村長の一言

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 この度、開運村芸術部門顧問として歌手・芹洋子さん、ご長女の亜美さんをお迎えし、共に開運の道を歩むことになりました。

 

 芹さんと私は40年以上前からのお友達付き合いで、私の作詞でレコーディングした過去もあり、今回のご縁もまったく違和感がありません。これからは私の事務所兼サロンをオフィス芹洋子・築地分室として用いたり、協力関係を密にして参ります。と、なると当然ながら開運村本部は「芹洋子うたごえサロン」と化してくるのも自然の流れです。しかし、狭い事務所兼サロンでは残念ながら何をやるにも集客できる人数に限りがあります。そこで知人に紹介された台東区上野のライブスペース”き(Qui)”を常設会場にしての開運村主催「芹洋子うたごえサロン」を開催する運びになりました。

 

 芹洋子さんは大阪府東大阪市出身で小学4年生時代からテレビに出演し、謡コンクールなどで活躍、1969年にビクターより『野に咲くバラのように』でメジャーデビューしました。その後はNHKテレビ『歌はともだち』、1974年には、今は廃線になったた北海道広尾線の愛国駅から幸福駅間にちなんだ『愛の国から幸福へ』が大ヒットし幸福駅の切符を求める人が幸福駅に殺到する騒ぎとなる社会現象を生みました。

 

 続いて『四季の歌』がミリオンセラーとなる大ヒットとなり、さらに『赤い花白い花』、『坊がつる讃歌』と順調で、1978年の「第29NHK紅白歌合戦」にも出場しています。

 その後も 「ひろしまフラワーフェスティバル」のテーマ曲「花ぐるま」や『おもいでのアルバム』などがヒットを続けます。

 その上、芹さんはCM700曲以上を歌って今現在『コマーシャルソング女王』の座に君臨しています。

 

 1981年には 日本の歌手としては初めての日中文化交流音楽大使として北京公演を行て大成功、帰国後、所属事務所の社長と結婚、翌年に長女・亜美(現マネージャーAmiさんを出産、以降中国公演は19回に及びます。

 1992年、芹さんは交通事故により生死の境をさまよいますが、奇跡的回復と周囲の協力を得た懸命のリハビリによって歌手として復活、2017年の夏には公私共に苦楽を共にした事務所社長でもある夫が肝臓癌で逝き、その後を女優の道に進んでいた長女・亜美さんが急遽マネージャーとして仕事を引き継ぐことになり、現在はサンミュージックプロダクションに所属して親子二人三脚で活躍して今日に至っています。

 

この輝かしい経歴を持つ芹洋子さんを顧問としてお迎えすることは開運村の名誉であ

り村長としても喜ばしい限りです。これを機に皆様と共に「芹洋子うたごえサロン」でご一緒できることを心から楽しみにしております。

    2019年春吉日   花見 正樹