第三章、西伊豆海岸

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1、エイズにも効く? と、佐山会長
西伊豆最大の土肥温泉

 

「間もなく、西伊豆に入ってまいります。
短い時間のご休憩に、左甚五郎さんの彫物を見学された方もいらっしゃったようですが、あと一時間後のランチタイムを待ちきれず、ドライブインのレストランで、お食事をされていた方がいらっしゃったようですね。
なにを召しあがられましたか?」
「おしかったですよ」
PTA席のご婦人グループを代表して樫山夫人。いくらでも食べられる体型である。
「私は、本来は少食でございますが、つなぎに、わさびをまぶした手打ちそばを、甘味のあるタレで、わかめのわさび漬けの具でいただいたんですが、思わず私は二つもいただいてしまいました」
「お酒の方もいらっしゃったようですね」
「まあ、ほんのすこーしですがね」
上田夫人は、かなりでき上がっている。
一緒に飲んだ堅焼せんべい本舗も賑やかだ。
車は、純金風呂で知られた船原川沿いの船原ホテルを左に見て進み、大曲茶屋先のヘヤピンカーブを過ぎて西伊豆バイパスを通り、船原トンネルをぬけようとしていた。
車内では歌も出はじめて、騒々しい。
「この船原トンネルは、全長1,114メートル。天城湯ヶ島町と土肥町とにまたがる標高七三〇メートルの船原峠の下を通りぬけるように、昭和五十五年に完成したものでございます。地図の上でも一般的にも、船原峠という名の峠でございますが、西伊豆側の人からは今でも土肥峠と呼ばれておりまして、土地や地名に対する父祖伝来のこだわりが、いまもなお、続いていることを感じさせられるのでございます」
トンネルの先の明るい空が大きく近づいて来た。
「お車は、いよいよ、青空のひろがる西伊豆海岸の大海原を一望のもとに見渡すことのできる峠からの下り道にさしかかります。
お車の前方をごらんください。
水平線がくっきりと青い空との境界に一本の長い線を引いております。
そして、今、お車が入ろうとしている駿河湾沿いの町が、西伊豆の表玄関、田方郡土肥町でございます。
土肥は、読んで字の如く土地が肥えています。
トイとは、アイヌ語の豊かな土地という意味からきているそうですが、この豊かな土地である土肥は、戦国時代から、日本有数の金の産地として知られ、江戸時代初期までゴールドラッシュでわき、大変な繁盛ぶりだったそうでございます」
「今でも、金は採れますの?」
と、PTA組から、期待がかった質問。
「ハイ。今、お車が走っているこのつづら折りの山道の右側にある川、この川が土肥山川と申しますが、この先の橋から左に約五百メートルほど入ったところに、清越鉱山という金鉱石の採掘所がございまして、今でも、純度の高い金が得られるそうでございます」
「ちょっと掘っただけでネックレス分ぐらいとれるなら、寄ってもいいわねえ」
「ご希望でしたら、次回ぜひお立ち寄りください。この鉱山で労働して、得た金で、金塊を十キロほど購入されたらいかがでしょうか。
土肥の温泉は、江戸時代に入って、新たな金山の開発を行ったときに湧き出たといわれ、そのときの元湯は、『まぶ湯』と呼ばれ、今も、山裾にある安楽寺というお寺の境内の洞窟にありまして、信仰の対象にもなっているのでございます。
この『まぶ湯』のわきに、お湯かけ地蔵といわれるお地蔵さまが安置され、病気の回復を願ってお湯をかけると、病気が治ると伝えられております」
「どんな病気にいいの?」
「万病に効くといわれています」
「エイズには?」
質問の主が佐山会長、まじめな表情だけに、なんとなく違和感があっておかしい。
江戸時代からのお地蔵さんですから、近代病にはあまりアイソがよくないかも知れませんが・・・神経痛、婦人病などにいいそうです。
お湯かけ地蔵の、その奥には、女性自身の形そっくりのご神体をお祀りした夫婦神社がございます」
「見たいなあ」
つい浅ましくも本音が出た内藤主任に、女性陣の軽蔑の視線が集中した。やはり、正直者は損をする。
「夫婦円満、子宝に霊験あらたかといいます。このお湯かけ地蔵で知られる『まぶ湯』のおかげで、土肥温泉は『病なおしの湯』として有名になったのでございます。ここ土肥には、ホテル、旅館、民宿を合わせますと百五十軒以上のお宿がございまして、西伊豆最大の温泉郷になっております。海と山に囲まれた西伊豆の温泉郷は、素朴なたたずまいのまま発展していますので、山の幸に恵まれ、温暖な気候とともに、一年を通じて、観光客がおとずれているということです。西伊豆一といわれます土肥海水浴場は、松の美しさで知られる松原公園に続いて広がり、七月一日が海開きとなります。例年、気の早い人達もいますので、今日の土曜日が晴れたことでどれだけ人が集まりますか、海水浴場関係のお仕事の方にとっては、今年一年の景気を占う大切な週末になるとも思われます」
車内には、軽快なサウンドが流れているが、狭い国道136号線で土肥の町を抜けるには軽快とはいかない。
しかし、進行右手、窓から眺める駿河湾のおだやかな海は、緑いっぱいの丘陵、蒼い空、わがもの顔に舞うトンビ、航跡を引いて海上を滑る船などを背景に、素晴らしい光景だ。
建物の切れ間から、海岸が見える。肌寒い波打ち際を、これ見よがしにハイレグの女性が数人、白い波頭がなぎさに散る西伊豆の蒼い海をバックに、さっそうとかっ歩している。
堅焼せんべい男性群が、腰を浮かせて、車窓越しに、その眺望を楽しみ、歓声を上げた。
白昼の陽ざしがかなり強くなっているのか、何人かの男女が腰あたりまで海に浸っている。
「まだ寒いんじゃない」と、女性の声。
民宿、土産物店が視界を遮った。
「チェッ、家が邪魔だ」
本音を口に出した黒川ノラ主任、たちまち、それに気付いたPTAのオバさんたちにじっと睨まれて、あわてて言葉を足した。
「少しぐらい寒くても、明日は、ぜひ、海水浴したいな。急に、オレ、海が好きになって来た」
それを耳にしたかおりがピシャリ、
「先ほど申し上げました通り、今回のツアーには海水浴の予定がございません」

