
「アッコさーん」と、呼び続けている。
 また、恋愛病患者が一人出た。しかも「これは、かなりの重症になる」
 占いギャルユッコのご託宣だ。

7、タケ課長補佐大出血の占い当る

大滝下の穴風呂は奥が深い

河津七滝の内もっとも大きい大滝は、高さ三十メートル、幅七メートル、轟音を響かせて豊富な水量で流れ落ちている。
 その右側は切り立った玄武岩の断崖で、その崖の下に岩穴があり、その中に奥行三十メートルの秘湯穴風呂がある。
 穴風呂の左、滝に近い位置に天城の湧水風呂が露天にあり、すでにエキストラの男女が数人、のぼせないように胸まで出して本番スタートを待っている。
 滝つぼの淵をへだてて川岸の遊歩道の旅館側に、河原の湯が幾つも不規則に並んでいる。
 肩たたきの湯もある。大きな緋鯉が泳いでいる登竜の池もあって、ときどき酔っぱらいが温泉と間違えてまぎれ込み、鯉にドヤされている。
 細く岩段を流れ落ちる滝の下にある霊泉蛇湯にも何人かのサクラが初秋の夜に美しく肌を染めて咲いている。
 女性専用、水車の湯もあるが小屋作りになっている。あちこちの露天風呂に女性の姿はいくらでも見えるのに、専用と知るとノゾキたくなるらしい。男性心理を考えた風呂だ。
 女性専用は、この他にも肌がすべすべと美しくなるという玉の湯もある。女性専用の野天風呂もあり、ここからはループ橋が眺められる。と、なればループ橋からも見える筈だ。
 七滝の滝の名をそれぞれ付けた五右ェ門風呂もある。
 ここには都一金融社員の一部は近寄らない。茹で上がるのが恐い過去があるからだ。

 河原の石ころは尽きねども……である。
 その都一金融組と、他の五人、実は同じ宿に泊まった土木関係の手配師グループだったが、合せて十人が神妙な顔で中林監督の注意を聞いている。
 滝の音に消されるから声が大きくなる。
「こちらの負け組は全員水泳パンツで穴風呂に入っています。パンツ着用ですよ。
 その奥に一人、凶悪犯人が潜んでいるという設定です。犯人は上流で人を殺しています。
 地方新聞の支局長で素人探偵の溝谷裕が恋人の谷内ゆう子と、二人で犯人を発見します。
 負け組のみなさんは犯人の仲間で、犯人を庇うだけでなく、探偵の恋人をあわよくば自分達の宿泊しているこの宿の部屋に連れ込んでみんなで回そうとします」
「エッ、そんなのありっ!」と、喜ぶ。
「ありませんよ。これはあくまで設定ですから……」
「なんじ、犯すなかれ、だ」と、マサ係長。
「それを、宿でくつろいでいた観光客が窓から見つけて、救出に駆けつけ乱闘になるというシーンを撮影します。
 これは、エキストラがいない場合は、探偵と犯人だけの格闘シーンを考えたのですが、やはりドラマはアクションが派手な方が……」
「おっ、派手にやっていいんだね」と、負け組のキャプテンが、すでに三人分のギャラは払い込み済み? で残りの二人分二万円も用意してあるから強気に出る。
「いえ、派手にやるのは浴衣姿に宿の下駄で駆けつけるこちらの勝ち組のみなさんで……」

「じゃあ、ギャラ倍にしたら勝ち組にしてくれるかい?」
「とんでもない。ギャラは倍なんかに出来ません。文句があるなら止めますか?」
「と、とんでもねえ。それでいいや」
「いいですか。カメラを意識しないで、自然な演技を心がけてください。ふだんのように振るまえばそのまま生き生きと写ります。
 せりふも、とくにありません。掛け声などは自然のまま出して結構です。
 一発ぎめのマイクといわれるマイケル・ケインは、デストラップ、国際情報局、ダブルチェイス、ポセイドン・アドベンチャーなどで、監督が『アクション!』と叫ぶと、一回目に最高の演技をしたものです」
 と、見て来たように聞いた話をいう。
「とくに、彼は、ローレンス・オリビエ、リチャード・ウイドマーク、ウッディ・アレン、アンソニー・クイン、ショーン・コネリーなどのライバルと仕事をするときほどハッスルし、いい演技ができたのです」
「よーし、おれはスタロ―ンだ」と、負け組。
「おれは、クリント・イーストウッドだぞ」
「なにを隠そうマーロン・ブランドはオレだ」
 もはや、単なるエキストラではない。燃えるハリウッドAチーム、ビッグ総出演だ。

