オナガとハトとわたし

一、美しいオナガ

 

 

ジャー・ジャー

五月の半ばごろのことでした。

突然オナガ独特の鳴き声が南側の窓から響き渡ってきました。

ついこの間までは北側から、ガビチョウが楽しそうに囀りまくっていましたが、どこかへ旅立っていったのでしょう。

入れ替えにやってきたのはオナガ鳥でした。

 

南側のベランダのすぐ前に聳え立つケヤキの木に、小枝をくわえたオナガが樹冠に突入するのをキャッチしました。どうやら巣作りを始めたようです。

 

このケヤキは大木にならないように園芸業者の手によって面白い形に剪定されています。三階の私の家のベランダから見下ろせる高さで、眺める位置は樹(じゅ)冠(かん)の頂上となります。

近くに樹木の生い茂る公園もあるのに、オナガはこのケヤキを選んで巣づくりを始めたのでした。

 

オナガは、尾が長く、黒いベレー帽をかぶり、翼は青く、背中が灰色の美しい小鳥です。

 

「尾長鳥 道のべの木に飛び交へり あはれ美しと吾はおもへる」

 

明治時代の歌人でもあり医師でもある斎藤茂吉も謳(うた)っていますが、声にそぐわないその姿の美しさに私も見惚(みと)ていました。

今、目と鼻の先で、番(つがい)と連携を取りながら忙しげに飛び回っています。と、思いきや、オナガは三羽いました。一羽はヘルパーなのでしょうか。

ある日のこと

樹冠の中からかすかな鳴き声が聞こえたような気がしました。

巣作りを始めてから、産卵(さんらん)、抱卵(ほうらん)の過(か)程(てい)も気づかず、ただ時々くりひろげられる同じ欅に同居するハトとの縄張(なわば)り争いに気を取られていました。鳴き声に注意して観察(かんさつ)してみると、親鳥が巣に近づくと聞こえます。離れると無音になります。雛(ひな)が生まれたことを感じました。

 

二、同居するハト

 

ヒナがさかんに鳴きはじめました。

その鳴き声には、ハトの心を動かす何かがあるようです。

餌を与えるとオナガの親鳥は公園の樹木に向かって一目散に飛んで行きました。眼の前に建っているスーパー銭湯(せんとう)の屋根で見張っていたオナガもその後を追って飛び立ちました。

ハトは樹冠の中ほどの枝にとまり、羽をバタバタとさせていましたが、そのハトもいつの間にか姿を消しました。

 

一羽の親鳥が帰ってきました。オナガは雄(おす)雌(めす)同色なので番(つがい)の区別がつきません。わたしはその親鳥と眼が合いました。

 

「どぅお、子育てはうまくいってる?」

ベランダの手すりに頬(ほお)杖(づえ)をついていたわたしは声をかけました。

「大丈夫よ 心配しなくても。ハトは何もしないから」

もう一羽のオナガが飛んできて、となりの木のミモザに移り、周囲(まわり)を警戒(けいかい)しています。どうやらわたしは敵(てき)ではないと、受け入れてくれたと感じました。

やがて三羽がそろいました。そして樹冠の中に入って行きました。

「チュ ピュ」

ヒナは甘えた声を出していましたが、直(じき)に静かになりました。

この樹冠の中でオナガの家族は一体どのように過ごしているのだろうか。ハトでなくても、興味津々(きょうみしんしん)です。

 

「ギューイギュイギュイ」「ゲー、ギー」

 

突然、けたたましい声と共に空中(くうちゅう)攻撃(こうげき)が始まりました。敵はハトではなく、他家のオナガのようです。ぶつかりそうな激しい動きの後、それぞれどこかへ去って行きました。

 

オナガはカラスの仲間で学習能力も高い鳥です。繁殖期(はんしょくき)には特に警戒心が強く、敵に対する疑(ぎ)攻撃(こうげき)行動(こうどう)も活発になるとのこと。

 

真黒い野良猫が道の端をトボトボと歩いています。

三羽は異常警戒心を発動し低空飛行作戦で攻撃をかけていました。黒ネコは建物の影に姿を消しました。

 

梅雨の雨が降り続く中、親鳥は欅の樹冠に再びやってきました。  小枝を移動しながら、となりのミモザ、垣根のアベリア、スイカズラの上を一回りして再び樹冠に戻ってきました。そしていつもハトのいる小枝に止まって不在のハトの行方を気にしています。

ハトは雨に濡れないよう欅の下方で葉を傘にして寛いでいました。

 

