第七章 大金の行方

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24 花嫁姿

甲府郊外のブライダルサロン『アピア』の飛翔の間で、結婚予定者三〇〇組のカップルの招待者を呼んでのイベントが行われ、地元出身の代議士、県議に次いで登場した専務の秋川進一が、三分スピーチを終えると拍手が沸いた。いよいよ、小森若葉が登場する。
司会の得田課長は、徹夜で練習した若葉紹介のチャンスを最大限に生かすべく声を張り上げた。
「みなさま、お待たせいたしました。
彗星のごとく現われ、歌う曲の全てが熱狂的なファンを生みヒットチャートの上位という、かつてのアムロ、ヒカルでも成しとげ得なかった短期ミリオンセラーの記録をぬりかえる驚異の新人歌手、小森若葉の登場です。みなさま盛大な拍手でお迎えください」
会場いっぱいに、小森若葉への期待の拍手がなりひびいた。
若葉が、蓮田に舞台の袖まで付き添われて白亜の大理石の柱の陰からコンサートホールのステージに姿を現わすと、バックの幕が上がりバンドの演奏が始まる。
華やかに登場した若葉が一礼するとさらに拍手が高まった。
格調の高い純白のウェディングドレスの胸元に飾られた豪華なダイヤが照明に映えて、七色の光彩を放ちまぶしいほどにきらめいている。さすがに結婚式場、超高価な貸衣装もあるものだ。
ステ-ジの第一部は、アップテンポの持ち歌、英語の歌からスタートし、三曲目からヒットメドレーとなる。ピアノにサックスがからみ、ドラムが若葉の声量のある甘い声質を力強く引き立てる。
希望と喜びと愛がのびのある若葉らしい歌声から惜しみなくあふれ出した。
アブリヴィアン(忘却)というオリジナル曲が流れる。

“ObLIVION(アブリヴィアン)
  ObLIVION(アブリヴィアン)
  過去はすべて ObLIVION(アブリヴィアン)”
  緑映えるふるさと 母の想い出
  約束の胸はずむ まばゆい青春
  語り ほほえみ そしてくちづけ
  めくるめく日々 今はまぼろし
  ObLIVION(アブリヴィアン)
  ObLIVION(アブリヴィアン)”

はげしいテンポを歌う若葉の表情から激情がほとばしる。
続いて「LOVE & DREAM」という曲になる。

 移りゆく日々あなたは変わる
 そよ風が 木々をも倒す嵐を呼び
 なぎの海が 荒れ狂い 岩を喰み 船を呑む
 LOVE 愛は冷え 夢は去り あなたは消える
 あなたが消えて わたしは一人
 のぞみも消えて わたしは一人
 LOVE 愛は冷え 夢は去り あなたは消える
 愛は いつでも はかない夢
 DREAM 消えてまた よみがえる