2、加山青年、金にこだわる
古の栄華をしのぶ土肥金山

土肥の町を、車はやや渋滞気味で進んだ。
「みなさま、ふたたび、金のお話しに戻りますが、金山といいますと、佐渡の金山をイメージされる方もいらっしゃることと思います。
佐渡は流刑の地とされ、鉱山の人手不足の折には、無宿者というだけで何の罪もない男衆が強制的に狩り出されて、酷寒の異郷で生命を落とすという悲劇が伝えられています。
それに反して、ここ西伊豆の土肥周辺の土肥金山、天正金山、清越鉱山などでは自分一代で財を成した若者の話や、小さな両替商から豪商にのし上った人、鉱山で働いたお金で遊女屋で遊び、一念発起して遊女屋を経営して成功した男の話、恋のロマンスも数多く生まれたといわれ、海の幸、山の幸、開山とほぼ同時期に発掘された
温泉の恩恵と温暖の気候にも恵まれて、悲惨な話より、豊かな暮らしぶりにスポットが当てられていたようでございます」
「せんべい作りよりいいかな?」
加山青年がすっ頓狂な声を出したので、車内に笑いが渦巻いた。
「土肥の海に沈む夕陽は、金山の影響を受けてか、特に黄金色の輝きが強いといわれまして、緑濃い島を黒いシルエットに変えたとき、ひときわ夕陽が映えるのでございます。
場所によっては、駿河湾をはさんで富士山の姿を墨絵にした美しい夕景を見ることができ、いつまでもその美しさが心に残るのです。
土肥町の指定史跡の一つに、土肥金山跡の資料館『黄金の館』があります。
土肥千軒と称され、隆盛をきわめた当時の町並の模型をはじめ、こちらで産出した金を江戸や駿府へ運搬するための千石船、またの名を弁財船の八分の一サイズの精巧な建造船なども展示されています。
坑道の中での採掘現場も、等身大のふんどし姿の人形などを用いて再現しております」
「勝手に掘ってもいいの?」
加山青年が勢い込む。
「いいえ、こちらでは掘れません。
この先、土肥港バス停前左にある『龕付天正金鉱』は、入場料六百円で手掘りの体験ができます」
「採れますか?」
「それは、お客様の腕次第、運次第です」
「採れたてのを安く売ってくれませんかね」
「土肥金山資料館でも、金鉱石、金加工品なども展示販売していますが、とくにお安いかどうかは存じません。
土肥金山は昭和四十年に閉山となっておりますが、それまでに産出した量は、金四十トン、銀四百トンといわれております。
ところで、土肥金山の坑道の長さを全部加えますと、どのぐらいになると思いますか。
ちなみに深さは海抜百九十メートルでございます」
「二千メートル」と、小山圭介君が叫んだ。
「残念でした。二キロよりは長いはずです」
「じゃあ二十キロ」と、渋沢青年。
「いいえ」
「それなら、三十キロ」と、樫山夫人。
「ちょっとお待ちください。
今、樫山さまが三十キロといいましたが、これも残念ですが、外れです。
これから私が、十キロ単位で申し上げますので、挙手を願います。正解の方にはテレホンカードを差し上げます。圭介君も、樫山さま、渋沢さまも、もう一度ご参加ください。
では四十キロ。四人ですね。
五十キロ。えーと、九人ですか。
それでは六十キロ。八人ですね。
七十キロ。随分と長くなりましたが、四人。
八十キロ。お二人?川辺さまお二人だけ。
九十キロ。お一人、加藤先生。
百キロ。これもお一人、加山さまですね。
百十キロ。いませんか?
百二十キロ。三人さま。音楽グループの方。
正解は約百キロメートルです。
おめでとうございます。加山さまが正解です」
「うれしいなあ。賞品はテレかより、本物の金がいいなあ」
「先輩、二つ持ってるじゃないですか」
石毛青年がいい、頭をコツンと叩かれた。
「ハイ。全日観光のテレホンカードですみません。実は、土肥金山売店では、純金の金箔テレカも販売しているのです」
「えっ、いくら?」と、加山青年、金にこだわりがあるのか。そういえばシャツの下にチラチラと金のネックレスが光っていて、口を開くと歯がチカチカ、時計も、金メッキらしい。
「金箔テレカは、五〇度で千五百円。ついでに申し上げますと、金粉グッズが人気があるそうです。
素朴でおだやかな西伊豆土肥の町、波の荒さを感じさせない雄大な駿河湾を目にしながら、お車は、八木沢にと向かいます」

