初めてのパリ-4

明けましておめでとう+御座います。

本年も宜しくお願いします。

羽鳥 功二

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

3、初吹き込み・初渡仏

初めてのパリ-4

 春のうららかな日だったので、トレネの作った「リオの春」を歌うことにした。私はフランス語で歌い、歌詞に出てくる〈ブラジル〉を〈日本〉に、〈リオ〉を〈東京〉に置き換えた。これは二コーラスあったので、二番は「シャルル・トレネはこの国で恋の唄を歌う」に替えて歌つた。
歌い終わると、案の定、トレネは大満足して私に握手を求めてきた。私はすかさず一年前に
オランピアのロビーで撮(うつ)したトレネと私の二人の写真を胸ポケットから出して見せた。例の私が沈んだ表情で写っているトレネとの唯一の写真であったが、彼はやっと思い出してくれて私の名前を初めて覚えてくれた。これが二回目の出会いである。
三回目にトレネと会ったのは、昭和三十五年、パテ・マルコニ社のスタジオで私が「ラ・メール」のレコード吹き込みをしたときである。詳しくは、後述の「フランスで初レコーディング」 の項でふれる。
そして四回目は、平成二年九月、私が労音時代から親交のある丹野稔氏のご紹介で就任した「江戸職人国際交流協会」の会長として、南仏の保養都市アメリ・レ・バンに桜の苗木二〇〇〇本を贈呈するため、その町を訪れたときのことである。案内する人が美しい海岸で車を停め、ここがシャルル・トレネが作った1ラ・メール」の海岸です、と教えてくれたことであった。
歌詞のとおり、入り江に囲まれた海辺には葦が茂り、たまたま小雨が降っていたので、まさにあの歌と同じ光景に出合うことができた。
しかも、この海岸はヴエルメイユ海岸といわれ、奇しくもその前々日にパリ市長であったシラク氏から授けられた勲章の名称が「メダル・ドゥ・ヴュルメイユ」という偶然にも重なった。
入り江の向かい側の岬に赤い屋根の建物が見え、トレネがかつて別荘として使っていたものだと聞いたとき、名曲「ラ・メール」の美しいメロディーのなかにトレネの風貌が浮かんできた。