第二章 

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第二章 

 1、アリバイ

 奥穂高山麓の山際にある留吉のあばら家の板壁の隙間からは、初秋の冷たい夜風が容赦なく吹き込んで肌を刺す。その寒さを吹き飛ばすように、急ぎ支度の通夜は大賑わいだった。
 その留吉の家には、電気も水道もなく、水は井戸水を大きな水ガメに溜め、灯りは獣重油くさい壁掛けランプがあちこちにあり、灯が風で揺れるから、人の表情の陰影が絶えず不気味に揺らいでいる。
 この通夜の席に、死体発見者でけという孝平がいいるのは不自然だった。だが、誰もそれを気にしている様子もない。それは、村人の殆どが留吉とは没交渉で口も利いたことがない人が殆どだったからだ。なぜ、死んだ留吉と縁もゆかりもない人々が、かくも盛大に集まっているのか。それには、それなりの理由だがある。
 酒があるからだ。
 酒があるうちは、寒かろうが暑かろうが誰も帰らない。
 酒は、留吉の獲物を納めていた松本市内の料亭や近隣の温泉場のホテルなどからの差し入れだった。留吉の顧客は殆どが村長の紹介だったから、村長がいち早く留吉の顧客に訃報を電話すると、村長の思惑通りに酒もビールも香典もたちまちバイク便で村長の家に届けられて、通夜と葬式の賄いには充分に間に合ってお釣りが出て、村長のお小遣いになる。そこで村長は早々と「村民は香典無用・飲み放題」と組長に布告し、その噂はすぐ村中に伝わって、人が人をを呼んでいた。
「香典なしで、ただ酒が飲めるだぞ」
 こうなると誘い合って人は集まる。こうして、日頃は留吉と全く無縁の村人たちが集まって、「飲めや歌えや」の賑やかな通夜になっていた。
 加助が孝平の持つ湯飲み茶碗に、地元の銘酒・秀峰アルプス正宗の一升瓶から大吟醸を注いだ。日頃は焼酎のお湯割りしか飲んでいない孝平にとって、この酒は旨すぎて悪酔いしそうな予感がする。孝平は、喉を鳴らして一気に飲み干し、茶碗を加助の前に突き出した。加助が呆れながら酒を注いだ。
「飲みっぷりはいいが、今日はバイクは無理だな。おらが家へ泊ってくか?」
 この一言で、(悪酔いしたってかまうもんか)と、孝平の腹が据わった。
 孝平は加助には恩義がある。
 水質検査の資料収集移動中にバイクの車輪がぬかるみでスリップして田の中に横転した時に、たまたま近くで野良仕事をしていた髭面で30代と思しき農夫が助けに来てくれて、それ以来、野良で会えば、バイクを止めて立ち話をする仲になっていた。その農が加助だった。
 人口の少ない小さな村だけに、ここでは苗字を必要としない。誰もが下の名前か屋号だけで呼び合っていて、苗字などは全く必要としていない。加助の苗字が窪川であることも、先刻、門に掲げた表札を見て知ったのだ。
 大学の授業の一環としてとアルバイトを兼ねた清流の水質検査で、この村に出入りしている孝平も、この村では未だに名前で呼ばれたことがない。加助も孝平を「学生さん」と呼ぶ。
 その加助が、葬儀委員長である松尾村長の裏方として、留吉の通夜と葬儀を仕切っていた。
 孝平が通夜の席で村人や加助から聞いた話を整理してみたが、ますます頭の中が混乱するだけで結論は出ない。
 獲物を求めて上流に遡行していた留吉が、天候の急変に気づくのが遅れ、濁流に呑まれたとも考えられた。岩角に打たれ、傷ついて流されながら力つきたのか。それにしては傷が酷すぎる。
