第九章、旅の終わりに

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1、麻雀の勝利金、小山家に渡る

                 韮山観光、反射炉と江川邸

 

「お車は、韮山の町に入りました。
温暖な気候に恵まれたここ韮山は、源頼朝の伊豆配流以来、歴史と深い関わりの中で発展してまいりました。
韮山の温泉は、アルカリ性単純泉といいまして、源泉は約六十度。神経痛、リューマチ、疲労回復に卓効があるといわれます。
この先、右側に伊豆長岡駅があります。
その駅からの道と、この国道136号線の交差点を左折し、狩野川を渡りますと、古奈温泉街、観光会館、西淋寺、源氏山公園などがございます。
それより手前、伊豆長岡駅手前のT字路を右折しまして、国の文化財に指定されている反射炉を見学にまいります。
韮山の反射炉は、伊豆の代官江川太郎左衛門が安政二年(1855)に築いた大砲鋳造のための製鉄炉でございます」
伊豆長岡駅手前の踏切を渡って、しばらく走ると、玩具博物館があり、その先に目指す反射炉が、青い空に向かって逞しくそそり立っていた。
柵で囲まれた炉の下から見上げるとレゴを積み重ねたような四角い煙突が連双で二基、合計四本。レゴに見えたのは耐火煉瓦で、千七百度の高温に耐えるとか。煙突の高さは15・6メートル。江戸時代の大砲を鋳造したのは此処だけではないが、現存しているのは韮山の反射炉だけだという。
煙突の横に高さ六メートル、幅五メートルの炉があり、ここで鋳型に流しこむための鉄を溶かしたのだ。
反射炉の周囲には、桜の木が葉を繁らせている。
「桜の花が満開になると、この下で宴会が始まって困るんですよ」
退屈そうに暇つぶしの散歩をしているらしい地元の人と思われる老人が、聞きもしないのに中川部長に話しかけていた。
車は、来た道を戻らずに、反射炉から二キロほど北にある江川邸に向った。
「お車の左側をご覧ください、古びた石碑がございます。今は田園の中に残された小さな史跡公園ですが、ここが源頼朝が、源氏が平家に破れて流され、十四歳から三十四歳までの二十年間を過ごし、平家打倒の旗を掲げた地でもあるのです。
こうして、ここを通る度に、戦国時代の若き武将の悶々として過ごす思いが胸を打つのでございます」
田には青々と早苗が風に揺れていた。
「石碑に近い位置にある萱葺き屋根の建物は、韮山の農家を移築して開設した歴史民族資料館で、江戸の農具、機織り機、囲炉裏、生活用品など貴重な資料が展示されています」
十八世紀中頃の建物というから約百五十年、それでも外見からは堅牢な建物に思われた。
「お車は、このまま走行しながら韮山の歴史を眺め、この後は、沼津のグルメ街道でお買物タイムをとり、帰路につきます。
右手をごらんください。韮山城跡の手前に韮山町立郷土資料館があり、そのお隣が古い歴史を持つ江川邸でございます。
築後約四百五十年、国の重要文化財に指定されております」
頑丈そうで壮大な大名門と武家塀。その内側右に門被りの松の大木があり、さらに右手と裏に孟宗竹の竹林があり、風に揺れている。
「江川家は世襲代官の家柄で、代々、太郎左衛門を襲名、三十六代目の当主江川英竜は、反射炉を造るだけではなく、日本で始めてパンを焼いたともいわれます。
お車は、この先、代官屋敷と山木遺跡を車内から見て、再び国道136号線に戻ります。
なお、この先を東に進みますと、富士見パークウエイに出まして、伊豆スカイラインに合流し熱海峠、箱根峠に出るコースもございます」
車は、伊豆箱根鉄道の韮山駅の北側の踏切りを抜け、国道に出て右折、三島へと向かう。旅もいよいよ終盤を迎えている。
この旅で得たもの失ったもの、人それぞれの思いを乗せてバスは、渋滞気味の三島市内をゆっくりと走っている。
富士山が前方にくっきりと青空に稜線を描いている。その下に雑然とした町並みがある。
ラジオの音楽番組が終ると、飲料水メーカーのCMなどがあり、ニュースに変った。
早くも九州の海岸で水難事故が報じられ、東北自動車道での衝突事故に続いて、下田というアナウンサーの言葉がとび込んできて、思わずうたた寝をしていた内藤主任まで耳をそば立てた。
「今朝早く、静岡県下田市内、漁協近くの岸壁付近で、実弾入りソ連製拳銃と短刀二振りが発見された事件は、所有者の東京都荒川区内の金融会社課長補佐、進藤武夫が三島署に出頭し、銃剣不法所持により逮捕されたことにより解決しましたが、拳銃の入手経路、紛失時の状況等が曖昧なため、背後関係、動機などについて、現在も
引き続き取り調べ中です。なお、進藤の自供によりますと、拳銃の曲射ちで風船割りが上手になるのが目的で、短刀二振りは刃物お手玉の稽古に必要といいます。動機についてはウエスタン村で見た西部劇の二丁拳銃風船割りに憧れ、そのために拳銃を入手したと供述しています。
自首した進藤の身体各部の傷、着衣の破損については、本人が大型の蝙蝠の襲撃によるものと断言しているため、警察でも一応、進藤のいう下腹部の白い大型蝙蝠の目撃者を探すとともに、進藤の精神鑑定を急いでおります」
「バカだねぇ」と、小山家の弟雄介君が、
「風船なんか、針使うんだよね」と、得意顔。
「おかしいわね・・・」と、上田夫人。
「今朝、食堂でご一緒だった人の話だと、よれよれの男たちは三人か四人いたらしいのに」
「ベンツに乗った人?」と、沢木夫人。
「そういえば」と、滅多なことでは口を開かない斉藤青年が隣りの藤井青年に小声で、
「さっき、浄蓮の滝の駐車場の隅で」
「ワサビアイスを食べてた連中だろ」
「三人連れだったな」
「ひどい服装だった」
「人を探してるって言ってたか?」
「ベンツのS-280も、あれだけ傷んでると価値はないな。あれは修理代が大変だぞ」
「ホラ、オレたちが見てる前で出発したけど、駐車場の道路際にあるしゃれたデザインの公衆トイレの角にサイドミラー当てて、曲げたまま走ってったが、運転してるのがふらついてるのか、雪道でハンドルをとられたように蛇行して走って、事故らないかな?」
「道路公団に勤めてると、すぐ事故の心配だ」
「藤井は、自動車屋だから修理代か?」
作曲家の助手はアルバイトなのだ。
帰路のバスは終始一貫して、女性群が大幅に陽気で、男性陣は騒ぎが比較的少ない。
上田夫人が、その疑問に挑んだ。
「佐山会長、元気がありませんね」
「いや、そんなことありませんよ」
というが、やはり元気がない。
「まあ、囲碁はかけていないんですから」
慰め顔の加藤教頭。こちらも浮かない。
「加藤先生は、勝ったんでしょう」
この一言は、佐山会長を傷つけた。囲碁にはゴルフ同様ハンディがある。一方的に勝つというのはハンディが甘いかずるいかだ。
そう思うと、ますます佐山会長面白くない。
「かったのによろこばないんですか?」
と樫山夫人まで加藤教頭を狙い打つ。
「加藤先生は大負けだったんですよ」
と、突然のように、会話の断片を耳にした加山青年が振り向きながら大声を出した。
「バカ!」と、内藤主任が隣りの席で叱る。
「それ、言っちゃいけなかったじゃないか」
「いや、加藤先生はいいんです」
「良くない!」と、加藤教頭が怒鳴った。
余程それまで耐えていたのか。額に青筋が立っている。頭の中の線がプッツンした様子。
「もう我慢ならん。中川君!せんべい屋!」
「どうしたんです?興奮して」と、中川部長。
「囲碁で疲れて、ゆったりと湯船に浸って小唄など嗜んでいたのに、メンツが足りないからと教育者の私をギャンブルに誘いこんで」
「えっ。あれ?先生から私に話しかけて来たんですよ。それと、小唄じゃありませんよ。おてもやんは民謡です」
「そんなことは、どうでもいい。なけなしの私の小遣いを違法なギャンブルに・・・」
「そんな大げさな。私たちのは遊びですよ。あの巨人軍の、なんとかってぇ足の速かった人なんかとは桁が違いますよ。でも、あの場は、加藤先生から、今日は調子いいから、勝負事はツキも実力の内とか、私に説教したじゃないですか。その挙げ句、本当の勝負を教えようと言い出したのは先生ですよ。でも、私も口惜しいなあ。畜
生!」と、床を蹴る。
「なんだ。そうだったんですか」
と、それまでの顔がウソのように明るさを取り戻したのは、佐山会長。ニコニコして、
「碁が終って、私がマッサージを呼んでいる間に先生が消えたでしょ。しかも、夜明けまで帰って来ない。しまった。抜け駆けをやられた。誰かと示し合わせていたな、と思ってら口惜しくて眠れるもんじゃありませんよ。
しかも、夜明けにそっと忍び込んで帰ったと思ったら、金庫を開けて財布を出して、どこかへもう一度出たでしょ。あれ、付け馬かな、と思って寝た振りを」と、笑顔がこぼれる。
「君ィ。そんなことまで見ていたのか!」
「いやいや、夢うつつ。そう思っただけです」
「怪しからん。何も彼も気に入らん!」
「怪しからんのは、お二人でしょ!」
振り返ると、PTA軍団、鬼の形相で二人を睨みつけている。二人は、小さくなった。この場合、自分達が他の団体の男達とチークを踊ったりという事実は、一切不問なのだ。
車は、国道一号線に出て左折し、沼津方面に向かっている。
「それで、どなたが勝ったんですか?」
出川夫人がタブーの一言を口に出した。
バスの中に一瞬、無気味な静寂が走った。
堅焼せんべい社員一同、顔を見合わせたり、下を向いたり、車がすれ違うだけの外を見たり、言葉がない。そのうち、愚痴がこぼれた。