 勝ち組も対抗上名前が必要になる。
「オレは松方弘樹だ」と、マサ係長。
「いや、マサは体型からみて小倉久寛だ」
「まあいいか、きれいな嫁さん貰ったから」
「草刈正雄だ」「真田広之だ」「松平健だ」
 ゴンまでが「京元政樹だ」などと、およそ似つかわしくない名乗りを上げた。ファンが知ったら石か刃物を投げられる。
 準備、位置ぎめ、カメリハが終った。
 簡単なドライ(リハーサル)が一度行われたがラステス(ラストテスト)も本テスもない。リアクションの効果を最大限に生かすために、いきなり本番となる。
 勝ち組は、大滝の見える三〇一号室の窓際に浴衣姿で集結した。こちらにもカメラ班が詰めかけ中林監督の合図を待っている。
 部屋では、すでにのんびりと秘湯をはしご湯して来たヤングギャルが集まり、テーブルを囲んで裕子のカード占いに注目している。
 元ヤングの女性教員組、麻雀に参加した春代ママ・チイママを除く三人の銀座クラブ組も参加している。テーマは今回の旅だ。
「それでどうなるの?」
 カードを見つめて沈黙した裕子の緊張した表情に、せっかちらしい宮崎あすか先生があせった。
「血が流れます」 裕子が断言した。
 全員が顔色を変えて窓際の男達を見た。
 すでに腕まくりして勇み立っている。
 武者震いしている男もいる。
「進藤さんはどうしたんですか?」
 福原みずえ先生がタケ課長補佐を心配した。
「タケは、ヤスと二人で抜けがけで遊びに行っちゃった」
 ヤマカン次長が吐き捨てるように言った。
「なんの遊びですか?」
「女だろ」
「そんなことありません!」
 気色ばんだ福原先生が裕子に訴える。
「心配だから占って!」
「生年月日は?」
「あんたたち、進藤さんの生年月日、知ってます?」
「昭和三十六年の……たしか十二月一日だ」
 裕子が慎重にタロットカードをシャッフルし、カットして卓上にホロスコープ型に並べ、中央にピシッと一枚のカードをオープンした。
「ザ・フール。愚か者」 裕子が告げる。
「えっ、おろかなの?」と、福原先生。
「これはカードネームです。自分の思いつきで行動し身近な人を危険にさらします。今、天中殺年の逆境のまっただ中で多量の血を流しますが、生命に別状なく……」
「やめて!」
 福原みずえ先生が叫んだ。
「そういえば、あの人が誘ったから私たち海へ出て死にそうになったのよ」
 赤木ひとみ先生が口を尖らせて非難した。
「でも、救けられたじゃないの?」
「えっ。あんたたち。ロープで引き上げたらみんなで楽しく遊んでただけだって……」
「本当は、あの人達に救けて貰ったのよ」
 福原先生がいい、キッとなって窓ぎわを指さした。
「あの人たちが血だらけになるのよ!」
 そのときAD(アシスタント・ディレクター)がトランシーバーを聞いて叫んだ。
「スタンバイOKです。みなさんはカメラの裏側にお願いします」
 女性達が移動する。
 ライトが窓ぎわに照らされ、カズを残して全員が一度、部屋に入る。
「用意。スタート!」 カチンコが鳴る。
「おや、みんな来てみてくれ。女が襲われてる!」 ドヤドヤッと全員が駆け寄る。
「よしっ。助けに行け!」
 ヤマカン次長の一言で全員が部屋を出る。
「OK! 上出来。さあ、下へ降りて、つぎのシーンだ」
「えっ!、オレ瞬(まばた)きしちゃったな」
「ちょっと、右手の位置が……」
「浴衣の衿は、大丈夫かな……」
「大丈夫です、そんなの。早く走って!」
 ADに追い立てられて男達は部屋を出た。