 鎌が沢上流は、足場の悪い懸崖に包まれていて、両岸上部を樹木が覆い、晴れた日でも暗い夕暮れを思わせる陰湿な谷間だという。その源流に辿り着くためには幾つかの滝を高巻きして登はんしなければならず、職漁師といえども滅多に近寄ることのない難所だった。それでも、渓流マニアの釣り人が林道の奥に車を乗り入れ、夜明けと共に谷に下りて鎌が沢上流に入ったりする。その結果、車を残したまま行方不明、、遭難、事故、神経異常などでまともに帰った者はいない。
 鎌ヶ沢上流には魔の淵と呼ばれる滝下の深い淵があり、そこに漁した者は必ず祟られるといわれ、事実、変死したり狂人になったりした例は、昔から沢山あると土地の人はいう。
 この周辺の村人達は、幼い頃から鎌が沢源流への出入りを禁じられて育っていた。
 留吉は、他郷から移り住んだ職漁師だが、当然、その魔の淵についての噂は知っていたものと思われる。山奥に豪雨があると、谷は周辺の山の水を一気に受けて、もの凄い量に増水し、濁流は太い木までを根こそぎ抱え込んで轟音を立てて流し落とす。この鉄砲水ともコモマクリとも呼ばれる増水は、異様な音が聞こえてからわずか数分で、大きな水の壁が押し寄せるが、その数分間が命の分かれ目になる。
 さらに、信濃の山間部には、さまざまな獣が棲息しているだけに、それに襲われたとも考えられる。熊が出ることは孝平も知っていて、子連れ熊の恐ろしさも村人から聞いて、腰には熊避けの鈴をぶら下げ、できるだけ腰を振って歩いている。
 それにしても、通夜の客はよく飲んだ。
 通夜の客の大半は、乗ってきた車を麓の加助の家の庭に駐めてあり、そのまま運転して帰るのか、家族が迎えに来るのか、この留吉の家には余分な夜具はないから寒さに耐えられない。、それとも加助の家に泊まって酔いを醒ましてから帰るのか、家族が迎えに来るのか、酔っ払い運転で帰るのか、それらは誰も詮索しない。
 それを取り締まるべき警察官の坂口は、僧の読経が終わるとすぐ帰り、駐在の中宮巡は加助の家に泊まる気らしく、自分もしたたかに飲んでいて、酒帯び運転を取り締まる気などさらさらなく、そのような状況にもない。
その中宮巡査が、孝平に語りかけた。
 かなり酒が入っているはずだが地が黒いから顔色には出ない。しかも、滑舌は酔いで怪しいのに、孝平をお前呼ばわりして、しっかりと警察官口調になっている。これは職業病とでもいうべきか。
「警察ではな、人が死ぬと、まず、第一発見者を犯人とみるんだ。知ってるか?」
「まさかオレのことも?」
「お前も例外じゃない。通報した時、お前の住所も聞かれただろ?」
「たしかに・・・」
「本署からの指示で、近くの交番から警官が急行してな。お前のアリバイを調べたんだ」
「どうやって?」
「聞き込みさ。左隣の独身男は出勤して不在だったが、右隣の幼児がいる奥さんが、お前がドアーの鍵を閉めて出てったた時刻を朧げに記憶していたんだ。それに、屋根付き駐輪場からお前がバイクを引き出すのを、一階に住む管理人が見ていた。それで、マルタ(遺体)の死亡時刻には、お前がまだ自分の部屋にいたことが証明されて、アリバイが成立したんだ」
「アタマに来た!」
 一時的にしろ犯人扱いされた怒りと半分は冗談で、右拳でテーブルを叩いた孝平だが、生憎とそこにはステンレス製のスプーンが上向きに横たわっていて、手の痛みが脳天にまで響いた。それを見た中宮巡査が、真顔で「フォークじゃなくて良かったな」と孝平を慰めた.

