パリ今昔-1

  幸福を売る男

      芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて-3

 日仏親善パリ・コンサート-3

「シャンゼリゼはここ (ホテル・ムーリス)から歩いていける、すぐそこです。私の友人アシノさんと二人でシャンゼリゼを散歩するような気分で歌います。さあ、皆さんもご一緒に、どうぞ」。ディナーコンサートのフィナーレはデュエットで終わった。パリのディナーショーは終わるとたいてい十二時を過ぎてしまう。それでもお客さんはだれも腰を上げないので、なかな
かお開きにならず、いつまでもこの歌を繰り返した思い出がある。
 当日、内田大使からイヴェット・ジローヘ 「感謝状」が贈られ、ジローも大感激された。四半世紀以上にわたり三〇回近くも来日して全回を歌いまわり、日仏をつなぐ音楽使節としての業績はギネスブックものであり、いわば地元でのこの親善コンサートも後年(平成五年)、日本政府から勲四等宝冠章を授与される一助になったのではないかと思っている。

 パリ今昔-1

 第三回の日仏親善パリ・コンサートは昭和六十三年十一月二十八目に、前回と同じホテル・ムーリスで行われた。ゲストはリーヌ・ルノー。音楽事務所も経営する大庭照rさんが同行されて、童謡を歌っていただいた。大庭さんはそのころパリ祭公演を石井好十さんから引き継いで任されていたので、リーヌ・ルノーを招碑したいという気持ちがあった。それで私のコンサ
ートに客演して、私の長年の友人リーヌ・ルノーに直接会い、出演交渉をする目的もあったのである。
 コンサートの翌日、大庭さんとりーヌ・ルノーのマネージャーとの交渉が始まって、色よい内諾を得た様子であった。リーヌは国内・海外のステージのほか、テレビ、映画、演劇でも活躍し、そころもフランス国営放送のテレビドラマで主役を演じていて、多忙な日々を送って いた。
リーヌは大庭さんの熱心な要請によって、特別なギャランティで日本のパリ祭に加する約束をしてくれたのである。こうして翌平成元年、フランス革命2百年パリ祭の日本縦断公演では、レヴューの女王リーヌ・ルノーをメインゲストに迎えて、華やかなシャンソンの祭典
が催され、沈滞気味のシヤンソン界に起爆剤を放ったような活気を呼び戻した。
 リコンサート・ツアーは福岡、熊本に始まり、神戸から淡路島に渡り、名古屋名畠を経て東京に戻った。淡路島にカンヌを彷彿させる酒落た田舎風のホテルがあり、われわれはそこに泊まった。フランス人のシェフがおいしいフランス料理を作ってくれ、その夜は庭にテーブルを出して夜半過ぎまでルル・ガステ、リーヌ・ルノー夫妻と歓談した。ルルはリーヌより二十歳も年上で、そのころはもう八十歳を超えていたが、まだまだ元気だった。三○年ほど前、たちが新婚旅行でパリを訪れたとき、初めて出会った二組の夫婦がちょうどあのとき、チエイルリー公園にある、シヤンゼリゼ・クラブで遅い夕食をともにしたことを思い出していた。
 あれはし六月ノパリ、季節はほとんど変わらないのに日本の夏はずっとむし暑い。

------
◆営業を再開しております◆

※シャンソンライヴの開催は見合わせております

平素より日本シャンソン館をご愛顧賜りまして、誠にありがとうございます。

日本シャンソン館が休館となってから、早3ヶ月が過ぎようとしています。
その間に新型コロナウイルスの感染拡大のスピードも徐々に弱まり、少しずつではありますが、
普段通りの日常が戻りつつあることを嬉しく感じております。
群馬県制定のガイドラインの警戒度が「1」に引き下げられたことから、日本シャンソン館は、
7月6日(月)から営業を再開させていただく事となりました。

日本シャンソン館は、7月14日に25周年を迎えることとなりますが、まだ暫くの間、3密を避けなくてはいけない状況が続くため、
誠に残念ではございますが、多くのお客様が集まる「パリ祭」や記念のイベントは行うことができません。
また、通常のシャンソンライヴに関しましても、7月からの再開はできませんが、できる限りの感染予防対策を行った上で、
早い段階での再開を目指して準備を進めております。

夏本番に向けて、庭の草花たちも緑鮮やかに元気いっぱいです。
スタッフ一同、皆様のお越しを心よりお待ちしております。
また皆様と笑顔でお会いできる日を楽しみにしております。

日本シャンソン館 館長 羽鳥功二

ーーーーーーーーーーー.