パリ今昔-4

 幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて

 パリ今昔-4

 翌朝さっそく東京の東芝レコードへ報告のつもりで国際電報を打ち、返事を待っていたが、私たちのもとへ届いた電文は意外にも「著作権問題紛糾のため、日本側ではフランスの歌をレコードに入れることは認められぬ。日本製の歌にしてはフ・」という返事。そういえば、目下、日仏両国間でこの間題がもつれているということを聞いていたが、これほどとは思わなかった。
しかし、せっかくのリーヌの申し出に対して、これを中止するのはいかにも残念だったので、私たちはすぐにルル・ガステの事務所を訪ねて相談することにした。
 ガステはちょうど事務所にいて、英文で打たれた東京からの電文を読み、さっそくパテ・マルコニ本社と長い間電話で話していたが、振り向くと私たちのほうへ両手を差し出し、「私はあなた方お二人のハネムーンのために、この曲をプレゼントしましょう。たとえ日本とフランパスの間で著作権の問題がどうあろうとも、『モナムール』も『いつの日かパリに』も私の作曲したものだし、こちらで発売して、もし売れ行きがよければ、日本でも輸入してもらうことにしたら問題はないのですから」 話はトントン拍子に進んでいたが、リーヌが一節を日本語で歌いたいと言いだしたので、彼女に日本語の歌詞を歌わせることになった。リーヌに日本語を教える段になって思い出したのは、一九五六年にイヴェツト・ジローに初めて日本語を教えた経験だった。日本のレコード会
社で発売する予定になっていた「バラ色のサクラと白いリンゴの花」の訳詞である。ジローは今でこそ、すっかり日本語のニュアンスもわかっておられるが、あのときは教師役の私もだいぶ困ったものだ。シャンゼリゼのカフェテラスでもレッスンした。だが「サクラのハナとリンゴのハナと」のところが歌えないのである。フランス語ではHの音は発音しない。いくら教えても、ハナはアナになってしまう。思案のすえ、息を吐きながら咽喉をつめて1ア」といわせてみたら、「ハ」に近い音になった。ジローが日本語で吹き込んだ甘いシャンソンは、私にとってはほろ苦い思い出の歌である。

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シャンソンライブスケジュール
※変更になる場合がございます。ご了承ください。

日 時 開演時間 出 演
しばらく中止させていただきます。
再開が決定しましたらご案内いたします。

※中止となりました
2020年7月4日(土)・5日(日)
シャンソンの祭典
第58回 パリ祭 
(NHKホール)
主催:パリ祭実行委員会、一般社団法人 日本シャンソン協会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
公益財団法人 日仏会館

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