第四章 中禅寺湖

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1、表の暴力団

「この文化財的遺跡が度重なる男体山の噴火で崩れ、中禅寺湖の湖底深く眠っているのは過去の学術的探査でも確認されている」
新宿河田町の曙テレビ会議室で中森部長がホワイトボードに中禅寺湖の絵図を描き、数人のスタッフに制作意図を説明している。
「明治35年、この年は一月早々、青森八甲田山の雪中行軍で197名の軍人が死亡するという事件が発生し、世情騒然とする年だった。気候も不順で人々はみな天変地異を恐れていたが案の定、男体山も山津波に見舞われた。頂上から大きく山肌を抉るように崩れた土砂は、山の形さえ変える勢いで湖畔の仏閣をのみ込み、中禅寺湖にな
だれ落ちたそうだ。このとき、湖にのまれた寺の宝物などが大変な価値を生むらしいという噂が今、まことしやかに流れているんだ」
「どんな宝物です?」
下請会社から出向の星野が、企画書を作成して知っているのに呼び水役を買って出た。
「男体山の山頂や、薙と呼ばれる土砂崩れに抉られた山腹、崩れ落ちた湖の中から出た遺物等は二荒山中宮祠の宝物殿に納まっているが、鏡、銅印、古銭など奈良時代の物らしい。
超音波探査器を用いて湖底の泥の中を調べたところ刀剣、鎧などの武具の他に仏教施設の残骸などが沢山埋もれているというが、それだけじゃない」
「まだ、あるんですか?」
「なにやら、五十メートルもある大きな物体が深いところでキャッチされたそうだ」
「五十メートル?」
「なんですかそれは?」
「難破した舟じゃないんですか?」
「舟はせいぜい八メートルだから、とんでもない物があるに違いないと話題になった」
「まさか、生きものじゃないでしょうね」
「中禅寺湖にネッシーはいないさ。今までに目撃されたのは、二メートルの赤腹のイモリと二メートル近いレイクトラウトという淡水魚がせいぜいで、化けものはいない」
「それで、想像はついてるんですか?」
「いや。信州諏訪湖の最深部にも形は違うが巨大な物体があることが探査で判明しているように、いつの時代にか意図的に湖の中央に建造物か加工品を沈めた者がいるらしい。それが超高価な品物か、考古学的に重要な物かは知らないが、とにかく探ってみる価値はあると思うんだ」
「揚げてみればいいのに」
「ところが、中禅寺湖でもっとも深い172メートルの湖底のさらに十メートル近い地中に埋められているから、そう簡単にはいかないだろう」
「そうですね。サルベージ会社に頼んだら何千万、いや、億単位の金が必要ですね」
「われわれは、視聴者に楽しんでもらえばいい。欲得で仕事をしてるんじゃないんだ。夢をテレビに乗せようじゃないか」
「どのような切り口で画面に出しますか?」
「日光の歴史が始まって、日光を代表する華厳の滝、これは、この前放映して大好評だった放瀑のシーンを流そう。男体山、湯ノ湖、光徳牧場や樹林、草花、渓流も入れようか。カメラ班とレポーターは男体山の頂上まで登って山頂から見た中禅寺湖の全景を入れ、ゆっくりと下山のシーンを撮る。
ここで遺跡が山頂から崩れ落ちるシーンをCG(コンピュータグラフィック)で挟み込む。
探査器を積み込んだ船、無人水中カメラの説明を入れ、ウェットスーツ着用の水中カメラマンと湖の風景をダブらせ、ムードを盛り上げてから探査器、水中カメラを用いての水中撮影といこう」
「部長。無人テレビロボカメラの使用可能深度は最大150メートルですよ」
「一割ぐらいの余裕はあるもんだよ。最深部もライトが届くところまで探ろうや」
「有人カメラは浅いところだけですね」
「限度いっぱいまで潜ってもらおう」
「危険はありませんか?」
「分からん。謎の多い湖だ。水温が低いため湖底に沈んだ死体は、腐ることもなく藻にからまってゆらゆらと沈んだまま揺れている」
「じゃ、身体もそのまま残るんですか?」
「いや、死肉をあさる魚もいるらしいからボロボロになった衣類と骨だけが揺れている」
「見たことあるんですか?」
「聞いた話だよ」
「危険はないんですね?」
「危険はある。湖の中ではなく湖の外だ」
「どういう意味ですか?」
「四月下旬の華厳の滝ロケのとき、中禅寺湖の水中撮影許可も一緒に出したのを覚えているか?」
「日光警察署へでしたね?」
「そうだ。あの日、時間的余裕があったら湖の中にも一、二時間カメラを入れたかったが前の晩、邪魔が入った」
「海堂敬作代議士でしたね」
「そうだ。警察か漁協か、国立公園管理事務所が知らせたんだろうな」
「なぜ邪魔をするんです?」
「理由は『神聖な湖にカメラなど入れると神仏の怒りを買い必ず祟りがある』というのだが、どうも理屈に合わないことばかりだから水中ロケを強行すると通告したところ、スタッフ全員の生命が保障できないと脅して来た。取材されてまずいことがあるのだろう」
「なにがまずいんでしょうね」
「分からん。しかし、海堂は選挙と金で動く男だ。創生界がらみで踊らされている可能性もある」
「面白そうですね。やってみますか?」
「星野君は賛成か。越塚さんはどう思う?」
第三制作部の仕事を引き受けている制作会社の役員でもあるスタッフの越塚が口を開いた。
「華厳の滝で15パーセントだったから『中禅寺湖の謎の物体に迫る』となれば18は確実ですな」
「なるほど。視聴率は稼げるか?」
「稼げますね」
「やるか?」
「やりましょう」
「危険は?」
「防ぎます!」
星野が毅然としていい放った。
「相手は、あの晩ホテルでトグロを巻いていたマムシのような連中だぞ」
「マムシでもオロチでも毒には毒を、です」
「暴力団でも雇うのか?」
「まさか。テレビ局のロケに暴力団はまずいでしょう?」
「いや。今まででも地方のロケの際に挨拶をしたところ、裏で手伝ってもらったことは何回かある」
「でも、地元のヤクザも敵にまわすことになりますから」
「どうするんだ?」
「ヤクザに対抗できるのは法的に認められた表の暴力団しかありませんよ」
「表の?何のことかい?」
「警察ですよ。彼らは鍛えられた集団です」
「いや、ダメだ。地元の警察は上から下まで海堂の息がかかっている」
「地元じゃありません。警視庁です」
「冗談じゃない。民間のロケに警視庁が動くものか」
「警視庁のあぶれ者、はみ出し組ですよ」
「そんな組織があるのか?」
「警視庁を理由あって退職した連中が徒党を組んでボディガード派遣の専門会社をやってるんです。一日だけなら予算内でいけます」
「面白いアイディアだな。なんて会社だ?」
「メガロガとかいう会社で、社長は刑事部捜査二課の警部だった人で田島といいます」
「よしっ。任せるから交渉してくれ」
交渉もなにもない、星野の仲間なのだ。

「諸君。仕事が舞い込んだぞ」
千代田区神田司町一丁目のビルの五階にあるメガロガの応接、会議、研修室を兼ねた長テーブルを並べただけの殺風景な部屋に、社長の田島が笑顔を見せながら入って来た。
専務兼行動部隊長の達也を囲んで雑談中の、荒井、斉東、峯石、浦松、土井の顔に緊張感が漂う。社長の田島を入れて総勢七名になる。
社長の田島が笑顔のときはいい仕事が入ったときで、いい仕事とは危険度が高いことを意味する。全員の背筋がシャンとした。
「ハイジャックの身代わりですか?」
土井主任が先手を打って質問した。
「そんなんじゃない。テレビの仕事だ」
「えっ。テレビですかっ?」
全員が目を輝やかす。
「で、ボクの役どころは?」
斉東が身を乗り出した。警察官としては巡査で退職したが、若い頃からの役者志望だったという。それも格闘技専門のスター志望だ。
「出演と間違えてるんじゃないだろうな?」
「えっ。出演じゃないんですか?」
「おまえたちの職業はなんだ?」
「ハイ。要人の身辺警護であります」
「ちょっと待て」
田島が、斉東を諭す。
「その理念でメガロガはスタ-トした。ところが最近は、要人でもなんでもないところから身辺警護の話が入ってくる。だから、要人の、というところはカットしろ」
「ハイ。要人および一般人の」
「待て。それだと差別になるな。依頼者の、としよう」
「ハイ。依頼者の身辺警護」
「イヤ。それもダメだ。依頼者から頼まれた人物としよう」
「ハイ。依頼者より頼まれた人物の身辺警護です」
「まあいいか。とりあえず、依頼者は曙テレビ第三制作局特別班、警護を依頼された人物は撮影班スタッフおよび取材ゲスト約五十名だ」
「なんですか、それ?」
「なんですかって、仕事だよ、仕事」
それまで沈黙していた達也が補足した。
「七人で五十名を守れってことだ」
「いや、違う」
「どう違うんです?」
「オレと達ちゃんは、参議院選挙の方にまわるから、荒井課長にチーフを頼み五名で担当することになる。な、荒井課長。それでどうだろう?」
荒井栄二は、警視庁防犯部の保安第一課係長として風俗営業の取締りを最終暦として定年を迎え、旧知の仲の田島に招かれてメガロガの若手指導に当たっている。
田島も達也も荒井には一目おいている。
「相手は?」
「なんの?」
「ガードするということは、仮想の敵がいることになるだろう?相手は誰だね」
「その前にちょっと!」
達也がさえぎった。
「さっき、曙テレビのなんていいました?」
「第三制作局特別班だったかな」
「もしかしたら、制作局第三制作部の特別企画室の中森班のことかも知れませんね」
「いつか達ちゃんが華厳の滝で会った?」
「多分、あのメンバーだとすると、相手は東の暴力団栃内組と西の暴力団六甲会、ただポーッとしてるだけでギャラの入る仕事じゃありませんね」
「危険度は?松、竹、梅どれだ?」
「狙われれば限りなく危ないから松ですね」
「そうか、危険度は松か・・・」
田島が少し間をおいて告げた。
「よしっ。チーフは達ちゃんだ。荒井さんはオレと参議院選挙のガードにまわる」
「またですか。危ない橋は全部オレに渡らせるんだからな。まあ、引き受けましょう」
達也がメンバーを見まわした。
土井豊は、柔道三段、巡査長時代に不動産がらみのトラブルで傷害事件を起こし、辞職をしてから留置場で三か月間暮らしたことがある。拓大出身の三十五歳、中野署の外勤にいた。
浦松治は、愛知県出身の三十二歳。愛知県の大学で法律を学び、国家公務員Ⅰ種に合格し、キャリアと呼ばれる警察機構の中のエリートを約束されて警察庁に入ったが、父の病気により会社を継がねばならず中途退職し帰郷、父の再起後再び上京し田島の元で働いている。
峯石譲三十歳。港区生まれで六本木育ち、日大経済を経て警視庁巡査となったが、二十四時間勤務のあとの二十四時間非番中に警備会社のバイトをしたのがバレて肩を叩かれ退職。杉並区役所の厚生部でまじめに働いたが規則正しい生活に飽きて退職。ケンカに明け暮れた結果、目が覚めてメガロガに生き甲斐を求めたのだ。
斉東敬三は、高校時代から演劇に憧れ、役者志望だったが、父が警察官だったことから静岡市の高校卒業後上京し、公務員試験を受け警察官になった。学科、適性検査、身元調査など試験やチェックによる約八倍の狭い門を抜け、全寮制の警察学校に入った時点で役者の夢は破れた。警察学校を卒業し、警ら課に配属され交番勤務に
着任したが、外勤係長といわれる警部補ともめったに顔を合わせることなく、同僚との交流も少なく独身寮の生活は孤独だった。休日も一人で映画、パチンコと暇をつぶすうちにギャンブルにのめり込んだ。
当然、業務主任の目に留まる。話し合いの結果、警察官の生活に不向きと判断され、業務主任の友人である田島が経営するメガロガを紹介されたのだ。
メガロガでは水を得た魚のように生き返っている。
ここでは全員がファミリーなのだ。
会議には顔を出していないが、恐喝犯を脅し暴力を振るって逆告訴され警部補を棒に振った男がいたり、現役の刑事が無償で顧問をしたりもしている。
メガロガと対をなす異色の企業に、SSSという会社がある。セキュリティ・サポート・サービスといい、メガロガが警視庁刑事部出身者のたまり場であるのに対して、SSSは公安部出身者を柱にして企業が組織化され、海外赴任者の安全確保および誘拐事件の解決などを目的に内外企業と契約を結び、年間十億円近い実績を上げ
ている。従業員数は約百五十、すでにビッグビジネスとして成功している。
メガロガは年商四千万、人員九名だが迫力が違う。殺しを取り締まって来たプロの集団から一匹狼を集めて軍団に仕立てたからだ。
身辺警護の仕事は本来受け身をモットーにしているが、メガロガは攻撃的な集団である。相手が暴力に出たら身体を張ってゲストを守るという警護の鉄則など守らない。
それを知らずに曙テレビは仕事を依頼した。

