石井好子の魅力-1

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-6

 石井好子の魅力-1

 さて、石井事務所に移ってから、前にもふれたように、私の仕事は順調であった。ここで二〇年近くもお世話になっている間に、石井好子という人物を裏から眺めることができた。彼女は所属タレントをかばう人である。歌手の立場を自分に置き換えてしまうから、タレントは居心地の悪いわけがない。
 ところが昭和四十三年(一九六八)ごろ、事務所の八島専務と担当マネージャーが一か月以上のソビエト公演を計画して私の出演を決めた。私は寝耳に水で、自分に相談もなく決められたことに立腹した。食事に馴染めそうもないソビエト各地を二か月近くも歌いまわることは、労音の連続リサイタル以上にきついことだと思ったのだ。ところが、八鳥氏はもうすでに先方でも名前を出しているし、出演料の約束もできていると迫ってくる。

 私は社長の石井さんにそのことを話すと、即座にタレント側の立場に立って八島専務を叱りつけた。事務所の方を押さ、享、私の味方をしてくれるわけである。その数か月後に、石井さんがパリへ出かけた帰り道、わざわざモスクワに立ち寄って私が仕事をキャンセルしたことを謝り、代役にジャズ歌手の旗照夫さんを要てくださったらしい。社長ともなれば、いろいろたいへんなことが多いものだと田心った。
のちに石井事務所が惜しまれつつも閉じられたあと、石井さんと二〇年も一緒に仕事をされて信頼の厚かった新山裕氏に私はマネージメントを委ねることになる。くだんの担当マネージャーとは彼のことだが、あのあとは万事うまく事が運んでいたし、その後も地道で堅実な仕事ぶりには感謝している。
石井さんにはまた、こんなエピソードもある。モスクワのホテルの入∥ドアのところで、手から血を流して因っている人がいたので、すぐさま同行の日本人ドクターに頼んで救急手当てをしてあげた。ところが、その人は偶然にも若き日のエンりコ・マシアスだったそうなのだ。
それを機に、石井事務所がマシアスの日本公演をしてあげることになり、彼はいまだに石井さんに頭が上がらないと聞いている。
 石井さんだって人間だから欠点もあるにちがいないのだが、少なくともタレント側に立って事務所や世間に立ち向かってくれる、頼もしい人である。だが、タレントに向かって叱りつけることもたびたびある。この私もその一人である。あとで思えば叱られて当然のことだったから、腹が立つどころかありがたいことであった。