 

2、帰路の車内で恋の駆け引き

               沼津グルメ街道は伊豆名産展

 

「だいたい、部長が悪いんだ」と、石毛青年が、「当人は嫌だって再三断ってるのに、どうしても一人不足だからって、部屋まで迎えに行ったりして。絶対に名前は出さないなんて」
「そ奴に負けてスッテンテン」と、黒川主任。
「子のときは、闇テン、リーチのみ、タンヤオ上がり。オレ、あんなの嫌いだ」と、内藤主任。
「親になると、倍マン、役マン、六本バ、七本バ、負けない、下りない、振りこまない。ありゃあ。プロだ」と、渋沢青年も珍しく愚痴る。
「しかも、ポーだーフェイスで」と、中川部長。
せんべい組以外の視線が佐々木氏に集まった。
佐々木氏は、相変わらず禁煙パイポを口にして沼津市に入った窓の外の景色を眺めている。
周囲の視線など気にする風もない。どんな場合でも表情を変えないポーカーフェイス振りは天晴としかいいようがない。
小山氏が、少し立ちながら身を乗り出して佐々木氏をみつめ、小さく首を傾げた。世の中に勝負の強い人がいるのが不思議だった。
小山夫人は心労が重なった所為か、疲れたのか車の揺れに合せて、眠っている。
小山氏は、薄手のカーキ色のジャケットの裏ポケットに右手をさし込み、下田一番館ホテル名入りの白い封筒の中を再度覗いた。
千円札、五千円札、一万円札が乱雑に詰め込まれている。
小山氏は浄蓮の滝以来、悩んでいたのだ。
バスを離れた間隙に、誰かが間違えて入れてしまったに違いない。喉から手が出るほど欲しいお金だが、猫ババは罪になる。
「勇気を出せ。海にもとび込めたのだ」
自分に気合を入れて立ち上がった。
バス全体に響く大声で、右手に封筒を掲げ、
「どなたか、これを知りませんか?」
車内中に一瞬、驚きの空気も流れたが、特賞のホテル券とカン違いしてか苦笑い。
「知ってるけど、もう済んだことですから」
「全員で決めたことでしょう」と、加藤教頭。
「ご家族で使ってください」と、敦子が言う。
「見せびらかさないでよ」と、沢木夫人。
「素直に頂きなさい。小山家のものですから」
佐山会長が、おおらかに宣言した。
ここで、小山夫人が目を覚ました。
本能的に手を伸ばし、夫の手から奪い取って封筒を覗いた小山夫人。手で目頭を拭いた。
「大げさねぇ。そんなに無料の旅行嬉しいのかしら」と、沢木、川田の両夫人。顔を見合わせ、怪訝な顔をした。
「嬉しい。こんなに喜んで貰えるなんて」
出川夫人が感激して樫山夫人に囁いた。
かおりがはマイクを握った。
「みなさま、お待たせしました。ここで三十分のお土産タイムをとることにします」
バスは、沼津名産センターの駐車場に入る。
ここは、いわゆるグルメ街道である。
インター入口までの約二キロは、見事なほどの土産屋と飲食店。洋食、和食、中華に焼き肉、コンビニ、スーパー、喫茶店。渋滞でのろのろ運転の合い間に、車の助手席から駆け寄って干物などを買い、珍しくスムーズに車が動いて、あわてて品物を抱えて走り出し、お釣を貰い忘れている人もたまにはいる。
帰路に入るとPTAのご婦人方も、家族のことが気になり始めたのか、主婦の顔に戻って、夕食のおかずの話などしていたから、新鮮な魚介類のある鮮魚売場に群がる。
「ウチの人、鯛が好きだから」と、川田夫人。
「うなぎはないの?精力つけさせたいから」
「うなぎはありませんが、穴子なら」
「それでもいいわ」と、長谷部夫人。
「なんでもいいから、今日のお勧め品は?」
樫山夫人が掘り出しものを狙っている。
「オレ、エビ買って帰るかな」と、渋沢青年。
「一人暮らしなんでしょ?」と、間中ジュン。
「エッ。ボクだって食事はするよ」
「でも、外食して真夜中に帰ってバタンキューじゃないの?」
「オヤ、バカにしたな。今度、休みの日にでも遊びに来てみな。特製のラーメンと、チーズケーキぐらいは作ってみせるよ」
「アラッ、嬉しい。ネエ、ヒロ子、ユッコ、エミ、みんなで渋沢さんとこお邪魔しよう」
「でも、市販のカップラーメンで、ほらCMにライオンの出てくる『ナオー」とか、ナマザキのケーキなんかでしょ』と、ヒロコ。
傍にいた黒川主任が否定した。
「こいつは、食べものにだけは凝るんだ。メンは、喜多方がいいとか、最近は佐野に凝ってるようだが、葱は深谷か本庄まで買いに行くし、まあ、食べてやる価値はあるけど、でもなあ。残念なことに・・・」
「どうしたんですか?」
「味は確かに絶品なんだけど、定員がねぇ」
「エッ。定員があるんですか?」
「どんなに片付けても、渋沢本人は立っているとしても、座れるお客は二人までかな」
「そんなにお部屋が狭いんですか?」
「いや、部屋はふつうだけどガラクタが多いんだよ。それにベッドが邪魔だから」
「ベッドも椅子代わりに使えるでしょ?」
「いや。起きたらガラクタをベッドに乗せて、寝るときはベッドの上のガラクタを下に落すから、客がいるとベッドは使えないんだ」
「主任。それは暴言ですよ。四人ぐらい何とかなりますから、ぜひ来てください。ネッ」
「渋沢。そんな四人も招待して、どこに座る場所があるんだ?」
「座りやしませんよ。立ち食いです」
「行こう。ロスタイムは延長なしなんだから」
ギャル四人、看板に紅茶とケーキと書いた店目がけて走った。
「ひどいよ先輩。折角のデートチャンスを逃したじゃないですか」
「何がひどいだ。内藤と石毛と三人で雀パイ持って遊びに行ったとき、木箱を積んだ上に炬燵板を乗せて、立ったままの徹夜麻雀。お前は慣れてるからいいが、オレたちはおかげで一週間は車のブレーキがまともに踏めなくて何回も事故りそうになったんだぞ。あんな思いを、あのお嬢さん方にさせるのか?」
「麻雀なんかしませんよ。トランプです」
「そうだ。オレの部屋ならなんとか四人は」