 

2、黄金伝説

六月も中旬になると奥日光にも夏が来る。
高原の夏は短い。
山々の残雪が消え、雪解け水に渓流魚が踊り、霧降高原の山の斜面がニッコウキスゲのまばゆいばかりの黄金色一色に塗りつぶされると夏が来て、キスゲの群落がススキの色に変わったとき秋のおとずれとなる。
その短い夏のある日、いよいよ曙テレビの中禅寺湖水中ロケ班が奥日光に集結する。
その噂は、口こみで広まった。
「やはり、マスコミは信用できんな」
内村雄太郎の報告を受けて、海堂敬作は苦い表情で厚い唇を前に突き出し、不快さを露わにして第一秘書の内村に嫌味をいう。議員会館の一室、二人だけの会話だった。
「あれだけ湖の調査をやめさせろといったのに、なんの手も打てんのか、能なしめ。こんなことでオレの地盤を継げると思っとるのか!」
「申し訳ありません」
「脅迫に応じない、といってテープを送って来た中森をなぜ消さん!」
「殺す理由がありません」
「テープを録音されたじゃないか?」
「あの電話の様子では、盗聴器を使って離れた位置から音をとっています」
「誰だ犯人は?公安か?」
「警察ではありません」
「工藤が糸を引いたか?」
「イヤ。工藤はそんな小技をやる男ではありません」
「あの男はあてにならなかった」
「なにを言います。工藤は先生の秘書じゃないですか」
「その前に、おまえの腹心の部下じゃろうが」
「私は部下を殺すような真似はしません!」
「ほう。棘のあるいいようじゃな。工藤は自殺だと言い出したのは、雄太郎、おまえだぞ」
「それは、先生に傷がつくからです」
「他殺だと思っとるのか?」
「なんともいえません」
「ホテルでの盗聴テープは誰が録った?」
「光徳で永田の私刑を見たあの女でしょう」
「ほう。生きてたのか?」
「こんどは確実に処分するよう指示してあります」
「相手の男はどうした?」
「車に細工をし事故死させる予定でしたが、救急車で運ばれ重傷で入院中とのことです」
「もう一人の女はどうした?おまえの抱いた女だ」
「きちんと始末したと報告を受けていますが、はっきり分かりません。黒崎らからの連絡がその後ピタッと止まってるんです」
「女の実家はどこだ?」
「仙台ですが、実家にもいません」
「雄太郎、おまえ、ひょっとしてその女、かくまっているんじゃないだろうな?」
「なにをいうんです。彼女は疑いはじめたから姿を消したんですよ」
「もしも、わしを裏切ったらオヤジの縁はあるが容赦しないぞ。おまえも工藤と同じに」
「やっぱり。工藤はオヤジさんの指示で?」
「違う。違うぞ。言葉のアヤだ」
「いや、今の口調で自白したも同然です」
「自白とはなんだ。失礼じゃないか」
「いいんです。過ぎたことを追っても仕方ないです。理由を聞かせてください。工藤がなにをしたんです」
「どういうことだ?」
「いい加減にしろ。いい気になるなよ。おまえはオレの秘書だ。オレのいう通りに動いているからこそ有能な秘書だといわれるんだ」
「では、なぜ工藤殺しを私に隠すんです」
「やってないことはいえん」
「警察は殺人教唆で先生を狙ってるのに気が付かないんですか?」
「わしはなにもしておらん」
「警察は、凶器の刃物とワンセットで下手人を出せといって来ています。この件はそれでチャラにするというので手を打ちます」
「光徳の永田と同じ手か?」
「永田はダメです。あれは公安部のレッキとした刑事ですから妥協しません。栃内組は壊滅させられますし、創生界にも捜索の手は入ります」
「ここまで手は伸びるのか?」
「ここまでは届きません。手は打ってあります。しかし、工藤殺しは、先生の命とりになる可能性があります」
「なんでだ?」
「私が手引きするからです」
「なんだと?もう一度いってみろ!」
「私の知らない間に、部下が殺されたんです。立場上、こじつけて自殺説を流しましたが他殺であることは誰が見ても分かります。
しかも、雇い主である海堂先生すら知らないとなれば、きっちりと調べてもらうより仕方ないではありませんか。それとも、犯人を出しますか?本当は六甲会ですか?」
「そうだ。六甲会だ。工藤は、警察のスパイだったんだ」
「証拠はあるんですか?なぜ殺ったんです」
「秘密を知られたからだ」
「なんのですか?」
「おまえの死んだオヤジとわしは、町議時代郷土史の研究グループで一緒だった」
「知ってます」
「明治、大正と二度の山崩れで男体山の奥宮にある宝物殿は、古薙の土砂にまき込まれて菖蒲ヶ浜沖に流れ込み、二荒山神社は観音薙を滑落した土砂と共に八丁出島の寺ヶ崎めがけて鳥居から神殿にいたるまでを沈めてしまった」
「その程度は知ってます」
「話はこれからだ。おまえのオヤジもわしも将来は国政に参加しようと誓い合っていたから、将来の資金源になりそうな話ならなんでもとびついたものだ」
「金目のものがあったんですか?」
「そうだ。昔は神仏混淆で神社にも仏像などがあった時代で、奈良、平安時代の木像に加えて安土桃山、江戸時代の金の観音像があることが古文書から知れたのだ」
「その金の像、家にもあって父が神社に寄贈しました」
「そうだ。内村はわしと、横手という男と三人で若陰に火を焚いて、夏中素潜りをして金目のものを引き上げたが、ある日・・・」
「どうしたんですか?」
「横手が浮いて来なかったんだ」
「溺れたんですか?」
「何しろ、氷点に近い三度という冷たい水だから、保革油を塗って潜るんだけど心臓が締めつけられるほど冷えて痛むんだ。せいぜい一日二回が限度だった。横手は欲ばって三回潜って力つきたんだな。内村と一緒に潜ってみたら、両手で観音像をしっかりと抱えたまま目を見開いて湖底で仰向けに倒れていた。
わしらは恐ろしくなってそれぞれ家に逃げ帰って知らぬ振りをしたが、三日過ぎて横手の女房が子供連れで来た。横手がわしの家に行くといい残して姿を消していたんだ」
「どう説明したんですか?」
「もしかしたら東京へ行ったと思うと答えた。
以前から東京に出て一旗上げたい、が口ぐせだったからな」
「父が死ぬ間際にいい残したのとは、少し筋書きが違いますね」
「どう違うんだ」
「若い頃、仲間と湖に潜って宝探しをしたが、分け前でもめて、仲間の一人が金の仏像で一人を殴り殺して湖に沈めたと聞きました」
「やめろ。そんな話はでたらめだ」
「白骨でも出れば頭蓋骨陥没が判明します」
「いかん。絶対いかん」
「それを工藤に握られたんですか?」
「工藤はわしの尻尾を握って脅して来た。横手の女房が病死する前に、知り合いだった工藤の母親にわしが怪しいといい残したらしい」
内村は、自分の父の死因も疑った。