 

3、恋人岬で願いは叶うか

カモの民宿、ネギを待つ

 

「西伊豆の旅の大きな特長は、山がいっぱいに迫った海沿いの道が、曲りくねって続くことで、新緑の季節から海水浴客で混み合う前の海の美しい今頃までが最高の観光シーズンになります。
お車は、八木沢の集落を過ぎましたが、海水浴シーズンに入りますと、漁業と農業の町八木沢も一転して、海水浴場の町と早替りし、ごくふつうの民家が経営する民宿なども、休日前は予約客でいっぱいになる盛況、これが今までの夏の例でございます。
八木沢には、最近になって脚光を浴びている名所がございます。
地元、妙蔵寺のご住職は、第二次大戦終結直後から、戦火の跡も生々しい南方各地を命がけで巡礼しまして、ビルマ各地から南方の島々、フィリピンに至るまでの戦死者の霊を供養し、その慰霊品の一部を持ち帰りまして、慰霊塔を建てました。
世界平和パゴダ慰霊塔と名付けられましたこの塔を訪れ、英霊のご冥福を祈られる方も年々増えているそうでございます。
みなさま。お車の右手、海に突き出た岩だらけの丘をごらんください。
岩が砕け散っているあの丘です。
駿河湾を通して、もっとも美しい富士が眺められるということから富士見台と名付けられているところでございます。
この辺りから、ご覧の通り、海はかなり下の方に見えるようになり、その分、すばらしい景色が続きます。
この富士見台には、昭和十年に旅の僧侶によって、松の木の切り株に彫られた観音像がございます。
今では、松食い虫の被害から守るために、樹脂加工が施され、保存されているのでございます」
「ガイドさん」
遠慮がちに川辺青年が呼びかけた。
「ハイ、何でしょう」
「この辺りに、恋人証明をしてくれるところがあると聞いたんですが・・・」
「ございます。この右手の駐車場から、遊歩道を約十分ほど歩きますと、岬の先端に出ます。そこに、ラブコールベルという鐘がありまして、その鐘を三回鳴らすと願いが叶い、恋愛から結婚へと進むのでございます。
すぐ近くに事務局がありまして、恋人宣言証明書を無料で発行してくれます」
「そこには立ち寄れませんか?」
「まことに申し訳ありませんが、本日は予定がありませんので、ぜひ、またの機会にお二人でいらしてみてください。
なお、その前にこの国道左側にすぐ見えます達磨寺にお寄りになりますと、より効果的です。本堂内の、高さ五メートルの眼光鋭い達磨大師像が願いを叶えてくれるのです」
「それで、ガイドさんは、そこに参拝しました?」
「ええ、しました。恋人岬で鐘も鳴らしました」
「どうなりました?大願成就ですか?」
「いいえ。まだ、恋人も出来ません」
「そうですか、全然ですか?」
「でも、片思いですから50%は確保してます」
「はあ?」と川辺青年、しばし沈黙して、
「私たち、寄らなくても結構です」
「お車も、ただ今、通過してしまいました」
「ガイドさん」
今度は中田裕子が口を挟む。
「ハイ、何でしょう」
「きっと、その片思いは、いつか実ります」
「ありがとう。慰めでもとても嬉しいわ」
「慰めなんかじゃありません。顔に出てるんです」
「嬉しい。実は、私も信じてるんです。だって、恋人岬の効果で約二千組も結婚してるんだそうですから」
バスは曲りくねった国道136号線を、少し風が出て、波が荒くなった海景色を右手に見て、快適に走っている。
「富士見台からのゆるやかな斜面を、今、お車は、宇久須湾沿いに下っています。
こちら宇久須は、カーネーションを中心とした花の栽培で有名でございます。
今では、旧宇久須村と、南隣りの旧安良里村が合併して、賀茂郡賀茂村となっておりまして、ガラス、陶磁器、あるいは耐火煉瓦の原料の硅石の産地として日本一の鉱山もございます。
宇久須は、牛の飼育も盛んで、丘陵地帯には、果実類、田園地帯では稲作も盛んです。
海岸には温泉が湧き、そのお湯を上手に利用した宇久須温泉は、よく体が温まる上に、神経痛、リュウマチ、胃腸病、切り傷、腰痛などに効くとのことでございます。
現在では、三軒の旅館のほか、沢山の民宿がございます」
「そこでカモを待ってるのかな」
「いいえ、ここが賀茂ですから、お客さんがネギにあたるのでございます。
今晩は、麻雀だそうですが、どなたがネギになりそうですか?」
内藤主任、急にイキイキとして、
「そりゃあ、まず石毛、おまえだな」
「いいえ、今日はコンディション、バッチシですから、負けませんよ」
「おまえな、勝負ごとってえのは一応、先輩勝ちっていうのがあってだな、自然に、遠慮っていうのが出るのに、おまえにはまるっきりそれがないな」
「それは違うでしょ。昔の親分っていうのは、自分が負けて、子分にそれとなくお小遣いを渡すしきたりがあったそうですよ」
「そんな大昔の話、聞いたことないな、オレ」
ちょっとした二枚目の石毛君、後輩といえども動じる風がない。同期の渋沢青年に向って、大きな声で、
「なあ渋やん、給料の低い分、今晩ガッポリと先輩から稼がせて貰おうよな」
「当然だよ。ここまで来てカモはご免だから」
内藤主任、かなり本気でムキになって、
「近ごろの若い衆は、コトバづかいもろくすっぽ知らねえようだけど、遊びでも手カゲンを知らねえからね。気になるんだよ、オレ」
それを聞きとがめたのか、小山家の長男で小学五年生の圭介君、
「オジさんも気をつけた方がいいよ」
「なんだガキ。いや、少年、オジさんとは何だ。まだ二十五だってさっき教えたろ」
「えっ、オジさん二十五?ホント、ボク、ぜったい三十過ぎだと思うな」
それで内藤主任、がっくり腰くだけ。これでハコテン間違いなし。渋沢青年は、ネギにならなくて済みそうな気配濃厚である。