「でも、先輩。ゴキブリは大丈夫ですか?」
「ああ。最近めっきり少なくなった」
「それって、淋しいんですか?」
二人は目的もなく鮮魚のならぶ店の中を歩いた。その二人を蛸が見つめている。
ショッピングの三十分を上手に使う人は、頭の中できちんと必要なお土産が整理されている人。そんな器用な人は、バス一台で数えるばかり。大半は、無駄な買物で浪費し、荷物を増やしているが、本当に欲しかった物は買えず、不必要な物を購入してるかである。
沼津名産センターには、鮮魚、精肉、野菜のほか、ワサビ、塩辛などの加工品、生簀には鯵や黒鯛なども泳いでいる。
さらに、伊豆名産、洋ランなどの花も鉢に収まって、引き取り手を待っている。
やはり、衝動買いが現われた。
「わあ、きれい!」
敦子に続いてミカが叫んだ。
「欲しいわ」
すると、上田夫人が釣られたように財布を出した。
「これお幾ら?」
これが衝動買いであるのは、敦子もミカも上田夫人も承知の上だが、勢いだから仕方がない。
周囲につられて買った洋ランの鉢を、バスの横腹にある収納スペースに入れるのに苦労しながら後悔しているのも明らかだった。
誰が考えても沼津で洋ランは場違い、それほど欲しいなら洋ランセンターで購入すべきだったのだ。
中川部長は、浄蓮の滝で買った品物とまったく同じ土産用珍味セットを購入し、素直に「失敗した」と愚痴りながらバスに持ち込み、棚を見て、さらにホテルでも購入していたことに気付いて、内藤主任に笑われている。
佐々木氏は、別れた筈の片岡美佐に、いつの間にか購入したのか、喜平のゴールドネックレスをプレゼントしたらしく、美佐が首に掛けニコニコして腕を組んで歩いてくる。
別れたとたんに仲良くなるカップルもあるのか、切れたのが嬉しいのか。よく見ると、男は無表情、平然として以前と変らない。
明らかに、女性が惚れぬいている様子だ。
青空に雲が広がり、涼風が快い。
予定の三十分に五分ほど余裕はあったが、全員の顔が揃ったところでバスは発車した。
東名高速道路沼津インターチェンジに入る帰路の車が、列をなしている。
発券所の手前の、少し道路が膨らんでいる場所の路肩いっぱいに、かなり傷んだ中古のベンツが一台停まっている。車内の寝不足らしい充血した眼の三人の男、落ち着かない視線でのろのろ運転で料金所に入ってくる車輌を追っている。
どこで購入したのか、色違いの半袖アロハに着替え、全員、黒メガネ。幅のある絆創膏を額に貼ったカメ部長が、得意気に叫んだ。
「ホラ、おめぇら、見てみろ。あの車だ! 全日観光ってドテッ腹に書いてあるヤツ。サダ。すぐ発進させろ。見失うなよ。必ず、どこかのサービスエリアで停まるから。なっ、オレのカンの満更じゃねぇだろ」
「本気で口封じを?」と、車を割り込ます。
「当たりめぇよ。拳銃にも短刀にも、前科のあるオレたちの指紋は付いているが、タケが全部管理していたから、全部、タケ、いやタケ課長補佐の指紋が出るはずだ。とりあえず、自首して出りゃ、何も悪いことしていねぇんだから心配はないな。恐喝がなけりゃあ、簡単に保釈よ。あの夫婦の口さえ封じちゃえば」
「あいつらが、もう届出てたら?」
「届出てりゃあ、警察だって仕方ねぇから聞きこみをやるさ。この車、ホテルへの電話、目撃者の証言ですぐ手配するから、こんな長い時間、料金所の横に停めてられるか?二回も別のパトカーが『早く車を発信させろ』って注意しに来たじゃあねぇか」
前の車の若葉マークが、料金所で急停車した。あわてた運転手のサダが急ブレーキをかけた。その瞬間、後部右側ドアがパカッと開いて、すれすれに接近していた隣り車線のカローラの新車の左ボディに派手な衝撃音をたてて打つかった。ベンツも追突されたらしい。「キャッ」と叫んだに違いない新車の助手席の若い娘と、満足気
に鼻歌気分で運転していた若者が、外車の右側助手席のカメ部長を睨んだが、怖いカメ部長のガラス越しの顔が一メートルもない至近距離だから娘は驚いた。
「こらあ。どうしてくれるんだっ!」
瞬間的に、ガラス窓を開けながら怒鳴ったカメ部長、全日観光バスを見失っては大変だから、すぐ妥協する。
「まあ、いいや。修理代はいいから。早く行け」と、隣りの新車に手振りを入れて発進を促した。自分達が悪い筈なのに気付かない。
「どうも、すいません」
カローラを運転している若者には、何が何だか解らない。事態が飲み込めているのか、いないのか。あわてて発進した新車の、罪もなくペコッと凹まされたボディにとっては迷惑な話だ。
つぎに、カメ部長は、顔を出して、後を振り返り、これにも寛容さを示した。
「これからは、おカマ掘るなよっ!」
それどころではない。後に続いた車の運転手は、運転席を出て、そのまた後の運転手と掴みかからんばかりに争っていて、そのまた後と後の車から出た運転手は・・・なんと、八台の玉突き衝突事故が発生していた。
日頃の営業の姿勢からいえば、これは一台づつ臨時の示談金を裏金で徴収できる絶好のチャンスだったが、今は、仕事の成績より、全日観光のバスを見失わない方が大切だったから、舌打ちしながらも先を急いだ。
「マサ。しっかりドアの把手を握ってなきゃダメじゃねぇか。そいつは締まりが悪い出来損ないの女と同じなんだから」
「ヘイ?なんですそりゃ?」
「すぐ、パカッと開いちゃうってことよ。サダ!いや、サダ係長。も少し、スピード上げねぇと、見失っちゃうぞ!」
「カメ兄い」と、把手を握りながらマサ係長。
「なんだ、マサ」
「オレのことも、きちんと係長って呼んでよ」
「バカ!それよか、オレを呼ぶときに、部長っていえねぇのか?」
まあ、どうでもいいことなのだ。
いや。彼等にとっても、肩書きは勤労意欲を高めるために必要なステータスになる。