黄金伝説は曙テレビにも伝わっていた。
「いつか取材した石裂山の麓の神社を覚えてるか?鹿沼市から日光に近い山の中の」
中森が星野と曙テレビの正門左側地下にあるレストラン「ルポルト」で食事をしながら仕事の打ち合わせをしている。
タレントや局の仲間が挨拶をすると、その都度、会話が途絶えた。聞かれたくないのだ。声が小さくなる。
「先代が参議院議員に出て、息子さんは靖国権現の宮司になって、今は昔の氏子総代が家を守っている。廃屋にしておくのはもったいないし」
「五百年以前の作だという金の観音像がある。
ある男が中禅寺湖から引き揚げたが一緒にいた仲間が死んだので供養したいと寄贈した」
「あのとき、スタジオで因縁付きの観音像と紹介し、除霊をして返したのを覚えてるか?」
「部長が借りて、返すのは原田君が行ったとか」
「そうだ。あの金の観音像にはカラクリがあった。あれは、十一面観世音菩薩像といい、変化面が取り換えられるように嵌めこみになっていた。多分、持ち主は知らなかったんだ」
「外すとなにか出るんですか?」
「観音像には、顔の上の変化面、首に巻く三道、最下段の框座とその上の受座などが嵌め込みにしやすい場所で、変化面を外さないと三道が外れず、框座を外さないと受座が外れないようになっていた。かなり難しい」
「外したんですか?」
「中に筒が入っていて、筒を開けると古地図の切れはしが出て来た。大久保長安のだ」
「古い地図?読みとれるんですか?」
「吉野の和紙を用いていて殆ど変色もなく保存状態からみたら最良だったな」
「中味は?」
「きちんと筒ごと元に戻してお返しした」
「どんな図面だったんです?」
「これだ。コピーをとっておいた」
中森がコ-ヒーカップを横にずらし、小さな絵図面を星野との間に置いた。
筆で大ざっぱな線が描かれ、文字と記号があるだけのスケッチ風古地図がコピーされていた。図から見て三分の一の断片らしい。
「こんな秘密を明かしていいんですか?」
「正直いうと黙っているつもりだった。ところがこの数日間、嫌な出来事が続いている。
DMの封筒の中にカミソリの刃が入っていたり、爆竹の入った菓子包みが宅急便で届いたり、自動車のブレーキが細工されたりしている。一人娘は関西に嫁いじゃって安全だけど、ワイフがノイローゼ気味でね。これらは明らかに彼らの警告だ。
万が一を考えて明かしておく」
「分かりました。秘密は守ります」
「それから、テレビは公共のものだ。だからといってニュースじゃないのに真実をそのまま放送したら内容によってはパニックになる。われわれは私欲を捨てるのだ」
「それは、つねづね部長からいわれて耳にタコです。撮影は刺激的な画面を外します」
「この絵図が入っていた観音像は、寄贈した氏子によると、中禅寺湖から出たらしい。よくは分からんがこの絵図の片割れは多分、あの海堂一派が押さえていると思われる」
「あとの三分の一の紙片は?」
「湖の中に間違いない」
「この図は、湖の東側だけのようですが、この×印はなんです」
「ここは確認済みだ」
「この図からみると点線が滝の下にありますね?ここに×印ということは?」
「洞くつだったんだ。岩が崩れ年々滝の位置が湖に近くなって、今は滝の真下に×印が来ている」
「と、いうことは?」
「説明しなくてわるかったが、華厳の滝のロケにはこの×点を確認したい気持ちもあったんだ」
「そうですか。なにも気付きませんでしたが、なにがあったんです?」
星野の目が探るように中森を見た。
中森の目は澄んでいた。残念そうにいう。
「なにもなかった。この×印は修験者の洞くつという意味だったのかなあ」
「そうですか、なにもありませんでしたか」
予測した通りの答えが戻って来た。
ロケから戻ると撮影したビデオは必ず目を通し、万が一の事故を考慮して複写しておく。
撮影する機材は業務用のべーカム方式のカメラを用いるので一般で観るには、ホームビデオ用カセットに変換しなければならない。
星野は羽根警部補との約束もあり、帰社後、中森と別れてから徹夜で映像をダビングした。
翌朝、中森が星野の作業室に来て手直しをした。フイルム撮影の時代はハサミを入れてカットしたが、ビデオだと切りたい部分だけにカラ撮影を入れて不必要な部分を消す。
中森としては珍しいことだった。
中森は、星野がすでに原版をダビングしたのを知らない。
星野は、中森がデスクに戻ってからカットした部分を確認し、ダビングしてあった映像をコマ送りして内容をチェックした。
水中撮影班のダイバーがブラウントラウトに襲われたときの映像でカットするほどのものではない。恐怖の表情も潜水キャップに隠れている。
(なにがきになるのか)
ふと、ダイバーの奥の滝つぼの底を見た。
静止するとボケる。コマ送りを繰り返す。
角ばった岩が見える。さらに目を凝らす。
岩と同じ色だが明らかに岩ではない。
(箱だ!)
それも重なって奥に続いている。画面が闇になって奥は見えない。かなりの数だ。
見慣れない箱だった。
(千両箱?)
映画などで見る千両箱よりは大きい。
(金塊か、十両大判が入っている!)
秀吉から家康への治世と続く慶長六年から元禄八年にかけてつくられた44・1匁(165・375グラム)の大判がぎっしり詰まった木箱だとしたら、一つだけでも骨董価値を含めて巨億の富となる。星野は身震いした。
徳川幕府崩壊に際して埋められた徳川埋蔵金だとしたら、ライバル局の新東京テレビが大井という有名なプランナーを表面に立てて赤城の山を掘り崩し続けているのは、見当違いも甚だしい。
星野は腕組みをして目を閉じた。
中国の故事を好む先輩の一言が胸に浮かぶ。
「粗にして野なれど卑ならず」
その仙人のごとき先輩は、定年後の人生を渓流釣り一筋で悠々自適の生活を送っている。
(卑ならずか・・・)
星野は、中森が修正した原版から警察提出用をダビングした。人の顔も指も消えている。夢は夢のままでいいとする中森の意図が分かった。事件を避けたいのだ。
警察官の立場を捨てたこの時の星野は、玄徳に尽くす諸葛亮の心境といえた。

 

3、菖蒲ヶ浜

「なんということだ!」
内村雄太郎は乗用車の助手席の窓から湖の方角を眺め、愕然として目を剥いた。
沖の船からの荷を運ぶ創生界のワゴン車三台を従えて来た菖蒲ヶ浜のキャンプ場に、大きな焚き火の輪が出来ている。内村の車に同情してきた六甲界の高山鉄次が不快感まる出しの顔で喚いた。
「なんやね、こいつらは?」
高山が車から降りて湖の岸辺に歩いた。
「キャンプ場事務所へ電話しますか?」
運転席の真木が、交渉役を買って出た。
車内用電話をプッシュし、管理事務所を呼び出す。真木は工藤に代わる内村の部下だ。
「海堂敬作事務所だが」
「なんですか?」
「なんですかじゃない。今朝、電話して午後から使うからキャンプ場を空けておくように伝えたろう」
「聞きましたが、先約があるからとお断りしたはずです」
「栃木県は今、誰で持っていると思ってる」
「県民です」
「県民の大多数が選んだ海堂先生が力を振るっているからこそ、無事暮らせるんだ」
「われわれの税金で仕事してるんでしょ」
「生意気な。仕事できないようにしてやるぞ!」
「どうぞ。私は定年後の隠居仕事だから」
内村が受話器をうばい取った。
「部下が失礼しました。内村といいます」
「内村さん?あ、どうも。お父さんにはお世話になりました」
「急で済みませんが、あの人たちに移動してもらえる場所はありませんかねえ」
「内村さんから頼まれたら・・・。ちょっと待ってください。じゃ、五分後に電話ください」
電話は切れた。
「この場所を確保すると創生界に約束したんだ。絶対に確保しろ。明日になれば、曙テレビのロケ隊がここに終結する。
その前に、創生界に仕事をさせるんだ」
「どんな仕事なんですか?」
「もう内部には隠せない。ダイバーを入れてこの菖蒲ヶ浜沖に沈んでいる死体を回収するんだ」
「死体を?誰のです?」
「知るものか。創生界の連中の内ゲバかなんか知らんがバカなやつらだ。まさか、テレビロケが来るとは思ってもみなかったのか、情報を流したらあわてふためいている。ただ」
「なんですか?」
「ただ、創生界が今、問題になると都合がわるいことが続けて出るからな」
「どんなことですか?」
「創生界がインサイダー取引などで得た不法な資金が、かなり海堂事務所に流れている。先生が国会に喚問されて追及されるようなことになれば、かなり苦しくなる」
「六甲会との交流もまずいですね」
「そうだ、あれも、創生界が六甲会を使って株主総会荒らしを目論み、うちの先生の関係企業がオレたちの知らない間に罠にはまって彼らと妥協を、手を組んでしまった」
「内村先生は反対だったんですね?」
「今でも反対だ。政治家が投資グループや暴力団と手を組んでどうする?自滅の坂道を転がり落ちるだけだ。もう海堂敬作は終わりだな」
「あ、五分過ぎました。電話します」
真木信太郎は、やはり父親が県会議員だった関係で東京の私大法学部を卒業後、修行を兼ねて海堂事務所に勤め二年三ヶ月になる。
「千手ヶ浜だね。よし分かった。交渉はこちらでやる。私たちは絶対ここが必要なんだ」
受話器をおいた真木が内村に告げた。
「千手ヶ浜のキャンプ場で受け入れてくれるそうです。移動してもらいますか?」
「よし。真木、おまえ行ってかけ合って来い。ダメならすぐ戻って来い。オレが行く」
「条件は?」
「金だ。ほしいだけ払うといえ。創生界の連中の手前もある。栃木県内で顔が利かないと恥をかくからな」
「ハイ。行って来ます」
トランシーバーで他の三台の車の運転手に待機の指令を出し、真木が運転席から降り、バンガローの並ぶ林を抜け、テントに囲まれた広場に走った。