 

4、西伊豆の景観も空腹には勝てず

昼間も美しい黄金崎(こがねざき)

 

バスは、エメラルド色の海と、カーブをする度に景色が変化する岩場を眼下に、牛越神社を右に見て黄金崎公園入口の交差点を通過した。
「右手前方をごらんください。宇久須からこのように大きく右にカーブして、西伊豆を代表する景勝の地、黄金崎に近づいております。黄金崎は、夕陽が射しますと、この辺一帯の岩盤を成す安山岩が風化して黄褐色になった岩肌が、黄金色に輝くのでございます。夕陽を浴びて黄金色に輝く断崖の美しさは、息をのむほど、あるいは、時を忘れるほど美しいものでございます。この辺りの海は波が荒いため、難破する船も多く、船の墓場ともいわれ、船が来ることができないという意味から『不来が坂(こずがさか)』ともいわれておりました」
「越すが坂なら越えるはずだけど」
ノラ黒川主任を無視して、かおりが続ける。
「なお、黄金崎の石碑には、故三島由紀夫の小説の一部が刻まれております。ただ今通過しました黄金崎トンネルは、昭和五十一年に、当時のお金で十三億円以上もの費用をかけて完成したもので、全長九百メートル余り。宇久須から、ここ安良里の間二.八キロを約半分に短縮。時間にしたら約五分の一になったのです。安良里港は、マグロの遠洋漁業の拠点として、あるいは、ハマチの養殖業の拠点としても知られますが、この純漁村集落の名を高めましたのは、安良里独特のイルカ漁だったのでございます。
以前は、湾内にイルカの群れを追いこみ、網を縮めて入口をふさぎ、とび跳ねるイルカを棍棒で叩いて仕留める、という漁の原点を見るような壮観な光景が見られたのでございますが、今は、動物保護の名のもとに中止され、イルカ漁は見ることができません」
「ここは、お不動さんでも有名でしょ」
PTA席から声が出る。
「ハイ、お不動さまもございます。大聖寺という、山ぎわの石段を登った山の上のお寺の敷地内に建てられております。
京都に住む文覚上人とおっしゃる格の高いお坊さまが、伊豆の韮山に流罪になっていたところの源頼朝に挙兵の決意を促すために、頼朝の父義朝の遺骨を抱いて下って来ました。途中、平家の目を逃れて海路をとったところ、暴風雨にあい、遭難してしまったのです。舟は木の葉のようにゆれ、舵は流され、帆柱は折れ、もはやこれまでというとき、文覚上人は持っていたお不動さまを舟の先に置き、お経を唱えはじめますと、はげしい風もピタリと止みまして、舟は無事に、ここからほど近い八木沢という村に流れつきました。ご上人は、その後、陸路を韮山に向かいまして、無事、頼朝に会って、挙兵をすすめたのです。安良里の漁民は、そのご利益にあやかりたいと願い、その持仏不動明王をゆずり受け、大切にお祀りしました」
と、ここでかおりは一息入れてから続けた。
「このお不動さまは、右手に剣を持ち、波を切る姿をあらわしているところから、その別名を波切り不動とも呼ばれております。文覚上人は、もともとは武士でしたが、自分の小さなミスが原因で、誤って人をあやめ、出家したという話が伝わっております。文覚上人の足跡は、ここ安良里の大聖寺だけではなく、これから向かう松崎の地にも、あるいは堂ヶ島にも似たようなお話が伝わっています。さらに、松崎の円通寺というお寺は、文覚上人が開いたお寺ともいわれ、さらに、ご上人は京都に帰ってからは、神護寺というお寺を復興していることでも知られているのでございます」
車は快適に、山の迫った海岸線の、曲りくねった絶景の地を走り続ける。
人家のある集落を抜けると、しばらくは、岩肌に砕け散る波、航跡を曳いて滑るように走る漁船、緑に包まれた島、緑のない岩礁、青い空に舞うかもめ、山側から滑空するトンビ、小さく群れるカラス、それらが車窓の外に過ぎて行く。
「お車は、安良里のトンネルを抜け、西伊豆町大田子地区にと入ってまいりました。この大田子は、西伊豆を代表する花の産地でございまして、右手海側に半島のようにつき出た、標高三百メートルの今山の南側、西伊豆町側の斜面では、マーガレットの栽培がとくに盛んでございます。この大田子地区は、今山のマーガレットのほかにも、バラ、アイリス、キンギョソウ、ストックなど、春には、あらゆるところが花一面に彩られ、まことに見事な、美しい眺めになります。マーガレットは、日本一多い生産地が、南伊豆町波勝崎にあるマーガレットライン入口に近い伊浜の集落でございますが、西伊豆町もまた、それに劣らないほどのマーガレットの産地になりつつあるそうでございます」
「花はどうも。お昼はまだですか?」
と、黒川主任。その名の通り、浅黒く精悍に見える割には、弱音を吐く。
「そうですね。このおいしい西伊豆の空気の中を走りますと、とくにお腹が空くように感じられますね。
予定では、旧国道を走り、カツオの水揚げ東海一という、田子節で知られるカツオブシの産地でもある田子の港に立ち寄るはずでございましたが、そのルートをカットしまして、田子バイパスを堂ヶ島に抜けてまいります」
そこで、かおりが口調を変えた。