 

3、教育ビデオの行方が気になる

                    帰路の景色は誰も見ない

 

「お車は、今、沼津市を離れ、伊豆とも次の機会までお別れとなります。
この後は、沼津から約七十二キロほど走りまして海老名のサービスエリアで小休止、そこからは終着の東京八重洲口まで、ノンストップとなります。
沼津市は、気候温暖、風光明媚。駿河湾一帯から新鮮な魚介類が獲れることから、先ほど立ちよりましたグルメ街道の他にも、干物や鮮魚の販売を中心としたショッピングセンターは沢山ございます。
それと、美味しい酒の肴に恵まれれば、のんべぇさんも当然多くなります。そこで、酒に感謝する石碑をもつ風変りなお寺をご紹介しておきます。
沼津駅から東海バスで我入道行きに乗って十五分。日緬寺というお寺がございます。
こちらには、酒にまつわる言葉が彫ってある約九十センチの碑がありますが、下に膳の形があり、上へ順に、タル、挽き臼、ひょうたん、盃と五層になっていて、飲ん兵衛五重塔となっています。
しかも、このお寺では、毎年、十月の第一日曜日に、全国の蔵元やお酒の好きな方が集まって、健康、家庭円満を祈りながらお酒と肴に感謝し供養するという酒塚祭りを盛大に行っているのでございます。
沼津には、大正天皇の御静養御殿として造られた沼津御用邸を一般に開放した、記念公園があります。
海を目の前にして約十五万平方メートルの敷地には松林が茂り、第二次世界大戦で焼失した本邸跡に立つ歴史民族資料館には、古文書や考古学資料など貴重な資料が沢山収蔵されています。
また、沼津に縁の深い文学者も多く、芹沢記念館、若山牧水記念館などもあります」
車内では、かおりのアナウンスに耳を傾けているのは、殆んどいない。かおり自信も、一応、義務感でガイドしただけだったから、反応がないとなるとすぐマイクを切る。
あとはとどめに、エンディングの語りを決めるだけだ。もう、ここまで来れば、事故も事件もあり得ないから一安心。やれやれだ。
小山家の少年二人は、母親から旅行のチケットの件を聞き付けて、もう大ハシャギ。
「泳げるときに来たいなあ」
と、夏休みになったら、すぐ来たい、という口ぶり。親の心、子知らず、である。
両親は、間違いなく押し寄せる債権者との対応に思いを馳せている。
「とりあえず、どうして事情がバレたかは知らないが、みなさまのカンパで暫くの間は食べるだけは何とかなるから」
と、いまだに全員の善意だと思っている。
堅焼せんべいの社員一同と教頭先生の給料の一部が、こうして、小山家を支えたのだ。
その堅焼せんべい組も、次の旅行の作戦会議だ。それも耳打ちのひそひそ話。
「今度、奴に勝つには、選手は厳選しなきゃあな」と、中川部長が、内藤主任の耳元で囁く。
「じゃあ、予選をやりましょう」と、内藤主任。
「予選か。今のメンバーで予選やったって、五十歩百歩。いっそ、日本全国の得意先に声をかけるか」
「とんでもない。そんなことしたら会社潰れますよ」
「じゃあ、関東近県の取引先に声かけよう」
川辺ペアーは、結婚の話が進みすぎている。
「ヨシエちゃん。老後は孫とテニスするの?」
「ゲートボールよりは、テニスがいいわ」
「ボクは、こうして、いつまでも一緒に旅行したり出来るのがいいな」
近くにいるかおりの耳には、小さな声の会話でも、そっくり耳に入る。
つい、一言、ご忠告したくなる。
「結婚届けを出したって一寸先は闇なのよ」
佐山会長は、口惜しいから再度の挑戦を申し入れている。
「加藤先生の実力から見て、私とのハンディはあと二目、ですかな。しかし、二目貰いますと、私が楽勝ということになりますから、やはり一目、一目だけ余分に置かせてください」
碁では、明らかに弱い者が、先番の黒石を握り、ハンディの石を控え目に、腰を低くして「済みませんねぇ」という気分で、碁盤の上に置かせていただくという弱者救済のルールがある。
その屈辱的なハンディを自分から言い出すということは、もう今の時点で敗北を認めたようなものなのに、勝負に勝ちたい一心で、一時的な恥は捨てている。
加藤教頭は、優越感に浸って大様に、
「まあ、いいでしょう。結果は同じですから」
と、意にも介さずニコやかにしている。
その一言にカチンと来たが佐山会長「勝つのは自分だ」と、思っているから、こちらもニコニコ。二人は、よく気が合う。
PTAのご婦人方は、東京に近づくに従って家庭、とりわけ夫の話題が増えている。
不思議なことに、PTAの役員なのに、自分のこどもの話は出てこない。自信がないのか、お互いに牽制をしているのか。
「もう、うちはゴルフのお付き合いばかりで」
と、上田夫人がいい出したのがきっかけで、
「日曜日というと出張が重なるんですのよ」
から始まって、夫の在り方について語り合う。
「家庭のことなど省みないんですのよ」
「めっきり会話もアノ方もすくなくなりまして」
「我が家は、母子家庭みたいなものなの」
「夫は、いてもいなくても同じですわ」
「でも、やっぱり給料だけは・・・」
「おたくも、自動振込みざましょう?」
と、結局は「亭主、丈夫で留守がいい」という結論に達し、ドノ家庭もとりあえず平和だった。ところが、樫山夫人が
「でも、うちの子供は心配ですわ」
と、子供について口火を切ったから大変。
