ジローとの再会-1

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

3、初吹き込み・初渡仏

ジローとの再会-1

昭和三十年(一九五五)、イヴェット・ジローが初来日されて、日本でお会いしたとき、パリへ来たらぜひ電話をくださいと言われていた。昭和三十一年十一月二十七日にジローが私の泊まっていたホテル・ナポレオンに現れて、「さあアシノさん、あなたの食べたいものをご馳走しましょう」と言ってくれた。ほとんど二か月近く日本料理を食べていないし、そのころは初めてのパリで日本料理屋といえば「ぼたんや」のスキヤキ以外はなかったから、ふと思いつきで魚の塩焼きなんてありますかと尋ねてみた。まだ東京で一度お会いしただけの仲なのに、そんなわがままを言ってしまったのは、きっとよほど日本風のあっさりしたものに飢えていたからだろう。
ご主人のマルク・エランの運転する最新型の車に乗せられて、私はワグラム通りにあるプルニエ(魚料理店)に案内された。昼の食事はフランス人は時間をかけてたっぶり食べる。われわれは生牡蠣(なまがき)にレモンをかけて白ワインをあけた。ジローの声は、優しくて温かい。むかし電話の交換手をしていたころ、その声が気に入られてレコード歌手になったと、なにかの本に書いてあったが、まさに美しい喋り声である。そして、それがそのまま歌につながる、理想的な自然発声でシャンソン歌手として成功した人だと思う。
彼女は優しく、しかしちょっと困った表情で私に言った。「シェフに相談したら、塩焼きの魚はしたことがない。でも、やってみましょう」ということであった。さて、大きな皿に飾られて現れた舌びらめの塩焼きは、案の定、上出来ではなかった。フラン料理独特のムニエルにすればよかったと後悔したが、あとの祭りだった。舌びらめの身にこげ目がついたまま…崩れ、パセリとレモンを添えてあったけれど、決して上等の料理とはいえなかった。それでも私は、油っこいフランス料理に飽きていたから、さも美味しそうに不出来な魚料理を平らげた。
正直いって日本で食べる魚のほうがずっと美味しかった。