「田子の浦ゆ 打ち出てみればま白にぞ、富士の高嶺に 雪は降りける、これは万葉集の中の、山部赤人の歌でございますね。一般には、富士市南部の田子ノ浦といわれますが、こちらであるという説もあります。それほど美しい田子の港には、年間約三百万尾ものカツオが揚がるそうです。春から夏にかけての海岸沿いは、見渡す限りのカツオが、太陽の光の下に干され、なかなかの眺めでございます。とれたてのカツオをタタキにして、わさび醤油でいただきますと、口の中でとろけるようなお味が・・・」
「ストップ! それ以上言われると腹の虫が泣いて」
内藤主任が思わずゴクリとつばをのむ。
「わかりました。とりあえず、干ものやワカメ、ヒジキなどの生産がとくに盛んであることをレポートしたところで、これから、まっすぐ堂ヶ島に向かいます」
天城山脈の山地が海岸ぎりぎりにまで迫っている、と、いうよりは、天城山脈が海につき出て、そこに道を通したような田子バイパスを、運転手も空腹になったのか、快適なスピードで走りぬけて行く。
田子バイパスには、五つのトンネルがある。
大田子、田子、平野、平羽根、浮島と五つのトンネルの合い間に、初夏のさわやかな海辺の景勝が続き、バスの中からは、その都度感嘆の声が湧いた。
クーラーの効いた車内の空気は、空調が効いているらしく、窓は開かなくても新鮮な海の香りにとって代わられている。
しかも、潮風特有のベたつきも感じられなくさわやかで快かった。
バスは堂ヶ島地区に入った。
「お車は、伊豆半島を代表する西伊豆の景勝の地、堂ヶ島へと入ってまいりました。
この右側は、最近になって脚光を浴び人気の高い浮島海岸でして、潮の満ち干ごとに美しさが変化する名所でございます」
「お腹がすいたよう」と、内藤主任が叫んだ。
「あと数分で、お待ちかねのお昼の食事処、堂ヶ島海岸ホテルに着きます」
かおり本人も、かなり空腹になっている。
「前方右に、寄りそうように並ぶ三つの島は、象島、中島、高島といいますが、この三つの島を合わせて、三四郎島と申します。三四郎というのは人の名で、伊豆の三四郎と言う源氏の若い武将の名でございます。三四郎は、平家の討手の目を逃れて、あの中島にひそみ、源氏再興のときを待っておりました」
一息おいて続ける。
「その時がやって来ました。西暦1180年になり、源氏の直系、源頼朝は決意を固めて、各地に潜む武将達への密書を送りました。三四郎への密書は、土地の豪族の許に届けられ、その一人娘で三四郎の恋人でもある小雪が、ひそかに、島に渡ろうとしました。干き潮のときは岸から島まで砂地が小高くなり、砂浜が顔を出して渡れるのです。それは、瀬浜とも呼ばれておりました。小雪は、一刻を争うことですので、両側から波が押し寄せる中を、膝まで海中に没しながら、小高い場所を足で探りながら渡ろうとしたのですが、夕暮れの上げ潮どきで風も強く、ついに中島に届く寸前で波にさらわれてしまったのでございます」
「あら大変!」
上田夫人が、我が事のように心配する。
「その悲鳴を聞きつけた三四郎が、海中におどり込んで小雪を救けましたが、小雪は海水をのみすぎたのか、三四郎に抱えられたとき懐中を手で押え、密書のありかを知らせたまま、満足そうに息絶えた、と伝えられます。悲しい恋物語を秘めるこの島に、男女二人が一緒に渡ると必ず結ばれるそうで、この美しい島を眺めながら昼食となります」
「ああ、よかった」
これは複数の声だが、全員の心境を伝えている。
「なお、昼食後は、ホテルのすぐ南側にある国の天然記念物、天窓洞めぐりをいたします。ご休憩は、一時間四十分ほど時間をとりまして、一時半出発とさせていただきます。
なお、三四郎島への渡渉は・・・」
かおりは、運転手のすぐ前まで顔を出し、観光協会の設置した干潮時刻表を見た。
「本日の最大干潮時刻は、午前十一時二分ですから、前後一時間以内として、あと十二分ほどで一応島への往来は禁止となります。
それでは、お車が駐車場に停まるまで、そのまま座席に腰掛けてお待ちください」
道路右下の海辺に白亜の堂ヶ島海岸ホテルが建っている。
かおりが、道路に立ち、下田方面から走って来た車を、白い手袋をはめた手を高く上げて停め、軽く会釈し、断続的に笛を吹き、大きくUターンする形で坂を降りるバスを誘導した。
「腹へりへりへり」と渋沢がいうと、
「めし、食ったかあ」と石毛。
「グーが大きい」と黒川がお腹を押えた。
「ユッコ、なにか面白いこと起りそう?」
と、降りる支度をしながらエミが聞く。
「私のカンだと事件ありよ」と、裕子が答えた。
「えっ、どんなこと?」
「生命に別条ないし、ケガ人も出ないかな」
「でも、そういわれると、気になるんだよなあ」
「気にしたって仕方がないのよ。フッと感じて、それを口に出したら、そうなったって場合もあるけど、口に出さなくっても、そうなるんだから」
「どんなことが起きるのよ」
「海よ。海に来てるんだから、当然、海がからむのよ」
「海がどうなるの?聖書の世界みたいに、海が開くとか?」
「さっき、ガイドさんがいったでしょ。ここは海が開いて砂浜を渡れるって。それがどうも関係しているみたいよ」
「なにもないといいけどね」
二人は、急ぎ足で仲間を追って、レストランのある海側の三階建てのホテルの別棟に入って行った。