第一部七曲が終わると拍手の中を若葉が汗をしたたらせて急ぎ足で舞台裏に引き、待機していた蓮田に励まされて控え室に向かう。
衣装替えだが時間はあまりない。
何組もの結婚式があるらしく、晴れの衣装に身を包んだ新郎新婦や盛装の人々が行き来して式場は賑わっている。
三〇分の休憩時間を有効にと座席を立つ人々がロビーに出たり、喫茶ルームに行ったりと人の動きがせわしない。
「チーフ。この人を外に出してください!」
控え室で女性の声がした。
ドアーの外に立っている達也の脇を、裏方を仕切っているスタイルのいいチ-フの白鳥という女性役員が派手な茶髪の女を伴れて、控え室から現れた。
「どうしたんですか?」と、達也が聞く。
「この人はヘアメイクの助手といい、若葉さんに接触しようとしたんですが、メイクの先生に聞いたら関係ない人で、着付けさんに邪魔だといわれたんで連れ出したんです」
「すみません」
女は、小声で詫びて足早にホールの方角に去った。達也が目で追うと、近くの扉が開いて蓮田が出てきた。
いきさつを聞いた蓮田の顔がかげり無言で女を追って走った。
達也は、なにかわるい予感を感じた。
「部屋に入ります。マネージャーです」
達也がきっぱりと言い切ると誰も「男性禁止」といい出せない。
マネージャーは許された存在だからだ。女性スタッフが十人ほどいた。清楚な美しさを引き立たせたウェディングドレスから、格調高い布の宝石といわれる正絹の本手描友禅に身を包んだ若葉は、嫁ぐ日の花嫁の姿になっている。
じっと佇んでいる若葉を包囲して、美を創るプロの女性達が洗練された技を競っていた。肌を整え、髪を飾る。帯を締める。草履を揃える。衿を直す。アイラインに手を入れる。
言葉少なく作業は進むが、プロとプロの意地が緊迫した短かい時の流れの中で火花を散らしている。それは、助手達もまき込む。
達也が質問すると、美容部員が先刻の件を説明した。
「邪魔しないでっていったらその娘が、社長が急用で呼んでるからって、若葉さんの腕をつかんで連れ出そうとしたんです」
女性のチ-フが、ふと達也に聞いた。
「本当は刑事さん?」
「以前はそうですが、いまはボディガ-ドです」
チーフも安心したように頷き、柔和な顔に戻った。
「ハイ。ジャストタイムです」
チーフの声で張り詰めていた空気が一気に和んだ。
若葉の姿が見事に完成している。
飾り物でも眺めるようにうっとりと若葉を見つめ、それぞれが素直に賛美の言葉を惜しまない。小森若葉は完璧な花嫁姿だった。
若葉の白足袋が草履の鼻緒を揺らしている。すでに若葉の中でリハーサルが始まっているのか、足でリズムをとっている。
若葉が花嫁の表情で部屋を出た。
二部に入って若葉の歌は動から静、陽から陰、剛から柔へと聴く者の心を変えてゆく。
若葉の歌声がホールに響き、三〇〇組のペアが耳を傾ける。
若葉の叫ぶ悲しみが聞く人の胸を打つ。一部で歌い上げた喜びが、二部で沈むかのように、若葉の感情が歌にこめられている。
Fallen(フォールン) Leaves(リーヴズ)……落ち葉という曲が流れる。

夜の町に…
Fallen(フォールン)Leaves(リーヴズ)
たまらないほど 会いたくてプッシュホン
トライしたのに あなたはいない
LOVE(ラブ)LOVE(ラブ)LOVE(ラブ)と
留守電コール このままでは眠れない
恋の辛さ 恋の重さ 恋の悩みを
どこに どこに 捨てればいいの
恋の行方は…
Fallen(フォールン)Leaves(リーヴズ)
幸せになるためのハウツウノートも
風に吹かれて ハラハラと とんでゆく
Fallen(フォールン)Leaves(リーヴズ)
Fallen(フォールン)Leaves(リーヴズ)

喝采の中で、若葉は蓮田の視線がないのに気づいた。
目で探さなくても、いつもの感覚と違うからすぐ分かる。
ステ-ジは「恋ゆらぎ」、曲は長谷川武と発表された。

DREAM 宇宙の果てから 降り注ぐ まばゆい光
アルファのゆらぎ 目をとじて 妙なる調べ
あなたの囁き SWEET MELODY
DREAM 私はいま 愛のゆらぎに
FOREVER AND EVER……

SWEET DREAM TENDER LOVE
FOREVER AND EVER……

観客が若葉と一体になって揺らいでいる。

 

