世相の変化と母の心-1

幸福(しあわせ)を売る男

芦野 宏

世相の変化と母の心-1

世の中は平和を願う庶民の心を無視して、どんどん思わぬ方向へ進んでいった。
どうしようもない時の流れに身を任せるよりほかにないのである。
私がのちにシャンソン歌手となり、フランスの歴史を知るようになってから、パリ市民のレジスタンス精神にふれ考えさせられることがたくさんある。それにしても、あの昭和十八、十九年ごろのヒステリックな、今にして思えば滑稽なまでの国民全体の行動はなんだったのだろう。
そのころ、受験に失敗して浪人生活を送っていた私は予備校に通っていたが、見たちと違って理科系の不得手な私は、受験が苦手でとうとう二年目の浪人生括に入っていた。そんな時とつぜん徴用令が舞い込んだのである。
浪人は働けという国の命令である。私は国民服を着せられて工場に泊まり込みを命じられ、勉強などする余裕は奪い取られた。
そのころはすでに三人の姉も嫁ぎ、三人の兄もそれぞれ結婚していたから、母の心は私だけに集中していた。学業半ばにして不本意に働かなければならぬわが子のため、つてを頼りの嘆願書が効を奏し、私は三日間の徴用で釈放された。
母の弟つまり私の叔父・蒲生俊興が、長野県上田市にある上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)の教授をしていたことから、「物騒な東京を離れ、疎開の意味も含めてあずかってほしい」と手紙を書いた母の希望どおり、昭和十九年(一九四四)四月から私は上田で勉強することになった。