「勉強しないでファミコンばかりなの」
「友人が悪いのか、変なビデオを借りて来て」
「あら、お宅の坊ちゃんから借りたらしいわ」
「あんな凄いのは、うちの子は見ないわよ」
「どんなの?学園の乱れた花という題?」
「違うわよ、迷える教師に甘い罠とか」
「あ、それなら出所は、出川さんのお子さん」
固有名詞を出されたから出川夫人が怒った。
しかも、PTA役員の副会長だから怒って当然だ。この際、白々や黒々の際物は例外として、全国のPTAの名誉のためにも、白黒だけははっきりさせて置くべきである。
「あれは、佐山会長からお借りしました。現代の若い独身教師の心情が理解出来るから、ぜひ勉強しなさいと、教育的見地から、副会長の私に教材として貸し与えて下さったもの。それを、樫山さんのお坊ちゃんが家に遊びに来て、私の留守中にうちの子供と見つけて、内緒にするからちょっと貸せって、なかば脅迫めいた言葉で持ち
出したとか」
「あら?脅迫?無理に押し付けられたって聞いたわよ」
「それなら、うちの娘の部屋にもあったような気が・・・」と、しばらく考えて上田夫人、
「長谷部さんが家に来たとき、子供がこんな物を見ているらしくて困った、と相談したら、芸術家の夫に相談してみるからって持ち帰り、それっきり。長谷部さん。そうですわねッ」
と、とばっちりが長谷部夫人に来た。
「あなたっ!」と、夫人が夫を睨む。
長谷部氏が、後部座席を振り向くと、斉藤青年が小さい声で、
「済みません。あとで藤井から返させます」
「もう一日貸してください」と、藤井青年。
ここで、さすがは教育者の加藤教頭、黙ってはいない。
「佐山会長!」
「ハ、ハイ」と、会長が恐縮する。
「なぜ、まっ先にわしのところに持って来んのか」
佐々木氏は、相変わらず無言だが、片岡美佐の語りかけを無視している訳ではない。同じポーカーフェイスでも、かすかに眉が動いたり、口元がゆるんだりするから、深い付き合いをしている相手には、感情の起伏まで読める。
「いいわね、慰謝料なんて、絶対に頂きませんからね。別れてもお付き合いしたいんだから、慰謝料なんて水くさいことは・・・」
と、エンドレステープのように囁いている。
ギャル四人組は、それぞれ夢を語っていた。
間中ジュンは、お姉さんが絵描きなので、同じ土俵でスモウをとりたくないからファッションデザインの道に進みたい、と言う。
中田裕子は、高校時代から今も、モデルのアルバイトをしているので、そのままモデルを続け、あわよくば芸能界入りを企んでいる。
川口ヒロ子は、ごく平凡に、
「ふつうのOLで、ふつうの結婚が最高よ」
と、子供は三人ぐらい、などといい、
「男は、口数が少なくて頼りになる人」
さらに、それに加えて、
「稼ぎがあって、うんと愛してくれる人がいいなあ。私のいうこと何でも聞いてくれて」
と、それに「いい男じゃなきゃダメよ」と、どこが、ふつうなのか判然としない。
小岩井エミは、というと、
「アタシ、旅行が好きだからスチュワーデスになる」と、勝手にきめて、
「浅田さんに絶対に受かるコツ教えて貰おう」と、前に出て、長谷部夫人側に畳んであった補助椅子を倒して、そこに腰掛け、敦子にレクチャーを強制った。
すると、敦子の隣りのミカまでが、
「既卒募集の中途採用組で受験してみようかな」と、いい出したので敦子も断れない。
「今年は、JTA(ジャパン・トラベル・エアライン)も採らないけど、1988年(昭和63年)の最盛期には、二百六十五人も既卒合格者がいたのよ。以前は、新卒募集の前に既卒募集を実施していたけど。でも、今年は景気が悪いから、中途採用組はなさそうよ」
「なあーんだ。がっかり」
それでも、ミカは、未練らしく、敦子とエミの会話に耳を傾けている。
「エミちゃんは、多分、面接ではハキハキしてるし、心配ないから、筆記の話からするわ。
エミちゃんは、今、短大の一年生だから来年の春の受験になるわね。でも、採用ないかもよ。
新卒者(翌年三月卒業見込みの方)は、既卒者対象の秋の試験は受けられませんからね。
筆記試験は、英語と一般教養の二種類で、英語も、意外と出題傾向がはっきりしてるから、的を絞ってヤマをかけるのが賢いやり方なのよ。
ただし、短時間にたくさんのクエスチョンが出るから、直カン力、ひらめきなどが必要になって来るの。
まず、長い文章の解読、文法、単語知識、イディオム(熟語)、空所補充などがまんべんなく出題されていて・・・」
と、勉強方法や弱点補強のコツ、新聞と事典の活用法など、かなり詳しく話した挙げ句、
「でもねぇ、エミちゃん。
スチュワーデスって、案外、恋人持ちが少ないのよ。一人暮らしなんて惨めなもんなんだから。夜と昼が逆転している国際線乗務員なんて、日が暮れると、つい化粧をしちゃうのよ。それで、電話かけまくって仲間を集めて明け方まで六本木なんて。
今は、外国でもカードで買い物でしょ。お金もないの。貧乏なのよ。
海外駐在員にはモテるけど、あれは、相手が淋しいから小マメなだけ。
あとは、機内でイイ男探しして、相手から声をかけるように仕向けるだけ。
で、そんな暮らしいやになったから、私、カオリの仕事に憧れて、同じ苦労なら、バスガイドになろうって決心したの」
誰が聞いても、贅沢な話だ。しかし、本心のようだ。

 