25  拉致事件

「佐賀さん…」
藤井が、袖から客席を見ている達也を楽屋裏の隅に誘った。
「蓮田の姿が見えないんで、少し外を見て来ます」
その時、エンジのスーツに紺の帽子という制服姿の受け付け嬢が手に白封筒をもち、二人に向かって小走りにかけ寄って来た。
「藤井さんにお手紙です」
達也が「ちょっと」と、それを横から受け取り、白い手袋をしたまま封をひらき、メモは藤井に渡し、封筒をポリ袋に入れた。指紋を調べていたときの習性が身についている。
メモには「蓮田を預かる」と、あった。
藤井が受付嬢を追い二言三言質問をして、すぐ戻った。
「受付の娘が目撃してメモを渡されている。助手だと偽った例の女がいて、蓮田が近寄ると多勢の男で囲み、白いク-ペに押し込んで拉致したそうだ。ナンバ-の一部も見ているらしい」
「警察にも蓮田君の救出に網を張ってもらうよう頼みますから。狙いが若葉だとしたら命には別条ないでしょう」
達也が山梨県警本部に電話を入れると、たまたまそこに立っていた警官が達也から事情を聞き、すぐ地元の甲府南署と甲府署に主要な道路への検問の手配をしてくれることになった。
「白い国産ク-ペタイプ乗用車、ヤクザ風男三人、茶髪の女一人、車の末尾二桁の数字は79、拳銃所持の疑いあり」
そこから近い山梨県警本部から、地元の名士でもあるアピアの専務と交際のある北島という警部が部下を率いてパトカ-でかけつけた。北島も達也とは旧知の仲だからお互いに奇遇を喜んだ。
北島は、達也をまじえて所轄の甲府南署の刑事と関係者に事情を聞いていたが、ときおり客席側にまわって熱唱する若葉を見て拍手を送っている。若葉は蓮田が拉致されたのを知らない。
舞台の上の若葉の表情はまぶしいほどかがやいてていた。
カ-テンコ-ルもなりやまず若葉は二度も観客に呼びもどされて歌った。事件は起きたが、ショーは成功裏に終わった。
その夜は、甲斐の名勝で知られる昇仙峡の玄関口にあたる湯村温泉の柳ホテルに泊まって、アピアの招待で役員と合同のパ-ティ-が計画されていた。しかし、事態は急変している。
宿に着いてから藤井が、若葉に蓮田が何者かに連行されたことを告げると、若葉は狂ったように泣いた。その悲しみの深さが尋常でないのは、その肩の震えで分かった。蓮田の身を案じる若葉が泣き続けていて、とても温泉どころではない。
藤井は、達也とロビーの片隅のソファで相談をもちかけた。
「私たちは今晩帰るから、佐賀さんだけ残って警察と一緒に蓮田探しを頼みます。アピアの専務には事情を理解してもらい、地元の歓迎会は中止にしてもらいました」
「警護の役は今日でクビですかな?」
「いえ、蓮田の件も含めてよろしくお願いします。会社には今すぐ電話しておきます。それと……」
「なんですか?」
「突然ですが健康上の理由で、明日、若葉の引退を発表します」
「明日、引退ですか?」
達也には、何がなんだかさっぱり分からない。
藤井は、温泉一泊を楽しみにしていたバンドの全員に、温泉入浴と夕飯だけで「泊まりはなし」と言い、多額の特別手当てを払うことで納得させた。やがて、若葉一行は、あわただしい夕食後、往路と同じ貸し切りのサロンバスで撤収した。
蓮田探索を任された達也だけが、置き去りにされて残った。

 

