パリ再び、初録音ー3

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

4、世界一周と海外録音

パリ再び、初録音-3

 10日ほどしてから吹き込むことになったが、やはり不安は山ほどあった。アルゼンチンの吹き込みで、私は通訳が一人で右往左往したことを思い出し、大使館に頼んで二人の女子留学生をアルバイトで予約した。また、あのときのように、楽団員にそれぞれ勝手なことを言いだ
されては困ると思ったからである。あのオデオン・レコードのスタジオでは、蒜はまったく蜂の巣をつついたようになり、言葉がわからない悔しさをいやというほど味わったものだから。
ところが、パテ・マルコこ社での吹き込みは、まったくなんの波風も立たず、渡された譜面に全員が忠実に従っていた。しかし、スタジオで約四〇人のオーケストラがあってピアノがな
かったのにはびっくりした。今までは必ずピアノがあって、その昔を確かめながら音程を拾う」とに慣れていたから、初めは戸惑ったのだ。ところが編曲者は、私が四年前の忘れもしないT一月十四日に、日本人として初めてだといわれたオランピアの舞台で「ラ・メール」を歌っ
にとき、私の編曲と指揮をしてくれたクロード・ヴァゾーリ氏であった。
なんと今日録音する四曲も、全部彼の編曲になるものだと知って、私はまた一人味方が増えたようで心強かった。なぜなら、四年前、「ラ・メー~」と「マ・プティト・フォリー」の編曲の打ち合わせのため、私は小柄で目の優しい彼のアパルトマンまで行って家族全員とも会っていたし、オランピアの初舞台のときは目の前で棒を振ってくれていたので、私の歌い方をよく知っている人だったからである。アレンジャーである彼に尋ねると、今回はピアノの代わりにハープを使って、エレガントな編曲にしたのだという。まず、ひと通り私が歌ってみてから、
カラオケをとるやり方であった。あれから四〇年以1たっているから、現在の日本での録音事情は欧米並み、あるいはそれ以1かもしれないが、当時はこのカラオケ方式がいちばん新しいやり方であった。
四曲のなかでいちばん苦労したのは「枯葉」であった。前半のクープレ(語りの部分)はバラードで、語るように歌うから普通なら同時録音するところである。しかし、別どりのほうが音質がよいからという理由で、私の歌い方をシェフ(指揮者)がいちいち記号で書き込んだ指
揮譜どおりに何回も歌わせるのである。それを録音して、あとで歌を吹き込むのだから、これもたいへん不安なことであった。しかし、本番ではまったく驚くほど正確にぴしっと私の歌い方どおりのカラオケができ、私の不安はいっぺんに解消した。また、ここでフランス語で歌っ
たもののほかに、日本に帰ってから日本語でダビング (合成録音)しなければならないから心配したのだが、言葉が違っても曲想はまったく同じでよいことも再確認された。
二曲とり終わったところで休憩になり、トゥルニエ氏からシャルル・トレネが来ていることを知らされ、私はモニター室にトレネの顔が見
えたので、とんで行って彼に尋ねた。「なにか歌唱上のご注意をください。私の歌い方の悪いところを指摘してください」と懇願した。「こ
のままでパルフェ (完全) だ。あなたは日本の美しい海を思いながら歌ってください」と言われて物足りない思いだった。