広場の湖寄りに針葉樹の森があり、湖がその先に広々と水をたたえている。
「責任者の方はいますか?」
顔中に白いひげをのばし、長袖のサファリルックの下にエンジのセーターを着こんだ初老の男がのっそりと一、二歩前に出た。
「森元というが、なにか用かね?」
「私は、こういうものです」
真木が名刺を出した。
「コウユウものさまか。高優か孝裕か・・・と、メガネ・・・いや、いい。口があるから口でいえ、耳があるから耳で聞く。ほら、名刺は返すから口で説明してくれたまえ」
これで真木のタイミングがずれた。
「私は、自主党議員海堂敬作事務所の真木信太郎といいます」
「立候補したのはどちらかね?」
「なにがです?」
「ほら、今、カイドウとマキとかいったろうに」
「立候補じゃありません。海堂は現職の衆議院議員です」
「衆議院?今度の選挙は参議院だよ」
「知ってますよ」
「衆議院だったら選挙運動は早すぎるよ。でもいいか。選挙区はどこかね?」
「栃木一区です」
「栃木?オイ。誰か栃木で選挙権もってるのいるか?いるわけないな。全員、東京から来たんだから。海堂って知っているか?」
「栃木じゃ渡部三千造、ミッチぐらいしか知らないなあ。選挙は三十年行ってない」
「誰も知らないようだよ」
「そんなことどうでもいいから、ここを立ち退いて千手ヶ浜キャンプ場に移動してもらえないでしょうか?お礼はします」
「なんで?」
「この場所がどうしても必要なんです。移動していただくための補償は充分します」
「明日になれば立ち退きますよ」
「今、すぐお願いしたいんです」
「分かりました。みなさん。聞きましたか。栃木の代議士さんが今すぐここを使って選挙演説をしたいんで私たちに移動してほしいそうです。お金もいただけるそうです」
「ご理解いただいてありがとうございます。ご希望の金額はいかほどでしょうか?」
「おい、会計の中原先生、いくらもらう?」
「縄文時代ですから石の貨幣で二枚ほど」
「石の?」
「ここは今、縄文式土器を焼いてるところです。お金も古いものでお願いします。ほら、テレビで原始人が転がして運ぶCMがあるでしょう。インスタントラーメンの、あれですよ」
「あんたたち、ふざけてるんですか?」
「まじめですよ。じゃあ、お金はあとにしましょう。みなさん、用意はいいですか?」
「いつでもどうぞ」
「さあ、移動させてください」
誰もあわてる風もない。ニコニコしながら焚き火のまわりに板を敷き、かねてより形づくってきたものを並べ、火勢を少しずつ増しながら色具合などを見て楽しんでいる。
「どうしたんです。どうぞ、このままそっくり移動させてください。あなた二十世紀の人でしょ」
「だからって、そんなこと出来るわけないじゃないですか」
「ハア。あなたに出来ないことを私たちに押しつけるんですか?」
笑いをこらえていた縄文土器研究会の二十人ほどのメンバ-が一斉に笑い出した。
岸辺から戻った六甲会の高山鉄次がきびしい顔をして内村を誘った。
「内村さん。これはどういうことだ?」
「見ての通り、縄文式土器を焼いてますな」
「約束が違うてるやないか。地元なら出来ないことないと言うたのは誰や」
「あいにくと、集まっている連中が地元の人間じゃないんで、仕方ないでしょう」
「内村さん。あんた六甲会を少しなめてるんとちがうかね?」
六甲会きっての武闘派といわれる高山鉄次ことテツが、内村に顔を付けるようにして三白眼で睨んだ。二人は並んで湖畔に立っている。樹木でさえぎられて広場からは見えない。
内村が涼しい顔でテツの蛇のような目を見つめている。やはり、役者は上のようだ。
「内村。どないする?」
「それは、そちらでお決めなさい」
「海堂組は高見の見物かね?」
「いや、高見の見物はしないでしょうな」
「どうしたいんじゃ?」
「殺しの集団と共闘はしたくない」
「袂を別つというんか?」
「止むを得ない状況だと判断している」
「生き残れると思うとるんか?」
「当然だよ。お望みなら闘うまでさ」
「創生界、六甲会、栃内組を敵にまわすんか?」
「敵になるか味方になるかはフタを開けてみないと分からんでしょうな」
「それは、海堂の考えか?」
「いや。これは内村個人の意志ですよ」
「工藤と同じ目におうてもいいんだな」
「ほう、創生会も絡んでたのかね」
「フフ、なにも知らんのは内村、おまえだけやで」
「どういうことだ?」
「あれは海堂が、うちに依頼して来た仕事や。工藤はワイが殺った」
「そうか。それを今、私に打ち明ける理由は?」
「まあ、冥土の土産とでもいうんかな」
「今、ここで結着をつけるつもりか?」
「そうや。お互い生き残れたら正当防衛にすればいいことやからな」
「武器は?」
「ナイフにきまっとるわい」
「どうせ、財産をまき上げちゃあ弱い者を殺す連中だ。まあ、素手で充分だな」
「生意気いうな。さあ来い」
「マヌケめ、てめえからかかって来い!」
マヌケ呼ばわりされたテツが挑発に乗った。
上着の内懐から短刀を出し、前に出た。
内村は右足をすり足で半歩下げ、拳を軽く握った左手の肘を曲げ顔の前に出し、右拳は右脇に寄席、テツの出方を見た。
「オーイ。どうするんだ!」
沖の船からハンディマイクの声が届いた。
テツが刃物を収め、二人は目を見て頷いた。
決闘を後日に持ち越す暗黙の了解だった。
「内村。どないしたらいいと思う?」
「ひきあげさせろ。寝袋を用意したか?」
「ビニール袋とシートだ。ロープ巻きにする」
「引き揚げたら夜まで待って、対岸の千手ヶ浜で車に積み替え、山へ運んで埋めるんだ」
「よし。分かった」
テツが湖畔の樹木の間から広場に姿を現し、運転手三人に真木の監視と同行を命じた。
「テツ兄貴は?」
「ワイは、内村秘書と船に乗る」
「高山。話が違うぞ」
と、内村がいう。
「つべこべいうな。真木秘書とうちの三人で千手ヶ浜へ行かせる」
「分かった。警察に刺されるのが怖いんだな」
内村が部下の真木を呼んだ。
「オレは、船に乗る。おまえは創生界の連中と千手ヶ浜で夜まで待ってくれ。道路の行き止まりで待つんだ。キャンプ場へは車では入れない」
高山鉄次ことテツが大声で船を呼んだ。
一般の船が岸に向って来る。
高山鉄次が内村を促して船に乗る。観光と漁業両用の十四人乗りの中型船だった。
沖の船は、釣りを楽しんでいるようだ。
船は全部で四艘になる。午後の陽が傾いた。
真木信太郎と、運転手三人が残った。
「対岸の浜まで行っても夜まで時間がありすぎるな。少し縄文焼とやらを見ていくか」一人がいい出すと地面に腰を下ろす者までいて、誰も移動しようといい出さない。
白ひげに白いハットの森元翁が気付いた。
「おい。その辺でウロチョロしてる現代人。一緒に参加して茶碗でも作ってみんかな」
「えっ。オレたちにもやらせてくれるんか?」
「土ひねりだけだぞ。焼くのは三、四週間の自然乾燥が済んでからだからな」
四人が、顔や手を泥だらけにして縄文焼づくりの世界に引きずり込まれて行く。
ここでは、白ひげが部族の長だ。
茅づくりの縦穴住居から這い出て、狩をし獲物を火で焙って石刀で肉を削り、貴重な岩塩を少々まぶして脂のにじむ熱い肉に食らいつく。食足りたら眠り、性欲発すれば交わる。頭の中はすでに原始人になっている。
「たまんねえなあ」
創生界の運転手の一人が土を捏ねながらなにを思ったのか歓声を上げ、周囲の目に気付き、恥ずかしそうに土塊を練った。
「いいんだよ。みんな、同じことを考えるんだ」
白ひげの翁の指導を受けて、原住民の実用品がつぎつぎに形づくられ、焚き火の周囲に並べられる。
白ひげが手ぬぐいで顔をおおうと、焚き火を囲んだ男女がそれを真似、白ひげが薪を持つと全員がそれを真似た。
後からの参加で、まだ碗の形すら出来ていない真木がふと顔を上げた。
顔を布で隠した二十人ほどの男女が、それぞれ木片を握って立っている。
「ウワア。やめてくれ!」
半製品を投げ出して立ち上がり、逃げかかってから及び腰で立ち止まった。襲ってくるのではないようだ。
焚き火を囲んだ男女が火勢を強めるために薪をていねいに積む。その上にわらを載せる。火は少しずつ炎を増した。
焚き火の中には、釉薬を用いない原始的で素朴な素焼きの土器が、こんがりと焼かれて健康そうに変身し完成するのを待っている。
真木と一緒に、創生界の運転手三名も白ひげの部族長の指導でどうやら出来損ないではあるが容器らしい物体が自分の手のひらに乗ると、もう夢中で自画自賛を惜しまない。
「おっ。これぞ尾形乾山の再来だ!」
などと生意気をいい、白ひげに軽く「乾山は縄文時代にはいないよ」と、あしらわれている。
真木と三人の運転手は顔も泥だらけだ。
真木が時間に気付き、手を休めた。運転手の一人が未練気に未完成品を板に並べた。形が落ちつかない。それでも嬉しそうだ。
「中途半端でもいいから後で見たいな」
「半日やそこいらじゃ乾かないぞ。それでも欲しけりゃ明日の朝でも来ればいい」
「えっ。くれるの」
全員がへなへなの土器を置いた。
「さあ、千手ヶ浜へ行くぞ!」真木が叫ぶ。
森元翁に異口同音に礼をいう。
「ありがとう。楽しかったよ」
「本当に楽しいのは、未完成でも手で抱えたときだぞ」
「分かった。必ずもらいに来る!」
一台の乗用車と三台のワゴンが去った。
焚き火を囲む男女は見向きもしない。
それぞれが話したり瞑想して離居眠りしたりしている。焚き火のせいか酒のせいか赤銅色にテカテカと輝く顔はみな健康そのものだ。
多分、酒も古代の濁り酒だろう。
どの顔も、三週間も前から土を練り、紋様をつけた自作の土器の完成を待つ顔だった。

