「占い豆知識」を始めるにあたって」

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「占い豆知識」を始めるにあたって」

                                        開運村村長・花見正樹

 

 

多分この毘沙門天が管理人を勤める「占いの舘」の常連さんは、占いに対して

     「好き

     「好きだけど怖い

     「好きでも嫌いでもないけど気になる

     「あまり好きじゃないけど自分のことは知りたい」、

こんな感じだと思います。私は若い時は占いが嫌いでした。自分の人生が目に見えない運命に左右されるなどあり得ない。           こう思っていました。

ところが、

中学校を出て定時制高校(都立三商)に通学しながら実社会に出てみると会社勤めは嫌なことだらけで上司とは喧嘩ばかりで三日でクビになったりして10を超える職業を転々として、このままだと裏社会かと諦めかけた19歳の時に囲碁の日本棋院六段のプロ棋士(故人)が副業で経営する日本橋本町の化学薬品問屋に職安経由で入社しました。

 これが私の運命の転機でした。

なにしろ、社長は本職の囲碁の棋士ですから休む間もなく予選本戦と大忙しで仕事どころではありません。社員を入れてもすぐ辞めてしまうので社員は留守を守る事務員だけ、そんな変わった店が私にはピッタリでした。

 社長の本職は囲碁で、弟子の主流が全国の大学教授です。そこで社長は対戦がない日は、私を連れてあちこちの大学(関東地方一円)巡りです。

 師の到来ですから教授達は授業を中断しても喜々として集り、10人ほどが碁盤を並べて

      「今日こそは師を負かせて下刻上」

とばかりに勢い込んで対戦し教えを乞うのですが、一番強い教授でもせいぜいアマチュア二段程度ですから、プロの高段者には置き碁(星目)でも歯が立ちません。

なかには、17子(星目風鈴鉄柱)の碁盤が黒石だらけになる置き碁でも、たちまち投了という弱い教授もいたりして社長はいつも全勝、全員が投了後に全員の敗因分析を聞いていると、口調は穏やかですが内容は辛らつ、プロの厳しさが10代の私にもも伝わって來たものです。

 私の役目は各教授の研究室巡りで、薬品の欠品の注文集めです。   それぞれの教授が助手に指示を出していますから、私は注文の品々を書いたメモを集めるだけですから、大学中の研究室を一回りしても30分も掛かりません。そこからは社長の気分次第、翌日が多忙だと食事を断って私と帰りますので。 私に「残れ」と指示しますし、食事会がある時は私を先に帰します。

 すぐ帰れれば嬉しいのですが、残る場合は悲惨です。頭脳明晰な大学教授が、とんでもないヘボ自殺手で折角手に入れた隅の一等地を手放したり、一子つなげば生きた中央の大きな地盤を白石に浸食されて自滅したり、素人でも分かるミスを見ているだけでイライラするものです。              

 そのY社長に出会って、私は何らかのプロになろうと思うと同時に、化学に興味を持ち、高校在学中に高卒資格を得て化学の専門学校に入学、社長に断って染料工業薬品の卸問屋に鞍替えし、そこで修行して暖簾分けの形で25歳で独立開業、趣味は全てプロを目指すという方針で今日に至っています。

 私は自立して順風満帆・・・

周囲にはそう思わせていますが、実際は数々の修羅場を潜り抜け辛酸も舐め尽しています。それによって自分の運気を知りたくなって気学九星術を学び、これに救われ援けられて今は最高の幸せを味わっています。

 もしも、私がプロ棋士のY社長に出会わなかったら、と思うとゾっとします。 多分、化学にも無関係で、プロの凄さも知らずに過ごし、占いの道にも入らなかったはずです

 占いを本格的に学んだのはこの後ですが、このプロ棋士の社長との出会いが私を変えたのは間違いありません。私はその後、千代田区商工会議所から最優秀従業員賞を頂き、その信用が仕入れ先の支援になり私の独立を早めています。

 ともあれ、

人との出会いが人生を変えてしまう恐ろしさ、

だからこそ運命の出会いを大切にしなければなりません。

 

もしかすると、あなたと私も・・・

いや「占い豆知識」との出会いがあなたの運命を変えるかも知れません。