 

 

2、野ヒバリ

「酒は明日も届くぞ。まだ来ていない大口が何軒か残ってるからな」
 早く引き上げた村長の一言が利いていて、通夜客の殆どが明日の葬儀にも参加すると言っている。
 手抜きの読経を終えた老僧も酒が好きらしく飲むだけ飲んで、加助が渡した前払いの僅かなお布施を懐中に、ご機嫌の千鳥足で加助の家に向かって右手に懐中電灯、左手に傘を持ち、迎えに来た若い修行僧に支えられて帰路についた。帰路といっても歩くのは加助の家までで、そこからは若い僧の運転で車だからさほどの難儀でもない。
 それからまた宴会は続いた。
 夜が更けて酒も残り少なくなったが、まだ誰も帰ろうとしない。皆、駐在の中宮巡査長が帰るのを待っているのだ。
 その駐在の中宮巡査長を息子が迎えに来た。
 未練たらしく立ち上がった中宮巡査長は、立ったまま茶碗酒を飲み干してから土間に下り、息子の肩を借りてよろめきながら戸口に向かい、そこで振り向き呂律の回らない口調で喚いた。
「みなみなさん。飲んだら飲むな、いや、乗るな、ですぞ」
 村で唯一の警察機構の構成員である駐在さんが姿を消すと、暫くして村人が次々に帰り始めた。
 加助が声をかけた。
「酔っ払い運転はやめて、おれが家に泊まってけ。息子に準備させてあるからな」
 これに応じたものが一人もいない。だからといって法律を遵守しないとも言えない。なにも証拠がないからだ。
 村人達はみな飲み食いに満足していて、隙間っ風の冷たいあばら家に長居は無用とばかりにいっせいに帰路に就く。ちょうど雨が止み、懐中電灯と提灯の灯りの列が、曲がりくねった山道を下って加助の家まで続いていた。その道は雑木や雑草に包まれているだけに、灯りが見え隠れして、上から眺めると、間が抜けた狐の嫁入りの列のようでもあった。
 孝平は、囲炉裏を囲んで残った村人の輪から外れて、板壁に寄り掛かって何を思うでもなく、酔いの揺れに身を任せてぼんやりと周囲を眺めていた。
 八月の末とはいえ暦の上ではすでに秋、夜が更けて風雨が強まると、裏庭の柿の枝葉が板壁を叩き、石を乗せた杉皮ぶきの屋根が断続的にはじけ、あばら家がかすかな悲鳴を上げてきしむのが、板壁を通して孝平にも伝わってくる。雨は小降りになった様子だが、夜が更けるにつれて寒さが身に沁みる。
 土間の壁の掛け金具には、手作りの釣り竿、三本刃のヤス、スキなどの農具、それに冬は猟をしていたのか黒光りした旧式の猟銃などが掛けてある。
 急ぎ支度だが大賑わいだった留吉の通夜はこうして幕を閉じ、残った女衆五、六人ほどが、加助の女房の指図でてきぱきと後片付けを始めた。明日の葬儀のためにも、大雑把な掃除と準備ぐらいは必用なのだ。
 その女衆の亭主共は、自分だけ帰るわけにも行かず、残り酒を集めて囲炉裏を囲み、加助を中心に改めて宴会を始めている。
 孝平は、土間の隅にある素朴な台所で汲み置きの水で洗い物をしている加助の妻の横顔を、酔った目で眺めていた。村人から「お雅さん」と親しく呼ばれている加助の妻の名が「雅子」であることを孝平は、先ほど中宮巡査長と酒を酌み交わしていて、さり気なく聞いて知った。
 孝平は、その加助の妻にも、のど元のホクロにも見覚えがある。その女性が加助の妻だと知ったのは、この通夜の席に参加してからだった。
 ただ、加助の妻は、孝平のことを忘れたのか、知らないのか、無視しているのか、視線すら合わせようともしない。ただ一度、すれ違ったときに「今晩は・・・」と、お互いに挨拶しただけで、何の感情も表わしていない。
 あるいは、人違いなのか。世の中には自分と似た人が三人はいると聞く。のど元のホクロも偶然かも知れない。
 一カ月ほど前、まだ夏が野山を包んでいる晴れた日の暑い午後、孝平は、農道から土手の斜面の深い草の陰で、コンビニで購入したサンドイッチとカフェオレの簡単な昼食をとり終えて、草むらに寝そべって野ヒバリのさえずりを聞いていた。
 一般の常識では、ヒバリの生態圏は標高八百メートルまでとなっているが、ここは標高約千メ?トル、ヒバリでさえ生活のために努力して生活の場を広げている。しかも、ヒバリは好天であるほど高く飛ぶという。
 孝平は、目的もなく生きている自堕落な自分がヒバリより劣る存在であるように感じて辛かった。S大のいま所属している学部をを受けたのも単に競争率が低かっただけだった。麻雀、競馬、酒とカラオケ…、怠惰な自分が忌まわしい。
「ああ、イヤだ・・・」
 孝平は、そのまま草の中に倒れ、麦わら帽を顔にかぶせて、やり場のないうっ屈した心をぐずぐずと煮詰めていたが、いつか草いきれの中で寝入っていた。
 どのぐらい眠ったのか、ふと、人の気配で目覚めると、麦わら帽が顔半分から外れて、まぶしい視界の先に野良帰りの女性のふくよかな顔があり、いたずらっぽい目が孝平にまぶしかった。どこかで挨拶ぐらいは交わしてるな? と、孝平は思った。
 女は、「シイッ」と、唇に人さし指を当て、周囲を見まわし人影のないのを確認してから肩の荷をおろし、孝平の横にかがみこみ腰のベルトに手をのばした。二人の姿を深い雑草の茂みが隠し、女の匂いが近づく。
「学生さん。あんたをな、村の女衆はみな狙ってるだからな」
 女は器用に孝平を剥き出しにし、手と口でしばらく自由にした後、自分も素早く準備した上で、孝平に跨り、ゆっくりと腰を落とした。孝平の胸の鼓動がはげしくなって体中に響いている。
「もっと、イイ思いをさせてやるからな」
 孝平は、ただうす目を開けて喘いでいるだけだったが、ごく自然に自分からも律動すると、女が嬌声を上げた。
 やがて、ひとときの快楽の時が過ぎ、傾き始めた陽光の下にぐったりと横たわる二人に涼しい風がそよぐと、女が立ち上がって身支度をし、もう一度屈み込んで孝平の首に手をまわし、うっとりと上気した表情で口づけをして囁いた。
「よかっただよ」
 女は去った。のど元の生きボクロが今も印象に残っている。顔も声も背丈もホクロも、確かに加助の妻に似ている。だが、人違いだったのか。加助の妻は孝平を見ようともしていない。
 あの日の野ヒバリの澄んだ鳴き声と、おおらかな女の嬌声は、今も孝平の脳裏にはっきりと残っている。

 