 

4、湖上の争い

湖上では四艘の船がロの字型に並んでいた。
対岸の菖蒲ヶ浜には焚き火の炎が燃え盛っている。縄文式土器を焼く炎がキャンプファイヤーに変わり、土器を焼く男女は二十世紀のビールの泡で口許を濡らすだろう。語らいと笑いの中で。
真木は、夜を待つ間にと議員会館に電話を入れ、海堂の出先を追った。
海堂は夕刻から東銀座の銀田中という料亭にいるという。迷いながらも電話をした。
「どこからかけている?」
海堂の口ぐせでまず安全を確認する。
「ハイ。今、奥日光中禅寺湖西北の千手ヶ浜に近い売店の公衆電話から掛けておりますが、周囲二十メートルに人影なく盗聴は心配ありません。それから自動車電話は通じませんでした」
「よし。状況はどうだ?」
「今、船が四艘出て順調に引き揚げ作業が進んでいます。夜になったら千手ヶ浜で車に積み替え、山に埋めるようです」
「曙テレビはいつ来る?」
「予定では、今晩中に中禅寺湖ホテルに集まりまして、明朝七時から船を出すそうです」
「取材の本当の目的を探り出し、利害損失が絡むようなら話し合ってみる。それでダメなら実力で阻止するまでだ。夜の内にそちらに行き中森に会おう」
「連絡してみますか?」
「そうだな。君から連絡しておいてくれ」
「内村先輩にはどう伝えますか?」
「もういい。内村の時代は終わった。真木、おまえが内村の役割をするんだ」
「それは無理です。私では若すぎます」
「安心しろ。下にベテランをつけてやる」
真木には重荷だった。海堂事務所に勤めて政治の裏表を眺めていると、自分の父親も同じように欺瞞と虚栄の世界で溺れていたのがよく見える。
先輩の内村雄太郎は、真木同様に政治家の父をもち政治家の道を歩んでいる。
内村は海堂敬作のために自分を犠牲にして身を粉にして働いている。あれでは結婚もできない。多分、人を好きになることも難しくなる。
海堂敬作は内村を見捨てるという。
その内村は、船で必死に働いていた。
ダイバーの三人が、冷えきった身体で湖底に潜る度に、祈るような気持ちになっていた。
「もう、限界だよ。これ以上は無理だ」
船べりで告げるダイバーの手をテツが足で蹴った。
「もう一体で終わりや。あとの二人が今潜っている。最後だから手伝うて来い!」
やがて、その一体が網に入れて三人のダイバーが船に上がった。内村が手を引いた。
LPガスで沸かしたお湯をバケツに入れタオルを浸してウェットスーツを脱いだダイバー一人一人に手渡すと、彼らは熱いタオルで全身を拭き、乾いたタオルで皮膚をごしごし赤くなるまで擦ってから衣類を身に着けた。それでも身体の震えはおさまらない。
四艘の船内には、腐臭が満ちていた。水中にあったときは冷蔵庫に入った状態だったのが、空気に触れたとたんぶよぶよの肉体がぬるっと崩れるようにゴミ用の黒いポリ袋の中で骨から肉が脱げ落ち、ボロボロの衣類で辛うじて人間であったことが判じられた。
各船共三体分ずつぐらいを収容したのか、黒のポリ袋を三枚重ねて口をしぼり、青いビニールシートでくるみロープで巻く。目隠しのシートで遮蔽しながらの作業だった。
「むごい話だ。これみんな殺したのか?」
内村が強い調子でテツをなじった。
内村も今までかなり人道に背く行為をしている。しかし、ここまでのことは考えたこともない。彼らは財産を奪って人を殺す。
テツが内村の険しい表情を見てせせら笑う。
夕闇の迫る湖上で二人は対峙した。
「こいつらから巻き上げた金が、海堂事務所に相当流れてるんや。おまえさんもその金で女を抱いたりしてるんとちがうか?」
「オレは、まっとうに暮してるぞ」
「そうかな内村。女をつぎつぎに働かせて秘密をかぎ出し、不要になればポイ捨てや。五年前、おまえと結婚を約束して捨てられた女がいる。覚えとるか?」
「捨てたんじゃない。話し合って円満に別れたんだ」
「なにが円満だ。女がどうなったか知っとるか?海堂が犯して自殺に追い込んだぞ」
「病死したと聞いた」
「おまえを呪って六方沢へ飛び込んだんや」
テツが男体山の右側、華厳の滝の方角を指さした。霧降高原の空を低い雲が覆った。
「知らなかった・・・」
内村雄太郎は、力なく呟いた。
女の名は、鴨川京子といった。
北関東で一、二を争う土木建設会社の役員の娘で、伯父にあたる社長の秘書をしていた。
二人は、群馬県出身の元総理の政談パーティーで知り合い、恋に落ちた。狂ったような日々だった。毎日、会わずにいられなくなり、仕事にも支障が出た。
二人だけの結婚話が進行し、泊りの旅行もした。そんなある日、彼女が彼に告げた。
「私、三ヶ月ですって、赤ちゃんよ」
彼はまず、海堂に相談した。海堂は京子の父とは親しい仲だった。
京子の父は、内村の亡父とも親交がある。
纏まってもおかしくない縁談だった。
それが壊れた。政治的ないざこざだった。
栃木には、男体山と同じように大きな山があった。渡部三千造という海堂にとって不倶戴天のライバルが猛烈な反対で縁談を壊し、海堂の金庫でもあったその建設会社の系列全体の票田を一気に奪い去ったのだ。
悪夢のような一ヶ月だった。
追い打ちをかけるように京子の死も知らされた。
それからの内村はひたすら仕事にのめりこんで行った。女はもはや、利用する道具か、欲情のはけ口でしかなかった。
表舞台の颯爽とした姿に隠された内村の内面は虚無に満ちていた。
「さあ、内村。ケリをつけるか」
夕日は千手ヶ浜の彼方に黒く稜線を描く笠ヶ岳上空に浮かぶ雲を紅に染め、湖面にも朱を注いでいた。テツが立ち上がった。
黙々と船内で仕事をしていた作業員が、作業衣の内側から拳銃を出してテツに渡そうとすると彼はそれを拒否し、ナイフを抜いた。
「海堂に頼まれたんや。恨むなら海堂やぞ。内村、あきらめろ」
二人が立ち上がると、他の三艘が距離を詰め船を囲んだ。見ると、それぞれが拳銃を手にしている。これでは逃げ切れない。
内村雄太郎は覚悟をきめた。無念だが止むを得ない。
先手必勝、揺れる船上を内村が跳んだ。
内村のまわし蹴りがテツの肩口を打ちテツの左手に持ったナイフが光った。二人は殴り、蹴り、もつれあって倒れ、船上を転がり、組んだまま湖に落ちた。内村にとって予定の行動だった。落ちるときに船べりにあった釣竿を?んでいた。継ぎ竿の太い部分だ。
内村は水中ですぐテツを蹴り離した。水中でもみ合うと呼吸困難で溺れるか、湖面に顔を出したところを狙い打ちにされる。
「近くにいるはずだ。撃ち殺せ!」
水面に浮いたテツの絶叫が水中にエコーを引いて響いた。内村は船から一メートルでも遠くへと水中を泳ぐが、衣服と釣竿が邪魔になる。靴は脱げていた。拳銃が火を噴く。
船のエンジン音が頭上を通り過ぎた。スクリューにでも触れたら全身が刻まれる。
冷水で足の筋肉が硬直しこむら返りが起こる。一度潜り身体を丸めて足首を曲げ、辛うじて溺死を免れ水面に浮き、荒い呼吸をした。
星がきらめいている。焚き火が見えた。
エンジン音が近付き、ライトが湖面を照らした。内村は水中で竿の底を抜き、口に銜えた。
約三十分後、内村は菖蒲ヶ浜に泳ぎ着いた。
内村は、縄文土器研究会のメンバーに助けられた。
夜が明けた。
「この辺りがロケの基地になるのね?」
友美が助手席の達也に話しかけた。
鹿沼市の友人に預けてあった愛用の黒いルノー・サンクを引きとり、友美は達也を乗せていた。達也は曙テレビのワゴン車で日光に同行していたので足がない。それに、自分の車はまだ修理中なのだ。
午前四時、奥日光の山々はまだ闇の中に沈んでいる。中禅寺湖の湖面だけが白っぽい。東の空は明るいが今にも降りそうな空だ。
「まだ火を焚いているところがあるな」
車をキャンプ場の駐車スペースに置き、達也と友美はゆっくりと周囲を見まわしながら焚き火に近づいた。
木箱に腰かけた顔中白いひげだらけの初老の男が、黙然と炎を見つめている。
その横で毛布をからだに巻いた男が木板の上で横になり、火で暖をとりながら眠っていた。
「おはようございます」
友美が挨拶すると。初老の男が「おはよう」といい、寝ていた男が反射的に上半身を起こそうとしたが、体力がないのかまた倒れた。焚き火の周囲には見慣れない素朴な土器がゴロゴロ転がっている。達也が聞いた。
「古土器ですか」
「そうです」
「どちらで発掘しました?」
「焼いたんです」
「焼いた?これ、こちらで?」
「そうです。古くなると古代の物と間違えられますが、縄文焼です。もっとも土は、現代の笠間から持って来たものですが」
「あら、これはなんですか?」
友美が指をさしたのは、ただ粘土細工をこねたような、形がイビツになった未熟な未完成品が四つ。焚き火の横にべたっと寝ている。
「それは、そこにいる人のお連れさんが見よう見まねで作ったもので、もうじき引き取りに見える。そしたらこの人も渡すつもりだ」
寝ていた男が、必死で起きようとする。
「あ、起きちゃいかん。この冷たい水の中を泳いでよく生きてたものだ。もう少したったらお粥をつくらせるから。ケガは痛むか?」
「あら、この方、湖を泳いで来られたんですか?」
友美が目を見張った。達也も男を見た。
中禅寺湖で泳いで心臓麻痺で死亡した例は枚挙にいとまがない。水が冷たすぎるのだ。
「どこから泳いで来ましたか?」
達也が、白ひげの男と毛布で顔を隠した男を交互に見ながら質問した。
「この沖で、漁をしてたらしいが、多分、船から過って落ちたんじゃろうよ」
友美がふと思い出したように、小声で、
「達也さん。あの方、私たちの知ってる人よ」
友美が達也の脇を離れて、寝ている男に近付いた。
「失礼します」
顔の部分の毛布を剥ぎ、顔をのぞいた。
「やっぱり。ホテルでお見かけした代議士の秘書の方ですね?」
男が毛布を頭まで引いて顔を隠した。
「なぜ、この人が中禅寺湖を泳がなくちゃならなかったのかしら?」
達也が、内村の耳を気にしながらも「曙テレビの警備に参加する佐賀達也」と白ひげの男に自己紹介し、友美のことは、取材に来た雑誌社の友田雅美とペンネームで紹介した。
「なるほど・・・」
男は森元と名乗った。あごの白ひげをしごきながら納得したように一人で頷き、寝ている男を見た。
「この人たちは、この場所をどうしても明け渡せと、代議士ごときの権威を盾にわしらを脅した。仲間は千手ヶ浜にいる。
テレビのロケがここで始まると面白いぞ。
わしの推測だと邪魔が入るな。ロケは何時頃からかね?わしらは九時までいる」
「七時からですが、東の二荒山神社からスタートしますので、こちらは多分十時は過ぎるでしょう」
「じゃ、見られないな。なにを撮影する?」
「さあ、私は知りません」
「古い物です。なにか遺跡とか・・・」
友美が知っているのはそれだけだった。
「遺跡ねえ。この土器なんかどうかね?」
「今、焼いたばかりでしょ?」
友美の顔を見て森元翁は平然という。
「しかし、縄文土器には間違いないんだよ」
達也は、ゆっくりと湖のほとりに歩いた。
シラカバやクヌギの林をぬけると水がヒタヒタと音を立てて岸辺の岩を叩いていた。
夜が明けかけていた。
対岸の千手ヶ浜にいる仲間と、ここに横たわっている内村とのあいだに何があったのか。
曙テレビが襲われる理由は、説明を受けていない。しかし、襲う相手は暴力団だという。
(大きなヤマが近付いている)
警察の禄を食んだことのある達也には、本能的にそれが感じとれた。
ここ暫く赤城からの連絡もない。多分、極秘の動きがあるからに違いない。
創生界が大きく羽ばたくのか、黒い羽で。
「達也さん!」
友美の声に振り向くと、夜明けにしても顔色が悪い。
「私が森元さんに案内されてテントの中の資料を見せてもらっているうちに秘書の人、姿を消しちゃったの」
「ケガしてるんだろう?」
「ふとももに拳銃の弾がかすったらしい傷があったそうですけど、それより、体力がないでしょう?」
広場に戻ると、森元に叩き起こされてテントから這い出た縄文土器研究会のメンバーが手分けして四方に散った。なかには、車に乗って道路沿いを探しに出た者もいる。
黒い乗用車がキャンプ地に入って来た。覆面パトカーだった。中から走り出た男が、達也と友美を見て大きく目を見開いた。
「どうしたんです。こんなところに!」
赤城があきれたように声を出した。
六月とはいえ奥日光の夜明けは寒い。
「赤城。おまえこそなんだ?遊びか」
元刑事のカンは事件の発生を悟った。
夜明けの湖畔に遊びに来る刑事はいない。
達也の質問に赤城が珍しく素直に応じた。
「捕りものです」
「バカな。縄文式土器は禁止か?」
「なんです?その土器ってのは、これですか?このセコいのはなんです?粘土細工がつぶれて、小学生の作品ですか?」
研究会を主催する森元翁がそれを聞いてムッとした表情になり、我慢できなくなったのか口を出した。
「この下手なのは、対岸の千手ヶ浜に出かけた運転手たちが時間つぶしに立ち寄ったから遊びに参加させただけだ。われわれがこんなもの作るわけない。こっちが本物だ」
赤城が、翁の出す作品を見た。重厚で渋い。
「なんだ、古代の土器じゃないですか!」
いつの間にか赤城の背後に羽根警部補と大沢刑事が立ち、友美と挨拶をし奇遇を喜んでいる。羽根警部補が警察手帳を森元に見せた。
「その男たちが来たのは何時頃ですか?」
森元が、男たちの言動と、暗くなってケガをした男が泳ぎつき、朝になって姿を消した話をすると達也が補足した。
「その男は、海堂の秘書の内村らしい」
「その人が、千手ヶ浜への引率者だったらしかったです」
土器研究会の中原の口出しで刑事たちが割れた。暫く内輪で話し合ったが納得いかないらしい。
「沖に船が何艘かいたでしょう。なにをしてました?」
「四艘かな。ビニールを船べりに広げて目隠ししていたけど、釣りだといいながら網で密漁してたんじゃないかな。それで来たんですか?」
「密漁探しに警視庁から来ませんよ」
「千手ヶ浜へ行ったら?」
達也がせかす。
「もぬけの殻だった」
大沢が憮然とする。
羽根警部補が車内電話で連絡をしていた。
バイクでやってきた男が焚き火に近付いた。
「すいません。オレの焼いた茶碗は?」
とんで火にいる夏の虫はいたのだ。
羽根警部補が手錠を出し、男の肩を叩いた。

 

