「パパと踊ろうよ」-2

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅲ 新たな旅立ち

2、お茶の間にシャンソンを

「パパと踊ろうよ」-2

 私はもともと歌が好きで音楽の道に進み、いつの間にかシャンソンを歌うようになっていたので、どうしても音楽的で同時にフィーリングのわかる歌のほうに惹かれていく。正直なところ、内容を味わってシャンソンを楽しむところまでは手が届かなかった。だから、クラヴォーやトレネ、モンタンなど声に魅力があってしかも音楽的に十分堪能できる歌手に憧れていた。
しかしそのうち、イヴェツト・ジローやアニー・コルディなどが歌う明るくてサラッとした内容の歌が好きになってきた。ジョルジュ・ゲタリ(エジプト生まれギリシャ系歌手)も楽しかったし、当時オペレッタ界で光り輝いていたルイス・マリアーノ(スペイン系の慧的歌手)の歌はとくに素晴らしかった。歌の内容は難解なところがなくて、だれにでも楽しめるわかりやすいものだった。
フランス人は覚、毒すい、楽しめるシャンソンを家庭でも歌っていることを知ってから、私は日本に帰ったら、明るいシャンソンをたくさん歌おうと思って楽譜やレコードを買いあさっていた。帰国してからNHKの『紅白歌合戦』でも、「風船売り」「幸福を売る男」1パパと踊ろうよ」など、お茶の間に入り込んでいける曲を意識して歌っている。
それまでシャンソンというと、ダミアの1暗い日曜日」とか1人の気も知らないで」き失恋の歌が多く、また戦後も「枯葉」の大ヒットによって、日本ではなぜか暗い悲しい歌という印象が濃かったのだ。
私は子供たちも歌、孟シャンソンをたくさんお土産に持ち帰ってきた。私の帰国を首を長くして待っておられた、薩摩思さんが訳詞をされ、それらの明るいシャンソンはコン丁トやマスメディアを通して広まったので、世間でもシャンソンに対する見方や考、貢が変わってきたように思う。のちにNHKから『くらしの窓』という番組に指名されて、朝の連続司会者として起用されることになったのも、歌のイメージが明るく家庭的なシャンソンを歌うからではないかと思っている。