3、魔の淵のヌシ

 加助の妻が仲間の女衆に告げた。
「囲炉裏まわりは明日の朝に片付けっから、今日はもう終わりにすべ」
 女衆が帰り支度を始めると、囲炉裏を囲んでいた亭主共もしぶしぶと腰を上げた。
 囲炉裏の炭火を掘り起こしながら加助が妻に告げた。
「お雅。おれはここに泊まるからな」
「じゃ、あんたの懐中電灯は、貸してもいいね?」
 加助の妻の雅子が、壁に寄り掛かっている孝平に近づいて懐中電灯を差し出した。
「学生さんは、おらが家で寝な」
「加助さんと、ここに泊まります」
 加助の妻が囁いた。
「あん時は良かっただよ」
 忘れてはいなかったのだ。雅子が呟いた。
「あの続きができただに」
 孝平は思わず口にした言葉を悔いたがもう遅かった。
 加助の妻は既に背を向けて土間に向かっていた。
 囲炉裏を囲んでいた村人の姿が消えて、留吉のあばら家には加助と孝平だけが残った。
 雨脚が強まっている。
 囲炉裏の周囲には、空になった一升瓶や、食べ残しの焼き魚の残骸入りの皿などが乱雑に散らばっていて、天井からしたたり落ちる
水滴が不規則な音を奏でている。
 雨滴は、板壁の内側にも伝わり流れ、壁に寄り掛かってうたた寝をしていた孝平の背を濡らし、その冷たさが仮寝の夢から醒まさせ
る。だが、久しぶりにたらふく飲んだ日本酒が効いたのか、意識はもうろうとして頭が重く目がかすむ。
 それでも、加助が酒瓶の底に残った酒を集めて茶碗酒を二つ作り、「飲むか?」と招くと、すぐ囲炉裏端に座ったたのは本能なのか。
 加助が茶碗酒を目の高さまで持ち上げて孝平の労を謝した。
「今日は朝からお疲れさん」
「加助さんこそ」
 孝平も加助を真似て一口だけ飲んで茶碗を置き、残り物のスルメをかじった。
「学生さんは、今度の留吉さんの事件をどう思う?」
「事件? 溺死は事故ですよ」
「じゃ聞くが、あんたは半年前からこの辺りの谷川を歩いててるな」
「はい」
「鉄砲水に遭ったことは?」
「雨が降りそうなら沢には入りません」
「山の天気は気まぐれだ。仮に、沢に入ってから天候が急変したらどうする?」
「雨が降り出したらすぐ沢を出ます」
「留吉さんから聞いた話だが・・・」
 加助が茶碗酒を舐めなめながら訥々と話し始めた。
「留吉さんの説だと、豪雨の後の数日は要注意で、晴れていても草木が流れたり濁ったりしたら沢を出るそうだ」
「なんで?」
「豪雨で流された樹木や崩れ落ちた岩や土砂が堰を作って水を溜め、それが限界に達して堰が決壊して鉄砲水が出るそうだ」
「深い谷に入った時に天候の急変で豪雨に出遭うと、戻るべき崖道が流れになって足が滑って登れなくなる。だから留吉さんは、雨が降らなくても、上流の山に低く暗い雨雲を見たら危険を察知して、さっさと崖を上がって準備してある掘っ建て小屋に入って天候の回復を待つか帰宅するかを決めるという」
「小屋って、そんな何日も?」
「いつも一週間だった」
「一週間の理由は?」
「ふつう、川漁師は泊り漁のときは獲物を燻製にして保存するが、留吉さんは違っていた」
「どのように?」