26  寒天工場

結婚式場アピアから拉致された蓮田は、目隠しをされ足も手も縛られたまま、茅野市から白樺湖寄りの山道に入った町はずれの古びた寒天工場に運び込まれていた。
寒天工場は夏の間は使用することがないだけに、少し動くとほこりが裸電球の下に舞う。酒上と、善次郎、源三、清次という三人の子分、酒上の情婦のナオミの合わせて五人の男女が蓮田を囲んで座っている。酒上だけが木の椅子に腰かけて腕組みをして冷たく蓮田を見据えている。蓮田は着衣を血に染めて転がっていた。
かなりひどく殴られたのか、顔がどす黒く変色していて口から流れた血が床を染めている。目隠しされていて表情は見えない。
酒上荒三という男は、額に傷跡があり目つきも鋭く凶悪な顔つきだ。元甲府署の警官を退めからは、ずるい、冷酷、殺しが平気と、三拍子揃ったワルだった。甲府の盛り場でゲ-ムセンタ-を開き、その機械の卸売りもしている。セコい男で、蓮田を拉致するときも「抵抗すると若葉の身近にいる手下が若葉を殺す」と、拳銃をちらつかせて蓮田の戦意を削いでいる。
その酒上がニヒルな笑みを浮かべた。
「アパ-トに談合に行かせた赤垣が、話し合いがこじれて安本を殺害、古川たちに埋めさせて自分は大金を持ってトンズラと睨んで追ってたんだ。だが、安本の死体がどこに消えたか出て来ない。それが、ついこないだ八ヶ岳の北側の山の中から見つかった。
しかも、派手な服装も時計も安本のだし、死体は安本と同じで左の小指がない。安本は小指のない部分をビニール加工でごまかしてたからな。赤垣は五本の指があったから死体が赤垣なら、作為的に犯人が指を切ったことになる。
安本が殺されたなら犯人は赤垣だ。てっきり金を奪って逃げたと思ったぜ。しかも、諏訪のクラブで歌ってた和歌子という小娘が歌手で売れて、興業先で見かけたマネ-ジャ-が赤垣らしいという情報が入った。むかし、赤垣がクラブで歌ってた和歌子に言い寄って口説いて断られたのを見てるからな。たしかに和歌子に惚れて通ってた赤垣が、マネ-ジャ-に納まるのもあり得る話だからな」
そこで、タバコに火を点け、一服してから続けた。
「赤垣が、安本から金を奪って東京へ逃げたあげく、整形して名前を変えて歌手のマネ-ジャ-やってるって情報を追って半信半疑でな、ここにいる善次郎に六本木のマンションに確かめに行かせた。
なんと、山で死体で見つかった安本が、ナイフを持って立ってたっていうから、仰天したのも無理はない。おかげで、善次郎は腰に、源三まで貴様が投げた刃物を肩先に食らっちまった。
蓮田。いや、これからは安本だ。と、なると、山から出た死体は赤垣ってことになる。金の交渉に行って返り討ちに会ったてえわけだ。そこでだ。赤垣の仇はとりてえが、あんたは、うちのゲ-ムセンタ-の上得意でもあり、そこを舞台に稼いだ。ワシとも長い付き合いでお互いにシノギを分け合って来た仲だ。全額とは言わん。ここは平和的に話し合いで解決、どうだ?」
蓮田の化けの皮が剥がれた安本が、鼻であしらう。
「勝手にほざけ!」
「なんだと! 善次郎、可愛がってやれ!」
六本木の事務所に忍び込んで安本を見破った小柄な男が、力いっぱい、目隠しをした安本の顔面を蹴った。
床板がはげしく音を立て、蓮田が半回転して反対側を向いた。
酒上が勝ち誇ったようにせせら笑う。