5、中禅寺湖ロケ

曙テレビの中禅寺湖探査チームの一行は約四十名、華厳の滝ロケの五十名からみると少人数なのは、夜間撮影がないということで照明車および照明の専門家や山岳家がいないこともあった。
滝の撮影は、早朝午前四時ホテル出発で、観瀑台に下りられる人員に制限があったことからマスコミの取材予約およびホテル招待を行ったが、今回はそれがない。
ホテル側も前回の乱闘騒ぎに懲りてか、余分なサービスをカットする姿勢で交渉に臨んだこともあり、雑誌社、スポーツ紙に案内は出したが招待はしていない。費用は各社負担だ。
雑誌イブの寺崎香代子も姿を見せなかった。
行方不明という説もある。
エル社も一応取材予算は出たが、友美は警護隊長の達也の部屋をツインルームにしてもらい、そこに泊った。予算が浮く。
前夜、スタッフの車輛、マイクロバスに続いて小型トラックが二台、機材を積んでホテルのパーキングに入車していた。荷台は厚手の幌で覆われ、厳重に幾重にもロープが掛けられていた。明るいうちは警備会社から派遣された斉東、峯石という二名がスタッフ五名ほどと交代で見張りをしていたが、深夜に入り異常がないのを見定
めたのか、全員ミーティング室に向かい、警官に似た制服を着用のガードマンも警備体制の再検討のため、ホテル内に入った。
猫の鳴き声がした。
それに呼応するように物陰から十人を超す黒服の男たちが音もなく忍び寄り、手慣れた手順でロープを外し幌を剥ぎ、剥き出しになった各種の機材に全員がとりついた。二台のトラックに満載した機器のビスを外し、ガラスは音のしないようにポリシートを張って叩き割り、すぐには修理できぬよう使用不能にし、さらに消化器で薬
品の白い泡に浸した。その上に再び幌を被せロープで巻いて、彼らの姿は闇の中に消えた。短時間の作業だった。
彼らが去ると、達也が現れ惨状を見て被害状況を調べた。
曙テレビの中禅寺湖の謎に挑む世紀の野外撮影は、梅雨の合い間の曇り日の朝、七時にスタートする。当初六時だった予定が夜の内に各部屋に七時スタートと伝えられていた。
一時間、予定を繰り下げたのには理由がある。
警備を担当するメガロガの隊長佐賀達也の発案で、水中カメラ、モニターラックその他重要な撮影用機材は、保険をかけて日本交通運輸会社の頑丈な金属ボックス搭載の大型トラック一台に積み、土井、浦松の二名のガードマンを乗せて朝六時四十分ジャストに中禅寺湖畔ホテル前の遊覧船乗場に横付けし、人海戦術で、使用目的別
に船と車輛に分散して積み、帰路もそこで積み戻すという作戦だった。
駐車場の機材は不要な中古機材だったのだ。
とりあえず第一波の敵の襲撃は、ダミーの古機材を襲わせることでかわした。
眠る時間はない。二時間ほど仮眠したという友美を誘って夜明け前の湖畔に出て、菖蒲ヶ浜で赤城と遭遇したのだ。
ホテル前の桟橋にスワンをかたどった足漕ぎボートや釣り船、中禅寺湖名所巡りに就航する二階建ての大型遊覧船「けごん号」などがうす明かりの中に浮かんでいる。
沖の湖面にはすでにかなりの釣り船が浮かび、糸を垂れていた。
水中撮影予定地は二か所、二荒山神社沖と菖蒲ヶ浜沖だったが、二荒山神社沖は、中禅寺湖の中でも一番観光客の目が多く届く場所でもあり、遊覧船をはじめ国道120号を通る車からの視界にも入ることから、ここでの邪魔はまずあり得ない。それと、撮影機材を破壊したという安堵感もある。その油断で彼らの出足は鈍るはずだ。
問題は後半、菖蒲ヶ浜沖のロケにある。
ロケ現場の菖蒲ヶ浜沖の湖底から引き揚げた物の内容は、いずれ捕えられた運転手の自供によって得られるに違いない。
ロケによって探られては困るものがすべて引き揚げられているのであれば、彼らは機材を壊す必要はないはずだ。
にもかかわらず襲って来たということは、まだなにか知られたくない秘密があることになる。
菖蒲ヶ浜沖から傷ついて泳ぎついた海堂の秘書内村雄太郎はどこに姿を消したのか。
標高1,271メートルの高地に最深部172メートル、周囲28キロ、湖水表面積11平方キロのこの湖には、どのような謎が秘められているのか。そして、湖をめぐる暗闘はなにを意味するのか。
その謎は、解けるのか。
佐賀達也は、湖畔ホテルの前の遊覧船乗り場に立ち、夏とも思えない山上湖を渡る冷たい風を受けていた。天候はあまりよくない。
今にも降り出しそうな空模様だった。
足下をのぞくと澄んだ水に空き缶などが沈んでいる。風が出たため波が邪魔して見づらいが小魚が白い空き缶の上を横切るのが見えた。思ったより水はきれいだ。
幼い頃、父に連れられて渓流で川魚を釣った日々を思い出していた。
平日とはいえ六時を過ぎると車の通行も少しずつ増えて来る。
「達也さーん」
振り向くとホテルの入り口で友美が手を振っている。左手に朝食の包みを持っている。
友美は、顔見知りの中森たちとバイキングの朝食を終え、警護のメンバーには握り飯を用意したのだ。
「ボクがいただいて来ます」
少し離れた位置にいた斉東が、道を横切ろうとしたとき、一台のベンツが猛スピードで走って来て急ブレーキをかけ徐行した。
「あっ、危ない!」
友美が叫んだとき、いろは坂方面から進んできた車の助手席と後部座席の窓が開き、二人の男が自動小銃を乱射し、乾いた音がした。
達也が弾かれたように宙をとび、桟橋からもんどり打って湖面にしぶきを上げた。
道路を横切ろうとした斉東も倒れた。腹部を押さえた手が赤く染まる。
友美が悲鳴を上げた。
窓から男が顔を出し、警護員の二人を倒したのを確認したらしく、車は全速力で走り去った。
通り魔のような瞬間的な出来事で防ぎようがない。
「どうした!なにがあった?」
友美の悲鳴を聞きつけて人が集まってくる。
「車に撥ねられたらしいぞ!」
「110番へ電話だ!」
友美は、警護員用の弁当の入ったビニール袋を投げ出し、走って来る車には目もくれず道路を横切った。
「危ないじゃないか!」
友美は急ブレーキも怒声も無視して桟橋に走った。
脳裏に、湖面に血を噴いて漂う達也の死体が浮かぶ。
(おかしい!)
ふと、仮眠する友美の横に制服を脱いだだけで潜り込んで添い寝し、キスを求めて来たときのボッテリとした衣服の感触を思い出した。
(あれは、防弾チョッキだ!)
湖面に顔を出した達也が、額に垂らした濡れ髪の下の目を見開き、友美を見てニコッと笑い、あわてて帽子を探している。
「バカッ!」
友美は小石混じりの砂を思いっきり蹴ったが勢いあまって尻もちをついた。
斉東も二か所被弾していたがさすがにイギリスの同業者KMS(ボディガード派遣会社キニ・ミニ・サービシィズ)推奨の完全防弾着で実弾を中間で食い止めている。
出血は、右手を弾がかすったためだ。指も失せていない。手の甲の肉が削がれていた。
ホテル備え付けの救急箱を持って従業員が走り寄った。人だかりがした。
びしょ濡れで湖から上がった達也が、抱きつこうとした友美の脇をすり抜け、斉東を囲む人だかりを越えコートの男に小声で呼びかけた。
「峯石!ナンバーと敵の顔撮ったか!」
峯石がVサインを出しカメラを挙げた。
撮影機材を積載したトラックが到着した。
警護員が銃撃されたニュースは、ロケ隊だけでなく取材に参加したマスコミ各社の間に広がり、私服に着替えた警護責任者の達也の前には、実弾を浴びたときの状況を聞こうと記者たちが群がった。
ケガをした斉東にも人垣ができている。
「すべては、あちらの佐賀隊長に聞いてください」
と、斉東は応急処置で巻いた包帯に血を滲ませているが、さり気ない。
達也が中森に近付き小声で話し合った。
機材を下ろす手を休めたロケの総監督である中森が汗を拭きながら取材の輪に入った。
「みなさん。心配かけて済みませんでした」
中森が取材陣に語った。
「今回のロケでは、多分、さまざまなハプニングが起こるはずです。私たちスタッフの演出で今日一日スリルとサスペンスを味わうことでしょう。ただいまの活劇が、ドラマのスタートになります。心臓の弱い方はご遠慮下さい。
ごらんの通り演技の下手な役者が転んだ際に石に打ちつけて手をケガしたのは誤算ですが、?みはOK!と、いうところです」
「湖に落ちたのは?」
達也が替わって答えた。
「アクションとしてあの程度は常識です」
「ケガした人の制服に穴が開いてましたよ」
「恥ずかしいですが貧乏会社でして、英国王室の狙撃の弾痕のある中古を購入しました」
「これからはどんな事件が起こるんです?」
「それは演出の監督に聞いてください」
達也は人垣から抜けた。中森が説明する。
「本当に演出なの?」
友美が半信半疑で聞くと達也が笑った。
「こんな安いギャラの芝居で水にとび込めるか」
中森の渋い妙に説得力のある声が届く。
「これから、みなさま全員をドラマの中にまき込みます」
事件発生の連絡を受けて中宮祠前交番から警官が駆けつけ、取材の記者からロケ隊の演出だったことを聞いた。警官が達也を見た。
「あっ。達也先輩。今日は何ですか?」
華厳の滝ロケの際世話になった日光署警ら課の佐藤巡査長が挙手の礼をとる。
「今日は本職、ロケ隊の警護ですよ」
「戸田さんは、取材ですか?」
「ええ、面白そうだからついて来たの」
「今日は、自殺しないんですか?」
遺書のことを持ち出してからかっている。
「するならこの人と心中します」
達也との仲はどうせバレている。
「オレはご免だ。佐藤君、羽根さんは来ないの?今朝、別れたばかりだけど」
「あれ、ご存じないんですか?警視庁から機動隊が出動して来ます。発動したんです」
「機動隊?なんで?」
「今朝早く逮捕した男の自供で、創生界の大量殺人と武器の密輸入がバレました。アジトを県警の機動隊と合流して急襲します」
「どこです?場所は?」
「残念ながら、知りません」
「本当は知ってるんだろう。情報は必ず管内全域に流すはずだ」
「知りません。知っていてもいえません」
「達也さん。中森さんが呼んでますよ」
友美が桟橋を指さし、佐藤巡査長に会釈して達也と一緒に歩き出した。
地上班、水上班、それぞれが動き出す。
いよいよ曙テレビ中森監督の表現による、今世紀を飾るにふさわしい大イベントが始まろうとしていた。湖は降り始めた霧雨に包まれている。
魚影探査機を装備した中型船が旗艦になる。
中森と助手の原田がその一号船に乗り、警護隊長の達也と、友美を含めた少数の取材班が乗り込んだ。
ダイバーは、星野の指揮下にある二号船に乗る。警護の土井ら三人がその船に乗った。
斉東は陸に残って警戒にあたっている。
レポーターは、前回の華厳の滝が好評だったこともあり西隆太郎がノリに乗って参加していた。男女の記者を前に熱弁を振るう。
「日光を見ずして結構というなかれ、といわれ、ニワトリでさえも、ニッコケッコーと鳴くといわれるこの日光。この地を知った奈良時代の下野の僧、勝道上人が山岳信仰の聖地として大谷川を渡り、人跡未踏の二荒山、今の男体山に登頂されて以来、千二百有余年、今では世界に知られるリゾート地として知られてます」
トランシーバーに星野の声が入る。
「こちら水中班、スーツ着用カメラ準備完了、指示をどうぞ」
「水深は、ただ今二十メートル、どうぞ」
「了解、三十メートルまで有人探査、三十メートル以上は無人カメラの使用を。どうぞ」
「了解、水中探査スタートします。どうぞ」
西隆太郎が続ける。
「今、撮影隊は二荒神社沖約百メートルの地点で水中に入りました。
水中の映像が届く前に、船上から眺めた奥日光の景色についてご案内しましょう。
この右側が中禅寺温泉街で私たちが泊まった湖畔ホテルも見えますね。湯けむりが茶や緑の屋根を越えて立ち昇っています」
温泉街を外れると、二荒山の東鳥居が道の向こう側に見えた。西が続けた。
「鳥居は三つございまして正面が浜鳥居、男体山からの土砂崩れによって出来た観音薙の谷川を橋で渡ると西鳥居がございます。
この西鳥居脇の神殿が参集殿と申しまして二荒山神社の西備えになるのです。
中央の浜鳥居を入り石段を上がりますと、唐門があり、右手に社務所、左手に神楽殿、正面奥に江戸時代の造営ながら室町時代の様式をとり入れた古式豊かで美しい建造物となっています。
その右手に小さな鳥居があり、男体登山口の登拝門になっており、さらにその右手前の二つの建物の一つが国宝級の刀剣などを集めた日光二荒山中宮祠の宝物館でございます」
中森がいよいよスタートの指示を出す。