 

5、三四郎島を眺めて待望の昼食

                        堂ヶ島名所、瀬浜海岸

 

レストランでは、すでに予約の席になだれ込んだ一同が、勝手に飲み物などを注文している。
加藤教頭がさっさと立ち上がって挨拶を始めた。
「それでは、本日のツアーで最長老の私が、乾杯の音頭をとらせていただきます。私はたまたま、中学校の教頭などをしていますが、校長になろうなどという野心は全くありません。むしろ、今のままでのんびりとPTAの役員さんと一緒に旅行などを楽しめる雰囲気を持ち続けたいと思います。今日ご一緒のみなさまとも、仲良く楽しく二日間を過ごしましょう」
「挨拶が長すぎますぞ」
立ち上がった佐山会長がグラスを持ち上げて叫んだ。
「それでは、楽しい旅とみなさまの健康を祝して、乾杯!」
全員の乾杯の唱和と共に、冷えたビールまたはジュースなどがのど許を通過すると、もう全員、食欲を満たしにかかった。
「おっ、カツオのタタキだ!」
好物なのか、黒川ノラ主任、本場のわさびは効き目も強いというのを忘れていたのか、たっぷりとカツオの身に付け、一気に口に入れた。
「アチチ―」と、目を白黒、涙ぐんで、ビールを一気に飲み干した。
スペシャル定食ということだが、なかなかのデラックス版である。
刺身の盛り合わせが各自に一皿。甘えび三尾、カツオ、ハマチ、マグロにイカ、アワビに添えものが付いている。
それにブリの照り焼き、小鮎の塩焼き一尾。野菜の和えものは、山ウドなどに伊豆名産の山菜入り。酢味噌がなかなかの味である。
くらげの酢のものもちょっぴりだが付いた。茶碗蒸しがあって、蓋を開けるとかすかだが松茸の香りがしただけでも上出来。
決定打は、塩に含ませたアルコールの炎でぐつぐつと煮えている鍋物。海の幸、山の幸がいっぱい。赤出しの味噌汁と真っ白なご飯に香の物。もう、大満足ものである。
その上にビール一人一本。ビールなしの人はオレンジジュース。あとは別注文になる。
「ビール六本!」
早くも堅焼せんべい組。ピッチを上げている。
すかさず、負けじとばかりにPTA女性群、
「お願いしまーす。ご飯のお替り!」
ウェイトレスが心得たように、かなり大き目の御櫃を、さすがに接客業、ためらわずに樫山夫人の前に運んだ。
「これ、ヒトメボレよ!美味しいわね」
樫山夫人が三膳目をお替りしている。たしかドライブイン「左」でも、わさびそば二杯をやっつけて来たはずだが、もしかしたら、忘れているのかも知れない。こんな調子で米の種類など正確に言えるのも疑わしい。
副会長の出川夫人は、副会長に選ばれたお礼をこの機会にとばかり、各自のビールをそれぞれのグラスに注ぎ足しながら、他に誉めるところが無いからなのか、食べっぷり飲みっぷりなどを煽てまくっている。
おかげで、とばっちりは佐山会長にとぶ。
「会長、ビールをあと五本!」と、出川夫人。
それでも、佐山会長は、この程度で点数稼げればお安いご用とばかり、喜々としてオーダーコール。
それにしても、よく食べよく飲むからよく肥る。その代表が、樫山、出川両夫人なのだ。
長谷部夫人はというと、テーブル一つ隔てて、後輩と一緒に食事をしている夫の前に、佐山会長自腹差し入れのビールを二本。いくらかでも家計の足しになるから賢い。
しかし、こちらはビールどころではない。なにしろ、斉藤に次いで藤井まで首筋を痛めただけでなく二人揃って食欲も失っている。
二人共、先輩の長谷部がビールを注ごうとしているのにポーとしていて気が付かない。空ろな表情で陽子の横顔を眺め溜息ばかりついている。陽子は慣れているから気にもしない。
