若き日のパリ

幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて

 若き日のパリ

 昭和三十一年(一九杢ハ)、初めて訪れたパリで、私は思いもかけない幸運にめぐりあった.当時はまだテレビのない時代で、ラジオ番組で紹介されたことがきっかけで、憧れのオランピア劇場にも出演した。
昭和三十八年のフランス国営放送のテレビ『マガジン・フェミナン』出演以来、私は外国での仕事には恵まれなかった。
日本ではN琶↑レビの画期的な新番組『くらしの窓』の総合司会と歌を受け持ち、その前後にわたり『紅白歌合戦』に登場しながら、全国コンサート・ツアーやミュージカル(『思い出を売る男』昭和三十一年、『悪口メオ』三十二年、『トゥ・ボインツ』四十一書ど)、テレビドラマ(『コメットさん』軍一年など)や映画(『天使の誘惑』苧二悪ど)にまで出演して忙しい毎日を送っていた。
 『くらしの窓』がスタートした年、昭和三十七年に生まれて野1彰氏から「花の子守唄」を贈られ、やがて岩谷時子さんから「パパの子守唄」をプレゼントされて育った長男・仁博(きみひろ)も、いつの間にか成人し、次男・功二島学二年になっていた。自分が若いとき一人で苦楽を味わって過ごしたことのある、懐かしいパリを一度見せてやりたいと思うようになっていたのは、そのころである。二〇年前に付き合っていたパリの音楽仲間たちを招待して、小さなコンサートを開いてみたいと思い、フランスに手紙を出した。
 オランピアに初めて出たとき、オーケストラの編曲をしてくれたのはタロード・ヴァゾーリ氏である。その後パテ・マルコニ社で四曲のシャンソンを吹き込んだときも、やはり偶然かヴアゾーリ氏の編曲であった。まずフランスの音楽家名鑑を調べて住所を探したが見当たらなかつた。レコーディングのときバックをつけてくれた四人組の女声コーラスの人たちにも連絡がつかなかった。あのころの仕事仲間と一緒に歌いたいという私の夢は半分も満たされなかった。
それもそのはず、ずっとあとになってわかったことだが、ヴァゾーリ氏はムード・ミュージックの第一人者として世界を魅了し、たびたび来日公演もしている、お馴染みの「カラヴェリ・グランド

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シャンソンライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

※中止となりました
2020年7月4日(土)・5日(日)
シャンソンの祭典
第58回 パリ祭 
(NHKホール)
※中止となりました
時間:16時15分開場 17時00分開演
会場:NHKホール
主催:パリ祭実行委員会、一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
公益財団法人 日仏会館
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オーケストラ」を主宰するカラヴェリ氏に変身していたからである。