東国三社を歴訪する(2)国譲りと天孫降臨

今から1300年前に記された「古事記」と「日本書紀」、

「日本書紀」には、こんな物語が記されています。

日本にはかつて二つの国が存在していた。

1つはアマテラスをはじめ、多くの神々が棲む天井の世界「高天原」、もう1つはオオクニヌシが治める地上の世界「葦原中国(あしはらのなかつくに)」。

平和を謳歌していた2つの国だが、やがて大きな変化が訪れる。

天井の「高天原」が地上の「葦原中国(あしはらのなかつくに)」を平定するように動き出したのである。

高天原の神々はオオクニヌシのもとに舞い降りて、地上の国を自分たちに譲るように迫った。オオクニヌシはほとんど抵抗することもできないまま、地上の国を高天原に明け渡すこととなる。

この物語は国譲り神話と呼ばれています。
そして地上の支配権を手に入れた高天原の神々は次に大事業を行う事になります。

 

最高神やアマテラスの孫、その他高天原の多くの神々を天井から地上の「九州」に降り立たせたのです。

「天の神の孫が地上に降臨した」

その名の通り、この物語は「天孫降臨」と呼ばれます。

こうして高天原は地上の支配域を拡大させると、その後、高天原の直系の子孫である『神武天皇』が奈良の「ヤマト」で国家統一を果たし、紀元前660年、ついに日本は建国されたのでした。

このように、「国譲り」と「天孫降臨」の神話は、高天原の直系である「天皇家」の正当性を示す、とても大事な物語になっています。

 

天井に棲む高天原の神々による物語、「国譲り」と「天孫降臨」、「空想の世界」としか考えられない神話の物語は、いったい何を表していたのでしょうか?

そして、

「東国三社は『国譲り』や『天孫降臨』の出発点の場所である」

という田中英道氏の言葉の意味とはどういうことでしょうか?

田中教授はこう述べます。

「神話を解明するには、“神社”にもっと注目しなければいけません。神社は、古代の祖先たちが土地の記憶、伝承をもとにして建てたものであり、存在そのものが重要な意味をもっているのです。社殿の向きや鳥居の位置にも、何かしらの意図が隠されているのです。」  

 国譲りの神話ではこう記されています。

地上を治めていたオオクニヌシに、高天原の代表として、国譲りの交渉を迫ったのが、『鹿島神宮』の神。

その交渉に同行したのが、『香取神宮』の神。そして『船の神』として、この2神の御先導を務められたのが、『天の鳥船神(アメノトリフネノカミ)』という『息栖神社』の神なのです。

これらの神々は高天原の天空から、『船』で地上に舞い降りたと記されています。

そして、天空というのは東国三社のある場所「高天原」、現在の茨木県に当たります。

実際に鹿島神宮のすぐ近く、茨木県鹿島市に「高天原」という地名が残っています。

 

鹿島神宮、香取神宮、息栖神社・・・

東国三社は、『国譲り』の神話と密接に関係していることが分かりました。

神話が現実味を帯びてきて面白くなってきましたね。

次回は天孫降臨についてもう少し調べてみたいと思います。

東北大学 名誉教授田中英道氏

ボローニャ大学・ローマ大学客員教授、国際美術史学会副会長、東北大学名誉教授を歴任。「西洋美術史の第一人者」と呼ばれている。                                                         24才から単身留学。当時は留学すら珍しい時代から、「ルネサンス」発祥の地イタリア、世界最先端の芸術大国フランス、世界有数の文化国家ドイツなど、これら西洋文化の中心地を渡り歩き、研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど… 数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表し、今なお、美術研究の第一線で活躍し続けている。                                                                  中でも、フランス語や英語で書いた論文は一流学者が引用する国際的な文献になるなど、イタリア・フランス美術史研究における“世界的権威”と評される。 西洋美術研究の折、作品の表情や手足の動き、モノの形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、文化や宗教的背景までも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。                                                          日本では優れた文化作品が正しく評価されておらず、さらには文化的な要素が歴史の中で飾り物になっていること、本格的な解読や研究が全く進んでいない現状に危機感を抱き、以来西洋中心だった研究活動を日本中心に転換。                                                     「日本国史学会」や「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務め、文献が無ければ真実を見抜くことができない歴史学者に代わり、人類が残してきた様々な文化遺産を紐解き、正しい真実の歴史を日本国民の元へ届ける活動を続けている。その数は膨大で、著書は合計95冊、主な研究論文は147本以上にものぼる。