「日本シャンソン館」設立-1

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて
 
 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

「日本シャンソン館」設立-1

 平凡な家庭で、真け年の離れた末っ子として生まれた私は、甘やかされて育ってきたが、目上の人には素直に従うよう教育されていた。しかし、一つだけ違うことがある。目上の大反対を押し切って音楽の道を選び、自文の意思を貫き通したことである。
 幼いころから腺病質で、医者と薬の世話になりながら成長してきた私は、音楽の道に入る決心をしてからすべて変わった。自分の魂をこめて精進できるものに出合えたことは幸いであった。私は今日まで、自分を生かしてくれた1音楽」というもの、とくに四〇年以上も歌い続けてきた「シャンソン」というものに、感謝しなければならないと思うようになった。
 平成七年(一九九五)七月、私は群馬県渋川市に「日本

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シャンソン館」を設を設立した。楽譜・資料を次の世代に残し、若い歌手たちに歌える場所を提供できればという夢を石井好子さん、植木浩さん(日本シャンソン協会理事)たちと話し合い、シャンソン資料館の設立に傾いていった。ちょうどそのころ、NHK前橋支局の荻野昌宏さんや、地元渋川青年会議所(JC)の梅沢明さん、田村久さん、小山哲弘さん、大森隆博さんらの熱心な町おこし運動の呼びかけに私も賛同し、渋川市

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の登板秀市長の賛意もあって、私の第二のふるさと渋川の地に建設を決意した。用地は義父・羽鳥久雄が提供してくれることになり、大木紀元氏のマスタープランのもと、建設会社フジタの統括と、各専門企業の協力により、工事は一気に進められた。設立趣意書を紹介しておこう。
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 日本シャンソン館・ライブスケジュール
しばらく中止させていただきます。
再開が決定しましたらご案内いたします。
日本シャンソン館 館長・羽鳥功二

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