日劇出演と第一回リサイタル-4

 

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

1、ポピュラーの世界へ

第一回「リサイタル」といっても、あのときはそれほど身構えたりしなかった。まわりの人からすすめられ、それまで歌ってきたものを改めて発表したというだけにすぎなかった。
構成・野上彰、演奏・ジャック滋野とシャンソン・ラ・ボエーム、酒井富士夫とアングルシア・ギター四重奏団、ほか。
第二回からはほとんどシャンソンが中心となっているが、やがて各種音楽鑑賞団体(労音、音協等)から連続リサイタルを依頼され、一年に二〇〇回以上も「リサイタル」と銘打ったコンサートが続くわけである。その間に、日劇のレヴューショーのなかでシャンソンを歌ったり、ラジオ番組のレギュラーを受け持ったりして、私も大衆という大きな味方を増やしていった。
(注)
昭和二十九年(一九五四)十二月、石井好子歓迎と「シャンソン友の会」発会記念フェスティバル(解説・葦原英了)開催。パリに腰を据えて劇場の長期契約、放送、フェスティバル、コンクール出演などで活躍の石井好子が一時帰国。淡谷のり子、葦原邦子、菅美沙緒、高英男らと共演し、声野宏はシャルル・トレネの1詩人の魂」1リオの春」、それに高木東六作曲の和製シャンソン「プンプンポルカ」を歌った。
                                           昭和三十年(一九五五)に入ると、新年早々また日劇からお声がかかり、石井好子さんの帰国ショー『街に花は咲く』に出演してほしいといわれ、舞台で初めでピアノを弾きながら「コクリコ(小さなひなげしのように)」を石井さんとデュエットで歌い、大好評を博した。大先輩・淡谷のり子さん、高英男さんともご一緒だった。
また、その年の日劇『秋のおどり』にはペギ一葉山さんと共演で一か月の出演。このときは共演者に四歳でデビューの童謡歌手もおり、のちにチャリティ・コンサートなどでも共演したが、今は大学で英語・英文学を講ずる小鳩くるみ(鷲津名都江)さんである。
さらに、その翌三十一年五月『巴里の屋根の下』(「巴里の屋根の下」「アデュー」「小雨降る径」「小さな靴屋さん」を歌い、共演は高英男さん、ビショップ節子さん、中原美紗賭さんら)、三十一年秋『巴里の何処かで』と出演している。