「オレの狙いは、安本でも赤垣でもよかったんだ。赤垣なら安本を殺して大金を隠して逃げてるはずだし、安本ならどこかに金を隠してるはずだ。ハナっから、あんなガキの歌手なんかに用はない。それに気付かねえで、役にも立たねえガードマンを雇ったりしてご苦労さんだったな」
酒上が、安本の頭を蹴った。
「お互いに、村の若い衆相手に荒稼ぎしたが連中の元銭が尽きた。
安本は開き直って情容赦なく取り立てた。オイ。聞いてるのか?
源三と清次、たっぷりと蹴りを入れろ!」
蓮田の投げた刃物で傷ついた左肩を、包帯デ巻いている細身の男の蹴りがとぶ。これも全身の力をこめての蹴りだ。右の頬に傷のある色黒で角顔の清次という男も、安本の腹部を蹴った。
安本が縛られた身体をゆがめてうめいた。額から油汗がにじんでいる。肋骨が痛むらしい。歯をくいしばると口から血が流れた。
「現金がなくなったから誰も安本に支払えなくなった。と、いうよりギャンブルをやめるという話し合いを始めたんだ。安本は、一度食いついたら骨までしゃぶろうってえ魂胆らしく、お互いの了解でオヤジ達が死んでからの財産分けで勝負できるようにシステムを変えた。ウチのゲーセンの雀機(じゃんき)ぐらいなら一日中やったって十万とかからねえ。元銭はなくても遊べるし、十年先の約定書ならどんな高額な証文だって平気で出せるからな。ところが、その証文を集めた安本は、なんと、町金融に持ち込んだり、親にチラつかせて脅したりして現金化し始めた……」
酒上が続けた。
「そこでだ……村役が集まって対策を考えた末、オレに相談したってわけだ。まあ、これまでは安本から一応の挨拶があったし、ウチのゲ-ム機を使ってくれてたから見逃してたが、ワシが村側に付いた以上は敵味方だ。だが、ワシは、分け前の多い側に付くことにした。それで、話し合いを提案した。それを裏切って抜け駆けしたのが赤垣だ。ところが赤垣も安本も消えちまった。赤垣は、きさまが殺したんだな? 裏切られても舎弟分だ。仇は討つぞ」
酒上は、くどくどとねちっこく自分の解釈を楽しむように語り、缶チューハイを飲み干し、一呼吸おいてから口をぬぐった。
酒上が部下に命じて、縛られている安本の背後の白い手袋を乱暴に脱がせ、左の小指を折ると「グシャッ」と音がして、ビニ-ル製の先端部が曲がった。
「これじゃ、痛くもかゆくもないな」
「頬っぺたふくらました上にメガネにひげのばしで蓮田だと? 笑わせるな。さあ、金はどこにある?」
酒上の表情が険しくなり、ベルトに挟んだ拳銃を抜いた。
「言わないと目を撃ち抜く。きさまは赤垣を殺したんだからな。オレたちの調べだと二億近くはあるはずだ。今さら村へ返すことはない。ここは山分けが順当だ。死ぬよりマシだろ。な、どうだ?」
責める側も責められる側も、テレビやヤクザ映画ほど格好いいわけではないが、実際に人殺しを何とも思わない連中だけに始末がわるい。安本が、覚悟をきめたのか不敵にせせら笑う。
「サツ上がりの間抜けなゲ-ム機屋が、鼻の下を長くしてなにをぬかす。そこのメギツネが、てめえだけの女だと思ってるのか?」
あわてたナオミが冷たい口調で、酒上を責めた。
「あんた。安本さえ捕まえれば絶対に金のありかを吐かすっていったのに、はやく吐かすか殺すか、はっきりさせたら」
酒上が驚いた表情で目を剥いてナオミを睨んだ。まさか、自分の女に叱責されるなど考えてもみなかったから怒りがこみ上げる。
「安本の言ったのは、どういうことだ!」
横たわった安本が観念したらしく、落ちついて語りかけた。