長谷部がビール瓶を持ったままなのを見て、同じテーブルの内藤主任、気軽にグラスをさし出した。ビールは注がれたが大半は零れた。
ギャル四人組はというと、陽子達適齢期組にべったり。同じテーブルに陣取って、女優の心得、スチューワーデスの受験の秘訣、秘書のコツなどについてレクチャーを受けようと質問をするが、失敗談ばかりで参考にならない。
「それでね、それからキスシーンに移ったの。そしたら、相手のその男優さんったら、前の晩に焼肉屋に行ったんだって。もうニンニク臭くて、我慢できなかったわ。
本人も、牛乳沢山飲んだり、歯を磨いたり、仁丹を大量に口に入れたりしてベストをつくしたっていうんだけど、NG続きで参っちゃったわ。全部、私のせいになっちゃって」
「あの、『イキさわやかあっ』てのじゃダメ?」
「少しは良くなったかもね」
「スチュワーデスの試験って難しいんでしょ」
「面七筆三といって、面接が70パーセントぐらいのウェイトを占めていて、この傾向は年々高くなりそうなのね。だから、面接で好感を持たれるイメージトレーニングをしておくのよ」
「どんなテスト?」
「面接の方式は、集団面接、テレホンインタビュー、グループディスカッション、テーマカード方式などになるけど、テレホンインタビューは声だけだから、顔で勝負って訳にはいかないのよ」
「あら、わたし不利だ」と、エミが断言。
「私は有利かな」と、声もいいジュン。
「でも、声がきれいなだけじゃダメなのよ。声の明瞭度、応答の的確度、敬語の使い方などが試されるの」
「じゃあダメだ」と二人、異口同音だった。
「秘書って格好いいなあ」と、ヒロ子がいう。
「OLで一番雑用の多い仕事よ」と、ミカ。
佐々木氏カップルはというと、黙々と飲み、黙々と食べ、窓の外の青い空、青い海を眺めている。
「あなた、そろそろはっきりさせてよ」
こちらは女性が結論を迫っている。
加藤教頭と佐山会長は、大勢の女性群に囲まれて一見、モテているように見えるが、あまり相手にされていないご様子。
PTA女性軍団は、ギャル&OL組みに無視されている堅焼せんべいグループの吸収合併に成功したのである。
和気あいあい、というより、一方的且つ高圧的態度の主婦連の海千山千パワーには、熟女対策未経験の若者では所詮抗すべくもない。
「遊んであげないわよ」的態度を示されると、交流の拠り所がないだけに、たちまち白旗を揚げ、尾を振って付いて行くしかないのだ。
「食事が済んだら、一緒に島をバックに写真撮りましょうね」
「ハ、ハイ」と、加山がカメラを用意する。
ウェイトレスの一人がちらちらと陽子を気にしていたが、確信を持ったらしく仲間に、
「あの人、やっぱり谷内ゆう子に間違いないわよ。ただねぇ・・・」
「どうしたの?」
「思い出せないのよ。あの周りの若手の女優」
「谷内ゆう子は、梅竹映画でしたっけ?」
「あ、そうか。あの人たち女優の卵なんだ!」
「と、したら、あの中から未来のスターが!」
「そうよ!大女優が生まれるかもよ」
「店長に内緒で、サイン貰っておこう」
「見つかったら叱られるわよ」
「大丈夫よ。こんな時のためにロッカーに色紙置いてあるんだから。将来が楽しみだわ」
川辺青年はもう彼女一人にべったりで、他の人とは無交流、ひたすらご機嫌をとっている。恋人が黒川主任と口をきいただけで、ノラ猫でも見るような眼つきで黒川主任を見る。
「ヨシエさん。今日はいいよネ、ネッ」
と夢中でおねだりしている。