 裕子の占いは当っていた。
 タケ課長補佐は病院のベッドに横たわっていた。
 少し濃い目の赤い血がみるみる彼の腕から流れ出て注射器に吸い上げられる。
「あと一本で四百です」
 タケ課長補佐を看護婦が励ましている。
 その横で、ベッドの脇の丸椅子に座った小柄な女性が頭を下げた。
「お二人には感謝の言葉もありません。優しく激励の言葉を投げかけている。
 隣りには、多量の血を抜かれたヤス主任が消毒用アルコールの染みたガーゼで注射の傷口を押えながら、口を空けて呼吸をしながらその女性、甲田良美の横顔を眺めている。
 タケ課長補佐も見惚れていた。ただの美人ではない。おだやかな優しさがにじみ出ている。苦労を人に見せない気丈さの中に、隣人にも愛を与えることのできる余裕(ゆとり)がある。
 裏街道を歩く男は、一瞬の、ほんの針の先ほどの優しさも見逃さない。その対極にある殺意とか憎悪とかを感じる以上に敏感なのだ。しかし、残念なことに大脳に欠陥があるのか、大切なことは瞬時に忘却するという特技を持つ。だから、刹那(せつな)主義になる。
「あと一発抜いてもいいぜ」
 タケ課長補佐が腕を押え、起き上がりながらニヤリとした。体型からみて強がりではなさそうだ。細身のヤス主任は半分死んでいる。
 白衣を着た医師が部屋に入って来た。
「生きのいい血液が三人で千CCも集まったから坊やはもう大丈夫。足のケガは三針縫って終りだ。骨にも異状はない。打撲だけだ。
 相手のミニバイクもあまり壊れていないし、事故は小さいんだが、切ったところが動脈だったから血が出すぎて心配だったんだよ。それでももうこれだけ血があれば安心だ」
「本当に、もう大丈夫なんですか?」
「ああ、連れて帰ってもいいぐらいだ。まあ、これは冗談だが、二、三日後には帰れる。
 ところで、君達は、あの子供の父親とどういう関係なんだね?」
「私が昔、世話になったんで」
「そう、父親の友人か。いい友達がいてよかったな。表の赤い車で伊豆から? 早いね」
「早かったのは、奴がレーサー並みのテクを持ってたからでさ。おかげで間に合った」
「兄貴がもっと飛ばせってドヤすから……」
「帰りはオレが安全運転してくからな。なにしろ平均時速二百キロ以上じゃ危なくて」
「えっ、時速二百キロ?」 良美が驚いた。
「元警察官のお友だちにもスピード違反をやる人いるのね?」
「えっ、元警察官? 兄貴、いったい全体あいつは誰なんだ?」
 今度は、ヤスが驚ろくからタケがあわてた。警察と聞くとヤスは肌毛が逆立つ。
「万世橋署だったね?」
 タケ課長補佐は浜田にパクられたような記憶が残っている。
「ええ、アパートの管理人さんにそう聞いています」
 良美という娘が応じた。
「やっぱり……」 
 タケ課長補佐が頷いた。
 帰路、ヤス主任がしつこく聞いている。
「まあ、オレの血が兄貴のダチ公の役に立つならいいけど、警察(さつ)だったとは気に入らねえな」
 キーボックスが外され、コードが直結になっている。車はキーなしでも走るのだ。ドアーを閉めても針金と強力なガムテープ、腕力のある男といい工具があればドアは開く。
 もっともキーを付け忘れてロックし、JAFに頼むと、彼らは小道具で十秒で開けるからスゴい。
「それにしても、感じのいい女(すけ)でしたね」
「いいから前見て走れ」
 タケ課長補佐も同感だった。