「酒上……」
「なんだ。ようやく吐く気になったか?」
「近隣の若い連中に、女を紹介するといっては金をまき上げ、あっちこっちで女を犯させて荒稼ぎしてたらしいな?」
「デタラメ言うな!」
「証人がいるぞ」
「誰だ?」
「そこにいる源三だ。いちど脅して吐かせたことがある」
「ウソだ!」
源三が目を剥いて安本の腹部を蹴とばしたが、安本は続ける。
「見つけた女の隙をみて自分が先に姦(や)って、赤垣や高岩、古川みたいなチンピラにまで犯させてたそうだな?」
「うわさでは聞いてたけど、ほんとなのネッ!?」
ナオミが酒上を睨んでわめいた。
「バカ! あんなヤツの口から出まかせを信じるのか?」
安本が、ナオミにも爆弾を投げつける。
「ナオミはな、そこの善次郎、源三、清次、死んだ古川、高岩にもしょっちゅう抱かれてたんだ。客なんざ、ほとんどが兄弟だろ?
抱かれた男には誰にでも、酒上より床上手だって言うそうだぞ」
今度は、酒上の顔色が変わった。
「ナオミ、ほんとか?」
「ウソよ。でたらめよ。こんな男、撃ち殺すわ。それ貸して!」
興奮したナオミが、安本を撃とうとして酒上の手から拳銃を奪おうとした。酒上が、その手をはねのけて揉み合いになる。
「なにをする。放せ!」
酒上が突き放そうとしても女は離れない。
「あんたら手伝いな。この男をバラしたいんだろ!」
ナオミが叫ぶと、善次郎、源三、清次がいっせいに酒上に飛び掛かった。安本も動いたが手足を縛られた身体が動かず、酒上に蹴飛ばされて転がった。ほぼ同時に酒上の手の拳銃が、続けて二度火を吹き銃弾がはじけた。ナオミが、胸を射抜かれて即死してはじけ飛び、善次郎が左耳を少し削がれて倒れた。硝煙が匂う。
「つぎは、だれだ!」
酒上が血走った目で拳銃を向けると、善次郎を助け起こした源三も、腰を抜かした清次も傷ついた善次郎も、平謝りに詫びる。
「今回は見逃すが、今度変な真似をしたらその場で殺すぞ!」
酒上の目が残忍さを滲ませて冷たく光った。
「安本。もう一度だけチャンスをやるぞ。金のありかさえ言えば助けてやる……言わなければ目をつぶす。どうだ?」
無言の安本に反応はない。酒上が源三に目で合図をした。
「源、このナイフで右目からやれ!」
源三が不機嫌な顔で、酒上から渡された大型のバタフライナイフを開くと、一瞬のためらいもなく刃先を安本の目隠しの右目に突き刺し、力まかせに突き立てグリグリと動かした。くぐもった悲鳴が安本の口から洩れ、血が溢れる。
その凄惨な光景を眺めて、酒上がせせら笑う。
「まだ左目は助かるチャンスがあるぞ。金はどこだ?」
返事はない。その結果、沈黙を守り通した安本は左目も源三に刺されて両目の視力を失い呻いて暴れたが、床から土間に転げ落ちて動かなくなった。清次が、安本を蹴飛ばした。気絶したのかピクリともしない。ただ、そのとき、手足を縛ったロ-プが緩んでいたのを誰も気づかない。
「自業自得のナオミは、藪の中に埋めるんだ」
板を見つけて死体を乗せてから、酒上が安本を見た。安本は気絶したのか微動だにしない。
「もうすぐ出血多量でオダブツさ。デカイ穴を掘っとくからな」
工場内から懐中電灯とスコップを探し出した四人は、シ-トにくるんだナオミの死体を戸板に積んで闇の中に出て行った。
やがて、彼らが帰って来て気付いたときは、開いたままになった裏木戸が夜風でギシギシと音を立ててきしみ、土間に転がっているはずの安本の姿が消えていた。