 

6、湖底の謎

「スタンバイ、ローリング!5秒前・・・」
水中カメラは二台、それぞれカメラに入った映像はモニターに映るが、星野が選んだ映像だけが記者席のモニターに送られてくる。
万が一を考慮して地上班は、二荒神社前の湖岸に車を停め、その中で録画を保存する。
西隆太郎が続ける。
「まもなく湖底の風景をお見せいたしますが、中宮祠宝物館の中にある宝物の殆んどは男体山山頂から崩れた土砂の中に埋もれたり、この湖の底から発見されたものです」
船内がざわめいた。女性が騒ぎはじめた。
「ひょっとしたら・・・」
「宝探しなの?」
「そうです。私たちは今、宝探しの船に乗り、千年の眠りから価値ある宝物をゆり起こすのです」
「どんなものがあるんですか?」
女性記者は宝となると身を乗り出す。
「この辺りの湖底から金製の金剛杵という仏具が出ています。これは、密教の四明王の一つ軍荼利明王の八本ある手の一つが持つ杵の形をした武器で、その他の宝輪や鉾なども引き揚げており、明王の本体もあるようです」
「今日は、それが見られるわけ?」
「私の聞いた範囲内では、それは無理です。長い間に泥をかぶり地下十メートルにあるといわれています」
「それではなぜ潜水カメラを入れるんですか?」
「探査器を用いた中禅寺湖の湖底探査は今回がはじめてではありません。今までも湖に棲息する生物の調査で魚群探知器には何回も四メートルもある魚類らしい動く物件が捉えられていますし。湖底には柱の群立もあるそうです。
古文書によると、湖畔にあった観音堂や妙見道などが破壊されて湖底にあり、その仏教施設の中には約五メートルの観音像も実在したということで、湖底は宝の山ということもできるのです」
水中をゆっくりと進むカメラは湖底にある岩や樹木の残骸、淡水魚などを映し出してゆく。ゆらゆらと船上のモニターに水藻がなびき、意外に濃い魚影がギラギラと群泳して横切った。ヒメマスらしい。
「わあ、きれい!」
女性記者たちの歓声が船内にこだました。
「チェック完了。どうぞ!」
トランシーバーに星野の声が流れた。
中森がOKを出す。
湖底の探査を終了したという暗号だった。
モニターには映さないが、二号船では探査器が三基フル稼働していた。一基は魚探。一基は金属反応器、一基は超音波全能器だった。
それらが二荒山沖の水底地下十メートル以上の残存物体の形を記録し終わったことを知らせて来たのだ。二時間ほどもない。
「移動準備!」
中森が指示した。
「つぎは、菖蒲ヶ浜かな?」
マスコミ向けの案内には、午前二荒山沖探査、午後菖蒲ヶ浜沖探査となっている。
「まだ九時半にならないよ」
「なにもないのかな?」
「これじゃあ、商船大の先生が前にやった調査より成果がないな」
「ただ水中を見せるだけじゃあ」
失望の声が出ている。
ウェットスーツを着用したカメラマン二名と助手二名が船に戻ると二号船が動いた。
中森が西に耳打ちし、西がマイクを握る。
「これから、探査船は菖蒲ヶ浜沖経由で最深部の赤岩沖まで進んでまいります」
船内に期待の声が上がる。
「ここからは無人カメラによる湖底探検の映像をお見せします。外の景色と水中の景色、どちらもお楽しみください」
自推力、最大2.5ノットのスピードで水中を進む高速潜行型RTV水中テレビロボと一緒に船が進む。
「ここから赤岩沖までは約四キロ。1ノットは約1.8キロですから約一時間もあれば現場に到着します。その間、水底に新たな発見がありました場合は、運航をスローにする場合もありますので二時間とみてください」
「そのテレビロボは、何メートルまで潜れるんですか?」
記者から質問が出る。
西が中森に聞いた数字を思い出した。
「最大150メートル、機器本体の性能には余裕がありますが、ケーブルの長さがそこまでです。でも、中禅寺湖でもっとも深い赤岩沖の公称172メートルの湖底は充分見ることができると思います」
「湖の底は暗くないですか?」
「ハロゲンの150ワットランプが二つ付いているそうですから心配ありません」
すでに水中ロボは水中を斜行して魚を驚かせながら湖の底に走って行く。魚影は濃い。
モニターには、水中ロボのスクリュー音と湖面を行く二艘の船のエンジン音が入る。
画面には水を割く音に合わせて起伏の多い湖底の景色が見えかくれした。
水平にすると2.5ノットのスピードの速さで走る水中ロボも、水底すれすれを這わせるように操作するのは至難の技と見えて、たちまち巡航速度はダウンした。
国道120号線沿いの湖岸から沖合い約五百メートルの地点には釣り船もかなり出ていて、その船の間を縫って二艘は進んだ。
達也は船尾に腰を下ろして双眼鏡を目に当てていた。釣り船が少しずつ接近してくる。
探査船をやり過ごして、竿を上げ、ゆっくりと追って来る船の数が増えている。
武装している船団とみて間違いない。
部下の撮ったフィルムを現像してみないと確信はもてないが、あの自動小銃は、旧ソ連製「カラシニコフ」に酷似していた。本物ならかなり手強い。また、類似品を密造するグループがいるという説もあるが、類似品だとしてもテスト済みなら脅威は同じだ。
湖上遊覧の双胴船型二階建て大型定期船「けごん号」が、大尻から菖蒲ヶ浜の定期航路を定刻より早く出発し、いつもより遅い速度で進んでいる。海堂らが貸し切りにしたのだ。
まるで、釣り船の小軍団を指揮する旗艦のようだ。乗船者の姿は、とみると、デッキには人影がないが、窓の内側にはかなりの人数が潜んでいるのが動きで分かる。
双眼鏡でこちらを見ている男が操舵室に見えた。その奥のチェアーに座った男が二人、悠然と葉巻をくゆらしながら談笑しているらしい。どちらからも視界はよくない。
曇り空で、早朝にはすでに怪しかった天候が崩れ、雨が湖を包んでいる。
「こうして湖の雨景色を楽しむのは子供のとき以来じゃ。まことによき眺めじゃのう」
「海堂先生、そんな悠長なこと言ってちゃ困ります」
海堂と葉巻をくゆらせながら創生界の中西が眉をひそめた。義父の藤山泰成は糖尿が因で病いの床に臥し、投資投機を含めた政財界への融資などは一切、中西が取り仕切っていた。ただ、歯車が少し狂った。
バブル経済華やかなりし頃は、株を買い占め会社を乗っ取り、海外にまで手を伸ばして土地を買いビルを買い、ゴルフ場、テーマパーク、リゾートマンションを建設し、あらゆる分野を制圧していた。余剰資金を海堂が関係する栃木県内のゴルフ場建設会社をはじめ十余の企業に、二つの信用金庫を通じて融資していた。その一部は
海堂と中西に還流する。
それがバブル崩壊後、すべて焦げついた。ゴルフ場の建設はストップし、建築したマンションは売れ残り、有価証券の価値は半減した。信じたカネに裏切られたのだ。
「暴力団と麻薬だけには手を出すなよ」
中西が病床の藤山に窮状を訴えたとき、中西の目を見た藤山が静かだが強く諭した。
「いいか。政治家とも絶対に組むな!」
その暴力団、麻薬、政治家と手を組んでいる。そして今、創生界は膨張したが中西は存亡の危機にあった。
水中無人カメラ「ロボ」は快適に湖底の景色を映し出している。モニターの映像は時々切り替えられ、星野のサービス精神なのか、魚探の画面や、超短波探査器の映像も取材陣に見せていた。
二荒神社沖では見られなかった湖底のさらに深い位置の遺物が映像に映し出される。
船内がどよめいた。
超短波探査器の画面に刀剣らしい映像や、仏具などが散乱しているのが見えたのだ。
湖底からさらに何メートルか土の中に入っているだけに今回のロケでは発掘することができない。それでも記事にはなる。
榛の木、白樺、ズミ、裏白モミなどが湖岸の散策コース沿いに茂り、その向こう側に砂浜が見える。菖蒲ヶ浜キャンプ場だ。その上に竜頭の滝から戦場ヶ原への道が続く。
「なんだこれは?」
星野が首をかしげた。
金属探知器が点々と土の下の小さな物体に反応し始めている。
「金貨だ!」
モニターを見て記者席から声が上がった。
中森が面白くなさそうな顔でボソリという。
「分銅ですよ、大正から昭和のはじめにかけてフランス人、イギリス人が避暑地として奥日光を選び、明治の頃放流して繁殖したマス科の魚を釣ったとき、岸から手製のリールで遠くへ糸をとばすため金属の錘を用いたのが切れて湖に沈んでるんです」
まるで湖の底を見たような口調だった。
金属探査器の反応が消えると水中カメラに切り替わった。
菖蒲ヶ浜の湖底に濁りが出ている。
岩を覆った泥が足で払われたように削り取られていた。岩に付いた足跡が泥を被っていないところを見ると、ごく最近大勢の人間がこの湖底でなんらかの作業をしたことになる。
よく見るとボロボロの衣服や靴にまじって腕時計らしい金属様のものが光り、魚か動物か白っぽい骨のようなものも水中カメラが映し出していた。船内に緊張が走った。
どう解釈していいのか誰にも分からない。
考古学研究家の岡崎が苦しまぎれに説明した。
「水温が三度以下の湖底では、かなり古い死体でも冷凍状態で保存されますので衣類なども、そのまま残るケースがあります」
「でも、この濁りはごく最近のものでしょ」
雑誌記者の女性が追及する。
宝探しにしては、湖底の土を掘った跡もない。水中ロボは、赤岩沖に進んで行く。
達也だけは、佐藤巡査長の「創生界の大量殺人!」の一言と結びつけて推論した。曙テレビのロケを知って、彼らは死体を移動させたに違いない。友美が画面をカメラに収めた。
ロケ船の異常に気付いたのか、釣り船が包囲の輪を縮めている。エンジン音が近づく。
「部長。見てください!」
星野の声がトランシーバーに入った。
ゆらゆらと水中から柱のようにロープが揺れているのを水平に走った水中ロボが捉えたのだ。その柱は何本も映像を縦に縞を描いた。
「伝説の湖底の柱はこれか!」
中森の声は、取材班の中にまぎれ込んでいる創生界の男の持つ盗聴器を通じて、遊覧船の中西と海堂に伝わった。
「やつら、見つけたか?」
海堂がくゆらせていた葉巻を置いた。
朝の天気予報通り、雨になったがさらに天候が崩れ、強い雨が落ち始めた。
「豪雨が来たら襲いましょう」
中西が平然といい放った。
ロケ隊は今、湖の最深部の真上にいた。沈めるには最良のポジションだった。
雨足が強まれば銃声もまぎれ、岸辺からの視界も閉ざされる。
雨でロケ隊の足並みが乱れた。
デッキでモニターを眺めていた取材班の数人が、あわてて船内に逃げ込んだ。
「今、モニターを下に運びますから」
ディレクターの原田が残ってモニターを見つめているスポーツ紙の記者を追い立てた。
ひさしのある場所にモニターがあることから三、四人は濡れずにいられるが、とりあえず全員が船室に避難することになる。
原田がモニターのスイッチを切ろうとする。
「先に下りてろ」
中森が手で制した。原田が船室に下りた。操舵室には船長の他に友美ら三人が残った。
水中カメラが、ロープを伝わるように真っ逆さまに深い切り立った崖底を落ちてゆく。
底が見えた。ロープの下に木箱が見えた。
柱に見えるロープ上部には浮標があるのか。
(あった!埋蔵金だ!)
つねに冷静沈着な中森の胸が珍しく高鳴った。推測は見事に当たった。
金の観音像から現れた古地図から分かった華厳の滝の秘密は、自分一人の胸に納めた。それは、三分の一の断片に過ぎない。
再三にわたる邪魔立てなどから推測すると、残りの古地図の三分の一は海堂の手にあると見て間違いない。中森は勝利の喜びを感じた。
達也にも少しずつ事情がのみ込めて来た。
海堂一派が菖蒲ヶ浜を押さえたかったのもホテル前で襲って来たのも、これを発見されたくなかったのか。
画面には、木箱に絡めたチェーンを映した。
「揚げましょうか?」
星野の冷静な声がトランシーバーを通じて中森に伝わった。
「そんなこと出来るのか?」
おもわず中森が勢い込んだとき、雨が激しくひさしを叩き、星野の声が聞こえなくなった。
雨で岸辺がかすむ。周囲の船も見えない。
篠つく雨がすべての視界を奪い去る。
突然、モニターの画面が砕けとんだ。
FRPの船べりも割れた。銃弾がかすめる。
「伏せろ!」
達也が中森を突き倒し、友美を抱いて伏せた。どしゃ降りの雨で川のように流れるデッキの上を砕けた樹脂片とガラスが乱れ散った。
「殺られた!」
中森が悲鳴を上げた。
額が切れ、血が流れている。雨がデッキに朱を広げる。
弾丸が額を撃ち抜いたとしたら即死のはずだ。
達也がびしょ濡れの顔を中森の額に近付けた。手を伸ばし、額からガラスの小片を抜いた。モニター画面の破片で傷は浅い。
雨の彼方の遊覧船ではワインが出ていた。
「聞いたか?」
「今、たしかに叫び声がしましたな」
二人が、ニッコリとグラスを合わせる。
「あいつの声だ。あのテレビ屋に間違いないぞ!逆らえばこうなるのだ」
海堂が勝ち誇ったようにうそぶいた。
「先生もこれで安泰ですかな?」
中西が皮肉をこめて海堂を持ち上げる。
「いやいや、まだまだじゃぞ」
「でも、先生の後継者と目された内村雄太郎は、湖の底。我々の秘密を暴こうとしたテレビ屋も銃弾に倒れ、彼らを護るべきボディガードの隊長も先刻撃ち倒してますし」
「すべて、通り魔のなせる業、証拠はない」
「県警には、先生の顔と薬が行き渡り、われらが同志も潜入させてあります」
「いるのか。例えば日光署内部にもか?」
「当然ですよ」
「誰だ。それは?」
「こればかりは先生でもいえません」
「妙だな、栃木はわしに任せるはずじゃろ」
「それはもうその通りですが。まあ保険を一つ余分に掛けただけですよ」
「そうか。それで最新の動きは?」
「昨夜遅くから警視庁と県警が動いてます」
「それは、わしも聞いとる。急がんとな。あの連中船ごと爆破するか?」
「とんでもない。一応、平和革命ですから」
「では、どんな手がある」
「医療班を送り、注射で記憶喪失させます」
海堂が頷き、耳をスピーカーに近づけた。
探査船内に異変が起きていた。
中森の応答が消えた。トランシーバーには激しい衝撃音が響いた直後から雨音だけが聞こえて来る。一号船と二号船の連絡が絶えた。
「どうだ。ダメか?」
二号船の画面は、ただ水中を回転し、やがて水流を下に押しやる映像を写していた。カメラが浮上しはじめたのだ。星野の部下が怒鳴った。
「係長。浮きました!」
「やったか。保険はかけてあるが、失せもののカメラは華厳の滝の一台だけでご免だ」
「でも、すごい重力がかかってますから、切れるかも知れませんよ」
「ケーブル径は?」
「十二ミリです」
「牽引できる重力は?」
「破断張力250キロ、これは激しい潮流などで250キロ以上の力がかかると切れます。ここが、流れはありませんが・・・」
無人の潜水カメラが、見事にロープを絡めとり湖底の箱をゆっくりと引き揚げて来る。
ビークルと呼ばれる水中テレビロボは、二基の照明、録音マイク等の突起部と水底に着いたときに橇のような作用をする金属の底板があって、ロープには容易に巻きつくが、物を持ち上げるようには出来ていない。
豪雨のデッキに二号船の全員が集まった。
もはや、誰もが仕事を忘れ、興奮していた。
一号船の中森のことなど眼中にない。
早くも分け前の話が出る。
「国立公園内だと国の所有物になるのか?」
「いや、探した者が半分だ」
「拾得物は最低一割、持ち主が出なければ山分けだな」
「中森監督が半分は権利を主張するぞ」
「そうはいくもんか。平等だ」
「金ののべ棒、二百キロ入りで五億近いぞ」
「ヤッタア!」
浮標が先に浮いた。ついで黄色い水中ロボカメラのボディが黒茶の太いロープをグルグル巻きにしてその姿を現した。
「さあ、全員で引き揚げだぞ!」
星野が巧みに船縁から身を乗り出して、カメラケーブルをハシゴ代わりに水面まで下り、足を水に漬けながら浮標を引き揚げロープを手繰った。カメラ班がカメラを揚げた。
歓声が沸き、鼻唄が出て、コーラスになる。
「トウちゃんのためならエーンヤコーラ・・・」
雨足は激しさを増すばかりだが誰も気にしない。箱が見えた。全員の興奮がたかまる。
水中では浮力で軽く感じた箱が水面からは異様に重い。しかし、期待が力を出させた。
八人ほどの男たちが雨と汗にまみれて必死に箱をデッキに持ち上げると期せずして歓声が沸いた。星野が工具を持ち出して来る。
ふと、一人のスタッフが足下を見て叫ぶ。
江戸時代にプラスチックあったか?」
うす汚れて木に見えたが浮標はたしかに樹脂製だ、しかし、誰も気にしない。
「なんだ、あの音は?」
雨音の中で銃声がした。
「監督の船が攻撃されてるぞ!」
「あの乾いた音はAK47銃だな」
星野の部下の一人が仲間の顔を見た。
雨すだれの彼方に船影が見え、船端から銃が火を噴いている様子が垣間見える。
千両箱どころではない。しかし、人間の欲望は非常時においても失われることなく発揮された。バールや鉄槌で錠が外され、蓋が開けられた。ゴムパッキングで完全防水になっている。歓声が驚きの声に変わった。
二重、三重に油紙でくるまれて拳銃がぎっしりと詰め込まれ、弾薬ケースも入っている。
「こりゃすげえ!」
全員が目を見張った。これも新たな興奮だ。
「旧ソ連製軍用拳銃だ。殺傷力があるからやたらに使えないぞ」
と、星野がいう。
「回転式じゃないな」
「弾倉装填式の自動連発銃だ」
数人が勝手に銃を持った。手慣れている。
お互いに顔を見てニヤリと笑う。
億万長者の夢破れて自棄になっている男たちだから始末に悪い。スタッフの何人かが軽々と銃を操った。警護の土井ら三人が驚いた。素人ではない。星野も生き生きとした表情で、拳を握った左腕を胸の前で曲げ、その上に拳銃を握った右腕を乗せた。銃に合わせてロシア式の構えだ。
「いいか、両足を開き腰を落とし、狙いを定めたら右手全体を握るように引き金を引け」
「係長、これからロシア式に転向ですか?」
「この銃は反動が大きいからだ」
星野の講釈の腰を警護の土井が折った。
「人に当たるとケガをする、当たりどころが悪いと死ぬ。相手が殺しに来ないのにケガさせても罪になる。相手が死ねば殺人罪だ。星野さんも拳銃を放しなさい。私らが必ずあなた方を守ります。これが仕事ですから」
「ハッハッハ」
と、数人の男が土井を笑った。