「初日に氷を20キロほど新聞とポリ袋で包んで叺(かます)で背負山に入り、小屋の隅に掘った穴の底に置き、その横に、獲ってすぐ内臓を抜いたた川魚を並べて草を乗せ、板で蓋をして冷蔵庫代わりにしていた。その鮮度保つを限界が一週間だったらしい」
「生活の知恵ですね」
「それと、決まった曜日に川から戻って、我が家に寄るから、そこに赤帽の車がが来ていて、注文に応じて獲物を納品先に配達するから、鮮度の高い川魚が即日で料亭の食卓に乘る。このように注意深い留吉さんが溺死なんて変じゃないか?」
「確かに。留吉さんてえ人は、そもそも何者なんですか?」
 少し言い淀んでから加助が口を開いた。
「この地に伝わる昔話から話してもいいか?」
「興味はないけど聞きます」
「今から三百年ほど昔の寛永年間の話だがな。全国的な飢饉は、例外なくこの地をも襲ったんだ。雨の多い夏が三年ほど続き、農作物は全滅、悪疫が流行し、農民も飢え種モミまでも食べつくし、栄養失調での死者が続出したという。その凶作にも関わらず代官所の役人が、飢えた農民を責め容赦なく過酷な取り立てたため、売る娘もいなくなった農家では、一家心中か、一家離散であてもない夜逃げが続いたそうだ」
「ひどい話ですね」
「当時は、慶安のお触書という『田畑永代売買禁止令』が生きていて、困窮した農民の土地換金の道は閉ざされていたんだ。やがて、各地で続発した暴動同様、ここでも百姓一揆が起こったんだな。だが、税の減免を願って代官所に愁訴した村長がその場で処刑され、怒った村人が大挙してる代官所を襲ったんだ。それも、武装した役人の軍に追い立てられ、反抗しない女子供まで惨殺され、一揆はむなしく破れ去ったんだ」
「その一機と、留吉さんと何の関係が?」
「そう急ぐな。そのとき、追い詰められて山奥に逃げた村人が、最後に辿り着いたのが鎌が沢源流上部の高地だった。そこでまた追い詰められて、逃げた村人の全員が高い崖から身を投げたのが魔の淵だった。その後、わずかに生き残った村人からの伝承で、鎌が沢の魔の淵は、恐ろしい伝説の『禁域』となっている」
「本当の話ですかね?」
「近年になっても、釣りに出て行方不明だったり、神隠しに遭ったと言われた子供の衣類がその下流で見つかったりしていて、その都度伝説が蘇って今も連綿と鎌が沢上流の魔の淵は『禁域』になっている」
「まさか、留吉さんがそこに?」
「留吉さんは、一切、漁場の話はしなかた。だが、化け物のようなイワナが魔の淵のヌシいるらしいのだ」
「なぜそれを?」
 酔った加助の話は、際限なくはら話に近くなり、孝平の酔いは少しづつ醒めているる。
「魔の淵のヌシはな、いつもは滝つぼの奥深くに身をひそめてて、大雨で沢の水が増えるとな、梓川本流にまで未だに出没して餌をあさるだ。
それを見たのは何人もいるだが、みな、目が潰れるか、気が狂うかしてロクなことがねえ。そのため、この話もガセネタとして扱われて
未だに本気にされていない。これも、怨念を抱えて死んだご先祖さまの祟りだな」
 孝平は、折角の酔いが覚めてしまいだ加助を少し恨んだが、「留吉は鎌が沢のヌシに殺られた」と言い残した古老の話を裏付けるものと気づいたとき背筋に冷たいものを感じてゾッとした。もしかすると、この話は事実かもしれないのだ。

