毘沙門天の智慧

使命を求め、使命を探す生き方を!

七福神の中の毘沙門天は唯一厳しいお顔をなされております。

それは何故でしょう。

どうやら、私たちは生まれてくる前に、この世での使命を果たすための目的を、神様と約束しておられるようです。ところが、殆どの人が、この世に生を果たした直後に忘れてしまっております。

それを思い出しなさいと叱咤激励しておられるのだそうです。

この使命について、「強運を科学する」千葉修二氏によるCDプログラム「無知の知(賢者への道)」を参考に自分の人生に当てはめて考えていきたいと思います。

 

まず、その「使命」とは一体何でしょう。

辞書で調べてみますと、

・使者として受けた命令

・与えられた重大なつとめ、責任をもって果たさなければならない任務 と記されています。

従って、使命とは人生の目的、目標、志とは違い、自分で決めるものではなく、果たすことが大切なので、まずは思い出して探し求めることが大切であるということです。

 

私たちは神様と約束をしてこの世に生まれてきたようです。

この世で使命を果たさないということは、例えば、会社で上司に〇〇をしてきてください、と言われ、「はい」と返事をして出かけたものの、「あ、忘れてしまいました。」というのと同じということだそうです。あの世の株式会社で働いていて、上司は神様なのかも知れません。

さて、あなたの使命は何でしょうか?

毘沙門天さんが険しい顔をしているのは、私たちがその約束を忘れているからです。

何故約束を果たさない。その約束を思い出しなさい。と叱咤激励をしているのだそうです。

多くの人が、この使命を果たさず、この世を去ります。その多くの原因は約束した使命を思い出さないからです。では、どうすれば約束した使命を思い出せるのでしょうか?

それは意外と簡単なのです。と千葉修二氏は語ります。

忘れた使命は何だったんだろうと思い出す努力をすることです。使命を求め探すことです。

「あの人、過去に逢ったことがありそうだけど、どこで逢ったのだろう」と、思い出そうとするのと同じです。使命は自分で決めるものではありません。決めるものは人生の目的、目標や志ですが、使命はあの世で神様と約束をしてきたものですから、勝手にこの世で決めることはできません。

使命は思い出さなければならないのです。探さなくてはならないのです。と。

 

しかし、考えてみると、あの世で約束をしてきたことが何であっただろうと考える人がどのくらいおられるでしょうか?

殆どの人が使命を思い出さず、使命を果たさずこの世を去っていきます。

約束をした使命を忘れて果たさずに、あの世に帰ったら、神様は何と仰るでしょう。

あの世で「あッ?」と思い出しても、この世に戻されるということはないでしょうけれど、後悔しきりの後味悪い修業があるかもしれませんね。

それはさておき、さて私の使命は一体何だったんだろうと考えてみることにしましょう。

正直すぐに、これだこれだと思い出せる人はおりませんね。

しかし私たちには潜在意識というものがあり、思い出そう!探し出そう!と意識した人の潜在意識は、起きているときも寝ているときも、自分の使命を探し、思い出そうとしてくれるそうです。

 

私の使命についてお話しさせていただきます。

私にはこんな思い出があります。もう30年も昔のことです。斎藤隆介作「花さき山」という童話を、和楽器の演奏をバックに舞台で語ったことがあります。客席に向かって語り始めると、やがて暖かい何ものかが客席からふわっと盛り上がってきました。そして

「それからどうしたの?」「早くその先を聞かせて!」と催促するのです。

すると今度は、私の心が私の身体から飛び出して「今、話すから待ってて!」と伝えています。  どうやらお客さんの心と私の心が会話をしているのです。

この物語は斎藤隆介作の「花咲き山」といって、優しいことをひとつすると、この花咲き山に花がひとつ咲く。道に迷って出会った10歳の女の子に山姥が優しさの大切さを語りかける物語ですが、現代にも通ずる数々の教えに涙を誘われます。私は乳がんの術後間もない頃でしたので、潜在意識の賜物の中での体験に励まされ、以後、この世界に身を投じていくことになります。思えばこれが神様と約束をした使命だったのではと思い出されます。

毘沙門天さんの智慧のことは知らなかった私ですが、幼少のころから父を戦争で亡くし、以後母が苦労して二人の幼子、私と弟を育ててくれました。その苦労を背負って、母は乳がんになり抗がん剤の苦しみの中でこの世を去りました。病弱だった私もガンを患い、母の跡を追うかのようでしたが、病気にならない、健康に生きる方法はないものかと、夢中で模索し、幸せに生き抜く道をみつけました。

そして今はもうすぐ八十路を迎える歳となりましたが、感謝の人生を歩いております。

私の使命は、人は「生老病死」という言葉がありますが、必ずしも病気になって死ぬのではなく、自然の草木のごとく枯れて死を迎える生き方もあると思います。

そのためには、農薬、添加物、化学物質、遺伝子組み換え、電磁波、放射能などの被害に遭うことなく、常に感謝の心で幸せに生きることを心がければ、大往生の道があることを信じます。

これこそが、私の使命と思います。こういう生き方を多くの人たちに知ってもらうことではないだろうかと気づかされました。

人生最期の景色が見え始めたこの頃ですが、優しさを伝えることが私の使命と確信し、そういう自分がとても好きになりました。

 

「強運を科学する」の千葉修司氏はこのように言っておられます。

使命は、まずは、思い出そうとすること。探そうとすることが大事です。すると毘沙門天も喜び、ともに探してくれます。使命を果たすことはとても重要だと思いますが、一番重要なのは、「使命を求め探す」この心的対話かと思います。

みつからない。探せないと自分を責めたり、落ち込むのは逆に愚かなことです。

人は皆、幸せになりたいのです。この世で幸せになるためには修行が必要ですね。

 

人生とは修行である。この世の修業とは幸せになる修行のことで、すべての人に共通です。

そのためには、辛いことも受け入れて感謝をするということに気づくことです。

辛いこと嫌なことは財産であり、それがあなたの人間的成長を促します。

「艱難辛苦で珠となる」という知恵ある言葉を送ります。

艱難辛苦とは非常に困難で苦しみ悩むこと。

「珠となる」は非常に美しいもの、完全で完璧なものを意味します。

人生にて良いことは思い出。辛いこと苦しいことはすべて財産です。

ゆえにこの世に起こることで、無駄なこと、自分にとってマイナスなこと、無意味なことは何一つありません。財産をいただいて辛いと愚痴をこぼすと神様はその財産に気づくようさらに艱難辛苦を与えるか、逆に何も与えなくなるようです。それはもう生きる屍のような人生になります。

私の使命は自然体でしたが、乳がんという艱難辛苦を乗り越えた先の「珠」と思われます。

 

この教えを心に誓い、人生に起こる出来事すべてに感謝をし、これからもバラ色に生きていきます。毘沙門天さんとの対話を楽しみにしながら・・。      完

 

参考:

千葉修司氏「無知の知(賢者への道)」より