「日本シャンソン館概要」-2 

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて
 
 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

「日本シャンソン館概要」-2

 プレオープンに出席してくださった方々は、私の趣旨に賛同するシャンソンの愛好家ばかりである。仙台から新幹線を乗り継いで来られた亀井文蔵氏と清子夫人は、ホールにご愛用のグランドピアノを寄贈してくださったが、これはかつて私がピアノ伴奏をして、氏が得意のフランス語で「巴里の屋根の↑」を歌ったことのある思い出の品である。
 NHK会長(当時)の川口幹夫氏は、かつて私たちの時代に音楽ディレクターをされていた方だったから、深緑夏代さんの歌う「愛の讃歌」、石井好子さんの「二人の恋人」、私の「巴里の屋根の下」などを懐かしそうに聴いておられた。一階の多目的ホー~ではフランス風のビュッフェ・スタイルの宴席をもうけて、その日は和気あいあいのうちにお開きとなった。
 そして一週間後、七月十四日はパリ祭で、この日がほんとうの「日本シャンソン館」正式開館日となったのである。当日は全国各地「芦の会」の皆さんがそろって来館され、二階のシャンソンニエ(シャンソン小屋)では、「アートフラワー」の飯田倫子先生が自ら活けてくださった、美しい「ミュキフルール」の前で、木村光成氏作曲の「シャンソン讃歌」が木村仁さんの歌で発表された。群馬県内だけでなく東京や大阪からも応援に駆けつけてくれた十数人の歌手たちによって、次々とお馴染みのシャンソンが披露された。
 三年以上にわたる準備と心労はいちおう報われたかのようにみえたが、思わぬ難問題が待ちかまえていた。十一月に日本でコンサートを予定していたイヴェット・ジローからお断りの手紙が届いたからである。日本でフランスの核実験反対のデモが起きていることを知った彼女は、手紙にこう書いてあった。「私はフランスの心と日本の心をもっています。今年は約束を守れないことを許してください。ほんとうにごめんなさい」
 さて困ったのは、切符をすでに発売していたことである。「日本シャンソン館」の公演は人数も少ないから一人ずつ電話でお断りできたのだが、十一月九日、有楽町朝日ホールのほうはそうはいかない。急きょ、プロデュースの藤村知弘氏と相談して、『核も戦争もない地球を願って』と題したコンサートに変更し、核実験反対の意思表示を、歌を通して行うことにした。