野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-2

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-2

一九五四年(昭和29)ラジオ東京一月六日開始の『花椿アワー』に淡谷のり子、越路吹雪とともに(準)レギュラー出演。五六年四月二日開始のニッポン放送『シャンソン・アワー』にゲスト、次いでレギュラー、五七年一一月に文化放送へ移り六〇年一〇月二六日の終了まで出演。この五四年から人気歌手晴れの舞台・日劇レヴュー『夏のおどり』『シャンソン・ダムール』、五五年『街に花は咲く』『秋のおどり』、五六年『巴里の屋根の下』、五七年『巴里の何処かで』ほかの長期公演に出演。その間に五四年第一回独唱会(∥/1、第一生命ホール)、五五年独唱会(4/2、山菜ホール)、神戸(12/16)、姫路(12/17、18)のリサイタル、放送、コンサートなどで多忙を極める。同じ五四年にはレコード各社が「芦野宏争奪戦」を展開、結局ビクター、マーキュリー、コロムビアから五五年にSP盤が同時発売となる。(菊池音楽事務所所属)一九五五年(昭和帥) NHK『紅白歌合戦』、初出場。
以来、十年連続出場を果たし、シャンソン界の記録となる。
一九五六年(昭和31)新記録の五日間連続リサイタル(4/30-5/4、山葉ホール)開催。八月にミュージカル『思い出を売る男』『陽気な水兵』の主役(東京宝塚劇場)。翌五七年三月、大阪労音(朝日会館)九日間、四月に自主リサイタルを前回と同じ山菜ホールで連続一週間に延ばし、五八年初夏に東京労音ポピュラー特別例会(四回、日本青年館)とクリスマス(自主、山菜ホール)一週間連続リサイタル。

この五六年七月一四、一五日にはワンマンショー『巴里祭シャンソンの夕』を日比谷野外音楽堂と山葉ホールで開催。翌年以降も日比谷野外の巴里祭を続けるが、六四年から石井音楽事務所・大庭音楽事務所主催のパリ祭に毎回出演して今日に至る。同じ五六年の秋に初渡仏し、本場歌手のステージ鑑賞と、多くの出会い、交友、ラジオ出演(パリ・アンテール、ユーロップ・ニュメロアン)などの成果を収める。とくにシャンソン歌手の檜舞台オランピア劇場への出演は東洋人初の快挙といわれた。初パリ体験を五七年に『パリの空の下』として出版(講談社)。労音その他の音楽鑑賞〔主催〕団体によるリサイタルは五六年以降、地方都市へも広がり、全国からの要望に応えて各地でも次々と開催。長期にわたる主催者としては、日立コンサート、音楽文化協会(音協)、民主音楽協会(民音)なども加わる。