4、金融会社カメ部長の商談成立

                    海老名SAは上りの利用が多い

「お待たせしました。
お車は、まもなく海老名サービスエリアに到着となります。
昭和46年に市となりました海老名は、大昔、この辺りまで相模湾が入り込んでいて大きなエビが獲れたということで、その名があるそうでございます。
のどかな農村であった海老名も、現在は、東京と横浜のベッドタウンとして、また各業種の工場の進出によって、めざましい発展を遂げております。
それでは、こちらで十五分の休憩となりますので、お買い物、その他ご用をお済ませください。この後は、終着の東京駅八重洲口までノンストップでまいります。
お疲れさまでございました」
上り線の車の利用が多いのは、首都高速の渋滞などを考慮して、ここで生理現象を一先ず解消しておこうという意図も働いている。
とりあえず、一行の全員がバスを降りた。
しかし、車によっては、別の意図を持ってこのサービスエリアに入る場合もある。
ベンツのS-280といえば、本体価格だけでも新車なら八百五十万円前後という代物。それがかなり中古、そしてあちこち傷だらけ。気のせいか車軸が狂ったのかタイヤの走りが歪んでいる。とりあえず駐車場に収まった。
必死でドアのノブを掴んでいた後部座席のマサは、右腕をさすりながら、
「いいトレーニングになりますぜ。よかったら、カメ部長。あと都内まで交替しましょう」
「そうか。トレーニングにいいか?なら、そのまま続けろ」
そのカメ部長、バスからゾロゾロとトイレに向かう中に小山氏の姿を見つけて
「よしっ。隣に立つんだゾッ」
派手なアロハ姿の三人が後を追う。
誰もいなくなったバスでは、浜田が一人。そんな三人連れがバスを追っていたのなど知らぬ気に、のんびりと緑濃い周囲の山々などを眺めながら、俳句なのか川柳なのか、意味不明の文字をメモ用紙に書き連ね、席を立った。意外に風流な男なのかも知れない。
浜田のサングラスは、ブラウン系だが制帽の下にあると、さほど違和感はない。
ここからは尾篭な話で恐縮だが、本当の話だ。
小山氏が用をたしに立つと、小山氏の右側に立ったばかり若者が作業を始める前に、カメ部長のがっしりした手で肩を掴まれて手前に引かれ、くるりと体が半回転した。
「そんな小ちゃいの見せびらかすな」
ドヤされた若者が、あわてて手で押えて、空いている場所を見つけて、ガニ股で走り去った。
その反対側、小山氏の左隣りの男は、すでに流れ作業をスタートさせてしまっているところをサダ係長に頭を叩かれ、肩を引かれたから怒って振り向いた。その瞬間、勢い付いたままの奔流が、四十五度ほど角度を変えて、そのまた隣で一仕事終えて気分よくファスナーを上げたばかりの若い男の腰に、まともにほとばしった。その被害者の男もすぐ逃げれば被害は最小限だったのだが若いから怒る。怒ったから正面を向く。そのために正面にまで流れを浴び、怒り狂って流水を浴びせた男にビンタを張った。
そこから先の騒ぎには、サダ係長は関係ない。小山氏の隣に立っていればいいだけだ。
カメ部長の隣は、空いたばかりだったが、丁度、そこに居合わせた男が片足の位置をきめたところだったから、マサ係長もサッと片足を入れ、お見合いで睨めっことなる。
空手初段でケンカは二段、三時のおやつはカツアゲときているマサ係長。色は黒いし傷だらけ、派手なアロハでサングラス。体格もいい。一応一般の人には凄味も効くからアップップでマサ係長の勝ち。男が逃げた。
小山氏とカメ部長を二人並べ、両側に二人の係長が立つことで、会話は他に漏れない。
マサ係長は、背は低いが、幅がある、ごつい体格だ。
「小山さん。談合の内容をちいっと変更したから安心して続けていいよ」
そう言われてもチビって当然、こんなのに囲まれたら出るものも出なくなる。
「まず、わしらのことは一切知らない。会ってない。おたくのあの気の強いオクさんにもそう伝えてくれりゃあいいから。わしらは下田にも行かなかったし、小山さんなんて知らぬ存ぜぬ、縁もない。いいかね。これから取立てからも手を引くから。たのむよ。その代わり、この約束を守らねぇと一家全員、ある晩静かに焼け死ぬから
な」
脅しを効かすのも忘れない。
「返事は要らんよ」
カメ部長は、厚手の紙包みを、小山氏の空いている片手に握らせ、
「オイ、おめぇたち、用が済んだから帰るぞ」
「そうですかい。じゃあ、用を済ませます」
「あ、そうか、オレもまだ用を足してねぇや」
そこで、ようやく四人並んで仲よく用を済ませることが出来た。
一応、商談もまとまって気分のいいカメ部長、人だかりがする中で争っている若者らをチラと横目で見て、呆れた顔で吐く。
「キミたち。場所を弁えなきゃダメじゃねぇか。それに、暴力はいかんよ暴力は。一体全体、原因は何だね」
もう、誰も原因なんか知りはしない。
三人が、久しぶりに清清しい気分で缶コーヒーなどを手に、車に戻った。
「サダ係長、マサ係長と運転を代われ」
「ヘイ、オレの運転じゃ気に入らねぇんで」
「そうじゃねぇよ。マサなら、下手だから簡単に車をあちこちにぶつけるからさ」
「えっ。ぶつける?」
「当りめぇよ。このまま帰ってみろ。社長は仕切りをオレに任せてるから何もいわねぇが、他の社員に示しがつかねぇ。なるべく金を持っていそうなプレジデントあたりにぶつけて保険でしかりと直すんだ」
「さすがに兄貴、いや、カメ部長だ。それじゃ、後に乗ってノブをしっかり握って、と」
マサ係長がエンジンキーを差しこんだ。
「おや、何だこりゃ」
助手席の前のフロントガラスの内側に二つ折りになったメモがあった。声に出して読む。
「人助けするとしないじゃ娑婆とムショ。債権者 口説く役割 男伊達。侠客は人のためなら 丸裸。痛い目に会わぬ算段 約束守り」
カメ部長。首をひねった。
「なんだこいつは。教養のないやつだな、字余りがあるし、だいいち、季句が入ってねぇじゃねぇか」
カメ部長は俳句とカン違いしているが、これは最初からでたらめなのだ。
「でも、カメ部長。オレたちを侠客扱いしてませんかね?」
サダ係長が感心している。
「そうか。男伊達なんざ、いい心持ちだな」
満更でもない顔の部長に、マサ係長が疑問を呈した。
「それにしちゃ妙ですね」
「なんで?」
「この文章を解読すると・・・人助けしねぇとムショ送りするぞ。債権者が集まったら説得して取立てをしねえようにしろ。人のために金を吐き出せ。約束守らねぇと痛い目に合わすぞ・・・こいつってひょっとしたら脅迫じゃねぇでしょうか?」
「おかしいな?」
「どうしたんです。カメ部長」
「オレたちは、組を解散して法人化して以来、人を脅したことはあっても、脅かされたことがあるか?」
「ある訳ないすよ。脅すのが仕事なんだから」
「ひょっとしたら・・・」
「なんですか?」
「夕べのが、人間の仕業だったとしたら?」
「まさか?オレだって少々は心得が・・・」
「そういえば・・・」と、マサ係長が口をはさむ。
「なんだ、マサ係長。言ってみろ」
「気のせいか、タバコの匂いがした」
「蝙蝠の化け物がタバコを喫うか?」
「ゴールデンバットというタバコがあるから」
「人間だとしたら、こ奴は手強いぞ」
「今のうちに仕止めておかないと・・・」
「相手はどこのどいつだ」
「知りませんよ、そんなの」
「まったく\\、空気みてぇな奴だ。気味悪いな」
とりあえず、ベンツは発進した。
バスの中では、コソコソと小山夫妻が話し合っている。
「あんた。こんな大金、本当に口止め料?」
「あそこが棚上げなら、立ち直れそうだぞ」
買い物は、すでに済んでいるから集合も速い。発車オーライで一路東京へ、バスは走る。
「ここから、東名高速の東京側起点までは三十キロチョットございます。それでは、ここで、一曲、先輩から教わった、古いのに、つねに新しく若々しい歌を歌います」
かおりは、「東京のバスガール」と他の数曲を全員の手拍子を伴奏に、元気よく歌った。
そのあと、カラオケが流れ、つぎつぎに歌い手が登場、それは川崎インターまで続いた。
車内は、最終コースで盛り上がった。