 

 

 4、水棲生物の巨大化

 酒が切れて村人も去り、留吉のあばら家に残ったのは加助と孝平の二人だけになった。酔った加助が足元をふらつかせながら押し入れから破れ布団など夜具を全部引き出して、孝平にも手伝わせて夜具を二つに分け、雨漏りを避け別々に敷き、「先に寝るぞ」と布団に倒れ込んだと思うと、すぐに高イビキで眠りこけている。
 仕方なく孝平も布団に潜ってはみたがなかなか寝つけない。
 酔った頭の中で、孝平は考えをまとめようと努力し、鎌が沢のヌシを想像した。
 大きい滝の淵には、必ずヌシと呼ばれる大物が潜んでいる。ただし、その種類はまちまちで、ウナギ、コイ、イワナ、ヤマメ、川マス、ブラウントラウトだったりする。
 なぜ、ヌシが巨大化するかというと餌を独占、あるいは優先的に確保するからであり、餌が無くなると共食いをして生き残る。このヌシについては、孝平も栃木県の那須の山奥で実際に淵に潜って、大きな鯉に驚いて逃げ戻っ経験があるから確かめだった。しかし、その巨大化にも限度がある。たかが川魚なのだ。て
「タキタローじゃあるまいし・・・一時期、話題になった東北奥地の秘境に伝わる幻の怪魚伝説に思いを馳せてみる。
 タキタローは、前氷河期の生き残りの子孫といわれ、下あごが長く発達し上あごの下に食い込んでいて、獲物を一気にかみ殺し呑み込むという巨大な水棲獣が実在するのも事実なのだ。
 川魚が巨大化するための環境を考えると、いくつかの科学的条件にアプローチしないと理解できない。
 まず、一番に四季を通じて水量が安定していること。そのためには、冬の渇水期を乗り切る豊富な湧き水があることが最低条件になる。
 昔から、カマという字を付した地名は、水が湧くといわれることから考察して、多分、鎌が沢は、この条件にあてはまる。と、なれば、二番目の水温の安定という問題もクリヤーできることになる。
 湧き水の多い沢は、当然ながら冬と夏の温度差が少ない。水温が安定していると、冬眠期がなくなり採食活動が活発化になり、発育成長が著しく増進されることになる。
 三番目は、餌が豊富であること。これは、水温が安定することと水質が関係する。川魚の餌になる水生昆虫の生育に必要な条件は、その餌になる藻やプランクトンの育ちやすい環境でなければならない。
 四番目の必要項目として、酸素の溶解量も重要になる。
 流れが速く川床の起伏や曲折のはげしい河川ほど溶解酸素量は大になる。これを、理学系の専門用語では、乱流度係数といい、孝平が測定した鎌が沢下流での係数は、9・00cc/L 、かなり高い酸素量を示している。これは豊富な餌も育つが、この沢に生きるすべての生物が大きく成長する可能性を物語っている。
 五番目は、水棲動物の生態を知る手がかりとなる水素イオン濃度、すなわちph値だが、これは鎌が沢下流で6・5と安定した数値をしめしていて問題ない。
 六番目は、生物が育つために必要な水質のよしあしだが、つい一週間ほど前に孝平がゼミの夏季講習で発表したばかりだから、酔った頭でも思い出せる。
 八月X日、晴れ、午後一時、採水は鎌が沢下流、その日のデータでは、カルシューム濃度が9・0ppm、珪酸8・5ppm、鉄分は0・03ppmとなり、気温23度で水温は15度であった。これは、川魚の棲息と成長には最善の条件となるだろう。
 以上を総合して考えると、たしかに大物の川魚が育つ環境は整っている。と、なれば、鎌が沢の魔の淵に、大きな川魚が潜んいてもおかしくはない。
 以前、只見川の三条の滝の滝つぼには、三尺(90センチ)のイワナが棲みついているが、谷が深くて辿り着けないという話を聞いたことがある。多分、それに近い川魚がここにはいるに違いない。
 だが、奥信濃の谷にそのような川魚が生存したという話を、孝平は聞いたことがない。しかし、実在しないという証拠もない。
 ここまで考えて孝平は首を振った。これは、自分には関係のない話なのだ。このバイトもあと僅かな機関で終わる。たかが川魚の大小で、こんなに頭を使うなど愚の骨頂だ。悪い夢は忘れるに限る。
 目を閉じると、仲間とカラオケスナックで飲んだり歌ったりで楽しく過ごしている自分が見える。
 だが、思いがまた川に戻る。
 鎌が沢流域には、トビケラなどの水生昆虫類百八十種、魚類は、十二科二十種でイワナ、ヤマメ、カジカ、ウグイ、シマドジョウ、アブラハヤ、オオサンショウオ、マスなどでこの季節には、アユも遡上する。
 鎌が沢のヌシは、梓川流域上流に君臨するイワナなのか。イワナは、サケ科の淡水魚で、その生命力はどん欲で旺盛、あらゆる小生物を餌とし、高地の源流に君臨する。とくに、大きな滝つぼに棲む大イワナは、上流から流れ落ちるトカゲ、ヘビなどを好物として、飢えれば共食いもする。
 孝平にとって話に聞くイワナは、好きになれない相手だった。攻撃的でどう猛なその性格が嫌いだった。そのような川魚を好んで釣る釣り人の気が知れなかった。
 消えそうに揺れる燭台の灯で見ると、加助は相変わらずの高イビキで眠りこけている。
 孝平も暫くして深い眠りに落ちた。

 

 