三、ハトの執着

 

わたしの家のベランダの手すりにハトが寛(くつろ)いでいます。

ケヤキの小枝よりは安定し、多少の雨宿りも出来るのでハトにとっては格好の場でしょう。オナガを騒がすこともないので、私は黙って宿を貸すことにしました。

「チュ ピュ」

しばらくすると樹冠の中からヒナの甘えた声がしました。親鳥が餌を運んできたのです。小枝の隙間から上手に潜るので外からは分からない時があります。でもヒナの甘えた声がその合図となります。

 

ヒナの声が少し大きくなってきたような気がしました。

その幼声にベランダに寛いでいたハトが反応し、身を震わせて立ち上がりました。そして落ち着かない様子で手すりを歩きはじめました。時々前かがみになって落ちそうになり、飛び立つことをも忘れているようです。

ハトは明らかにヒナの声に反応しています。まるで自分の過去を回想しているかのように。

 

ハトは非常に闘争的な性質を持つ鳥で、テリトリーには特に強い執着を持っています。オナガの親鳥との戦いは、諦めることなく体当たり攻撃を繰り返しています。オナガの反撃にも屈せず、しぶとい嫌われバトです。

そんなハトですが、親鳥不在の樹冠の中で、時々覗き込むような行動をとるほかは、ヒナを攻撃することはありませんでした。

このヒナの声に反応する仕草は、子を育てる本能が過去の想い出として蘇ったのではと想像するとハトへの興味も湧いてきます。

 

一羽が給餌にやってきました。

樹冠へは、すぐには入らず、頭と首を突き出すような仕草をしています。飲み込んだ餌を吐き出しているのでしょうか。

オナガは雑食性で、木の実や昆虫などを餌にしているようです。

雨季のこの時期、採餌には困ることはないでしょう。

「キュ キュ キュ」

ヒナの鳴き声は小さいけれど優しくなっています。

意外と巣は樹冠の上部にあるようです。

雨に濡れて木の葉がしなだれ、樹冠に隙間ができていました。

ヒナの姿は見えませんが、給餌する親鳥の動きがちらちらと見えてきます。ヒナと交わす声も聞こえます。

親鳥は樹冠の外に出ると、ハトの存在を警戒し枝々を巡回します。

すると待ち構えていたかのようにハトは定位置にやってきました。

そして樹上のオナガと樹下のハトとのにらみ合いがはじまります。

このような争いがいつまで続くのかと思っていたある日のこと。

右下にハトが羽をひろげています。中央上にオナガが構えています。

 

四、ヒナの巣立ち

 

「ジー・グイ・グイ・グイ」

「ジー・グイ・グイ・グイ」

一羽の親鳥が巣の近くに立って、首を長く伸ばして遠くの番に合図を送っています。何度も何度も、

すると遠くのどこぞから

「ジー・グイ・グイ・グイ」

と、同じ合図で反応しています。

伝達し、そして返信が木霊のようにかえってきます。

この行為が何を意味するか、すぐに分かりました。

ヒナの巣立ちです。

梅雨空の夕刻、ヒナの巣立ちの瞬間です。小さな小さな小鳥、首に白いライン、まだ地肌が見えるような産毛、真っ赤な口腔、丸く小さな黒い瞳、二兄弟が樹冠の頂上をたどたどしく歩いています。甘えん坊のヒナ、やがてふ化の時間差で三兄弟が現れました。合計五羽のヒナが孵ったことになります。

あたりは曇り空のまま夜に突入。給餌する親鳥はやがて五羽を樹冠に残して去って行きました。

さあ夜明けまでみんな元気でね。

 

五、ヒナたちの冒険

 

早朝、わたしが目覚めると樹冠は昨夜と同じではありませんでした。

雨は降り続いています。それでも小鳥たちは冒険の旅に出たようです。もうお別れの時がきたと思いました。一抹の寂しさが辺りに漂いました。ヒナたちはどこへ行ったのでしょう。まだ飛べる羽は持ち合わせていないはずなのに。

ヒナの居場所がわかりました。垣根のアベリアと灌木の植え込み内にいるようです。給餌にやってくる親鳥は我が子を見失うはずはありません。

そして

感激の時が再びやってきました。

その日の夕暮、

梅雨はまだ明けそうにありません。それどころか三つの台風が近づいています。

そんな雨が降りしきる中、二羽の兄弟が巣立った樹冠に戻ってきました。仲の良い兄弟です。ハグをしています。おぼつかない足取りで下からピョンピョンと小枝を渡りつぎ、巣を覗いたり、まるで何かを探しているかのようです。