5、人それぞれの想いを秘めて

                 無事帰着、何事もなく業務完遂

 

「美しい緑の山々、青く澄んだ伊豆の海。そして、駿河湾、相模灘の海の幸、天城の山の幸、西伊豆ツアーはグルメの旅でもありました。みなさま、ご満足いただけましたでしょうか?」
「カオリさんに会えてよかったよ」と、内藤主任。
「帰ったら、減量しないといけませんわ」と、樫山夫人。少々の減量では間に合わない。
「うちは、もう一度来られるんだ」と、小山家の圭介君。
「これで、勝負に勝ってりゃ万々歳だったがなあ」と、中川部長。
「人生の大きな岐路を乗り切れました」と、神妙にしんみりと片岡美佐が言う。
「今度、来るときは負けませんよ」
またも佐山会長が挑発的態度に加藤教頭を見た。
「まあ、無理でしょう」
バスは順調に走る。東名高速の料金所を過ぎ、用賀から首都高に入っている。
旅の終りに近付くと、ふと無口になる。
たった二日間。なのに、心が触れ合い、別れが辛くなる。
一期一会、もう一生会えない人もいる。
旅は人生を変えるというが、この旅で得たもの失ったもの、人それぞれの感慨を乗せてバスは走る。
「写真交換会を開きましょうか?」
上田夫人の提案で、再会の機会が出来そうになって来た。
「カオリさんもぜひ参加して欲しいわ」
帰路に入ってからは、ガイドさんがいつの間にかカオリさんになっている。
「谷内ゆう子さんもぜひ、サイン欲しいから」
PTAのおばさま、以外にミーハーなのだ。
「ほら、あの車だよ。浄蓮の滝で見たやつ」
高井戸出口の手前の緊急避難所に派手にボンネットを開けたベンツと、クラウンが一台、怯える男二人を三人のアロハが囲んでいた。
堅焼せんべい本舗は、再度、営業会議を伊豆七滝温泉で開催する予定だとか。
写真交換会の日取りもきまった。
そのあと、小山夫人が立ち上がった。
「みなさまのお陰で、私ども夫婦、離れ離れになりそうだった心が戻ってまいりました。どんな逆境でも耐えて凌いで頑張れば、道は開けるということを、この旅で知りました。いままでは私、夫をバカにする気持ちがありました。みなさまが、どうして私共の内情をご存知になりましたかは存じませんが・・・」
みな、内情など知らないからキョトンとして、小山夫人が何を言い出すのかと思って、口許を見つめている。
「私共の内情が・・・」
再度言い直したが、反応が全くないのを感じて、小山夫人、困った表情で、
「もう一度、下田に来て、反省してみます」
椅子に座ってから、隣の夫に、
「あなた、あのお金。みなさんから出して頂いたのとは違うみたいよ」
「じゃあ、何なんだ?」
「私が知るわけないでしょ」
狐に化かされたように首をひねっている。
「ガイドさん」
加藤教頭が声をかけた。この先生だけはガイドさんと呼んでいる。
「ツアーを組むには、バス一台、人を集めなければいかんかね」
「いいえ、ある程度の人数をお集めいただきますと、あとの人数はこちらで集める場合もございます。ですから、とりあえず、ご希望を伺わせて頂くのが先になります」
「私の学校の職員の研修旅行を、夏休みのラストの週に行くことになっているものでして」
そこへ、中川部長が口をはさんだ。
「それじゃあ。ぜひ、ご一緒しましょう。今回は六人ですが、次回は、もう少し増やして参加します。場所は七滝。いかがですか?」
「いいですなあ。ぜひ、後で相談しましょう」
「わたしたちも、七滝ハイキングするか?」
と、ユッコが発言。ギャル組も乗りそうだ。
バスは、いよいよ終着に向かっている。
高速道路京橋ランプをバスは出た。
「天候にも恵まれまして、この二日間、美しい伊豆の海と山の色に染まってまいりました。
ひとつの別れは、またひとつの出会いを生みます。
楽しかった二日間の旅の思い出を心に秘めて、またの再会をお待ちします。
幸いに、写真交換会もございます。
つぎの旅の企画もあるようでございます。
ご縁がありましたら、ぜひまた、私にお声をかけてください。喜んでお供します」
車は、ゆっくりと、八重洲口ターミナルに近付いて行く。
「この二日間、御不自由をおかけしたことも多々あるとは存じますが、どうかお許し下さい。運転手浜田芳雄、ガイドは私、守口かおり、両名共心からみなさまに厚く、お礼申し上げます。ありがとうございました」
全員が笑顔で拍手を送り、謝意を表した。
「お疲れさまでございました。お荷物をお忘れになりませんよう。ご順にお降りください。こちらのクーラーにも、お預かりしている鮮魚などがございます」
車が停まると、浜田が降車して、バスのサイドの収納スペースから荷物を出し、順々に歩道に運んだ。力仕事に慣れているのか、重そうな荷物を両手両脇を用いて軽々と運んだ。
美佐は、笑顔で佐々木と別れて行った。
バスの出口の横に立って、一人一人に挨拶をしているかおりに、中川部長が聞いている、
「つぎのツアーも浜田さんの運転で行くことが出来るかね?」
「運転手をご指名ですか?」
「まあね。運転が気に入ったから」
「車輛部でスケジュール調整を行っておりますので可能だと思います」
中川部長は、それを聞いてから、荷物運びをしている浜田の近くに寄り、すぐ近くに人がいないのを確認してから声をかけ、買いすぎて余った珍味を手渡しながら、
「今度、必ず誘うから逃げなさんなよ。もう手加減しないからな。夕べは、素人だと思って油断したんだ。それまで全額預けとくからな。絶対に、利子付けて返して貰うから」
とっくに小山家に渡っているのを知らない。
そこで、中川部長が手を出し、白い手袋をすぐ外した浜田とがっちりと握手をした。
そのとき、一瞬、ニヤッと浜田の口許がほころんだ。この旅で見せた唯一の微笑だった。
ギャル組四人は、全員底ぬけに明るい。
「これからマリオンまで歩いて行くの」
見たい映画の最終回に間に合うそうだ。
「カオリさん。また会いましょうね」
ユッコが何回も振り返って手を振った。
川辺ペアーは、かおりと交互に握手をし、
「カオリさんとご一緒のツアーで私たちは結ばれたことを一生忘れません」
ヨシエが言い、川辺青年が頷いた。
二人は、肩を組み密着して、東京駅の構内に姿を消した。愛のオーラが一体になっている。
「お幸せに・・・」と、かおりの声が追った。
小山夫婦は、子供達が先にアイスを求めて駅に入っていたので、ゆっくりはしていられず、二人は万遍なく周囲の人に頭を下げて去っていった。
ただ、荷物を運び終わって車内に戻った浜田とだけは顔を合わすことも挨拶もなかった。
その後ろ姿を見送りながら浜田が頷いた。
小山夫妻が視界から消える寸前で立ち止まった。子供二人が中から出て来たのだ。
子供二人の両手にアイスのカップがある。
子供たちは両親に話しかけたあと、バスに向かって走って来る。
息を切らせながら駆け寄った弟の雄介が、バスの下でPTAのおばさま達と挨拶しているかおりにアイスを渡した。
兄の圭介は二段ステップを勢いよく駆け上がり、運転席でタバコを取り出している浜田に、アイスのカップを一つ突き出して渡し、
「おじさん、安全運転、ありがとう」
圭介少年が空いた手をさし出した。
あわてて、右手に持ち替えたタバコのケースを足元に落とした浜田が手を出し、圭介の小さな手を握った。
「親に心配かけるなよ」
「ウン!」
生意気に力強く頷いた圭介は、大切そうに自分のアイスを持って、先に帰った弟の後を追った。その手にもアイスがある。
小山夫婦が、遠くから手を振った。
浜田も、軽く手を上げ、タバコを拾ってボックスに入れてから、アイスに手を出した。
「タバコは、やめるか」
そう呟いたが自信はない。
酒は若い時から強いが、タバコは警視庁勤務時代には吸わなかった。退職してから覚えたのだ。彼は、悪い過去をふり切るように首を振って、アイスを口に運んだ。甘いバニラの香りが口の中に広がり、滅多に入って来たことがない甘さに舌が驚いている。
「よしっ、アイスも一つ買って帰ろう」
どうせ忘れるに決まっている一時的な親心が、浜田の脳裏をよぎった。そんなに、心配りが出来るなら女房を病気で死なせたりする訳がない。浜田の心がまた痛んだ。
妻を失って浜田の生活は荒れた。
酒の上の喧嘩で傷害罪に問われ、示談にはなったが彼は自分から職を退いた。
生き甲斐は、たった一人の息子だけだった。
その息子敬太が家に居る。彼の帰りを待っている。それだけで充分じゃないか。
この上、何を望むのか。
バスの斜め前方の歩道を駅の方に、荷物をいっぱい抱えてPTAのご夫人が去って行く。
笑顔で見送っているかおりの横顔が魅力に溢れ、きらきらと輝いて浜田に迫って来る。
しかし、夢なのだ。
幸せに出来ない愛は、忘れるに限る。
残った友人二人とも、名残り惜しそうに手を振って別れ、バスに戻って来たかおりに、浜田が重い口を開いた。感情は殺している。
「一緒に帰っていいよ」
「でも、お掃除が・・・」
「オレがやる」
言葉は短いが、厳然とした響きがあって、取り付く島もない。
「ミカ、アツコ、ちょっと待って。すぐ行くから!」
ドアから半身を乗り出し、大声を上げた。
食事に誘われてはいたのだ。
帽子と手袋を、大き目のバッグに詰め、
「じゃあ、お言葉に甘えます」
明るい口調で、浜田に握手を求めた。
浜田が、あわてて手袋を脱ぎ、さっとゴツい手を出した。
血液の温もりが、かおりの手を通じて心臓にまで響いて来る。
ほんの一瞬、一秒にも足りない愛の交流だったが、かおりには永遠の時間にも感じられた。
浜田は、すでに正面を向いて、何事もなかったように、手袋に、握手をした手を収めている。
「また、つぎのお仕事で・・・」
言葉が続かない。目をそらす。
一緒に旅をする度に、別れの辛さが重くなる。このままでは自分が駄目になる。
「こんなに好きになるなんて、バカ!」
心で振り切って、駆け降り、浜田を見送る。
バスは、ゆっくりと発進した。
「あら、カオリ。なに泣いてるの?」
近寄って来た敦子が、怪訝な顔をした。
ミカは、まだ離れて待っている。
夕映えのビルの谷間に、浜田の運転する大型観光バスが、ゆっくりと消えた。
別れが辛い。孤独が辛い。辛いからまた旅に出る。仕事をする。そしてまた別れが来る。
報告書のフレーズが頭に浮かんだ
“二日間快晴、何事もなく業務完遂”
「さあ、行こう!」と、かおりが走った。