 

27  若葉の生家

 

「達也さん、まだ飲んでるの? もう午後ですよ」
北島、吉原警部と痛飲中に、友美から携帯に電話が入った。
「まだ夜かと思ってた。声が変だぞ?」
「あら、大分酔ってるのね? いま、上りの新幹線から…」
「新幹線だ? どこえ行ってた?」
「気になることがあって、朝一で三重の津に行ったの」
「それで、何の用だ? オレは酔ってなんかいねえぞ」
「妙な話を聞いたのね……」
「なんだ?」
「昨日の朝、諏訪の宿で、あなたは甲府で仕事だっていうから、起こさないで、わたしが先に宿を出たでしょ?」
「だから何だ? こっちは今、忙しいんだぞ」
「なによ飲んでるだけなのに。じゃ、要点だけ言うわね」
「早くしろ。北さんたちがまだピッチを上げてるんだ」
「あら、また、北島さん達と飲みくらべなんてバカなことを?」
「なんでもいいから、用件だ」
「若葉さんの生家と、プロダクションの社長の藤井さんはお隣り同志だったわよ」
「まさか、藤井は三重、若葉は松本だろ?」
「若葉さんは親戚に養女に出されたのよ。だから、松本で寝た切りなのは若葉さんの養母、実父の兄嫁の伯母さん。分かった?」
「分かりにくいな……」
「生家では、若葉さんのことを無視してます」
「実の父母なら嬉しいだろ? 娘が大スタ-になったんだぞ」
「歌手になってから、生家に一度も顔を出していないんです」
「ガキの頃、養女に出して縁が切れてるからか?」
「でも、彼女の入院治療費も、養母の生活費や看護費も生家から出てて、以前はちょくちょく三重の生家に顔を出してたし、気まずいことなんて何もないのよ……」
「若葉は忙しいだろ。仕送りぐらいはしてるのか?」
「ええ、三重の生家にも、松本の養母にも、お金は毎月きんと多すぎるぐらい、送られてるんですって……」
「新人歌手の給料なんて、一般OLより低いのにな?」
「そんなのプロダクション次第でしょ。それより、変なのは、沢井和歌子さんは、駒ヶ根の病院に入院していたころ、肝臓の悪性腫瘍でかなりの重病人だったそうよ」
「それが、治ったから歌手になってるんじゃないのか?」
「重病人が舞台で歌えます? 肝臓は、過労がいけないのよ」
「バカだな、だから奇跡じゃないか?」
「それと、退院してから歌手になる前に、津市の生家には手土産を持って、一度だけ代理人が挨拶に行ってます」
「一度だけ? なんだ、それは?」
「立派な歌手になったら必ずきちんと挨拶させますから、それまではきちんと仕送りをさせていただきます。ということです」
「あまり血が通った話じゃないな。で、その印象は?」
「それが、きちんとした挨拶で、必ず大歌手にしますから、と自信に溢れた言いようで、集まった近所の人も喜んだそうです」
「妙な話だな……本人が行けばいいのに」
「変でしょう? それからが奇妙なの……」
「どうした?」
「名古屋でショ-があったとき、姉さんが友人と駆けつけて、楽屋に花束とお菓子を届けたら「どちらさん?」と、言われてガッカリし、返事に困って帰って来て「あれは似てるけど他人よ」と、笑ってたそうです」
「分からん。どうなってるんだ?」
「ところでで、誰が挨拶に行ったと思います?」
「藤井か?」
「大外れ。左手の小指のない男……初夏の頃なのに手袋をしてたんで、すぐ近所のおニイさんが見破ったそうです」
「ヤクザ者か?」
「なんと蓮田慎一!」
「……指がない? そういえば蓮田は手袋で手を隠してたな」
「安本もですよ?」
「そうか、安本もだな……」
「拉致された蓮田が、もしも安本だったら、命が危ないわね?」
「蓮田が拉致されたのを何故知ってる?」
「今朝のテレビでやってたわよ。人気歌手・小森若葉の蓮田マネ-ジャ-誘拐。身代金目当てか!って、しかも、ごていねいに、ボディガ-ド付きにもかかわらずですって」
「うるさい! オレが奪回してみせる」