5、通夜の客

 夜が更けて、初秋の雨降る山里は、さらに寒さを増している。
 雨滴を含む冷たい風に頬をなでられて、孝平は夢うつつながら目覚めた。囲炉裏にくべた薪も炭も消えかけ、壁に吊り下げられたランプ台の灯も弱々しく隙間っ風に揺らいでいる。
 暗いあばら家に加助と孝平だけが泊まり込み、留吉の柩と夜を共にしている。留吉には親類縁者もなく、親しい間柄といえば加助だけだったらしく、身内と名乗る者は一人も現れない。
 妻をめとることもなく、川漁師として一生を終えた五十男の怨念と、留吉に仕留められた獲物たちの恨みが室内に充満し、陰湿な翳りを漂わせて肌寒く孝平は布団の中で首をすくめた。
 その時、入口の引き戸が音もなく開き、冷たい夜風がそこから吹き込んできた。夢の中の幻覚かとも想えたが、孝平のうつろな視線の先に、雨に濡れた人影が、右手に何かを持って土間に立ち、室内の様子をうかがっている。孝平は、何とか意識を目覚めさせようと焦ったが、もやが深くなって視界がかすみ、思考力が失われていて自分でももどかしい。手をのばして加助をゆり起こそうとしたが、身体が金縛りに遭ったように動かないし声も出ない。それに、加助は高イビキで熟睡中で、とても起きる気配もない。
 やはり、夢の中の出来事なのか。和服なのか洋装なのか黒の喪服なのかさえ定かではない。だが、しなやかな体型と風になびく黒髪と彫の深い顔立ちから麗しい女体でであることだけは見て取れる。
 その人影は、ゆっくりと土間から部屋に音もなく上がり、孝平の目の前を通過して留吉の柩に近づき、ゆっくりと蓋に手を掛けて持ち上げ、中をのぞいた。その瞬間、ドライアイスの白煙がゆらいで部屋に流れて室温をさらに下げた。
 人影は、手に持った短い棒のような物を、留吉の遺体目がけて振り下ろした。「グシャッ!」と、不気味な音がしたが、それも一瞬、妖艶な女が振り向いて挑むような目で孝平を見た。
 孝平は、思わず叫び声をあげようとしたが声が出ない。のどが締めつけられるように苦しい。やはり夢なのか? 夢だから声も力も出ないのに違いない。その孝平の心を読んだのか、女の表情が緩み、孝平をあざ笑うかのように白い歯を見せたが、その歯は牙のように鋭く見えた。女の表情には、悲愁をはらんだ恐ろしい殺気があり、この世のものとも思えない冷たい妖気がただよい、その目は深く淀んだ光を放っていた。
 恐怖に震える孝平の脇を、女の姿が滑るように通って土間に降り、そのまま開いていた戸口から煙のように消え去った。
 暫くして孝平が自縛が解け、夢から醒めたように立ち上がったのは、開いたままの戸口から吹き込む冷たい雨風が耐え難いからだった。土間に下りて戸口から外の闇を覗くと、女の立ち去った方角なのか風雨の音に交じって低く重く不気味な猫の唸り声が聞こえた。
 戸を閉めて、改めて女の通った跡を見ると、土間から柩に向かってのボロ畳には、濡れた女の衣類を引きずったような濡れ跡が続いていた。
 孝平は、留吉の柩の少し開いているフタを持ち上げ、中を覗いて息をのんだ。留吉の白装束の胸に、短く折れた竹の先の四本刃の錆びついたヤスの刃先が突き立っている。
 孝平が、そのヤスを抜こうとしたが返し刃が邪魔して思うに任せない。仕方なく棺台に乗り、左.足を刃先の横に置き、死体の胸を踏みつけた上で、両手で力まかせに引き抜くとヤスが抜け、留吉の遺体が生き返ったように弾み、孝平は仰向けに畳に倒れ落ちた。
 孝平が倒れたまま、あわてて留吉の肉片が付いたままのヤスを土間に投げ捨てると、その音で加助が目覚めて寝ぼけ声を出した。
「なにしてるだ?」
「女の人がいたんだ」
 加助が寝ぼけ目で周囲を見て怪訝な顔をした。
「誰もいねえじゃないか。夢でも見たんだろ?」
「いや、夢じゃない。本当なんだ」
「この真夜中に誰が来る? 悪酔いしたな?」
「そうかなあ?
 恐怖と寒さで眠気の失せた孝平は、消えかかった囲炉裏の火を火箸でかきまわしながら考えた。でも、確かに夢ではない。
「そこの濡れ跡が、その女が通った証拠だし、その女が留吉さんの遺体にヤスを突き刺すのを見たんだ」
「ヤスを?」
「それを引っこ抜いた音で、加助さんは目が醒めたんだ」
 返事はなかった。加助は孝平から火箸をとり上げ、囲炉裏の灰を器用に掻き分けて炭を加えると火勢が戻った。
 加助は、暗い顔で囲炉裏の火の燃え上がるのを確かめてから、炉端に転がっている一升瓶から少しづつ残っている酒を集め、茶碗二つに分けて一つは孝平に与え、自分も一口飲んでからぼそぼそと話しはじめた。
「おらも昔、ここで、悪い夢を見たことがある……」
 加助は、視線を囲炉裏の火に向けたまま、過去の記憶を手繰り寄せるようにゆっくりと語り続けた。

 

 