 

風かおる堂ヶ島

                   花見 正樹

 

1 恋人岬の伝説に魅せられて一人
あなたへの想いを託しに訪れた
空の青さ 羽ばたく鴎の白さ
岩に砕ける荒波は 辛い心をさらに打つ
あなたの名を呼びベル鳴らす
Love Call Bell,Love Call Bell
花の香り乗せて西伊豆の海に風は渡る

 

2 三四郎島の伝説に渡り行く二人
真実の愛のみ緑の島は許す
海の青さ 波を切る船の白さ
潮満ち消える海の道渡る望みをさらに断つ
あなたのハートに矢を放つ
Love Call Arrow,Love Call Arrow
愛の心を乗せて堂ヶ島の磯に風は走る

おわりに。

西伊豆めぐりの旅は、いかがでしたか?
伊豆の旅は、まだ終わってはいません。
一部の乗客が、勝手に、自分達の都合だけで、七滝温泉に泊まりたいなどと言い出したものですから、すっかり予定が狂ってしまいました。たしかに、河津川の上流、深山に包まれ、澄んだ流れが音を立てて流れ落ちる大小七つの滝の景観は、見る人の魂をも奪い去る迫力があり、その旅への誘いとあれば、断わる訳にもいきません。
京都千二百年への旅も、飛騨高山も、北陸金沢、その他の名所旧跡もすべて後まわしで、もう一度、伊豆の旅にチャレンジです。
伊豆といえば東海岸。相模湾沿いに、湯河原、伊豆山、熱海ビーチラインを下って錦ヶ浦、網代、宇佐美、伊東から城ヶ崎の磯、赤沢、大川、北川温泉、片瀬、白田と抜けて稲取から今井浜、そして河津浜温泉へと巡る東伊豆の名湯、磯めぐりは素晴らしい眺めです。
バスは、東伊豆の美しい海辺の景色から一転して再び天城越え、そして七滝温泉に辿り着きます。山里のいで湯の一夜に、どんなドラマが展開するか、楽しみです。
箱根峠から芦ノ湖めぐりもできそうです。
このツアーは、あなたも私も、登場人物の一人なのです。
かおりは、添乗員、ガイド全員をモデルとした存在で、あなた自身かもしれません。
つぎの旅も、浜田とのコンビで登場します。
夏休みが終って九月に入ると、道路も空き、快適なバスの旅を楽しむことができます。
乗客のどの人に乗り移っても結構です。
登場人物の一人に同化することによって、楽しいツアーを体感することが可能です。
このツアーは、イメージで楽しむ旅なのです。
では、つぎの旅「恋ゆらぎ城ケ埼」でお会いしましょう。 花見 正樹