「そんなの無理よ。それと、赤城さんから携帯に連絡が入って、あの白骨死体……複顔で出たのは赤垣だったそうです」
「やっぱり!」
「じゃ、切るわ」
「ま、情報は感謝してるぞ、食事おごるからな」
「オ-クラ別館のフランス料理ね?」
「おい、待て。そんなのダメだ。いつもの中華だ」
電話が切れた。
「さあ、北さん。お待たせしました。腰をすえて……」
「バカいうな、山梨だって事情は知ってるぞ。安本と蓮田が同じだってえのが分かったのに、だまって酒が飲めるか。あんたたちに地元を荒らされて雑誌の記事で稼がれちゃ、わしらの顔が丸潰れだ。
ただし、友美さんの原稿料が入ったら招待で飲み会を開くってんなら別だがな」
達也にとっても、探す相手が安本となると話が違ってくる。藤井と若葉が、その正体を知っていたとなると、今までの協力者がお互いに敵になる。もったいないが酔いが覚めた。
「蓮田は殺されるな。佐賀君はどう見る?」
「相手が酒上なら、サツ上がりだから自供させるにはヤクザより残忍な手を使うでしょう。蓮田が安本と知ってのことならもう耳ぐらいは削がれてますな。本人を責めてもムダなのは彼らもプロだからすぐ分かる。若葉を拉致して安本の目の前で子分に責めまくらせ、安本に金のありかを吐かせる手でしょうな」
部下に抱えられるようにして北島が去った。
飲みくらべは痛み分けだが、支払いは山梨県警になっていた。
達也だけが部屋に居残り、ない知恵を絞ってみる。
まず、友美のいう駒ヶ根の病院に当たってみる手を考えつく。
肝臓は過労に弱い臓器だけに、歌手の激務に耐えられるのか気になるところだ。
一〇四で番号を調べて、部屋の電話から駒ヶ根病院にかけると受け付けのナ-スが出た。元警視庁刑事の佐賀と自己紹介するときに、元というところだけ小声だから相手は本物の刑事からだと思ってかたくなる。院長、副院長ともまだ出勤してないという。
「責任者がいないとなると、患者のプライバシ-は明かせないでしょう。ならば、一つだけでけっこうです。昨年の夏、肝臓がわるかった沢井和歌子さんのその後を……」
嬉しそうに沢井和歌子が人気歌手の小森若葉だという。
「そうですか……あの若葉が?」
思いっきり驚いたふりをすると、相手の心がほぐれたようで質問から外れたことまで話しはじめた。そして達也は、軽いノイロ-ゼで入院していた中条留美が、一昨年の八月中旬に東京の病院に移って、すぐ肝臓の悪性腫瘍が原因で死亡していたことを看護婦の口から確認した。
生前、中条留美と沢井和歌子が一緒だった頃は、いつも二人でコ-ラスを楽しみ、歌手への夢を語り合っていたことも、おしゃべりのナ-スが語り加えた。
沢井和歌子-小森若葉-中条留美……どこか、見えない糸でつながっている。
また、友美からの電話が入った。
「新幹線の壁ニュ-スの字幕に出たのを控えましたから読みますからね。人気歌手の小森若葉が発生練習中に心臓発作で倒れ、急性の呼吸困難を併発、都内港区の救急病院に緊急入院して医師の診察を受けました。その結果、喉にポリ-ブが発見され、声帯に負担がかかる歌手生活は生命の危険を招くと診断され、今後の歌手生活に赤信号が灯りました。小森若葉の所属する藤井オフィスの藤井明弘社長は、ただちに小森若葉の引退を表明、この人命第一の決断に、バ-レルレコ-ドでも賛同して、これを了承しました……です。どうです? この早技、あなた、藤井は手ごわいわよ。飲んでる場合じ
ゃないでしょ?」
「うるさい。いま、作戦を考えてるところだ。病院に電話したらなナ-スまでが騙されてる。一番の元凶は駒ヶ根かも知れんぞ」
「まさか?」
「考えてみろ、医者が医者とグルになったらどうなる?」
「カルテも死亡診断書も? でも、それは許されない行為よ」
「僧侶、警官、教員、医師……聖職だから悪いことしないか?」
「そんな……もし、そうなら恐ろしいことね」