南米ブエノスアイレスへ-1

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

4、世界一周と海外録音

南米ブエノスアイレスへ-1

 日本からいちばん遠い国、ちょうど地球儀の裏側にあるアルゼンチンは、日本と逆の気候だから、四月といえば秋たけなわである。飛行機は途中ベネズエラのカラカスとパラグアイの首都アスンシオンで給油すると、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスには夜中の二時ごろ到着した。深夜のブエノスアイレス空港に着いたとき、日立製作所の稲塚保氏が出迎えてくださった。初めての外国で西も東もわからない私は、稲塚氏の指示に従ってホテルに直行し、すぐにもシャワーを浴びて寝ようとしたが、どうしたことかお湯が出ない。言葉もよく通じないし夜も更けていたので、その日は諦めてベッドに直行した。
翌朝、フロントの人と英語で交渉したら、あの部屋は工事中でお湯が出ないとのこと、少々腹が立ったので、すぐ別のホテルを紹介してもらって移ることにした。今度のホテルは新しいし、もちろんお湯が出ることを確かめて荷物を運び、オデオン・レコードに吹き込みの打ち合わせに出かけて、夜の食事を終わってから帰り、さて寝ようとするとどうも臭いのである。部屋全体が臭くてちょっと寝つかれそうもないので、さっそく支配人を呼んで交渉した。臭くない部屋に替わりたかったのである。
ところが、こういう返事が返ってきた。「新しいホテルなので消毒した。どの部屋も同じ条件である」というのである。そういえば、終戦後によくお世話になった、あのDDTという殺虫剤の臭いによく似ていた。仕事を明日に控えて、特別神経質になっていた私は、咽喉が心配であった。夜も十時を過ぎていたが、私は理由を話してさらにホテルを替わることにした。
「明日は大事なレコード吹き込みです。ぜひ最高のホテルを探してください。私はぐつすり眠りたい」 と嘆願した。