パリ今昔-5

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて

 パリ今昔-5

 さて、リーヌ・ルノーに日本語を教えるときがきた。私たちはルル・ガステの運転する最新型高級車に乗ってヴェルサイユ方面に向かい、三〇分ほど美しい緑に囲まれた郊外の道をひた走った。邸宅に近づき大きな門のあたりは深緑に包まれた森のようであった。「冬になると、小リスや小鳥たちがみんなこの森へやってきて、雪が降るころには、白いトンネルができるのですよ」。ガステが作曲したリーヌのヒット曲「カナダの私の小屋」の一節に出てくるような、のどかで美しい彼らの山荘、思わずあの歌を口ずさみたくなるほど田園的な風景だった。邸内に車を乗り入れると広い芝生が広がり、目の前に遠くパリの全市が開けて、左手ずっと向こうに白くかすんでそびえるのがサクレ・クール寺院だと説明してくれた。
芝生の向こうにプールがあり、六月でまだ肌寒い季節なのに、リーヌはアルゼンチンから来た若い男性ダンサーと二人で水泳をしていた。私たちは石造りのモダンな館に案内され、ルル・ガステのギター伴奏で新曲の練習を始めていた。大きなタオルに身を包んですぐに現れたリーヌは、手早く髪を乾かしてバスローブをまとい、私たちの打ち合わせに加わった。レッスンは一時間ほど続いた。リーヌの勘のよさには舌を巻いた。日本語を、それらしく歌うからである。もちろん意味はわからないのであるが、子音の発音がはっきりと日本語らしく聞こえる。だから、ジローさんに初めて日本語を教えたときのような苦労はまったくなかった。じつはリーヌは外国でのレコード吹き込みを何度か経験していて、英語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語などでも歌える人だったのである。彼女が日本語でも歌いたいと、強く希望していたこともわかるような気がした。
 数日後、高名なアレンジャーでもあったジェリー・マンゴー(数年後に逝去)が指揮するジャズ・オーケストラの伴奏で、リーヌと私のデュエット盤ができあがり、フランスと日本で同時に発売されたことは、既述のとおりである。