 

一羽が樹冠のてっぺんに聳え立つ小枝に上り始めました。小枝はしないでいます。ヒナは飛び立つことも飛び降りることもできません。

親鳥がやってきました。小枝は大きく揺れました。そんな中で親鳥は給餌し、去って行きました。

 

雨はますますひどくなり、あたりが暗くなりました。再び親鳥がやってきました。樹冠の上を飛び跳ねて、安定した場所に移るよう忠告したに違いありません。それでもヒナは動こうともしません。

羽が濡れては飛ぶこともできないでしょう。再び親鳥が給餌にやってきました。小枝は親子を支えるには細すぎます。大きく揺れました。ヒナはそこが気に入って今夜の宿に決めたようです。

やがてじっとしがみついて動かなくなりました。

 

もう一羽は樹冠の茂みの中に、他の三兄弟はどうやら隣のミモザに落着いたようです。

夜明けまで無事でいてくれますように。

 

つぎの朝

朝日が顔を出すことなく夜が明けました。

雨は上がっていましたが、屋根も木の葉も濡れています。

小枝にしがみついていたヒナはどうしたでしょう。

欅やミモザの枝にも姿が見えず、声も聞こえません。

遠くに引っ越しをしたのでしょうか。でもまだ飛べる羽ではないはず。寂しさが樹冠を覆っています。

 

細い小枝に上ろうとするヒナ           

 

その時

「ゲーイ・キュ・キュ・キュ」

いつもと違う鳴き声が聞こえてきました。親子が何か合図をしているかのようです。ヒナは欅から降りて、垣根のアベリアに移動したようです。そこはアジサイやアオキ、アベリアの上はスイカズラに覆われ、ヒナたちにとっては行動しやすいのでしょうか。本能で移動し、親は子供のいる場所を探しながら餌を届けています。

 

ヒナたちの行動範囲も広がり、鳴き声も身近でなくなると親近感も遠くなりつつあります。

私は南側の垣の下の通路を歩いてみました。三階から見る景色とは大いに異なり、樹冠は見えるどころか頭を反らせて見上げても、灌木の植え込みと欅の全体像を眺めるのに精いっぱいです。鳴き声はおろか、ヒナたちの影も形も見えません。いよいよお別れの時が来たと思いました。

 

六、ヒナと私

夕刻のことでした。

再び欅の樹冠から鳴き声と羽音が聞こえました。

隣りの木、ミモザからおぼつかない足取りで飛び移ってきました。短い尻尾、黒い頭、首の白いラインが小さく動いて、可憐な生き物が樹冠の上を動き回っています。

昨夜降り続いた雨を乗り越えたのでした。

枝を踏み外し、助けを呼ぶ声がしました。親鳥が直ぐに飛んできました。一羽が巣の近くに、もう一羽がわたしと最短の距離の小枝に宿を決めたかのようでした。そのヒナと目を交わしました。小さなビーズのような黒い瞳が私を見ています。

「はじめまして」

私は部屋の灯りを消して、生活の音を出さないように気配りしました。子守歌代わりミュージックをかけました。

 

やがて勢ぞろいした五羽の兄弟と親鳥三羽が家族団らんの時を過ごしています。

親鳥は一日中忙しく動きまわり、雨に濡れて少し痩せたように見えました。暗くなるまで採餌していましたが、やがて静かになりました。今夜も雨模様です。おやすみなさい。ご無事でね。

 

六、別れの時

三日立ちました。

ヒナたちは生まれた場所には戻ってきませんでした。

だんだんと樹木と垣根の流れに沿って小鳥たちは移動し、親鳥も追いかけては餌を与えています。

今日は北側の木立からヒナの逞しい鳴き声が聞こえます。南側の欅の樹冠の木陰に小さく丸くなったハトの姿を見つけました。

そして

目を閉じ、想像の翼を広げてこの小さな生き物との共生のひとときを思い描いているわたしがいました。

 

時折、遠くの方でヒナたちの鳴き声のシャワーを風が運んでくれます。次の舞台裏ではどんな野鳥が出番を待っていることでしょう。

完                2015.7.11

宿を貸したケヤキ

 

 

翌年のこと、

このケヤキは階下の住人の日照権により

伐採されてしまいました。

長旅を終えて帰還したオナガドリはどんなにがっかりしたことでしょう。

懐かしい声に見上げると

北側にそびえる名の知らぬ樹の梢でその姿を確認することができました。