無償の愛をつぶやく Ⅱ
高尾 義彦
台風が狂言回し「海よりも…」
(2016/06/13)
是枝裕和監督の映画「海よりもまだ深く」。冒頭、団地の場面で台風23号予報のラジオ。これがドラマの伏線と観客はクライマックスで気づく。樹木希林演じる高齢の母が、離婚した息子夫婦と孫を泊めた夜。
年重ね 歌う六月シャンソニエ
(2016/06/15)
九二歳のシャルル・アズナブール。おなじみの「イザベル」などではなく、最新作中心に日本最後の公演。シャキッとした姿がNHKホールの舞台に現れると、どよめきが。
繊月(せんげつ)や梅雨の谷間の道しるべ
(2016/06/09)
帰り道に夜空を見上げ、細い月が語りかけるものを感じた。公約を公然と被り、「新しい判断」と言葉でごまかす首相。せこい政治資金流用を指摘されながら、居直る東京都知事。人間の美質復活を、月も求める。
お江戸下町落語事情
=「人生八馨」一五年秋季号・第四巻
隅田川河口の佃島に住むようになつて一五
年ほどになる。その前にも地続きの月島に住んでいたから、この地域での生活は三〇年を超える。リバーシティーの高層マンションと、長屋の面影をとどめる町並みが共生し、気分は下町の感覚を楽しませてもらつている。
そんなお江戸のキイワードのひとつが「落語」。なぜか知り合いになった人たちが、落語をメインにしたイベントを定期的に開いてく
れて、その催しから、気安い人と人のつながりも生まれて、よそ者ばかりと思いがちな東京の生活に潤いを与えてくれている。
最初のきっかけは、隅田川を隔てて対岸に位置する新川一丁目に店を構える今田酒店の女将、一美寿さんと知り合ったことだった。
もう十年ほど前になるだろうか、念仏踊りと仮装の踊り手で知られる佃の盆踊りを初めて見物した時、連れ合いが一美寿さんに強引に
踊りの輪に引き込まれ、付き合いが始まった。
今田酒店は 「誠鏡」 など広島の酒を主に扱う店で、一美寿さんも広島の出身。最初は、健在だったご主人の父君を激励しようとの趣
旨で、「酒屋寄席」を始めた。一升瓶やウイス
キーのボトルが並ぶ売り場に即席の高座を設け、逆さにしたビールケースに座布団を敷いて座席を作り、酒屋が寄席に早変わりする。
素人の落語愛好家や三味線が趣味の女性も高座に上がるが、「酒屋寄席」 のトリは、真打の古今亭菊龍さん。東京スカイツリーの足元
に住み、隅田川沿いの墨田区、中央区、江東区などは縄張り同然。自分のブログで日々の活動とその日に食べた食事のメニューを記録
する律儀な落語家さん。そのブログに、今田酒店は頻繁に登場する。

古九谷の 図録が届く梅雨半ば
さらにお風呂とのかかわりを思い出してみると、石川県に住んでいた、もっと幼い頃、山中温泉や山代温泉、片山津温泉などに、家族連れで出かける機会が何度かあつた。どこかの温泉宿でピンポンを楽しみながら聴いた「お富さん」が、初めて覚えた流行歌だつた。
新潟出張で上越新幹線。東京駅で切符を確したら、七号卓二七A。田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕された七月二七日を連想する人は、ほとんどいないと思うけれど、八年前のあの夏の朝、東京地検前で現認した光景が浮かんだ。
風呂は別棟になつていていわゆる五右衛門風呂だった。風呂を沸かすのは祖父の仕事で、ある日、学校から帰宅して、「風呂が沸いてる」と勧める祖父に反抗して「入りたくない」と答えると、祖父が突然、激しく怒り出した。その剣幕にびっくりして逃げ出すと、祖父は、そばにあつた太い薪を手にして追いかけてきた。
アウンサンスーチーさんと英国滞在時代から友達づきあいの「ビルマ応援の会」代表、宮下夏生さんから、ビルマ国内で活動する移動図書館バスをルポしたCDが送られてきた。バスは昨年七月始動。彼女はバスの確保、募金活動に尽力している。
吉野川の源流の一つでもあり、その下流には現在、早明浦ダムがある。一九七五年に完成すると、村役場などはダムの底に沈んだ。白滝鉱山はその二年前に閉山となり、鉱山で働いていた人も去って、大川村は、高知新聞が「500人の村をゆく」と題してルポを連載するまでになり、島奧部を除くと日本一人口の少ない自治体になつた。
夕方、JR有楽町駅から出たところで、「ビアガーデンやってます」と声をかけ、チラシを配る男性たち。先週あたり、夏日もあつたので、「ビールを」という気分も否定できないが、今日はうす曇りで気温も上がらなかつた。
夕方五時過ぎだったので、それほど混んでなくて、若者やちょつと癖のあるひげもじやの男など客は七人。身体を洗って超音波の湯船に入る。江戸の銭湯らしくかなりの熱さだか、我慢できないほどではない。あとで四三度と知った。いったん上がって、普通のお湯の湯船にも身をゆだねる。温度はほぼ同じで、二つとも大人が三人も入るとちょっと窮屈に感じるほど小さい。新入りがあちこち眺めるのも失礼か、と十五分ほどで上がって、脱衣場へ。着流しの男性が椅子に座ってスマートフォンをいじっているかたわらを、入ってきた外国人が通り抜ける。着替えをしていた若い男性二人は関西なまりで、観光のついでという風情だった。「金春湯」を利用する客筋に興味がわくが、取材は控えて外へ。
菖蒲楊に 未練残して今朝もまだ
江東区の牡丹町公園。そろそろ、純白、黄色、ピンクなどの花が咲く頃。佃公園にはあちこちにツツジが咲いて、桜から主役が交代。福島・三春の滝桜は満開という報道。
天井に大きな送風用の羽根が取り付けられている脱衣場は全体に小ぢんまりとしている。
知り合いの女性がFBに「満開より葉桜の頃が好き」と。工場がある川崎・大川工場団地のオオシマザクラもほぼ葉桜に。太白の里帰りが話題になり、ロンドンからもメール。
ようやく第一歩を刻むことが出来たのが、今年のヴァレンタイン・デーの2月14日だった。自転車で上野の科学博物館に出かけた帰りに、銀座通りに出て、八丁目七番五号の金春湯に向かった。中央通りを四丁目から新橋方面に向かって走り、資生堂の角を右に曲がって花椿通りに入る。最初にぶつかる通りが金春通りなので、左に曲がるとすぐ、小さな「金春湯」のネオンが右側に見えてくる。50年以上前の記憶では、玄関が通りに面していたような気がするが、昨年春に全面的に改築したそうで、「金春湯」と染め上げた紺色の暖簾をくぐり自動販売機がある小道を少し入ったところが入り口になっていた。
山桜桃梅の花がベランダで満開に。楚々とした白い花。昨夜は門前仲町・大横川の桜を楽しんだ。新聞社時代の「三人娘」と。川面に伸びる花がボンボリの灯りに照らされて。また来年もこの花を。絶滅から救われ、英国から里帰りした「太白」の話題が新聞に。
冒頭で触れた籾井勝人・NHK会長の再任を許さない署名は、メールが届いた時点の25000筆から数日後には三万筆を超えたと報道された。会長の任期は2017年1月まで。
月に一度の業界の会議に、やや気張った弁当。土筆の穂が筍ご飯の上に乗っていた。グルメの時代、料理人もいろいろ知恵を働かせる。同じ「なだ万」が先日のパーティーで用意した筍の土佐煮にも感心した。