占いの歴史ー8

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占いの歴史ー8

平安時代後期に活躍した陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明は歴史に残る実在の人ですが、そのエピソードに関しては誇張が多くて信じ難いことばかり、占術ではなく妖術とでもいうべき世界の物語でしかありません。
そこで、この10連休を利用して今までに伝えられている事象を、私の書斎に半世紀前から埃を被って眠っている古典文学全集などか一日がかりで探してみました。
『大鏡』『今昔物語集』『宇治拾遺物語』『平家物語』などからその伝承を探してみました。
ところ、8・が、ついでに斜め読みした「『竹取物語』の中に、清明らしき人物が安倍宿禰(すくね)晴明という名で登場しています。陰陽師実在・したの安倍晴明は、官職でいえば、宿禰よりかなり上位の朝臣(あそん)ですから、物語では狂言回しの役柄からみても、格下に貶(おとし)められていことになり、竹取物語の作家は、帝の信頼篤く当時隆盛を極めた安倍晴明をあまり快く思っていなかったのかも知れません。
いずれにしても、古典から浮かび出てくる陰陽師・安倍晴明なる人物が時代の寵児であったことは紛れもない事実です。
、それから千数百年の時を経た今、こうして占術の歴史を語る私にとっても、この偉大な陰陽師だけは少し触れただけで素通り出来るような軽い存在ではないのです。その用いた術が占術ではなく、あまりにも妖術めいているからです。
陰陽師・安倍晴明の出生については2説あり、1説では、延喜21年(921)摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)出生説です。もう1説は、生年不詳、奈良県桜井市安倍の出生とする説ですが、幼少の頃については確かな記録はあまりません。
学問を志した清明は、当時の天文・陰陽寮を一手に束ねていた陰陽師・賀茂忠行・保憲父子に弟子入りし陰陽道と天文道を学びます。