色紙を求めて、ウェイトレスの一人が、店長の目を避けながら、素早くロッカーに走った。
お店の教育からいえば、当然叱られる。
トレイの上にのせ、空いた食器を下げに行くフリをして、ウェイトレスが、陽子とヒロ子の間からさり気なく色紙と筆ペンを置く。
「ご来店の記念にしたいもので、まことに申しわけありませんが、お食事後でけっこうですので、みなさまのサインをお願いします」
「みなさまって、私たち?」
「ハイ、将来を期待しておりますので」
背中越しからの声に驚いたヒロ子が陽子の顔を見た。陽子は知らぬふりで食事中。
「陽子さんなら分かるけど、みなさまにというのがねえ」と、ジュンも首をひねる。
「もしかしたら、ここで食事した人の署名を集めているのかなあ」と裕子がいうと、
「そうか、それに違いないわ」と、ミカも賛同。
「だったら、字の上手な人がいいな」
と、エミが横を向き、PTA組に向かって
「オバさんたちの中に、字の上手な人、いらっしゃいます?」
「あら、あなた、誰に向かってオバさん呼ばわりしてるの?失礼よ。いくつも齢は違わないんだから」と、樫山夫人。齢は大いに違う。
「ご免なさい。いい直します。お姉さま方の中で字の上手なお方、いらっしゃいます?」
「どれ、それに書くの?いいわよ。みんなこちらに貸しなさい。手分けするから」
仕事の合間に、チラチラと視線を走らせていたウェイトレスが、途中で気付いた。
「谷内ゆう子はサイン済んだのかしら?」
「あのオバさんたちも書いてるわ」
「でも、ひょっとしたら」
「そうよ、あの人たちが昔の大女優なのよ」
「でも、そんなに昔の人には見えないけど」
「若づくりよ。女優さんって化けるでしょ」
「店長なら知ってると思うけどな」
「淡谷のり子を知ってるぐらいだからね」
「でも、知らせたら叱られるし」
レストランの窓ぎわの席から下をのぞくと、ちょうど潮が満ち始めているのか、バスを降りたときは島まで続いていた海の底の砂地を、両側から押し寄せる波が部分的に隠している。
ガラス戸越しに潮騒の音、海どりの鳴く声が聞こえて来る。
「あの島へ渡って記念写真撮って来ようか?」
黒川ノラ主任が、ほろ酔い気分で提案した。
「行きましょう」
意外や、賛成したのはPTA組の上田夫人。
周囲が止めるのにも耳を貸さず、二人は出た。
「もうすぐ上げ潮になりますよ」
従業員の一言にも、
「大丈夫、すぐ戻って来るよ。裸足になれば渡れるから」と、手をつないで嬉しそう。
昼食タイムをきっかけに、寄せ集めの団体とは思えないほど、全員の親しささらに増して、会話もはずみ、親近感が強まっていた。
堅焼せんべい本舗の内藤主任は、オレ言葉で気軽に粘り強く誘う。バスの中でのかおりに対する積極的なアプローチ同様、ギャル組の四人にも、敦子、ミカ、陽子にも、ついでにPTAのオバさま族にも精力的に話しかけ、その結果、やはりオバさま達に遊ばれている。
口を閉ざしていればサマになるから、写真向き。
「ごちそうさま」、ぞろぞろと席を立った。
色紙を頼んだ従業員が、乱雑に散らかったテーブル上に置かれた色紙が心配でか、あわてて小走りに来て、往年の大女優と信じて疑わないオバさま達に丁寧に頭を下げた。
「これからもがんばってください」
「ありがとう。食事も美味しかったわよ」
「ありがとうございます。色紙大切にします」
「ハイ、これチップよ」と出川夫人。
「いいえ、それは禁じられておりますので」
従業員がやんわりとお断わりした。
従業員は気付かなかったが、出川夫人の手の平に握られていたのは、たった百円玉一ケ、それだけだった。