一号船は操舵室が砕けた。激しい銃撃が船内からは落雷のように聞こえている。
中森が達也に相談をもちかけた。
「そろそろ白旗でも揚げるか?」
達也は図々しく震えてもいない友美の肩をしっかりと抱いたまま、あわてた風もない。どさくさに紛れていい思いをしている。
「そうですね。敵の狙いは中森さん。あなたの命でしょう?」
「だから、あなた方を雇ったじゃないですか!あなたは私を守る義務があるんです」
「今から個人契約に切り替えますか?」
「本気ですか、佐賀さん!」
「ハハハ、冗談ですよ。今は、妻の方が大切に思えたもんで・・・」
友美があきれて達也を見た。妻などという言葉は初めて聞く。その目を見て達也が笑った。本気だったら嬉しい、と友美は思った。
「ごめん。これも冗談、冗談だよ」
達也が思い切ったように邪険に友美を振りほどいた。勝手な男だ。自分から抱いたくせに。友美が睨んだとき、達也はすでに立ち上がり、中森の静止を振り切りデッキへ走った。
船体に衝撃が走った。船が接触した音だ。
デッキに人影のないのを見定めて釣り船に乗っていた六甲会の鉄砲玉が三人、乗り移って来る。テツが舟べりをまたいだ。
そこへ達也が走り出て組みついた。
自動小銃が雨空に向かって火を噴いた。
達也が胸倉をつかみ払い腰でテツを投げた。
テツは投げられながらナイフを抜いた。達也が、もみ合いながらナイフを奪い、湖に投げた。テツがとびはねて落ちた銃を拾う。また殴り合う。さすがにプロの殺し屋、手強い。
テツが銃を構えようとし、その手を捻って奪い、顔を殴らせたままで至近距離でテツの右足を撃ち、船べりを越えて達也目がけて銃を乱射した二人の足を、片足で舟板を蹴ってデッキを滑りながら続けざまに撃った。
東京小金井の関東管区警察学校入学以来、警視庁きっての射撃の名手といわれ、凶悪犯連続逮捕で警察功労章に準じて巡査部長から無試験で警部補に昇進した経歴の達也だけに、骨は撃たずに三人共右足内側のふくらはぎの肉を削いだ。恐怖と痛さを感じさせるにはこれで充分だった。テツを立たせ背後に立ち、銃を構え、もがいて
いる後続の二人を立たせた。手に銃は持っているが達也が先手を打った。
「早く船へ戻れ。まだ誰にも見られてない」
取材班に化けた創生界の一人が舟底から顔を出す。その首を?み相手の船に蹴落とす。船に戻り傷口が痛むのか顔をしかめて達也を睨むテツめがけて手に持った小銃も投げ込んだ。
「こんな物騒な忘れもの、迷惑だ。ボスにいえ。貸しは必ず取り立てるぞってな!」
達也に敗れたテツが銃弾を三発撃った。さすがに仁義は知っていると見え、空に向け発砲した。撤退の合図らしく船が遠のく。
デッキの血は雨が流した。
一号船への攻撃は止み、観光船も消えた。
達也がびしょ濡れで操舵室にも戻った。
「部長、ロケの趣向一段落したようですね」
なにやら友美だけがご機嫌斜めだった。