6、一昔前の出来事

 この話は、まだ小学五年生の頃の出来事で「記憶が曖昧だが」、と先に断って加助は話し始めた。
「だいぶ昔のことだが、留吉さんがこの村に来る半年ほど前の春にな。東北の山奥で暮らしていた山の人の一人が山伝いに逃げてきて、この辺りの山に出没するようになったんだ」
「山の人って?」
「山で暮らすサンカ、川で暮らすセブリなどの差別用語もある特殊な人達でな、各地の山々を転々と渡り歩く無籍の山職人の集団のことだ」
「そんなのとっくの昔になくなってますよ」
「おらもそう思ってただが、東北の秋田や青森の山奥には、いまだに炭焼き、狩猟、川漁、木工・竹細工、皮製品、熊の肝などを担いで里に降り、衣類や食料と交換して暮している山の人が生き残っていたんだな。現に、おらのオフクロも子供の頃に、この辺りの山にいた山の人が春になると麓に下りて来て、担いできた品を米や衣類と交換していたというから、四、五十年前まではこの辺りの山にも山の人はいたんだな」
「それで?」
「逃げてきた男は、仲間内の争いで二人の仲間を殺し、部族の掟の死罪を恐れてこの辺りにまで逃げ延び、安曇野から穂高にかけての山中に棲み着いたらしい。なにしろ、部族の掟はきびしくて、里人とのトラブルは厳禁だし、間違いを犯せば厳しい制裁があり、殺人は死を以て償うのが部族の掟だから、その男も過酷なリンチによ死刑を恐れて逃げたんだな」
 加助の話しを要約するとこうなる。
 この男の存在が明らかになったのは、ある事件がきっかけだった。
 初春のある日、他県から泊まりがけで渓流釣りに来ていた二人連れの釣り人が、鎌が沢上流に遡行して、一人が死亡、一人が瀕死の重傷を負うという事件が起こった。
 重傷で生き残った男の話だと、大物の魚影を求めて困難な岩場を越え、かなり上流に進み、大きな滝の下にたどり着いたとき、急に強い雨が降ってきた。あわてて、崖上への逃げ道を求め、滝の手前にブッシュに隠れた巻き道があるのを見つけて、そこをよじ登ろうとしたとき、崖上に奇妙な風体の大男が現れた。男は両手に石を持ち、奇声を発して威嚇した。恐怖の目で上を見上げた二人が、崖道に突き出た灌木につかまりながら進退に迷っていると、大男が石を続けて投げ、それが二人の肩と胸に当たったので、思わず灌木から手を放して崖道から転落して早瀬に呑まれた。一瞬の出来事で何が何だか分からぬ状態でバタついている先を、釣り仲間が流れに乗って下流に消えてゆくのが見えた。(救わねば)と思っても自分自身の体が自由にならない。脚部に激痛が走ったが腰までの深さの川底を蹴って、岸に向かって無我夢中で足掻いたが、水中の何者かに足を引き込まれるような感覚で流れに呑まれ、そのまま気を失って流された。
 この男が、かなり下流の浅瀬で体中を傷だらけの重傷で失神していたところを救助され、先に流された釣り人は、これより下流で、傷だらけの死体となって発見された。
 警察の調べでは、重症の男は精神的にもかく乱状態なのか供述も曖昧で、崖上から石を投げた男は二メートルを超す獣のような巨漢だったとか、水中にも獣がいた、など現実離れした内容をたどたどしい口調で述べた後は、昏睡したまま一か月ほどで息を引き取ったという。その二人の共通点は、どの傷口も骨が剥き出しになるほど肉が削げ落ちての無惨な状態だったことだった。

 その被害者の車が林道脇にあったことから、それを発見した営林署職員からの通報で、翌日、雨上がりの沢筋が捜索され、二人が発見されたのだ。その時、重傷で救助された男の供述から異様な山男の存在が判明し、駐在なかったのか、所の警官や営林署職員はじめ、猟友会など村人総出で山狩りをしたが、大男の姿も存在した形跡もどこにもなく、降雨での増水に怯えた釣り人の「幻覚だった可能性もある」、との警察医の発言で山狩りは打ち切られた。
 その事件から一ヵ月後に重傷だった釣り人が逝き、それから一か月も立たない内に、山採を採っていた村の農夫が、それらしい大男に威嚇され、弁当を脅し取られるという事件が起きた。男は、皮ばかまの腰に山ナタを下げていて、農夫は持っていた杖代わりの棒で抵抗したが、拳の一撃で倒されて前歯を二本折られている。その際も山狩りは効果がなかった。数か所で、雨風を凌ぐ程度のにわか作りの漁小屋を見つけたが、いづれも人の住んでいる気配はない。
 それからも、村人は何度かその男と遭遇して被害に遭って怪我を負い、その都度逃げ帰った村人の証言に基づいて山狩りを実行したが、いずれも空振りに終わっていて効果はない。その後、麓に近い斜面の畑で濃作業をしていた村人が弁当を狙われて鎌で闘い、山ナタで左腕を切り落とされて瀕死の重傷を負うという事件に発展して、警察も本格的な捜索に動いたが山は深く、凶暴な山男の行方はようとし知れなかった。
 その後、長野県警本部から各地への問い合わせで耳寄りな事実が判明し、それは赤岩村の駐在にもも伝えられた。
 それによると、東北の山間部に残存する山の人の部族の男が仲間を殺して逃げ、山から山へと追手を逃れて信濃の山に辿り着いたらしいとのことだった。
 この野蛮で凶暴な男が、食料を求めて人家のある麓まで出没するとなると、この周辺町村の住民らは林業だけでなく、農作業にも出られないし、枕を高くして眠ることさえできなくなる。
 当然ながら、その山のような苦情のあて先は、村長の十八代・松尾源兵衛になる。その訴えに苦慮して眠れぬ々を過ごし、憔悴した村長は、ある日、密かに旅支度と大金を持って家出をした。
 家人には、「すぐ帰るから心配するな。病床中として他言無用」との伝言の書置きを残していた。
 村役場の助役と教育長には何らかの指示があったらしく、役場では「村長は急病で療養中」となっていて、行政には何の支障もないが、凶暴な山男の神出鬼没の乱行による障害事件は後を絶たず、村の自警団と警察のタッグチームも翻弄されるばかりで手も足も出ないのが実情だった。